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2015年9月24日木曜日

柳沼「ヒストリアはいつから歴史になったか」

  • 柳沼重剛「ヒストリアはいつから歴史になったか」『語学者の散歩道』岩波現代文庫、2008(1991)年、94-107頁。
語学者の散歩道 (岩波現代文庫)語学者の散歩道 (岩波現代文庫)
柳沼 重剛

岩波書店 2008-06-17
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今学期は大学でヘロドトス『歴史』とヨセフス『アピオーンへの反論』の講読の授業に出ているので、「ヒストリア」について書かれたエッセイを読んだ。本書に収められた文章は皆、書き流したようなエッセイ風の筆致だが、さすがに碩学の文章は説得力があり、なおかつ滋味に富んでいる。

ギリシア語の「ヒストリア」は、もともとは現在の「歴史」という意味では使われていなかった。ヘロドトス『歴史』の冒頭では、「歴史」に当たりそうな語である「人間界の出来事」は「タ・ゲノメナ」であり、「ヒストリア」は「研究調査」という意味である。他の作家の用法でも同様で、プラトン、アリストテレスのほとんど、イソクラテスなども皆、「研究」「調査」「探求」を意味している。

ただし、アリストテレス『詩学』に出てくる2箇所は、しばしば「歴史」という意味で読まれてきた。第9章(1451b4以下)では、ヒストリアを書く人と詩人とが対比され、前者は個々の「実際に起こったこと(タ・ゲノメナ)」を書くが、後者は普遍的な「起こるであろうこと」を書くとしている。つまりアリストテレスは、ここでヒストリアという語を、「普遍的でない実際に起こったこと」を書くこととしているので、むしろ「歴史」というよりは「年代記」という例外的な意味合いで使っているように思われるという。

ヒストリアがまぎれもなく「歴史」という意味で使われたのはいつか。前1世紀のディオドロスやハリカルナッソスのディオニュシオスらの用法はすでに「歴史」の意味である。前2世紀のポリュビオスは、多くは「歴史」だが、やはり「研究」の意味でも用いている。そうしたことから、著者は次のように仮説を立てる:
本来「探究」を意味し、探究のために「問うこと」を意味し、さらにその結果得られる「知識」を意味していたヒストリアという語が、アリストテレスの頃から次第に「歴史上の出来事に関する探究や知識」をおもに意味するようになり、この「歴史」と「探究あるいは知識」との間でしばらく綱引きが行われていたが、前一世紀になってようやく、単なる知識ではなくて「歴史の知識」「歴史を書くこと」へと全面的に変わった。これが私の仮説である。(101頁)
また著者はヘロドトスの重要性にも着目している。ヘロドトス以前の歴史家の用法は、神々の系譜や地誌に関する探究を意味していたが、ヘロドトスは(おそらく初めて)それを「人間界の出来事」を対象とした探究という意味で用いたのである。
つまりヘロドトスによって、ヒストリアが歴史の領分に踏み込んだということだが、同時に、彼が「タ・ゲノメナ」を研究調査する時、その調査は、系譜や地誌の研究をする伝統的なヒストリアの延長線上にあったということでもある。(102-3頁)
なおかつ、ヘロドトスの「探究」のソースには信頼性の高さの度合いがあるという。最も確かなのは、「自分の目で見たこと」であり、二番目が、「見ただけでは納得いかないが、こちらから尋ねて得た答え」であり、そして三番目が、「自分から聞いたわけではなく、おのずと聞こえてきたこと」である。そしてこのうち二番目の「尋ねる」というときに彼が使っている言葉がヒストレインなのである。いうなれば、ヒストリアとは、自分で現場へ出かけて行って、自分の目で確かめようのないことに関して、しかるべき相手に問うて答えを得ることだということである。

一方で、興味深いことに、プラトンが「探究」という語を使うときのギリシア語は、必ず「ゼーテイン/ゼーテーシス」という言葉だった。これはヘロドトスやアリストテレスとは異なっている。著者によれば、前者が「~とは何か」「何が~なのか」という探究であったのに対し、後者は「いかに」「どうして」という探究であったのだと説明している。

また、「人間界の出来事」にヒストリアを拡大したヘロドトスの後に出てきたトゥキュディデスは、明らかにへロドトスを意識しつつも、ヒストリアという語を一度も用いなかった。つまり、彼はヘロドトス型のヒストリアではないかたちでの「人間界の出来事」の探究をしたかったのだと思われる。しかし、後代になって、「タ・ゲノメナ」を語ることが「ヒストリア」と呼ばれるようになって、両方とも「歴史」と見なされるようになったのだと思われる。

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