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2020年2月14日金曜日

クムラン・セクトの形成期 Boccaccini, "The Formative Age"

  • Gabriele Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis: The Parting of the Ways between Qumran and Enochic Judaism (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1998), 81-.117


マカベア戦争期に書かれたダニエル書『夢幻の書』は、クムランの図書館でも権威あるものとして扱われていた。両者は共にジャンルとしては黙示文学(apocalypse)であり、同じ世界観である黙示思想(apocalypticism)を共有している。

エノクが登場する『夢幻の書』は反抗的な天使の罪に起因する悪と不浄の拡散についても言及しているので、明らかにエノク派文書だが、歴史的な観点も持っている。それゆえに、マカベア危機は天使の罪にはじまる劣化プロセス(degenerative process)の帰結と見なされている。同書の核心をなす「動物の黙示録」(エノク85:1-90:42)は、モーセのトーラーについて言及せず、無視している。

ダニエル書も同様の劣化(degeneration)の歴史観を持っている。ただし、劣化は歴史全体ではなくある一時代のことだけと考えている。またエノク派的な悪の教義は共有していない。またダニエル書は、モーセのトーラーと第二神殿の正当性を主張している点で、ツァドク派ユダヤ教の教義に同調している(ただし、ツァドク派の祭司制には批判的なので、クムランでも人気があった)。

こうした違いから、ダニエル書はラビ・ユダヤ教で正典とされ、『夢幻の書』のようなエノク派文学はそうされなかった。またここからダニエル書は黙示的(apocalyptic)でないと見なされることもある。確かに、P. Sacchiのように「黙示的」を「エノク派的」と捉えるならば、ダニエル書はエノク派でないがゆえに「非黙示的(nonapocalyptic)」あるいは「反黙示的(antiapocalyptic)」になってしまう。しかし、J.J. Collinsによると、「黙示思想(apocalypticism)」は単一の派閥ではなく世界観なので、エノク派にもツァドク派にも、さらにはキリスト教徒にも影響を与えたと言える。

『ヨベル書』(4:17-19)は、『寝ずの番人の書』『天文の書』『夢幻の書』に暗示的に言及しているので、マカベア危機のあとに書かれたものである。一方で、『ダマスコ文書』(16:2-4)で引用されているので、前党派的テクストである。思想的には、エノク派ユダヤ教の悪の概念、人間の歴史が反抗的な悪魔的力の影響下にあるという考え、劣化の歴史観を共有している。社会学的にも、ツァドク派ユダヤ教とは異なる祭司制を唱えている点で、エノク派的である。

ただし、以下の2点において、通常のエノク派文書とは異なる。第一に、ツァドク派伝統の主役であるモーセに与えられた書という自己認識がある点である。どのようにエノク派的伝統とツァドク派的伝統を混ぜ合わせるかというと、『ヨベル書』は、人間の行いがすべて書かれた天の書字板があるとする。そして、ノア、アブラハム、ヤコブ、そしてモーセなど、エノク以降の啓示者たちは皆その書字板を見ることで、神の啓示を受け取っていたと説明するのである。それゆえに、父祖たちがのちにモーセに顕かにされた律法を知っていたとしても、それはラビ・ユダヤ教が説明するように律法が先在していたからではなく、彼らが天の書字版へのアクセスを持っていたからだということになる。また完全な啓示はその天の書字版にしかないので、ツァドク派のトーラーはあくまでもその不完全なコピーのひとつにすぎない。そういう意味で、『ヨベル書』はエノク派的伝統とツァドク派的伝統を調和させてはいるが、前者が後者に優越していると見なしている。こうしてツァドク派のトーラーはツァドクの家だけのものではなくなった。

第二に、神の予定論に基づく独特の選びの教義である。『夢幻の書』においては、悪や不浄はユダヤ人も含め、すべての人類に影響するし、逆に救済は非ユダヤ人も含め、すべての人類にもたらされるものとされていた。ここでは「選び」はあいまいである。ところが、『ヨベル書』においては、ユダヤ民族ははっきりと特権的に選ばれた者たちとして描かれている。エノク派的な悪の概念とユダヤ民族の選びを調和させるために、『ヨベル書』はまず神の予定論を強調する。ユダヤ民族は最初から神に選ばれた聖なる民族であった。堕天使は天国と地上の領域を侵犯したことで創造の秩序を汚染したが、ユダヤ民族は選ばれたことで、そうした不浄の世界から切り離されたのである。しかし、ユダヤ民族は常に安全なのではなく、不浄をもたらす倫理的な罪を犯せば、その特権は失われる。このように、『ヨベル書』は浄と不浄、聖と冒涜に取り付かれている。

