- George A. Kennedy, A New History of Classical Rhetoric & Its Christian and Secular Tradition from Ancient to Modern Times (2nd ed.; Chapel Hill: The University of North Carolina Press, 1999).
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本書は、古典的な修辞学が古代から現代にかけてどのように発展したかを検証したものである。著者によると、修辞とは、特定の目的を遂げるために書いたり話したりすることで説得を試みるようなコミュニケーションのことであるという。そして修辞には、一次的(primary)なものと二次的(secondary)なものがある。一次的な修辞とは、口頭のもので、前5世紀にギリシアの修辞学の中で最初に出来上がったものであり、一方で二次的な修辞とは、より広く、文学、芸術、言説といった非口頭的な修辞のためのテクニックのことである。
一次的な修辞の発展は、前4世紀になると、ギリシアでソクラテス、プラトン、アリストテレスらの哲学によってなされた。これらの哲学の中にある「弁証法的な論法(dialectic reasoning)」は法廷においても活用されるようになった。アリストテレスの考えでは、修辞学はある人が無実の罪で牢屋に入れられそうなときなどに役立つという。また彼は、話し方、様式、配置などの具体的な修辞法についても議論している。
ローマ時代になると、キケロー『発明について』やクインティリアヌス『弁論家の教育』などは修辞学の教科書として使われた。いずれも、修辞学は人々の共通の善に使えるべきものだとしている。クインティリアヌスはイソクラテスからの影響を大きく受けており、修辞学的技法を洗練され得るものであるとし、また状況を支配するために使うものだと考えた。彼もまたアリストテレスのように、修辞学における話し方と様式に関心を持ち、体の動かし方、顔、腕、手、足などをいかに使うかをアドバイスしている。一方でキケローは、ソフィストの哲学の伝統と技巧的な修辞学のそれとを合成しようとした。話者は哲学に通じた上で、人々を楽しませつつ、異なった価値観へと聞き手を連れていくのである。
一次的な修辞の発展は、前4世紀になると、ギリシアでソクラテス、プラトン、アリストテレスらの哲学によってなされた。これらの哲学の中にある「弁証法的な論法(dialectic reasoning)」は法廷においても活用されるようになった。アリストテレスの考えでは、修辞学はある人が無実の罪で牢屋に入れられそうなときなどに役立つという。また彼は、話し方、様式、配置などの具体的な修辞法についても議論している。
ローマ時代になると、キケロー『発明について』やクインティリアヌス『弁論家の教育』などは修辞学の教科書として使われた。いずれも、修辞学は人々の共通の善に使えるべきものだとしている。クインティリアヌスはイソクラテスからの影響を大きく受けており、修辞学的技法を洗練され得るものであるとし、また状況を支配するために使うものだと考えた。彼もまたアリストテレスのように、修辞学における話し方と様式に関心を持ち、体の動かし方、顔、腕、手、足などをいかに使うかをアドバイスしている。一方でキケローは、ソフィストの哲学の伝統と技巧的な修辞学のそれとを合成しようとした。話者は哲学に通じた上で、人々を楽しませつつ、異なった価値観へと聞き手を連れていくのである。
キリスト教時代の修辞は、聖書的なものと非聖書的なものとに分かれる。前者としては、旧約聖書の預言、説教、そして律法における修辞や、新約聖書の使徒行伝の使徒たちの修辞が挙げられる。後者としては、アウグスティヌスに対する護教家たちの説教などがある。上で見たギリシアとローマの修辞が、教父時代にキリスト教説教の中でいっしょになるのであった。異教の修辞とキリスト教の修辞との違いは、キリスト教においてはしるしや奇跡によって神の啓示が明かされたと信じていることである。キリスト教の説教には4種類あり、それぞれ宣教、預言、説教、称賛とされている。
オリゲネスは解釈の三つのレベルとして、論理的(logical)、倫理的(ethical)、感情的(emotional)と区分けしたが、これはアリストテレスの論理的(logos)、精神的(ethos)、感情的(pathos)に由来する。ただしオリゲネスは、神からの啓示は聖書のもともとの内容を変える可能性があると考えている。すなわち、オリゲネスは皮肉にも、聖書を解釈する際にはコンテクストから離れてはいけないという反面教師になったのである。
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