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2017年3月6日月曜日

聖書解釈前史としてのホメロス解釈 Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #1

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 130-43.

本論文は、ヘレニズム期のユダヤ文学に関する優れた概説である。著者はまず、聖書の解釈に先立って、ヘレニズム期にホメロス作品がいかに解釈されていたかということから論文を始めている。当時、文法学校では生徒たちがホメロス作品を暗記し、そこから文法を学んでいた。すなわちホメロスは教材になっていたのである。さらに言えば、神の霊感を受けた神的な詩人だとも思われていた。しかし同時に、ホメロス作品の宗教的・倫理的内容に関して疑問視されるようにもなっていた。実際、プラトンは『国家』の中でホメロス作品を禁じている。

寓意的解釈。そこで不適切に思われる箇所を「解釈」することで、ホメロス作品を救おうという試みが行われたのである。そのときに用いられたのが、「寓意的解釈」という方法であった。ストア派によれば、ホメロスは実際に語ることができたことよりも多くのことを知っていたが、それを読者に「謎(αἰνίγματα)」として残したのだという。このストア派的な解釈は、ペルガモン学派の方法論に基づくものだった。

ストア派。ホメロス作品に見られる多神教的な世界観は、哲学者クセノファネスらによって攻撃された。ストア派は物質主義的な世界観を持っており、神的な存在のことを、エーテルやプネウマなどと呼ばれる何らかの火のようなものだと考えていたが、そうした世界のシステムを説明するために、伝統的な神々の名前を用いた。こうしたある種の「神学」は、ストア派による哲学の三区分(論理学、自然学、倫理学)における「自然学」に該当するものとなった。

アレクサンドリア文献学。アレクサンドリアにおいては、ホメロス作品は文献学(歴史的・批判的アプローチ)の対象となった。アレクサンドリアの図書館において、文献学者たちは伝えられているテクストを削除することなく、批判記号を用いて校訂した。当時、ホメロス作品を他のギリシア文学から区別するような正典意識があったため、引用するときにもテクストを改変することは許されなかったのである。また彼らは、「ホメロスをホメロスから解釈する」という原則を持っていた。

ハンドブック。ホメロス作品を解釈するに当たって出くわす問題点を解決するために便利な、ハンドブックも書かれた。高等学校の教師たちは、そうしたハンドブックを用いて授業を準備したのだった。代表的なものは、偽プルタルコス『ホメロスについて』、問答形式のヘラクリトス『ホメロス問題』、そしてコルヌートス『ギリシア神学抄』である。これらの他にも、ストラボンはホメロスの地理的な知識の正しさを基に、ホメロスを擁護した。

他の解釈法。ホメロス作品の解釈は寓意的な方法だけではない。中期プラトン主義者であるプルタルコスは、崇高な真理を伝えるために神話という形式も必要だと考えた。プルタルコスは寓意的解釈をまったく否定するわけではなく、象徴を「真の意味」にあえて置き換えたりせずに、神話の一般的な輪郭に適合するような類推を見つけようとしたのである。一方で、ウェルギリウスは、ホメロス作品を類型論的(typoligical)に用いることで、ローマの国家の起源を示してみせた。

ヘレニズム・ユダヤ文学の文脈においては、ヨセフスがホメロス作品の合成的な性質やテクストの多様性を指摘し、プラトンによる禁止にも言及している。しかしながら、興味深いことにヘレニズム期のユダヤ人は、ヨセフスを除いて、テクストに対する文献学的な観点に興味を示さなかった。ホメロス作品のみならず、聖書に関しても、アレクサンドリアの文献学が適用されるのはキリスト者であるオリゲネスを待たねばならなかった。その代わり、ユダヤ人は聖書を寓意的に解釈することにより大きな関心を持っていたのである。

古代においては、ユダヤ人はしばしば、他の民族から孤立していることを批判された。ユダヤ人は自分たちの礼拝を清浄に保つためにシナゴーグを建て、他の民族と交わることを望まなかったからである。そこでモーセもまた人間嫌いとして非難された。しかしながら、ユダヤ人は異教の神話や神学との接触を避けようとはしていなかった。彼らもまたホメロスを学び、ヘラクレスやヘルメスを称え、フィロンのような開かれた人物は劇場にも通ったのだった。

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2016年4月8日金曜日

古代の詩人たちに関するコルヌートスの見解 Tate, "Cornutus and the Poets"

  • J. Tate, "Cornutus and the Poets," The Classical Quarterly 23 (1929), pp. 41-45.

