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2020年11月15日日曜日

聖書の校訂記号 Stein, "Kritische Zeichen"

  • Markus Stein, "Kritische Zeichen," in Reallexikon für Antike und Christentum 22 (Stuttgart: Anton Hiersemann, 2008), 133-63.

校訂記号とは、古代の編集者や釈義家たちによって単独あるいは組み合わせて用いられた線、点、文字のことで、通常は左の欄外の行の前に置かれた。記号は読者にテクストの本質やその理解、確かな特徴、内容の質などに関するヒントを与えるためのものだった。古代の文献学におけるδιόρθωσις, κρίσιςなどの領域で用いられた。

著者はこうした記号の非キリスト教的用法とキリスト教的用法を共に紹介する。そもそも校訂記号はキリスト教成立以前である前3世紀初頭に、アレクサンドリア文献学のホメロス解釈の伝統の中で生まれてきた。アレクサンドリア図書館の最初の館長エフェソスのゼノドトスはオベロス記号を発明し、彼が本物かどうか疑っている箇所に付した。疑わしい箇所を単に取り除くのではなくオベロス記号を付すことで、読者が自分で決定する可能性を奪うことなく校訂者が自分の決定を明らかにできる。続いてアリストファネスとアリスタルコスが新しい記号を発明し、校訂システムを修正・拡大した。ゼノドトスとアリストファネスは欄外の印をつけただけだったが、アリスタルコスは別個の注解に自分の見解を書き残した。アリスタルコスにとって校訂記号は、本文と注解を繋ぐものだった。

オベロス記号(−)は、真正性が疑われるテクストの目印のためにゼノドトスが開発した。アステリスコス記号(※)は、繰り返されている部分を示すためにアリストファネスが作った。アステリスコス記号はそのときどきの文脈で適切と思われる箇所にも使われ、一方で適切でない箇所にはオベロス付アステリスコス記号(※−)が付された。アステリスコス記号は他にも、Venetus Aにおいて神々や王たちに関する比喩や発言などの内容を特徴付けたり、叙情詩においては詩の終わりや始まりや、韻律の変化などを示したり、ヘルクラネウムのパピルスでは段落を終わりを指したり、プラトンのテクストではその教えの内的な一致を証明したりするためにも用いられた。

シグマ記号(Ϲ)は同じ内容を持つもともと連続する一節に、アンチシグマ記号(Ͻ)は節が置き換えられているところに、付点アンチシグマ記号(Ͽ)は疑わしい一節に付された。とはいえアリスタルコスをはじめ多くの場合、これらの記号について一貫した方法論は確立されていなかったようである。ホメロスや叙情詩の写本ではアンチシグマ記号は欄外に示された異読や本文に関するコメントを導入するために使われることが多く、節の置き換えを示すためにはめったに使われない。アンチシグマ記号と付点アンチシグマ記号の区別も明確でない。

ディプレー記号(>)はアリスタルコスが自身のホメロス注解で言語的・内容的なタイプをさまざまに解説するヒントとして役立った。とはいえ叙情詩や劇のテクストでは韻律の変化や段落の冒頭などを示すためにも用いられた。オベロス付ディプレー記号(>−)はテクストの内容の区分を示した。プラトンのテクストではディプレー記号がつくことで、それがプラトンの教説であることが分かるようになっている。付点ディプレー記号(>:)は、ゼノドトスが取り除くべきと判断したがアリスタリコスは別の判断を下した箇所に付された。また付点オベロス記号(÷)は先行者の恣意的な削除の批判を意味した。

めったに使われない記号としてケラウニオン記号がある。これはアリストファネスによる登場人物の倫理的評価を示すものではないかと考えられている。少なくともテクストの質や構造ではなく、物語の内容に関する記号と思われる。キー記号および付点キー記号は、ホメロス文献について口頭や注解で与えられる言語的・内容的なタイプの説明のためにアリストファネスが用いたが、のちの時代には完全に失われた。ホメロスのテクスト以外でも、さまざまな注解メモへの参照表示として用いられることがあった。プラトンのテクストでは、プラトンのスタイルの真正性をキー記号が、スタイル上の彩りを付点キー記号が示した。

パラグラフォス記号コローニス記号は、詩や散文での段落を表し、とりわけ対話篇では話者の交代を示した。コローニス記号はより強い境界区分のために用いられた。斜線は、間違い、脱落、変化、補足、段落分けなどのヒントになり、付点斜線は斜線に比べてめったに出てこないが、本文と注解の間の参照表示として役立つ。アンコラ記号は抜かされた一節を指摘し、ページの欄外で情報を捕捉することもあった。他にも、アロゴス(文章が壊れて回復不能な部分を示す)や句読点、また組み合わせである文字クレーシモン(読者に読む価値のあるところを示す)、ホーライオン(法的文書において注意を喚起する記号)、ゼーテイ(テクストの質への問いを指す記号)、グラフェタイ(別の写本での異読を指す記号)などがある。

ユダヤ的用法では、削除記号としてアンチシグマ記号とシグマ記号が使われている。これらは間違って配列された一節や欄外に付加された一節を指した。アンチシグマ記号はのちに「逆転のヌン」と間違われた。パラグラフォス記号は大イザヤ写本などの段落の冒頭に置かれている。

キリスト教的用法も、異教のそれと同様にテクストの解明と保全が出発点である。オリゲネスのヘクサプラの目的は、七十人訳や諸訳を比較することで可能な限り確実なテクストを手に入れるという文献学的意図によるものとされているが、ユダヤ・キリスト教双方が受入可能なテクストを作り論争に役立てるという護教的意図によるものでもあった。オリゲネスは七十人訳がヘブライ語テクストに対して余剰を示すときにオベロス記号をつけ、一方で七十人訳で単語が文章が欠けているときにはその部分を別の訳で埋めた上でアステリスコス記号を付し、両者の量的違いを表した。オリゲネスは記号の使用に関して異教の文献学に依拠したことを認めている(Ep. 1.7)。テクストに直接干渉せずに自分の批判的見解を明らかにできるこの方法はオリゲネスの意図にかなっていた。オリゲネスのオベロス記号は写本によって変化するが(−, ~, ÷, ⨪)、機能は同じである。

エピファニオスはおそらくヘクサプラそのものを見たことはないが、記号について報告している。エピファニオスによると、アステリスコス記号とは、繰り返しを避けるために七十人訳者によって言語的・スタイル的観点から抜き取られた言葉を指すという。彼はこれを星のイメージを使って説明している。一方でオベロス記号とは、七十人訳者がギリシア語文としてより明晰にするために付加した箇所を指す(そこに神の霊感が現れる)。エピファニオスは普段はオリゲネスの激しい敵だったが、これらの記号の使用については賞賛している。

エピファニオスは、オベロス記号やアステリスコス記号が付された箇所の終わりの印としてメトベロス記号ついても説明している。また七十人訳においてヘブライ語テクストや諸訳と異なる順序で言葉が並べられているとき、オベロス付アステリスコス記号が付されるという。エピファニオス(とエルサレムのヘシュキオス)はさらにレムニスコス記号(÷)とヒュポレムニスコス記号(⨪)をオリゲネスに帰している。エピファニオスによれば、レムニスコス記号は、聖書を互いに独立して訳した36の翻訳ペアのうち2つが大多数とは異なる表現を選んだところに付けられる(÷の真中の線が行を、また2つの点が二人の翻訳ペアを示す)。ヒュポレムニスコス記号はひとつのペアだけが異なるときに使われる。この報告はエピファニオスのでっち上げであるという解釈が支配的だが、Fieldらはこれが正しい可能性を排除しない立場を取る。実際はこれらの記号はオリゲネスには由来しない。

10世紀のCodex Patmiacus 270には、ポントスのエウァグリオスの著作に対するスコリアがあり、その冒頭には記号についての説明に3章が割かれている。第1章ではオベロス記号とアステリスコス記号について、ヘブライ語テクストに対する量的な違いの観点から説明される。さらにテクストの順序の相違を表すために両記号が一緒に用いられることも指摘される。第2章のその例を挙げる。第3章は写本の欄外にあった4種の書き込みについて説明される。第一は、エウァグリオスのスコリア。第二は、オリゲネスのスコリア。第三は、七十人訳と諸訳の異読を扱うスコリア。第四は、七十人訳テクストで欠けている言葉や異読。

オベロス記号とアステリスコス記号はヘクサプラ版七十人訳写本の外でも使われることがある。たとえばルキアノス改訂版写本である。ここではオベロス記号はルキアノスによる付加を表す可能性があるが、記号の付け方はしばしば完全に恣意的になっているので確証はない。たとえばアステリスコス記号の代わりにオベロス記号が付けられたり、逆のことが起こったりしている。

ヒエロニュムスは聖書テクストに関する著作の中で、しばしばオリゲネスの記号について言及している。さらにはこれらの記号を同じように自分の聖書翻訳(七十人訳に基づく)でも利用している。エピファニオス同様に、記号の説明に星の比喩も使っている。これに対し、アウグスティヌスはヒエロニュムスの方法を理解せず、記号が示すのは非ヘクサプラ版の七十人訳テクストに対し、ヘクサプラ版七十人訳に基づくヒエロニュムスのラテン語訳(ヨブ記)の違いだと考えた(Ep. 28.2)。ヒエロニュムスはこのアウグスティヌスの誤解を正している(Ep. 112.19.1)。中世になると、オベロス記号とアステリスコス記号はガリア詩篇の写本において、ヘブライ語詩篇との相違を表すためにも用いられるようになった。

以上のような文献学的な問題だけでなく、神学的・釈義的ヒントとして記号が使われることもあった。エピファニオスは、聖書の預言書において預言が成立する10種の条件を示す記号や、そのときどきの預言のテーマを読者に示す記号を説明している。またカッシオドルスは、教父の著作中の異端的思想にアルケーシモン記号を、また正統的思想にクレーシモン記号を付した。カッシオドルスはこの方法を他の修道士たちにも薦めつつ、自身の『詩篇注解』などでも一貫して使用している。こうした著作の冒頭では13種の記号のリストが与えられており、その意味や先行者が説明されている。ときに、すでに知られていた記号に新しい意味が与えられる場合もあった。たとえばアステリスコス記号は注解の中で天文学的なテーマが扱われている箇所を示すために用いられた。カッシオドルスのこうした努力は、教義学、倫理学、文法学を用いて聖書を注解するためのみならず、神学的学問や世俗的学問においてテクストを通して聖書を覚えていくような教科書を作ろうとしたためだった。

ナジアンゾスのグレゴリオスの説教へのスコリアと共に、一連の写本には欄外の記号がある。この記号はおそらく6世紀前半のスコリア作者に由来するものと考えられる。このスコリアはグレゴリオスの説教の教義上の内容説明やそうした箇所へのヒントを通して、異端者による利用から守るためのものだった。たとえばグレゴリオスが神について取り扱っているところにはヘーリアコン・セーメイオン記号が付された。アステリスコス記号は新しい意味を得て、キリストの受肉やそれと結びついた救済計画について論じていることを示した。組み合わせ文字のホーライオン記号はスタイル的・思想的に優れた箇所を、セーメイオーサイ記号は読者に内容的にも言語的にも何か奇妙なところを指す。オベロス記号は、テクスト削除という伝統的な用法を応用し、削除されるべき異端者の意見に付された。ディプレー記号は聖書からの引用を意味した。

他にも、ギリシア語やコプト語やシリア語の聖書写本およびパピルスでの用法についても触れられている。

2019年3月14日木曜日

ヒエロニュムスとギリシア異教文化 Courcelle, "Christian Hellenism: St. Jerome #2: Jerome and Greek Pagan Culture"

  • Pierre Courcelle, Late Latin Writers and Their Greek Sources (trans. Harry E. Wedeck; Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1969), 58-89.

