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2020年2月14日金曜日

クムラン・セクトの形成期 Boccaccini, "The Formative Age"

  • Gabriele Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis: The Parting of the Ways between Qumran and Enochic Judaism (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1998), 81-.117


マカベア戦争期に書かれたダニエル書『夢幻の書』は、クムランの図書館でも権威あるものとして扱われていた。両者は共にジャンルとしては黙示文学(apocalypse)であり、同じ世界観である黙示思想(apocalypticism)を共有している。

エノクが登場する『夢幻の書』は反抗的な天使の罪に起因する悪と不浄の拡散についても言及しているので、明らかにエノク派文書だが、歴史的な観点も持っている。それゆえに、マカベア危機は天使の罪にはじまる劣化プロセス(degenerative process)の帰結と見なされている。同書の核心をなす「動物の黙示録」(エノク85:1-90:42)は、モーセのトーラーについて言及せず、無視している。

ダニエル書も同様の劣化(degeneration)の歴史観を持っている。ただし、劣化は歴史全体ではなくある一時代のことだけと考えている。またエノク派的な悪の教義は共有していない。またダニエル書は、モーセのトーラーと第二神殿の正当性を主張している点で、ツァドク派ユダヤ教の教義に同調している(ただし、ツァドク派の祭司制には批判的なので、クムランでも人気があった)。

こうした違いから、ダニエル書はラビ・ユダヤ教で正典とされ、『夢幻の書』のようなエノク派文学はそうされなかった。またここからダニエル書は黙示的(apocalyptic)でないと見なされることもある。確かに、P. Sacchiのように「黙示的」を「エノク派的」と捉えるならば、ダニエル書はエノク派でないがゆえに「非黙示的(nonapocalyptic)」あるいは「反黙示的(antiapocalyptic)」になってしまう。しかし、J.J. Collinsによると、「黙示思想(apocalypticism)」は単一の派閥ではなく世界観なので、エノク派にもツァドク派にも、さらにはキリスト教徒にも影響を与えたと言える。

『ヨベル書』(4:17-19)は、『寝ずの番人の書』『天文の書』『夢幻の書』に暗示的に言及しているので、マカベア危機のあとに書かれたものである。一方で、『ダマスコ文書』(16:2-4)で引用されているので、前党派的テクストである。思想的には、エノク派ユダヤ教の悪の概念、人間の歴史が反抗的な悪魔的力の影響下にあるという考え、劣化の歴史観を共有している。社会学的にも、ツァドク派ユダヤ教とは異なる祭司制を唱えている点で、エノク派的である。

ただし、以下の2点において、通常のエノク派文書とは異なる。第一に、ツァドク派伝統の主役であるモーセに与えられた書という自己認識がある点である。どのようにエノク派的伝統とツァドク派的伝統を混ぜ合わせるかというと、『ヨベル書』は、人間の行いがすべて書かれた天の書字板があるとする。そして、ノア、アブラハム、ヤコブ、そしてモーセなど、エノク以降の啓示者たちは皆その書字板を見ることで、神の啓示を受け取っていたと説明するのである。それゆえに、父祖たちがのちにモーセに顕かにされた律法を知っていたとしても、それはラビ・ユダヤ教が説明するように律法が先在していたからではなく、彼らが天の書字版へのアクセスを持っていたからだということになる。また完全な啓示はその天の書字版にしかないので、ツァドク派のトーラーはあくまでもその不完全なコピーのひとつにすぎない。そういう意味で、『ヨベル書』はエノク派的伝統とツァドク派的伝統を調和させてはいるが、前者が後者に優越していると見なしている。こうしてツァドク派のトーラーはツァドクの家だけのものではなくなった。

第二に、神の予定論に基づく独特の選びの教義である。『夢幻の書』においては、悪や不浄はユダヤ人も含め、すべての人類に影響するし、逆に救済は非ユダヤ人も含め、すべての人類にもたらされるものとされていた。ここでは「選び」はあいまいである。ところが、『ヨベル書』においては、ユダヤ民族ははっきりと特権的に選ばれた者たちとして描かれている。エノク派的な悪の概念とユダヤ民族の選びを調和させるために、『ヨベル書』はまず神の予定論を強調する。ユダヤ民族は最初から神に選ばれた聖なる民族であった。堕天使は天国と地上の領域を侵犯したことで創造の秩序を汚染したが、ユダヤ民族は選ばれたことで、そうした不浄の世界から切り離されたのである。しかし、ユダヤ民族は常に安全なのではなく、不浄をもたらす倫理的な罪を犯せば、その特権は失われる。このように、『ヨベル書』は浄と不浄、聖と冒涜に取り付かれている。

『ヨベル書』は他にも、太陰暦に対するはっきりとした論争をユダヤ思想の中で初めて表している。『天文の書』でも太陽暦が好まれているが、太陰暦を批判しているわけではなかった。太陽暦はツァドク派とエノク派が共有する第二神殿時代の伝統的な祭司的暦であるが、太陰暦はマカベア危機の時代にギリシアから導入されたヘレニズム的暦である。太陽暦の回復は、選ばれた民を悪の諸民族から切り離すために、『ヨベル書』にとって急務だった。

『神殿の巻物』をY. Yadinは党派的文書と説明したが、多くの現代の研究者は前党派的文書と見ている。『神殿の巻物』は、『ヨベル書』のように、ツァドク派のトーラーと並行するモーセ的啓示として、エルサレム祭司制に反対する祭司グループによって書かれた。共に太陽暦を用いている。しかし、『神殿の巻物』は『ヨベル書』よりも厳格な清浄規定を持っている。神殿の不浄規定と都市としてのエルサレムの不浄規定には差があるのが普通だが、『神殿の巻物』はエルサレムにも神殿並みの清浄さを要求する。ただし、『神殿の巻物』は党派的な分離を目指しているのではなく、イスラエル全体が等しく清浄であることを求めている。

『エノク書簡』(『エノク書』91-105章)の成立は複雑だが、前2世紀にクムラン共同体は、「週の黙示録」(93:1-10; 91:11-92:1)を含むプロト『エノク書簡』とでもいうべきものを持っていたはずである。成立時代にはさまざまな議論があるが、おそらくマカベア以降と考えられる。この文書は、エノクが息子たちに送った3つの語りでできている。このうちの第二の語りが「週の黙示録」に当たる。

そこにおいて『ヨベル書』や『神殿の巻物』の伝統と大きく異なるのは、多数派が忘れた知恵を受け継ぐことになる小数の選ばれたグループという考え方である。彼らは完全にイスラエルから分離したわけではないが、いわば選ばれた者たちのうちからさらに選ばれた者たちである。彼らの時代には、第一に、イスラエルが回復して新しい神殿が建設され、第二に、人類が回復し、第三に、最後の審判と共に原始の時代に戻り、新たなる創造がなされる。

イスラエルの民への忠誠心を裏切ることなく、エノク派は、神の意思と真の解釈と彼らが考えることを実行するために、イスラエルの改心を待つ必要はなくなった。選ばれた者たちからさらに選ばれた者たちとして、ユダヤ教の内部で分離したアイデンティティを持った。

『ハラハー書簡』は、分離したグループ(われわれグループ)が権威を持つ者(あなたグループ)に対し、多数派(彼らグループ)からの分離の理由を説明する文書である。律法解釈については、『神殿の巻物』のそれと比較可能である。『ハラハー書簡』によれば、ユダヤ民族はいまだ捕囚の状態にあり、現在は新しい創造へと導く最後の出来事の始まりであるという。L.H. Schiffmanは、『ハラハー書簡』にはのちのラビ・ユダヤ教がサドカイ派に帰するハラハー理解があるが、それはツァドク派ユダヤ教とエノク派ユダヤ教が共に祭司的なルーツを持つからである。「われわれグループ」が多数派である「彼らグループ」から分離したのは、自ら課した分離であって、孤立ではない。「われわれグループ」はいまだに自分たちをイスラエルの一部と考えている。これらはクムラン・グループそのものではなく、クムランの親グループである。

2018年7月28日土曜日

4Q252における申命記的特徴 Brooke, "The Deuteronomic Character of 4Q252"

