ページ

ラベル アブラハム・イブン・エズラ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アブラハム・イブン・エズラ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年3月27日金曜日

ナフマニデスとアンダルスの伝統 Septimus, "Open Rebuke and Concealed Love"

  • Bernard Septimus, "'Open Rebuke and Concealed Love': Nahmanides and the Andalusian Tradition," in Rabbi Moses Nahmanides (Ramban): Explorations in his Religious and Literary Virtuosity, ed. Isadore Twersky (Harvard University Center for Jewish Studies Texts and Studies I; Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1983), pp. 11-34.
Rabbi Moses Nahmanides: (Ramban: Explorations in His Religious and Literary Virtuosity) (Ramban : Explorations in His Religious and Literary Virtuosity)Rabbi Moses Nahmanides: (Ramban: Explorations in His Religious and Literary Virtuosity) (Ramban : Explorations in His Religious and Literary Virtuosity)
Isadore Twersky

Harvard University Center for Jewish Studies 1983-07-01
売り上げランキング : 2177895

Amazonで詳しく見る by G-Tools

本論文は、ナフマニデスと彼をめぐる知的世界を概観したものである。著者によれば、同時代人であるマイモニデスがアンダルシアの黄金期の最後の傑物だとすると、ナフマニデスはキリスト教ヨーロッパの文化環境に属する最初の偉大なスペイン人であるという。ナフマニデスが生まれ育ったカタルーニャ地方は、アンダルシアのイスラーム文化圏のユダヤ的伝統からの影響を受けつつも、キリスト教文化圏であり、北部ヨーロッパのユダヤ的伝統からも近い場所だった。すなわち、ナフマニデスは、アンダルシアの代表選手であるマイモニデスとも、北部ヨーロッパのトサフィストおよびカバリストとも、影響関係にあったのである。

彼が関わった大きな事件としては、マイモニデス論争とバルセロナ討論が挙げられる。ナフマニデスは、マイモニデスを支持する意見を書くことも反対する意見を書くこともあるが、通説では、実際には反対であり、支持する意見は政治的手腕を発揮したにすぎないとされている。バルセロナ討論では、ユダヤ伝承であるアガダーをもとに自らの聖書解釈の正当性を主張してくるキリスト教会に対し、ナフマニデスはアガダーの権威を否定した。通説では、彼のアガダー拒否は、彼自身の信条に反する政治的判断によるものだったとされている。

しかし、著者はアンダルシアの伝統の複雑さを考慮に入れると、上の通説は必ずしも確かではないと述べる。マイモニデスのアリストテレス主義に対する、ナフマニデスに代表されるスペインの反知性主義は、北部ヨーロッパからの輸入ではなく、アンダルシアの伝統そのものが持っていたものである。著者はこうしたことを、ナフマニデスとイブン・エズラとを比較することで明らかにする。ナフマニデスは、イブン・エズラに対し、主に三つの点から反論する。第一に、アガダーの扱い、第二に、過剰な理性的解釈、そして第三に、エソテリックな知恵に対する考え方である。こうした反論を見ていくと、ナフマニデスがイブン・エズラに対し、反発と同時に隠れた好意を持っていたことが分かるという。

ナフマニデスは、プシャット的解釈の考え方をイブン・エズラに拠っているが、単語やフレーズよりも、もっと文章の構造や概念に注目する方法を取った。と同時に、ミドラッシュのようなラビ的解釈や、場合によってはカバラー的解釈をも用いた。ただし、ナフマニデスにとってのミドラッシュ・アガダーは、あくまで説教的解釈にすぎず、プシャット的解釈ができない場合にのみ用いられるものだった。またナフマニデスは、神学的用語などについても、イブン・エズラに依拠している。

ナフマニデスに見られるアンダルシアの伝統としては、古典的なアンダルシア的「モザイク・スタイル」が挙げられる。ナフマニデスの文章の中には、モザイクのように、聖書、彼より以前の聖書注解者たちの文章、アンダルシアのピユートの一節などが取り込まれている。彼自身もしばしば詩を書いた。彼のカバラー的な魂論の詩は、詩としても神学としても、ユダ・ハレヴィやイブン・カビロールらの影響を受けており、新プラトン主義的な魂理解を示している。

