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2017年3月4日土曜日

古代と現代の文学批評の類似性 Nünlist, The Ancient Critic at Work

  • René Nünlist, The Ancient Critic at Work: Terms and Concepts of Literary Criticism in Greek Scholia (Cambridge: Cambridge University Press, 2009).
The Ancient Critic at Work: Terms and Concepts of Literary Criticism in Greek ScholiaThe Ancient Critic at Work: Terms and Concepts of Literary Criticism in Greek Scholia
René Nuenlist

Cambridge University Press 2011-08-18
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本書はスコリアに注目することで、古代の文学批評の実態を検証したものである。スコリアとは、古代の文学作品の特定の一節に関する短い注釈を集めたもののことである。古代の文学批評に関する多くの研究では、アリストテレスの『詩学』やデメトリオスの『様式について』などといった論文が扱われることが多かった。そもそもW. Arendのような研究者は、アレクサンドリアの学者たちの仕事であるスコリアによって、文学作品としてのホメロスの詩は損なわれてしまったと考えていたほどであった。

一方で、著者があえてスコリアを選んだのは、第一に、スコリアは原理の形成よりもその応用を示すからであり、第二に、スコリアは諸論文よりも大きなコーパスを提供するので、より多くのトピックを扱っているからであり、そして第三に、諸論文が散文の修辞に注目するのに対し、スコリアは詩に注目するからである。著者はこのスコリアの利点を生かすために、ホメロス、ヘシオドス、古典劇作家、ピンダロス、カリマコス、テオクリトス、ロードスのアポロニオス、ルキアノスらの作品に関するスコリアを扱っている。

著者によれば、こうしたスコリアを集中的に扱うことによって、古代の注釈者たちは現代の用語で表わされる文学批評の概念をすでに知っており、それらを自分たちの文学批評において用いてたという。著者が扱っているのは以下のトピックである:プロット、時間、物語と台詞、焦点化、読者への効果、欠落と削除、詩的逸脱、著者の特定、様式、ほのめかし、隠された意味、登場人物、神話学、など。たとえば焦点化(focalization)に類似する議論としては、古代の注釈家たちは「話者を考慮することによる解決(λύσις ἐκ τοῦ προσώπου)」といった洗練された議論を持っていた。

こうした現代的な概念が、必ずしも当時の用語での表現ではないにせよ、実際に古代の注釈者たちによって親しまれていたというのは驚くべきことである。古代の議論の価値は、彼らがテクストにしたことと我々がテクストにしていることとの目を見張る類似性に注意を払うことで、現代の読者の目においても高いものとなる。

2017年1月10日火曜日

アレクサンドリア学術の最高潮 Pfeiffer, "Alexandrian Scholarship at Its Height"

  • Rudolf Pfeiffer, "Alexandrian Scholarship at Its Height: Aristophanes of Byzantium," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 171-209.
History of Classical Scholarship: From the Beginning to the End of the Hellenistic Age (Oxford University Press academic monograph reprints)History of Classical Scholarship: From the Beginning to the End of the Hellenistic Age (Oxford University Press academic monograph reprints)
Rudolph Pfeiffer

Oxford Univ Pr (Sd) 1968-12-31
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ビザンティウムのアリストファネスは、ゼノドトス、カリマコス、エラトステネスら、前3世紀の学者たちの伝統を一身に受け継いでいると同時に、自分の弟子であるアリスタルコスを通じて、アテーナイのアポロドロスやディオニュシオス・トラクスら、後代の学者に大きな影響をも及ぼした。アリストファネスの時代のエジプト(プトレマイオス4世-5世)は、政治的には後退の兆しを見せていたが、学術においては最高潮を迎えていた。学者詩人の時代から、純粋な学者の時代になったのである。