  • George J. Brooke, "The Deuteronomic Character of 4Q252," in Pursuing the Text: Studies in Honor of Ben Zion Wacholder on the Occasion of His Seventieth Birthday, ed. John C. Reeves and John Kampen (JSOTSup 184; Sheffield: Sheffield Academic Press, 1994), 121-35.
H. Stegemannによると、4Q252写本は2つの別の写本から成っているという。普通であれば注解者はひとつのパターンに従うのに対し、4Q252はそうはなっていないからである。しかし、論文著者によると、写本の観察から、4Q252の6つの断片は皆同じ写字生によって作成されたひとつの写本に由来するという。そして内容的にも、6つの断片すべてに申命記的特徴が見られることから、写本はひとつだったことが分かる。

4Q252 3.2-6:M. Kisterは、この箇所では申13:14-18の「ヘレム」の法のことを指しているとするが、M. Bernsteinは、偶像崇拝のために犠牲を禁じる申命記的法のことをより明確に指摘している。申13章には、「חרם」「שלל」といった、4Q252のこの箇所に出てくる言葉が出てくる。4Q252 3.5の箇所も、申20:11の言い回しを想起させる。4Q252のソドムとゴモラに関する法的注解は、犠牲禁止の法に基づいてこの二都市の殲滅を正当化するものである。そのとき、4Q252は申命記をモーセ以前の出来事にも適用できると考えている(『ヨベル書』や『神殿巻物』も同様の考え方)。

4Q252 4.1-3:「アマレクの記憶を拭い去る」に関する部分で、Eisenman/WiseとStegemanは出17:14を典拠とするが、論文著者は申25:19とする。出エジプト記と異なり、申命記ではアマレクが滅ぼされなければならない理由が語られている。また申命記では4Q252のテーマである土地の贈与が語られている。さらに、申命記にある「主なる神が周囲のすべての敵からあなたの守って安らぎを与えるとき」というフレーズは、4Q252のように「日々の終わりに」という終末論と結びつきやすい。「日々の終わりに」という表現は五書では申命記のみに現れる。アマレクを滅ぼすという申命記の掟が終末、つまり編纂者の時代において成就するという考え方は『神殿巻物』にも見られる。

4Q252 5.1-2:エレ33:17が引用されているが、18節ではレビ人について触れている。この箇所はしばしば申18:1におけるレビ人の規定と結び付けられる。文脈を広く取ると、4Q252の編纂者は、自分たちはもともとレビ人だったが、今では「共同体の人」(4Q252 5.5)だと考えているのだろう。

4Q252 2.7:創9:27「彼はセムの天幕に住まう」の彼は、通常はヤペテが主語だが、4Q252はそれを神にすることでヤペテをセムの天幕から除外している。「שכן」のカル態は多く見られるが、そのピエル態は申命記のみに見られる。そして「彼の名前をそこに住まわせる」(申12:5, 11, 14)は、G. von Radによれば、申命記の中心的な思想のひとつである。「שכן」は死海文書の中では『神殿巻物』に頻出する単語である。また申命記における父祖への言及は、ひとつを除いてすべて土地の贈与の約束に関するものである。

祝福と呪い:M. Kisterは4Q252の主題を祝福だと考えた。確かに、五書における「ברך」の動詞のほとんどは創世記と申命記に集中している。しかし、論文著者はむしろ呪いこそが4Q252と申命記をより強くつないでいるとする。というのも、第一に、ソドムとゴモラ、アマレクなどへの言及があり、第二に、申27章のレビ人による呪いの掟からの影響が見られる(『共同体規則』にも似たような記述あり)。さらに第三に、申命記のレビ人と結びついた軍事的な敬虔さは、『戦いの巻物』における祭司とレビ人への言及と重なる。論文著者は、4Q252に見られる創世記の申命記的解釈は『戦いの巻物』と似ていると主張する。

以上のように、4Q252は創世記の注解でありながら、明示的にせよ暗示的にせよ、申命記の影響が認められる。ここから4Q252は、同じように申命記からの影響を受けた他のクムラン文書、たとえば『会衆規定』『ダマスコ文書』『神殿巻物』の解釈にも役立つ。

2018年7月23日月曜日

クムランにおける聖書解釈 Vermes, "Bible Interpretation at Qumran"

  • Geza Vermes, "Bible Interpretation at Qumran" Eretz-Israel: Archaeological, Historical and Geographical Studies (Yigael Yadin Memorial Volume) 20 (1989): 184*-91*; repr. in Vermes, Scrolls, Scriptures and Early Christianity (The Library of Second Temple Studies 56; London: T & T Clark, 2005), ?
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クムラン聖書解釈の見取り図を描く古典的な論文である。本論文より以前に同様の試みをした研究には、F.F. Bruce, Otto Betz, Vermes, M.P. Horgan, Herve Gabrion, George J. Brooke, Devorah Dimantなどがあるが、本論文は聖書解釈の便宜的な分類をしている。

それに先立ち、論文著者はいくつかの用語の定義を行っている。まず「聖書」とは、後100年か少し前から、ラビ集団の中で認められたヘブライ語文書のまとまりを指す。死海文書が成立した時代にこれがどのようなものだったのかはよく分かっていないが、少なくともエステル記以外のすべての現在で言うところの聖書文書がクムランで見つかっている。死海文書中の聖書引用からも当時の正典を導き出すのは難しい。というのも、引用されているのは、「前の預言者」のうちではヨシュア記とサムエル記のみであり、諸書の中では詩篇と箴言のみだからである。

「解釈」について、論文著者はこれを3つのタイプに区分する:
  1. 編集タイプの暗示的解釈(『神殿巻物』)
  2. 聖書の個々の文書の解釈(再話聖書とペシェル)
  3. 主題別に集められたさまざまな文書からの抜粋の解釈
まず第一の「編集タイプの暗示的解釈」は、調和、合成、補足といった方法で聖書テクストを再構成するものである。代表例である『神殿巻物』は聖書そのものの改訂版といっていい。ここからは、第二神殿時代のソフェリームが、タルムード時代のラビたちよりも自由にテクストを扱っていたことが判る。

論文著者は第一の解釈の実例を4つ挙げている。第一に、「平行テクストの分類と照合」の例である『神殿巻物』51:19-52:3は、申16:21-22とレビ26:1でそれぞれやや異なって言及されている偶像崇拝の禁止をひとつにまとめ、両者が相互に解釈し合うようにしている。第二に、「調和的展開」の例である『神殿巻物』52:11-12は、レビ17:13で説明されている、殺した動物の血を地面に注がなければならないという規定の詳細を、申12:23-24に盛り込んでいる。第三に、「明確化するための付加」としては、申14:24で述べられている十分の一税を神殿に納めるには遠すぎる場所の距離が、『神殿巻物』43:12-15で「三日間歩くほどの距離」と定義されている。第四に、「改変と補足」では、申21:12-13で述べられている捕虜の女性と結婚するための決まりに対し、『神殿巻物』53:12-15では、その女性の花嫁支度を夫が世話すること、また完全に妻とするために7年かかること(それ以前はその女性は清浄規定に抵触する)が決められている。

第二の解釈タイプである「聖書の個々の文書の解釈」は、さらに下位区分として「再話聖書」と「ペシェル」に分けられる。「再話聖書」の代表例は『外典創世記』であり、これは聖書物語の明確化、装飾、完全化、更新のためにさまざまな説明的工夫を物語に盛り込むことで、論文著者は実例を3つ挙げている。第一に、「明確化するための付加」としては、創12:11-13でアブラハムが妻サラに自分の妹だと偽ってもらう箇所で、なぜアブラハムが命の危険を感じたかの説明が『外典創世記』19:13-16に付加されている。第二に、「装飾のための付加」としては、創12:15でわずかに語られているのみのサラの美しさを、『外典創世記』20:2-8は長々と説明している。第三に、「弁明的な置き換え」としては、創12:16でアブラハムがサラをエジプトの王に差し出したことで多くの家畜を得たことに対し、『外典創世記』20:10-11, 14, 29-32ではアブラハムがサラを失ったことを一晩中嘆いたあとに贈り物を得たことが説明される。

このように、「再話聖書」の目的は解説的なものであって、歴史的あるいは神学的なものではない。聖書の地名をアップデートするといった、一見歴史的な改変も、物語を判りやすくするための解説的な措置なのである。

