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2020年7月19日日曜日

ユダヤ教におけるフィロンの受容 Cohen, "Philo Judaeus and the Torah True Library"

  • Naomi G. Cohen, "Philo Judaeus and the Torah True Library," Tradition 41.3 (2008): 31-48.

フィロンはこれまでキリスト教神学、ギリシア文学、古代哲学といった枠内で読まれてきた。それはフィロン研究がそうした分野の研究者たちによって牽引されてきたからである。しかし、20世紀初頭になると、ユダヤ教にコミットし、ユダヤ教古典に通暁した研究者たち(Isaac Heinemann, Edmund Stein, H.A. Wolfson, Samuel Belkinら)の台頭により、フィロンをよりユダヤ的に理解しようとする試みが行われるようになった。

ただし、いかなる意味でもラビ・ユダヤ教的ではないフィロンが、ユダヤ世界で再び紹介されるのは、アザリヤ・デイ・ロッシの登場を待たなければならなかった。なぜフィロンがユダヤ世界で失われてしまったのかというと、様々な要因はあれど、大きな理由はフィロンが初期キリスト教によって熱狂的に受け入れられたからであろう。

フィロンが使うギリシア語にはユダヤ・ギリシア語的なコノテーションがある。ノモス、ソフィア、エウセベイア、ディカイオシュネなどといった重要な用語には、元来のギリシア語を超えたユダヤ的な意味が含まれている。しかしながら、読者がユダヤ人でなくキリスト教徒になると、そうした意味は失われてしまう。

アザリヤ・デイ・ロッシは16世紀イタリア・ルネサンス時代の博識家で、『メオール・エナイム』という著作がある。この著作の中でデイ・ロッシはフィロンを「イェディディヤ・ハ・アレクサンドロニ(アレクサンドリアの神の友)」と呼びつつ、現在のフィロン研究でも議論されているトピックを初めて提起した。すなわち、フィロンはヘブライ語の知識を持っているか、七十人訳を用いているという指摘、フィロンと口伝律法やユダヤ教セクトについて、その著作が非ユダヤ人向けである可能性、無からの創造という概念理解などである。

『メオール・エナイム』第5章によると、フィロンには4つの欠点があるという。第一に、フィロンはトーラーの原典を見たことがない。第二に、世界の創造時に原初の物質が存在していたと考えている。第三に、聖書の物語の本当の意味を単純に哲学的・知的な考えだと考えている。そして第四に、成文律法と共に口伝律法があると述べていない。他にもデイ・ロッシは、フィロンが聖書の引用や解釈に七十人訳を用いていることなどについてさらに追及しつつも、ときに擁護することもある。

デイ・ロッシのこのようなアンビヴァレントな態度の理由は、彼自身も当時異端の疑いをかけられていたからである。デイ・ロッシはタルムードのアガダーの歴史的価値について態度を保留しており、また創造から現在までの時間の伝統的な数え方も異なっていたので、ユダヤ教を破門はされないまでも、敵対者からも厳しく攻撃されていた。またその著書はイタリア各地で禁書に指定されていた。そこで、フィロンの思想を紹介しつつも、これ以上保守的な勢力から攻撃を受けないように、扱いが慎重だったのである。

しかし、上で見たデイ・ロッシからの4つの批判は、今日ではもはや大きな問題ではないだろう。唯一あるとすれば、それは原初の物質(primordial matter)に関する議論である。この問題は伝統的なユダヤ教徒がフィロンに躓いてしまう大きな理由であるが、元来は対グノーシスの議論の中で出てきたものである。タルムードの賢者たちは、創造時にいくつもの力(multiple creative powers)があったと主張するグノーシスの異端者たちを問題視している(ただし、これに対抗する「無からの創造」説がはっきりするのは後2世紀のキリスト教文学である)。ちなみにフィロンの著作にグノーシス的なところがあるかというと、それはグノーシスをどう定義するかによる。フィロンには二元論的なところや物質に対する否定的価値観などがあることは確かだが、それらはグノーシスの専売特許というわけではないので、フィロンをグノーシス主義者とは呼べない。