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ヒエロニュムスはギリシア文学を翻訳で読んだことを隠していない。特にキケローの翻訳で、彼はプラトン『プロタゴラス』、クセノフォン『オイコノミコス』、デモステネスとアイスキネスの互いへの弁論などを読んだ。

ヒエロニュムスは頻繁にギリシア詩人に言及するがあまり引用はしない。ホメロスについては、必ずしも原典を直接読んだとは限らず、キケロー『老年について』やルクレティウスのラテン語訳などを通して読んでいた。ヘシオドスはアレクサンドリアのクレメンスを通して読んだ。シモニデス、ピンダロス、アルカイオス、ステシコロス、ソフォクレスらについてはその評判しか知らなかった。アラトス、エピメニデス、メナンドロスらについては新約聖書で引用されている箇所にしか触れていない。エウリピデスとアリストファネスについては、プルタルコスやポルフュリオスらから知ったと思われる。

ギリシア弁論家たちについては、名前を知っていたのみで、その著作に通じていたわけではなかった。リュシアス、ヒュペリデス、ペリクレス、デモステネス、アイスキネス、イソクラテス、ポレモンなどに言及している。詩人も弁論家も聖書解釈にはあまり役に立たないので、直接の知識が必要なかったのであろう。

ギリシア哲学については批判的である。なぜなら、彼によれば異端者は皆プラトンとアリストテレスの弟子だからである。ゼノン、クレオンブロテス、カトー、エピクロスについては、すべて読んだと主張しているが、これは修辞的な誇張であることは明らかである。他にもアナクサゴラス、クラントル、ディオゲネス、クリトマコス、カルネアデス、ポセイドニオス、エンペドクレスらを学んだと述べている。ピタゴラスについては、ラテン語訳でのみ読んだことがあると認めている。

プラトンの著作については、ヒエロニュムス自身は原典テクストを所有していたと述べているが、多くはキケローの翻訳などで読んだようである。プラトンの哲学については、かなりいい加減な知識しか持ち合わせなかった。魂の三部分に関する議論についても、オリゲネスやナジアンゾスのグレゴリオスなどに依拠していた。プラトンと新プラトン主義との混同も見られる。

アリストテレスの形而上学的著作については無知だった。ヒエロニュムスにとって、アリストテレスは論理学者であり自然学者であった。アリストテレスの話をするときには、テオフラストスも一緒に遡上に上げることが多い。テオフラストスの情報源は、F. Bockによればテルトゥリアヌスだとされているが、G. GrossgergeとE. Bickelによればセネカ、プルタルコス、ポルフュリオスだとされる。

ポルフュリオスについて、ヒエロニュムスは強い関心を持っていた。彼はポルフュリオスの『エイサゴーゲー』を若い頃からよく読んでいたが、それを情報源にしていることを隠していた。なぜなら、敵対者たちから異教文学に耽溺していることを非難されないようにするためである。しかし、ヒエロニュムスのオルフェウス、ピタゴラス、ソクラテス、アンティステネス、ディオゲネス、サテュロスらについての知識はポルフュリオスに由来する。しかもそれに勝手にキリスト教的なトーンを付加している。

ポルフュリオスの著作でも言及するものとしないものがある。『ピタゴラス伝』と『禁欲について』に言及することはないが、『反キリスト教論』には頻繁に触れる。ただし、ポルフュリオスの著作のすべてを直接読んだわけではないと考えられる。むしろポルフュリオスに対する駁論、たとえばオリュンポスのメトディオス、カイサリアのエウセビオス、ラオディキアのアポリナリオスらから彼の教説を紹介することもある。特にエウセビオスに主に依拠している。

ギリシア歴史家に関しては、ヒエロニュムスは必ずしもすべてを原典で読んだわけではないし、そもそも名前を挙げているだけの場合もある。彼が目を通したのは聖書研究に有益な歴史家の作品である。それはたとえば、トゥキュディデスやヘロドトスであったが、それらの引用はプルタルコスやアレクサンドリアのクレメンスからの孫引きであった。クセノフォン『オイコノミコス』はキケローの翻訳で読んだ。

ユダヤ人歴史家としてフィロンとヨセフスにしばしば言及している。フィロンの著作を所有していると述べていたが、しばしばエウセビオスを通じた引用をしている。ヒエロニュムスは、フィロンを哲学者というよりは歴史家として重んじていた。ヨセフスについては、ヒエロニュムス自身は何度も否定しているが、伝統的に彼がヨセフス著作の翻訳者だと考えられてきた。ユダヤ人の歴史と文明の知識については、ヒエロニュムスはヨセフスに負っている。また他の古代作家たち、たとえばベロソス、ムナセアス、ダマスコスのニコラオス、アレクサンデル・ポリュヒストル、クレオデモス・マルコスらの著作にも、実際にはヨセフス経由で触れている。

ギリシア医学に関しては、ヒッポクラテスやガレノスに言及している。前者はオリゲネス経由での知識と考えられる。ギリシア自然学については、アリストテレス、テオフラストス、シデのマルケッロス、ディオスコリデス、オッピアノスに触れているが、それはテルトゥリアヌス、パキアヌス、アンブロシウスらキリスト教作家からの又聞きである。ギリシア鉱物学については、エピファニオスに負っている。彼は大プリニウスを自分で読んでいたにもかかわらず、ほとんどのギリシア自然学者については名前だけ知っていたにすぎなかった。

2017年3月6日月曜日

聖書解釈前史としてのホメロス解釈 Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #1

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 130-43.

本論文は、ヘレニズム期のユダヤ文学に関する優れた概説である。著者はまず、聖書の解釈に先立って、ヘレニズム期にホメロス作品がいかに解釈されていたかということから論文を始めている。当時、文法学校では生徒たちがホメロス作品を暗記し、そこから文法を学んでいた。すなわちホメロスは教材になっていたのである。さらに言えば、神の霊感を受けた神的な詩人だとも思われていた。しかし同時に、ホメロス作品の宗教的・倫理的内容に関して疑問視されるようにもなっていた。実際、プラトンは『国家』の中でホメロス作品を禁じている。

寓意的解釈。そこで不適切に思われる箇所を「解釈」することで、ホメロス作品を救おうという試みが行われたのである。そのときに用いられたのが、「寓意的解釈」という方法であった。ストア派によれば、ホメロスは実際に語ることができたことよりも多くのことを知っていたが、それを読者に「謎(αἰνίγματα)」として残したのだという。このストア派的な解釈は、ペルガモン学派の方法論に基づくものだった。

ストア派。ホメロス作品に見られる多神教的な世界観は、哲学者クセノファネスらによって攻撃された。ストア派は物質主義的な世界観を持っており、神的な存在のことを、エーテルやプネウマなどと呼ばれる何らかの火のようなものだと考えていたが、そうした世界のシステムを説明するために、伝統的な神々の名前を用いた。こうしたある種の「神学」は、ストア派による哲学の三区分(論理学、自然学、倫理学)における「自然学」に該当するものとなった。

アレクサンドリア文献学。アレクサンドリアにおいては、ホメロス作品は文献学(歴史的・批判的アプローチ)の対象となった。アレクサンドリアの図書館において、文献学者たちは伝えられているテクストを削除することなく、批判記号を用いて校訂した。当時、ホメロス作品を他のギリシア文学から区別するような正典意識があったため、引用するときにもテクストを改変することは許されなかったのである。また彼らは、「ホメロスをホメロスから解釈する」という原則を持っていた。

ハンドブック。ホメロス作品を解釈するに当たって出くわす問題点を解決するために便利な、ハンドブックも書かれた。高等学校の教師たちは、そうしたハンドブックを用いて授業を準備したのだった。代表的なものは、偽プルタルコス『ホメロスについて』、問答形式のヘラクリトス『ホメロス問題』、そしてコルヌートス『ギリシア神学抄』である。これらの他にも、ストラボンはホメロスの地理的な知識の正しさを基に、ホメロスを擁護した。

他の解釈法。ホメロス作品の解釈は寓意的な方法だけではない。中期プラトン主義者であるプルタルコスは、崇高な真理を伝えるために神話という形式も必要だと考えた。プルタルコスは寓意的解釈をまったく否定するわけではなく、象徴を「真の意味」にあえて置き換えたりせずに、神話の一般的な輪郭に適合するような類推を見つけようとしたのである。一方で、ウェルギリウスは、ホメロス作品を類型論的(typoligical)に用いることで、ローマの国家の起源を示してみせた。

ヘレニズム・ユダヤ文学の文脈においては、ヨセフスがホメロス作品の合成的な性質やテクストの多様性を指摘し、プラトンによる禁止にも言及している。しかしながら、興味深いことにヘレニズム期のユダヤ人は、ヨセフスを除いて、テクストに対する文献学的な観点に興味を示さなかった。ホメロス作品のみならず、聖書に関しても、アレクサンドリアの文献学が適用されるのはキリスト者であるオリゲネスを待たねばならなかった。その代わり、ユダヤ人は聖書を寓意的に解釈することにより大きな関心を持っていたのである。

古代においては、ユダヤ人はしばしば、他の民族から孤立していることを批判された。ユダヤ人は自分たちの礼拝を清浄に保つためにシナゴーグを建て、他の民族と交わることを望まなかったからである。そこでモーセもまた人間嫌いとして非難された。しかしながら、ユダヤ人は異教の神話や神学との接触を避けようとはしていなかった。彼らもまたホメロスを学び、ヘラクレスやヘルメスを称え、フィロンのような開かれた人物は劇場にも通ったのだった。

関連記事

2017年3月4日土曜日

古代と現代の文学批評の類似性 Nünlist, The Ancient Critic at Work

  • René Nünlist, The Ancient Critic at Work: Terms and Concepts of Literary Criticism in Greek Scholia (Cambridge: Cambridge University Press, 2009).
The Ancient Critic at Work: Terms and Concepts of Literary Criticism in Greek ScholiaThe Ancient Critic at Work: Terms and Concepts of Literary Criticism in Greek Scholia
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本書はスコリアに注目することで、古代の文学批評の実態を検証したものである。スコリアとは、古代の文学作品の特定の一節に関する短い注釈を集めたもののことである。古代の文学批評に関する多くの研究では、アリストテレスの『詩学』やデメトリオスの『様式について』などといった論文が扱われることが多かった。そもそもW. Arendのような研究者は、アレクサンドリアの学者たちの仕事であるスコリアによって、文学作品としてのホメロスの詩は損なわれてしまったと考えていたほどであった。

一方で、著者があえてスコリアを選んだのは、第一に、スコリアは原理の形成よりもその応用を示すからであり、第二に、スコリアは諸論文よりも大きなコーパスを提供するので、より多くのトピックを扱っているからであり、そして第三に、諸論文が散文の修辞に注目するのに対し、スコリアは詩に注目するからである。著者はこのスコリアの利点を生かすために、ホメロス、ヘシオドス、古典劇作家、ピンダロス、カリマコス、テオクリトス、ロードスのアポロニオス、ルキアノスらの作品に関するスコリアを扱っている。

著者によれば、こうしたスコリアを集中的に扱うことによって、古代の注釈者たちは現代の用語で表わされる文学批評の概念をすでに知っており、それらを自分たちの文学批評において用いてたという。著者が扱っているのは以下のトピックである:プロット、時間、物語と台詞、焦点化、読者への効果、欠落と削除、詩的逸脱、著者の特定、様式、ほのめかし、隠された意味、登場人物、神話学、など。たとえば焦点化(focalization)に類似する議論としては、古代の注釈家たちは「話者を考慮することによる解決(λύσις ἐκ τοῦ προσώπου)」といった洗練された議論を持っていた。

こうした現代的な概念が、必ずしも当時の用語での表現ではないにせよ、実際に古代の注釈者たちによって親しまれていたというのは驚くべきことである。古代の議論の価値は、彼らがテクストにしたことと我々がテクストにしていることとの目を見張る類似性に注意を払うことで、現代の読者の目においても高いものとなる。

2017年2月15日水曜日

パレスチナのユダヤ人とヘレニズム Lieberman, Hellenism in Jewish Palestine

  • Saul Lieberman, Hellenism in Jewish Palestine: Studies in Literary Transmission, Beliefs and Manners of Palestine in the I Century B.C.E.-IV Century C.E. (Texts and Studies of the Jewish Theological Seminary of America 18; New York: Jewish Theological Seminary of America, 1950).
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本書は、ラビたちがいかに異教のギリシア語世界の用語や慣習に通じていたかを検証した古典的名著である。著者は、ユダヤ人と異教徒との間で、聖典解釈の方法論、祭儀のパターン、神殿の構造、習慣、そして自然科学などに関して多大なる類似性が認められると主張する。そしてその類似性は、ヘレニズム期の地中海世界におけるさまざまな民族間の直接的な関係性の結果であると考えられる。

ペルシア時代および初期ギリシア時代の律法学者たち(ソフェリーム)は、アレクサンドリアの文献学者たちのように写本を比較して聖書の規範テクストを作成した。聖典を扱っていることから、律法学者たちの校訂の方がより保守的なものではあったが、彼らが校訂において用いた用語の多くはアレクサンドリア文献学からの多大な影響があった(ヌンとアンティシグマ、ミドラッシュとエクセーゲーシス、タルグムとヘルメーネイア等)。律法学者たちの聖書解釈の方法論自体は独自のものであったが、それを表わす用語はアレクサンドリア文献学から取られていたのである。

ラビたちはギリシア思想を子供たちが学ぶことを禁じはしたが、律法を修めた者であれば異教哲学を学ぶことも可能であり、楽しみのためにホメロスを読むことすら認められていた。というのも、ラビたちにとって、偶像崇拝のような異教徒の習慣との闘いは過去のものであって、キリスト者たちの懸念ほどには切実なものではなかったからである。

著者の検証はかなり文献学的な側面に偏っており、ユダヤ思想に対するギリシア思想からの哲学的な影響についてはあまり論証していない。また『アエネーイス』などに見られるユダヤ思想からギリシア思想への影響にも注目すべきである。とはいえ、そのままでは難解かつ曖昧なラビ文学のテクストが、ギリシア的背景を参照することで明らかになることを指摘した本書の貢献は大きい。

2016年12月10日土曜日

カリマコスとその弟子たち Pfeiffer, "Callimachus and the Generation of His Pupils"

  • Rudolf Pfeiffer, "Callimachus and the Generation of His Pupils," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 123-51.
History of Classical Scholarship: From the Beginning to the End of the Hellenistic Age (Oxford University Press academic monograph reprints)History of Classical Scholarship: From the Beginning to the End of the Hellenistic Age (Oxford University Press academic monograph reprints)
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アレクサンドリア文献学の歴史において、ゼノドトスに匹敵するのはビザンティウムのアリストファネスしかいない。彼らに次ぐ存在が、カリマコスとエラトステネスである。カリマコスは、アレクサンドリア図書館の図書館員ではなかったが、創造的な詩人と思慮深い学者とが統合された人物であった。キュレネからアレクサンドリアに移り、プトレマイオス二世の宮廷に仕えた。彼は、自分が語ることは、それが詩歌であっても真実であると主張した。また長大な伝統的な詩を批判し、短く清新な詩こそを高く評価した。彼の学識は詩の中に隠れているので、詩を検証しなければならない。