ペシェル」は形式と内容によって定義される。形式的には、聖書テクストの引用(通常3節以下の長さ)から始まり、導入的な語が続いたあと、引用テクストの解説となる。『ハバクク書ペシェル』などが代表例である。内容的には、預言として理解される聖書テクストを(注解者の)同時代あるいはほぼ同時代の出来事に関係付ける。これは「成就の解釈」と呼ぶことができる。ペシェルの解釈者は歴史記述をしようとしていたのではなく、あくまで聖書解釈を目的としていた。もし歴史を書こうとしていたのなら、必要な部分だけを選んでいただろうが、実際には一節ずつ、一章ずつ解釈している。

論文著者はペシェルの4つの実例を挙げている。第一に、「秘密の歴史的解釈」。預言書には、聖書の預言者が感じていた終末、すなわちクムラン共同体にとっての現在が書かれているわけだが、ペシェル解釈者はそれを外部に知られないように専門用語(「ユダの家」「裁きの家」「義の教師」)を多用した難解なかたちで示す(『ハバクク書ペシェル』8:1-3)。第二に、「判りやすい歴史的解釈」としては、ナホ2:11の「ライオン」をセレウコス王のデメトリオスやアンティオコスと見なす(同時に「滑らかなものを探す者」「キッティーム」といった専門用語も用いる)。第三に、「神学的解釈」では聖書テクストに党派的な原理を読み込み、義の教師の役割などを強調する(『ハバクク書ペシェル』6:14-7:8)。第四に、「中立的解釈」では、歴史的あるいは教義的な暗示をまったく含まない解釈が扱われる(『ハバクク書ペシェル』12:13-13:4)。

第三の解釈タイプである「主題別の解釈」は、複数の文書からの抜粋を扱うこともあれば、同一文書からの連続的でない箇所を扱うこともある。論文著者は3つの実例を挙げる。第一に、「テスティモニア」の実例である4Q175は、3つのメシア的な預言の集成である(申5:28-9, 18:18-19; 民24:15-17; 申33:8-11)。第二に、「主題別の選集」の実例は、イザ40-55章に基づく『慰めの言葉(4Q176)』と、詩6-16篇に基づく『詩篇カテーナ(4Q177)』である。第三に、「クムラン・ミドラッシュ」では、注解者が異なった聖書箇所を用いて特定の主題に関する自らの教えを展開する。代表例は『フロリレギウム(4Q174)』である。

論文著者は、結論として、本論文ではカバーしなかった2点を挙げている。第一に、聖書解釈本は論文で扱った釈義的文書のみならず、神学的、論争的、説教的な文書にもあるが、スペース上の問題から取り扱わなかった。第二に、ポスト聖書的ユダヤ教における聖書解釈のコーパスに死海文書を入れ込んでみることは重要である。すなわち、外典、偽典、新約聖書、ヨセフス、タルグム、ミドラッシュにおける並行現象を調査するのである。

2018年7月5日木曜日

初期ユダヤ教注解の問題 Brooke, "4Q252 as Early Jewish Commentary"

  • George J. Brooke, "4Q252 as Early Jewish Commentary," Revue de Qumran 17 (1996), pp. 385-401.

4Q252の各セクションの多様性をどのように説明するかは難問である。この多様性の説明方法としては、3つ挙げられる。第一に、写本のテクストの再構成をした者が間違えたと考えることである。H. Stegemannは、1から3欄目の途中までと、そこから6欄目までとは別のテクストだったと考えた。しかし、写本の観察や、4Q252を通して創世記のテクストが選択的かつ多様に扱われていることから、これを2つの別のテクストと考えるのは難しい。

第二に、個別のセクションの解釈を詳細に扱い、それらが一体であるかどうかについては触れないという方法である。M. Bernsteinの基本的な考えは、ユダヤ教の注解は聖書箇所における問題点を解決することというものである。しかし、4Q252はテクスト上に問題がないところも扱っているので、この方法は適切でない。

第三に、実は統一的な目的があると考えるという方法である。R.H. EisenmanとM.O. Wiseによれば、編纂者は性的事柄や姦淫の非難と共に、逃避と救済の物語に関心を持っているという。M. Kisterによれば、ユダヤ民族の父祖たちへの約束と祝福、そして他民族の殲滅の正当性の議論が問題だという。論文著者は、土地の贈与、祝福と呪い、性的事柄などが編纂者の関心だとする。

これらの三つの方法は、いずれも不十分である。論文著者は、4Q252を表現するに最適な用語は「注解」だと述べる。ぺシェルやミドラッシュという用語は不適切である。ミドラッシュは通常はっきりと聖書が引用され、それと独立した解釈が付されるような明示的解釈(explicit interpretation)であるのに対し、4Q252にはいわゆる再話聖書(rewritten Bible)のような暗示的解釈(implicit interpretation)が含まれているし、そもそもクムランの解釈を後代の方法論であるミドラッシュと呼ぶことはアナクロニズムである。

E. Tovは、4Q252は第1欄から第3欄に反映している再話聖書と、第4欄から第6欄までのぺシェルの「中道(middle course)」にあると評価している。論文著者はこの議論をさらに進め、4Q252の中では暗示的解釈(再話聖書)と言えるセクションの中にも明示的解釈があるし、明示的解釈と言えるセクションの中にも他の聖書箇所への暗示的解釈があるという。

論文著者は、4Q252を「注解」と呼ぶが、それには3つの基準がある。第一に、注解はテーマではなく聖書のシークエンスに沿って解釈する。テーマに沿う形式は、ミドラッシュに顕著である。第二に、注解は相当程度の聖書テクストをカバーする。この点で、4Q252は限られた量しかカバーしていないので、より正確には、「抜粋されたあるいは選択的な注解(excepted or selective commentary)」と呼ばれるべきかもしれない。第三に、注解は、質的にベース・テクストに取って代わらない。『神殿巻物』はこの点で不明瞭である。4Q252は、ある程度これら3つの基準を満たしている。ただし、ヨセフ物語が欠如していることや、釈義が6章から始まっていることなど、例外的な部分もあるので、単なる注解というより、抜粋された注解である。

4Q252の特質を明らかにするためには、明示的解釈と暗示的解釈のコンビネーションと、その成立年代が重要である。明示的解釈の代表例は『ハバクク書ぺシェル』である。ただしこの注解は、テクスト上の問題以上に、解釈者の共同体にとってのハバクク書の重要性に関心を持っている。暗示的解釈は、明示的解釈よりも広範な読者層を期待できる。そうした観点からみると、『神殿巻物』はクムラン共同体を超えたオーディエンスを意図していたと考えられる。

また論文著者は、4Q252の統一性は、時間的なスキームにおいて表される主題的な関心のコンビネーションにかかっているとも指摘する。著者によると、最初のセクションは「現在を決定する過去のこと」(大洪水、カナンの呪い、アブラハムの時系列)を、真ん中のセクションは「現在の状況」(イシュマエルよりイサク、ソドムとゴモラ、イサクの奉献、イサクによるヤコブ祝福)を、そして最後のセクションは「共同体の希望の成就」(アマレクの殲滅、ヤコブの祝福)を解釈しているという。

成立年代に関しては、おそらく再話聖書の年代記の部分は、第4欄や第5欄の個別主義的な解釈よりも古い。4Q252の成立自体は、初期ヘロデ時代、すなわち前1世紀の後半と見なされている。

こうしたことをまとめると、共同体での生活は、次のような二極の間にある。一方では、主として通時的に書かれている再話聖書のセクションの読みには、さらにより広い読者層の期待がこめられている。他方では、主として共時的に書かれている明示的解釈のセクションを読みつつ、共同体の終末論的観点に注目する。

後1世紀の終わりまで、聖書の再話、パラフレーズなどがしばしば行われていた。一方で、前1世紀の後半くらいから、ぺシェルのような明示的な解釈も登場した。すなわち、両方の解釈法は重なっている時期があるのである。聖書の正典化に伴い、次第に明示的な解釈法が主流となり、暗示的な解釈法はタルグムが代表するようになった。4Q252の特徴は、明示的な釈義の要素を含むような暗示的な解釈と、他の聖書文書への暗示を用いるような明示的な釈義の両方を持っていることである。この点で、4Q252は、初期ユダヤ教の聖書解釈のよりよい理解のために、またクムランの聖書解釈の評価のために、極めて重要なテクストであるといえる。それは聖書の「注解」形式であり、ユダヤの聖書解釈が過渡期にあったことを我々に教えてくれる。

