- John Kampen, "Wisdom in Deuterocanonical and Cognate Literatures," in Canonicity, Setting, Wisdom in the Deuterocanonicals: Papers of the Jubilee Meeting of the International Conference on the Deuterocanonical Books, ed. Geza G. Xaravits, Jozsef Zsengeller, and Xaver Szabo (Deuterocanonical and Cognate Literature Studies 22; Berlin: De Gruyter, 2014), pp. 89-119.
Canonicity, Setting, Wisdom in the Deuterocanonicals: Papers of theJubilee Meeting of the International Conference on the Deuterocanonical Books (Deuterocanonical and Cognate Literature Studies) Geza G. Xeravits De Gruyter 2014-09-12 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本論文は、第二神殿時代の知恵文学の伝統の発展を示すことを目的とする。そのために、第二正典における知恵文学とクムランからの知恵文学とを比較する。第二正典の知恵文学の例としては、パレスチナのユダヤ伝統に属する『ベン・シラ』を用いる。『ソロモンの知恵』やフィロンの著作を用いないのは、アレクサンドリアで表わされたこれらの文書は、パレスチナの伝統と大きく様相を異にするからである。
知恵、トーラー、啓示。『ベン・シラ』は「知恵」を「トーラー」と同一視している。ここでの「トーラー」には、ラビ文学や新約聖書に見られるような「法規」の意味はなく、「生きるための正しい方法」というほどの意味になっている。同書の16:24-17:23によると、三つのトーラーがあり、第一に、被造物のためのトーラー、第二に、人間に与えられたトーラー、そして第三に、イスラエルに与えられたトーラーである。これは聖書的な啓示を意味しているので、『ベン・シラ』の「トーラー」は法的というよりは啓示的・金言的であると言える。
一方で、『4Q教育』(と『4Q謎の書』)には、「トーラー」という言葉すら出てこない。これはエノク的文学の特徴と一致するものである。エノク的文学は、悪の起源、正義と義のメッセージ、創造全体の本質、そして人間性などを、「トーラー」に言及することなく扱う。またエノク的文学では、「知恵」は啓示の主題を指している。すなわち「知恵」の内容とは、創造の秩序の起源、本質、そして運命である。言い換えれば、エノク的文学において「啓示」は「トーラー」に基づかないのである。
しかしながら、エノク的文学における「知恵」はただ義人にのみ理解される一方で、『4Q教育』の「知恵」は、「存在の謎(ラズ・ニヒイェ)」を学ぶ者(=メビン)によって理解される。「存在の謎」とは、人間性への基本的な真理を神が打ち立てるときに用いる道具として、過去・現在・未来で構成されている。このメビンは、「霊の人(people of spirit)」として永遠の天使的な状態へと入ることができるが、「肉の霊(spirit of flesh)」と共にある者たちは、それを可能にする知識を得ることができない。それゆえに、メビンたちの間にあることが存在の謎の理解を発展させるために必要なのである。
著者の社会的な位置に関しては、『ベン・シラ』と『第一エノク書』は共通して、「書記(scribe)」である。というのも、両者は祭司制に関心を持つ共同体を反映したテクストだからである。文書の作者たちは、当時の神殿や祭司制について批判的であった。
金持ちと貧困者。さらに、金持ちと貧困者に対する態度においても、これらの文書は異なっている。『ベン・シラ』は貧困が問題とされている時代の文書であるため、貧困者たちの扱いに正義を求める責任感に言及している。しかし、現実的な貧困者は出てこない。『第一エノク書』は金持ちに対して批判的であり、悪と不正義と同一視している。すなわち、『第一エノク書』において、金持ちの反対は貧困者ではなく、義人なのである。さらに、ダニエル書はイザヤ者のしもべの歌の文脈で悪人と賢者とを対比させている。賢者を扱う点で、ダニエル書もまた『ベン・シラ』と同様に、書記の共同体のような教育のあるエリートの価値観を反映していると言える。
一方で、『4Q教育』は貧困者に向けて書かれている。貧乏でも、存在の謎を学び、義へと歩むことで、神は栄光を与え、貧困から頭を上げてくれる、というのである。聖書や初期の非聖書文学において、これほど直接的に貧困にある人間に向かって書かれた文書はない。そうした貧しさを、『4Q教育』はמחסורという言葉で表わしている。この「貧困者としての受け手に向けられている」という点が、『4Q教育』を、『ベン・シラ』、『第一エノク書』、そしてダニエル書から切り離している。
宗派性。『4Q教育』の宗派性を調べるためには、特徴的な用語を調べるのが有効である。ホフマーという語は、クムラン文書には比較的少なく、宗派的テクストに限ってはより少ない。ダアットとセヘルという語は、クムランの宗派的テクストに特に多い語である。さらに、エメットという語は、クムラン文書に極めて多く見られ、特に宗派的テクストに多い。『4Q教育』にもエメットという語が多いため、Devorah Dimantは同書を宗派的テクストだと考えている(ヘブライ語聖書の知恵文学には少ない)。論文著者は、そこまでは明言しないが、『4Q教育』がクムランの宗派的な作者たちに大きな影響を与えていたと述べている。
こうしたことから、ヘブライ語聖書と同根の知恵文学の伝統において、極めて異なった発展が、すでに前2世紀の段階で見られると言うことができる。
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