アレクサンドリア図書館のパピルスは、東方の図書館の慣例に従った収蔵方法が採られていた。作品の題名と行数が巻物の最後に書かれていた。カリマコスはこれらの巻物を分類した、120巻にも渡るカタログを作成したのだった。カリマコスの編纂によるこの『ピナケス』においては、詩歌と散文は分けられ、それぞれお題名と冒頭の一行が記されていた。また著者はアルファベット順に並べられ、わずかながらも伝記が付されていた。この一般的な『ピナケス』に加えて、時系列に特化したカタログと、語彙に特化したカタログも別に作成された。何千巻もの巻物を読者の便宜を図りながら収蔵するためには、きちんとしたカタログが必要不可欠だったのである。ビザンティウムのアリストファネスは、のちに『ピナケス』の増補版を作成している。

学者としてのカリマコス自身の著作ジャンルは三つある:古代誌、言語、そして文学批評である。カリマコスは非ギリシア人の生活に関する好奇心にあふれた古代誌を書いているが、あまり科学的なものではなかった(アレクサンドリア学術が科学性を増すのはエラトステネスからである)。言語に関する著作では、魚の名前の語彙集を作成しているが、それを彼の先行者たちのように哲学的な議論のたたき台とすることなく、純粋に文学的に吟味している。文学批評としては、逍遥学派のプラクシファネスの著作を批判した。

詩人としてのカリマコスは、反アリストテレス的な傾向を持っていた。アリストテレスは、ホメロスの詩の統一性、完全性、偉大さを称揚した。カリマコスはホメロスの偉大さを認めるにやぶさかではなかったが、師の文化を再生させるにはそれでは難しいと感じていた。そこでカリマコスは詩の統一性や完全性を求めるのではなく、「薄さ/軽さ(λεπτόν)」こそを重要視した。この用語は、エウリピデスやアイスキュロスの時代には否定的な意味合いしかなかったが、カリマコスはその価値を転倒させたのである。他にも、「頭でっかち(πολυμαθής)」という語についても、かつては真に賢いわけではないという意味だったのを反転させて肯定した。

カリマコスはアレクサンドリア図書館に雇われたときには、詩歌から散文へと方向転換していたが、かといって文学作品の注解書は残していない。彼のホメロス理解は、むしろそれ以前に書いた詩歌の中に残されている。彼の詩の中で引用されているホメロス作品を見ると、彼がホメロスの旧版を読みつつも、一方で明らかにゼノドトスの校訂版を知っていたことが分かる。

カリマコスの弟子としては、ロードスのアポロニオスが挙げられる。『アルゴナウティカ』を書いた彼は、ゼノドトスの後継者として図書館長にもなった。図書館長の伝統として、彼はプトレマイオス三世の家庭教師も務めた。ただし、アポロニオスはカリマコスからは冷遇されたようで、『アルゴナウティカ』を最初に発表したとき、師からその作品を酷評されたために、アレクサンドリアを離れてロードスへと移った。おそらくロードスへと移ってから、彼は『アルゴナウティカ』の第二版を作成した。

アポロニオスの詩歌への態度は、その師であるカリマコスと比べて、より伝統的なものだった。彼の詩は統一性や完全性を目指すものだったのである。その意味で、アポロニオスの詩はアリストテレスの基準にこそかなうものだったが、カリマコスのそれには反するものだった。彼は『アルゴナウティカ』の他にも、地方の英雄をヘシオドスのスタイルで書いた詩や、アルキロコス(カリマコスが嫌っていた)に関する研究所をも著した。彼は特に、詩人たちの生涯や時系列、そしてその詩の主題に関心があった。ホメロスの注解者としては、『ゼノドトス駁論』において、ゼノドトス校訂版を吟味しつつ、さまざまな文学的な問題を扱っている。ゼノドトスの校訂版ではなく、ティモンがアラトスに勧めたような旧版を参照していたことからも、アポロニオスの保守性が見て取れる。

カリマコスの他の弟子としては、クレタ人リアノスがいるが、彼はアポロニオスに比べてその師の傾向をよりよく引き継いだ。

2016年12月9日金曜日

ゼノドトスと同時代の学者たち Pfeiffer, "Zenodotus and his Contemporaries"

  • Rudolf Pfeiffer, "Zenodotus and His Contemporaries," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 105-22.
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アレクサンドリア図書館の最初の図書館員であるエフェソスのゼノドトスの仕事は、常に先駆者としての宿命から逃れられないものだった。彼よりあとの者と同じ基準で彼の仕事を評価することは、公平ではない。ゼノドトスは、ホメロスや他の叙事詩の最初の「校訂者(διορθωτής)」として、テクストを校訂・改訂した。そのプロセスは、収集されたテクストを順に並べ、整理し、分類し、カタログ化し、写本を比較し、テクストを改訂するというものであった。彼のホメロスに関する仕事は、おそらくプトレマイオス二世(前288-前247年)の治世において完成されたと考えられている。

ゼノドトスは、叙事詩や抒情詩の新しいテクストや語彙集を出版したことが知られているが、注解書や研究書を出版することはなかった。それゆえに、古代における彼の後継者たちも、現代の研究者たちも、彼が校訂した際の意図を知ることはできなかった。とはいえ、彼の直接の弟子たちの著作の中には、ゼノドトスが口頭で教授した内容が含まれていると考えられている。

ゼノドトスはさまざまな都市から送られたたくさんの写本を吟味したわけだが、著者によると、彼は最も優れた写本を選び出し、それを中心に校訂した可能性があるという。そして、他の写本の読みの中により優れたものがあればそれを採用したり、また自身の見解に従って読みを修正したりしたのだという。こうした修正作業のことを「校訂(Διόρθωσις)」と呼ぶわけである。

ゼノドトスの校訂について、その恣意性が古代においても批判されることがあったが、著者は具体的な例を用いて、ゼノドトスの校訂法が必ずしも非難されるべきものではないことを示した。ゼノドトスの発明品である「オベロス記号」は、単に便利な道具というだけではない。これは、読者や他の学者が校訂者の判断を評価することができるようにさせる偉大な発明だったのである。ゼノドトスは、真正性を疑っている箇所を隠してしまうのではなく、欄外にオベロス記号を付すことで、それを文脈の中に残したのである。そのようにして、彼は自らの見解を示し、読者がそれをチェックできるようにした。

イオニアのアルファベット24文字にちなんで、ホメロスの作品を24書に分けるというやり方も、ゼノドトスに帰されてきた(Lachmann)。後代の文書の中では、これをアリスタルコスに帰すものもある。しかし、『オデュッセイア』の最古のパピルスは、こうした分け方が3世紀の始め、すなわちゼノドトス以前にすでに存在したことを示している。ゼノドトスはヘシオドスやピンダロスの最初の校訂本を作成したとも考えられている。他のも可能性としては、アナクレオンの最初の校訂本も、彼の仕事だといえる。

ゼノドトスの同時代の学者たちとしては、アイトリアのアレクサンデルとカルキスのリュコフロンがいる。詩人としてのアレクサンデルは叙事詩、抒情詩、風刺詩などをものしたが、学者としての彼は悲劇やサテュロス劇を専門的に研究した。カルキスのリュコフロンは、詩人としては悲劇詩人であったが、学者としては喜劇を専門とした。リュコフロンは喜劇に出てくる頻出語などを収めた語彙集を作成した。アレクサンデルやリュコフロンは、エラトステネスのような後代の学者たちによって批判されているが、ゼノドトスの場合と同様に、これは先駆者として割り引いて考えるべきである。

他の同時代には、ソロイのアラトスが挙げられる。ストア派哲学を学んだアラトスは、『パイノメナ』で知られる学者詩人である。『パイノメナ』においては、科学的な主題が、ストア派的な哲学的・宗教的感情と共に、ヘシオドスのスタイルで扱われている。カリマコスは、アラトスのスタイルを「繊細(λεπτόν)」と呼んだ。彼は『パイノメナ』によって詩の再生を図ると共に、過去の傑作の保存にも努めた。

2016年11月7日月曜日

1-2世紀の教会における聖書 Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church #1

  • Manlio Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic Exegesis (trans. John A. Hughes; Edinburgh: T&T Clark,1994 [1981]), pp.1-33.
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本章では、1世紀から2世紀にかけての聖書解釈の概要を扱っている。

ユダヤ人とギリシア人の聖書解釈は、それぞれ字義的解釈と寓意的解釈とを特徴としている。キリスト教会において、字義的解釈は、とりもなおさずユダヤ人の聖書解釈のことだと同一視されていた。初期のユダヤ的聖書解釈としては、タルグム、ミドラッシュ、そして死海文書のペシェルが挙げられる。いずれも、聖書を現実的(actualizing)に解釈しようとする点が共通している。

ギリシア人は、文学的・哲学的テクストを読み解くテクニックの伝統を持っていた。彼らは注解形式で詩や哲学書に注釈を加えた。ギリシア人の解釈テクニックである寓意的解釈には、二つのレベルがあった。第一に、著者自身が意図していた深い意味を探るというもの、そして第二に、著者自身さえ意図しなかった深い意味を探るというものである。ギリシア人は、特にホメロスのような権威ある作品を解釈する際には、それを寓意的に捉えることで、ホメロスが馬鹿げた神話に言及していても、そこには別の意味があったに違いないと考えてホメロスを正当化したのだった。

ヘレニズム化したユダヤ教アレクサンドリアのフィロンは、注解形式と問答形式の聖書解釈を残している。彼は、ギリシア人がホメロスの解釈に用いてきた寓意的解釈を聖書に用いることによって、神人同型説を解決しようとした。これは、ギリシア人にユダヤ教を紹介することでもあった。フィロンは、字義的解釈を完全に否定したわけではないが、あくまで寓意的解釈に対して副次的なものとして理解していた。フィロンの寓意的解釈として特筆すべきは、聖書に出てくるものや場所や人の名前を、語源学的に解釈することで、寓意的な意味を引き出したことである。

新約聖書は、当時のユダヤ教の聖書解釈の方法論に従って、旧約聖書を解釈している。それは、新約聖書における旧約引用やミドラッシュ風の部分、またペシェル風の部分に見ることができる。新約聖書は、旧約聖書をメシア的に読解することで、イエスのメシア性を証明しようとした。

初期キリスト教の保守的なグループは、イエスへの信仰とユダヤ法の順守とを結びつけたが、パウロを始めとするグループは、隠された霊的な使信にこそ価値を認めた。彼らは、本当の割礼ではなく心の割礼を求めた。彼らの聖書解釈の特徴は、予型論(typology)的解釈である。彼らは、旧約聖書の出来事を、キリストと教会の予型として寓意的に解釈したのである。

初期キリスト教ローマのクレメンスは、旧約聖書を主として字義的に解釈した。ただし、パウロのように、旧約聖書の登場人物のことを、キリスト教信仰の好個の例として重視した。『イグナティオスの手紙』にはあまり旧約聖書は使われていないが、『偽バルナバの手紙』は旧約聖書をほとんどミドラッシュ的に解釈している。偽バルナバは、ユダヤ人が律法を字義的に解釈するあまり、その霊的な意味を逸してしまったのだと主張した。そこで、特に数字をシンボリックに解釈することで、旧約聖書から寓意的解釈を引き出した。

グノーシス主義。上のように、キリスト教は旧約聖書を予型論的に解釈することで、教会において旧約聖書が占める位置を確保したわけだが、キリスト教グノーシス主義者たちは、至高神の啓示としての新約聖書に対し、旧約聖書は創造神(デミウルゴス)の啓示であるとして、これを否定した。ただし、ウァレンティノス派のプトレマイオスのように、律法をある程度認める中葉の立場の者もいた。『ヨハネのアポクリファ』は、律法に書かれていることはモーセの能力を超えるものだったために、律法は事実と異なることを含んでいるのだと主張した。それゆえに、キリスト教グノーシス主義者は、旧約聖書を寓意的に解釈したのである。

グノーシス主義者の新約聖書の解釈もまた、キリストの啓示を明らかにするための寓意的なものだった。ウァレンティノス派は数字のシンボリズムに注目し、プトレマイオスやヘラクレオンはヨハネ福音書を念入りに解釈し、一節毎の組織的な注解書を著した。

アジア学派の反ユダヤ的・反グノーシス主義ユスティノスは、律法を完全に否定するのではなく、その価値を認めていた。しかし、律法はあくまでもキリストと教会の予型(typoi)であり、ユダヤ人にとっての預言(logoi)ではないと主張した。彼によれば、ユダヤ人は預言はすでにキリストによって成就していることを認めようとしないので、依然として予型をその表面的な部分でしか捉えていないのだという。アジア学派の特徴としては、予型論を重視するが、それをあくまでキリストや教会の具体的な出来事と結びつけることである。すなわち、アレクサンドリア学派のように霊的な応用をあまりしなかった。

