ページ

ラベル プラトン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル プラトン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年11月10日日曜日

フィロンにおける自由学芸 Mendelson, "Encyclical Studies in Philo"

  • Alan Mendelson, Secular Education in Philo of Alexandria (Cincinnati: Hebrew Union College Press, 1982), xvii-xxv, 1-24.

Secular Education in Philo of Alexandria
Alan Mendelson
Hebrew Union College Pr
売り上げランキング: 2,964,930

導入

ヨセフスが伝えているソロイのクレアルコスによるアリストテレスとユダヤ人との邂逅譚からも分かるように、ギリシア文化はユダヤ人にも浸透していた。しかしそれはパレスチナにおいてよりも、アレクサンドリアにおいて顕著であった。中でもフィロンはギリシア語訳聖書を用いて悪びれず、むしろヘブライ語テクストと同等の価値を認めた。さらにフィロンは、トーラーの問題を解決するためにギリシア哲学から本質的な点を借用した。すなわち、フィロンのギリシア哲学への依拠は単に便利さの問題ではなく信念の問題だったのである。フィロンやその読者にとって、ギリシア哲学は聖書を新しい意味で満たすものであった。これは非常に深いユダヤ教とヘレニズムのフュージョンといえる。

一方で、フィロンはユダヤ教徒としての意識も強く持っており、哲学はあくまで聖書の侍女であり、聖書こそがフィロンの思想を規定していた。それゆえに、フィロンはプラトンからの強い影響を受けていたにもかかわらず、ギリシア文化の理想としての同性愛には強く反対していた。なぜなら同性愛はレビ記などで否定されているからである。フィロンはギリシア文化とユダヤ教との間に線を引いていたのである。

こうした観点から、本書はフィロンがギリシアの世俗の教育、いわゆる自由学芸についてどのように適切に用い、また拒絶したのかを明らかにするものである。当時のユダヤ人がギリシア的教育に対して取った態度には、パレスチナで見られたように完全に拒否する者もいれば、フィロンの甥のティベリウス・ユリウス・アレクサンデルのように無批判に完全に受け入れた者もいた。ギリシア的教育に対するフィロンの態度を知るには、『予備教育』を検証する必要がある。

自由学芸の問題は研究に値する。というのも、2つの特異点、すなわち宗教的な点と哲学的な点が認められるからである。第一に、宗教的な特異点としては、伝統的な宗教と世俗の教育が出くわした際に起こる聖性と冒涜との緊張である。その例としては、ラビ・ユダヤ教とギリシア的知恵(ホフマー・ヤヴァニット)との邂逅がある。バビロニアでもパレスチナでも、ラビたちはギリシア的知恵を異端に近いものと見なしていた。霊的な価値を持たない世俗的な体系を聖書の聖なる教えとどのように折衷させるか、という問題はラビとフィロンに共通のものであった。

第二に、哲学的な特異点としては、キオスのアリストンが述べるように、自由学芸や科学はそれ自体を学ぶのではなく、哲学というより高次の知識の予備的な教育として学ぶ必要があるという考え方があった。自由学芸を意味する「エンキュクリオス・パイデイア」という用語自体はシケリアのディオドロスやハリカルナッソスのディオニュシオスより前には見られないが、同様の見解はプラトンやクセノフォンからセネカにまで見られる。哲学と自由学芸の関係は、ペーネロペーとその侍女の関係に対比されたが、フィロンはこれをサラとハガルの関係で説明した。ただし、フィロンはさらにそこから一歩進み、自由学芸にも固有の霊的価値があると理解している点で異なっている。フィロンの教育論に関する先行研究は、Colson, Marcus, Alexandreらのものしかない。


第1章:フィロンにおける自由学芸

「パイデイア」(教育)という言葉は、教育の過程を指す場合と、教育の結果を指す場合がある。フィロンも両方の意味でこの語を用いている。またパイデイアの欠如は、訓練されていない、規律がない、文明的でない、などといった状態であると見なされた。

「エンキュクリオス・パイデイア」は、フィロンにおいて、自由学芸および科学の教育のこと指している。最近までエンキュクリオス・パイデイアは「エンキュクリオス」という語から、「すべての人が享受可能な、毎日するような通常の教育」の意味だと捉えられてきた(H.I. Marrou)。しかしM. AlexantreやL.M. de Rijkらは、「エンキュクリオス」がもともと音楽用語であること、また音楽や文化一般が人間に教え込むべき調和というところからより広い教育的な意味を持つことを指摘している。フィロンにおいても、エンキュクリオス・パイデイアは普通の日常のトレーニングではなく、調和における教育を意味している。フィロンは同義語として、メセー・パイデイア、メサイ・エピステーマイ、メサイ・テクナイ、あるいはメサイ・テクナイといった表現を用いている。

自由学芸には七科があることが知られている。三科としては、文法学、修辞学、弁証学があり、四科としては、幾何学、算術、音楽、天文学がある。重要なことに、三科と四科の区別はしていないものの、フィロンはこれらすべての科目に言及している。そして、これら以外の科目には言及していないこともまた重要な点である。自由学芸に言及したテクストには、『予備教育』74-77、『ケルビム』105、『農耕』18、『夢』1.205、『出エジプト記問答』2.103、『予備教育』11, 15-18、『創世記問答』3.21、『モーセ』1.23の8つがある。これらのテクストによると、自由学芸一般の特徴として、国際的な由来を持つこと、また(知的な世界ではなく)感覚的な世界に属することが挙げられる。

文法学。『夢』によると、文法学は初等教育としての読み書きと、より高次の教育としての詩人についての知識や古代の歴史の学習に分かれるという。前者はグランマティスティケー、後者はグランマティケーと呼ばれる。「文学(Letters)」と呼ぶに相応しい後者の文脈では、文学は否定的な例を挙げることで避けるべき振る舞いを示すという役割がある。フィロンにとって肯定的な、模倣するべき徳の源泉は常に聖書であった。こうした「上向きの」学びは、最終的には哲学に行き着くものであった。

修辞学。修辞学を学ぶ者が涵養すべきは、思考(heuresin)、表現(phrasin)、整理(taxin)、取り扱い(oikonomian)、記憶(mnemen)、伝達(hypokrisin)である。修辞学は、言語的な能力が決定的になるような場面において重要になってくる。フィロン自身は修辞学を、アレクサンドリアのソフィストたちとの戦いにおいて自己を防衛するために必要不可欠な武器だと見なしていた。ただし、それだけではなく、修辞学の最終的なゴールは最後まで確実に正しく理解されるようなスピーチをすることでもである。そのために、フィロンはストア派のロゴス論、すなわち心の中にある思考からの動きを促進するロゴス・エンディアテトスと、弁論の中に映されたロゴスであるロゴス・プロフォリコスを取り入れている。ただし、知識の体系というよりもマスターするべき技術である修辞学は直接哲学へと繋がっているわけではない。修辞学自体はソフィストの持っている技術である。

弁証学。フィロンが自由学芸について触れている8つのテクストの中で、弁証学については『予備教育』18でしか言及していない。フィロンは弁証学と修辞学は双子の姉妹であると位置づける一方で、両者を区別してもいる。キティウムのゼノンによれば、修辞学が分かりやすい物語によって述べられたことを上手に説く科学であるのに対し、弁証学は問答によってある主題を正確に論じるものであるという。つまり、修辞学の強調点は形式的な技術ではなく語りの巧みさであるが、弁証学は構造を持つ原理である。弁証学は論理学とも比較できるが、哲学の一分野として抽象的な問題を扱う論理学と異なり、弁証学はより具体的な現実生活を扱う実用的なものである。

幾何学。これは七科のうち、8つのテクストのすべてで言及されている唯一の科目である。幾何学の学習には2つの利点がある。第一に、実用的な点としては、計算を必要とするような事柄において完全な正確性をもたらすことができる。第二に、倫理的な点としては、幾何学が平等と均整を学ぶことを愛する魂を涵養することができる。とりわけ平等は、原理そのものの主要な特徴であると同時に、その学びから得られる望ましい教訓でもある。ただし、幾何学も文法学同様に、突き詰めるとある点から哲学に変わってしまう。

算術。8つのテクストのうち4つで言及されている。算術はものごとにおける完全な正確さを得るためのものである。また数秘術的な伝承を学ぶためのものでもある。「数秘術(arithmetic)」と「数学(arithmology)」の区別はフィロン自身はまったくしておらず、同じものと考えている。フィロンは小数、集合、累乗の定理、比例などを知っていた。フィロンの数に関する説明の多くは、あまり専門的でない算術と伝承の組み合わせといっていい。そしてそれをある種の倫理的価値観でまとめている。

音楽。8つのテクストのうち6つで言及されている。最も詳しい説明をしている『予備教育』76からは、フィロンが音楽の専門用語に通じており、また音楽の学びの範囲が理論に向けられていることが分かる。一方で、理論でない実用的な記述もある。快楽をもたらす芸術である音楽を忌避すべきという見解も持っていた。

天文学。古代において、上のさまざまな科目の掉尾を飾るのが天文学である。科学の女王ともいえるが、フィロンは『予備教育』11でしか触れていない。天文学が科学としての統一性を欠いているからと説明するとする研究者と、天文学が現世的な科学を超越しているからと説明する研究者がいるが、本書の著者はこれらの説明をいずれも退ける。

まず統一性を欠くからと説明するColsonは、天文学は幾何学の一部門と見なすべきというクインティリアヌスの主張を紹介するが、フィロンとクインティリアヌスは目標が異なる。Drummondはフィロンが天文学を過小評価したと主張するが、これはフィロンの記述を表層的にしか読んでいないための結論である。フィロンは現在で言うところの天文学と占星術を曖昧ながらも区別しているので、その天文学に対する態度は複雑である。星の崇拝のようなやり方には攻撃を加えるが、純粋に研究された天文学そのものを過小評価することはない。

現世的な科学を超越しているという説明はBréhierに見られる。彼によれば、天文学は他の諸学芸と共に置かれるべきではなく、知恵への最初の一歩であるという。それどころか、星の神聖視するような記述すらある(「星は神聖な魂である」『巨人』8)。Wolfsonはこの表現はギリシアの大衆的な宗教からの単純な言葉の借用なので、実際に神聖視していたわけではないと説明する。Goodenoughは、フィロンが否定していたのは低級な神々を崇拝することであって、その存在そのものではないと主張することで、フィロンの一身強敵見解と『巨人』での発言を両立させた。しかし、フィロンにとって星を含む天はそもそも現世的な感覚世界の問題である(『予備教育』50)。

天文学astronomiaと占星術astrologiaの用語について、Marrouは、両方ともわれわれが科学と呼ぶものと迷信と呼ぶもの両方を指し得ると説明する。しかし、古代人が天文学において彼らが科学的と考える部分と迷信的と考える部分を区別していたかは分からない。フィロンはastrologiaという語はまったく用いていないがastronomiaは頻繁に使っている。似た用語として、meteorologia、meteorologikos、chakdaikosなどは肯定的にも否定的にも用いられていることから、その使用は体系的でない。フィロンは今では占星術の一種と呼ぶべき兆しやお告げも重要視している。星座の理解も天文学を学ぶ者が重視すべきことと考えている。ただし、星座そのものを崇拝することは禁止する。天文学のリミットを知らない者は星の決定論や唯物論や汎神論のような異端的な考え方に至ってしまうので、注意が必要である。

関連記事

2019年9月25日水曜日

予備教育としてのハガル Bos, "Hagar and the Enkyklios Paideia"

  • Abraham P. Bos, "Hagar and the Enkyklios Paideia in Philo of Alexandria," in Abraham, the Nations, and the Hagarites: Jewish, Christian, and Islamic Perspectives on Kinship with Abraham, ed. Martin Goodman, George H. van Kooten, and J.T.A.G.M. van Ruiten (Themes in Biblical Narrative 13; Leiden: Brill, 2010), 163-75.


『予備教育』は創世記のサラとハガルの物語に関する解釈書である。創世記では、アブラハムの妻サラは子供ができなかったために、ハガルを側室とするようにアブラハムに提案した。これは一見不適切な物語のように見えるが、これをフィロンは逆転の発想で、至高の知恵でもあり神的な取り決めであったと解釈した。

知恵と教養諸学を区別するというフィロンのテーマは他のモチーフと関係を持っている。第一に、アブラハムの移住の解釈である。フィロンはこれを可感的な物質性の世界から神的イデアの非物質的実在性への魂の上昇と捉えた。とりわけアブラハムがアルデア人の地から出ることは、彼がコズミックな神々への礼拝からメタコズミックな超越的な唯一神への崇拝に至るブレイクスルーを与えた。つまり、カルデア人とアブラハムやイスラエルとには、フィジックとメタフィジック、コズミックな神学とメタコズミックな神学という対比がなされている(『世界の創造』冒頭など)。フィロンは、アブラハムと共にカナンの地に行かなかったナホルのことを天文学に囚われたままの人物として描いている。

第二に、名前の変化のモチーフも重要である。「アブラム」と「サライ」は最初、目に見える世界にとらわれていたが、予備教育を学ぶことですべての物事の原因やロゴスのアイデアに気づくことができた。そうした観点の変化と魂の方向転換を経て初めて彼らの名前は「アブラハム」と「サラ」に変わったのである。

こうした解釈は当然聖書そのものからは得られない。フィロン以前からユダヤ人は聖書を寓意的に解釈することはあったが、フィロンのような「哲学的な」寓意はなかった(H. Wolfson)。彼はこれをギリシアの文学伝統から取り入れたのである。前6世紀のランプサコスのメトロドロス以来、この方法はホメロスやヘシオドスのような古典をアップデートする方法として好まれた。

予備的なものとしての教養諸学からより高度な知識へ、というテーマも疑いなくギリシアから来ている。これは数学と論理学を区別したプラトン以降の考え方である。しかし、フィロンは原理を可感的な現実に向けるというより後代の予備的科学を用いている。プラトンにとって可感的世界は科学の対象ではなかった。フィロンのような用い方はストア派にも見られるが、その淵源はアリストテレス『形而上学』である。アリストテレスは哲学を真に自由な科学とし、その他の学問をそれに仕えるものと見なした。

ハガルに代表される予備的科学の学びには、哲学に対して従属的なヒエラルキーがあるものの、決してそれは「奴隷的」な行為ではない。とはいえそれは可視的・物質的世界につながれたままでもある。『巨人』60において、フィロンは人を地上的・星的・神的なものに分けている。地上的人間は快楽を求める者、星的な人間は教養諸学の習得に身をささげる者、そして神的な人間は可視的世界を超越する祭司や預言者である。

教養諸学のギリシア語であるエンキュクリオス・パイデイアについて、De Rijkはそれがピタゴラス主義者の音楽的理想に由来し、歌や合唱を子供たちに指導する習慣と関係していることを明らかにした。他の研究者もさまざまに議論をしているが、みなに共通するのは、エンキュクリオス・パイデイアの概念がストア派の時代を遡らないという認識である。それゆえに、概念の創始をストア派に記する者すらいるが、論文著者はこれを否定する。著者によれば、フィロンの知恵概念などには非ストア派的認識論が見られる。すべてを支配する神と、より低次のロゴスあるいは神の力というグノーシス的区別の最初は、フィロンに帰されるという。

そして、論文著者は以上のような考え方はアリストテレスと完全に合致すると主張する。彼は人間が議論できる現実世界と、それを超える超越的な知識を区別した。魂の関与できる領域と知性の領域を分けているのである。他にもフィロンはアリストテレス同様にホメロスを賞賛し、モナルキア主義を共有している。フィロンは、アリストテレスの失われた対話編から「エンキュクリオス・パイデイア」の概念を借用したに違いない。

2019年3月14日木曜日

ヒエロニュムスとギリシア異教文化 Courcelle, "Christian Hellenism: St. Jerome #2: Jerome and Greek Pagan Culture"

  • Pierre Courcelle, Late Latin Writers and Their Greek Sources (trans. Harry E. Wedeck; Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1969), 58-89.