2017年3月27日月曜日

神殿巻物について Crawford, "The Temple Scroll"

  • Sidnie White Crawford, "Ch. 5: The Temple Scroll," in idem, Rewriting Scripture in Second Temple Times (Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 2008), 84-104.
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『神殿巻物』の写本としては、11QTemple-a, 11QTemple-b, 11QTemple-c?, 4QRouleau du Temple, 4Q365aなどがある。このうち11QTemple-aは、クムラン洞窟で発見された文書の中で最も長い巻物である。

カテゴリー。『神殿巻物』は、そのもととなる聖書テクストと同じ権威を持つものとして自らを位置づけている。そういう点では、『ヨベル書』と同じように、偽典のカテゴリーに入れることができる。ただし、『神殿巻物』は『ヨベル書』よりも大胆なことに、神がシナイ山の上のモーセに直接一人称で語っている体で書かれている。それゆえに、もとの聖書テクストで三人称で書かれているところが、『神殿巻物』では一人称になる。

『ヨベル書』と同じように、『神殿巻物』は、別物と言うに十分なほど五書の基礎テクストからかけ離れている。また両者は共にシナイ山におけるモーセへの啓示の間のことと設定されている。一方で、『神殿巻物』は『ヨベル書』と異なり、物語部分が一切なく、全体が律法の書になっている。すなわち、再説聖書を拡張された聖書物語だと定義したG. Vermesの定義を、『神殿巻物』は広げることになった。

『神殿巻物』の作者/編者は、混合(conflation)、調和(harmonization)、修正(modification)、付加(addition)といったテクニックを用いて、この新しい律法書に五書以外の伝承を加えた。ただし、『神殿巻物』はすでに存在しているトーラーに取って代わるものではなく、その横に寄り添いつつ補完するものと見なされていた。

権威の有無。『神殿巻物』が共同体において権威ある文書と見なされていたかどうかははっきりとは分からない。ある文書が権威を持っていたことは、第一に、自らを権威あるものとして語っていること、第二に、他の宗派的テクストの中で権威あるものとして引用・暗示されていること、そして第三に、複数の写本が写されていることなどによって証明されるが、『神殿巻物』に関してはこのうち第一の基準しか満たしていない。そこで、『神殿巻物』は権威ある書物だった可能性があるとしか言えないのである。

成立年代。見つかっている写本の中で、4QRouleau du Templeが前150-前125年のものだとすると、『神殿巻物』の原型はクムラン共同体の成立以前に存在したことになる。つまり、『第一エノク書』、『ヨベル書』、『アラム語レビ文書』などと同様に、『神殿巻物』も祭司的・レビ的サークルによって第二神殿時代に書かれ、クムラン共同体によって保存されていたと考えられる。保存といっても、4QRT以降しばらく共同体は『神殿巻物』に関心を示さず、おそらくヘロデ王による神殿再建やパリサイ派の台頭などといった同時代の出来事を受けて、同書を再評価し、11QTemple-a(前25年-後25年)と-b(後20-50年)を作成したと考えられる。

資料と内容。『神殿巻物』は合成テクストだと考えられる。Andrew WilsonとLawrence Willsは5つのソースを想定し、Michael Wiseは4つのソースを想定している。著者は4つのソース――神殿資料(3-13, 30-47欄)、祭暦(13-30欄)、清浄規定集成(48-51欄)、申命記的パラフレーズ(51-66欄)――に序文を加えた5セクションを想定している。『神殿巻物』は出34における、モーセがシナイ山の上で二つ目の契約を受け取るところから始まる。その理由は、第一に、同箇所で神がモーセに一人称で語っているからであり、第二に、二つ目の契約から始めることで、それ以降のすべての律法が永遠に有効になるからである。さらにここには申7:25-26もまた織り込まれている。このように、文書作者は、混合、調和、修正、付加といったテクニックを活用している。

神殿資料。この部分では、巨大な神殿の見取り図が示される。これは、幕屋(出25-27)、ソロモン神殿(王上6)、そしてエゼキエル神殿(エゼ40-48)を基にしている。その後、神殿にある中庭の描写に移る。ここで『神殿巻物』は、通常であれば二つあると説明される中庭が三つある(祭司とレビ人のみ入る内庭、二十歳以上のイスラエル人が入る中庭、イスラエル人の女性、子供、改宗者が入る外庭)と述べている。非イスラエル人のための庭はない。

祭暦。この部分では、神殿祭儀とさまざまな祭礼について説明されている。その基本テクストである民28-29とレビ23とに、作者は二つの発明を加えている。第一に、祭司の任命のための祭りと、第二に、初物の収穫祭(大麦、小麦、葡萄酒、油)である。こうした祭りを加えることにより、作者はレビ記の暦と民数記の暦とを調和させている。『神殿巻物』の暦は、『第一エノク書』、『ヨベル書』、『律法儀礼遵守論(4QMMT)』などと同じ364日の太陽暦である。

清浄規定。この部分について、Andrew WilsonとLawrence Willsは別の資料であると指摘したが、Michael Wiseは作者がいくつかの清浄規定を引いてきて、神殿資料の間に入れたのだと説明した。ここで文書作者はmaximalistのアプローチを取り、既存の清浄規定を極めて広い範囲に当てはめて解釈している。たとえば、出18:14-15で「女性のそばによってはならない」とされていることを、妻と性交して射精した者は三日間神殿の町へと入ってはならない(45:11-12欄)と拡大解釈している。同様の解釈は『ダマスコ文書』(12:1-2)にも見られる。これは、4QMMTを含む、祭司的・レビ的な解釈伝統の特徴である。

申命記的パラフレーズ。Lawrence Schiffmanによると、この部分で申命記が基本テクストとして機能しているが、文書作者は五書の他の文書や他の聖書文書からの素材を織り込んで、自らの神学的目的に合うような申命記の解釈を作り出したという。作者は単純に申命記を引用したり、他の五書テクストと調和させたり、解釈を付け加えたり、さらに法的資料を付け加えたりしている。ただし、作者が用いた申命記が現在のマソラー本文と同じものだとは言えないことには注意すべきである。またここでのパラフレーズは、『神殿巻物』が申命記に取って代わることを意図しているのではなく、それに寄り添い、同程度の権威を持って、シナイ山におけるモーセへの神の顕現を示すことを意図している。

関連記事

2015年9月3日木曜日

聖書と正典化の問題 Cohen, "Canonization and Its Implications"

  • Shaye J.D. Cohen, "Canonization and Its Implications," in id., From the Maccabees to the Mishnah (Louisville: Westminster John Knox Press, 1987), pp. 174-95.
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本論文には、第二神殿時代にどのように聖書の正典化が起きたかについて書かれている。過去の書物の選別や崇拝はcanonizationと呼ばれる。もともとカノンとは「棒」や「杖」といった意味だったが、それが「規範」や「基準」といった意味になり、さらに4世紀になると権威ある書物の確定されたセレクションという現在の意味に転じた。しかしこのカノンという言葉を古代のユダヤ人は聖書に用いなかった。彼らはただ聖書のことを「Scripture」と呼んだのである。とはいえ、それはそうした言葉を用いなかっただけであって、コンセプト自体を知らなかったわけではない。

ある文書が正典になる基準として、著者は3つの特徴を指摘する:第一に、その文書は古い世代によって作成されたものである。第二に、そのテクストは確定されていて、変化を許さない。そして第三に、それは共同体によって「権威ある」ものと見なされている。これは何もユダヤ教やキリスト教の正典だけの特徴ではなく、さまざまな文化で生み出されてきた正典的な文書にもあてはまる特徴である。

第一の点に関してさらに言うと、こうした権威ある書物は、のちの世代によって学ばれ、模倣され、保存される。ヘレニズム期の特徴としては、ユダヤ人もギリシア人も、自分たちが古典期のあとに生きていて、文学の最盛期はすでに過ぎてしまっているという意識を持っていたことが挙げられる。いうなればこれは時代の特徴であり、聖書のみを規定するそれではない。

第二の点についてさらに言うと、古代のユダヤ人やキリスト教徒たちは、聖書が権威ある書物なのは、それが神によって啓示され、また霊感を受けているテクストだと考えていたからである。しかしながら、このことは聖書の正典化のみに見られる特徴ではない。ギリシアの詩人たちは、自身の作品がアポロンやムーサによって霊感を得て書かれたものだとよく述べているからである。