もう一人のアジア学派であるエイレナイオスは、旧約と新約とを連続的に捉えようとした。彼もまた、ユスティノスのように、予型(typoi)と預言(logoi)との区別を重視した。彼はレビ記における、反芻とひづめによる動物の区別を用い、反芻とは律法を咀嚼すること、そしてひづめとは父と子に対する硬い信仰のこととすることで、キリスト者、異教徒、ユダヤ人を比較した。すなわち、キリスト者は反芻しひづめがある者、異教徒は反芻もひづめもない者、そしてユダヤ人は反芻するばかりでひづめがない者だと言うのである。

ユスティノスもエイレナイオスも、アジア学派の物質主義的な特徴どおり、基本的には字義的解釈を重視した。その際には、聖書の神人同型説的な記述にも違和感を覚えなかったようである。しかし、律法の予型論的解釈を用いることで、寓意的解釈をも認めていたと言える。彼らは旧約聖書の出来事をキリストの予型と捉えるという意味では反ユダヤ的であり、一方で、旧約聖書を認め、過度な寓意的解釈を否定したという意味では反グノーシス主義的であった。こうした傾向は、テルトゥリアヌスのような教父にも見られることである。

ここからも分かるように、字義的解釈と寓意的解釈との違いは、聖書解釈のテクニック的な問題というよりも、さまざまな立場間の論争上の問題であると言えるだろう。

ヒッポリュトスもまた、新約聖書のみならず旧約聖書をも積極的に解釈することで、反グノーシス主義的姿勢を明らかにしている。彼の注解は教義的には一貫しているが、解釈テクニックにおいてあまり優れているとは言えない。彼はダニエル書における殉教の記述に注目し、反ローマ的な解釈を加えている。ほとんど予型論的解釈は用いていないが、唯一用いているのがスザンナのエピソードに対してである。彼の解釈は、ユスティノスやエイレナイオスもエピソードに基づく解釈に比して、より組織的なものだったが、聖書の文献学的な事実には無頓着だった。彼は旧約聖書をキリスト論的に解釈したが、はっきりとした原理は持たなかった。

2016年10月31日月曜日

オリゲネスの聖書解釈 De Lange, Origen and the Jews #9

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 103-21.
オリゲネスの聖書解釈に関する該博さは、ヒエロニュムスも認めるところだった。本章は、そのオリゲネスの聖書解釈のユダヤ教に由来する側面を検証したものである。オリゲネスはどの程度、同時代のユダヤ教聖書解釈に依拠していたのだろうか。論文著者はこの問いに、オリゲネス自身がユダヤ教聖書解釈について語っている箇所と、この点に関する研究から得られる印象とから応えようとした。

オリゲネス自身が言っているように、ユダヤ教の聖書解釈はあまりに「字義的」であると見なされていた。しばしば「ユダヤ的な」という形容詞は、「字義的な」という意味で用いられた。ただし、オリゲネスは、そう考えるキリスト者の中でも、最も鋭くユダヤ教聖書解釈の多様性に気づいていた人物であった。そもそも、ここで言う「字義的」とは、現代的な意味としての、テクストが最初に書かれたときの意図を指してはいない。彼は決して聖書の統一性や、それが永遠の神託的な価値を持っていることを疑わなかった。

これはラビたちの「字義的」という言葉の理解とも一致している。ラビ・アキバはトーラーの一字一句にも深い意味があると考えていた。一方で、ラビ・イシュマエルはトーラーは神ではなく人間の言葉で書かれており、また語ではなく文の意味について解釈するべきと考えていた。両者は自分たちのアイデアを文章の中に読み込むことを目的としており、違いはその方法の違いにすぎなかった。

ただし、ラビ・アキバとラビ・イシュマエルの解釈法は、ラビたちが「字義的」な解釈と「法的・説教的」な解釈とを区別できなかったことを意味しない。ラビ・ユダヤ教にはそれぞれ、プシャットとミドラッシュという区別が存在する。この区別は、現代的な意味での「字義的」と「非字義的」とはやや異なっている。

フィロンは、聖書解釈の方法として、「ヘー・レーテー・アポドシス」と「アレゴリア」を区別した。また、字義的解釈では説明しきれないものを、パラドクサなどと呼んだ。彼の聖書解釈は、聖書の物語を、自身の宗教的・哲学的なアイデアのテクストとして使うものだった。彼は律法を寓意的に解釈することで、聖書の法の不適切なところを取り除いたが、決して律法遵守を廃止することを目指していたわけではなかった。

これに対し、パウロはモーセの律法に異議を唱え、文字の法ではなく霊の法を守るように求めた。パウロによれば、キリスト者は法を無効にするのではなく、それを制定するのである。ラビやフィロンの律法理解とは異なるパウロのそれは、キリスト者の律法理解となっていった。フィロンは、律法にはより深い意味があり、それを捨て去ることはできないと述べた。ラビたちは、律法は永遠に有効であるが、解釈のために変更してもよいと見なした。これらに対し、パウロやキリスト者は、ユダヤ法に「文学的(literalistic)」に相対した。すなわち、彼らの「字義性(literalism)」は、盲目的に律法を受け取ることではなく、日常生活の中で意味あるものとして律法を受け入れるということであった。ただし、聖書の歴史部分については、永遠の真理の予型として、正確なものと見なした。

オリゲネスの聖書解釈は、しばしば3種(肉的、魂的、霊的)あると考えられてきたが、この区分をきちんと応用している解釈は珍しい。実際には、伝統的な字義的(肉的)解釈と霊的解釈の二区分が多い。これは、神が二つのアイデアを一度に語ることができるという詩篇62:12の句を拡大的に取ったラビたちの理解とも軌を一にするものである。ラビたちはさらにこのアイデアを敷衍して、トーラーには70の顔がある、とまで主張するに至った。

オリゲネスの解釈スタイルは、ラビ・アキバの特異な解釈と、アクィラの聖書翻訳とに似ていると言える。オリゲネスは、アキバと同じく、聖書の一字一句に深い意味が隠れていると考えていたので、特に不定法を用いた繰り返し表現などに意味を見出した。こうした寓意的解釈がラビからの直接の影響なのか、それともアレクサンドリアの伝統からの影響なのかは、判別し難い。

従来では、ラビたちの聖書解釈における寓意性を等閑に付されてきたので、オリゲネスとラビたちの影響関係は詳しくは検証されなかったが、ラビたちの例え話である「マシャール」は寓意的解釈に近い。似た用語としては、「リシュム」と「ホメル」とが挙げられる。こうした方法は、雅歌やエゼキエル書の解釈に適用された。オリゲネスもラビたちも、トーラーを水、木、マナ、力、真理、善、地、火などと同一視した。

オリゲネスや、彼より前の教父であるユスティノスらは、こうしたトーラーと何かとの同一視を、そのままキリストへと繋げた。すなわち、トーラーを表わしていた木は、そのままキリストとも解釈されるのである。オリゲネスの時代には、キリスト教のシンボリズムはすでに高度なものとなっていたが、まだあるシンボル(十字架など)が完全にユダヤ教から切り離されてはいない、中間的な時期でもあった。こうしたシンボリズムにおける一致を、単純にフィロンや新約聖書のみとの関係で捉えることはできない。

こうしたシンボリックな聖書解釈としては、特に聖書の登場人物の名前の解釈が挙げられる。名前の語源学的な解釈は、フィロンより古く、ホメロスを解釈したアレクサンドリアの伝統に属するものである。こうした解釈に関するオリゲネスのソースとしては、フィロン、名前語彙集(のちにヒエロニュムスがラテン語訳するハンドブック)、そして同時代のユダヤ伝承があった。三つ目のユダヤ伝承とは、現在では『メヒルタ』やタルムードなどに残されているような解釈である。オリゲネスによるこれらの名前解釈のうち、ヘレニズム期ユダヤ作家に共通のものが見つからず、あまりに明白に語源が想像できるもの以外は、ユダヤ伝承から採用されたものである可能性がある。

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2016年10月25日火曜日

ヨセフスの聴衆、ソース、改変、目的 Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra" #2

  • Louis H. Feldman, "Use, Authority and Exegesis of Mikra in the Writings of Josephus," in Mikra: Texts, Translation, Reading and Interpretation of the Hebrew Bible in Ancient Judaism and Early Christianity, ed. Martin Jan Mulder and Harry Sysling (Compendia Rerum Iudaicarum ad Novum Testamentum; Philadelphia: Fortress, 1988), pp. 455-518, esp. pp. 470-503.
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ヨセフスが念頭に置いていた聴衆は二種類あった。第一に、異教徒に対してである。『古代誌』で述べているように、ヨセフスは非ユダヤ人世界のギリシア人に向けて書いていた。「ギリシア人」とは、この場合、「非ユダヤ人」という意味と捉えてよい。第二に、ユダヤ人に対してである。実際には、ユダヤ人はヨセフスの主要な聴衆ではなかったが、可能であれば読んでほしいと考えていたようである。

ヨセフスが著作を書くに当たって持っていたソースは三種類、ミドラッシュ、ヘレニズム期ユダヤ人作家、そして彼個人の見解であった。第一のソースであるミドラッシュとは、成文化されたものだったのか、それとも口伝のままだったのかについては議論がある。Schalitは口伝からだと考えたが、Rappaportは成文化されたものだけからだと考えた。ヨセフスの同時代人だと考えられる、偽フィロン(『聖書古代誌』)やそれ以前の『外典創世記』には、ヨセフスと共通のソースからと見られる伝承がある。

第二に、ヘレニズム期ユダヤ人作家たちは、ヨセフスの模範となり、またスタイルのモデルともなった。特にフィロンの卓越したギリシア語は大きな影響を与えたと思われる。Wacholderは、ヨセフスは聖書外の伝承については、同時代のユダヤ人歴史家ティベリアのユストス『ユダヤ王年代記』に依拠していると考えた。他にも、悲劇作家エゼキエル、フィロンなどからの影響が認められる。

第三に、ヨセフス自身も、特に護教的理由から聖書に多くの改変を加えている。枢要徳、劇的要素、エロティックな要素の強調や、神学的・魔術的要素の非強調などが挙げられる。これは、ヨセフスの個人的な経験に基づくものと考えられる。

ヨセフスは、聖書の記述スタイルを変えている。その際には、軍事的な用語である「整列(τάξις)」という語を用いて、あたかも文学における将軍のように、彼は聖書の記述をリアレンジしたのだった。その際には、時系列やソースに従うのではなく、テーマに従ってそうした情報を並列させた。

ヨセフスによる聖書の記述の改変には、次のような諸特徴があった。テクスト上の神学的や問題や矛盾を解決すること、時系列の難点を取り除くこと、神の神人同型説を回避すること、ある出来事によりよい動機や合理性を与えること、テクスト上の曖昧なところを明確化すること、ヘレニズム期の修辞学に通じた者に自分の作品をアピールすること、ドラマの意味を増やすこと、アイロニーを増やすこと、寓意的解釈を用いること、そして一貫性のために特定のキーパーソンに注目することなどである。

以上のような改変の目的は、論文著者によると二つある。第一に、反セム主義者に対しユダヤ民族を護り、歴史の宗教的な解釈を与えるという、護教的な理由である。そのために、ヨセフスは聖書の物語をギリシア化(Hellenization)させた。彼は55人を下らないギリシア人作家に言及し、読者に対して自身のギリシア文学への造詣の深さを印象付けた。彼は『戦記』執筆においてはギリシア人のアシスタントをつけていたと述べているが(『アピオーン』1.50)、『古代誌』執筆時はすでローマに20年以上住んでいたので、すでにアシスタントを必要としてはいなかったと考えられる。

ヨセフスのギリシア人作家への知識は深かった。彼は、エウリピデスの語彙を用いてイサクを、ホメロスを用いてアブラハムを、ヘロドトスを用いてモーセを、そしてソフォクレスを用いてソロモンを描きなおした。

ヨセフスは自身の物語をつむぐために、アブラハム、モーセ、サウル、ダビデ、そしてソロモンといった偉大な英雄たちを中心に据えた。ユダヤ人は偉大な人物を生み出さなかったという批判(『アピオーン』2.135)に対し、ペリパトス派的な伝統に則り、歴史における英雄に注目したのである。これは、神を中心に据えている聖書とは異なったアプローチである。英雄たちは、生まれの良さ、見た目の良さ、徳の高さ(枢要徳)が求められていた。これらを備えることで、ユダヤ人の英雄たちは預言者であると共に、プラトン的な哲学者として描き出されるのである。

ある人物の生まれの良さに関しては、先祖を称賛することで示される。英雄は、人物の良さのみならず、生まれの良さが求められる。しばしばその者は早熟で見た目がいい人物として描かれる。身長も高い場合が多い。徳の高さは、枢要徳(知恵、勇気、節制、正義)に加えて、プラトンが五つ目の徳と数えた「敬虔」も加えられる。知恵には、天文学や幾何学といった科学への通暁、他人の意見に耳を傾けることのできるオープンマインド、聞き手(ἀκροωμένοις)を納得させる説得力が関係している。勇気としては、戦闘における勇気と技術がある。ギリシア人はユダヤ人は臆病だと思っていたが、それに対し、ヨセフスはモーセの将軍として能力の高さを強調した。節制には、謙遜であることが求められる。正義の中には、真実を語ること、人間を愛することなどがある。

ユダヤ人は、英雄を生み出さなかったと批判されていただけでなく、人間嫌いであることをも批判されていた(クインティリアヌス、マルティアリス、タキトゥス、ユウェナリス)。ヘカタイオスの時代から、ユダヤ人は「非社会的」で異民族に対し「敵対的」であると見なされていた。これに反論するために、ヨセフスは聖書の人物たちがいかに人間愛に満ちていたかを強調した。そのためには、聖書の記述における不適切な記述を省略することさえ辞さなかった。