Late Latin Writers and Their Greek Sources
Pierre Courcelle
Harvard University Press
売り上げランキング: 634,172

ヒエロニュムスはギリシア文学を翻訳で読んだことを隠していない。特にキケローの翻訳で、彼はプラトン『プロタゴラス』、クセノフォン『オイコノミコス』、デモステネスとアイスキネスの互いへの弁論などを読んだ。

ヒエロニュムスは頻繁にギリシア詩人に言及するがあまり引用はしない。ホメロスについては、必ずしも原典を直接読んだとは限らず、キケロー『老年について』やルクレティウスのラテン語訳などを通して読んでいた。ヘシオドスはアレクサンドリアのクレメンスを通して読んだ。シモニデス、ピンダロス、アルカイオス、ステシコロス、ソフォクレスらについてはその評判しか知らなかった。アラトス、エピメニデス、メナンドロスらについては新約聖書で引用されている箇所にしか触れていない。エウリピデスとアリストファネスについては、プルタルコスやポルフュリオスらから知ったと思われる。

ギリシア弁論家たちについては、名前を知っていたのみで、その著作に通じていたわけではなかった。リュシアス、ヒュペリデス、ペリクレス、デモステネス、アイスキネス、イソクラテス、ポレモンなどに言及している。詩人も弁論家も聖書解釈にはあまり役に立たないので、直接の知識が必要なかったのであろう。

ギリシア哲学については批判的である。なぜなら、彼によれば異端者は皆プラトンとアリストテレスの弟子だからである。ゼノン、クレオンブロテス、カトー、エピクロスについては、すべて読んだと主張しているが、これは修辞的な誇張であることは明らかである。他にもアナクサゴラス、クラントル、ディオゲネス、クリトマコス、カルネアデス、ポセイドニオス、エンペドクレスらを学んだと述べている。ピタゴラスについては、ラテン語訳でのみ読んだことがあると認めている。

プラトンの著作については、ヒエロニュムス自身は原典テクストを所有していたと述べているが、多くはキケローの翻訳などで読んだようである。プラトンの哲学については、かなりいい加減な知識しか持ち合わせなかった。魂の三部分に関する議論についても、オリゲネスやナジアンゾスのグレゴリオスなどに依拠していた。プラトンと新プラトン主義との混同も見られる。

アリストテレスの形而上学的著作については無知だった。ヒエロニュムスにとって、アリストテレスは論理学者であり自然学者であった。アリストテレスの話をするときには、テオフラストスも一緒に遡上に上げることが多い。テオフラストスの情報源は、F. Bockによればテルトゥリアヌスだとされているが、G. GrossgergeとE. Bickelによればセネカ、プルタルコス、ポルフュリオスだとされる。

ポルフュリオスについて、ヒエロニュムスは強い関心を持っていた。彼はポルフュリオスの『エイサゴーゲー』を若い頃からよく読んでいたが、それを情報源にしていることを隠していた。なぜなら、敵対者たちから異教文学に耽溺していることを非難されないようにするためである。しかし、ヒエロニュムスのオルフェウス、ピタゴラス、ソクラテス、アンティステネス、ディオゲネス、サテュロスらについての知識はポルフュリオスに由来する。しかもそれに勝手にキリスト教的なトーンを付加している。

ポルフュリオスの著作でも言及するものとしないものがある。『ピタゴラス伝』と『禁欲について』に言及することはないが、『反キリスト教論』には頻繁に触れる。ただし、ポルフュリオスの著作のすべてを直接読んだわけではないと考えられる。むしろポルフュリオスに対する駁論、たとえばオリュンポスのメトディオス、カイサリアのエウセビオス、ラオディキアのアポリナリオスらから彼の教説を紹介することもある。特にエウセビオスに主に依拠している。

ギリシア歴史家に関しては、ヒエロニュムスは必ずしもすべてを原典で読んだわけではないし、そもそも名前を挙げているだけの場合もある。彼が目を通したのは聖書研究に有益な歴史家の作品である。それはたとえば、トゥキュディデスやヘロドトスであったが、それらの引用はプルタルコスやアレクサンドリアのクレメンスからの孫引きであった。クセノフォン『オイコノミコス』はキケローの翻訳で読んだ。

ユダヤ人歴史家としてフィロンとヨセフスにしばしば言及している。フィロンの著作を所有していると述べていたが、しばしばエウセビオスを通じた引用をしている。ヒエロニュムスは、フィロンを哲学者というよりは歴史家として重んじていた。ヨセフスについては、ヒエロニュムス自身は何度も否定しているが、伝統的に彼がヨセフス著作の翻訳者だと考えられてきた。ユダヤ人の歴史と文明の知識については、ヒエロニュムスはヨセフスに負っている。また他の古代作家たち、たとえばベロソス、ムナセアス、ダマスコスのニコラオス、アレクサンデル・ポリュヒストル、クレオデモス・マルコスらの著作にも、実際にはヨセフス経由で触れている。

ギリシア医学に関しては、ヒッポクラテスやガレノスに言及している。前者はオリゲネス経由での知識と考えられる。ギリシア自然学については、アリストテレス、テオフラストス、シデのマルケッロス、ディオスコリデス、オッピアノスに触れているが、それはテルトゥリアヌス、パキアヌス、アンブロシウスらキリスト教作家からの又聞きである。ギリシア鉱物学については、エピファニオスに負っている。彼は大プリニウスを自分で読んでいたにもかかわらず、ほとんどのギリシア自然学者については名前だけ知っていたにすぎなかった。

2017年3月8日水曜日

フィロンの聖書解釈 Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #3

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 162-89.

フィロンが受けたギリシア語教育は極めて広範なものだったが、現実の科学と批判的な文献学については、他のアレクサンドリアのユダヤ人同様あまり通じていなかった。彼は開かれた性格であったため、しばしば劇場を訪れたが、一方でエルサレムに巡礼に行くような敬虔さも持ち合わせていた。またフィロンは、アレクサンドリアのユダヤ人の代表者であった。

フィロンは異教徒作家からの長い引用は避け、引用するにしてもホメロス、ピンダロス、プラトン、エウリピデスからのみ引用した。彼は他のユダヤ人作家には決して言及しなかった。フィロンにとって、字義通りの意味よりもより深遠な意味の方が重要だったが、かといって律法の字義的な遵守を放棄することもなかった。フィロンにはヘブライ語能力はなかった。ただし、ヘブライ語の用語や人名に関する語源学的なハンドブックを持っていたと考えられる。

フィロンの著作ジャンルは、1)問答、2)創世記の寓意的注解、3)律法解説、4)その他のテーマ別著作、5)歴史的・護教的著作に分けることができる。これらフィロンの著作の全体に寓意的解釈は行き渡っているが、聖書テクストへの言及の仕方が違う。またエウセビオスの引用のみで伝わっている『ヒュポテティカ』と『ユダヤ人のための弁明』という著作もあった。問答形式では、まず字義的な解釈をしたあとに寓意的解釈(自然的な場合と倫理的な場合がある)へと進むという複数アプローチを取った。寓意的注解では、はっきりと寓意的解釈に比重が置かれ、しばしば字義的解釈は否定される。律法解説では、聖書本文と解説とはゆるやかにしか繋がっておらず、創造から終末への普遍的な歴史の中で寓意的に律法が解き明かされる。

フィロンは神理解において神人同型説を避けている。存在する者たるホ・オーンは動きも感情も悪も超越し、物質と接触しない不可感な存在なのである。ではそのような超越的な神がどのように世界に影響を与えるかというと、それは神の力(δύναμις)が代わりにするのである。このように、フィロンの宇宙論において、神は超越的(プラトン主義)であると共に内在的(ストア派)である。フィロン自身はそこに、神の力の二元論という要素を加えた。すなわち、神を表わすときの「主(κύριος)」は力の展開や裁きを意味しており、「神(θεός)」は創造的活動や恵みを意味しているという考え方である。同様の二元論はラビ文学にも見られるが、そこでは逆に、「主(אדני)」が恵みを、「神(אלהים)」が裁きを表わしている。

霊感説。フィロンにとって、五書の著者は神ではなくモーセである。しかしモーセは単なる律法制定者ではなく預言者でもある。十戒を受けたときなど、モーセは神の力の機械的な反響として働くばかりであり、そこにモーセの意志は介在しない。フィロンの理解では、霊感は人間側のいかなる知的営為も認めず、ストア派宇宙論におけるプネウマのような力によって、機械的な因果関係が働くのである。そして音を発しているだけのモーセの言っていることの意味を探るのは、それを読んでいる読者の解釈に委ねられる。こうして聖書解釈の正当性が担保されるのである。

聖書理解。フィロンは五書を、モーセという単一の著者による統一的な著作だと考えていた。そしてその内容は、第一に創造、第二に歴史、そして第三に律法であると分類した。ただし、文献学的な観点やヘブライ語知識を持たない彼にとっての聖書とは、常に七十人訳であった。彼は七十人訳はヘブライ語テクストと完全に同一だと考えていた。彼がヘブライ語に言及するときは、名前などに関するハンドブックに依拠していたと考えられる。フィロンはときに預言書に言及することはあっても、その関心はほぼ五書に限定されている。タナッハの三区分は知っていたようだが、あまり正典意識は持っていなかった。

フィロンの字義的解釈は細部にこだわったものであり、同時代のギリシア語文法、修辞学、弁論術などを駆使したものである。一方で彼の寓意的解釈はより同質的で組織立ったものだった。寓意的解釈においては、自然学や倫理学に基づいた寓意のみならず、神秘主義的な寓意まで進んだ。また聖書の登場人物を象徴として捉えるという手法をしばしば用いたが、これはフィロンに限らずラビ文学やギリシアのホメロス解釈にも見られるものである。ただし、フィロンのそれはとりわけ豊かでかつ一貫性を持ったものだった。

フィロン受容。ユダヤ文学において、ヨセフスはフィロンに言及しているが、ラビ文学はその名前すら記録していない。異教文学においてもその足跡は残っていない。フィロンを最も重宝したのはキリスト教の聖書解釈者たちだった。アレクサンドリアのクレメンスやオリゲネスはフィロンを模倣し、エウセビオス、キュリロス、クリュソストモスらは彼を崇拝した。ラテン世界では、アンブロシウスがフィロンの名前を出さずにその著作をラテン語訳しており、アンブロシウスを通じてアウグスティヌスも大きな影響を受けた。ヒエロニュムスは『著名者列伝』にフィロンの項を入れている。

関連記事

2016年5月10日火曜日

ポルフュリオスのホメロス解釈 Lamberton, "Porphyry and Homer"

  • Robert Lamberton, Homer the Theologian: Neoplatonist Allegorical Reading and the Growth of the Epic Tradition (Transformation of the Classical Heritage 9; Berkeley: University of California Press, 1986), pp. 108-33.
Homer the Theologian: Neoplatonist Allegorical Reading and the Growth of the Epic Tradition (Transformation of the Classical Heritage)Homer the Theologian: Neoplatonist Allegorical Reading and the Growth of the Epic Tradition (Transformation of the Classical Heritage)
Robert Lamberton

Univ of California Pr on Demand 1989-06
売り上げランキング : 1142057

Amazonで詳しく見る by G-Tools
ポルフュリオスによる、ニンフの洞窟(『オデュッセイア』第13巻)に関する小論は、少なくとも後262年以降という、ポルフュリオスの活動後期の作と考えられている。これは、初期に書かれた『ホメロス問題』との比較によって、研究者たちが推測した年代設定である。『ホメロス問題』で限られた議論しかできなかったために、ポルフュリオスはのちにニンフの洞窟の小論と、ストバイオスによって保存されている断片の中で、ホメロスの寓意的解釈について論じたのだった。これらは特にヌメニオスからの影響が指摘されている。

『ホメロス問題』には、偽プルタルコスによるホメロス解釈との類似性が見出せるという。彼は情念に関するホメロスの語彙や、ホメロスの修辞的な工夫を洗い出し、それを哲学者や弁論家の言葉と比較した。しかし、この作品ではマイナーなことの説明に終始していた。

ストバイオスによって保存されているポルフュリオスの断片(『ステュクスについて』)においては、ポルフュリオスはより大きなテーマについても説明している。彼によれば、古代人たちは神々について謎をもって表現したわけだが、ホメロスはそれをさらに推し進め、秘密を守り、直接的に説明することを避けた。いわば、意味にはある種の側面が存在しており、ホメロス作品には表面的な意味を超えた真理が含まれているのだが、ホメロスはそれをあからさまに扱うことを拒否したのだと、ポルフュリオスは考えたのである。神秘主義的あるいは倫理的な寓意的解釈と通常の読み方との間に違いがあることを、ポルフュリオスは明らかに気づいていた。そして、ホメロス作品から読み取ることのできる意味には複数の矛盾のない階層があると考えていた。

ポルフュリオスは、特にプラトンにも見られるような、魂に関する議論をホメロス作品から引き出している。ポルフュリオスがホメロスを扱う目標のひとつは、死後の魂の経験を理解することであった。プラトンの神話においては、哲学は新しい生活のための正しい選択のために必要なものと見なされていた。なぜなら、選択という行為は理性的かつ知性的なものだからである。一方で、ポルフュリオスの説明においては、哲学とは、魂の非理性的な部分を理性的な部分に従属させるために必要な準備であった。

ホメロスの神話と言葉を利用して抽象的な真理を得るというのは、プロティノスにも見られる方法であるが、ポルフュリオスの方がより依存度が高かったといえる。彼は自身の思想を独立して開陳するよりも、ホメロスという権威に言及して、ホメロスとプラトンの神話を一つにし、ホメロスの言葉の豊かさに遊んだ。いうなれば、ポルフュリオスは読者とテクストとの媒介者となるような批評家だったのである。