ヘブライ語聖書や新約聖書が特別なのは、第三の点、すなわち、信仰の共同体の中で特別な地位を享受していたことがその理由である。いうなれば、聖書は永久に有効で(eternally valid)、実存的な意味を持っている(existentially meaningful)と考えられていたがゆえに、他の正典的な文書とは一味違ったものになっているのである。著者は聖書とその他の正典的な文書とを区別して、biblicalという言葉を用いている。すなわち、ギリシア文学やミシュナーはcanonical/classicalだが、永久に有効なものではないので、権威は持っていてもbiblicalな書物ではないのである。

さて、聖書は五書、預言書、諸書に分かれているわけだが、著者はそれぞれの成立を説明している。五書を意味するトーラーという言葉は、元々は「教え」ほどの意味だったが、ペルシア時代になると、学ぶべきモーセのトーラーという意味になっていく。正典化のはじまりである。ただし、サマリア五書など別の版も存在したので、前2世紀まではトーラー・テクストはまだ確定していなかったと考えられる。まだトーラーの権威も確定していなかったので、『神殿巻物』や『ヨベル書』といった、トーラーに取って代わろうとするような書物も作成されたほどであった。

預言書に関しては、前200年頃のベン・シラが、律法学者は知恵と預言を知らなければならないと書いていることが知られる。しかしこれではまだ預言書の権威が確定していたとはいえない。預言書が正典的と見なされるのは、前2世紀のダニエル書の中で、エレミヤの権威を認める記述まで待たなければならない。同様の読み方は、クムランのペシャリームや新約聖書やラビ文学に引き継がれていく。

こうして預言書も締め切られたときに書かれたダニエル書は、預言書ではなくて諸書に入れられている。諸書まで含めた正典化は、これまでラビたちによるヤブネの「公会議」で決定されたという説明をされてきたが、これは証拠がないので現在は信じられていない。しかしながら、後1世紀以降、新たな文書が聖書に付け加えられることはなかった。

この五書、預言書、諸書の三部構成は、ベン・シラの孫による序文で初めて明示されている。しかしこの三部構成はゆるやかなもので、上でみたように特に諸書はまだ確定されていなかった。三部構成すべてが正典と見なされたのは、後1世紀になってからであり、そのことを示す証言は3つある。第一にフィロン『観想的生活』3.25、第二にルカ24:44、そして第三にヨセフス『アピオーンへの反論』1.8.38-41である。この中で特に重要なのはヨセフスであり、彼によれば、聖書は22書あり、すべて神の霊感を受けたものであり、預言者によって書かれ、祭司によって正確に伝えられてきたという。バビロニア・タルムードや第四エズラ記などは、22書ではなく24書という数え方をしている。三部構成に関する上の三つの証言の他には、七十人訳聖書の写本そのものが三部構成の最大の証拠となっている。

どの文書が正典に入り、どの文書が入らないかについては、分かりやすい決まった基準があったわけではない。同時期に書かれたダニエル書と『ヨベル書』は、前者は正典に入ったが後者はそうではなかった。言えることとしては、セクトやほかのグループの中で所有されていたような謎めいた書物は正典化されることはなかったということである。ユダヤ教においては、共同体全体で所有されていたような「聖なる書物」が正典となっていったのである。

逆説的なようだが、正典が確定し、新しい正典が生まれなくなったあとにこそ、ユダヤ文学は大きな自由を獲得することになった。正典が確定する前には、テクストと解釈との区別もまた不明瞭だったが、依拠するべきテクストが確定したあとには、自由な想像力を広げてそれを解釈していくことができるようになったのである。つまり、第二神殿時代の後半の文学の特徴としては、次の2つの一見矛盾したポイントを挙げることができる。第一に、過去に対する現在の劣等感と従属の感覚。そして第二に、その劣等感がもたらした創造の自由である。

2015年3月31日火曜日

『律法儀礼遵守論』とミシュナー・ヤダイム Schiffman, "The Temple Scroll and the Systems of Jewish Law of the Second Temple Period"

  • Lawrence H. Schiffman, "The Temple Scroll and the Systems of Jewish Law of the Second Temple Period," in Temple Scroll Studies, ed. George J. Brooke (Journal for the Study of the Pseudepigrapha Supplement Series 7; Sheffield: Sheffield Academic Press, 1989), pp. 239-55.
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本論文は、『神殿巻物』の法規を『律法儀礼遵守論』(4QMMT、以下『律法』)と比較しつつ明らかにしたものである。この論文の主題自体は『神殿巻物』だが、この論文の重要さはむしろ『律法』の分析にある。著者によると、『律法』のセクションBで扱われている20の法規のうちのいくつかが、ミシュナー・ヤダイム4.6-7の議論と一致しているという。著者は、ミシュナー中の5つの議論のうちの4つが『律法』と一致していると主張する。

第一に、すべての書物が手を汚すというミシュナー中のサドカイ派的見解は(m. Yad. 4.6)、神殿の外で屠られた動物の皮は神殿内に持ち込まれてはならず、その皮は運ぶ者の手も汚すという『律法』中の見解(B 17-20?、論者注:Schiffmanは具体的に行数を挙げていないので、これは論者によるものである)に由来するものである(B 21-23、論者注:Schiffmanは具体的に行数を挙げていないので、これは論者の判断によるもの)。

第二に、『律法』は不浄な動物の骨もまた不浄であると見なすので、それを使って取っ手などを作ってはならないという(m. Yad. 4.6および『律法』B 21-22)。

第三に、ナツォーク、すなわち水の流れに沿って不浄が流れてくることに関するサドカイ派的見解が『律法』にも見られる(m. Yad. 4.7および『律法』B 55-58)。

第四に、墓地を流れてくる水に関する議論もまた、ナツォークの議論中に見られる。

以上より、パリサイ派とサドカイ派との間にある4つの議論において、『律法』の著者はサドカイ派の主張と同じ主張を持っており、パリサイ派的な見解に反対している。もし『律法』がサドカイ派の文書であるならば、クムラン・セクトは、マカベア戦争以後にエルサレム神殿を去った、不満を抱いている祭司たちによって始められたものだと考えられる。なぜならば、ツァドクの系譜に属するものではなく、ハスモン家の者が祭司職を奪ってしまったからである。

2015年3月26日木曜日

シフマン「第3章:死海文書の宗団はサドカイ派から生まれた」

  • ローレンス・H・シフマン「第3章:死海文書の宗団はサドカイ派から生まれた」、ハーシェル・シャンクス編(池田裕監修、高橋晶子・河合一充訳)『死海文書の研究』ミルトス、1997年、79-98頁(Lawrence H. Schiffman, "The Sadducean Origins of the Dead Sea Scrolls Sect," in Understanding of the Dead Sea Scrolls, ed. Harshel Shanks [New York: Random House, 1992], pp. 35-49)。
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本論文は、クムラン共同体の正体を、通常考えられているようにエッセネ派ではなく、サドカイ派に求めるものである。まず著者は、『ダマスコ文書』がソロモン・シェヒターによって発見されてツァドクの文書とされたことと、ルイス・ギンツベルクによってパリサイ派の文書とされたこととに言及する。一方で、死海写本の研究の発展と共に、共同体はエッセネ派であったという説が強くなる(ソロモン・ツァイトリンによるカライ派説など例外もあるが)。これを著者は、先入観に基づく循環論法であると断じている。つまり、クムラン共同体がエッセネ派であるならば、ギリシア語資料の情報が死海文書から読み取れ、また同時に死海文書の情報がギリシア語資料から読み取れることになる(著者のこうした慎重さは、死海文書と新約聖書とを無理やり結び付けようとするトンデモ研究に対する批判から来ているように思われる)。

そこで、著者は『律法儀礼遵守論』(4QMMT、以下『律法』)に依拠つつ、クムラン共同体=サドカイ派説を唱える。彼は『律法』の法規と、ミシュナーやタルムードあどのラビ文献の記述とを比較したという。マカバイ家の反乱以降、ハスモン朝が神殿を手中に収め、彼らがパリサイ派と共同戦線を張ったため、サドカイ派の中には新しい状況に適応した者と、そこから逃げ出した者たちがいた。著者によれば、『律法』は、ハスモン朝の大祭司たちが宣言した法的支配を認めない者たちが書いた手紙であるという。