『ヨベル書』は他にも、太陰暦に対するはっきりとした論争をユダヤ思想の中で初めて表している。『天文の書』でも太陽暦が好まれているが、太陰暦を批判しているわけではなかった。太陽暦はツァドク派とエノク派が共有する第二神殿時代の伝統的な祭司的暦であるが、太陰暦はマカベア危機の時代にギリシアから導入されたヘレニズム的暦である。太陽暦の回復は、選ばれた民を悪の諸民族から切り離すために、『ヨベル書』にとって急務だった。

『神殿の巻物』をY. Yadinは党派的文書と説明したが、多くの現代の研究者は前党派的文書と見ている。『神殿の巻物』は、『ヨベル書』のように、ツァドク派のトーラーと並行するモーセ的啓示として、エルサレム祭司制に反対する祭司グループによって書かれた。共に太陽暦を用いている。しかし、『神殿の巻物』は『ヨベル書』よりも厳格な清浄規定を持っている。神殿の不浄規定と都市としてのエルサレムの不浄規定には差があるのが普通だが、『神殿の巻物』はエルサレムにも神殿並みの清浄さを要求する。ただし、『神殿の巻物』は党派的な分離を目指しているのではなく、イスラエル全体が等しく清浄であることを求めている。

『エノク書簡』(『エノク書』91-105章)の成立は複雑だが、前2世紀にクムラン共同体は、「週の黙示録」(93:1-10; 91:11-92:1)を含むプロト『エノク書簡』とでもいうべきものを持っていたはずである。成立時代にはさまざまな議論があるが、おそらくマカベア以降と考えられる。この文書は、エノクが息子たちに送った3つの語りでできている。このうちの第二の語りが「週の黙示録」に当たる。

そこにおいて『ヨベル書』や『神殿の巻物』の伝統と大きく異なるのは、多数派が忘れた知恵を受け継ぐことになる小数の選ばれたグループという考え方である。彼らは完全にイスラエルから分離したわけではないが、いわば選ばれた者たちのうちからさらに選ばれた者たちである。彼らの時代には、第一に、イスラエルが回復して新しい神殿が建設され、第二に、人類が回復し、第三に、最後の審判と共に原始の時代に戻り、新たなる創造がなされる。

イスラエルの民への忠誠心を裏切ることなく、エノク派は、神の意思と真の解釈と彼らが考えることを実行するために、イスラエルの改心を待つ必要はなくなった。選ばれた者たちからさらに選ばれた者たちとして、ユダヤ教の内部で分離したアイデンティティを持った。

『ハラハー書簡』は、分離したグループ(われわれグループ)が権威を持つ者(あなたグループ)に対し、多数派(彼らグループ)からの分離の理由を説明する文書である。律法解釈については、『神殿の巻物』のそれと比較可能である。『ハラハー書簡』によれば、ユダヤ民族はいまだ捕囚の状態にあり、現在は新しい創造へと導く最後の出来事の始まりであるという。L.H. Schiffmanは、『ハラハー書簡』にはのちのラビ・ユダヤ教がサドカイ派に帰するハラハー理解があるが、それはツァドク派ユダヤ教とエノク派ユダヤ教が共に祭司的なルーツを持つからである。「われわれグループ」が多数派である「彼らグループ」から分離したのは、自ら課した分離であって、孤立ではない。「われわれグループ」はいまだに自分たちをイスラエルの一部と考えている。これらはクムラン・グループそのものではなく、クムランの親グループである。

2019年10月26日土曜日

「たとえの書」とクムラン党派テクスト Dimant, "The Book of Parables and the Qumran Community Worldview"

  • Devorah Dimant, "The Book of Parables (1 Enoch 37-71) and the Qumran Community Worldview," in eadem, From Enoch to Tobit: Collected Studies in Ancient Jewish Literature (Forschungen zum Alten Testament 114; Tübingen: Mohr Siebeck, 2017), 139-55.

「たとえの書」は唯一クムランから出てきていないエノク文書である。同書はメシア的存在に関する描写や「人の子」表現など、他のエノク文書と異なっている。これらは福音書のイエスの表現に近いので、初期キリスト教の研究者からの注目を引いてきた。Jozef Milikは「たとえの書」がキリスト教由来であると主張したが、それは研究者たちからは受け入れられず、今日では一般にユダヤ教由来であると見なされている。またもともとセム語で書かれていたことも明らかである。Nathaniel SchmidtやEdward Ullendorffらは、セム語原典が直接エチオピア語に訳されたと主張するが、多くの研究者はセム語原典からギリシア語に訳され、それからエチオピア語に訳されたと考えている。