フィロンの思想はラビ・ユダヤ教とは確かに異なるところがある。とりわけ法的・ハラハー的議論が少ないことは明白である。しかし、一方でラビ・ユダヤ教を法的関心のみに制限することもまた誤りである。律法学者がユダヤ教において活躍してきたことは確かだが、イェフダ・ハレヴィ、ゲルソニデス、ヨセフ・アルボ、ベシュトらは律法の専門性ゆえに有名なわけではない。それにそもそもフィロンにも法的議論は現れている。

フィロンは、よく言われるように、プロト改革派のユダヤ人ではない。Alan MendelsonやYehoshua Amir(改革派ラビ養成校ヒブル・ユニオン・カレッジ教授David Neumarkの息子)などは、フィロンにフレキシブルでリベラルな精神を見出すが、論文著者はこれに反対する。フィロンは、テフィリンやメズザーの使用やトーラー学習の教え、口伝律法の遵守など、ユダヤ教の実践についてもかなり詳しく言及している。フィロンは自らをギリシア哲学者としてはではなく、敬虔な律法遵守のユダヤ人として示したかったのである。ユダヤ的なプリズムを通してみれば、フィロンの思想は現代の伝統はユダヤ教の精神とそれほどかけ離れてはいない。現在進行中のフィロン著作の現代ヘブライ語訳が、伝統的なユダヤ人読者の手に渡る日も近い。

2017年4月2日日曜日

法的ミドラッシュについて Kahana, "Midrashei Halakhah"

  • Menahem I. Kahana, "Midrashei Halakhah," in Encyclopaedia Judaica, 2nd edition, Vol. 14 (2006), pp. 193-204.
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法的ミドラッシュとは、タナイーム期の法的(ハラハー)資料と非法的(アガダー)資料を、トーラーの節の順に並べたものである。これに対し、同時代の『ミシュナー』や『トセフタ』は、主題に沿って解釈が並べられている。主たる現存する文書としては、出エジプト記に関する『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』、レビ記の『スィフラ』、民数記の『民数記スィフレ』、申命記の『申命記スィフレ』などがあり、後代の資料から復元された文書としては、出エジプト記の『メヒルタ・デ・ラビ・シメオン・バル・ヨハイ』、民数記の『スィフレ・ズータ』、そして申命記の『申命記メヒルタ』がある。

D.Z. Hoffmanは、これらの資料を、ラビ・アキバ学派のものとラビ・イシュマエル学派のものに分類した:
  • ラビ・アキバ学派:『メヒルタ・デ・シメオン・バル・ヨハイ』、『スィフラ』、『スィフレ・ズータ』、『申命記スィフレ』、(『申命記スィフレ・ズータ』)
  • ラビ・イシュマエル学派:『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』、『民数記スィフレ』
このうち、ラビ・アキバ学派のミドラッシュはさらに以下の二つに分けられる:
  1. 『メヒルタ・デ・シメオン・バル・ヨハイ』、『スィフラ』、『申命記スィフレ』
  2. 『スィフレ・ズータ』、(『申命記スィフレ・ズータ』)
前者はラビ・アキバ学派の古典的なミドラッシュであるのに対し、後者は独特の特徴を持ち、『ミシュナー』との繋がりが希薄である。

法的ミドラッシュにおいては、五書で言及されている法的素材のほぼすべてが扱われている。これらの文書は律法を扱うことを目的としているために、それを含まない創世記に関する注解が存在しないのである。ただし、法的ミドラッシュとは言いながらも、少しのアガダー的要素も含んでいる。