校訂記号。アリストファネスの仕事は、テクスト、言語、文学批評、そして古代性と結びついていた。ゼノドトスが比較的自由に仮説的な「真正」テクストを作り出したのに対し、アリストファネスはより保守的に、むしろ古い写本をそのまま保存しようとした。そして、問題が認められた際には、テクストを変更することなく、そうした問題を校訂記号で明らかにした。『オデュッセイア』の終わりが23巻の296行目であるという伝統的な議論も、そのようにして行なわれた。オベロス記号はゼノドトスによる創案であったが、アリストファネスはアステリスコス記号、シグマ記号、アンティシグマ記号を加えることで、テクスト校訂の選択を読者に委ねたのである。

句読点とアクセント。句読点に関しては、イソクラテスやアリストテレスの時代から認められるが、アクセントに関しては、アリストファネスはホメロスや他のテクストに初めてアクセントを加えた文法学者であるという。

叙情詩。アリストファネスは、特に叙情詩の校訂版の出版を多く行なった。前4世紀にはすでに、詩は本来共にあったはずの音楽から乖離してしまっていた。ソフィストや哲学者は詩を文学としてのみ扱った。ゼノドトスはピンダロスとアナクレオンを校訂し、カリマコスは『ピナケス』にて抒情詩を分類し、エラトステネスやロードスのアポロニオスはアルキロコスを研究した。アリストファネスは、これら先達者たちの恩恵を受けて叙情詩の校訂を行なったのである。

現代では、叙情詩とは非叙事詩および非劇詩を指すが、古代では、哀歌的(elegiac)と歌唱的(melic)との区別があった。前者は短長格か長短短格の脚韻で、朗読風の芝居がかったものであるのに対し、後者は必ず楽器演奏がつけられ、ときに踊りを伴った。初期ギリシア文学において、叙情詩は歌唱に分類されたのである。実際、リラ演奏があるため、melicusとlyricusとは同じ意味となった。

著者は、このmelicusからlyricusへの用語の変化には、アリストファネスの影響があるという。というのも、叙情詩の分類とは、詩の理論や芸術的な実践によってではなく、校訂者がそれを必要と思うことから始まるからである。アリストファネスはピンダロスの詩を適切な順に並べ、アナクレオンやアルカイオスらの詩を校訂したようである。その際に、彼は詩を散文のように続けて書かず、韻律に則り、初めてコーラに分けて(κωλίζειν)配置したのだった。また彼は、詩の繰り返しの部分にパラグラフォス記号を付すことで、詩の連(ストロフェー)を視覚化した。そして一篇の詩の最後の部分(停止=エポドス)には、伝統的にはコローニス記号が付されたが、アリストファネスはアステリスコス記号を付した。

喜劇の校訂。アリストファネスが校訂した劇詩は、韻律に従って行分けされ、破損した固有名詞が修復され、またそれが誰の台詞であるかが分かるように工夫されていた。このような配慮に関しては、彼の師であるエウフロニオスとエラトステネスからの大きな影響を受けていた。アリストファネスは劇の「注解(ὑπομνήματα)」を書いてはいないが、「入門書/要約(ὑποθέσις)」は残している。この「要約」は、アリストテレス以降の逍遥学派が行なってきた伝統だった。彼は、メナンドロス作品を出版したことで知られているが、そうした版に付された劇の要約はアリストファネスによるものではないと考えられている。

悲劇の校訂。3世紀の学者たちは、悲劇よりも喜劇を好む傾向があった。しかしながら、アリストファネスは、カリマコスの『ピナケス』を参考にしつつ、アルファベット順に、個々の悲劇の単純で正確な「要約(ὑποθέσις)」を作成した。このような要約は、διήγησιςとも呼ばれ、「その始まりは以下のようである」という言い回しで最初の一行が引用された。