「たとえの書」がユダヤ教由来であるとすると、それはイエスが「人の子」と見なされるようになる前に書かれたと考えるのが自然である。「人の子」概念がすでにキリスト教化されていたら、ユダヤ教作家はそうした表現を避けたはずだからである。同時に、エルサレム神殿の崩壊にまったく言及していないことから、同書はそれより前に書かれたとも考えられる。それゆえに、後1世紀の前半に書かれたと考えるのが適当である。さらに、56:5-7におけるパルティア人の侵攻と67:5-13のヘロデ王の湯治に関する記述にも基づくと、「たとえの書」は紀元後すぐか少しあとに書かれたといえる。ユダヤ教黙示文学やエノク諸書との近さから、同書はイスラエルの地で書かれた。

Jonas Greenfieldは、「たとえの書」が太陽と月を同価値と見なしていることや、太陽暦との不調和から、同書とクムラン共同体との関係の可能性を除外した。しかし、死海文書研究が進み、クムランの暦がさらに出版されると、クムラン共同体が月の重要性も認め、1年を364日とする太陰太陽暦にも従っていることが明らかになった(Jonathan Ben-Dov)。それゆえに、「たとえの書」とクムラン共同体との関係性を否定する必要はない。

「たとえの書」がクムランから発見されないことの理由は、共同体の文学活動の最盛期が前2世紀から前1世紀であるため、後1世紀に書かれた同書が筆写されなかったのだろうと考えられる。しかしながら、「たとえの書」の著者が党派的な世界観や文学に精通していたことははっきりしている。それはたとえば、「たとえの書」に頻出する「諸霊の神(エル・ハルホット)」という表現と、「すべての霊の主(アドーン・レコール・ルーアハ)」(感謝の詩篇)や「諸霊(ルホット)」という表現の類似から見て取れる。メシアたる「人の子」という像も「たとえの書」の独創ではなく、第二神殿時代のユダヤ文学に根ざしたものである(「ベラホット」、「メルキツェデク・ペシェル」、「メシア的黙示」など)。

論文著者は、こうした成果を受けて、さらに「たとえの書」と死海文書を詳細に比較する。たとえば、エノクの祈り(39:10-13)を他のエノク文書や、『ダマスコ文書』、『感謝の詩篇』などの定式と比較する。すると、エノクの祈りでは、神の全知全能が空間的なものでなく、時間的なものとして描かれていることが分かる。またエノクの祈りでは神の予定説的な計画ははっきりとは表現されていないが、その概念は神の根源的かつ包括的な知識という観念にすでに埋め込まれている。

また神への賛美の祈りは、寝ずの番人たる天使によって述べられるケドゥシャーの祈りで締めくくられる。エノクのケドゥシャーはイザ6:3の「聖なる、聖なる、聖なるかな」の呼びかけを含むが、のちにヨツェルの祝祷やアミダーの祈りに組み込まれるユダヤ祈祷の一部分であるエゼ3:12による応答は欠いている。またヨツェルの祝祷にある朝の光とのつながりはなく、アミダーの祈りにおける日課にもなっていない。それゆえに、エノクの祈りは「たとえの書」が書かれたときのユダヤ祈祷にケドゥシャーが使われていたことの証拠を提供するわけではない。とはいえ、エノクの祈りと党派的な祈りの形式は第二神殿時代の共通の伝承の反映であって、前者の後者への依拠を示さない。しかし、類似点は確かに見受けられる。

義人の未来(58:2-6)についての記述は、永遠の生、永遠の光の中での存在、神の前での義といった要素を含む。義人への報いとしての永遠の生の概念は、ダニ12:2や『共同体の規則』などにも見られるこの時代の一般的なものである。義人には未来における至福が待っているという概念も、ダニエル書や『ソロモンの知恵』などに見られる。ただし、「たとえの書」は光に対して闇の存在を対置させているところに特徴がある。悪と善の時代、闇と光における実現といった対比がはっきりと打ち出されている。乾いた土地に朝の光が昇り、闇を取り去るという類比も多用されている。また「真実(エメト)」こそが光の子らを特徴付けるというのも、クムラン共同体と似た点である。

「たとえの書」にはクムランの用語はまったく見られないが、さまざまな点で近い関係にあることが明らかになった。それゆえに、「たとえの書」はクムラン共同体とは異なるが近いサークルによって作られたものと見なすべきである。

2017年10月3日火曜日

クムラン共同体の宗教思想 Vermes, "The Religious Ideas of the Community"

  • Geza Vermes, The Complete Dead Sea Scrolls in English (Fiftieth anniversary edition; London: Penguin Books, 2011), pp. 67-90.
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ユダヤ教の信仰や習慣というのは、クムランも含めてシステマティックなものではないので、キリスト教的なドグマをモデルにすると歪んでしまう。それでもユダヤ教において重要なキータームとしては「契約」を挙げることができる。聖書物語というのは、神との契約への継続的な不信仰の物語といえる。イザヤ書やエレミヤ書では、何度悔い改めても契約が守られないので、新しい契約という考え方が示されている。クムランにおいてもこの考え方が踏襲されている。すなわち、改宗の報いとして、義の教師が新しい契約を定めるために送られてきたのであり、義の教師を迎えた共同体のみが新しいイスラエルとなるのである。