ポルフュリオスは、芸術的な創造には二つの方法が可能だと考えていた:第一に、この世界における対象や出来事を、ある程度忠実に再現するような、慎みのある模倣と、第二に、意味の世界の中継を飛び越える、より高度な現実の模倣である。こうした理解を下敷きに、ポルフュリオスは独自の「詩的許容(poetic license)」理解を持っていた。たとえばストラボンにとっての詩的許容は、ホメロスおける歴史的に正確な記述をその他の記述と混ぜ合わせることを許容することであったが、ポルフュリオスにとってのそれは、ホメロスの詩におけるすべての非歴史的な要素を許容することであった。なぜなら、より高度な現実の模倣の中には、文字通りの言葉の意味を超えた真理があるからである。そうした超越的な現実にはランダムネスはなく、神的な思慮(フロネーシス)としての秩序がある。

こうした原理に則ってポルフュリオスはホメロスを解釈するわけだが、彼はホメロスのどんな一節でも寓意的に解釈したわけではない。彼は、自分にとって受け入れ難い一節を無理やり寓意的に解釈することはなかった。彼はまず表面の意味を取り、それが受け入れ難いときには、その背後を探るのは不必要であると考えたのである。そもそも、ポルフュリオスはホメロスの詩の描写が正確で歴史的であるならば、それに越したことはないと考えていた。なぜなら、ホメロスが何らかのランダムネスや意味のない要素を導いていたという可能性を排除できるからである。

ポルフュリオスの新プラトン主義的な側面としては、ある事象に対する複数の有効な認識を許容することが挙げられる。ホメロスが洞窟を「薄暗くて好ましい(『オデュッセイア』13.103)」と表現したとき、この正反対な形容詞をもとに、ポルフュリオスは認識の複数のレベルについて述べている。日常の認識においては、洞窟は「好ましい」わけだが、知性(ヌース)を用いてより深く物事を見る人にとっては、洞窟は「薄暗い」というのである。これは、ポルフュリオスが明確に規定された解釈原理を欠いているからではなく、新プラトン主義の霊魂論の論理的な帰結だったのである。

このようにして、ポルフュリオスは、プラトンが自身の詩のもとにしたのは、自然的かつ歴史的な現実ではなく、超越的な現実だったことを伝えている。

2016年5月9日月曜日

コルヌートスとヘラクリトスの語源学と寓意的解釈 Dawson, "Ch. 1: Pagan Etymology and Allegory"

  • David Dowson, Allegorical Readers and Cultural Revision in Ancient Alexandria (Berkeley: University of California Press, 1992), pp. 23-52, 258-64.
Allegorical Readers and Cultural Revision in Ancient AlexandriaAllegorical Readers and Cultural Revision in Ancient Alexandria
David Dawson

Univ of California Pr on Demand 1992-02
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
本書の第一章は、ストア派哲学者のコルヌートスとヘレニズム期文法家のヘラクリトスとを題材に、寓意的解釈の発展を概観している。コルヌートスは、語源学的分析を通して、ホメロスが保存した古代の神話の中で表現されている科学的な知恵を明らかにしようとした。対するヘラクリトスは、そもそも詩人自身が寓意的解釈をしていたと考えることで、ホメロスが被っていた非倫理性の批判に反論しようとした。いわば、コルヌートスにとっての語源学は、古代のテクストから科学的な知識を抽出するための手段であったわけだが、一方でヘラクリトスにとっての寓意的解釈は、哲学者の元祖であるホメロス自身の解釈を見つけることだったのである。

コルヌートスによれば、古代の神話は自らの哲学的・宇宙論的な知恵を英雄や神々の名前の中に表現しており、のちにそれらをホメロスやヘシオドスが詩の中で伝達したのだという。それゆえに、コルヌートスは、文学の中に埋め込まれたそうした神話の断片を同定し、彼らの哲学的・宇宙論的な真理を解釈しようとしたのである。ただし、詩人たちはもともとの神話が意図するところを誤解したり、詩的装飾を加えることによって曲解したりしている。そこで、解釈者は語源学的な解釈を用いることで、そこにもともとあった哲学や宇宙論を見つけなければならない。そしてそのときに見つかるであろう哲学とは、当然ストア哲学と一致する。こうした語源学的な解釈は、ヘラクリトスのようなストア派の専有物というわけではないが、やはりストア派の特徴のひとつであるといえる。

ストア派は、「概念(エンノイアイ)」を二つに分けることで、神話作者たちが描いた神話と、その中に含まれている彼らの哲学との差を説明した。その二つとは、第一に、文化的に規定され、教育によって導き出されるもの(conception);そして第二に、人間の直接的な経験によって生み出されるもの(preconception)である。神話作者は世界を知覚することで得たpreconceptionを、神話というconceptionに定式化したのだった。コルヌートスはこのconceptionを把握するために、擬音など語源学的な要素に注目し、「真の」意味を見つけ出そうとした。

ストア派の語源学は言葉の「意味」に関する議論を深めた。彼らによれば、意味には、「命名的な(nominal)」意味と「提示的な(propositional)」意味との二つがあるという。「命名的な意味」とは、名前とそれによって示されるものとの物理的な関係性のことを指す。対象の本質や内容こそが、言葉の意味だと考えたわけである。語源学的解釈はこの「命名的な意味」に属する。一方で、「提示的な意味」とは、オウムでもできるような単なる言語表現(lexis)ではなく、意味を持った理性的な発話(logos)のことを指す。このようにしてストア派は、名前とそれによって表される対象(nominal meaning)とを区別し、それと同時に、文章とそれが意味する意味(propositional meaning)とを区別したのだった。

コルヌートスの語源学的解釈は、このうち命名的な意味を扱うものであった。彼は擬人化された神々の名前を語源学的に解釈することで、そこに隠されているであろうストア派的な宇宙論を「解読」しようとしたのである。彼が寓意的解釈を用いたのは、こうしたストア派哲学を高めるための比較神話学的「研究」のためであり、詩人の非倫理性や神人同型説への非難に対して反論するためではなかった。
一方で、ヘラクリトスは、主としてプラトンとエピクロスによって投げかけられていた詩人の非倫理性と神人同型説への非難に対し、彼を擁護しようとした。ヘラクリトスは、コルヌートスのように、古代の神話作者と彼らをソースとする詩人という二段構えにはせず、詩人をコルヌートスの神話作者と同列に置いた。またコルヌートスにおいては神話という言葉は価値ある寓意哲学であったが、ヘラクリトスにおいては否定的な意味合いしか持たなかった。すなわち、ヘラクリトスによれば、ホメロスを文字通り読むならば、確かに彼の詩は下らない不敬虔な神話とけなされても仕方がないが、寓意的に読むならば、それは深遠な哲学的な知恵の間接的な表現なのである。

ヘラクリトスはコルヌートスのように、もとになる神話と詩人による装飾とを分けず、ホメロスの詩を倫理的かつ科学的真理の寓意として意図的に書かれたものと見なしたので、その一貫性が重要な点であった。ホメロスは一貫して寓意的に詩を書いたのであるから、それを文字通り読んで非倫理的な描写をあげつらうのはお門違いだと言うのである。なぜなら、ホメロスは詩人であると同時に哲学者として、古代の神話を寓意的に表現することで、自らの倫理的あるいは科学的真理を明らかにしているのだから。そしてヘラクリトスは、そうした自身の寓意的なホメロス解釈は、恣意的なものではなく、ホメロス自身が実はそう読まれることを求めていた解釈だと主張するのだった。

ヘラクリトスによれば、ホメロスの批判者たちはジャンルを誤っているのだという。彼らはホメロスの詩を額面通りに受け取って、「不敬虔(アセベイス)」であるとか「不適切(アプレペイス)」であるとか述べている。しかし、ホメロスの物語には二つの階層があるのである:第一に、神話的な詩という文字通りの表面的なレベル。第二に、より深い哲学的真理という寓意的なレベルである。ホメロスが表面的なレベルにおいて書いていることは、実はより深い真理のほのめかしだったのである。

ヘラクリトス自身は、ホメロスの表面的なプロットに従い、しかもそれを寓意的に読むときには一貫した解釈を心掛けていた。それゆえに、一見コルヌートスの解釈法とそれほど変わらないように見えても、ヘラクリトスは解釈の放縦を慎み、相互に抵触するような解釈は採用しなかった。なおかつ、たとえば「アポロがアカイア人に死をもたらした」という箇所において、アポロを太陽と解釈しても、「死をもたらした」という部分まで寓意的に解釈して、「アポロがアカイア人に死をもたらした」を「太陽が輝いた」と読み替えることはしなかった。あくまで寓意的解釈は特定の主語にのみ適用し、動詞には適用しなかったのである。そのようにして、ホメロスの表面的な物語を解き切ってしまわずに、一貫した寓意的な意図を保持したのだった。

このようにしてヘラクリトスは、まずホメロス自身を寓意的解釈の作家であると述べることで彼を擁護し、同時に自らの寓意的解釈を提供することによって、ホメロスの元来の意図を回復させることを目指したのだった。ヘラクリトスによれば、ホメロスを批判する者たちはホメロスが表面上の物語の下に潜ませている哲学を理解しそこなっているにすぎない。それゆえに、一旦それを了解すれば、表面上の物語に見られる非倫理性や神人同型説は、本来ホメロスが意図した哲学や科学的な真理として正しく理解できるのである。そのホメロスの哲学というのは真に独創的なものであり、のちの哲学者たちの見解というのは実はホメロスから引き出したものである。ヘラクリトスの語源学的な分析は、この真理へと読者が引き返すことを可能にする。

2016年5月8日日曜日

ヘラクリトスと寓意的解釈 Konstan, "Heraclitus: Homeric Problems"

  • David Konstan, "Introduction," in Heraclitus: Homeric Problems, ed. Donald A. Russel and David Konstan (Writings from the Greco-Roman World 14; Leiden: Brill, 2005), pp. xi-xxx.
Heraclitus: Homeric Problems (Writings from the Greco-Roman World)Heraclitus: Homeric Problems (Writings from the Greco-Roman World)
David Konstan Heraclitus D. A. Russell Donald A. Russell

Society of Biblical Literature 2005-06-30
売り上げランキング : 398940

Amazonで詳しく見る by G-Tools
後1世紀から2世紀の間に書かれたと考えられているヘラクリトス『ホメロス問題』は、ホメロスが神々について述べていたことは寓意的に解釈されるべきであり、その内容は例えばストア派の神観にも比されるべき高度な内容だったと主張することによって、ホメロスが受けていた非難から彼を救出することを目的として書かれた書物である。

寓意的解釈の始まり。寓意的解釈とは、前1世紀のトリュフォンの定義によれば、あることを適切な意味で表現するが、一方で類似性によって他の何かの概念を供給するような言葉やフレーズのことである。ヘラクリトスは、この寓意的解釈を用いて、宗教的敬虔さに関するホメロスの悪評判を解消しようとしたのである。寓意的解釈をホメロスに適用した者として、最も古い記録は、前6世紀のレギウムのテアゲネスである。同様の解釈は、フェレキュデス、メトロドロス、コロフォンのクセノファネスらによっても試みられていた。しかし、彼らよりも古くからホメロスの寓意的解釈は存在したはずだと考えられている。

ホメロスの権威。プラトンは、ホメロスはすべての学芸の権威であり、すべての種類の知恵の源であると考えていた。ストラボンは、ホメロスは地理学の創始者であると考えていた。ストア派の哲学者たちは、ホメロスのことを哲学的教えの証人あるいは源泉であると見なしていた。なぜなら、ストア派は賢者のみが真の詩人だと考えていたからである。

寓意的解釈の本質。ホメロスの詩の一節は、しばしば古代の批評家にとっても不明瞭だった。それを何とか解釈するために、彼らは換喩的解釈や、語源学を用いた。プルタルコスによれば、古代の詩人たちが神々のイメージを用いたのは、概念を表す特定の用語を持っていなかったからであるという。

神話へのアプローチ。ストア派やキュニコス派は、ホメロスの描く徳のある行為のモデルを求めた。すなわち、知恵や忍耐の模範となるような人物をホメロス作品の中に見出そうとするのである。これはホメロス擁護にもつながっている。なぜなら、アキレウスやオデュッセウスのような英雄は、彼らを描いた詩人自身の清廉潔白さのしるしになるからである。ただし、神話を合理的に解釈することのすべてが寓意的解釈へと行きつくわけではない。パライファトスやエウヘメロスらは、神話への歴史的アプローチを取った。またオルフェウス教のような宗教的カルトは、ホメロスやヘシオドスのオリュンポスによって描かれる神々の寓意的解釈よりも広い間口を持っていた。プラトンは、『プロタゴラス』などにおいて、伝統的な神話の寓意的解釈を行なっているが、ホメロスによる神理解に含まれる不敬虔を非難したのだった。

プラトンによるホメロス批判。『国家』第2巻において、プラトンはホメロスを批判した。彼によれば、神話の中に真実を含むものがあることは確かであるが、若者はそうした物語における暗黙の意味をきちんと読み取ることができない。それゆえに、こうした詩は皆の前で朗誦されるべきではない、というのである。キケローやプルタルコスなどのプラトン支持者はこれに従った。これに対し、ストア派はホメロス擁護にまわった。ゼノン、クリュシッポスなどはホメロス解釈において、寓意的解釈を用いてその神学を強調することによって、彼を擁護した。後代のヘラクリトスは、プラトンもエピクロスも、共にホメロスに自分たちの教えの基礎を置いているのだから敬意を持つべきだと反論した。

寓意的解釈の種類。本来の寓意的解釈の他に、換喩法、語源学、歴史的出来事における神話の起源の探究、徳の模範としての英雄像の模索、倫理的・哲学的教えを支えるようなホメロス引用の整理などが挙げられる。これらはみな、ホメロスが不敬虔であるという言説に対する反論として、またホメロスがすべての学術において万能であることの証明として、そして表面的な意味と異なる謎めいた一節の説明として機能した。これらの解読法によって、隠された意味が明らかになる。しかもその隠された意味は、教育的な効果へと高められるのである。

Wolfgang Bernardは、寓意的解釈を、「代替的寓意(Substitutive allegory)」と「分割的寓意(Diaeretic allegory)」とに分けた。前者は、物語の登場人物と、抽象概念やエレメントとが、一対一対応になるものである。これはストア派やヘラクリトスに見られる。一方後者は、個別の登場人物ではなく、エピソード全体が寓意化されるものである。こちらはプルタルコスのようなプラトン主義者に帰される方法である。オリュンピオドロスのような新プラトン主義者は、より体系的に寓意的解釈を用いた。

2016年5月7日土曜日

寓意的解釈の歴史 Tate, "On the History of Allegorism"