アンダルシアのゲオニーム的聖書偏重主義に依拠する一方で、ナフマニデスに対するフランスのトサフィストの影響も忘れてはならない。特にタルムードの解釈に関しては、スペインよりもフランス・ドイツの伝統の方が盛んであった。そして、政治的・言語的紐帯によって、カタルーニャ地方とプロヴァンスはひとつながりの場所といえたために、ナフマニデスは多くの北部ヨーロッパのタルムード学者のことを知っていたのである。

2015年2月26日木曜日

ラビ聖書の歴史 Barry Levy, "Rabbinic Bibles, Mikra'ot Gedolot, and Other Great Books"


本論文は、ユダヤ教のラビ聖書の成立と発展について概観したものである。まず、著者は「ラビ聖書(Rabbinic Bibles)」と「大聖書(Mikra'ot Gedolot)」とについて、それぞれの本来的な意味を説明する。前者が全聖書文書とその注解を意味するのに対し、後者は聖書の全文書あるいは部分を文字どおり大きな版(フォリオ)で作成したものを意味する。つまりここでの「ガドール(大きい)」とはサイズの問題である。これに加えて、より小さいサイズで五書とその注解のみで構成されるものとして、「ラビ五書(Rabbinic Pentateuchs)」がある。ラビ五書はラビ聖書より以前から親しまれていた。しかし19世紀になると、小さなサイズのラビ聖書でも大聖書と呼ばれるようになった。ここにおいて、「ガドール」は「偉大な」の意味に変わり、現在に至る。

最初のラビ聖書は1517年に出版され、続いて1524年に第二のラビ聖書が新たに出版された。ラビ聖書は、その読者がどのようにして聖書の適切な学びをしていたかを教えてくれる。ラビ聖書には同じ注解がいつも収録されるわけではないが、初期のラビ聖書(1517-1619)によく採用されたのは、ラシ、イブン・エズラ、ラダック、ラルバグらの注解であった(イブン・エズラは最初のラビ聖書には入らなかった)。中世以降の版で採用されたものとしては、アブラハム・ファリッソルのヨブ記注解とダヴィッド・イブン・ヤフヤの箴言注解があるが、定番にはならなかった。こうしたことから、ラビ聖書の特徴としては、中世初期の聖書注解が中心となっていることが挙げられる。さらにこれらの注解者たちは二つの特徴がある。第一に、方法論はさまざまだが、トーラーのみならず全聖書文書に対して関心を向けること、第二に、聖書注解者であるのみならずタルムード注解者でもあることである。第二の点に関して、ラダック、ラルバグ、ヴィルナのガオンなどはタルムード注解者であるが、ヨナ・イブン・ジャナハやイブン・エズラはそうではなかったため、後者は規範的なラビ的解釈ではないと考えられることもあった。

1517年にフェリクス・プラテンシスによって編集された最初のラビ聖書は、母音記号と詠唱記号のついた聖書本文、タルグム・オンケロス(五書)、タルグム・ヨナタン(預言書)、ラシ注解(五書とメギロット)、ラダック注解(預言書と詩篇)、ラルバグ注解(ダニエル)、ナフマニデス(ヨブ記)などが収録されていた。1524年にヤコブ・ベン・ハイムによって編集された二番目のラビ聖書は、完全なマソラーとイブン・エズラ注解を含み、以降のラビ聖書のモデルとなった。両者の最も大きな違いは、1524年版においては、すべての聖書文書に対して複数の注解が参照できるようになった点であり、それによって読者は多角的な聖書の読み方をできるようになった。印刷技術の向上によって、より多くの情報をひとつの頁に詰め込めるようになっていった。特に、1724年にアムステルダムで出版された『ケヒロット・モシェ』は八つの注解をも収録できた。

