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2016年10月2日日曜日

オリゲネスとユダヤ人 De Lange, Origen and the Jews #1

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 1-13.
本書はオリゲネスを通じて、3世紀のパレスティナにおけるユダヤ教とキリスト教との関係性を探った古典的名著である。『ミシュナー』が成文化されて間もないパレスティナに住み、ユダヤ人の習慣と伝統に大きな関心を持つだけでなく、実際にユダヤ人を教師としてそれらを習ったオリゲネスは、当時のユダヤ人の実態を知るためには好個の対象である。彼が住んでいたカイサリアは、宗教的な混淆が進んだ国際的な都市だった(サマリヤ人、異教徒、キリスト者、ユダヤ人)。

このようなオリゲネスとユダヤ人との深い関わりにも関わらず、こうした観点は、オリゲネス研究者からもユダヤ史研究者からも長く無視されてきた。本書は、その懸隔を埋め、両者を結び付けるための端緒となる研究である。

ただし、3世紀のパレスティナにおけるユダヤ人とキリスト者との関係のソースとしてオリゲネスを用いるためには、次の困難に気を付けなければならない。第一に、多くの著作が失われているオリゲネスが本当に何を述べているかを確立すること。第二に、オリゲネスの著作の年代を確定すること。第三に、オリゲネスの見解をどのように解釈するのかということ。そして第四に、オリゲネスの証言と一致しない他の証言があること、である。

著作。オリゲネスの著作のうち、ギリシア語原典で残っているものはさほど多くない。『ケルソス駁論』、『殉教の勧め』、『祈りについて』、説教、『マタイ福音書注解』と『ヨハネ福音書注解』の一部、『ヘレクレイデスとの対話』、『過越しについて』、『ローマ書注解』などである。またエウセビオスを始めとする後代の著作家の引用、抜粋集の『フィロカリア』にもオリゲネスの著作が残されている。ほかの多くのものは、ルフィヌスとヒエロニュムスによるラテン語訳として残っている。ただし彼らの翻訳の正しさには注意すべきである。特に教義から外れるような記述は、ルフィヌスが修正している可能性がある。オリゲネスの著作のさらなるソースとしては、カテーナと、後代の著者(エウセビオス、ヒエロニュムス、ヒラリウス、アンブロシウスなど)による使用がある。

著作の年代。著作の順序は、エウセビオスによる言及などから再構成される。一般的に言って、アレクサンドリアにおいて書かれたものとパレスティナにおいて書かれたものとに分けることができる。

見解の解釈。オリゲネスの見解を解釈するためには、それが言われたタイミングと対象とに注意しなければならない。というのも、オリゲネスは、ある点でユダヤ人を攻撃していたにもかかわらず、別のときには同じ理由でユダヤ人を擁護したりするからである。こうした非一貫性ゆえに、我々は彼の主要な主張たり得ないものに関しては、脇に置く必要がある。

証言と一致しない外的証言。ソースとしてのオリゲネスの証言は、この時代の他のギリシア語資料がほとんどないことから、極めて高い。ヒエロニュムスを除いて、オリゲネスほどユダヤ人やラビの教えを知っていた教父はいない。彼の時代は、タナイーム文学の終わりからアモライーム文学の始まり頃に当たる。彼の幼少時に『ミシュナー』が成文化し、彼の生きている間に『トセフタ』、『メヒルタ』、『スィフラ』、そして『スィフレ』などが編纂された。また彼のいたカイサリアは、『パレスチナ・タルムード』の成立に極めて重要な場所であった。

こうした環境下にいたオリゲネスは、当時のラビ的なアイデアを知るための有用なソースである。これは、3世紀のパレスティナのユダヤ教の研究において、ソースとしてラビ文学しか参照していなかったことに比すと、大きな違いである。特にラビ文学が提示するユダヤ教像は、ユダヤ人が自治権を持っている時代の理想的な状態を前提としており、当時の現実ではなかった。考古学も3世紀のパレスティナのユダヤ教を知るためには、十分な証拠を見つけることができていない。

ソースとしてのオリゲネスの特別な価値は、彼が生きたユダヤ教との交流を持っていたことである。ただし、気を付けなければならないのは、第一に、誰がオリゲネスの情報提供者なのか、第二に、オリゲネスはどれだけ本当に当時のユダヤ人を知っていたのか、ということである。それを知るために、オリゲネスが知っていたユダヤ教聖書解釈の知識を探ることは、大きなヒントになるだろう。