  • J. Tate, "On the History of Allegorism," Classical Quarterly 28 (1934): 105-114.
前5世紀後半に文学の寓意的解釈が始まった理由としては、ホメロスとヘシオドスが非倫理的であるという当時の批判(特にプラトンによる)に対し、彼らを擁護するためだったという点がしばしば挙げられる。しかし、論文著者は、寓意的解釈の始まりはこのような消極的・護教的な理由ゆえではなく、もっと積極的・解釈学的な理由ゆえであると主張する。

後代の解釈者たち(クセノファネス、ピタゴラス、エンペドクレス、ヘラクリトスら)、特に哲学者たちは、ホメロスとヘシオドスとをあたかもひとつの学派であるかのように扱い、一緒くたに批判した。哲学者が詩人に敵対するようになったのは、ただその教えに関する批判からだけではなく、そのスタイルや使う言葉からでもあった。というのも、パルメニデスやエンペドクレスのような哲学者にとって、詩のスタイルは哲学的な真理を表現する方法でもあったからである。

こうして、哲学者は詩と神話とを専有しようとした。その理由は、第一に、ホメロスやヘシオドスによる神話の利用を神秘的に表現された神学と混同したから、そして第二に、彼らは古い神話を自分たちで考えた新しい神話に取って代わらせようとしたからである。彼らは推理的な理性の助けで真理を正確に述べることができないとき、それが自分の哲学的な主張であっても、神話の言葉を用いて語ったのである。そうした点で、プラトンは、ホメロスとヘシオドス同様に、彼らの敵であったヘラクリトスをも同様に批判した。

哲学者たちは、もともとはホメロスの作品を学んだ者たちであった。自分たちの哲学を作り上げていく中で、かつて学んだホメロスやヘシオドスを批判するようになったのである。哲学者たちは、詩人たちが哲学を教えるために、いかに巧みに神話を用いていたかを知っていた。しかし、哲学者たちにとって、その教えは多くの誤りをも含んでいたために、彼らは神話を合理化し、書き換えることによって、それを正そうとしたのである。そしてその方法こそが寓意的解釈であった。すなわち、哲学者が詩人の作品を長く学んでいたことと、彼らが自身の哲学的な洞察力を発展させていたこととが、寓意的解釈の始まりに大きく影響しているのである。

論文著者によれば、寓意的解釈とは、哲学者たち詩人の言葉の中で本当に語られていると考えている教えを敷衍し、より明確にするために用いられた方法である。そのために、最初は半分神話的な言葉を用いていたが、次第により科学的な言葉を用いるようになった。このことから、寓意的解釈は、従来考えられていたように詩人の非倫理性を擁護するという消極的な理由から始まったものではないといえる。このように始まった寓意的解釈であったが、これを初めて護教的に用いた者としては、レギウムのテアゲネスが挙げられる。他にも偽プルタルコス、キケローにおけるバルブス、コルヌートスらも護教的な寓意的解釈者であった。

論文著者は、寓意的解釈を三種類に分けている。第一に、「歴史的な(historical)」解釈は、詩人が意図していたような意味で詩を解釈することである。詩人の意図をあえて曲解するような解釈は「偽歴史的」な解釈と呼ぶことができる。プラトンの時代以前の寓意的解釈は、この偽歴史的な解釈であったと理解することができる(この方法はストア派に受け継がれていくことになる)。歴史的な解釈において、詩人は神話やシンボルを通じて現実についての真理を表現する賢者として理解される。

第二に、「本質的な(intrinsic)」解釈は、詩人の言葉を彼の意図から離れ、言葉の実際の意味やシンボリズムに従って、客観的に解釈することを指す。この解釈において、読者は詩人よりもその詩の内に秘められた意味を理解していると主張することができる。

この寓意的解釈における歴史的な解釈と本質的な解釈とは、特にポルフュリオスのような新プラトン主義の解釈者においては両方用いられることがあった。それゆえに、彼らにとっては、そもそもホメロスとプラトンとが調和する必要はなかった。なぜなら、彼らは詩と哲学とが同じことを語っていると考えていたからである。しかし、新プラトン主義的な解釈は、もともと新プラトン主義者である者にしか正しく理解されないという難点もあった。

第三の解釈は、「人工的な(artificial)」解釈であり、これは歴史的でも本誌的でもない詩人の言葉を解釈するものである。この解釈においては、詩人の言葉はいかなる目的にも適用されるため、ある意味では偽歴史的解釈と同じものであるともいえる。この解釈の代表例としては、プラトン(とソクラテス)、ストア派、そしてプロティノスが挙げられる。

詩の教訓主義は、詩人の神的な知恵によって裏付けられている。ただし、この神的な知恵とは、詩人自身の知恵によって語られるものと、それと反対に、預言や信託のように神から直接与えられるものとが考えられる。論文著者は、詩人自身の知恵によって書かれた詩を歴史的な寓意的解釈から来るものとし、一方で預言のように霊感を受けた詩を本質的な寓意的解釈から来るものと見なしている。ホメロス自身は霊感によって自分がコントロールされたことはないと述べている。ヘシオドスも同様である。ゆえに、ホメロスにしてもヘシオドスにしても、詩人が超自然的な力の受動的な入れ物であるとは考えないのである。プラトンやストア派もまた、詩人とは霊感を受けたからではなく、才能と正しい教育によって作品を書いたと考えた。しかし、新プラトン主義者たちは、詩人を予言者として理解することになる。

2016年4月18日月曜日

教師としての詩人 Russell, "The Poet as Teacher"

  • D.A. Russell, "The Poet as Teacher," in Criticism in Antiquity (Berkeley: University of California Press, 1981), pp. 84-98.
Criticism In Antiquity (Bristol Classical Paperbacks)Criticism In Antiquity (Bristol Classical Paperbacks)
D. A. Russell

Bristol Classical Pr 1995-03
売り上げランキング : 2506297

Amazonで詳しく見る by G-Tools
本章は、古代の文芸批評における、詩人の役割について扱っている。アリストファネスはかつて、子供たちが教師を持っているように、大人たちは詩人を持っていると述べた。古代のギリシア・ローマにおいて、詩人の仕事はある種の教育を授けることでもあったのだ。

ただし、詩人をこのようにある意味で実用的に理解するというのは、必ずしも普遍的な見解ではなかった。むしろ詩は娯楽を与えるためのものであるというのが前5世紀からの共通見解であった。それが次第に、娯楽と実用性とのコンビネーションが賢明な詩人の目的だったと理解されるようになった。ヘレニズム期の理論家であるネオプトレモスは、実用性は詩の内容から、娯楽は言葉の響きから来るものだと説明した。他にも、詩人の目的な徳を教えることであり、娯楽は偶然それについてくるものだと説明する者もいた。

このような議論があったのは、詩が主題とする神話の中に、しばしば倫理的に非難されるべき箇所があるからであった。こうした詩の倫理について最初に批判した人物としては、クセノファネスが挙げられる。彼は、倫理の教育のために社会的な機会を用いるような詩のスタイルを推奨していた。これは翻って言えば、少なくとも前5世紀までは詩の伝統的な主題は非倫理的であると見なされていたということである。またヘロドトスは、ホメロスが物語の娯楽要素である美的効果にこだわるあまり、事実を曲げていることを批判した。

このように、倫理的な低さおよび事実の歪曲に関して、詩は否定的に評価されることがあったわけだが、これに対し、二つの点から擁護がなされた。第一に、詩が祭儀、法、そして生活の芸術において文明的な貢献をしたこと(アリストファネス、ホラーティウス)、第二に、詩人が問題のある物語を寓意化し、その内的な意味を明らかにしたことである。

ただし、プラトンはこれらの擁護の両方を否定した。『国家』において、プラトンはさまざま徳について語っているが、ホメロスにおける英雄や神々は、この徳のことごとくに当てはまらないのである。プラトンによれば、詩は明らかに読者の感情に影響を及ぼし、そうして刺激された感情は人間の自然な傾向や弱さを推し進めてしまうのだという。プルタルコスは、プラトン主義者として、この考え方をむろん引き継いではいるが、彼は詩の文脈を理解することと、詩人の言葉や状況の特殊性を歴史的に理解することなどを重視した。プラトンもプルタルコスも、詩の教育的な力を認めており、詩が読者の倫理的な姿勢を決めるとしている。それゆえにこそ、詩は厳格にコントロールされねばらないのである。

アリストテレスは、より複雑な見解を持っていた。彼が重視していたのは、詩の美的な質であり、その倫理性についてはほとんど関心を示さなかった。彼は、必要とあれば、詩において悪を模倣することも認めていた。アリストテレスによれば、確かに詩にも教育的な効果はあるが、あくまでそれは二次的で、詩の娯楽性が学びを含んでいるのだと考えた。すなわち、仮に詩が教育的あるいは実用的なレベルにおける有用性を持っていたとしても、それはあくまで付随的なものだというのである。アリストテレスは、詩人を倫理的な観点から批判する者たちの言説を一切認めようとはしなかった。

アリストテレスの考え方は、どうやら後代の者たちによく理解されていなかったような節があるという。ホラティウスはアリストテレスの影響を強く受けていたが、それでも彼は詩の倫理的な側面についてよく述べていた。と同時に、詩にとって真実であることは主たる目的ではなく、聴衆の関心を引くことが肝要であるとも考えていた。

アレクサンドリアの文献学者たちは、詩の目的をはっきり娯楽(プシュカゴギア)であると宣言した。彼らによれば、詩の中に神話的で非合理なことが出てきても、それをもって詩人を非難するのは的外れだと述べた。なぜなら、詩人の目的は真実を語ることではなかったからである。カリマコスなどは特に、詩のテクニックについて主として関心を持った。一方でストア派は、はっきりとホメロスは教育的であったと宣言した。ストア派によれば、詩のテクニックは、教育的な需要を満たすためのものであるという。そしてこうした見解を持ちつつ、ストア派が詩を解釈するに際して用いたのが、寓意的解釈であった。

ヘラクリトスは、寓意的解釈の萌芽を、アルキロコスやアルカイオスら初期の抒情詩人の中に見ている。ヘラクリトス自身の寓意的解釈は、神々や神話の寓意的解釈のみならず、抽象名詞の擬人化のようなものまで含んでいる。そしてそのようにして行なった解釈を、詩の作者の本当の意図だったと考えた。彼の考え方においては、寓意的解釈と象徴化とがあまり区別なく同居しているのである。

2016年3月20日日曜日

ギリシア哲学諸派による文学批評 Grube, "The Schools of Philosophy"

  • G.M.A. Grube, "The Schools of Philosophy," inThe Greek and Roman Critics (London: Methuen, 1965), pp. 134-49.
The Greek and Roman CriticsThe Greek and Roman Critics
G. M. A. Grube

Hackett Pub Co Inc 1995-03
売り上げランキング : 995214

Amazonで詳しく見る by G-Tools
本章では、アカデメイア、ストア派、ペリパトス派、ヘルマゴラスの学派らが、どのように詩や修辞の理論を扱ったかについて説明されている。前2世紀のヘルマゴラスまでは、修辞学者よりも哲学者の方がむしろ、修辞的な理論のイニシアチブを取っていた。とはいえ、その姿勢は学派によって大きく異なってもいる。ただし、エピクロス派のみは修辞学にまったく意味を見出さず、文学批評の理論にいかなる貢献もしなかった。

アカデメイアの者たちは、プラトンの偏見を受け継ぎ、修辞学をあまり重視しなかった。プラトン自身は、文学批評に関しても、少なくともある程度の貢献をしたが、彼の弟子たちはまるで無関心だったようである。

ストア派は修辞学に強い関心を示した。中でも彼らが熱中したのは、語源学である。アレクサンドリアの文献学者たちが、語源学を単に言葉の歴史的な学問と捉えたのに対し、ストア派はオノマトペをもとに、ものそれ自体とその名前との自然的な関係性を考察した。その点で、analogistであったアレクサンドリア文献学者に対し、ストア派はanolmalistの性格を持っていた。ストア派は修辞学と弁証法との類似関係を指摘しつつ、ストア派的な哲学者のみがよき弁論家になれると主張した。ただし、ストア派は虚飾を好まないので、修辞的な徳目に簡潔さを加え、また形式よりも内容を重視した。一方で、哲学の真理に至るには詩的な工夫も必要と考えていたので、音のよさをないがしろにしたわけではなかった。

アリストテレスの議論を受け継いだペリパトス派は、文学と修辞学の歴史にも最大の影響を与えている。ただし、彼らが学派として何か独創的なことを主張したというより、アリストテレスとテオフラストスの独創的な見解に依拠して語っていたと見るべきである。たとえば、3種類の弁論(審議、法廷、演示)、5種類の修辞技法(創案、主題の配置、様式、提示法、記憶)、文学スタイルの4種類の徳目(正しい言葉、明晰さ、適切さ、装飾[、簡潔さ(ストア派)])などの定式は、基礎となる部分をアリストテレスとテオフラストスに依拠しつつ、ペリパトス派が定めたものである。ただし、文学の3種類のスタイル(素朴、壮大、その中間)や弁論の4部分(導入、物語、証明、結論)は、ペリパトス派のものとは考えにくい。特に弁論の4部分は、イソクラテスやテオデクテスなどによって、4つ以外の定式も提案されている。

またペリパトス派の文学理論で特筆すべきは、失われたアリストテレス『詩学』第2巻にあったと考えられる、喜劇の理論である。コイスリニアヌス小論(Tractatus Coislinianus)という掌編は、この失われたアリストテレスの理論を部分的でも含んでいると考えられている。その中で、笑いは言語による笑いと状況による笑いとの2つに分類され、それぞれさらに7つと9つの下位分野に分かれている。言語による笑いは、同音異義語、同意語、饒舌、類音語、指小語、言葉の変化、そして言葉の性などの誤りに分けられ、状況による笑いは、あることを別のもののようにすること、欺き、不可能性、非論理的な方法を通して潜在的な終わりに至ること、思いもよらぬこと、ある人物を実際よりも悪く描くこと、大衆的な踊り、よりよい選択が可能な中でのより悪い選択、そして論理的な手順を欠くことに分けられる。細かい点において疑いはあれど、大きなくくりではこれはアリストテレス的といえる。

ここまでは、哲学者が修辞学の理論を先取りしてきたが、前2世紀のヘルマゴラスがこうした議論を修辞学のフィールドに引き戻したのだった。彼は、弁論家の主題を、一般と特殊に分けた。また彼は弁論における4つの立場(事実、定義、質、異議)を定義した。こうした定式は、修辞学の歴史ならびに法律学の歴史にも属している。ヘルマゴラスによって再興された修辞学は、ローマ世界に伝えられた。

関連記事

2016年3月10日木曜日

ギリシアの教育者としてのホメロス Verdenius, Homer, The Educator of the Greeks

  • W.J. Verdenius, Homer, The Educator of the Greeks (Mededelingen der Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen, Afd. Letterkunde, Nieuwe Reeks, deel 33, No. 5; Amsterdam: North-Holland Publishing, 1970).
Homer, the educator of the Greeks (Mededelingen der Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen, afd. Letterkunde. Nieuwe Reeks, deel 33, no. 5)Homer, the educator of the Greeks (Mededelingen der Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen, afd. Letterkunde. Nieuwe Reeks, deel 33, no. 5)
W. J Verdenius