ラビ五書はラビ聖書よりも手軽であり、ラビ聖書を作成するときのモデルともなった。三種のタルグム(オンケロス、偽ヨナタン、フラグメント)、ハフタロット(週ごとの預言書箇所)、613の戒律、礼拝テクスト、タルグムや中世聖書解釈へのスーパー・コメンタリーの付加などは、最初にラビ五書に施された。1858年にウィーンで出版されたラビ五書は、のちに定番となる1907年にヴィルナで出版されたラビ五書のモデルとなった。これらのラビ五書は、ラビ聖書よりはるかに多くの注解を収録している。のちには、ヴィルナ版ラビ五書(1907年)とワルシャワ版ラビ聖書(1860年)の預言書および諸書部分を合わせたハイブリッド・ラビ聖書も作成された。

ラビ聖書が含まないものとしては、以下のものが挙げられる。ラビ・ユダヤ教以前(ヘレニズム期)の注解(ギリシア語だから)、ゲオニームやカライ派の注解(アラビア語だから)、ミドラッシュ集(ラビ聖書の作成時期がミドラッシュに重きを置かない時期だったから。例外もある)、ユダヤ哲学者の注解(ラダックやラルバグなどの哲学的な注解はある)、カバラー注解(ナフマニデスやイブン・アタルなどのカバラー的注解はある)、ハシディズム注解。

問題がある記述を検閲されたり、読者に望まれなくなったりしたために、排除されてしまう注解もあった。イブン・エズラのイザヤ書注解、ラダックの前預言者注解の序文、ノルツィの五書に関する『ミンハット・シャイ』などである。逆に、ラシュバムの注解は20世紀になって初めてラビ聖書に加えられるようになった。

ラビ聖書の成立にはキリスト教徒の存在も欠かせなかった。しばしばユダヤ人は宗教的な書物を印刷することができなかったので、キリスト教徒の出版人が代わりに教会の許可を得て出版することがあった。ダニエル・ボンベルグは宣教的な目的もあり、多額の金を払って出版許可を得ていた。キリスト教徒たちは、自分たちのためとユダヤ人のためにラビ聖書を含むユダヤ教文書を出版していたのである。ここで考慮に入れるべきは、ラビ聖書に収録された注解の選択におけるキリスト教徒の影響である。ラダックの注解はキリスト教徒の人気が高かったことが知られている。逆にオバディア・スフォルノはキリスト教徒にはあまり人気がなく、初めてラビ聖書に収録されたのは、ユダヤ人のみによって初めて出版された1724年のラビ聖書においてだった。レカナティの神秘主義的注解は、ラテン語訳がよく読まれていたにもかかわらず、収録されなかった。

イスラエルで最初に出版されたラビ聖書は『トーラット・ハイーム』である。これは聖書本文はアレッポ写本および関連の写本に拠り、オンケロス、『セフェル・ハヒヌーフ』、10の注解(サアディア、ラベイヌ・ハナネル、ラシ、ラシュバム、イブン・エズラ、ラダック[創世記]、ナフマニデス、マハラム・トーテンベルク、ヒズクニ、スフォルノ)が収録されている。オンケロスとラシュバム以外は、出版社モサッド・ハラヴ・クックから、それぞれ独立した校訂版も出版されている。『トーラット・ハイーム』はすべての注解を通常のヘブライ文字で印刷した初めてのラビ聖書である。これにより、読者によって便利になり、より読みやすくなった。ただし、多くの注解の序文を省略してしまっているので、最上のラビ聖書とは言えない。またサアディア、マハラム、ラベイヌ・ハナネルは『トーラット・ハイーム』において初めてラビ聖書に収録された。ただし、代わりに『バアル・ハトゥリーム』、『オール・ハハイーム』、『ケリ・ヤカル』、そしてヴィルナのガオンの注解は落とされてしまった。これは収録する注解の上限を16世紀に定め、ラビ聖書の伝統どおり中世を主軸にしたことによる。いうなれば、『トーラット・ハイーム』においては、説教学、普遍性、そして19世紀や20世紀の注解でアップデートするチャンスなどは、中世のプシャット主義の犠牲となったのである。この版が流通することで、説教的、ハシディズム的、ミドラッシュ的な注解が日の目を見なくなってしまった。