2016年2月3日水曜日

ポワティエのヒラリウスとユダヤ教口伝律法 Kamesar, "Hilary of Poitiers, Judeo-Christianity, and the Origins of the LXX"

  • Adam Kamesar, "Hilary of Poitiers, Judeo-Christianity, and the Origins of the LXX: A Translation of Tractatus Super Psalmos 2.2-3 with Introduction and Commentary," Vigiliae Christianae 59 (2005), pp. 264-85.
ポワティエのヒラリウス(c. 310-c. 367)は、『詩篇注解』の中で、七十人訳の卓越性を証明するために、七十人の翻訳者がモーセにさかのぼる口伝律法の後継者であるという議論を展開している。彼の議論の根拠は、マタイ23:1-3:
イエスは群衆と弟子たちに話した。「律法学者たちやパリサイ派の人々はモーセの座についている。だから、彼らが言うことはすべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは見倣ってはならない」。
という箇所である。ヒラリウスによれば、口伝律法という聖書外伝承の知識を持つことによって、七十人はヘブライ語聖書原典にある不明瞭さを解釈することのできるようになり、他のどの翻訳よりも正確に訳すことができたというのである。Kamesarは、これと似たロジックは『タンフマ』や『プシクタ・ラバティ』におけるラビ・ユダ・バル・シャロームの議論にも見られるというが、ラビにとっての口伝律法が『ミシュナー』に結実するものであるのに対し、ヒラリウスはその口伝律法はすでに七十人訳者に託されたのだと考えている。

このヒラリウスの議論の出所についてはさまざまに論じられてきたが、Kamesarは、ヒラリウスの独自性をまず認めたうえで、偽クレメンス文学、エピファニオス、そしてオリゲネスの議論に見られる類似の箇所との比較を試みている。

偽クレメンス文学においては、モーセが出エジプト記や民数記に出てくる70人の長老に口伝律法を伝えたために、その伝承によって彼らが聖書をより正確に解釈できるようにしたという記述が出てくる。つまり、口伝律法と七十人の長老に関する記述はあるのだが、それをギリシア語訳聖書である七十人訳に繋げてはいないのである。

これに対しエピファニオスは、モーセによる70人の長老の任命は、七十人訳の翻訳者の任命の予型であると言明している。ただし、この両者に直接的な繋がりがあるとは述べていない。ヒラリウスが述べているように、口伝律法がモーセから70人の長老に受け継がれ、さらにそれが七十人訳の翻訳者にまで受け継がれていったと考えることと、エピファニオスが述べているように、70人の長老の任命が翻訳者の任命の予型であると考えることとは、似ているようで実は異なっている。

論文著者は、ヒラリウスの口伝律法理解には、オリゲネスに代表されるアレクサンドリア的な粉飾があるという。というのも、ヒラリウスは七十人訳に受け継がれた「霊的」性質とアクィラ訳の「字義通りの」性質とを対置しているからである。ただし、ここでの七十人訳の「霊的」性質にもヒラリウス独特のものがある。オリゲネスやアウグスティヌスなどが七十人訳の霊性の理由を翻訳者の預言的な霊感に求めるのに対し、ヒラリウスは口伝律法の霊的性質に求めるからである。この口伝律法の霊性とは、ただ翻訳者に霊感が降りてきたというだけのものではなく、モーセから70人の長老たちへ、長老たちから翻訳者たちへ、そして翻訳者たちからイエス時代のパリサイ派にまで連綿と続く霊性である。

オリゲネスは、ルカ11:52で示されているように、パリサイ派は聖書理解の「鍵」、すなわち霊的解釈を持っているにもかかわらず、それを使うことを怠ったと述べている。これはヒラリウスによる、パリサイ派に口伝律法が受け継がれているという指摘を想起させる。ゆえに、ヒラリウスに影響した伝承をオリゲネスも知っていたといえるのである。パリサイ派に聖書の霊的かつ口伝の解釈を帰するというのは、パリサイ派を字義的な解釈者と見なすという教父の伝統的な理解とは異なっている。エウセビオスなどは、霊的あるいは寓意的な解釈をアレクサンドリアのユダヤ教やエッセネ派に帰するのに対し、ヒラリウスは聖書の霊的な理解をパリサイ派の伝統と理解しているのである。