辞書の編纂。詩人や学者たちは、詩における難しい語や曖昧な表現などに関する議論を蓄積してきた。それは、アリストファネスの「辞書(λέξεις)」に結晶化することになった。それまでのそうした辞書は、語彙集でしかなかったが、アリストファネスのそれは、より広範囲で、組織的で、解釈方法の確立したものだった。彼は信頼できるテクストに基づいて、第1章で方法論を論じ、第2章で語源に基づいて語彙を挙げた。ただし、研究者たちは第3章から第6章にかけては別人の手によるものであると考えている。いずれにせよ、アリストファネスのおかげで、方言の違いのみならず当時の話し言葉の特徴をも知ることができるようになった。

彼はこの中で、ギリシア語の活用(κλίσις)についても論じている(ἀναλογία)。当時は、ソロイのクリュシッポスらによって、文法から逸脱した表現(ἀνωμαλία)が議論されもしたが、それらは総じて哲学的なものだった。これに対し、アリストファネスは常に文法の枠内で議論した。この姿勢は、アリスタルコスの弟子であるディオニュシオス・トラクスらに受け継がれることになる。

「古典」とは。古くから、傑作をものした詩人たちは、他から抜きん出た扱いをされてきた。こうした傑出した詩人たちを選び、リスト化することをἐγκρίνεινと言い、選ばれた詩人たちはἐγκριθέντεςと呼ばれた。彼らはローマでは、最上のordoやclassesにある者たちとされた。彼らは「扱われた/注解された(πραττόμενοι)」として特別の扱いを受け、繰り返しコピーされて学校で学ばれることになった。

アリストファネスはさまざまな分野で初めてのことを成し遂げ、長い歴史的発展の中で中心的な存在となった。

2016年12月10日土曜日

カリマコスとその弟子たち Pfeiffer, "Callimachus and the Generation of His Pupils"

  • Rudolf Pfeiffer, "Callimachus and the Generation of His Pupils," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 123-51.
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アレクサンドリア文献学の歴史において、ゼノドトスに匹敵するのはビザンティウムのアリストファネスしかいない。彼らに次ぐ存在が、カリマコスとエラトステネスである。カリマコスは、アレクサンドリア図書館の図書館員ではなかったが、創造的な詩人と思慮深い学者とが統合された人物であった。キュレネからアレクサンドリアに移り、プトレマイオス二世の宮廷に仕えた。彼は、自分が語ることは、それが詩歌であっても真実であると主張した。また長大な伝統的な詩を批判し、短く清新な詩こそを高く評価した。彼の学識は詩の中に隠れているので、詩を検証しなければならない。

アレクサンドリア図書館のパピルスは、東方の図書館の慣例に従った収蔵方法が採られていた。作品の題名と行数が巻物の最後に書かれていた。カリマコスはこれらの巻物を分類した、120巻にも渡るカタログを作成したのだった。カリマコスの編纂によるこの『ピナケス』においては、詩歌と散文は分けられ、それぞれお題名と冒頭の一行が記されていた。また著者はアルファベット順に並べられ、わずかながらも伝記が付されていた。この一般的な『ピナケス』に加えて、時系列に特化したカタログと、語彙に特化したカタログも別に作成された。何千巻もの巻物を読者の便宜を図りながら収蔵するためには、きちんとしたカタログが必要不可欠だったのである。ビザンティウムのアリストファネスは、のちに『ピナケス』の増補版を作成している。

学者としてのカリマコス自身の著作ジャンルは三つある:古代誌、言語、そして文学批評である。カリマコスは非ギリシア人の生活に関する好奇心にあふれた古代誌を書いているが、あまり科学的なものではなかった(アレクサンドリア学術が科学性を増すのはエラトステネスからである)。言語に関する著作では、魚の名前の語彙集を作成しているが、それを彼の先行者たちのように哲学的な議論のたたき台とすることなく、純粋に文学的に吟味している。文学批評としては、逍遥学派のプラクシファネスの著作を批判した。