North-Holland Pub. Co 1970
Sales Rank :

See details at Amazon by G-Tools

本書の中で、著者は以下の二つの点を検証すると宣言している。第一に、詩人ホメロスはギリシア人に教育的な影響を与えたのか、そして与えたとすればその影響は他の詩人によるそれよりも大きいのか。第二に、ホメロスはどのような点について人々を教導しようとしたのか。言い換えれば、彼の作品はどの程度まで教訓的な詩であるといえるのか。

研究史においては、Werner Jaegerによる研究が代表的である。Jaegerによれば、古代のギリシア人たちは常にホメロスを教育者として見なしてきたという。そしてホメロス自身の教育的な意図も大きなものだったと評価している。しかしながら、論文著者は、次第に研究者たちはホメロスの教育的な意図を否定する方向に向かっているとする。そこで、著者自身は、ホメロスのギリシア文化への影響を検証するために、時間的には古典期に絞り、また芸術・文学・哲学への影響ではなく、一般の人々の考え方や生活への影響を調べることに集中することにした。

ギリシアにおいて「詩人」といえばホメロスのことを指すことからも分かるように、ホメロスは広く読まれていた。その影響力の大きさから、しばしばホメロス自身が神格化されることもあった。そうした意味で、彼の作品は「ギリシア人の聖書」であったのである。しかし、教育プログラムにおいては、ホメロスはしばしば聖書以上の文化的な力を持っていたともいえる。生徒たちは読み書きを学ぶときにホメロスを習い、暗記することを求められた。ホメロスの学習は単に読み書きだけのためではなく、徳を養うためでもあった。アイスキュロスやクセノファネスも、ホメロスから徳を学べることを指摘している。

ギリシア人は子供のときに一度ホメロスを習っておしまいというわけではなく、吟遊詩人の朗誦を通して、何度も新たに学びなおした。プラトンの『イオー』は、そうした吟遊詩人たちによる涙を誘う感動的な朗誦を伝えている。しかも詩人たちはホメロスを吟じるだけでなく、詩についての講義も行ったことが知られている。一方で、ソフィストたちもホメロスの称賛者として、ホメロスについて語っていた。しかし、彼らは自身の理論を証明するために、ときにホメロスを批判することもあった。むろんホメロスを語るのは吟遊詩人とソフィストだけでなく、プラトン『プロタゴラス』冒頭に出てくるソクラテスの友人のように、普通の人物が何にでもホメロスを引き合いに出すということがしばしばあった。

ホメロスの詩に倫理的な模範を見出すことも行われていた。アナクサゴラスやピタゴラス主義者たち、さらにはアリストテレスまでもが、ホメロスの詩から倫理的な教訓を引き出すことがあった。これに対し、プラトンはそうした試みを一切せず、ホメロスを批判的に扱うことで知られている。しかし、逆に言えば、プラトンがホメロスを批判的に扱わなければならないほど、当時の人々の間でホメロスの倫理的な影響力が大きかったともいえる。

プラトンは、ホメロスの詩が人々を善へと導かず、理性よりもむしろ感情に頼らせてしまう点を批判していた。さらにプラトンによれば、ホメロスが神話を破壊したことも咎められるべきであるという。ホメロスの詩に出てくる神々の所業を後ろ盾に、自分のしでかした不始末を正当化する者たちがいたのである。その例としては、前3世紀の哲学者メニッポスの記述が挙げられている。一方で、プラトンはホメロスがギリシアに与えた影響すべてが悪かったわけではないとも認めている。ギリシアの徳の要素がホメロスの詩から発展したこともまた否めないのである。それゆえに、プラトンは作中でソクラテスにホメロスを引用させ、自身の理論を証明したりする場面もある。そのように、もともとの文脈を無視してホメロスを引用し、自身の説を裏付けるという行為はよく行われていた。この点も聖書によく似ている。

ホメロスの詩の引用は、政治的な文脈、技術的な文脈(家事、戦争、修辞)などでも見られる。ホメロスの詩の登場人物の特徴を、自分の身の回りの人に当てはめるような遊びも行われることがあったという。これは特に酒席での余興のようなかたちで行なわれた。

宗教に関するホメロスの教育的な影響も大きい。作品の中でも、神託やまじないや魔除けなどが登場する。ヘロドトスによれば、ホメロスとヘシオドスは神々を体系化し、名前を与え、役割によって組織化したという。つまりオリュンポスのパンテオンはホメロスによって体系化されたのである。神のイメージに関して、たとえばアテーナがフクロウを従えるという典型的なイメージも、ホメロスの詩に由来する。

ホメロス自身の教育的な意図に関しては、論文著者によれば明らかにJaegerの説は行き過ぎであったが、Eric Havelockは、ホメロスの教育論の倫理的な側面ではなく、百科全書的な側面は認めるべきであると述べている。そうしたホメロスの教育的な意図を感じられる例として、論文著者は7つのポイントを挙げている。ただし、神学的な教訓主義は、『イーリアス』よりも『オデュッセイア』に多く見られるものだとも指摘している。

結論としては、ホメロスの叙事詩は、『オデュッセイア』のセイレーンの歌でも述べられているように、快楽と知識とを与えてくれるものであった。そうした意味で、ホメロスが第一に文学的な快楽を目的としていたとしても、教育的な意図をも持っていたことは疑いない。ホメロスの詩は一つの目的でくくることはできないのである。教訓詩であるヘシオドスが100パーセント教訓的でないように、ホメロスの詩も100パーセント英雄的なものでもないのである。

2016年2月6日土曜日

偽プルタルコス『ホメロスについて』概説 Lamberton, "Introduction"

  • Robert Lamberton, "Introduction," in Plutarch: Essay on the Life and Poetry of Homer, ed. J.J. Keaney and Robert Lamberton (American Philological Association American Classical Studies 40; Atlanta: Scholars Press, 1996), pp. 1-31.
Plutarch: Essay on the Life and Poetry (American Philological Association American Classical Studies Series)Plutarch: Essay on the Life and Poetry (American Philological Association American Classical Studies Series)
Plutarch

Oxford University Press, U.S.A. 1996-05
売り上げランキング : 1066453

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
偽プルタルコスの『ホメロスについて』は、ホメロスを諸学の祖として称揚しつつ、その言語、思想、世界観、そして作品の内容を分かりやすく説明した、初学者向けの古代のハンドブックである。本書は13世紀のマクシモス・プラヌデスによってプルタルコスに帰され、『モラリア』と共に保存されていたが、現在では明らかに著者はプルタルコスではないと考えられている(これを最初に主張したのはDaniel Wyttenbach)。というのも、4世紀に作成されたプルタルコスの著作リストである「ランプリアス・リスト」の中に本書は挙げられていないのである。とはいえ、本書の一部が3世紀のパピルスに残っていることから、プルタルコスと同時代から2世紀末頃までに書かれたものではあるとされている。このterminus ad quemの算定は、2世紀に発達したピタゴラス神秘主義的な寓意が本書のどこにも含まれていないことからくるもので、やや曖昧なものである。著者がプルタルコスを知っていた可能性も高いが、プルタルコス本人の主張と明確に異なることも述べられている。

偽プルタルコスの目的は、ホメロスを諸学の祖として証明することで、彼を称揚することであった。プラトンは、ソクラテスがしきりにホメロスを否定していたと書き残しているが、偽プルタルコスはこのプラトン的伝統には無関心であった。かといって、ストア派哲学に完全に依拠しているわけでもない。ただし、はっきりと反エピクロス派ではあった。また、彼は後代の思想家のアイデアをホメロスの記述の中に「発見」することもあった。

偽プルタルコスがホメロスの真作と考えていたのは『イーリアス』と『オデュッセイア』だけであり、それぞれ肉体の強さと魂の気高さとを象徴しているとした。ホメロスの作品に悪徳が登場することについて、彼は、ホメロスが徳と悪徳との両方を登場させたのは、読者が自分自身で倫理的感覚を磨き、自ら徳を選ぶように期待しているからだと説明した。すなわち読者の積極的な役割が求められているのである。

ホメロスの言葉遣いを、偽プルタルコスは寓意と定義している。彼によると、この寓意はあるものを別のもので言い換えることだが、そのとき皮肉や風刺が関係してくるという。寓意は、ヒント(ヒュポノイア)と言い換えることも可能である。こうした、表面上の意味以上の意味は、謎(アイノス、アイニグマ)という言葉でも表されている。

偽プルタルコスはホメロスが発明した人間の議論を、歴史的(ヒストリコス)、理論的(セオレティコス)、そして政治的(ポリティコス)とに分けている。歴史的議論は、過去の出来事の物語を扱うものである。理論的議論は、自然学(physics)、倫理学(ethics)、そして弁証法(dialectic)に分けられる。

理論的議論中の自然学の中では、宇宙論、神論、霊魂論などが扱われる。偽プルタルコスは、ホメロスが神を非肉体的、非物質的なものと考えていたと述べている。言い換えれば、ホメロスが肉体的な神を描いたのは、詩を書くにあたって必要に迫られたからだというのである。ホメロスの神々は、実際にはプラトン、アリストテレス、テオフラストスが考える神だったのである。霊魂に関しては、偽プルタルコスは特にピタゴラス主義的な考え方を持っていた(霊魂移入など)。プラトン『クラテュロス』からの影響も見られるが、それもピタゴラス主義的に変えられている。オデュッセウスの冥府下りも、魂の肉体からの分離と理解された。こうした物質的な魂理解はピタゴラスに依拠しているが、非物質的な魂というプラトンとアリストテレスからの影響も見られるという。倫理学に関しては、偽プルタルコスはストア派的というよりも、逍遥学派的であるという。とはいっても、オデュッセウスの英雄的行為のプラトン主義的理解とストア派的理解とを並置することもあり、こうした諸学派間の矛盾に関してはあまり興味を持っていないようである。

政治的議論は、実際にはホメロスの修辞学的側面、すなわち彼の演説の修辞学的力と弁論家のテクニックに関する彼の知識を扱っている。

興味深いのは、ホメロスの詩を占いに用いる観点である。偽プルタルコス以前にホメロスのテクストに魔術的目的のために言及しているものはないようである。こうした叙事詩を占いに用いるという方法は、ハドリアヌス帝の時代にウェルギリウスの『アエネーイス』を寓意的解釈することで始められたことなので、ローマで生まれた実践法がギリシアに輸入された好例であるといえる。

2015年12月17日木曜日

ユリアヌスがエルサレム神殿を再建しようとしたのはなぜか? Lewy, "Julian the Apostate and the Building of the Temple"

  • Yohanan (Hans) Lewy, "Julian the Apostate and the Building of the Temple," in The Jerusalem Cathedra: Studies in the History, Archaeology, Geography and Ethnography of the Land of Israel, vol. 3, ed. Lee I. Levine (Detroit, Mich.: Wayne State University Press, 1983), pp. 70-96; originally published in Zion 6 (1940/41), pp. 1-32 [Hebrew].
本論文は、ローマ皇帝ユリアヌスが後363年初頭にどうしてエルサレムにユダヤ教の神殿を自費で再建しようとしたのかを、特にその神学的な側面に注目して検証したものである。著者はそれをするのに、ユリアヌスからユダヤ人たちに宛てて書かれた2通の手紙を主たる参考文献としている。

ユリアヌス以前の思想状況。キリスト教の歴史理解においては、ダニエル書(9:27)やイエスによって預言された第二神殿の崩壊が成就したことから、イスラエルの選ばれた民という肩書は無効になった。これに対し、新プラトン主義者のポルフュリオスは、モーセ五書もギリシア文化もキリスト教に属するものでないこと、またキリスト教のダニエル書理解は間違っていることを証明しようとした。しかし、エウセビオスはポルフュリオスに反論し、新約聖書において成就されていない預言など一つも存在しないことを組織的に証明しようとした。そしてユリアヌスの目的は、哲学的にポルフュリオスの方法論に則りつつ、エウセビオスによって拡張されたキリスト教の歴史神学の土台を破壊することだった。

犠牲の政治的・宗教的側面。ユリアヌスはローマ帝国の一体化のために、市民が皇帝に犠牲を捧げることを望んでいたが、キリスト者たちは異教の神々に祈ることを嫌い、それを拒否していた。ユダヤ人は神殿を再建して犠牲祭儀を復活させることを望んでいたので、エルサレムにおける神殿再建はユリアヌスの意図とも合致していた。いうなれば、この犠牲の問題がユリアヌスにエルサレムにおける神殿再建を思いつかせたのであり、こうしたユリアヌスのユダヤ人に対する好意は、実はキリスト教に対する反発から来ていたのである。また犠牲は、ユリアヌスにとって、こうした政治的な意味のみならず、イアンブリコスに代表される新プラトン主義における「弁解の犠牲(sacrifice of pleading)のような宗教的な側面も持っていた。祭司が神に犠牲を捧げるユダヤ教は、この宗教的な側面ともよく調和するのである。

ユリアヌスのユダヤ人理解。ユリアヌスのユダヤ教贔屓には、キリスト教の歴史神学を破壊すること、そしてユダヤ教の犠牲祭儀をローマ式に更新することという2つの理由があったが、彼はユダヤ教のすべてを肯定したわけではなかった。彼は律法における戒律を称賛したが、ユダヤ教の神理解を批判した。特に十戒の第二戒であるヤハウェ以外に神なしという掟には反発した。ユリアヌスにとってユダヤ人とは、部分的な真理を持った、神を畏れる者たちなのである。すなわちユダヤ人は、物質世界を支配する神――ギリシア人は別の名であがめる神――の掟を遵守するという意味では正しいが、他の神々を拒否し、自分たちだけが選ばれたと考えているという意味では誤っているのである。

ユリアヌスの神学。ユリアヌスはユダヤ人の神を、イアンブリコスを通じて、プラトン『ティマイオス』におけるデミウルゴスとして理解していた。世界の創造主たるデミウルゴスは他の神々に人間の支配を委ね、一方でこの神々はそれぞれの民族に掟を与えたのである。それゆえに、世界にはたくさんの宗教が存在するようになった。つまり、ユリアヌスはユダヤ人の神を唯一で特別なものと捉えずに、ギリシア人が別の名で呼ぶ最高神のことだと解釈したのである。そしてこの最高神がエルサレムに住まう神であるならば、神殿を再建しなければならないと考えた。ただし、当然ながらこれはユダヤ人自身による唯一神教的な理解とは異なるものである。デミウルゴスはあくまでたくさんの神々の中で最も偉大な神であるだけである。ユリアヌスは、ゼウス、ヘリオス、セラピスなどを統べる最高神としてユダヤ人の神を捉えることで、排一神教的な信仰を作り出し、すべてをローマの国教システムの中に組み込もうとしたのである。