コルヌートスは、ネロ帝の時代に活躍したストア派の哲学者である。本論文は、コルヌートスがホメロスやヘシオドスといった詩人たちの哲学的な側面をどのように評価していたかを検証したものである。

ギリシア神学を扱った論文の第17章において、コルヌートスは、詩人たちが歌う神話を安易に寓意的に解釈することを批判している。これは寓意的解釈の有効性を主張するストア派の主流派とは異なる見解である。コルヌートスによれば、ソクラテス以前の哲学者も神話を用いたが、詩人たちは神話のロマンスの部分ばかりを取り上げ、古代の哲学者たちによる寓意を部分的にしか伝えていないのだという。

コルヌートスの寓意的解釈自体はストア派由来のものであるが、詩人に対する低い評価はその限りではない。というのも、クリュシッポスは、古代の詩人をあたかもストア派であったかのように語っていることをキケローから批判されているし、ストラボンはホメロスの詩は哲学論文であり、ホメロスは哲学者であると見なしているし、そして寓意的解釈者のヘラクリトスはホメロスの哲学と知恵について語っているからである。とはいえ、ホメロスがストア派において最も理想的な人物であるかといえばそうではない。ストア派哲学者たちは、ホメロスが自分の創作を入れていること、彼の知識が不足していること、そして大衆を相手にしていることなどを批判してはいる。しかし、ホメロスがそうした非科学的な箇所を含みながらも、寓意的解釈によって正しい知識をも伝えようとしていることを、ストア派は高く評価していたのである。

それゆえに、詩人の誤りの強調と、その哲学的な性格の否定とは、コルヌートスがストア派から異なっている特徴になっている(彼は、語源学的解釈に関しても、クレアンテスやクリュシッポスよりも穏当なものをよしとした。言葉遊びはなるべく慎まなければならないという方針だったからである)。こうしたコルヌートスの逸脱は、キケローによる批判(古代の詩人を、現在から見ることで、あたかもストア派の哲学者であったかのように解釈するべきではない)に対するコルヌートスなりの回答であったと思われる。コルヌートスによれば、古代の詩人たちは確かにストア派哲学者ではないが、彼らの作品における神話は、ストア派的な寓意的解釈と親和性が高く、また彼らよりも前の哲学者らの見解を反映しているという。

コルヌートスにおけるこうした非ストア派的な考え方は、アリストテレスに依拠したものであると思われる。アリストテレスは、神話から、エッセンスとなる神学を抽出し、残りは創作だから必要ないものだと考えた。また彼は、ずっと古代にも哲学はあったのだが、それは詩人たちの神話の中にしか残っていないのだとも考えていた。

以上から、コルヌートスは、詩人たちが哲学的な真理を含んでいると考える点においてはアリストテレス的であるが、それがほんのわずかでしかないと考えるアリストテレスに対し、もっと多くがあるはずだと考える点においてはストア派的である。一方で、すべてのストア派的な原理が詩人たちの作品にあるとは考えなかった点においては非ストア派的であるが、詩人たちが哲学的なシステムを必ずしも伝えなくてもいいと考えていた点では非アリストテレス的である。

2016年3月31日木曜日

エラトステネスの科学と文学批評 Pfeiffer, "Science and Scholarship: Eratosthenes"