ちなみに、本論文が出版された当時には存在しなかった最新のラビ聖書として、バル・イラン大学の『ミクラオット・グドロット・ハケテル』がある。このケテル版はまだ完成されていないが、注解者たちの序文を含む、より完全なラビ聖書を目指している。

2015年2月13日金曜日

ラシュバムのプシャット Lockshin, "Rashbam as a 'Literary' Exegete"

  • Martin Lockshin, "Rashbam as a 'Literary' Exegete," in With Reverence for the Word: Medieval Scriptural Exegesis in Judaism, Christianity, and Islam, ed. Jane Dammen McAuliffe, Barry D. Walfish and Joseph W. Goering (Oxford: Oxford University Press, 2003), pp. 83-91.
With Reverence for the Word: Medieval Scriptural Exegesis in Judaism, Christianity, and IslamWith Reverence for the Word: Medieval Scriptural Exegesis in Judaism, Christianity, and Islam
Jane Dammen McAuliffe

Oxford Univ Pr on Demand 2003-01-02
売り上げランキング : 2033233

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
プシャット的聖書解釈は、聖書のプレーンな意味を求める方法論とされている。これはいうなれば、聖書テクストの一字一句にこだわるクロース・リーディングをするということである。しかしながら、実際にはプシャットを奉ずる注解者たちはクロース・リーディングを避ける傾向にあった。たとえばアブラハム・イブン・エズラはこうした読み方を批判し、聖書における言葉の選択には必ずしも重要な意味はないと喝破した。それゆえに、創41章のように、ファラオの夢が地の文で語られ、さらに登場人物によって再度語られるような現象から、ことごとしく違いを見出す必要もないというのである。同様の見解はダヴィッド・キムヒ、ヨセフ・イブン・カスピ、そしてヨセフ・カラなどにも見られる。すなわち、ひとくちにプシャットといってもバリエーションがあるということである。対して、現代の読者は同じ事件の語りなおしに意味を見出そうとする。

ラシュバムもプシャット主義者として、イブン・エズラと極めて似通った聖書解釈のアプローチを取ったが、聖書物語の文学類型を決定するやり方において大きく異なっている。たとえば、両者は共にラビ的ミドラッシュの有効性を認めているが、イブン・エズラがそれを釈義としてではなく伝統としてのみ認めるのに対し、ラシュバムはそれを釈義としても認めている。ことにタルムードの釈義において、ラシュバムはプシャットと共にイトゥリーム(過剰な読み込み)をも用いている。ただし、聖書解釈の場合、ラシュバムはそうした読み込みを参考情報(referential)としてではなく、あくまで修辞的な(rhetorical)な意味として読者に与えているのだった。

たとえば、出22:23における繰り返し表現も、ラシがそれを読者に新しい情報を与えるためのreferentialな意味を読み込んでいるのに対し、ラシュバムはその場面を強調をするためのrhetoricalな意味だと説明する。なぜならば、繰り返しは読者に何らの新しい情報を与えないからである。ただし、そうした強調を、著者がなぜその箇所で用いたのかといった問題を追及することはない(ヨセフ・カラはこうした点にも言及する)。

ラシュバムはプシャットを用いて聖書テクストを解釈するときに、そこから教育的・倫理的な教訓を引き出すことがないのである。いうなれば、彼はユダヤ教を「教える」ために聖書解釈をしているのではないのだといえる。ただし、聖書の中に教育的・倫理的教え自体は含まれているので、それを知りたければ自分のプシャット注解ではなくミドラッシュを読めばいいのだと考えた。そして自分自身の役割を聖書の文学的な表現を明らかにすることに制限しているのだった。

2014年10月16日木曜日

イブン・エズラの雅歌注解 Reif, "Abraham Ibn Ezra on Canticles"