ユリアヌスの聖書解釈による神理解。ユリアヌスによれば、モーセや預言者たちは哲学の学習によって知性の力を磨かなかったので、神に関する不正確な知識しか得ることができなかった。しかしながらユリアヌスは、モーセより以前のアブラハム、イサク、ヤコブとは、実際には新プラトン主義者たちが伝えているカルデアの魔術師(Chaldean theurgists)たちのことだと述べている。言い換えると、ユリアヌスはユダヤ人の神に関して、カルデアの父祖たち(アブラハム、イサク、ヤコブ)の伝統を受け入れたが、モーセや預言者たちの伝統を拒絶したのである。

神殿再建とユリアヌスの神学。このように、ユリアヌスはユダヤ人の神を、ヘリオスに代表されるさまざまな名を持ったローマ帝国の神であると考えたのだったが、それはあくまでキリスト教を否定するためだった。そこで彼は、第一に、キリスト者が学校教師になる権利を剥奪し、第二に、エルサレムの神殿を再建しようとした。神殿を再建することで、ユリアヌスはユダヤ人の神を異教の神々のヒエラルキーの中に位置づけようとしたのである。ユリアヌスはペルシア遠征における勝利をユダヤ教の神のおかげと考えていた節もあり、神殿再建はその感謝のしるしであったともいえる。ユダヤ教の神はローマの神々の中に組み込まれているので、ローマ帝国を救った神として、感謝されるのは当然なのである。

エルサレム神殿の再建というユリアヌスのアイデアは、ユダヤ教が帝国内の他の宗教ともはや矛盾せず、異教の中に位置づけられるに値するものであると考えられていたことを意味している。ユリアヌスはユダヤ教の実践の内的な部分ではなく、あくまで外的な見た目のみを変えようとした。彼はユダヤ人の聖書における誤謬を笑いつつも、彼らが拝む最高神とモーセや預言者の神とを区別し、その最高神こそが異教の神々を統べる者であるとした。いうなれば、ユダヤ教の十戒は、他の神々の存在を否定する第二戒を除いて、異教のそれと異なることはないのである。このようにしてユリアヌスは、皇帝の宗教とユダヤ教との妥協点を見出した。彼はユダヤ人が自分たちの神を拝むのをやめることを望んだのではなく、エルサレムに住まう自分の神を拝みつつ、その神に仕える他の神々もまた存在していることを認識してほしかったのである。この考え方は、エズラ記のキュロス王にも比較され得る。

2015年11月20日金曜日

ギリシア哲学者としてのアブラハム Feldman, "Abraham the Greek Philosopher in Josephus"

  • Louis H. Feldman, "Abraham the Greek Philosopher in Josephus," Transactions and Proceedings of the American Philological Association 99 (1968), pp. 143-56.

本論文の中で著者は、アピオーンやアポロニオス・モロンによるユダヤ人批判に反論するヨセフスの護教的テクニックの一つとして、アブラハムをギリシア哲学者として描くことを挙げている。ヨセフスのアブラハムは、神の存在に関する目的論的議論を洗練された方法で逆転させる鋭さを持ちつつも、相手の話を聞く柔軟さを併せ持ち、しかも自身の科学的知識をエジプトの哲学者たちと共有する気前良さをも持っていた。

『古代誌』におけるヨセフスの護教論の目的は、非ユダヤ人からの批判に対抗することであったので、そうした非ユダヤ人読者にアピールするようなアブラハム像を創り出したのだった。ヨセフスは、トゥーキュディデースが描いた政治家ペリクレスのように、論理学と説得能力を持ったアブラハムを描いた。そもそも、古代における哲学の目的は、相手を説得し、転向させることであった。

論文著者は、そうしたアブラハムの論理的な演繹法のうちでも最も重要なものとして、神の唯一性の証明を挙げている。ユダヤ文学の中では、『アブラハムの黙示録』、『ヨベル書』、『創世記ラバー』などで、アブラハムが自身の理性を通じてこの見解に至ったことが描かれている。ただし、ヨセフスのアブラハムは、ストア派などギリシア哲学における証明方法を用いているのが特徴的である。しかも、多くの哲学者が天体の秩序だった動きに基づいて神の存在を証明するの対し、ヨセフスのみは――論文著者の調べた限りでは――ただ一人、天体の無秩序な動きに基づいてそれをしているという。キケロー『神々の本姓について』で描かれるクレアンテスは、神の存在を証明するものとして、嵐や地震といったこの世界における異常な出来事と共に、天体の秩序だった動きを挙げている。ヨセフスは、完全な自由意思を持った非物質的なユダヤ的な神概念を持っているがゆえに、クレアンテスの二つの議論を一つにまとめたような証明に至ったのだと考えられる(ただし、論文著者によれば、ヨセフスは哲学者というガラではないという)。

こうしたアブラハムを賢者として描く方法は偽エウポレモスにも見られるものであるから、ヨセフスの独創ではないが、ヨセフスはアブラハムを天文学者かつ論理学者として、より強調して描いている。ラビ文学や偽フィロンが、アブラハムが巻き込まれるカルデアでの騒動を、主に信仰の問題として描くのに対し、ヨセフスは、アブラハムが科学的かつ哲学的な議論において反発されたとしている。

ピタゴラスやソロンのようなソクラテス以前の哲学者たちが、マギ、インド人、エジプト人などの賢者たちと哲学的な議論するという典型的なイメージがヘレニズム時代にはあったが(フィロストラトス、プラトン『ティマイオス』)、アブラハムがエジプトを訪れたこともこのイメージを下敷きにして描かれている。事実、ヨセフスは『アピオーンへの反論』の中で、教養あるユダヤ人が小アジアにいたアリストテレスを訪ねて、知識を交換する様子を描いている。
ラビ文学にも同様の描写はあるが(ベホロット8b)、そちらではアブラハムは伝道者として描かれることが多く、ヘレニズム的な様式の哲学的な議論はほとんど出てこない。ヨセフスの描くエジプト人と対話するアブラハムは、論理学、哲学、修辞学、科学に秀でた極めて知性的で教養あるヘレニズム的紳士であった。それどころか、アブラハムは、のちにエジプト人が名声を得るに至った計算術や天文学に関する知識を、当のエジプト人に教えた人物となった。そうした知識を惜しげもなく与えるほど気前のよい人物としてアブラハムを描きたかったのである。ラビ文学においては、天文学の知識を持つアブラハムを肯定的に描く伝統は、中世になるまでなかった。むしろ、ラビたちは天文学や占星術を魔術と見なしていたので、アブラハムがそれを知っているがゆえに子供をなかなか得ることができなかったと説明していたほどである。

天文学者としてアブラハムを描くのは、先に述べたように偽エウポレモスにも見られるものであったので、ヨセフスはそれを流用して、ギリシアの読者にアピールするように、天文学のような科学的な精神を持った人物としてアブラハムを描いた。しかしながら、興味深いことに、フィロンはアブラハムはカルデアで天文学の知識を持っていたが、それは目に見える世界への執着であり、そこから出て目に見えない世界へと入ることによって、純粋な哲学者になったとした。ラビ文学は、アブラハムが占星術に関する知識を持っていたとしているが、神がアブラハムを説得して占星術を手放させたと伝えている。

ヨセフスは護教的理由から、哲学者かつ科学者としての側面を強調しつつ、アブラハムを典型的な国民的ヒーローとして描こうとしたのだった。

2015年11月7日土曜日

ギリシア人とユダヤ人 Jaeger, "Greeks and Jews"

  • Werner Jaeger, "Greeks and Jews: The First Greek Records of Jewish Religion and Civilization," Journal of Religion 18 (1938), pp. 127-43.

本論文は、ヘレニズム期におけるギリシア人とユダヤ人との関係を明快に解き明かしたマスターピースである。たとえ自身はユダヤ人に関する記述を残してはいなくとも、ユダヤ人を含む東方世界の諸民族の理解への道を整えたのは、アリストテレスその人であった、と論文著者は述べる。彼のキャリアの初期に書かれた、完全には現存しない作品の中で、アリストテレスは東方世界の宗教への関心を見せていた。そうした作品群のひとつである『哲学について』において、アリストテレスはオリエントの「哲学」に言及している。論文著者は、ここでの「哲学」とは厳密な意味でのギリシア哲学のことではなく、いわばゾロアスター教のマギが持つ知恵、すなわち「神学」というほどの意味であると指摘する。

一方で、アリストテレスと同時期のプラトン主義哲学者たちもまた、プラトンによる善の原理を彷彿とさせる、ゾロアスター教の形而上学的な二元論に関心を持っていた。しかし、アリストテレスは彼らのプラトン的二元論に反対し、それを彼の厳格な一元論、さらには神学的な観点から言えば、一神教に取り換えたのである。論文著者曰く、こうした傾向を持つアリストテレスがもしユダヤ教を知っていれば、間違いなく言及していたであろうし、逆にアリストテレスがユダヤ教に好意的に言及していたならば、後代のユダヤ人歴史家たちは間違いなくそれを引用していたはずである。しかし、残念ながらそうした事実はない。

代わりに、アリストテレスの弟子であるソリのクレアルコスは、師匠がユダヤ人と出くわした場面を描いている。おそらくクレアルコスは、ユダヤ人口の多かったキプロスあたりで、実際にユダヤ人に出会っていた可能性は十分ある。また、同様にアリストテレスの弟子であるテオフラストスもまた、新プラトン主義者ポルフュリオスの『自制について』に引用されている、『敬虔について』の中でユダヤ人に言及している。

テオフラストスはユダヤ人を「哲学的な人種である」と述べている。そのこころとして、彼は2点ユダヤ人の哲学的な性質を挙げる。第一に、ユダヤ人が自分では食べない動物を犠牲に奉げる習慣を持っていること、第二に、ユダヤ人が祭りの夜に神を賛美し、神に関する議論をしながら星を観ることである。これは、ヘレニズム期に新しく生まれてきた、自然神学的な特徴を示している。加えて、テオフラストスははっきりとは明言していないが、彼は間違いなくユダヤ人が唯一なる神を信仰していることを知っていたはずであり、そうであるがゆえにユダヤ人を「哲学的な人種である」と説明しているのだと考えられる。

テオフラストスはさらに、ユダヤ人が動物のみならず人間をも犠牲として神に捧げた最初の民族であると述べている。これは、彼が部分的にでも聖書の物語を知っていたことを意味する。なぜならば、カインとアベルは初めて神に犠牲を捧げた人間であり、イサクを犠牲にしようとしたアブラハムは始めて人を犠牲にしようとした人間であるからである。むろん、七十人訳の翻訳がまだ完成していなかった時代に生きたテオフラストスが聖書を読めたはずもないので、おそらく彼は何らかのソースを持っていたと考えられる。

こうした記述を残すテオフラストスのソースは何であろうか?論文著者は、それは『エジプト史』を書いたアブデラのヘカタイオスであると考えた。エジプトの歴史資料を自由に使うことのできる位置にいたヘカタイオスは、エジプトの君主制をプラトン的な理想の国家像として描いた。そしてすべての文明がエジプトに由来するという説明をする中で、ユダヤ人がいかにしてエジプトを出ていったかについて触れているのである。前288年に死んだテオフラストスが、前300年頃に書かれたとされるヘカタイオスの『エジプト史』を読んでいた可能性は十分ある。

ただし、ヘカタイオス自身がユダヤを訪れたことがあるとは考えにくい。おそらく彼はアレクサンドリアなどで、ギリシア語を話せるユダヤ人と接触したのであろう。彼は、七十人訳完成以前であるにも関わらず、申命記の一節らしき文章も引用している。一方で、ヘカタイオスにはユダヤ人の歴史を誤解している部分も少なくない。特に、モーセがエジプトを出てエルサレムの町を作っていくところなど、明らかな誤りだが、もしかしたらそれは彼がモーセの逸話を、ギリシアにおける通常の植民地の作り方に合わせて変更したからかもしれない。さらにヘカタイオスは、明言はしていないが、やはりテオフラストスと同じように、ユダヤ人が純粋な一神教を奉持していると考えていた節がある。

テオフラストスもヘカタイオスも、ユダヤ人たちが持っている、普遍的な一神教に基づいた宗教システムと、神権政治的なヒエラルキーに基づいた政治システムを考慮することで、ユダヤ人が「哲学的な人種である」という結論に至ったのである。

アリストテレスとユダヤ賢者の邂逅 Lewy, "Aristotle and the Jewish Sage"

  • Hans Lewy, "Aristotle and the Jewish Sage according to Clearchus of Soli," Harvard Theological Review 31 (1938), pp. 205-35.