詩人としてのカリマコスは、反アリストテレス的な傾向を持っていた。アリストテレスは、ホメロスの詩の統一性、完全性、偉大さを称揚した。カリマコスはホメロスの偉大さを認めるにやぶさかではなかったが、師の文化を再生させるにはそれでは難しいと感じていた。そこでカリマコスは詩の統一性や完全性を求めるのではなく、「薄さ/軽さ(λεπτόν)」こそを重要視した。この用語は、エウリピデスやアイスキュロスの時代には否定的な意味合いしかなかったが、カリマコスはその価値を転倒させたのである。他にも、「頭でっかち(πολυμαθής)」という語についても、かつては真に賢いわけではないという意味だったのを反転させて肯定した。

カリマコスはアレクサンドリア図書館に雇われたときには、詩歌から散文へと方向転換していたが、かといって文学作品の注解書は残していない。彼のホメロス理解は、むしろそれ以前に書いた詩歌の中に残されている。彼の詩の中で引用されているホメロス作品を見ると、彼がホメロスの旧版を読みつつも、一方で明らかにゼノドトスの校訂版を知っていたことが分かる。

カリマコスの弟子としては、ロードスのアポロニオスが挙げられる。『アルゴナウティカ』を書いた彼は、ゼノドトスの後継者として図書館長にもなった。図書館長の伝統として、彼はプトレマイオス三世の家庭教師も務めた。ただし、アポロニオスはカリマコスからは冷遇されたようで、『アルゴナウティカ』を最初に発表したとき、師からその作品を酷評されたために、アレクサンドリアを離れてロードスへと移った。おそらくロードスへと移ってから、彼は『アルゴナウティカ』の第二版を作成した。

アポロニオスの詩歌への態度は、その師であるカリマコスと比べて、より伝統的なものだった。彼の詩は統一性や完全性を目指すものだったのである。その意味で、アポロニオスの詩はアリストテレスの基準にこそかなうものだったが、カリマコスのそれには反するものだった。彼は『アルゴナウティカ』の他にも、地方の英雄をヘシオドスのスタイルで書いた詩や、アルキロコス(カリマコスが嫌っていた)に関する研究所をも著した。彼は特に、詩人たちの生涯や時系列、そしてその詩の主題に関心があった。ホメロスの注解者としては、『ゼノドトス駁論』において、ゼノドトス校訂版を吟味しつつ、さまざまな文学的な問題を扱っている。ゼノドトスの校訂版ではなく、ティモンがアラトスに勧めたような旧版を参照していたことからも、アポロニオスの保守性が見て取れる。

カリマコスの他の弟子としては、クレタ人リアノスがいるが、彼はアポロニオスに比べてその師の傾向をよりよく引き継いだ。

2016年3月31日木曜日

エラトステネスの科学と文学批評 Pfeiffer, "Science and Scholarship: Eratosthenes"

  • Rudolf Pfeiffer, "Science and Scholarship: Eratosthenes," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 152-70.
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古典学の歴史に関する古典的名著から、エラトステネスの項を読みました。アテネにおけるアリストテレスの学派からの影響を受けて、アレクサンドリアでも数学や自然科学が盛んになった。彼らはさまざまな事柄に対する「驚き(θαυμάσια)」を愛していた。中でもエラトステネスは、学者であり詩人であると共に、誰よりも科学者と呼ばれるに相応しい、広い分野に渡る関心を持った人物であった。ただし、関心は広いが一流ではなかったと見なされていたために、ベータやペンタスロス(五種目選手)などと揶揄された。著者はこのエラトステネスがカバーした範囲の広さについて、以下のように書いている:
Who is courageous enough to measure himself even as editor against the university of Eratosthenes, philosopher, mathematician, astronomer, chronographer, geographer, grammarian, and poet?
エラトステネスは、彼の前任のアレクサンドリア図書館長であったアポロニオスおよび、彼のあとに図書館長となったアリストファネスらと同様に、プトレマイオス王家の家庭教師としても奉職した。数学者でもあったエラトステネスは、アルキメデスとも親交があった。アルキメデスは一書をエラトステネスに奉げている。