聖書の扱い。法的ミドラッシュは聖書テクストと、ラビたちによるその解釈とを明確に区別している。そこで聖書テクストをレンマとしてまず引用し、それからその節に対する解釈を述べるという構成になっている。聖書テクストを引用するので、注解もまた聖書テクストの順に行なわれる。言語的には、ミシュナー・ヘブライ語で書かれている。一つの聖書箇所に複数の注解が付されているが、多くの注解は誰の手によるものか不明である。聖書の節は、証明句として引かれたり、他の節にある矛盾を解消して新しい教えを明らかにするために引かれたりする。そうした節の機能から、法的ミドラッシュでは、神的な源泉としての聖なるテクストである聖書の完全な権威が認められている。

法的ミドラッシュ以前にも、聖書に見られる矛盾を解決しようという試みは、歴代誌、『神殿巻物』などに見られたが、これらは聖書内聖書解釈や再説聖書と呼ばれ、聖句と注解とが切り離されていない。一般に切り離されているものと見られるペシェルは、法的トピックを扱っていない。法的ミドラッシュの先駆としては、過越しの『ハガダー』や新約聖書などが挙げられる。

法的ミドラッシュと死海文書との違いは、第一に、前者は人間の解釈であるのに対し、後者は完全な権威としての神の言葉であること、第二に、前者が互いに異なるラビたちの意見を収録するのに対し、後者は統一的で一貫した解釈を提供すること、第三に、前者が単純なラビ・ヘブライ語で書かれているのに対し、後者は聖書ヘブライ語に近いこと、第四に、前者は後者よりも発展的な法的解釈を示していること、そして第五に、前者の方が後者より、聖書中のシンプルな法規からかけ離れたものを示していること、である。

こうした法的ミドラッシュの成立要因は、第一に、聖書が正典化され、それとは区別された文書がラビたちによって生み出される必要があったこと、第二に、聖書が聖なるものとされたことで、その解釈が必要とされたこと、第三に、聖書中のシンプルな法規から後代のラビたちの複雑な法規になるにつれて、法規の最新版が必要とされたこと、第四に、ラビの法規に対する外部からの反論を、文書を作っておさえる必要があったこと、第五に、ラビたち内部の議論のために、両学派が自分の見解をまとめる必要があったこと、などである。さらにはトーラー学習をローマが禁じたことで、トーラーが失われるのをラビたちが恐れたことも原因の一つと言える。

注解法の発展は、『スィフラ』に見られるヒレルの七つの注解法(ミドット)から始まる:カル・ヴァホメル(小から大へ)、グゼラー・シャヴァー(類似表現の比較)、ビンヤン・アヴ(ある箇所の法規の原型を別の箇所に発見)、シュネイ・ケトゥヴィーム(互いに矛盾する二つの節を発見)、ケラル・ウフェラット(一般と特殊を発見)、カヨツェ・ボー・ベマコム・アヘル(稀な語を別の箇所に発見)、ダヴァル・ラマッド・メインヤノ(文脈からの理解)。この注解法が、同じく『スィフラ』で、ラビ・イシュマエルによって13に増やされている。

数だけでなく、一つの注解法の意味もいくつか増やされている場合もある。グゼラー・シャヴァーはもともと二つの同じ事柄を比較することを意味したが、タナイーム期には二つの別の事柄についての法規を恣意的に比較することを意味した。またケラル・ウフェラットも、第一に、特殊のあとに来る一般、第二に、一般のあとに来る特殊、そして第三に、一般のあとに来る特殊のあとに来る一般の三種類が一緒くたにされていたが、ラビ・イシュマエルはそれぞれを区別した。

イシュマエル学派とアキバ学派との違い。イシュマエル学派の注解はアキバ学派のそれよりも穏健である。すなわち、前者がより聖書テクストに従い、そこにシンプルな意味を見出すのに対し、後者はそこから思い切って離れ、極端な解釈を引き出す。