ヨセフスはまた、読者の政治的・軍事的・地理的な関心に応えようとした。ユダヤ人の政治的な構造や政争について解説した。大衆を蔑視していたヨセフスとしては、政治構造として最高なのは貴族制であり、最低なのは独裁制であった。軍事的内容を描くときには、自身の経験を埋め込み、地理的内容を描くときには、エラトステネスやストラボン由来の科学的な地理学を用いた。

読者の哲学的な関心に応えるために、ヨセフスは、ユダヤ人の宗教的グループをギリシアの哲学諸派に比較した。また彼は聖書の登場人物を、特にストア派の用語を用いて描きなおした。

ヨセフスは、悲劇的なモチーフをもよく用いた。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスからの影響は顕著である。傲慢(ὕβρις)や運命(χρεών)といった用語を用いて聖書の登場人物を特徴づけた。

さらにヨセフスは、ロマンティックなモティーフを聖書の物語に追加した。ホメロス、ヘロドトス、クセノフォン、そしてヘレニズム期の小説を用いて、聖書では曖昧にされている性的な事柄を明示した。すなわち、性交や女性の美の強調などがはっきりと描かれたのである。

2016年9月7日水曜日

レイノルズ、ウィルソン『古典の継承者たち』 #1

  • L.D. レイノルズ、N.G. ウィルソン「第一章:古代」、『古典の継承者たち:ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史』(西村賀子、吉武純夫訳)国文社、1996年、11-74頁。
古典の継承者たち―ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史古典の継承者たち―ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史
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ギリシア・ラテン語テクストの伝承史に関する古典的名著の第一章から、関心を引かれたところを要点のみ挙げておく。

古代の書物。書籍取引が初めてギリシアに出現したのは、前五世紀中葉かその少し後のこと。本の形態は、損傷しやすい巻子本であった。パピルスは片方の面のみに文字を書いた。パピルスの代わりに羊皮紙を使うようになったのは、ペルガモンにおいて。テクストは、詩も散文も分かち書きせずに書かれていた。

ムーセイオンの図書館とヘレニズム時代の学問。ディオニュシア祭のような主要な祭典で公演された劇の公式写本は、劇場または公文書館で保管された。ムーセイオンは、ムーサを祭る神殿であると共に、文学・科学研究共同体の中心施設であった。ムーセイオンの学者は定期的に授業をした形跡はない。ムーセイオンの図書館の所蔵図書数は、20万巻から49万巻。

ムーセイオンの学者たちは、ホメロス・テクストを校訂することで、それを標準として押し付けもした。しかし、読者の便宜を図る手立てを発達させた:たとえば、アルファベットをイオニア式に統一したり、句読法を向上させたり、アクセント記号を発明したりした(ビザンティウムのアリストファネス)。文学の注釈的研究は、対象作品とは別個の書物として書かれた。そうした研究はほとんど失われたが、後代のスコリアから復元できる。彼らの研究の問題は、登場人物、特に神々の「品位のない行動(アプレペイア)」が書かれた詩行を安易に「真正でない」として退けたことである。ただし、その修正案はテクスト上ではなく、あくまで別冊の注釈に書いたので、テクストが損傷を受けることはなかった。彼らの解釈法は、「ホメロスをホメロスから説明する」というものであった。

ヘレニズム時代のその他の研究。ムーセイオンに匹敵し得る文学研究所としては、ペルガモンの図書館がある。ここでは、とりわけ地誌と刻文(ポレモン)、また地理学(クラテス)の研究が盛んだった。ストア派によるホメロス研究としては、ヘラクレイトスが挙げられる。ディオニュシオス・トラクスは、正式なギリシア語文法書を初めて著した。前一世紀のディデュモスは、すでにあった大量の批判的研究を編纂した。

共和政ローマの書物と学問。ラテン文学が始まったのは前三世紀。ナエウィウスとエンニウスは国民的な地位を得た。文法の研究は、マロスのクラテスによって初めてローマに紹介された。ランパディオやウァルグンテイウスといった文法学者が活躍したあと、ルキウス・アエリウス・スティロが登場した。アエリウスは、プラウトゥスの校訂において、アレクサンドリアのテクスト批判記号を初めてローマで用いた。アエリウスの弟子であったウァロは、演劇の真作を確定するために、文献学的手法を用いた。ウェリウス・フラックスは最初のラテン語辞書である『語の意味について』を著した。ローマの最初の公共図書館は、前39年にガイウス・アシニウス・ポリオによって作られた。キケローの友人であるアッティクスは、書写職人を多く抱えていた。古代における出版においては、著者は友人たちの手元にある写本を改変してくれと頼むことによって、すでに出版したテクストに変更を加えた。

帝政初期の発展。図書館の普及によって、教育への関心が高まった。特に学校教育において題材として取り上げられたのは、詩文ではホラティウス、ルカヌス、ウェルギリウス、テレンティウスであり、散文ではキケローとサルスティウスであった。一世紀の学者の中で、当時最も高名だったのは、ベイルートのマルクス・ウァレリウス・プロブスであった。彼はアレクサンドリアの校訂記号を用いて、ウェルギリウス、ホラティウス、そしてルクレティウスなどを研究した。

二世紀の擬古主義。創作文学が衰え、過去の作家に対する熱狂的な関心が起こった。その端緒はプロブスであるが、代表的なのはアウルス・ゲッリウスの『アッティカの夜』である。

概要と注釈書。三世紀になると、異教文化が実質的に衰退してきた。偉大な古典作品を完全に収録した写本ではなく、その概要や抄録が多く流通するようになった。注釈者としては、アエリウス・ドナトゥスとセルウィウスが代表的である。自由七学科(リベラル・アーツ)もこの時代に確定していった。

巻子本から綴本へ。二世紀から四世紀にかけて、書物は巻子本から綴本へと形態を変えていった。もともとはパピルスの巻子本だったのが、羊皮紙の綴本になったのである。後者に対する最初の言及は、マルティアリスの詩の中にある。綴本は、特にキリスト教徒の用いる聖書テクストに見られる形式でもあった。

西ローマ帝国における四世紀の異教とキリスト教。異教とキリスト教との闘争の頂点は、四世紀のアンブロシウスとクィントゥス・アウレリウス・シュンマクスの討論に見られる。異教の学識者たちを生き生きと描いた作品としては、マクロビウスの『サトゥルナリア』がある。異教文学は、明らかにキリスト教教育には適していなかったが、アンブロシウス、アウグスティヌス、そしてヒエロニュムスは、とりわけキケローのような異教文学に対し、警戒心を持ちつつも、その学識を利用した。キリスト教が優勢になってからも、学校教育はそれまでどおりの異教文学に則って行われた。それは修道院が新しい教育を施すようになるまで続いた。

2016年5月10日火曜日

ポルフュリオスのホメロス解釈 Lamberton, "Porphyry and Homer"

  • Robert Lamberton, Homer the Theologian: Neoplatonist Allegorical Reading and the Growth of the Epic Tradition (Transformation of the Classical Heritage 9; Berkeley: University of California Press, 1986), pp. 108-33.
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ポルフュリオスによる、ニンフの洞窟(『オデュッセイア』第13巻)に関する小論は、少なくとも後262年以降という、ポルフュリオスの活動後期の作と考えられている。これは、初期に書かれた『ホメロス問題』との比較によって、研究者たちが推測した年代設定である。『ホメロス問題』で限られた議論しかできなかったために、ポルフュリオスはのちにニンフの洞窟の小論と、ストバイオスによって保存されている断片の中で、ホメロスの寓意的解釈について論じたのだった。これらは特にヌメニオスからの影響が指摘されている。

『ホメロス問題』には、偽プルタルコスによるホメロス解釈との類似性が見出せるという。彼は情念に関するホメロスの語彙や、ホメロスの修辞的な工夫を洗い出し、それを哲学者や弁論家の言葉と比較した。しかし、この作品ではマイナーなことの説明に終始していた。

ストバイオスによって保存されているポルフュリオスの断片(『ステュクスについて』)においては、ポルフュリオスはより大きなテーマについても説明している。彼によれば、古代人たちは神々について謎をもって表現したわけだが、ホメロスはそれをさらに推し進め、秘密を守り、直接的に説明することを避けた。いわば、意味にはある種の側面が存在しており、ホメロス作品には表面的な意味を超えた真理が含まれているのだが、ホメロスはそれをあからさまに扱うことを拒否したのだと、ポルフュリオスは考えたのである。神秘主義的あるいは倫理的な寓意的解釈と通常の読み方との間に違いがあることを、ポルフュリオスは明らかに気づいていた。そして、ホメロス作品から読み取ることのできる意味には複数の矛盾のない階層があると考えていた。

ポルフュリオスは、特にプラトンにも見られるような、魂に関する議論をホメロス作品から引き出している。ポルフュリオスがホメロスを扱う目標のひとつは、死後の魂の経験を理解することであった。プラトンの神話においては、哲学は新しい生活のための正しい選択のために必要なものと見なされていた。なぜなら、選択という行為は理性的かつ知性的なものだからである。一方で、ポルフュリオスの説明においては、哲学とは、魂の非理性的な部分を理性的な部分に従属させるために必要な準備であった。

ホメロスの神話と言葉を利用して抽象的な真理を得るというのは、プロティノスにも見られる方法であるが、ポルフュリオスの方がより依存度が高かったといえる。彼は自身の思想を独立して開陳するよりも、ホメロスという権威に言及して、ホメロスとプラトンの神話を一つにし、ホメロスの言葉の豊かさに遊んだ。いうなれば、ポルフュリオスは読者とテクストとの媒介者となるような批評家だったのである。

ポルフュリオスは、芸術的な創造には二つの方法が可能だと考えていた:第一に、この世界における対象や出来事を、ある程度忠実に再現するような、慎みのある模倣と、第二に、意味の世界の中継を飛び越える、より高度な現実の模倣である。こうした理解を下敷きに、ポルフュリオスは独自の「詩的許容(poetic license)」理解を持っていた。たとえばストラボンにとっての詩的許容は、ホメロスおける歴史的に正確な記述をその他の記述と混ぜ合わせることを許容することであったが、ポルフュリオスにとってのそれは、ホメロスの詩におけるすべての非歴史的な要素を許容することであった。なぜなら、より高度な現実の模倣の中には、文字通りの言葉の意味を超えた真理があるからである。そうした超越的な現実にはランダムネスはなく、神的な思慮(フロネーシス)としての秩序がある。

こうした原理に則ってポルフュリオスはホメロスを解釈するわけだが、彼はホメロスのどんな一節でも寓意的に解釈したわけではない。彼は、自分にとって受け入れ難い一節を無理やり寓意的に解釈することはなかった。彼はまず表面の意味を取り、それが受け入れ難いときには、その背後を探るのは不必要であると考えたのである。そもそも、ポルフュリオスはホメロスの詩の描写が正確で歴史的であるならば、それに越したことはないと考えていた。なぜなら、ホメロスが何らかのランダムネスや意味のない要素を導いていたという可能性を排除できるからである。

ポルフュリオスの新プラトン主義的な側面としては、ある事象に対する複数の有効な認識を許容することが挙げられる。ホメロスが洞窟を「薄暗くて好ましい(『オデュッセイア』13.103)」と表現したとき、この正反対な形容詞をもとに、ポルフュリオスは認識の複数のレベルについて述べている。日常の認識においては、洞窟は「好ましい」わけだが、知性(ヌース)を用いてより深く物事を見る人にとっては、洞窟は「薄暗い」というのである。これは、ポルフュリオスが明確に規定された解釈原理を欠いているからではなく、新プラトン主義の霊魂論の論理的な帰結だったのである。

このようにして、ポルフュリオスは、プラトンが自身の詩のもとにしたのは、自然的かつ歴史的な現実ではなく、超越的な現実だったことを伝えている。

2016年5月9日月曜日

コルヌートスとヘラクリトスの語源学と寓意的解釈 Dawson, "Ch. 1: Pagan Etymology and Allegory"

  • David Dowson, Allegorical Readers and Cultural Revision in Ancient Alexandria (Berkeley: University of California Press, 1992), pp. 23-52, 258-64.
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本書の第一章は、ストア派哲学者のコルヌートスとヘレニズム期文法家のヘラクリトスとを題材に、寓意的解釈の発展を概観している。コルヌートスは、語源学的分析を通して、ホメロスが保存した古代の神話の中で表現されている科学的な知恵を明らかにしようとした。対するヘラクリトスは、そもそも詩人自身が寓意的解釈をしていたと考えることで、ホメロスが被っていた非倫理性の批判に反論しようとした。いわば、コルヌートスにとっての語源学は、古代のテクストから科学的な知識を抽出するための手段であったわけだが、一方でヘラクリトスにとっての寓意的解釈は、哲学者の元祖であるホメロス自身の解釈を見つけることだったのである。