このように、さまざまな分野で活躍したエラトステネスであったが、自身をφιλόλογοςであると考えていたようである(この言葉自体もエラトステネスが作ったものと見なされている)。フィロロゴスとはすなわち、話したり議論したりするのを愛する者ということで、ときに皮肉な意味でも用いられることがあったが、エラトステネスの理解では、ロゴス全体に関わるさまざまな学術に親しんでいる者のことを指す言葉であった。当時の学者の呼び名としては、他にκριτικόςやγραμματικόςなどがあり、特に後者はもともと韻律の専門家という意味から次第に学者一般という意味になっていったが、エラトステネスは自らをフィロロゴスと規定していた。他にフィロロゴスと呼ばれた学者には、アテーナイのアポロドロスやスケプシスのデメトリオスなどがある。また、ペルガモン学派はフィロロゴスと呼ばれることを拒否し、クリティコスと呼ばれることを好んだという。

エラトステネスの著作は多岐にわたる。まず『古代の喜劇について』という古代のアッティカ喜劇に関する学術書がある。これは喜劇の実際のパフォーマンスや、喜劇に関するアテーナイの学術に刺激されて書かれたものと考えられる。こうした喜劇に関する著作では、エラトステネスの科学者としての面はあまり見られない。一方で、『オリュンピオニカイ』や『クロノグラフォイ』といった著作では、オリュンピア紀を基にした科学的な時系列を研究している(オリュンピア紀以前の出来事に関してはスパルタの王のリストを用いたようである)。また彼の最も偉大な業績である『ゲオグラフィカ』全3巻は、言葉自体もエラトステネスが作ったものであり、ポセイドニオスやストラボンに大きな影響を与えた。『カタステリスモイ』という著作では、星座のカタログと、それぞれの星座の起源に関する神話的かつ民俗的な物語とが扱われている。

エラトステネスの文学批評の特徴としては、文学の効用を教育(διδασκαλία)ではなく娯楽(ψυχαγωγία)のみであると規定したことである。彼はホメロスを始めとした詩人を歴史家としても地誌学者としても見なさなかった。詩には必ずしも現実が反映されていないからである。この考え方には、むろん批判や反論もあった。たとえば、エラトステネスとほぼ同時代人であったパリウムのネオプトレモスや、のちにはホラティウスらは、文学には教育も娯楽もあると主張した。

エラトステネス自身も、王に宛てたエピグラムなどの詩を残しているが、それらは彼の先生であったカリマコスのスタイルからの影響を受けているという。すなわち、彼自身は詩を娯楽と言い切ったわけだが、彼の詩のスタイルは、教訓詩を得意としたカリマコス流だったわけである。とはいっても、詩作はあくまで副業であった。

2016年3月18日金曜日

アレクサンドリアの文学批評 Grube, "Alexandria"

  • G.M.A. Grube, "Alexandria," inThe Greek and Roman Critics (London: Methuen, 1965), pp. 103-9.
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本章は、ヘレニズム期のアレクサンドリアにおける文学批評について概観したものである。この時期のギリシア語には、むろん共通語としてシンプルなスタイルを持ったコイネー・ギリシア語もあるが、それ以外にも、華やかでやや冗長なアジアニズムのギリシア語もあった。このアジアニズムは、キケローやクインティリアヌスらによって、しばしばアッティシズムと対比的に語られるが、多くの場合その論調は否定的である。アジアニズムのギリシア語として代表的なのは、前3世紀中頃のマグネシアのヘゲシアスである。

前285年にアレクサンドリアの図書館ができあがると、そこを拠点にギリシア文学批評の文献学者たちが活動するようになった。本章では、ゼノドトス、カリマコス、エラトステネス、ビザンティウムのアリストファネス、そしてアリスタルコスが取り上げられている。ゼノドトスは、アレクサンドリアにおける最初のホメロス校訂者であった。ゼノドトスは、校訂版を作成するに当たって、しばしば主観的な判断から、詩の一部の削除を指定するオベロス記号を写本に記した。しかしながら、彼は削除を指定するだけであって、その箇所を実際に写本から削除はしなかった(それゆえに、現在でもその部分を検討することができる)。彼の姿勢はやや言語によりすぎ、歴史的な観点が抜けているとされているが、自分の頭の中だけで校訂作業をしたわけでないのである。