さらに、イシュマエル学派は上の注解法に依拠して複数の節を比較するのに対し、アキバ学派は一つの節や言葉に拘って結論を出す。たとえば、本動詞と不定法とが並べられる聖書ヘブライ語独特の表現において、イシュマエル学派はそれを単なる文学的な反復と捉えるのに対し、アキバ学派はそれぞれの用法に意味があると捉える。

イシュマエル学派は、トーラーではっきりと書かれていないが引き出され得る解釈を、他の箇所の解釈に適用することを認めないが、アキバ学派はそれを認める。すなわち、アキバ学派は聖書を解釈して法規を引き出すのではなく、法規に合うように聖書を解釈するのである。

イシュマエル学派の解釈は穏健なので、性的な事柄や創造に関する議論などといった繊細な話題も扱うのに対し、アキバ学派はそもそも繊細な話題を扱うことを禁じている。というのも、アキバ学派は自分たちが極端な解釈を引き出しがちであることを知っており、それゆえに自分たちの解釈が異端者の正当化に使われることを恐れたのである。

両学派を分ける基準は、第一に、片方にしかない注解法があること、第二に、用いる用語の違い、第三に、登場する主たるラビたちの名前の違い、第四に、並行する解釈におけるわずかな差、などである。

文書の編纂。法的ミドラッシュの文書は、それぞれの学派を明確に区別せず、アキバ学派の文書の中にもイシュマエル学派の教えが引かれている。それを明示する場合もあれば、単にダヴァル・アヘルとして紹介する場合もある。ただしその紹介の仕方は恣意的であり、あえて部分的・断片的にしか紹介しないことがある。すなわち、文書の編纂者は客観的な文献学者ではなく、おそらくはその学派に属する者だったと考えられる。

アガダー的資料には、法的資料に見られるような両学派の区別はあまり見られない。両者共に、極めて似た内容およびスタイルのアガダーを含んでいる。むろん、表現や単語、アプローチの仕方、そして見解の違いなどがないわけでもない。

失われた法規。法的ミドラッシュには、『ミシュナー』、『トセフタ』、『タルムード』のバライタには見られない法規が保存されている。保存されていた理由は、第一に、反対意見すら収録するという、法的ミドラッシュの高度に発展した弁論ゆえ、第二に、編纂者がさまざまな資料を用いたため、第三に、初期の解釈を入れ込んだことゆえ、第四に、『ミシュナー』ほど優良な保存状態でなかったため、である。特に『スィフラ』には、レビ記に関する第二神殿時代の解釈が残されている。

各種タルグムは法的ミドラッシュと共通する資料を持っており、特にタルグム・ヨナタンは、法的ミドラッシュを文書として知っていたと考えらえる。アキバ学派は『ミシュナー』を頻繁に利用した。一方でイシュマエル学派はそのままでは引用せず、パラフレーズしたり短くしたりして引用した。「ミシュナー」という語自体も、アキバ学派の文書にだけ登場する。イシュマエル学派は『ミシュナー』の権威を認めていなかったのである。『トセフタ』はイシュマエル学派の代表的なラビたちにも言及している。タルムードとの関係としては、法的ミドラッシュの方がタルムードのバライタよりも、タナイームたちの教えをよく保存していると言える。そもそもアモライームは自身の説明や見解を付け加えている。注解法についても、法的ミドラッシュでは、複数の法規をひとつの聖句で説明したり、逆にひとつの法規を複数の聖句で説明したりするのに対し、タルムードでは、ひとつの聖句が秘めている法規はひとつだけなので、複数の聖句からひとつの法規を引き出すことは不可能だと考えられている。

法的ミドラッシュが編纂された場所と時間は、用いられている言語の特徴などから、イスラエルの地で、後三世紀中盤だと考えられている。すなわち、『ミシュナー』から『タルムード』への転換期である。Ben Zion Wacholderは8世紀だと主張するが、これは否定されるだろう。またイシュマエル学派の文書はバビロニアで編纂されたという説もあるが、これも疑わしい。