コルヌートスによれば、古代の神話は自らの哲学的・宇宙論的な知恵を英雄や神々の名前の中に表現しており、のちにそれらをホメロスやヘシオドスが詩の中で伝達したのだという。それゆえに、コルヌートスは、文学の中に埋め込まれたそうした神話の断片を同定し、彼らの哲学的・宇宙論的な真理を解釈しようとしたのである。ただし、詩人たちはもともとの神話が意図するところを誤解したり、詩的装飾を加えることによって曲解したりしている。そこで、解釈者は語源学的な解釈を用いることで、そこにもともとあった哲学や宇宙論を見つけなければならない。そしてそのときに見つかるであろう哲学とは、当然ストア哲学と一致する。こうした語源学的な解釈は、ヘラクリトスのようなストア派の専有物というわけではないが、やはりストア派の特徴のひとつであるといえる。

ストア派は、「概念(エンノイアイ)」を二つに分けることで、神話作者たちが描いた神話と、その中に含まれている彼らの哲学との差を説明した。その二つとは、第一に、文化的に規定され、教育によって導き出されるもの(conception);そして第二に、人間の直接的な経験によって生み出されるもの(preconception)である。神話作者は世界を知覚することで得たpreconceptionを、神話というconceptionに定式化したのだった。コルヌートスはこのconceptionを把握するために、擬音など語源学的な要素に注目し、「真の」意味を見つけ出そうとした。

ストア派の語源学は言葉の「意味」に関する議論を深めた。彼らによれば、意味には、「命名的な(nominal)」意味と「提示的な(propositional)」意味との二つがあるという。「命名的な意味」とは、名前とそれによって示されるものとの物理的な関係性のことを指す。対象の本質や内容こそが、言葉の意味だと考えたわけである。語源学的解釈はこの「命名的な意味」に属する。一方で、「提示的な意味」とは、オウムでもできるような単なる言語表現(lexis)ではなく、意味を持った理性的な発話(logos)のことを指す。このようにしてストア派は、名前とそれによって表される対象(nominal meaning)とを区別し、それと同時に、文章とそれが意味する意味(propositional meaning)とを区別したのだった。

コルヌートスの語源学的解釈は、このうち命名的な意味を扱うものであった。彼は擬人化された神々の名前を語源学的に解釈することで、そこに隠されているであろうストア派的な宇宙論を「解読」しようとしたのである。彼が寓意的解釈を用いたのは、こうしたストア派哲学を高めるための比較神話学的「研究」のためであり、詩人の非倫理性や神人同型説への非難に対して反論するためではなかった。
一方で、ヘラクリトスは、主としてプラトンとエピクロスによって投げかけられていた詩人の非倫理性と神人同型説への非難に対し、彼を擁護しようとした。ヘラクリトスは、コルヌートスのように、古代の神話作者と彼らをソースとする詩人という二段構えにはせず、詩人をコルヌートスの神話作者と同列に置いた。またコルヌートスにおいては神話という言葉は価値ある寓意哲学であったが、ヘラクリトスにおいては否定的な意味合いしか持たなかった。すなわち、ヘラクリトスによれば、ホメロスを文字通り読むならば、確かに彼の詩は下らない不敬虔な神話とけなされても仕方がないが、寓意的に読むならば、それは深遠な哲学的な知恵の間接的な表現なのである。

ヘラクリトスはコルヌートスのように、もとになる神話と詩人による装飾とを分けず、ホメロスの詩を倫理的かつ科学的真理の寓意として意図的に書かれたものと見なしたので、その一貫性が重要な点であった。ホメロスは一貫して寓意的に詩を書いたのであるから、それを文字通り読んで非倫理的な描写をあげつらうのはお門違いだと言うのである。なぜなら、ホメロスは詩人であると同時に哲学者として、古代の神話を寓意的に表現することで、自らの倫理的あるいは科学的真理を明らかにしているのだから。そしてヘラクリトスは、そうした自身の寓意的なホメロス解釈は、恣意的なものではなく、ホメロス自身が実はそう読まれることを求めていた解釈だと主張するのだった。

ヘラクリトスによれば、ホメロスの批判者たちはジャンルを誤っているのだという。彼らはホメロスの詩を額面通りに受け取って、「不敬虔(アセベイス)」であるとか「不適切(アプレペイス)」であるとか述べている。しかし、ホメロスの物語には二つの階層があるのである:第一に、神話的な詩という文字通りの表面的なレベル。第二に、より深い哲学的真理という寓意的なレベルである。ホメロスが表面的なレベルにおいて書いていることは、実はより深い真理のほのめかしだったのである。

ヘラクリトス自身は、ホメロスの表面的なプロットに従い、しかもそれを寓意的に読むときには一貫した解釈を心掛けていた。それゆえに、一見コルヌートスの解釈法とそれほど変わらないように見えても、ヘラクリトスは解釈の放縦を慎み、相互に抵触するような解釈は採用しなかった。なおかつ、たとえば「アポロがアカイア人に死をもたらした」という箇所において、アポロを太陽と解釈しても、「死をもたらした」という部分まで寓意的に解釈して、「アポロがアカイア人に死をもたらした」を「太陽が輝いた」と読み替えることはしなかった。あくまで寓意的解釈は特定の主語にのみ適用し、動詞には適用しなかったのである。そのようにして、ホメロスの表面的な物語を解き切ってしまわずに、一貫した寓意的な意図を保持したのだった。

このようにしてヘラクリトスは、まずホメロス自身を寓意的解釈の作家であると述べることで彼を擁護し、同時に自らの寓意的解釈を提供することによって、ホメロスの元来の意図を回復させることを目指したのだった。ヘラクリトスによれば、ホメロスを批判する者たちはホメロスが表面上の物語の下に潜ませている哲学を理解しそこなっているにすぎない。それゆえに、一旦それを了解すれば、表面上の物語に見られる非倫理性や神人同型説は、本来ホメロスが意図した哲学や科学的な真理として正しく理解できるのである。そのホメロスの哲学というのは真に独創的なものであり、のちの哲学者たちの見解というのは実はホメロスから引き出したものである。ヘラクリトスの語源学的な分析は、この真理へと読者が引き返すことを可能にする。

2016年5月8日日曜日

ヘラクリトスと寓意的解釈 Konstan, "Heraclitus: Homeric Problems"

  • David Konstan, "Introduction," in Heraclitus: Homeric Problems, ed. Donald A. Russel and David Konstan (Writings from the Greco-Roman World 14; Leiden: Brill, 2005), pp. xi-xxx.
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後1世紀から2世紀の間に書かれたと考えられているヘラクリトス『ホメロス問題』は、ホメロスが神々について述べていたことは寓意的に解釈されるべきであり、その内容は例えばストア派の神観にも比されるべき高度な内容だったと主張することによって、ホメロスが受けていた非難から彼を救出することを目的として書かれた書物である。

寓意的解釈の始まり。寓意的解釈とは、前1世紀のトリュフォンの定義によれば、あることを適切な意味で表現するが、一方で類似性によって他の何かの概念を供給するような言葉やフレーズのことである。ヘラクリトスは、この寓意的解釈を用いて、宗教的敬虔さに関するホメロスの悪評判を解消しようとしたのである。寓意的解釈をホメロスに適用した者として、最も古い記録は、前6世紀のレギウムのテアゲネスである。同様の解釈は、フェレキュデス、メトロドロス、コロフォンのクセノファネスらによっても試みられていた。しかし、彼らよりも古くからホメロスの寓意的解釈は存在したはずだと考えられている。

ホメロスの権威。プラトンは、ホメロスはすべての学芸の権威であり、すべての種類の知恵の源であると考えていた。ストラボンは、ホメロスは地理学の創始者であると考えていた。ストア派の哲学者たちは、ホメロスのことを哲学的教えの証人あるいは源泉であると見なしていた。なぜなら、ストア派は賢者のみが真の詩人だと考えていたからである。

寓意的解釈の本質。ホメロスの詩の一節は、しばしば古代の批評家にとっても不明瞭だった。それを何とか解釈するために、彼らは換喩的解釈や、語源学を用いた。プルタルコスによれば、古代の詩人たちが神々のイメージを用いたのは、概念を表す特定の用語を持っていなかったからであるという。

神話へのアプローチ。ストア派やキュニコス派は、ホメロスの描く徳のある行為のモデルを求めた。すなわち、知恵や忍耐の模範となるような人物をホメロス作品の中に見出そうとするのである。これはホメロス擁護にもつながっている。なぜなら、アキレウスやオデュッセウスのような英雄は、彼らを描いた詩人自身の清廉潔白さのしるしになるからである。ただし、神話を合理的に解釈することのすべてが寓意的解釈へと行きつくわけではない。パライファトスやエウヘメロスらは、神話への歴史的アプローチを取った。またオルフェウス教のような宗教的カルトは、ホメロスやヘシオドスのオリュンポスによって描かれる神々の寓意的解釈よりも広い間口を持っていた。プラトンは、『プロタゴラス』などにおいて、伝統的な神話の寓意的解釈を行なっているが、ホメロスによる神理解に含まれる不敬虔を非難したのだった。

プラトンによるホメロス批判。『国家』第2巻において、プラトンはホメロスを批判した。彼によれば、神話の中に真実を含むものがあることは確かであるが、若者はそうした物語における暗黙の意味をきちんと読み取ることができない。それゆえに、こうした詩は皆の前で朗誦されるべきではない、というのである。キケローやプルタルコスなどのプラトン支持者はこれに従った。これに対し、ストア派はホメロス擁護にまわった。ゼノン、クリュシッポスなどはホメロス解釈において、寓意的解釈を用いてその神学を強調することによって、彼を擁護した。後代のヘラクリトスは、プラトンもエピクロスも、共にホメロスに自分たちの教えの基礎を置いているのだから敬意を持つべきだと反論した。

寓意的解釈の種類。本来の寓意的解釈の他に、換喩法、語源学、歴史的出来事における神話の起源の探究、徳の模範としての英雄像の模索、倫理的・哲学的教えを支えるようなホメロス引用の整理などが挙げられる。これらはみな、ホメロスが不敬虔であるという言説に対する反論として、またホメロスがすべての学術において万能であることの証明として、そして表面的な意味と異なる謎めいた一節の説明として機能した。これらの解読法によって、隠された意味が明らかになる。しかもその隠された意味は、教育的な効果へと高められるのである。

Wolfgang Bernardは、寓意的解釈を、「代替的寓意(Substitutive allegory)」と「分割的寓意(Diaeretic allegory)」とに分けた。前者は、物語の登場人物と、抽象概念やエレメントとが、一対一対応になるものである。これはストア派やヘラクリトスに見られる。一方後者は、個別の登場人物ではなく、エピソード全体が寓意化されるものである。こちらはプルタルコスのようなプラトン主義者に帰される方法である。オリュンピオドロスのような新プラトン主義者は、より体系的に寓意的解釈を用いた。

2016年5月7日土曜日

寓意的解釈の歴史 Tate, "On the History of Allegorism"

  • J. Tate, "On the History of Allegorism," Classical Quarterly 28 (1934): 105-114.
前5世紀後半に文学の寓意的解釈が始まった理由としては、ホメロスとヘシオドスが非倫理的であるという当時の批判(特にプラトンによる)に対し、彼らを擁護するためだったという点がしばしば挙げられる。しかし、論文著者は、寓意的解釈の始まりはこのような消極的・護教的な理由ゆえではなく、もっと積極的・解釈学的な理由ゆえであると主張する。

後代の解釈者たち(クセノファネス、ピタゴラス、エンペドクレス、ヘラクリトスら)、特に哲学者たちは、ホメロスとヘシオドスとをあたかもひとつの学派であるかのように扱い、一緒くたに批判した。哲学者が詩人に敵対するようになったのは、ただその教えに関する批判からだけではなく、そのスタイルや使う言葉からでもあった。というのも、パルメニデスやエンペドクレスのような哲学者にとって、詩のスタイルは哲学的な真理を表現する方法でもあったからである。

こうして、哲学者は詩と神話とを専有しようとした。その理由は、第一に、ホメロスやヘシオドスによる神話の利用を神秘的に表現された神学と混同したから、そして第二に、彼らは古い神話を自分たちで考えた新しい神話に取って代わらせようとしたからである。彼らは推理的な理性の助けで真理を正確に述べることができないとき、それが自分の哲学的な主張であっても、神話の言葉を用いて語ったのである。そうした点で、プラトンは、ホメロスとヘシオドス同様に、彼らの敵であったヘラクリトスをも同様に批判した。

哲学者たちは、もともとはホメロスの作品を学んだ者たちであった。自分たちの哲学を作り上げていく中で、かつて学んだホメロスやヘシオドスを批判するようになったのである。哲学者たちは、詩人たちが哲学を教えるために、いかに巧みに神話を用いていたかを知っていた。しかし、哲学者たちにとって、その教えは多くの誤りをも含んでいたために、彼らは神話を合理化し、書き換えることによって、それを正そうとしたのである。そしてその方法こそが寓意的解釈であった。すなわち、哲学者が詩人の作品を長く学んでいたことと、彼らが自身の哲学的な洞察力を発展させていたこととが、寓意的解釈の始まりに大きく影響しているのである。

論文著者によれば、寓意的解釈とは、哲学者たち詩人の言葉の中で本当に語られていると考えている教えを敷衍し、より明確にするために用いられた方法である。そのために、最初は半分神話的な言葉を用いていたが、次第により科学的な言葉を用いるようになった。このことから、寓意的解釈は、従来考えられていたように詩人の非倫理性を擁護するという消極的な理由から始まったものではないといえる。このように始まった寓意的解釈であったが、これを初めて護教的に用いた者としては、レギウムのテアゲネスが挙げられる。他にも偽プルタルコス、キケローにおけるバルブス、コルヌートスらも護教的な寓意的解釈者であった。