  • Rudolf Pfeiffer, "Science and Scholarship: Eratosthenes," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 152-70.
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古典学の歴史に関する古典的名著から、エラトステネスの項を読みました。アテネにおけるアリストテレスの学派からの影響を受けて、アレクサンドリアでも数学や自然科学が盛んになった。彼らはさまざまな事柄に対する「驚き(θαυμάσια)」を愛していた。中でもエラトステネスは、学者であり詩人であると共に、誰よりも科学者と呼ばれるに相応しい、広い分野に渡る関心を持った人物であった。ただし、関心は広いが一流ではなかったと見なされていたために、ベータやペンタスロス(五種目選手)などと揶揄された。著者はこのエラトステネスがカバーした範囲の広さについて、以下のように書いている:
Who is courageous enough to measure himself even as editor against the university of Eratosthenes, philosopher, mathematician, astronomer, chronographer, geographer, grammarian, and poet?
エラトステネスは、彼の前任のアレクサンドリア図書館長であったアポロニオスおよび、彼のあとに図書館長となったアリストファネスらと同様に、プトレマイオス王家の家庭教師としても奉職した。数学者でもあったエラトステネスは、アルキメデスとも親交があった。アルキメデスは一書をエラトステネスに奉げている。

このように、さまざまな分野で活躍したエラトステネスであったが、自身をφιλόλογοςであると考えていたようである(この言葉自体もエラトステネスが作ったものと見なされている)。フィロロゴスとはすなわち、話したり議論したりするのを愛する者ということで、ときに皮肉な意味でも用いられることがあったが、エラトステネスの理解では、ロゴス全体に関わるさまざまな学術に親しんでいる者のことを指す言葉であった。当時の学者の呼び名としては、他にκριτικόςやγραμματικόςなどがあり、特に後者はもともと韻律の専門家という意味から次第に学者一般という意味になっていったが、エラトステネスは自らをフィロロゴスと規定していた。他にフィロロゴスと呼ばれた学者には、アテーナイのアポロドロスやスケプシスのデメトリオスなどがある。また、ペルガモン学派はフィロロゴスと呼ばれることを拒否し、クリティコスと呼ばれることを好んだという。

エラトステネスの著作は多岐にわたる。まず『古代の喜劇について』という古代のアッティカ喜劇に関する学術書がある。これは喜劇の実際のパフォーマンスや、喜劇に関するアテーナイの学術に刺激されて書かれたものと考えられる。こうした喜劇に関する著作では、エラトステネスの科学者としての面はあまり見られない。一方で、『オリュンピオニカイ』や『クロノグラフォイ』といった著作では、オリュンピア紀を基にした科学的な時系列を研究している(オリュンピア紀以前の出来事に関してはスパルタの王のリストを用いたようである)。また彼の最も偉大な業績である『ゲオグラフィカ』全3巻は、言葉自体もエラトステネスが作ったものであり、ポセイドニオスやストラボンに大きな影響を与えた。『カタステリスモイ』という著作では、星座のカタログと、それぞれの星座の起源に関する神話的かつ民俗的な物語とが扱われている。

エラトステネスの文学批評の特徴としては、文学の効用を教育(διδασκαλία)ではなく娯楽(ψυχαγωγία)のみであると規定したことである。彼はホメロスを始めとした詩人を歴史家としても地誌学者としても見なさなかった。詩には必ずしも現実が反映されていないからである。この考え方には、むろん批判や反論もあった。たとえば、エラトステネスとほぼ同時代人であったパリウムのネオプトレモスや、のちにはホラティウスらは、文学には教育も娯楽もあると主張した。

エラトステネス自身も、王に宛てたエピグラムなどの詩を残しているが、それらは彼の先生であったカリマコスのスタイルからの影響を受けているという。すなわち、彼自身は詩を娯楽と言い切ったわけだが、彼の詩のスタイルは、教訓詩を得意としたカリマコス流だったわけである。とはいっても、詩作はあくまで副業であった。

2015年11月29日日曜日

ユダヤ人とユダヤ教 #3 Mason, "Jews, Judaeans, Judaizing, Judaism"

  • Steve Mason, "Jews, Judaeans, Judaizing, Judaism: Problems of Categorization in Ancient History," Journal for the Study of Judaism 38 (2007), pp. 457-512.