第二神殿時代のユダヤ教はさまざまな党派に分かれていたが、律法の遵守を重要視するという点では一致している。というよりも、それぞれの党派は自らの考え方を律法に基づいて正当化しようとする。クムラン共同体に独特な律法解釈としては結婚に関する考え方がある。レビ記18:13において叔母と甥の結婚が禁止されているが、では叔父と姪はどうなのかというと、パリサイ派やラビ・ユダヤ教はこれを許す。なぜなら聖書はこの組み合わせについては沈黙しているからである。しかしながら、クムラン共同体は男性に適用される法は女性にも適用されると考えるために、叔父と姪の結婚は許されない(CD 5.8-11、11QT 66.16-17)。クムラン共同体は律法のみならず預言書もまた重要視している。これは、彼らが終末論的世界観の中で、共同体の賢者のみが預言書を正しく解釈できると信じていたからである。義の教師は、預言者自身も分かっていない預言の内容を正しく解き明かす。

選民思想についても、クムラン共同体は独特の考え方を持っていた。ユダヤ教においては基本的にすべてのユダヤ人が選ばれているとされるが、後代になると善人は選ばれるが悪人は選ばれないと考えるようになった(『パレスチナ・タルムード』「キドゥシン」61c)。これに対しクムランでは、第一の特徴として、個人の選びがある。すなわち、ユダヤ人であれば自動的に選民となるのではなく、大人になる過程で契約に入るプロセスを経て初めて選ばれるのである。第二の特徴は予定説である。すなわち、選ばれるかどうかは最初から決まっているのである。そして第三の特徴としては、善人と悪人との区別がある。

クムラン共同体における祭儀は、独特の暦に基づいている。ユダヤ教の多くの党派では一年を354日とする太陰暦が用いられ、アダル月のあとに閏月を入れていたが、クムランでは一年を364日とする太陽暦が用いられていた。太陽暦を用いることで、必ず同じ曜日に同じ祭りが開催されることになるのである。クムラン共同体が特別な暦を採用したことで、彼らは他の集団とは別の時期に祭りを祝うことになる。これはあえてそうすることで自分たちのアイデンティティを確立することができる。

クムラン共同体は、儀礼的な沐浴、神殿祭儀、そして共食についてしばしば言及する。沐浴は清浄規定と関わる。彼らは、体の外側だけではなく内側もまた清浄な者のみが沐浴をすることを許した(1QS 5.13-14)。神殿祭儀については、むろんエルサレムの神殿ではなく、クムラン共同体という新しい神殿での祭儀が真正だと考えられた。共同体を神殿と同一視する考え方がしばしば見られる(1QpHab 12.3-4)。一般的に、性行為をした者は神殿祭儀に参加することを禁じられたが、共同体でもこの決まりは守られた。共食について、最後の食事は終末のプロトタイプだと考えられた。

クムラン共同体は、特異なメシアニズムを持っていた。ユダヤ教一般と同様に、一人のメシアを語ることもあるが、一方で二人のメシア、そして時には三人のメシアについても語っている。第一のメシアは「王としてのメシア」であり、「ダビデの若枝」、「イスラエルのメシア」、「全会衆の王子」、そして「王笏」などとも呼ばれる。第二のメシアは「祭司としてのメシア」であり、「アロンのメシア」、「祭司」、「律法の解釈者」などと呼ばれる。この祭司としてのメシアは、栄光の前に恥辱を味わうというイメージがある。そして第三のメシアが「預言者としてのメシア」である。クムラン共同体では、この預言者こそがすでに到来している義の教師であると考えた。

死後の世界についてもクムラン共同体は特異な解釈を持っている。聖書時代の死後の世界は、善人も悪人も行く「シェオル」という冥界が少し出てくるくらいだった。すなわち、神が人と関わるのは、人が生きているときだけだった。しかし捕囚後になると、アンティオコス・エピファネスの迫害などで殉教した者たちについて、自発的に神のために死んだ報いとして「復活」の考え方が出てきた。さらには「不死」の考え方も『知恵の書』などで言及されるようになった。ヨセフスによると、エッセネ派は、牢獄としての肉体から魂として永遠の生へと至るという、ヘレニズム的な「不死」の概念を持っていたが、「復活」には言及していない。これと同様に、クムランでも義人の報いとしての「不死」の概念は出てくるが、「復活」はほとんど出てこない(唯一の例外が4Q521)。