法的ミドラッシュの研究史は三期に分けられる:第一に、18から19世紀のユダヤ教科学の時代に、A. Geiger, L. Zunz, Z. Frankel, J.H. Weiss, M. Friedmanらが、タルムードやミドラッシュの歴史的発展、法規やミドラッシュの学ばれ方、そして法的ミドラッシュの再解釈などを研究した。第二に、19から20世紀には、I. Lewy, D. Hoffman, S. Schechter, H.S. Horovitzらが、イシュマエル学派とアキバ学派の比較、批判的校訂版の出版、失われた法的ミドラッシュの再構成などに従事した。そして第三に、現代ではJ.N. Epstein, Ch. Albeck, S. Lieberman, L. Finkelsteinらが、さらなる校訂版の出版を続けたが、『ミシュナー』や『トセフタ』への関心が強いために、法的ミドラッシュはやや無視されつつある。

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2017年3月27日月曜日

神殿巻物について Crawford, "The Temple Scroll"

  • Sidnie White Crawford, "Ch. 5: The Temple Scroll," in idem, Rewriting Scripture in Second Temple Times (Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 2008), 84-104.
Rewriting Scripture in Second Temple Times (Studies in the Dead Sea Scrolls and Related Literature)Rewriting Scripture in Second Temple Times (Studies in the Dead Sea Scrolls and Related Literature)
Sidnie White Crawford

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『神殿巻物』の写本としては、11QTemple-a, 11QTemple-b, 11QTemple-c?, 4QRouleau du Temple, 4Q365aなどがある。このうち11QTemple-aは、クムラン洞窟で発見された文書の中で最も長い巻物である。

カテゴリー。『神殿巻物』は、そのもととなる聖書テクストと同じ権威を持つものとして自らを位置づけている。そういう点では、『ヨベル書』と同じように、偽典のカテゴリーに入れることができる。ただし、『神殿巻物』は『ヨベル書』よりも大胆なことに、神がシナイ山の上のモーセに直接一人称で語っている体で書かれている。それゆえに、もとの聖書テクストで三人称で書かれているところが、『神殿巻物』では一人称になる。

『ヨベル書』と同じように、『神殿巻物』は、別物と言うに十分なほど五書の基礎テクストからかけ離れている。また両者は共にシナイ山におけるモーセへの啓示の間のことと設定されている。一方で、『神殿巻物』は『ヨベル書』と異なり、物語部分が一切なく、全体が律法の書になっている。すなわち、再説聖書を拡張された聖書物語だと定義したG. Vermesの定義を、『神殿巻物』は広げることになった。

『神殿巻物』の作者/編者は、混合(conflation)、調和(harmonization)、修正(modification)、付加(addition)といったテクニックを用いて、この新しい律法書に五書以外の伝承を加えた。ただし、『神殿巻物』はすでに存在しているトーラーに取って代わるものではなく、その横に寄り添いつつ補完するものと見なされていた。

権威の有無。『神殿巻物』が共同体において権威ある文書と見なされていたかどうかははっきりとは分からない。ある文書が権威を持っていたことは、第一に、自らを権威あるものとして語っていること、第二に、他の宗派的テクストの中で権威あるものとして引用・暗示されていること、そして第三に、複数の写本が写されていることなどによって証明されるが、『神殿巻物』に関してはこのうち第一の基準しか満たしていない。そこで、『神殿巻物』は権威ある書物だった可能性があるとしか言えないのである。

成立年代。見つかっている写本の中で、4QRouleau du Templeが前150-前125年のものだとすると、『神殿巻物』の原型はクムラン共同体の成立以前に存在したことになる。つまり、『第一エノク書』、『ヨベル書』、『アラム語レビ文書』などと同様に、『神殿巻物』も祭司的・レビ的サークルによって第二神殿時代に書かれ、クムラン共同体によって保存されていたと考えられる。保存といっても、4QRT以降しばらく共同体は『神殿巻物』に関心を示さず、おそらくヘロデ王による神殿再建やパリサイ派の台頭などといった同時代の出来事を受けて、同書を再評価し、11QTemple-a(前25年-後25年)と-b(後20-50年)を作成したと考えられる。