  • Stefan C. Reif, "Abraham Ibn Ezra on Canticles," in Abraham Ibn Ezra y su tiempo: Acatas del Simposio Internacional: Madrid, Tudela, Toledo. 1-8 febrero 1989, ed. Fernando Diaz Esteban (Madrid: Asociacion Espanola de Otientalistas, 1990), pp. 241-49.
8460075001Abraham Ibn Ezra y su tiempo: Actas del simposio internacional : Madrid, Tudela, Toledo, 1-8 febrero 1989 = Abraham Ibn Ezra and his age : proceedings of the international symposium (Spanish Edition)
Asociacion Espanola de Orientalistas 1990by G-Tools

イブン・エズラの聖書注解を理解する上で問題となるのは、彼が遍歴生活の中でそれらを書いたために、しばしば一貫性を欠くことがある点である。Moritz SteinschneiderとAdolf Neubauerによる研究から、彼が自分の注解をしばしばあとで改訂していたことが分かっている。雅歌注解に関して、Michael Friedlanderは、イブン・エズラが二度の改訂を施していると考えた上で、フランスにいたときの二度目の改訂をA、イタリアにいたときの一度目の改訂をBと呼んだ。またFriedlanderは、改訂Bの方が改訂Aよりもテクストに対して批判的であり、非ミドラッシュ的な傾向が見られるが、その理由は当時のイタリアのリベラルな風潮がイブン・エズラにそのような改訂を可能にしたからだと主張している(Uriel Simonはこの説明には懐疑的)。Yehuda Fleischerは、Friedlanderの区分を踏襲しつつ、二度目の改訂Aがなされたのは、1156年から翌年にかけて、フランスのドルーという町でのことだったと述べている。

イブン・エズラの雅歌注解は、言語的注解(linguistic)、字義的・文学的注解(literal and literary)、そしてミドラッシュ的・寓意的(midrashic and allegorical)の三部に分かれている。改訂Aの雅歌注解では、全体に関する序文と、この三部のそれぞれに対する特別な序文が付されている。全体に対する序文では、著者とされるソロモン王を称賛し、また雅歌が性的な詩ではなく神とイスラエルとの関係を比喩的に表していることを述べている。第一部の序文では、抽象的・宇宙論的な解釈を否定し、ラビ的伝統における寓意を方法論とする旨を言明している。第二部の序文では、乙女と若者の愛のメタファーについて叙述している。そして第三部の序文では、自身はミドラッシュ・ラバーの解釈で満足しているが、それでも自らの寓意的な解釈をする必要があることを述べている。

改訂Aの第一部、すなわち言語的注解においては、他の聖書文書における彼の注解とさほど変わらないスタイルが採られている。文法的なトピックとしては、男女両性の名詞(common gender)、音位転移(metathesis)、ハパクス・レゴメナ(hapax legomena)、欠性動詞(privative verbs)、畳語形(reduplicated form)などが扱われている。また、ある語の説明のために、聖書ヘブライ語のみならず、アラム語、ラビ・ヘブライ語、スペイン語、そしてアラビア語を引くこともあった。さらに、鳥、動物、植物、石、あるいは地形などの自然物に関する定義も多く行なっている。彼は注解において、たくさんの説を挙げた上で、そうと言わずに自説を述べ、結局他の説を捨てるという手順を踏んでいた。

改訂Aの第二部の字義的・文学的注解においては、雅歌で描かれている若者と乙女の詩をそのまま解釈し、恋愛的な内容にも踏み込んでいる。ただし、そうした内容を明確に解釈したいという意志と、検閲を恐れる意識とが緊張感をはらんでいるようにも見える。また興味深いことに、イブン・エズラは雅歌をもとにして作られた当時のムスリムの恋愛詩を知っていたため、それについての言及もなされている。

改訂Aの第三部のミドラッシュ的・寓意的注解においては、族長物語や出エジプトなど、聖書の歴史的部分に関する寓意的解釈(historical allegory)と、信仰、改悛、教訓、トーラー、性的倫理などといった神学的な問題に関する寓意的解釈(theological allegory)が扱われている。ここでのイブン・エズラの記述は、自身が第一部の序文で抽象的・宇宙論的な解釈を否定しているにもかかわらず、当時の新プラトン主義哲学を濃厚に反映しているという。