論文著者は、寓意的解釈を三種類に分けている。第一に、「歴史的な(historical)」解釈は、詩人が意図していたような意味で詩を解釈することである。詩人の意図をあえて曲解するような解釈は「偽歴史的」な解釈と呼ぶことができる。プラトンの時代以前の寓意的解釈は、この偽歴史的な解釈であったと理解することができる(この方法はストア派に受け継がれていくことになる)。歴史的な解釈において、詩人は神話やシンボルを通じて現実についての真理を表現する賢者として理解される。

第二に、「本質的な(intrinsic)」解釈は、詩人の言葉を彼の意図から離れ、言葉の実際の意味やシンボリズムに従って、客観的に解釈することを指す。この解釈において、読者は詩人よりもその詩の内に秘められた意味を理解していると主張することができる。

この寓意的解釈における歴史的な解釈と本質的な解釈とは、特にポルフュリオスのような新プラトン主義の解釈者においては両方用いられることがあった。それゆえに、彼らにとっては、そもそもホメロスとプラトンとが調和する必要はなかった。なぜなら、彼らは詩と哲学とが同じことを語っていると考えていたからである。しかし、新プラトン主義的な解釈は、もともと新プラトン主義者である者にしか正しく理解されないという難点もあった。

第三の解釈は、「人工的な(artificial)」解釈であり、これは歴史的でも本誌的でもない詩人の言葉を解釈するものである。この解釈においては、詩人の言葉はいかなる目的にも適用されるため、ある意味では偽歴史的解釈と同じものであるともいえる。この解釈の代表例としては、プラトン(とソクラテス)、ストア派、そしてプロティノスが挙げられる。

詩の教訓主義は、詩人の神的な知恵によって裏付けられている。ただし、この神的な知恵とは、詩人自身の知恵によって語られるものと、それと反対に、預言や信託のように神から直接与えられるものとが考えられる。論文著者は、詩人自身の知恵によって書かれた詩を歴史的な寓意的解釈から来るものとし、一方で預言のように霊感を受けた詩を本質的な寓意的解釈から来るものと見なしている。ホメロス自身は霊感によって自分がコントロールされたことはないと述べている。ヘシオドスも同様である。ゆえに、ホメロスにしてもヘシオドスにしても、詩人が超自然的な力の受動的な入れ物であるとは考えないのである。プラトンやストア派もまた、詩人とは霊感を受けたからではなく、才能と正しい教育によって作品を書いたと考えた。しかし、新プラトン主義者たちは、詩人を予言者として理解することになる。

2016年4月18日月曜日

教師としての詩人 Russell, "The Poet as Teacher"

  • D.A. Russell, "The Poet as Teacher," in Criticism in Antiquity (Berkeley: University of California Press, 1981), pp. 84-98.
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本章は、古代の文芸批評における、詩人の役割について扱っている。アリストファネスはかつて、子供たちが教師を持っているように、大人たちは詩人を持っていると述べた。古代のギリシア・ローマにおいて、詩人の仕事はある種の教育を授けることでもあったのだ。

ただし、詩人をこのようにある意味で実用的に理解するというのは、必ずしも普遍的な見解ではなかった。むしろ詩は娯楽を与えるためのものであるというのが前5世紀からの共通見解であった。それが次第に、娯楽と実用性とのコンビネーションが賢明な詩人の目的だったと理解されるようになった。ヘレニズム期の理論家であるネオプトレモスは、実用性は詩の内容から、娯楽は言葉の響きから来るものだと説明した。他にも、詩人の目的な徳を教えることであり、娯楽は偶然それについてくるものだと説明する者もいた。

このような議論があったのは、詩が主題とする神話の中に、しばしば倫理的に非難されるべき箇所があるからであった。こうした詩の倫理について最初に批判した人物としては、クセノファネスが挙げられる。彼は、倫理の教育のために社会的な機会を用いるような詩のスタイルを推奨していた。これは翻って言えば、少なくとも前5世紀までは詩の伝統的な主題は非倫理的であると見なされていたということである。またヘロドトスは、ホメロスが物語の娯楽要素である美的効果にこだわるあまり、事実を曲げていることを批判した。

このように、倫理的な低さおよび事実の歪曲に関して、詩は否定的に評価されることがあったわけだが、これに対し、二つの点から擁護がなされた。第一に、詩が祭儀、法、そして生活の芸術において文明的な貢献をしたこと(アリストファネス、ホラーティウス)、第二に、詩人が問題のある物語を寓意化し、その内的な意味を明らかにしたことである。

ただし、プラトンはこれらの擁護の両方を否定した。『国家』において、プラトンはさまざま徳について語っているが、ホメロスにおける英雄や神々は、この徳のことごとくに当てはまらないのである。プラトンによれば、詩は明らかに読者の感情に影響を及ぼし、そうして刺激された感情は人間の自然な傾向や弱さを推し進めてしまうのだという。プルタルコスは、プラトン主義者として、この考え方をむろん引き継いではいるが、彼は詩の文脈を理解することと、詩人の言葉や状況の特殊性を歴史的に理解することなどを重視した。プラトンもプルタルコスも、詩の教育的な力を認めており、詩が読者の倫理的な姿勢を決めるとしている。それゆえにこそ、詩は厳格にコントロールされねばらないのである。

アリストテレスは、より複雑な見解を持っていた。彼が重視していたのは、詩の美的な質であり、その倫理性についてはほとんど関心を示さなかった。彼は、必要とあれば、詩において悪を模倣することも認めていた。アリストテレスによれば、確かに詩にも教育的な効果はあるが、あくまでそれは二次的で、詩の娯楽性が学びを含んでいるのだと考えた。すなわち、仮に詩が教育的あるいは実用的なレベルにおける有用性を持っていたとしても、それはあくまで付随的なものだというのである。アリストテレスは、詩人を倫理的な観点から批判する者たちの言説を一切認めようとはしなかった。

アリストテレスの考え方は、どうやら後代の者たちによく理解されていなかったような節があるという。ホラティウスはアリストテレスの影響を強く受けていたが、それでも彼は詩の倫理的な側面についてよく述べていた。と同時に、詩にとって真実であることは主たる目的ではなく、聴衆の関心を引くことが肝要であるとも考えていた。

アレクサンドリアの文献学者たちは、詩の目的をはっきり娯楽(プシュカゴギア)であると宣言した。彼らによれば、詩の中に神話的で非合理なことが出てきても、それをもって詩人を非難するのは的外れだと述べた。なぜなら、詩人の目的は真実を語ることではなかったからである。カリマコスなどは特に、詩のテクニックについて主として関心を持った。一方でストア派は、はっきりとホメロスは教育的であったと宣言した。ストア派によれば、詩のテクニックは、教育的な需要を満たすためのものであるという。そしてこうした見解を持ちつつ、ストア派が詩を解釈するに際して用いたのが、寓意的解釈であった。

ヘラクリトスは、寓意的解釈の萌芽を、アルキロコスやアルカイオスら初期の抒情詩人の中に見ている。ヘラクリトス自身の寓意的解釈は、神々や神話の寓意的解釈のみならず、抽象名詞の擬人化のようなものまで含んでいる。そしてそのようにして行なった解釈を、詩の作者の本当の意図だったと考えた。彼の考え方においては、寓意的解釈と象徴化とがあまり区別なく同居しているのである。

2016年4月8日金曜日

古代の詩人たちに関するコルヌートスの見解 Tate, "Cornutus and the Poets"

  • J. Tate, "Cornutus and the Poets," The Classical Quarterly 23 (1929), pp. 41-45.

コルヌートスは、ネロ帝の時代に活躍したストア派の哲学者である。本論文は、コルヌートスがホメロスやヘシオドスといった詩人たちの哲学的な側面をどのように評価していたかを検証したものである。

ギリシア神学を扱った論文の第17章において、コルヌートスは、詩人たちが歌う神話を安易に寓意的に解釈することを批判している。これは寓意的解釈の有効性を主張するストア派の主流派とは異なる見解である。コルヌートスによれば、ソクラテス以前の哲学者も神話を用いたが、詩人たちは神話のロマンスの部分ばかりを取り上げ、古代の哲学者たちによる寓意を部分的にしか伝えていないのだという。

コルヌートスの寓意的解釈自体はストア派由来のものであるが、詩人に対する低い評価はその限りではない。というのも、クリュシッポスは、古代の詩人をあたかもストア派であったかのように語っていることをキケローから批判されているし、ストラボンはホメロスの詩は哲学論文であり、ホメロスは哲学者であると見なしているし、そして寓意的解釈者のヘラクリトスはホメロスの哲学と知恵について語っているからである。とはいえ、ホメロスがストア派において最も理想的な人物であるかといえばそうではない。ストア派哲学者たちは、ホメロスが自分の創作を入れていること、彼の知識が不足していること、そして大衆を相手にしていることなどを批判してはいる。しかし、ホメロスがそうした非科学的な箇所を含みながらも、寓意的解釈によって正しい知識をも伝えようとしていることを、ストア派は高く評価していたのである。

それゆえに、詩人の誤りの強調と、その哲学的な性格の否定とは、コルヌートスがストア派から異なっている特徴になっている(彼は、語源学的解釈に関しても、クレアンテスやクリュシッポスよりも穏当なものをよしとした。言葉遊びはなるべく慎まなければならないという方針だったからである)。こうしたコルヌートスの逸脱は、キケローによる批判(古代の詩人を、現在から見ることで、あたかもストア派の哲学者であったかのように解釈するべきではない)に対するコルヌートスなりの回答であったと思われる。コルヌートスによれば、古代の詩人たちは確かにストア派哲学者ではないが、彼らの作品における神話は、ストア派的な寓意的解釈と親和性が高く、また彼らよりも前の哲学者らの見解を反映しているという。

コルヌートスにおけるこうした非ストア派的な考え方は、アリストテレスに依拠したものであると思われる。アリストテレスは、神話から、エッセンスとなる神学を抽出し、残りは創作だから必要ないものだと考えた。また彼は、ずっと古代にも哲学はあったのだが、それは詩人たちの神話の中にしか残っていないのだとも考えていた。

以上から、コルヌートスは、詩人たちが哲学的な真理を含んでいると考える点においてはアリストテレス的であるが、それがほんのわずかでしかないと考えるアリストテレスに対し、もっと多くがあるはずだと考える点においてはストア派的である。一方で、すべてのストア派的な原理が詩人たちの作品にあるとは考えなかった点においては非ストア派的であるが、詩人たちが哲学的なシステムを必ずしも伝えなくてもいいと考えていた点では非アリストテレス的である。

2016年4月2日土曜日

文献学者アリスタルコス Pfeiffer, "Atistarchus: The Art of Interpretation"

  • Rudolf Pfeiffer, "Atistarchus: The Art of Interpretation," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 210-33.
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Rudolph Pfeiffer

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サモトラケ島で生まれたアリスタルコスは、人となりはあまり知られていないが、外見に気を使わない人物だったと言われている。彼は第五代のアレクサンドリア図書館長として奉職しつつ、他の図書館長たちと同様に、プトレマイオス王家の家庭教師としても活躍した。中でも彼はプトレマイオス7世ネオス・フィロパトルと親しかったために、前145/4年頃にこの王が政争でプトレマイオス8世エウエルゲテス2世に敗れると、アリスタルコスはキプロス島に逃れたのだった。シュラクサイのモスコスを始めとする40人もの弟子がいたというが、こうした弟子たちもロードス島、ペルガモン、アテーナイなどへと逃れたために、アリスタルコスのあとの図書館長は、キュダスという何の教養もない軍人が勤めることになった。

アリスタルコスの仕事は、先人たちが残したギャップを埋めることであった。彼以前の図書館長たちは、自分が校訂した作品に関する著作をするときに、専ら「モノグラフ(συγγράμματα)」を書いたが、アリスタルコスはモノグラフのみならず、「注解(ὑπομνήματα)」をも得意とし、一説では800巻もの注解をものしたという。アリスタルコスの注解は、『イーリアス』のヴェネツィア写本の欄外にあるスコリアに残されている。このスコリアは、ディデュモス、アリストニコス、ヘロディアン、そしてニカノルという4人の学者によって作成された。

アリスタルコスの注解の研究は、近代のホメロス文献学と密接に関わっている。1788人に発見された先のヴェネツィア写本をもとに、F.A. WolfはProlegomena ad Homerum (1795)を上梓した。この中でWolfは、アリスタルコスが書いたのは注解だけであり、また彼が作成したホメロスの校訂版は複数ではなかったと主張した。しかし、これに対してK. LehrはDe Aristarchi studiis Homericis (1833)において反論し、ディデュモスは少なくともアリスタルコスによる二種類の校訂版と二種類の注解を持っていたと主張した。20世紀になると、H. Erbseが、アリスタルコスの著作が言及されるときに用いられる、ἐκδόσεις, διορθώσεις, ὑπομνήματαといった言葉の用法を検証し、第一に、アリスタルコスが書いた注解はおそらく一種類であること、そして第二に、彼は独自の校訂版を作成することはなかったことを主張した。いわば、ErbseはWolfの主張に立ち返ったのである。