資料と内容。『神殿巻物』は合成テクストだと考えられる。Andrew WilsonとLawrence Willsは5つのソースを想定し、Michael Wiseは4つのソースを想定している。著者は4つのソース――神殿資料(3-13, 30-47欄)、祭暦(13-30欄)、清浄規定集成(48-51欄)、申命記的パラフレーズ(51-66欄)――に序文を加えた5セクションを想定している。『神殿巻物』は出34における、モーセがシナイ山の上で二つ目の契約を受け取るところから始まる。その理由は、第一に、同箇所で神がモーセに一人称で語っているからであり、第二に、二つ目の契約から始めることで、それ以降のすべての律法が永遠に有効になるからである。さらにここには申7:25-26もまた織り込まれている。このように、文書作者は、混合、調和、修正、付加といったテクニックを活用している。

神殿資料。この部分では、巨大な神殿の見取り図が示される。これは、幕屋(出25-27)、ソロモン神殿(王上6)、そしてエゼキエル神殿(エゼ40-48)を基にしている。その後、神殿にある中庭の描写に移る。ここで『神殿巻物』は、通常であれば二つあると説明される中庭が三つある(祭司とレビ人のみ入る内庭、二十歳以上のイスラエル人が入る中庭、イスラエル人の女性、子供、改宗者が入る外庭)と述べている。非イスラエル人のための庭はない。

祭暦。この部分では、神殿祭儀とさまざまな祭礼について説明されている。その基本テクストである民28-29とレビ23とに、作者は二つの発明を加えている。第一に、祭司の任命のための祭りと、第二に、初物の収穫祭(大麦、小麦、葡萄酒、油)である。こうした祭りを加えることにより、作者はレビ記の暦と民数記の暦とを調和させている。『神殿巻物』の暦は、『第一エノク書』、『ヨベル書』、『律法儀礼遵守論(4QMMT)』などと同じ364日の太陽暦である。

清浄規定。この部分について、Andrew WilsonとLawrence Willsは別の資料であると指摘したが、Michael Wiseは作者がいくつかの清浄規定を引いてきて、神殿資料の間に入れたのだと説明した。ここで文書作者はmaximalistのアプローチを取り、既存の清浄規定を極めて広い範囲に当てはめて解釈している。たとえば、出18:14-15で「女性のそばによってはならない」とされていることを、妻と性交して射精した者は三日間神殿の町へと入ってはならない(45:11-12欄)と拡大解釈している。同様の解釈は『ダマスコ文書』(12:1-2)にも見られる。これは、4QMMTを含む、祭司的・レビ的な解釈伝統の特徴である。

申命記的パラフレーズ。Lawrence Schiffmanによると、この部分で申命記が基本テクストとして機能しているが、文書作者は五書の他の文書や他の聖書文書からの素材を織り込んで、自らの神学的目的に合うような申命記の解釈を作り出したという。作者は単純に申命記を引用したり、他の五書テクストと調和させたり、解釈を付け加えたり、さらに法的資料を付け加えたりしている。ただし、作者が用いた申命記が現在のマソラー本文と同じものだとは言えないことには注意すべきである。またここでのパラフレーズは、『神殿巻物』が申命記に取って代わることを意図しているのではなく、それに寄り添い、同程度の権威を持って、シナイ山におけるモーセへの神の顕現を示すことを意図している。