カリマコスは文学の学者であると同時に詩人でもあった。彼の詩は、当時のアレクサンドリアの文学者たちの考え方の傾向をよく保存している。ギリシア本国からは離れた場所であるアレクサンドリアの文学はギリシア文学としては傍流であるが、それゆえにこそ、当地の作家たちは偉大な古典期の作家たちの功績を明確に意識しており、同時に自分たちの時代はそれには及ばないことも知っていた。ゆえに、アレクサンドリアの文学は、文学史を熟知した博識な詩人が博識な読者に宛てた勉強文学であった。またジャンルに関しても、大規模な叙事詩や悲劇ではなく、小規模な賛歌、エピグラム、牧歌、抒情詩などが中心となった。内容的には、倫理的な教訓ではなく、(高いレベルでの)娯楽に徹したものとなった(むろん、プラクシファネスやネオプトレモスといった反対者たちもいる)。

博識だが、一流ではなかったと評されていたために、ベータとも呼ばれたエラトステネスは、詩の目的とは娯楽を提供することであって、決して教訓を与えることではないと述べていた。それゆえに、詩人は兵法、農業、修辞学などに秀でている必要はなく、また詩の中で正しい知識を述べなければいけないわけではないとした。このエラトステネスの主張は、のちにストラボンによって激しく批判されることになる。

ビザンティウムのアリストファネスは、ギリシア語のアクセントや句読点、そして校訂のための記号などを発明したと言われている。また彼はさまざまな劇作品に短い序文(ヒュポセシス)を付し、その作品のジャンルを決定したが、今もってその判断が踏襲されている。

アレクサンドリアの学者の中でも最も偉大な人物とされるのが、アリスタルコスである。前180年頃にアレクサンドリアの図書館長となったアリスタルコスは、それまでに培われてきた校訂や批評の方法論を発展させたのである。彼の腕前が遺憾なく発揮されているのは、ホメロスのスコリアと注解である。彼の姿勢は、写本にあるテクストをなるべく改変しないようにするという保守的なものであった。また、「ホメロスはホメロス自身によって解釈されるべき」という有名な言い回しからも分かるように、彼はホメロスのある一節を解釈する際に、ホメロス文学コーパス上(『イリアス』と『オデュッセイア』)で同じ用語や言い回しがないか調べ、それを参考に意味を定めていった。それゆえに、一般的に「恐れ」を意味するフォボスという言葉が、ホメロスでは「敗北」を意味することなどを発見した。このことから、同時に彼はハパクス・レゴメナに特に注意を払った。また、ホメロスの物語はホメロス当時の、あるいは彼が描く英雄たちの時代の基準で理解されるべきであって、仮に解釈者にとって奇異な箇所があっても、それを不適切だとして改変すべきではないとした。これは文学批評の歴史の中でも、極めて大きな一歩であった。こうした規範をもとに、アリスタルコスは詩人の解釈の自由度を認めつつ、行き過ぎた歴史性から文学を解放したのである。彼の弟子であるディオニュシオス・トラクスは、その師よりも文法や言語学に注目した。

こうして発展してきたアレクサンドリアの文学批評に対し、ペルガモンでも一味違った文学批評の伝統が築かれていた。アリスタルコスの同時代人であるマロスのクラテスは、ストア派の言語理論をもとに、経験主義的なanomalistの観点から批評を行なった(このときアレクサンドリア学派は教条主義的なanalogistと位置づけられる)。クラテスが一時期ローマで暮らしたことから、ペルガモン学派の考え方はラテン文学に移され、ウァッローなどに影響を与えた。

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