一方で、改訂BはAに比べてあまり構造的でなく、スタイルにも一貫性がない。また第一部と第二部に関しては40パーセントも少なくなっており、自身の他の聖書文書の注解へのリンクもない。序文に関してもより短くなっており、全体の序文は第一部の序文と一緒になっている。ただし、Bの方が写本に関しては良好に保たれている。改訂Bの第一部では、Aと異なり、イブン・エズラの自説は匿名でなく開陳されるが、他言語に依拠した説明は少なくなっている。改訂Bの第二部では、ユーモアや性的な言及は減ったが、医学的な見解が加味されている。ムスリムの恋愛詩への言及はない。改訂Bの第三部では、抽象的・宇宙論的な議論はシンプルになり、ユダヤ的な説明においても思想よりも実践に重きが置かれている。

以上より、論文著者は三つの結論を導いている:
  1. イブン・エズラの三部の解釈は、しばしば互いに一貫していないが、雅歌に対する一つの包括的なアプローチを代表するものである(筆者注:何を指しているのか不明)。
  2. 二つの改訂に見られる変化から、遍歴を重ねる中で、イブン・エズラが自らの著作を改訂・加筆する必要を感じていたといえる。
  3. 二つの改訂に見られる変化の原因は、必ずしもイブン・エズラがイタリアからフランスに移ったからではない。すなわち、変化の原因を書いた場所に帰するべきではなく、遍歴の中で移り変わっていったと考えるべきである。

2014年10月5日日曜日

聖書解釈者としてのイブン・エズラ Sarna, "Abraham Ibn Ezra as an Exegate"

  • Nahum M. Sarna, "Abraham Ibn Ezra as an Exegate," in Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath, ed. Isadore Twersky and Jay M. Harris (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1993), 1-27.
Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath (Harvard Judaic Texts and Studies)Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath (Harvard Judaic Texts and Studies)
Isadore Twersky

Harvard University Center for Jewish Studies 1993-01-01
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る by G-Tools
日本ではスピノザ『神学・政治論』の「ネタ元」として知られているアブラハム・イブン・エズラ(1092-1167)は、ミクラオット・グドロットではおそらくラッシーの次によく参照される聖書解釈者である。スペインにおいて、「星の巡り合わせの悪いとき」に生まれた彼は、パトロンの庇護を受けて生活していたため、次々と新しいスポンサーを求めて諸国を遍歴することになった。しかしそうした遍歴生活によって、さまざまな知識を得ることができたともいえる。またイスラーム・スペインからローマをはじめとするキリスト教諸国へ移動したために、彼はアラビア語ではなくヘブライ語で著作を残した。これが現在でも彼の著作がよく読まれている一つの要因といえる。

驚くべきことに、彼が著作活動を始めたのは50歳になったときだった。なぜ50歳から書き始めたのかは明らかではないが、その少し前に病気をしたから、あるいはローマで異端として告発されたので異端ではないことを証明したかったから、などさまざまな理由が考えられる。彼が残した注解は聖書すべてをカバーするものではない。現存するのは五書、イザヤ書、十二小預言書、詩篇、ヨブ記、メギロット(エステル記、コヘレト書、雅歌、哀歌、ルツ記)のみである。しかし彼は他にもヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、エレミヤ書、エゼキエル書、箴言、エズラ・ネヘミヤ記、そして歴代誌の注解も書いたと述べている。