以下かなり長文かつ、途中から話の流れが分かりづらくなるが、それは筆者がまだ論文の内容を完全には消化しきれていないためである。ここではとりあえずのまとめを残しておきたい。

(I)ヨセフスは『アピオーンへの反論』1.177-81において、逍遥学派哲学者であるソリのクレアルコスがユダヤ人に言及している箇所を引用している。クレアルコスの著書『眠りについて』の中では、彼の師匠であるアリストテレスがあるユダヤ賢者と出会い、哲学的な議論をした場面が描かれている。ヨセフスはここでの彼らの議論がどのようなものであったかまでは引用していないので、その内容はよく分からない。ヨセフスの意図はただ、ユダヤ人が古くから教養あるギリシア人とつきあいがあったことを示すことで、ユダヤ人が新しい民族であるというアピオーンの主張に反論することだった。引用から分かることはただ、アリストテレスがこのユダヤ賢者の「不思議な性質と哲学」を称えており、なおかつ「何らかの驚くべき夢のようなこと」を学んだということである。

ところで、新プラトン主義者であるプロクロスもまた、『プラトン「国家」注解』の中で、クレアルコスの『眠りについて』を引用している。そこには、眠っている子供から魂を引き出す実験をした魔術師の逸話が残されている。論文著者(および先行研究者ら)は、この魔術師こそ、ヨセフスの引用でアリストテレスと会ったユダヤ人その人であると指摘する。論文著者は、この推論をもとに、不明な点の多いヨセフスの引用におけるユダヤ人を、プロクロスの引用における魔術師の描写から解き明かしていく。

そこで論文著者が注目するのが、プロクロスの引用における、肉体から解き放たれた魂の議論である。魂がどのように肉体から解き放たれるのかというのは、プラトンの時代からの議論であった。そして、眠りは、魂が本来のかたちを取り戻すひとつの契機であると考えられていた。それゆえに、ヨセフスの引用におけるアリストテレスとユダヤ人とが交わした哲学的な会話にも、この眠りと夢に関する事柄があったかもしれないと論文著者は考える。ヨセフスの引用における「何らかの驚くべき夢のようなこと」という記述もこれを暗示している。

ただし、本来ならば、こうした催眠術師のような存在と、通常の理解でのユダヤ人のイメージとは相いれないものであるはずである。しかし、論文著者は、ユダヤ人の起源に関するクレアルコスの見解をもとにこの矛盾を説明しようとする。ヨセフスの引用において、クレアルコスはユダヤ人がインドの哲学者の末裔であると説明している。すなわち、インドにおいては哲学者は「カラノス」と呼ばれ、シリアにおいては「ユダヤ人」と呼ばれていたというのである。このカラノスとはインドの裸形者たちのことであり、あるカラノスがアレクサンドロスの東方遠征において、王の前で自らを火の中に投じたことが知られていた。またギリシアではこのカラノスたちは、東方における他の宗教共同体と関連付けられていた。それゆえに、クレアルコスは他の著作において、裸形者たちがゾロアスター教におけるマギの末裔でもあると説明している。そして、これらマギたちは、魂の不死性を信じていることが知られていた。いうなれば、ユダヤ人もまたこれら東方の聖職者たちの間接的な末裔であると見なされていたので、ユダヤ人が魂の不死性を信じる催眠術師であるという同一視も成り立つわけである。

ヨセフスがアリストテレスとユダヤ人との邂逅において、催眠術師のくだりを省いたのは、それがギリシア人の目から見てばかばかしく見える可能性があるからで、一方で、プロクロスが魔術師のくだりでその正体がユダヤ人であることを隠したのは、アリストテレスと議論したという名誉をユダヤ人に与えるのを惜しんだからであると考えられる。

(II)ただし、ヨセフスの引用において、このユダヤ人は「言語においてのみならず、魂においてもギリシア人であった」とも描写されているが、それはなぜなのか。論文著者は、これをクレアルコスの執筆意図から説明しようとする。クレアルコスの『眠りについて』は、アリストテレスを主人公にしたプラトン的な対話文学である。論文著者は、この作品をプラトン『国家』第10巻と比較する。プラトン『国家』は、有名な知恵の教師が出てきて、魂が実在することを証明するために、奇妙な神話的・寓話的な体験をするという新しい文学形式となっていた。プロクロスの魔術師と同一視されうる、クレアルコスにおけるユダヤ人も、こうした対話文学における登場人物の中に組み込まれるのである。

ただし、以下の2点には注意すべきである:後代のプラトン主義者たちが創作した、この文学形式の作品の中で、奇妙な体験をするのはギリシア人であるのに対し、プラトン『国家』それ自体とクレアルコス『眠りについて』では、バルバロイがそうした体験をしている。また他の作品では、語り手が他の人に起こったことを語っているのに対し、クレアルコスでは語り手としてのアリストテレスが自分自身に起こったことを語っている。

クレアルコスは、プラトン以来のギリシア知識人の例にもれず、主として正確な知識を欠いているがゆえの憧れから、親オリエント的傾向を持っており、それは同時に親ユダヤ人的傾向にもなっていた。ただし、ユダヤ人に関する知識が極めて限られていたがゆえに、彼らを独立した人種と見なさず、ペルシアにおけるマギやインドにおけるブラフマンのように、シリアにおける祭司集団だと見なしたのだった。そして、そうした祭司階級への高い評価から、クレアルコスは、ユダヤ人を神学や天文学に生涯を捧げる哲学的なセクトの一員と信じたのである。

こうしたギリシア人のオリエント趣味は、初期ヘレニズムの文学作品に大きな影響を及ぼしている。特に、ギリシア賢者の伝記文学においては、タレスやピタゴラスらがオリエントに行って東方の賢者たちから知恵を授かるという形式が好まれた。アリストテレスの弟子であるタレントゥムのアリストクセノスは、ソクラテスがインド人と出会う物語を書いた。また実際にインドに行ったとされるメガステネスはインド思想について著述を残しており、なおかつ哲学はインド人にもユダヤ人にも昔から知られていたと書いている。アリストクセノスのような文学の流行と、メガステネスによるインド人とユダヤ人との共通性とから、クレアルコスはユダヤ人をインド人の末裔としたのかもしれない。

(III)いうなれば、クレアルコスのユダヤ人は、現実のユダヤ人ではなく、作家の想像力による創作の中の人物である可能性が高い。ところ、ヨセフスは182節において最後にユダヤ人が「驚くべき自制心と節制」について語ったと、結論めいたものを述べているが、そこからは、ヨセフスが引用しているクレアルコスの記述には続きがあり、そこにはユダヤ教の食餌規定などの決まりが書かれていたことがうかがわれる。しかし、それをヨセフスが省いたのは、おそらく実際のユダヤ人から見るとやや都合の悪いことが書かれていたからであり、ギリシア人を超えたユダヤ人のイメージを植え付けようとしていた彼の意図にそぐわなかったからかもしれない。

ところが、論文著者は、この省略部分には、むしろ禁欲主義と眠りとの関係が書かれていた可能性を指摘する。新プラトン主義者のオリュンピオドロスは、『プラトン「パイドン」注解』の中で、アリストテレスがある男と会った物語を語っている。それによると、その男はまったく眠ることがなく、また太陽のような空気のみを糧としているという。この描写はいかにもプラトン的かつピタゴラス的なものである。「太陽のような空気」とはエーテルのことに違いない。またエーテルのみを糧にする禁欲的な生活をすることで、不死なる魂を清浄に保とうとしている。この魂の不死性という考え方は東方の賢者たちに共有されていたもので、彼らと比較されていたユダヤ人も当然持っているものとされていた(ヘルミッポス)。もしこのようなことが書かれていたならば、ヨセフスはやはりこれをあまりに馬鹿げているとして省かなければならなかった。

(IV)クレアルコスは、このように当時の文学的流行やステレオタイプなどをもとにユダヤ人を描いているため、あまり批判的な目を持っていない。彼の作品のテーマは、友情、動物、格言、なぞなぞ、性的なもの、プラトンの称賛など多岐に渡っており、文字通りさまざまなテーマを逍遥してはいる。しかし、また聞きをもとにした紋切り型の作品ばかりなので、アリストテレス的な経験主義に基づいた批判精神には欠けている。むしろ、クレアルコスのテーマはプラトンの弟子であるスペウシッポスなどと共通の要素が見受けられる。またピタゴラス主義の影響も多大である。こうしたことから、よく言えば、クレアルコスはプラトンとアリストテレスの教えの矛盾を調和させようとした最初の者たちのうちの一人であるともいえる。

(V)魂が肉体から分離可能であると考えたプラトンに対し、アリストテレスは肉体と、それと共に死ぬ魂との不可分な調和を説いた。すると、魂を肉体から引き出す魔術師の話を語る、クレアルコスのアリストテレスは実は完全なるプラトン主義者になってしまっている。むろん、この逸話自体は、プラトンが死んでアリストテレスがアカデミアを去り、小アジアにいた時代なので、まだプラトンの影響下にあったということもできる。が、やはりクレアルコスは意図的にアリストテレスの権威を用いてプラトンの説を正しいものとして描こうとしていると考えられる。

2015年9月24日木曜日

柳沼「ヒストリアはいつから歴史になったか」

  • 柳沼重剛「ヒストリアはいつから歴史になったか」『語学者の散歩道』岩波現代文庫、2008(1991)年、94-107頁。
語学者の散歩道 (岩波現代文庫)語学者の散歩道 (岩波現代文庫)
柳沼 重剛

岩波書店 2008-06-17
売り上げランキング : 116033

Amazonで詳しく見る by G-Tools

今学期は大学でヘロドトス『歴史』とヨセフス『アピオーンへの反論』の講読の授業に出ているので、「ヒストリア」について書かれたエッセイを読んだ。本書に収められた文章は皆、書き流したようなエッセイ風の筆致だが、さすがに碩学の文章は説得力があり、なおかつ滋味に富んでいる。

ギリシア語の「ヒストリア」は、もともとは現在の「歴史」という意味では使われていなかった。ヘロドトス『歴史』の冒頭では、「歴史」に当たりそうな語である「人間界の出来事」は「タ・ゲノメナ」であり、「ヒストリア」は「研究調査」という意味である。他の作家の用法でも同様で、プラトン、アリストテレスのほとんど、イソクラテスなども皆、「研究」「調査」「探求」を意味している。

ただし、アリストテレス『詩学』に出てくる2箇所は、しばしば「歴史」という意味で読まれてきた。第9章(1451b4以下)では、ヒストリアを書く人と詩人とが対比され、前者は個々の「実際に起こったこと(タ・ゲノメナ)」を書くが、後者は普遍的な「起こるであろうこと」を書くとしている。つまりアリストテレスは、ここでヒストリアという語を、「普遍的でない実際に起こったこと」を書くこととしているので、むしろ「歴史」というよりは「年代記」という例外的な意味合いで使っているように思われるという。

ヒストリアがまぎれもなく「歴史」という意味で使われたのはいつか。前1世紀のディオドロスやハリカルナッソスのディオニュシオスらの用法はすでに「歴史」の意味である。前2世紀のポリュビオスは、多くは「歴史」だが、やはり「研究」の意味でも用いている。そうしたことから、著者は次のように仮説を立てる:
本来「探究」を意味し、探究のために「問うこと」を意味し、さらにその結果得られる「知識」を意味していたヒストリアという語が、アリストテレスの頃から次第に「歴史上の出来事に関する探究や知識」をおもに意味するようになり、この「歴史」と「探究あるいは知識」との間でしばらく綱引きが行われていたが、前一世紀になってようやく、単なる知識ではなくて「歴史の知識」「歴史を書くこと」へと全面的に変わった。これが私の仮説である。(101頁)
また著者はヘロドトスの重要性にも着目している。ヘロドトス以前の歴史家の用法は、神々の系譜や地誌に関する探究を意味していたが、ヘロドトスは(おそらく初めて)それを「人間界の出来事」を対象とした探究という意味で用いたのである。
つまりヘロドトスによって、ヒストリアが歴史の領分に踏み込んだということだが、同時に、彼が「タ・ゲノメナ」を研究調査する時、その調査は、系譜や地誌の研究をする伝統的なヒストリアの延長線上にあったということでもある。(102-3頁)
なおかつ、ヘロドトスの「探究」のソースには信頼性の高さの度合いがあるという。最も確かなのは、「自分の目で見たこと」であり、二番目が、「見ただけでは納得いかないが、こちらから尋ねて得た答え」であり、そして三番目が、「自分から聞いたわけではなく、おのずと聞こえてきたこと」である。そしてこのうち二番目の「尋ねる」というときに彼が使っている言葉がヒストレインなのである。いうなれば、ヒストリアとは、自分で現場へ出かけて行って、自分の目で確かめようのないことに関して、しかるべき相手に問うて答えを得ることだということである。

一方で、興味深いことに、プラトンが「探究」という語を使うときのギリシア語は、必ず「ゼーテイン/ゼーテーシス」という言葉だった。これはヘロドトスやアリストテレスとは異なっている。著者によれば、前者が「~とは何か」「何が~なのか」という探究であったのに対し、後者は「いかに」「どうして」という探究であったのだと説明している。

また、「人間界の出来事」にヒストリアを拡大したヘロドトスの後に出てきたトゥキュディデスは、明らかにへロドトスを意識しつつも、ヒストリアという語を一度も用いなかった。つまり、彼はヘロドトス型のヒストリアではないかたちでの「人間界の出来事」の探究をしたかったのだと思われる。しかし、後代になって、「タ・ゲノメナ」を語ることが「ヒストリア」と呼ばれるようになって、両方とも「歴史」と見なされるようになったのだと思われる。

2015年9月10日木曜日

ヘレニズム期の東と西 Jonas, "East and West in Hellenism"

  • H. Jonas, The Gnostic Religion (2nd ed.; Boston: Beacon Press, 1962), 3-27.
The Gnostic ReligionThe Gnostic Religion
Hans Jonas

Beacon Press 2001-01-16
売り上げランキング : 130690

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

本書のイントロダクションはヘレニズム期の精神史を扱っている。興味を持ったところを抜き書き風にまとめておく。アレクサンドロス大王の東方遠征の際には、西はギリシアであり、東はオリエントであったが、ローマ帝国が台頭してからは、西はローマであり、東はオリエントを含むギリシアとなった。

西側におけるヘレニズムは、ポリスというローカルでナショナルな状況を、人間一般というコンセプトを獲得することで、コスモポリタンな状況へと変えていった。ロゴスに代表される理性主義は普遍主義へとつながるのである。この普遍性は、ギリシア人というものを、生まれや血筋ではなく、教育によって定義されるものに変えていった。ストア派の始祖ゼノンはフェニキア・キプロスの生まれであったが、ギリシア語を学んでその思想を形成した。コロニーでは文化的・言語的な同化がすすんだ。その後次第に、ヘレニズム的世俗文化は、内的な要求と同時にキリスト教への対抗として、異教的な宗教文化へと傾斜していった。プロティノス、ユリアノス、新プラトン主義、ミトラ教などである。こうした考察を受けて、Jonasはギリシア文化を4つに分ける。第一に、アレクサンドロス以前、第二に、アレクサンドロス以後(コスモポリタンな世俗文化の時代)、第三に、後期ヘレニズム(異教的な宗教文化)、そして第四に、ビザンツ期(ギリシアのキリスト教文化)である。

東側におけるヘレニズムでは、オリエントの役割が考察されるべきが、Jonasはオリエントを扱う困難さを説明する。第一に、ユダヤ文学以外の資料の不足、第二に、文化的な統一がされていないこと、そして第三に、汎ヘレニズム的な事柄とオリエントに特有の事柄との判別しがたさである。

アレクサンドロス以前のオリエントは、政治的な無感動と文化的な停滞(エジプトを除く)という特徴がある。これは、アッシリアやバビロニアによる、被征服民の移植などによって引き起こされた。ただし、そうしてさまざまな障害が取り除かれたことにより、宗教的なシンクレティズムが始まった。土着の宗教が抽象化され、神々が併合され、持ち運びのできるコスモポリタンな教えになっていった。このようにして、政治的な役割から分けられたことにより、ユダヤ的な一神教、バビロニア的な占星術、ペルシア的二元論のように、宗教における精神的・神学的な分野が発達した。

セレウコス朝およびプトレマイオス朝時代のオリエントは、雌伏の時代であった。オリエントそのものの声はあまり聞こえてこず、聞こえてくるとしたらギリシアを通した声のみであった。ヘレニズム化できるものは、コスモポリタン文化の上層面へと通過することができたが、それ以外のものは排除され、地下に潜伏していったのである。この潜伏には、ギリシア的価値観の専制による圧迫と、ギリシア的な概念を獲得して新たな表現を可能にした解放という、両方の意味があった。

この雌伏の時代を過ぎて、オリエントが再び表舞台に登場してくる。これには、オリエント自体の成熟と、西側が宗教的な変化の準備が整ったこととが関係している。オリエントの神話と、聖書的なアイデアと、ギリシア哲学の教えや用語とが混然一体となっていったのである。ヘレニズム・ユダヤ教の興隆、バビロニア占星術や魔術、そして秘儀的な儀式の流布、キリスト教の勃興、進ピタゴラス主義や新プラトン主義、そしてグノーシス運動の開花は皆、互いに関係している。特にグノーシスはこれらすべてのものに現れてくるのである。

2015年5月25日月曜日

第四マカバイ記の文学形式 Lebram, "Die literarische Form des vierten Makkabäerbuches"

  • J.C.H. Lebram, "Die literarische Form des vierten Makkabäerbuches," Vigiliae Christianae 28 (1974): 81-96.