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2017年2月19日日曜日

『スィフラ』の聖書解釈 Yadin-Israel, Scripture and Tradition

  • Azzan Yadin-Israel, Scripture and Tradition: Rabbi Akiva and the Triumph of Midrash (Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2015).
本書はタナイーム期のレビ記注解であるミドラッシュ『スィフラ』の聖書解釈方法論を検証したものである。2世紀から3世紀のラビたちは、二種類のテクストを残している。第一に、記憶され朗誦される定言的な律法を持つ「ミシュナー」型。第二に、聖書の句を分解し、それに注解を施す「ミドラッシュ」型である。『メヒルタ』、『スィフラ』、『スィフレ』などは後者の型に属する。

聖書に対するミドラッシュの関係は、しばしば駄洒落や言葉遊びなどと捉えられてきたが、Daniel Boyarinは、ミドラッシュとはトーラーにおける言葉やフレーズの意味を、聖書の残りの部分から説明しようとする試みだと定義している。Boyarinの弟子である著者は、この定義がミドラッシュの法的部分にも適用可能かを明らかにしたいと考えた。

タナイーム期の法的ミドラッシュには二種類の出自がある。第一に、『スィフラ(レビ記)』、『申命記スィフレ』、『メヒルタ・デ・ラビ・シモン(出エジプト記)』、さらには『ミシュナー』と『トセフタ』にも大きく影響しているラビ・アキバの学派。そして第二に、『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』や『民数記スィフレ』をかたちづくったラビ・イシュマエルの学派である。著者の前著であるScripture as Logosにおいて、著者はラビ・イシュマエル学派は聖書を導き手として聖書を解釈しており、それはクムラン共同体の伝統を継承した方法論であると主張した。

著者によれば、ラビ・アキバ学派による『スィフラ』には、「匿名でない発言(named) statements」と「匿名の発言(anonymous statements)」とがあり、後者はレビ記に関するランニング・コメンタリーの形式を取っているという。そして、「匿名の発言」は、『ミシュナー』や『トセフタ』において受け継がれた伝承の権威を強めるために、もはやミドラッシュ的な方法論を逸脱した「空虚な(vacuous)」な解釈であるという。一方で、「匿名でない発言」の方は真正にタナイーム期のものであると考えられ、よりどちらかと言えば「イシュマエル学派的」な傾向を持っている。

2017年2月18日土曜日

ハラハーとミドラッシュ Harris, How do we Know This?

  • Jay M. Harris, How do we Know This? Midrash and the Fragmentation of Modern Judaism (Albany: State University of New York Press, 1995).
How Do We Know This?: Midrash and the Fragmentation of Mdoern Judaism (Suny Series in Judaica, Hermeneutics, Mysticism and Religion)How Do We Know This?: Midrash and the Fragmentation of Mdoern Judaism (Suny Series in Judaica, Hermeneutics, Mysticism and Religion)
Jay M. Harris

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本書は、法的ミドラッシュと聖書との関係性について歴史的に検証したものである。歴史的には、法的ミドラッシュと聖書との関係性を理解するするためには、二つのアプローチがあった。第一に、法的ミドラッシュは解釈学的方法によって聖書から導き出されたものと考えるもの。そして第二に、法的ミドラッシュは実用的な結果を伴わない学問的なものと考えるものである。第一のアプローチの問題点は、聖書から導き出されたように見える律法は、現代の文献学的な視点から見るとかなり無理があるものだということである。一方で、第二のアプローチの問題点は、聖書的根拠を欠く律法には果たしてどのような典拠と権威があるのかということである。

本書はこうしたアプローチの違いがユダヤ史には存在したことを明らかにした上で、特に近代においては、ある者がユダヤ教の伝統の継続をどのように考えているかということが、ラビ・ユダヤ教の歴史の理解、そして法的ミドラッシュの理解に大きく作用していることを指摘する。たとえば、ラビ・ユダヤ教を否定的に捉える者たちは、その否定的な態度を正当化するために、ラビたちが作り上げた伝統は聖書を文献学的には不正確に用いたミドラッシュに基づいていると捉えてしまう。一方で、ラビ・ユダヤ教を肯定的に捉える者たちは、ラビたちの深い聖書理解を強調しようとする。いわば、それぞれの立場は最初から決まっているのである。