彼は他の中世聖書注解者の誰よりも聖書解釈の歴史に対する知識が深かったといわれる。彼はトーラー注解の序文において、彼以前の聖書解釈を批判的に4つのタイプに分けている。
  1. ゲオニーム:世俗の科学の成果を過剰に含んでいる。
  2. 異端カライ派:伝承と口伝律法を否定し、恣意的な解釈をしている。
  3. キリスト者:聖書にエゾテリックな意味を求め、主観的・寓意的な解釈をしている。
  4. キリスト教世界におけるユダヤ聖書解釈:タルムード賢者たちの説教を字義的に取り、ヘブライ語文法を無視している。
彼自身の聖書解釈の方針は、文法的、文献学的、そして文脈に即した研究を基にした(grammatical analysis and intellectual acceptability, p. 6)、テクストのストレートな解釈であった。しかし同時に、トーラーにおけるハラハー上の問題に関しては、賢者たちの解釈の権威を認めていた。当時聖書写本の正確さでずば抜けていたスペインで育ったイブン・エズラは、所与の聖書本文をそのままで解釈することを目指した。そのため、彼は当時すでに写本に記されていた「写字生の修正(ティクネ・ソフェリーム)」を無視することもあった。また彼は、テクストの破損や改訂の必要性を仄めかすヨナ・イブン・ジャナハの「置き換え理論(substitution theory)」にも激しく反対した。むしろ彼は、聖書における語の用法、スタイル、レトリックに注目し、またヘブライ語の文法に依拠することで難局を乗り切ることを目指したのである。彼はヘブライ語や聖書のスタイルとして次のような特徴を指摘している。
  1. 省略(ellipsis):冗長な言葉を省略できる。
  2. 転置・逆転(transposition, invert):語順、節順、エピソード順が逆転する。
  3. 並置(juxtaposition):節と節との並置には何らかの関連した意味がある。
  4. キアスムス(Chiasmus):二つのものが言及されるとき、二度目には二つ目が先に言及される。
  5. 間隔を置いた要約的反復(resumptive repetition following an interval or interruption):ある出来事が言及されたあとに、しばらくして同じ出来事に言及することがある(出14:8,9; Ex 20:15, 18; Num 32:2, 5)。
イブン・エズラは、カライ派を批判していたことからも分かるとおり、口伝律法を重視する立場を取る。特に、聖書におけるハラハー的な箇所については、賢者たちの伝承に依拠している。一方で、ハラハー以外の箇所については賢者たちの解釈に遠慮なく批判を加えた。彼は、代々伝えられてきた伝承(カバラー)と、賢者たち自身がロジックや討論の実践によってテキストから導き出した事柄(セヴァラー)とを厳密に区別していたのである。そして場合によっては、ラビたちの見解をまったく否定することもすらあった。

さらに、彼の傾向として、タルムードより後代のラビ的解釈にはほとんど重きを置かなかった。彼はサアディア・ガオン、ヨナ・イブン・ジャナハ、サムエル・ベン・ホフニ、ラッシーをはじめ、40人ほどの先行者たちに言及しているが、そのほとんどを、莫迦にした枕詞をつけて紹介している。特にカライ派と、ヒッウィー・アル・バルヒ(9世紀)と某イツハキに対しては容赦がない。ただ彼がこうした聖書解釈者たちを単に捨て置かず、いちいち名を挙げて批判しているのは、裏返せば彼らの著作がイブン・エズラ当時よく読まれていたことの証左でもある。スピノザへとつながっていく彼の「本文批評」の意識は、こうした「文壇」事情に促されるかたちで形成されていったともいえる。

そうした「本文批評」の意識の中で、イブン・エズラは聖書中のアナクロニズムに注目した。申命記32章はモーセを三人称で描いているが、これは、五書の著者はモーセだとする当時の見解に矛盾する。彼はこの箇所を後代の付加だと見なしている。これは、なるべく聖書本文をそのままのかたちで意味が通るように解釈するという彼の基本方針に反するようにも思える。実際Sarnaも、「It is hard to establish the criterion by which Ibn Ezra differentiated acceptable from inadmissible anachronisms, p. 19」と述べている。彼はまた、モーシェ・ハコーヘン・イブン・チキティラ(1080年没)の影響下で、イザヤ書の複数著者説に言及している。

最後に、イブン・エズラの聖書解釈の特徴として、注解することで自身の哲学を開陳しているということが挙げられる。彼は晩年に哲学に特化した小品をものしてはいるが、彼の哲学はむしろ注解の中から導き出される。それによると、彼はソロモン・イブン・ガビロールに影響を受けた新プラトン主義者というのが定説になっている。