『第四マカバイ記』(以下四マカ)は、理論および具体例によって、「ユダヤ律法遵守が情念の克服であること」や「遵守とは敬虔な理性そのものであること」などを証明したものである。しかし、特に3:19以降の後半部分では、このテーマからややはずれることも述べている。しばしば敬虔な理性の「ヒストリア」が挿入され、話の流れを中断している。テーマとヒストリアとを不自然に繋げようとしているのである。四マカ3:19-18:24は、エレアザル、七人の兄弟、母親に関する別のテーマといっていい(二マカ6:18-7:42を下敷きにしている)。

五世紀のフィロストルギウスは、後半部分はヒストリアではなくエンコーミオン(称賛演説)であると述べている。J. Freudenthalは四マカはシナゴーグにおける説教と考えたが、E. Nordenはそうではなく文学的な演説であり、フィロストルギウス同様エンコーミオンであるとした。Nordenによれば、前半部分がシンプルな哲学論文であるのに対し、後半部分はその自らの命題の正しさを証明する例としての称賛演説なのである。LebramもNordenの考え方に基本的に同意しているが、エンコーミオンという名称はどちらかというと詩文に使うものであり、散文ではエパイノスが適切であるとしている。この称賛演説は演示弁論の一種である。

本論文でのLebramの問いは、四マカ以前は殉教者の称賛は演示弁論の対象ではなかったのに、なぜ四マカ著者は称賛演説というジャンルを殉教者の称賛のために用いたのかというものである。そして、四マカ著者はこのことをした最初の人物なのだろうか。

そこでLebramが注目したのが、17:8にある架空の墓碑銘である。Lebramによれば、これは演示弁論の一種であるエピタフィオス(追悼演説)の特徴であるという。追悼演説は、戦没者のためになされる墓前での演説であり、アテーナイで発展した。四マカの墓碑銘のところでは、この書物のテーマである神への証しについても情念の克服についてもあまり出てこない。殉教という結果のみならず、演説の使用という点も父祖の地のための犠牲という思想から定められている。

四マカ著者は、ダビデの渇きの話など、殉教物語でない部分も要約して自身の殉教物語の冒頭に置いているため、追悼演説との類似性が分かりにくくなっているが、Lebramは追悼演説の代表例と比較することでその類似性を明らかにしている。追悼演説を含むプラトンの『メネクセノス』は、死者のための称賛と生者のための慰めとに分かれている。この後半の生者に対する慰め部分には、パラミューティア(奨励)、トレーノス(哀悼)、そしてアナケファライオーシス(要約)あるいは嘆きへの呼びかけなどといった特徴が見られる。四マカでいえば、17:7-18:19が要約、18:20-21が哀悼、18:22-24が奨励に当たる。

追悼演説のもうひとつの特徴である死者の称賛部分には、プラトンによると、その死者のエウゲネイア(生まれのよさ)、パイデイア(受けた教育)、そしてプラクシス(業績)が述べられているという。リュシアス、デモステネス、ヒュペリデスらの追悼演説では、この死者の称賛部分がさらに、その先祖の歴史的・時系列的な称賛と、その死者そのものの称賛とに分けられている。この「過去の先祖の称賛」+「現在に死んだ英雄の称賛」という形式をもとに四マカを見ると、ダビデの渇きなどの逸話は、この演示弁論の作法に則っていたことが分かる。図示すると以下のようになる:

演示弁論→追悼演説→
  • 生者のための慰め(奨励、哀悼、要約)
  • 死者のための称賛(生まれのよさ、受けた教育、業績)→先祖の称賛と死者本人の称賛
プラトンによる死者の称賛部分に重ねて四マカを読んでみると、その類似性がはっきり分かる。まず「生まれのよさ」の関しては、殉教者たちが気高い生まれのヘブライ人であり(8:2; 9:6, 18; 17:9)、徳があり(9:18)、アブラハムの子であることが明言されている(9:21; 18:1, 20)。「受けた教育」については、拷問を耐える力となる律法教育を受けたことが指摘されている(13:9, 22)。一見、殉教物語に教育など関係ないように見えるが、わざわざ言及されているのは、四マカ著者が演示弁論の作法に則っているからなのである。「業績」については、徳(アレテーあるいはアンドラガシア)のもとで殉教者たちの業績が要約されている(1:8, 10; 7:22; 9:8, 18, 31; 10:10; 11:2; 12:15; 17:23)。先祖に恥をかかせぬよう、殉教者たちは拷問を「耐えている(クラテレイン)」が、この語はヒュペリデスにもしばしば出てくる。

最後にLebramは、四マカに特徴的な4つの考え方が他の演示弁論にも出てくるかを検証している。第一に、暴君と殉教者との対立・対照という特徴については、演示弁論における暴君の典型としてのペルシア王の存在が類似点として挙げられる。四マカは、演示弁論の持つ暴君への対抗心や自由への希望といった傾向を借用して文学形式を整えている。第二に、父祖の地のために死ぬこととは律法を遵守することそのものであるという考え方は、ヒュペリデスらの演示弁論にもしばしば出てくるモチーフである。演示弁論の戦士たちが国家のために死んだのが法律に則った行為であったように、殉教者にとって、殉教の理由は律法が課した義務だったのである。第三に、敬虔さの姿勢に関していうと、神(神々)を信じないことは、演示弁論においても四マカにおいても、必ず敵の特徴であった。そして第四に、名誉の永遠性に派生する復活信仰である。演示弁論では、普通の人間の生の儚さに対する、戦死者の名誉の永遠性が強調されるが、四マカはこの死者の永遠性を復活信仰に結び付けている。すなわち、復活とは殉教者にとっては永遠の褒賞なのである。復活信仰の考え方自体は、二マカ12:44に父祖たちの復活といったかたちで出てくるが、これが四マカでは殉教者の復活信仰へと一歩進められているのである。

以上の四点をまとめると、四マカは殉教者の称賛を演示弁論の形式で表現したわけだが、その形式のもとで、殉教者たちは暴君に対抗し、律法を遵守し、そして敬虔さに準じつつ、永遠の生という恩恵に与っているのである。

Lebramは本論文で明らかにしたことを以下の3点にまとめている。
  1. 四マカの後半部分で、殉教者たちの描写は、当初の歴史的な描写との関係性から話され、演示弁論という現在の文脈に置き換えられている。
  2. 著者はこれらの演説にアテーナイの演示弁論の形式を与え、弁論術の学校における模範や文学的テクニックを与えている。
  3. 演示弁論は殉教物語を修辞的に処理することに適している。なぜなら、マカバイ時代のユダヤ教の思想――暴君への抵抗、律法や敬虔さのための軍事的戦い、殉教者の復活信仰――は、演示弁論の精神的態度に近いからである。

2014年10月20日月曜日

フィロン、第四マカバイ記、初期キリスト教の情念理解 Aune, "Mastery of the Passions"

  • David C. Aune, "Mastery of the Passions: Philo, 4 Maccabees and Earliest Christianity," in Hellenization Revisited: Shaping a Christian Response within the Greco-Roman World, ed. Wendy E. Helleman (Lanham: University Press of America, 1994), pp.125-58.
Hellenization Revisited: Shaping a Christian Response Within the Greco-Roman World (Institute for Christian Studies S)Hellenization Revisited: Shaping a Christian Response Within the Greco-Roman World (Institute for Christian Studies S)
Institute for Christian Studies

Univ Pr of Amer 1994-10-18
売り上げランキング : 2340967

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
この論文では、フィロンと第四マカバイ記著者(以下四マカ著者)の情念理解が比較されつつ、それらが初期キリスト教思想でどのように受容されたかが議論されている。ストア哲学では、魂の病的・非理性的衝動を情念(パテー)と呼んでいるが、その情念は快楽(ヘドネー)、欲望(エピテュミア)、悲しみ(リュペー)、恐怖(フォボス)に分類されている。そしてこの病的な感情である情念の根絶こそがアパテイアと呼ばれる状態である。

フィロンは、プラトンによる魂の三部構造(理性的な部分ロギコス、活発な部分テュミコス、欲望的な部分エピテュメーティコス)と、ストア派の情念論(情念とは魂の非理性的・非自然的・病的な状態である)とを組み合わせ、魂の非理性的部分(=ロギコス以外)は、その本性において非理性的・非自然的・病的であると考えた。またフィロンは、倫理的に完全な者は自らこの病的部分であるテュミコスとエピテュメーティコスとを切り離すことができるが、他の者たちはロギコスによって病的部分を支配するに留まるとしている。そして、トーラーこそが真の哲学を含んでいるのであるから、トーラーを遵守することこそがこのロギコスによる病的部分の支配を可能にさせるのだというのである。

フィロンにとって最高の目標は、情念を根絶してアパテイアに至ることではある。しかし、これは神のように倫理的に完全な者以外にはほぼ不可能なことである。そこで、フィロンは自制の獲得に段階を設けた。すなわち、アパテイアほど高度に理想的な状態ではなくても、ある程度情念を支配しているメトリオパテイアに至ることができれば僥倖であるし、さらにそこまでも至っていない者でも、向上する努力を続けている限り、そのこと自体が善であると考えたのである。そして聖書の登場人物たちの中にも、さまざまな段階が見られるとして、具体例を挙げている。フィロンによれば、モーセは外科医のように情念を根絶し、完全なるアパテイアに至った人物であり、なおかつそれを何らの痛みあるいは労苦なく(アネウ・ポノン)成し遂げた点が重要である。アロンは倫理的向上の途中にある者(プロコプトン)であり、情念の完全な根絶はできなかった。しかし、理性と徳という薬を使って情念を癒し、メトリオパテイアに至った。アブラハム、イサク、ヤコブのうちでは、フィロンは、生まれ持った徳でアパテイアを達成したイサクを最上としている。アブラハムはいくつかの情念を克服することはできたが(イサク奉献やサラの死のときなど)、残りのものは緩和できただけであった。ヤコブは訓練(アスケーシス)によって神を見ることができるようになったが、高度の徳が得られる場合とそうでない場合とがあった。フィロンは、他にもエッセネ派やテラペウタイの修道生活や自分自身の例を挙げて、徳の獲得には、個人の能力差や段階があることを示している。言い換えれば、アパテイアに至ることができる者はほとんどいないが、トーラーの学習と遵守によって、プロコプトンでも段階的に情念のない状態に近づくことができるのである。

一方で、四マカ著者は、プラトンの魂の三部構造の否定と、快楽(ヘドネー)と苦痛(ポノス)を中心とした情念理解という特徴を持っている。四マカ著者の魂理解は、理性的部分である精神(ヌース)が、非理性的部分である情念(パテー)と特性(エーテー)とを支配しているというモデルである。しかも情念と特性とは神が人間の魂に植えつけたものなので、根絶することは不可能である(中期ストア派のポセイドニオスの教説からの影響)。それゆえに、彼にとってアパテイアとは、情念の根絶ではなく、情念の完全な支配のことといえる。またストア派の通常の情念理解は上に述べたとおりで四分類だが、四マカ著者はそれに喜び(カラー)と痛み(ポノス)を加えて六分類に増やしている。肉体に由来する情念である快楽を中心に、欲望(エピテュミア)と喜び(カラー)があり、一方で魂に由来する情念である苦痛を中心に、恐怖(フォボス)と悲しみ(リュペー)がある。そして、快楽と苦痛とは、怒り(テュモス)によって結ばれている。詳細はともかく、四マカ著者の特徴は、情念の基礎を快楽と苦痛に置いていることであり、それによって、マカバイ戦争の殉教者たちが世俗的な快楽に溺れず、拷問の苦痛にも耐えたことを哲学的に解釈したのである。

そして四マカ著者はこうした情念を支配し、アパテイアを獲得するために重要になるのが「敬虔な理性(ホ・エウセベース・ロギスモス)」、すなわちトーラーの厳密な解釈および適用に合致した理性的思考であるとした。この考え方は、トーラー遵守を前提としていることから、フィロンでいうところのプロコプトンによる情念支配の状態と近い考え方といえるが、四マカ著者は徳の獲得に個人の能力差や段階を認めない。つまり、フィロンのように徳を獲得できない人々への寛容さをあまり持たず、より厳格なのである。それは、作中で挙げているマカバイ戦争での殉教者たちの例、すなわちエレアザル(老人)、7人の青年(若者)、そしてその母親(女性)からも見て取れる。いわば彼は、エウセベース・ロギスモスを持ちさえすれば、すべての人が情念(快楽+苦痛)を支配し、アポノス・アパテイア(痛みのないアパテイア)を獲得することが可能だと主張しているのである。

初期キリスト教もまた、聖書がいかに徳をもたらすものかを証明することに腐心した。といっても、特に新約聖書においては、パトスという語の多くはキリストの受難を表すものであり、プラトン・ストア派的な哲学上の意味合いはない。これはヘドネーやエピテュミアといった情念の内容を表す語に関しても同様である。ギリシア哲学のような情念支配を新約聖書の考え方に当てはめるならば、それはキリストによって魂が完全に新しくされることで達成されるものであり、その際にはフィロンや四マカ著者のようにトーラーの遵守は前提とされないといえる。いわば、情念はキリストと共に十字架に架けられるべきということである。ただし、情念を支配するという姿勢自体はキリスト教でも歓迎されるものであるため、二世紀になるとキリスト者もギリシア哲学を取り入れるようになっていった。特に代表的なのがアレクサンドリアのクレメンスであり、彼はフィロンの多大なる影響下にあって、ギリシア哲学のよいところは吸収しようとした。それどころかトーラー遵守(特に食餌規定)でさえ情念支配を可能にする要件と考えた。むろん両者を手放しで受け入れたわけではなく、彼にとってはギリシア哲学とユダヤ教とは、キリスト教の準備(praeparatio evangelica)のためのものだったのである。彼の思想の背景にはフィロンからの色濃い影響があったが、フィロンが個々人の能力と段階を考慮したのに対し、クレメンスは、キリストの導きがあるのだから、すべての人がアパテイアを獲得できるはずと考えた。この点で、クレメンス自身はおそらく四マカを読んだことがなかったにもかかわらず、四マカ著者の思想に近づいているといえる。クレメンスの思想は、オリゲネス、カッパドキア教父、アンブロシウス、ヒエロニュムスらに引き継がれていくことになる。