以上は近代のアリスタルコス観であるが、古代においては、たとえばディデュモスはアリスタルコスがホメロスのテクストの二種類の改訂版を作成したと述べるが、アリスタルコスの弟子だったアンモニオスは一種類の版のみしかなかったと述べる。また注解に関しては、Aスコリアは複数の注解があったと報告している。こうしたことから、論文著者はこの経緯を以下のようにまとめている:第一に、アリストファネスの校訂によるテクストに基づいたアリスタルコスの最初の注解が出版され、第二に、アリスタルコスによるテクストの改訂がなされ、第三に、その自身による改訂版を用いた二つ目の注解が出版され、最後に、彼自身による再度の改訂がなされた。

アリスタルコスは、ゼノドトスとアリストファネスによって導入された欄外における印を用いた。パピルスのスクロールを用いていた時代には、テクストと注解とは別のスクロールに書かれており、テクストに使われた印は、注解における本文引用や見出しにおいても繰り返されていたが、コーデックスを用いるようになると、欄外に十分に注解を付すことができるようになった。

アリスタルコスはこのようにホメロスを重点的に取り上げはしたが、他の非ホメロス的文学に関する文学批評をも残している。ヘシオドスのような教訓叙事詩、さまざまな抒情詩、ピンダロス、バッキュリデス、アルクマン、ステシコロス、サッフォー、アルカイオス、またアイスキネス、ソフォクレス、エウリピデス、アリストファネスらの劇にも注解コメントを残している。さらに、アリスタルコスはヘロドトスのような散文作者に初めて注解コメントをつけたことでも知られている。

このように、たくさんの注解を残したアリスタルコスの解釈原理として有名なのは、ポルフュリオスが伝えている、「ホメロスをホメロスから説明する(Ὅμηρον ἐξ Ὅμήρου σαφηνίζειν)」というものである。本当に彼がこうした言い回しをしたのかは不明だが、少なくともこの原理は他の箇所から知られるアリスタルコスの意見と一致しているという。論文著者が考えるところでは、この言い回し自体はポルフュリオスによる発案であろうと考えている。

注解をする中で、アリスタルコスは文法的、あるいは韻律学的な発見もしている。実際に、文法的な類推は彼の手法のひとつであった。それによって、アリスタルコスは、「非ホメロス的な(οὐκ Ὁμηρικῶς)」ところや「後ホメロス的/ありきたりな(κυκλικῶς)」ところを発見し、そうした箇所を消去するのではなく、「改竄(τὸ ἀθετεῖν )」として印をつけたのだった。アリスタルコスによって整えられたこの方法は、のちの学者たちによっても踏襲されることになった。

アリスタルコス自身の、ホメロス詩観としては、エラトステネスと同様に、ホメロスは教育ではなく娯楽を目的として詩を書いたというものであった。いうなれば、アリスタルコスは、ホメロスの創造性と陳腐さとを区別するアリストテレス的・カリマコス的な見解を受け入れ、クリティカル・サインを用いることでそれを明確にしたわけである。

プトレマイオス7世と8世との政争によって、アリスタルコス以降、アレクサンドリア図書館における卓越した学者たちの伝統は途絶えてしまった:
They were, as we have seen, connected by personal links, as the younger scholars were the pupils of the previous generations; but there were no διαδοχαί, as in the philosophical schools with their particular δόξαι. The great Alexandrians were united, not by doctrine, but by the common love of letters, and every one of them was an independent individuality.

2016年3月24日木曜日

ホメロスの寓意的解釈とフィロン Kamesar, "The Logos Endiathetos and the Logos Prophorikos in Allegorical Interpretation"

  • Adam Kamesar, "The Logos Endiathetos and the Logos Prophorikos in Allegorical Interpretation: Philo and the D-Scholia to the Iliad," Greek, Roman, and Byzatine Studies 44 (2004), pp. 163-81.

アレクサンドリアのフィロンは、ストア派哲学に見られる、ロゴス・エンディアテトス(内的ロゴス)とロゴス・プロフォリコス(言い表されたロゴス)の原理を、自身の聖書解釈に適用していた。ストア派の考え方においては、我々が自分の理性の中で思惟するときに用いるのがロゴス・エンディアテトスであり、しゃべるときに自分の思考を表現するときに用いるのがロゴス・プロフォリコスであるとされる。五書を解釈する際に、フィロンはモーセをロゴス・エンディアテトスに、そしてアロンをロゴス・プロフォリコスに当てはめている(『劣者の奸計』38-40、『移住』76-81, 84, 169、『改名』208、『出エジプト記問答』2,27, 44)。

本論文は、それぞれのロゴスを物語の登場人物の性格に当てはめるという、フィロンによく似た解釈が『イーリアス』のDスコリアにも見られることから、互いの思想的な影響関係を検証したものである。『イーリアス』のスコリアは3種類あることが知られており、しばしば、Aスコリアはcritical scholia、Bスコリアはexegetical scholiaと呼ばれる。対するDスコリアは、主としてホロメスの言葉遣いの単純な説明や、神話の補足を扱っているが、それ以外にも寓意的解釈が保存されている場合がある。

本論文が扱う『イーリアス』5.385-391においては、神々を攻撃した人間の例として、軍神アレスを縛ったオトスとエフィアルテスが登場するが、Dスコリアにおいて、アレスは「怒り」と、そしてオトスとエフィアルテスは「教育におけるロゴイ」と解釈された。オトスは、ある者が耳から指導を聞くことで教育されるときに用いられるロゴス・プロフォリコスを表しており、エフィアルテスは、ある者が自然(フュシス)によって自発的に発展するときに用いられるロゴス・エンディアテトスを表している。

明らかに「教育」と結びついたロゴス・プロフォリコスはともかく、自発的かつ自然的に発達するというロゴス・エンディアテトスはどのように「教育」と関係しているのか。そこで論文著者は、ギリシア思想史においてプラトンやイソクラテスの時代から伝統的に存在する、修辞学と哲学との衝突を引き合いに出す。フィロンの思想において、ロゴス・プロフォリコスの訓練は修辞学と、一方でロゴス・エンディアテトスの訓練は哲学と結びついていた。人が神と交流するとき、声を出す器官は姿をひそめ、代わりに言葉を介在しないロゴスが現れるわけだが、この後者の高次のロゴスが、哲学と結びついたロゴス・エンディアテトスなのである。Dスコリアもまた、二つのロゴスを「教育におけるロゴイ」と呼ぶとき、この前提を持っていたと考えられる。

Dスコリアの成立年代を特定することは難しいが、論文著者はDスコリアの解釈の特徴から、おそらくヘレニズムの初期から中期にかけてではないかと論じている。Dスコリアは、『イーリアス』における二人の登場人物として評される「教育におけるロゴイ」が、アレスとして表される「怒り」を縛るのだと解釈しているわけだが、この「教育が怒りをコントロールする」という見解と同様のものが、ポセイドニオス、カリトン、キュレネのシュネシオス、フィロン、そしてカッシウス・ディオに見出されるのだという。論文著者は、ここからこの考え方が少なくともヘレニズム中期にまで遡ると考えている。

論文著者は、Dスコリアの解釈の続きから、同書における寓意的解釈の哲学的な視点を2つ指摘している。第一に、怒りと欲望(エピテュミア)とを並置することは、魂の非理性的な部分に関するプラトン思想との関わりを想起させる。これは、ポリュビオス、パナイティオス、そしてバビロニアのディオゲネスらにも見られる。第二に、解釈の続きで今度はヘルメスがロゴスを表し、同時に怒りがやや肯定的に描かれるが、こうした肯定的な怒りは勇気と関わっているとして、テオフラストス、パナイティオス、そしてバビロニアのディオゲネスらに見られるものであるという。以上の2点から、論文著者は、Dスコリアの哲学的な背景は、ストア派はストア派でも、バビロニアのディオゲネスとかなり近いものであると考えている。

本論文の結論として、著者は以下の3点を挙げる:第一に、フィロンによるモーセとアロンとをそれぞれロゴス・エンディアテトスとロゴス・プロフォリコスとに当てはめるという寓意的解釈は、Dスコリアにおけるオトスとエフィアルテスとの解釈にインスパイアされたものである。第二に、フィロンのテクストとDスコリアとを比較すると、両者はストア派の考え方を「応用」していることが分かる(修辞学と哲学とをそれぞれのロゴスに結び付けることで、全体的に教育の議論へと持っていく、など)。第三に、この解釈はヘレニズム期のアリスタルコスの時代にはすでにあったものであり、おそらく彼もこれを知っていた可能性がある。

2016年3月18日金曜日

アレクサンドリアの文学批評 Grube, "Alexandria"

  • G.M.A. Grube, "Alexandria," inThe Greek and Roman Critics (London: Methuen, 1965), pp. 103-9.
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本章は、ヘレニズム期のアレクサンドリアにおける文学批評について概観したものである。この時期のギリシア語には、むろん共通語としてシンプルなスタイルを持ったコイネー・ギリシア語もあるが、それ以外にも、華やかでやや冗長なアジアニズムのギリシア語もあった。このアジアニズムは、キケローやクインティリアヌスらによって、しばしばアッティシズムと対比的に語られるが、多くの場合その論調は否定的である。アジアニズムのギリシア語として代表的なのは、前3世紀中頃のマグネシアのヘゲシアスである。

前285年にアレクサンドリアの図書館ができあがると、そこを拠点にギリシア文学批評の文献学者たちが活動するようになった。本章では、ゼノドトス、カリマコス、エラトステネス、ビザンティウムのアリストファネス、そしてアリスタルコスが取り上げられている。ゼノドトスは、アレクサンドリアにおける最初のホメロス校訂者であった。ゼノドトスは、校訂版を作成するに当たって、しばしば主観的な判断から、詩の一部の削除を指定するオベロス記号を写本に記した。しかしながら、彼は削除を指定するだけであって、その箇所を実際に写本から削除はしなかった(それゆえに、現在でもその部分を検討することができる)。彼の姿勢はやや言語によりすぎ、歴史的な観点が抜けているとされているが、自分の頭の中だけで校訂作業をしたわけでないのである。

カリマコスは文学の学者であると同時に詩人でもあった。彼の詩は、当時のアレクサンドリアの文学者たちの考え方の傾向をよく保存している。ギリシア本国からは離れた場所であるアレクサンドリアの文学はギリシア文学としては傍流であるが、それゆえにこそ、当地の作家たちは偉大な古典期の作家たちの功績を明確に意識しており、同時に自分たちの時代はそれには及ばないことも知っていた。ゆえに、アレクサンドリアの文学は、文学史を熟知した博識な詩人が博識な読者に宛てた勉強文学であった。またジャンルに関しても、大規模な叙事詩や悲劇ではなく、小規模な賛歌、エピグラム、牧歌、抒情詩などが中心となった。内容的には、倫理的な教訓ではなく、(高いレベルでの)娯楽に徹したものとなった(むろん、プラクシファネスやネオプトレモスといった反対者たちもいる)。

博識だが、一流ではなかったと評されていたために、ベータとも呼ばれたエラトステネスは、詩の目的とは娯楽を提供することであって、決して教訓を与えることではないと述べていた。それゆえに、詩人は兵法、農業、修辞学などに秀でている必要はなく、また詩の中で正しい知識を述べなければいけないわけではないとした。このエラトステネスの主張は、のちにストラボンによって激しく批判されることになる。

ビザンティウムのアリストファネスは、ギリシア語のアクセントや句読点、そして校訂のための記号などを発明したと言われている。また彼はさまざまな劇作品に短い序文(ヒュポセシス)を付し、その作品のジャンルを決定したが、今もってその判断が踏襲されている。

アレクサンドリアの学者の中でも最も偉大な人物とされるのが、アリスタルコスである。前180年頃にアレクサンドリアの図書館長となったアリスタルコスは、それまでに培われてきた校訂や批評の方法論を発展させたのである。彼の腕前が遺憾なく発揮されているのは、ホメロスのスコリアと注解である。彼の姿勢は、写本にあるテクストをなるべく改変しないようにするという保守的なものであった。また、「ホメロスはホメロス自身によって解釈されるべき」という有名な言い回しからも分かるように、彼はホメロスのある一節を解釈する際に、ホメロス文学コーパス上(『イリアス』と『オデュッセイア』)で同じ用語や言い回しがないか調べ、それを参考に意味を定めていった。それゆえに、一般的に「恐れ」を意味するフォボスという言葉が、ホメロスでは「敗北」を意味することなどを発見した。このことから、同時に彼はハパクス・レゴメナに特に注意を払った。また、ホメロスの物語はホメロス当時の、あるいは彼が描く英雄たちの時代の基準で理解されるべきであって、仮に解釈者にとって奇異な箇所があっても、それを不適切だとして改変すべきではないとした。これは文学批評の歴史の中でも、極めて大きな一歩であった。こうした規範をもとに、アリスタルコスは詩人の解釈の自由度を認めつつ、行き過ぎた歴史性から文学を解放したのである。彼の弟子であるディオニュシオス・トラクスは、その師よりも文法や言語学に注目した。

こうして発展してきたアレクサンドリアの文学批評に対し、ペルガモンでも一味違った文学批評の伝統が築かれていた。アリスタルコスの同時代人であるマロスのクラテスは、ストア派の言語理論をもとに、経験主義的なanomalistの観点から批評を行なった(このときアレクサンドリア学派は教条主義的なanalogistと位置づけられる)。クラテスが一時期ローマで暮らしたことから、ペルガモン学派の考え方はラテン文学に移され、ウァッローなどに影響を与えた。

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