パリサイ派はしばしば宗派的テクストの中で、「エフライム」、「塀の建設者」、「ドレシェイ・ハラホット(間違った法規を述べる人々)」などと呼ばれている。著者によれば、『律法』の著者が反対する法規は、後のラビ文献がパリサイ派のものとする法規と同じであり、また『律法』の著者が支持する法規は、後のラビ文献がサドカイ派のものとする法規と同じであるという。ここから、第一に、パリサイ派の見解は、のちのタルムード時代の時代錯誤的な発明ではなく、ハスモン朝の大半の時期に広まっていたこと、そして第二に、ラビ文献に記された用語や法規も、実際パリサイ派が使用したものであったことが分かる。

サドカイ派はしばしば、エフライムの敵対者である「マナセ」と呼ばれる。著者によれば、『律法』内の22の法規は、タルムードがサドカイ派のものとする見解と一致するという。同時に、『律法』のサドカイ派的と考えられる法規は、『神殿巻物』の中にも見受けられる。特に『神殿巻物』は法規の出典となる聖書箇所も挙げることがあるので重要である。

著者の主たる主張は以上だが、さらにいくつかのポイントを述べている。まずノーマン・ゴルブのクムラン遺跡=軍事的要塞説は否定されるべきだという。また死海文書の中にキリスト教の教義に似たものを探求するのは二次的な仕事にとどめるべきであると戒める。そして、聖書テクスト研究における死海文書の貢献として、クムランの聖書写本は概してマソラー本文の原型タイプと似たものであった点を指摘している。

2015年3月18日水曜日

『律法儀礼遵守論』の基本的事項について Schiffman, "Miqtsat Ma‘asei ha-Torah"

  • Lawrence H. Schiffman, "Miqtsat Ma‘asei ha-Torah," in Encyclopedia of the Dead Sea Scrolls, ed. Lawrence H. Schiffman and James C. VanderKam (Oxford: Oxford University Press, 2000), 1: 558-60.
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本論文は、『律法議論遵守論』(4QMMT、以下『律法』)の基本的事項をまとめた辞典項目である。『律法』は、はっきりとエルサレムの権威に反対するクムラン・セクトの指導者たちから、エルサレムの祭司階級の指導者たちに向けて送られた文書と考えられる。テクストは第四洞窟から発見された六つの断片からなる。内容的に、自分たちのセクトがエルサレム主流派から分離することを正当化しているので、クムラン共同体のごく初期の作品と考えられる。

全体は三部に分けられる。第一部の暦は、『共同体の規則』の写本のうちのひとつにも載っているものなので、もともと『律法』についていたものかは分からない。太陽暦を採用しており、通常の祭りに加えて、新しいワインの祭り、オイルの祭り、木の祭りがある。こうした特徴は、『神殿巻物』にも見られる。

第二部の律法リストは、主に浄不浄の問題と神殿における犠牲の問題を中心とした20の事柄を扱っている。つまり、神学的な問題というよりも、ユダヤ法の適切な実行こそが問題となっているのである。ここで取り上げられている律法議論のいくつかは、ミシュナー・ヤダイムでも見られるものであり、そこではサドカイ派の教説として知られている考え方になっている。通常サドカイ派の律法はパリサイ派あるいはラビたちよりも厳格なものである。

第三部の結論部では、二人称単数と複数で名宛人が言及されている。おそらく単数形は、エルサレムの大祭司のような指導者を指しているのであろう。また、このクムラン・セクトの敵対者は、後代のラビ文学においてパリサイ派あるいはタナイームに帰せられる者たちと考えられる。

以上のことから考えられるのは、以下のようなストーリーである。すなわち、クムラン・セクトの初期のメンバーとは、マカベア戦争(前168-前164)の後に、エルサレムの祭司階級から分離した、現状に不満を持ったサドカイ派であり、自分たちを「ツァドクの子ら」と呼んでいた。一方でエルサレムに残ったサドカイ派の同僚たちは、のちにパリサイ派的な規範となる考え方を採用し、サドカイ派的な考え方を捨てていった。当初、クムラン・セクトはエルサレムの祭司たちと折り合いをつけるつもりだったが、そのうちにそんな望みはなくなり、より過激化して外部を遮断するようになった。さらに死海文書をめぐるエッセネ派説を考慮に入れると、『律法』から分かるとおり、もともとはサドカイ派だった者たちが、エルサレム主流派との軋轢の中で過激化し、独自のセクトとしてのエッセネ派になったと考えるのが自然である。そしてこの分離の理由は、神学的な問題ではなく、浄不浄に関する規則の相違である。

『律法』と他の死海文書との関係としては、暦法と犠牲については『神殿巻物』と、それ以外のさまざまな律法については『ダマスコ文書』や『詞華集』との類似が指摘されている。それぞれの文書は、直接『律法』と影響関係にあるわけではないが、同じソースを持っていると考えられる。ただし、『共同体の規則』との並行箇所は見られないのが特徴である。これらの中では、特に『神殿巻物』と『ダマスコ文書』との比較は重要で、『律法』と『神殿巻物』とは共にセクト的な敵愾心が希薄なのに対し、『ダマスコ文書』にはそうした雰囲気が濃厚である。これを先のストーリーに則して言い換えると、『律法』と『神殿巻物』とは、まだセクトがエルサレムとの和解の希望を持っていたときの文書であるのに対し、『ダマスコ文書』はそうした望みが絶たれたあとの文書であると考えられる。

2015年3月7日土曜日

『律法儀礼遵守論』の立ち位置 Schiffman, "The Place of 4QMMT in the Corpus of Qumran Manuscripts"

  • Lawrence H. Schiffman, "The Place of 4QMMT in the Corpus of Qumran Manuscripts," in Reading 4QMMT: New Perspectives on Qumran Law and History, ed. John Kampen and Moshe J. Bernstein (SBL Symposium Series, No.2; Atlanta, GA: Scholars Press, 1996), pp. 81-98.
本論文は、『律法儀礼遵守論』(以下、『律法』)の三部構成に従って、それぞれが他の死海文書と比べてどのような特徴があるかを比較したものである。同書は、第一部が暦、第二部が律法リスト、そして第三部が説教的結論から構成されている。

第一部の中では、一年を364日とする暦法が用いられている。これは死海文書の中では、ミシュマロットと呼ばれる一群、『神殿巻物』、『ヨベル書』、そして『エノク書』などにも見られるものである。第二部と第三部が似たような言い回しで始まっていることから、一つのユニットと見なされているのに対し、この第一部はあとから写字生が写してきたセクト主義的暦を冒頭に付加したものと考えられる。それは、第二部と第三部において第一部の内容がまったく言及されていないことからも分かる。特に『神殿巻物』との共通性が高く、両者はユダヤ法におけるサドカイ派の特徴を備えている。

第二部に関しては、『律法』と、『神殿巻物』、『ダマスコ文書』、そして『詞華集(Florilegium)』(4Q174)とを比較つつ、共通点を挙げている。まず『律法』と『神殿巻物』とは、犠牲の捧げ方や食べ方、また捧げるときに体が浄化されていなければならないこと、神殿の外で殺した動物を聖域に持って入ることの禁止、そして妊娠した動物を殺すことの禁止などに関して明らかにアイデアを共有している。しかもそれは、後代のラビ文学におけるサドカイ派の見解であり、明確に反パリサイ派的あるいは反ラビ的である。ただし、『神殿巻物』が神殿の中庭を聖性に従って三分類したときに「庭」という語を使うのに対し、『律法』とタナイーム資料は「野営地」という言葉を用いている。すなわち、『律法』は『神殿巻物』と相当の共通点として反パリサイ派的な特徴を持っているが、ときに両者は異なった観点も持っているということである。

『律法』と『ダマスコ文書』ともかなり似ている。女性の月経でない血を浄化すること、植栽の方法、目が見えない人や耳が聞こえない人を共同体に入れないこと、法的に禁じられた違法な結婚の規定、非ユダヤ人からの犠牲の拒否や非ユダヤ人が偶像に用いていた金属の再利用の拒否、神殿へ入れてはいけない不浄物の規定、犠牲は神殿自体ではなく祭司に属すること、そして妊娠した動物を殺すことの禁止などについて、両者は似た見解を持っている。これは翻ると、パリサイ派的・ラビ的アプローチの反対であり、サドカイ派的といえる。