このエントリーでは、第3章と結論部分(pp. 489-512)をまとめたい。第1章では、後200年までユダイスモスという語に「ユダヤ教」という意味はなかったこと、そして第2章では、そもそも古代には「宗教」という概念すらなかったことが語られたが、第3章では、それゆえにギリシア語のユダイオス(Ἰουδαῖος)という語を宗教としてのユダヤ教の信者、すなわち「ユダヤ教徒(Jew)」と訳すのは不適切であり、むしろ民族としての「ユダヤ人(Judaean)」と訳すべきであるということが語られる。

論文著者によれば、ユダイオス/ユダイオイという語は常に「民族(ἔθνος)」としての「ユダヤ人」という意味で使われてきたという。異教徒のギリシア・ラテン作家たちの中では、たとえばストラボン、ポセイドニオス、タキトゥス、そしてディオ・カッシウスが、そしてギリシア語・ラテン語で書いたユダヤ人作家たちの中では、たとえばフィロンとヨセフスが明らかにそのような用法でこの語を用いている。

フィロンは、土地、血縁、祭儀の習慣などといった民族的なつながりの全範囲を含む意味合いでユダイオスという語を用いている。それゆえに、そうした文脈におけるconversionとは、市民権の変化において、ある民族から別の民族に「転向」するという意味であって、決して宗教的に「改宗」するという意味ではなかった。

ヨセフスは、『ユダヤ戦記』において、すでに民族としてのユダヤ人という意味でユダイオスという語を用いている。『ユダヤ古代誌』では、哲学や祭儀と密接に関わる文脈で用いることが多いが、そこからただちに「宗教」を導くことは誤りであると論文著者は述べる。さらに『アピオーンへの反論』では、ユダヤ人は、バビロニア人、エジプト人、カルデア人、アテーナイ人、スパルタ人などと比較されており、またそれぞれの民族は、故国、立法者、父祖の習慣、聖なるテクスト、祭司や貴族、そして市民権を持っているとされている。論文著者によれば、これは現代におけるインド系カナダ人や中国系カナダ人といった移民グループのようなものだという。

むろん、研究者の中には、ユダイオスを少なくともある場合には「ユダヤ教徒(Jew)」と訳すべきだと主張する者たちもいる。その代表として、論文著者はDaniel R. SchwartzとShaye Cohenを挙げている。Schwartzは、バビロン捕囚のような大きな変化によって、ユダイオスは単なる民族から宗教へとなっていったと主張するが、論文著者はどんな民族であれある程度の変化を被り、先祖伝来の政治形態を維持することに苦労しているのだから、ユダヤ人だけを特別に「宗教」へと還元する必要はないと反論する。さらにSchwartzは、『ユダヤ戦記』でのユダイオスは民族的な意味合いだが、『ユダヤ古代誌』でのユダイオスは宗教的な意味合いであるといった妥協案も出すが、論文著者は認めない。一方でCohenは、ハスモン朝の時代になると異教徒の中にユダヤ教徒へと宗教的に「改宗」する者たちが出てきたと述べるが、論文著者は、第1章で見たようにヘレニスモスという概念がそもそも文化や宗教を意味するものではないのだから、ユダイスモスだけ突然に文化や宗教の範疇に置くのはおかしいと反論する。SchwartzもCohenも、古代においてユダイオスという語の用法に途中で変化があったと考えるわけだが、論文著者は文献学上そうした変化は認められないし、もっと後代になって本当にユダヤ人に質的な変化が訪れたときには、ユダイオスではなくヘブライオスという語が使われるようになったと説明している。

こうしたことから、論文著者は以下のように結論を出している:まず、我々は古代の状況、用語、カテゴリーが自分自身のそれらとは異なっていることを知らなければならない。ユダイオス/ユダイオイに関しては、他の民族との類比において、「ユダヤ教徒(Jew)」ではなく「ユダヤ人(Judaean)」と訳すべきである。ユダヤ人は前200年から後200年にかけて民族としての「ユダヤ人」であり続けたのであって、ギリシア・ローマ時代には宗教としての「ユダヤ教」は存在しなかった。稀に「ユダイスモス」という語が使われても、それはユダヤの法や生活に向かうこと、という特別な文脈においてものみ用いられた(「ユダヤ化」)。「ユダイスモス」という語が抽象化された信仰システムとしての「ユダヤ教」という意味合いで使用されたのは、3世紀から5世紀にかけて「クリスティアニスモス」との対比においてであった。ただクリスティアニスモスという概念自体は民族、祭儀、哲学、集団、魔術システムなどの新しい集合体であったので、完全なる「宗教」概念としての「ユダヤ教」は啓蒙時代、すなわち近代の産物である。

