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2017年3月8日水曜日

アレクサンドリアの非寓意的解釈者たち Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #4

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 189-98.

フィロンは、テクストの字義的意味のみを重視する者たちのことを、ソフィスタイ(σοφισταί)と呼んだ。こうした者たちに関する情報は、第一に、フィロンの著作における数多くの暗示、第二に、エウセビオスによって断片的に引用されている異教の民俗学者アレクサンデル・ポリュヒストルによる言及、そして第三に、偽フィロンの説教において見ることができる。

そうした字義的アプローチを取る注釈家には、デメトリオス、エウポレモス、アルタパノス、注釈家アリステアス、長老フィロン、クレオデモス/マルカスなどがいる。デメトリオスは、我々が知る限りギリシア語で書いた最初のユダヤ人作家であり、特に聖書の時系列に関心を持っていた。アルタパノスは、モーセとイスラエル民族の歴史に関する小説を書き、モーセとムーサイオスを同一人物だと見なすエウヘメリズムを用いるほど、異教との交わりを躊躇しなかった。アリステアスは、ヨブ記をミドラッシュ的に拡張したことで知られている。

偽フィロン。本稿で扱われているのは、フィロンの著作としてアルメニア語訳が伝えられているが、明らかに別人のために偽フィロンと呼ばれている人物の説教(『ヨナについて』と『サムソンについて』)である。これらは口伝的かつアジア主義的特徴を持つエンコーミオン(称賛演説)としての説教だと見なされている。説教はのちにキリスト教会で受け継がれるが、発明したのはユダヤ人であった。異教徒はホメロスを公の場で解釈することはなかった。

フィロンとの違い。偽フィロンの説教がフィロンと違うのは、第一に、偽フィロンは文学ではなく演説であること、第二に、律法に限らず、預言書などに関連する拡張を持っていること(ハフタラー)、そして第三に、ユーモアと鮮烈なイメージを持っていることなどである。こうした説教は、女性を含む会衆を楽しませるためのものだった。それゆえ即興的な演説(αὐτοσχέδιος/αὐτοσχεδίαστος λόγος)だったと考えられる。偽フィロンはホメロスやプラトン、またストア哲学を知っていた。彼は聖書の神話的な要素を合理化し、儀礼を倫理化しようとした。また明確な正典意識を持っていたようで、七十人訳をテクストとして用いながらも、ヘブライ語聖書における正典からのみ引用した。

非寓意的・歴史的解釈。偽フィロンの説教には寓意的解釈が見られない。聖書文書は歴史として扱われている。偽フィロンは自身のテクストの科学的な文脈をアップデートすることに関心がなかったので、寓意的解釈を用いる必要もなかったのである。彼の字義的解釈は、フィロンの問答形式の著作に見られる字義的解釈と同様の洗練を見せている。

こうした説教を著者は物語神学(narrative theology)の例と見なしている。すなわち、聖書テクストをより詳細に語り、またさまざまな種類の演説や対話を散らすことによって、聖書テクストを拡張することである。いわば、ラビ文学におけるミドラッシュにも類似性がある。それゆえに、「ヘレニズム的ミドラッシュ(Hellenistic midrash)」という用語を新たに作ってもいいかもしれない。ただし、偽フィロンの説教は、ヘブライ語のミドラッシュのように関連の連鎖からできているわけではなく、全体的な構造を提供する修辞的な基盤の上に出来上がっている。また特に『サムソンについて』は、ユダヤ教やキリスト教に見られる聖者伝説の嚆矢となる伝記的な称賛演説(biographical encomium)とも言える。

まとめ
アレクサンドリアのユダヤ教は、字義的、寓意的、類型的な方法論を発展させ、そうして行なった聖書解釈を口頭でも文書でも伝える形式を作り出した。その先行者は前2世紀のホメロス解釈者たちであった。ホメロスは、モーセと共に、後4世紀のポルフュリオスやユリアヌスの時代までライバルとして解釈され続けた。その後、寓意的解釈は教会において発展することになった。一方で、アレクサンドリアのディアスポラのユダヤ人たちは、たった一人の歴史家をも生み出さなかったイスラエルの地の賢者たちよりは、聖書の歴史的側面に関心を持っていた。事実、偽フィロンの説教は歴史を解釈しようとする試みであったし、ヨセフス(およびフィロン)は史書を著した。ただし、彼らはハラハー(法)的側面については、ほとんど寄与することがなかった。字義的解釈を残しつつ、自由に寓意的解釈をしたアレクサンドリアのユダヤ人たちの方法論は、ユスティノス、クレメンス、そしてオリゲネスらキリスト教の教父たちによって模倣された。しかしながら、ラビと呼ばれるユダヤ賢者たちは、ギリシアの遺産を受け継ぐことはなかった。

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