『律法』と『詞華集』とは、異邦人や改宗者が終末のときに神殿に入ることを禁じている。ただしこれは神殿に入ることと同時に結婚のことも意味しているとも考えられる。これについて、『詞華集』と『神殿巻物』とは神殿へ入ることを禁じており、パリサイ派的・ラビ的伝統は結婚を禁じている。そして『律法』は両方の意味で取っている。共通のハラハー的問題を扱っているのは明らかだが、それぞれの文書が直接の影響関係を持っているわけではなさそうである。

第三部に関して。第二部では語りかける対象が複数形だったのに対し、第三部では単数形になっている。ここから論文著者は、複数形の呼びかけのときは、この文書の著者のかつてのサドカイ派の同僚で神殿に残った者たちを指しており、単数形の呼びかけのときは、第一神殿時代のイスラエルの王たちと比べられる当時の特定の支配者を指していると考えた。第三部は、主として申命記を下敷きにして、イスラエルによる神の裏切りや、その改悛による神からの救いなどについて説明されている。ここからは明らかに『神殿巻物』との類似性が指摘される。両者は共通のサドカイ派の法的・神学的伝統を受け継いでいる。ただし、直接の影響関係があるかどうかは分からない。

こうしたことから、『律法』は明らかに『神殿巻物』、『ダマスコ文書』、そして『詞華集』などとの共通点を持っており、それらは明らかにサドカイ派的伝統に立脚しているといえる。ただし、『律法』と『神殿巻物』にセクト的敵対心が希薄なのに対し、エルサレムからの分離のあとの文書である『ダマスコ文書』には濃厚である。つまり、『律法』は比較的初期のセクト的律法であるといえる。

2015年3月2日月曜日

クムラン墓地について Hachlili, The Qumran Cemetery Reassessed"

  • Rachel Hachlili, "The Qumran Cemetery Reassessed," in The Oxford Handbook of the Dead Sea Scrolls, ed. Timothy H. Lim and John J. Collins (Oxford: Oxford University Press, 2012), pp. 46-78.
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本論文は、クムラン墓地について考古学的知見から解説したものである。多くの研究者は墓地のあるクムラン遺跡を、前2世紀に作られ、後68年にローマに滅ぼされたエッセネ派の居住跡であると考えており、また洞窟で見つかった死海文書はこのクムランに住んでいたエッセネ派に属するものであると考えている。しかし、他の研究者たちは、クムラン遺跡は富裕なエルサレム居住者の別荘であるとか、砦であるとか、壺焼き場であると考えてもいる。

居住区の東側にある墓地は、四つの部分に分かれている。これらから、現在までに56基が発掘された。こうしたクムランの典型的な墓は、以下のようにまとめられる。第一に、墓を南北に伸びるかたちで置くこと。第二に、墓石には楕円形の自然石が用いられること。第三に、内部は竪穴式で、底部に小房が付されていること。第四に、しばしば焼かれていないレンガの蓋がついていること。第五に、遺体をひとりひとり個別に仰向けに横たえ、頭を南向きにすること。第六に、壺を墓の内部に置く場合があること。第七に、木製の棺の中に入れる場合があること(この埋葬法はエリコやエン・ゲディでも見られる)、である。ベドウィンやムスリムの墓がこうした古代の墓の中に混ざっている場合があるが、これらの特徴とは異なった埋葬を施されている(墓が東西に伸びるかたちで置かれていること、小房がないこと、遺体を体の横部分を下にして置くこと、など)。死海文書の中で、埋葬法に言及したものとしては、『神殿巻物』がある。

発掘がすすんでいないので、すべての墓が調べられたわけではないが、現在のところ男性34人、女性16人、子供6人、不明6人が見つかっている。女性や子供はメインの墓地ではなく、二次的な墓地の中から見つかっている。女性が見つかっていることから、クムラン共同体が独身主義であったとは考えにくい。ただし、男性の比率が高いことは確かである。また子供の比率が著しく低いことも特徴的である。

エルサレムやエリコの墓地では小房型の墓がほとんどであるのに対し、クムラン墓地は竪穴式墳墓になっている。著者は、エルサレムのベート・ザファファ、エリコ、エン・エル・グーウェイル、ヒアム・エルサーガ、キルベット・カゾーネなどの遺跡と比較している。キルベット・カゾーネはナバテア人の遺跡と考えられているが、著者によれば、この遺跡はクムラン遺跡と多くの共通点を持っている。クムラン遺跡は、場所としてはエルサレムやエリコにより近いにもかかわらず、死海の南東部の遺跡との共通点を持っているのである。

こうしたことから、クムラン共同体の律法や宗教的規則は、当時の一般的なユダヤ教のそれとは異なっていたといえる。エルサレムやエリコの埋葬法は、個別の埋葬をする場合は木製の棺に入れ、何人かを共同で埋葬する場合は大理石でできた共同の棺に入れたり、小房の中に積み上げたりした。このことから、クムラン遺跡がエルサレム在住者の別荘、砦、壺焼き場である可能性は低いといえる。なぜならば、もしそうであったら、クムラン墓地はエルサレム・エリコ型の埋葬法を取られていたはずだからである。クムラン共同体は通常のユダヤ的習慣とは別の方法を取っており、典型的なユダヤ的共同体からは孤立していたのである。また墓を南北に向けて置くのは、『エノク書』に代表される天的なエルサレムを目指したものであり、エッセネ派の特徴ともいえる。個人的な埋葬法から、彼らにとって家族よりも個人の方が重要だったことも分かる。

2015年2月3日火曜日

死海文書とラビ文学における法 Shemesh, "Halakhah between the Dead Sea Scrolls and Rabbinic Literature"

  • Aharon Shemesh, "Halakhah between the Dead Sea Scrolls and Rabbinic Literature," in The Oxford Handbook of the Dead Sea Scrolls, ed. Timothy H. Lim and John J. Collins (Oxford: Oxford University Press, 2012), pp. 595-616.
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本論文は、死海文書の法的解釈について、特にミシュナーとミドラッシュを中心としたラビ文学との比較をしたものである。著者は死海文書の「エッセネ派仮説」を支持している。ただし、『律法儀礼遵守論』(4QMMT)などからは、サドカイ派的な特徴が見受けられる。そこでJacob Sussmannは、サドカイ派とエッセネ派とは別のグループだが、法的システムに関して共有する部分もあると考えた。そして両者は明らかにパリサイ派からは異なっている。

死海文書には、それ自体としては法テクストではないが法的部分を含むテクスト、まごうかたなき法的テクスト、さまざまな法的問題を広く収集しているテクストがあり、三つ目の代表例として、『神殿巻物』と『ダマスコ文書』がある。『神殿巻物』はいわゆるrewritten Bibleと呼ばれるもので、聖書テクストに依存しながら法解釈をするのではなく、自らをトーラーと同列のものと考えている。そのため、神は三人称ではなく一人称で直接語りかけてくる。また、研究者によっては、rewritten Bibleではなくalternative Pentateuchal textsと呼ぶ者もいる。一方で『ダマスコ文書』は聖書テクストと解釈とをはっきりと区別し、なおかつトピックに従って説明が加えられている。聖書引用はほとんどないが、ある場合にも、それは証明句ではなく、トピックの題名として機能しており、法的解釈がどのように聖書から証明されるのかについては明らかにされていない。すなわち、自らをトーラーと同じ権威があるものと考える『神殿巻物』に対し、『ダマスコ文書』はトーラーの権威に依拠しつつ、トーラーの正しい解釈を伝える権威者として振舞っているのである。

こうした死海文書とラビ文学とを比較すると、聖書の流れに従い、また一節ずつ互いに関係しているミドラッシュは、『神殿巻物』や他のrewritten Bibleと似ている。一方で、トピックに従って攻勢されているミシュナーは、『ダマスコ文書』と似ている。逆に、自らを権威と考えるという点では、ミシュナーは『神殿巻物』と似ており、自らをトーラーの解釈者と規定するという点では、ミドラッシュは『神殿巻物』と似ている。ただし、死海文書とラビ文学との決定的な違いは、ラビ文学はラビたちの議論や、棄却された解釈ですら保存している点である(マハロケット)。