2015年10月18日日曜日

ヘカタイオスとストラボン(およびポセイドニオス) Gager, "Moses the Wise Lawgiver of the Jews"

  • John G. Gager, Moses in Greco-Roman Paganism (SBLMS 16; Nashville: Abingdon Press, 1972), pp. 25-43.
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異教のギリシア文学におけるモーセへの最初の言及は、アブデラのヘカタイオス(前300年頃)『エジプト史』においてである。『エジプト史』はシケリアのディオドロス(前1世紀)『歴史叢書』の中に引用され、さらにそれがフォティオス『図書総覧』の中に引用されて残っている。

冒頭では、すべての外国人がエジプトから追放された出来事に触れている。これはギリシア的な視点から書かれているが、卓越したエジプト人たちに対する、ギリシア人とユダヤ人という描き方になっている。といっても、モーセに対しては特別の敬意が払われており、他のエジプトの法制定者に対するのと同じ敬称が付されている。

引用者であるディオドロスは別の箇所において、非エジプト人の法制定者たちのリストを挙げ、最後に神「Iao」に使えるモーセを挙げている。ユダヤ人の神をIaoと呼ぶのは、ウァッロー(前27年死去)などにも見られるが、前6-5世紀のエレファンティネのパピルスにも同様の表現が見られるので、ディオドロスのみならず、ヘカタイオスもこの神の名を知っていた可能性もある。

ヘカタイオスはモーセの立法上の活動を説明している。その律法は宗教的なものと社会的なものに分かれるが、いずれもギリシア的なモデルに従って説明されている。たとえば、モーセの偶像禁止は、ギリシア哲学における伝統的な神人同型説の否定および同一化に由来するものとなる。

ヘカタイオスの説明の中には、五書からの引用と思しき一節があるが、ヘカタイオスの時代に完全なギリシア語訳聖書は存在しなかったので、おそらくアレクサンドリアにおけるユダヤ人から口頭で伝わってきたものを、彼がパラフレーズしたと考えられる。

ヘカタイオスはモーセが12部族を分けたと述べている。これはむろん聖書の記述とは矛盾するが、フィロンも同様の説明をしている。プラトンは、『法律』において、法制定者が人々に12の部分を割り当てるべきであるという説明をしているため、ヘカタイオスもフィロンも、哲学的なギリシアの法制定者のイメージをモーセに付しているといえる。

ヘカタイオスの説明においては、土地の割り当ては平等になされるべきだが、祭司たちは特別に他の人々よりも多くの割り当てをもらうことになっている。これも聖書の記述とは矛盾するが、ヘカタイオスはギリシア人の考え方に従って、リーダーは些事にわずらわされるべきでないということと、市民は法に守られるということをここで示しているのである。また、そうして得た土地は勝手に売ってはいけないことが述べられているが、これは貧者の救済と人口レベルの維持を目的としたものだった。特に人口のコントロールはギリシア哲学の課題であった。

ヘカタイオスの説明は概してユダヤ人に対して肯定的なものだが、二か所だけ否定的にも取れる箇所がある。それは、ユダヤの儀礼と文明が「異なっている(exellagmenos)」という説明と、彼らの文化は「外国人に対して非社会的で敵対的である(apanthropos tis kai misoxenos)」という説明である。しかし論文著者によれば、ディオドロスの他の箇所での「異なっている」という言葉の使い方から、この語は必ずしも否定的とはいえないし、また当時の民俗誌学的な作家の常として、thaumasiaとnomina barbarikaに関するセクションを入れるものだったのだという。

いうなれば、ヘカタイオスによるユダヤ人の描写は、ヘレニズム民俗誌学の典型とえるものである。さらにいえば、ヘロドロス以前のイオニア民俗誌学から受け継いだ伝統的な要素と、ヘレニズム期特有の要素との融合である。前者は特に、①神理解と犠牲の実践を含む「宗教的な法(religious laws)」、②結婚の慣習などを含む「普通でない慣習(unusual customs)」、そして③埋葬方法などに強い関心を持つ。一方で、後者はアリストテレスや逍遥学派の影響下で、政治制度への関心を強め、さらにさまざまな人々の歴史的な起源や、外国人の特異性に関心を持つ。

ストラボンの『地理誌』16巻におけるユダヤ人の描写は、ポセイドニオスに帰されることが多い。この中で、ユダヤ人はエジプト人の子孫であるとの説明があるが、これはよく言われていた説であり、ストラボンはあえてそれを選択しているように思われる。リュシマコスやアピオーンは、ユダヤ人の出エジプトを、疫病に罹患したエジプト人が追い出された物語であると説明しているので、ストラボンの説明は、ある意味ではこうした反ユダヤ的説明の一解釈であるともいえる。

こうした経緯から、モーセもまたエジプト人の祭司であったということになる。これはマネトンやアピオーンらによっても述べられていた見解である。つまり、モーセはヘリオポリスの地元の祭司として知られたエジプト人であるという説は、ストラボン以前の少なくとも前1世紀にはあったのである。

ストラボンはユダヤ教の神を説明するに際して、2つの要素を挙げている:第一に、神は天や地を含む我々すべてを含む一者である。第二に、神は我々が言うところの点や地や自然(フュシス)である。第一の説明はヘカタイオスにも見られるものだったが、第二の説明は明らかにストア派的な言説である。またヘカタイオスは、モーセによる偶像禁止の理由を、神は人間と同じ形をしているわけではないことから説明したが、ストラボンは、エジプト人の神獣同型説とギリシア人の神人同型説との両方の否定だと説明している。これはギリシアの伝統的な批判の方法でもあった。

ストラボンはモーセを神学者としてのみならず、影響力のある教師としても描いている。そこでモーセは軍事ではなく、神殿や祭儀に関する法を定める者となる。神殿祭儀の法においては、神はただ贅沢な犠牲では喜ばないというピタゴラス派のアイデアが入っている。モーセの軍事行動にも注目したヘカタイオスと異なり、ストラボンのモーセは自身の制度や外交手腕によって物事をさばいている人物という印象である。さらにいえば、ストラボンはヘカタイオスよりも、モーセの宗教指導者としての側面に注目しているのである。そしてそれを自身のストア派哲学のイメージの中で説明するという手法を取っている。

2015年10月16日金曜日

ストラボン『地理誌』16.2.35-37

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ストラボン『地理誌』16.2.35-37におけるユダヤ民族の描写のまとめと考察。中期ストア派のポセイドニオスに帰される部分。

モーセはエジプトの祭司の一人。下エジプトを治めていたが、当地の状態に不満足のために、神的存在を崇拝する民と共にユダヤへと移った。エルサレムへの移住においては、軍隊による征服は行われなかった。うらやむような土地ではなく、岩場にすぎなかったから。周りは不毛の土地。ギリシアの植民地化の方法に則っている。ユダヤ教の脱民族主義化

ユダヤ人は、動物を神とするエジプト人、人間の形をした神を敬うギリシア人とは違う神を信じている。神は人間や自然のすべてを「取り囲む=浸透する」唯一の存在である。それゆえに像なき神を崇拝しなければならない。神を哲学的に概念化している。

夢見のいい者は聖域の中で寝る。上サム3:3などに見られるincubationの考え方。神殿で寝て神の摂理や啓示を得る。儀式上の清浄を倫理的な清浄と同一視する。礼拝や儀式の描写はシンプル。ユダヤ法の儀式的な要素を排除

モーセは普通ではありえないほどの正しい政府を組織した。モーセの後継者たちは、正しくふるまい、神への敬虔さを持っていた(人間の正しい政治と神への敬虔さの二大徳)。

後代になると、迷信にとらわれた者たちが祭司となり、また暴君が祭司となった。迷信にとらわれた者たちは、肉食を断ち(豚とは限らない)、割礼および切断(女性器も?)を行い、他のこと(安息日?)も遵守した。一方で、暴君たちは盗賊となり、自分の国や近隣諸国を襲ったり、他の君主たちと結託してシリアやフェニキアを征服した。迷信者たちと暴君たちは二大徳の裏面。

ギリシア的な枠組みを用いて、それに抵触するハラハ―的な要素を拒否している。