死海文書では、法の権威として神の啓示の概念が共有されている。ただし、ここでも『神殿巻物』およびrewritten Bibleと『ダマスコ文書』とでは違いがある。『神殿巻物』は『ヨベル書』同様に、自らはモーセによってシナイ山で啓示されたものだと考えていた。一方で、『ダマスコ文書』や『共同体の規則』(1QS)は、トーラーには「顕かにされた意味(niglot)」と「隠された意味(nistarot)」とがあるという理解をもとに(申29:28)、神への回帰と贖いとは全イスラエルではなく、一部のセクトにのみ課せられた課題であると考えた。両者は共に、法の権威を神の霊感に帰しているといえる。これらに対し、ラビ文学は人間の自主性を強調する。すなわち、預言と法解釈とにははっきりとした違いがあるのである。ハラハーは人間の営為であり、神的権威ではなく人間的な過程から引き出されるものである。

ヨセフスやタルムードの記事から見ると、パリサイ派は伝承に重きを置くのに対し、サドカイ派は聖書に書かれていることのみを議論する。この点で、死海文書はサドカイ派と共通している。一般的に、死海文書やサドカイ派はパリサイ派よりも厳格な法解釈をするという特徴がある。これを、もともとサドカイ派的厳格路線が主流だったのをパリサイ派が和らげたのだとする研究者がいるが、むしろ当時一般的に許されていたことをも、サドカイ派は聖書に照らして禁じたと考えるべきと著者は言う。こうした例として、『ダマスコ文書』における叔父と姪との結婚の禁止について論じている。レビ18:10, 17には、結婚が禁じられている近親関係が挙げられているが、ここにない関係(例えば叔父と姪)でも、同等のものが禁止されていれば(例えば祖母との結婚がダメなら祖父との結婚もダメであり、祖父の妻との結婚がダメなら孫の妻との結婚もダメ)、基本的に禁止されていた(ゆえに叔父と姪ともダメ)。しかし、これに対しパリサイ派は父祖の伝統に則り、不必要な禁止を加えないように努めた。

死海文書のハラハーの特徴を描き出したものとして、著者はJacob SussmanとDaniel Schwartzの研究を挙げている。前者はサドカイ派の厳格路線とパリサイ派の甘め路線とを指摘した。パリサイ派はしばしば「ドルシェ・ハハラコット」と呼ばれるが、これは「滑らかなものの探求者」が字義通りの意味だが、実際には「より容易な解釈の探求者」という意味であった。これはパリサイ派の自己理解である「ドルシェ・ハハラホット(律法の探求者)」のもじって揶揄したものである。サドカイ派にとってみれば、パリサイ派は律法遵守に関してより簡単で快適な生活をしているにもかかわらず、自分たちを敬虔な者と見なしている不届き者ということになる。Schwartzは、サドカイ派を「現実的」、パリサイ派を「規範的」と表現した。すなわち、サドカイ派が法を自然や現実に即したガイドラインと見なしたのに対し、パリサイ派は法を神によって作られた掟であると見なしたのである。この点で、死海文書も現実的といえる。

ユダヤ教の法文書を、著者は「発展的(developmental)」と「反映的(reflective)」というモデルに分けている。前者のモデルによれば、死海文書は古い法的伝承で、それが発展してラビ文学になったといえる。後者のモデルによれば、ラビ文学の法解釈は、死海文書の法的伝統の反映だと考えられる。シャマイ学派の法解釈は、しばしば死海文書のそれとの類似性が指摘されているが、これは発展的モデルから説明される。ラビ・アキバに代表される、高度に洗練されたミドラッシュ的テクニックは、反映的モデルから説明される。

2015年1月27日火曜日

エッセネ派とクムラン共同体の起源 Garcia Martinez, "The Origins of the Essene Movement and of the Qumran Sect"

  • Florentino Garcia Martinez, "The Origins of the Essene Movement and of the Qumran Sect," in The People of the Dead Sea Scrolls: Their Writings, Beliefs and Practice, ed. Florentino Garcia Martinez and Julio Trebolle Barrera (Leiden: Brill, 1995), pp. 77-96.
The People of the Dead Sea Scrolls: Their Writings, Beliefs and PracticesThe People of the Dead Sea Scrolls: Their Writings, Beliefs and Practices
F. Garcia Martinez Julio Trebolle Barrera Florentino Garcia Martinez J. Trebolle Barrera Wilfred G. E. Watson

Brill Academic Pub 1995-09
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著者はこの論文の中で、著者独自の新仮説として、エッセネ派運動をパレスチナのヘレニズム化およびマカバイ戦争よりも以前に起きた、黙示的な伝統であると主張している。これは既存の二つの仮説、すなわち、1)クムラン共同体とエッセネ派運動を同一視し、エッセネ派運動の起源をマカバイ王朝時代のハシディームに求める説と、2)エッセネ派とクムラン共同体とを区別し、エッセネ派をバビロニア起源であるとする説とに対する異論である。

著者によれば、1)の仮説は、第一に、エッセネ派運動をクムランのような周辺的な運動に矮小化しており、第二に、エッセネ派運動に対してもクムラン共同体に対しても、マカバイ戦争が何らかの重要な意味を持つことを証明する文書は存在しないことから、説得的ではない。一方で、2)の仮説は、『ダマスコ文書』に見られる「シェヴィ・イスラエル」を「イスラエルへの帰還者たち」と訳すことを基にして、J. Murphy-O'Connerによって主張されているが、著者はこの表現はむしろ「イスラエルの改悛者たち」と訳すべきなので、説得的ではないと述べている。

これらのよく知られる仮説に対し、著者は四つの方法論的予想を述べる。第一に、クムラン共同体の起源はヨハネ・ヒルカノスが大祭司だった時代(前134-前104年)より前のことであるという。「悪の祭司」は集合的な名称で、何人もの大祭司たちがこの名で呼ばれたが、ヨハネ・ヒルカノスは最後の「悪の祭司」に当たる。第二に、クムラン共同体とそのもとであるエッセネ派運動との間には時間的な隔たりがある。第三に、クムランで見つかった多くの非聖書文書は、クムラン共同体のみならず、それに起因するイデオロギー的運動にも関係している。クムランで見つかった文書は必ずしもクムラン共同体そのものによる文書とは限らないが、少なくとも自分たちのイデオロギーに抵触しない内容であることは間違いない。第四に、クムランの文書はいくつかの理念が混合した文書であるため、ある文書に書かれていることはさまざまな時空を異にする要素から成り立っている場合がある。

以上のような方法論的予想をもとに、著者はエッセネ派とクムラン共同体との起源を峻別する。エッセネ派運動の起源に関する情報は、エッセネ派に言及した古典的テキストや、クムランに保存されたエッセネ派的文書から得られるが、クムラン共同体の起源に関する情報は、クムランが出来上がる以前の時代の文書から得られる。

エッセネ派運動の起源については、まずヨセフスの記述が挙げられる。ヨセフスによると、エッセネ派運動は典型的なパレスチナ的現象であり、マカバイ王朝より以前から存在するものだったという。これは『夢の書』あるいは『動物の黙示録』などからも分かることである。さらに、フィロンの著作などから、エッセネ派運動は、パレスチナの黙示的伝統に属するものでもあるともいえる。エッセネ派運動は天使の世界との交わりという特徴もある。そして『神殿巻物』(11QTemple)からは、終末的な神殿の概念も見られる。これらはみな前3世紀の黙示的伝統に連なるものであり、明らかにマカバイ戦争より以前の観念である。

一方でクムラン共同体の起源については、義の教師によるハラハー解釈と終末への期待が特徴として挙げられる。終末論は『ヨベル書』や『夢の書』における黙示的伝統と軌を一にするものである。ハラハー解釈については、『神殿巻物』(11QTemple、クムラン共同体の設立前の成立)と『律法儀礼遵守論』(4QMMT、クムラン共同体設立後の成立)の中で、祭日、犠牲、暦、神殿、清め、十分の一税、結婚などが語られている。中でも特に暦法についての議論は、クムラン共同体がエッセネ派運動から離脱する大きな要因になっていると考えられる。エッセネ派が他のユダヤ教諸派と同じ暦法を採用したのに対し、クムラン共同体はフィロンが描くテラペウタイと同じ暦法を採用したのである。暦法の違いは終末がいつ訪れるかの計算にも影響を及ぼすものだった。さらに、義の教師による「正しい」律法解釈(「嘘の人」とは異なる解釈)は、義の教師の支持者と、残りのエッセネ派たちとの分離を招いた。