タルムードは、律法を導き出すためには聖書解釈が典拠になると考えたが、『バビロニア・タルムード』が聖書解釈の原則を確たる規則としては考えなかったのに対し、『パレスチナ・タルムード』はラビたちが聖書解釈において、より一貫していると考えた。とはいえその一貫性は、シンプルで理解しやすい聖書解釈をするラビ・イシュマエルと、より込み入っていて、現在の文献学からは程遠い聖書解釈をするラビ・アキバとに分けられる。

中世では、サアディア・ガオンは聖書の独立した解釈は不可能であり、聖書解釈から得られたように見える律法も、実際には口伝律法に依拠していると主張した。マイモニデスも、聖書から解釈によって得られた律法も、実際には聖書起源というよりはラビ的権威に由来すると考えるべきと述べている。

2017年2月9日木曜日

口伝律法の成立 Jaffee, Torah in the Mouth

  • Martin S. Jaffee, Torah in the Mouth: Writing and Oral Tradition in Palestinian Judaism, 200 B.C.E.-400 C.E. (New York: Oxford University Press, 2001).
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本書は、ユダヤ教における口伝律法がどのように成立したのかを検証したものである。著者はまず、口伝と成文とが二項対立であり、口伝の方が成文より先んじているのだという先入観を脱構築する。著者はむしろ、どんな伝承にも遂行的(performative)な解釈がああり、なおかつ口伝と成文とは互いに依存しあっていることを強調する。すなわち、口伝の文化においては、書かれたテクストとは、公の場で解釈され、朗誦されるために作られたのだといえる。

著者は、第1部では第二神殿時代の口伝伝承を、第二部ではラビ文学を扱っている。第二神殿時代に関してはクムラン共同体とパリサイ派共同体を検証しているが、著者はこの時代のユダヤ教には真の意味での口伝律法は存在しなかったと述べる。なぜなら、クムランでは過去から作用してくる進行中の啓示が重視されており、またパリサイ派でも権威ある伝承は過去からのみやってくるものだったからである。いずれも今現在の解釈行為という視点は欠けている。

しかしながら、ラビ時代になると状況は変わる。まず著者はタナイーム期の『ミシュナー』と『トセフタ』、そしてミドラッシュ集を扱いながら、特にミドラッシュの中に口伝律法の最初のはっきりとした表現を見出す。ミドラッシュは成文律法たる聖書と『ミシュナー』とを区別し、後者にシナイ山におけるモーセの権威を付しているのである。

しかしながら、口伝律法が理念的にも実践的にもテクストにはっきりと説明されたのは、アモライーム期であった。アモライーム期の特徴は、ラビたちの師弟関係が築かれたことである。師匠から口承で伝えられる伝統こそが(タルムード・トーラー)、まさに現在進行形の生きたトーラーとして、次の世代へと教育されていったのだった。

2016年10月5日水曜日

オリゲネスのユダヤ教知識 De Lange, Origen and the Jews #4

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 39-47.
割礼、食餌規定、祭りなどのユダヤ法遵守について、オリゲネスは新約聖書やヨセフスといった二次資料からのみならず、実際のユダヤ人という一次資料からも知るすべを持っていた。オリゲネスの活躍した時代が『ミシュナー』編纂のすぐあとであることから鑑みて、彼のハラハ―に関する知識は、ユダ・ハナスィーの弟子たちから直接学んだものである可能性がある。そうした痕跡は、特に『諸原理について』と『フィロカリア』などの中に見出すことができる。

たとえば、安息日の遵守に関しては、出16:29における基礎的ルールのみならず、安息日であっても移動することができる境界である2000キュビトに関するエルブというルールについても言及している。

食餌規定については、オリゲネスは聖書の規定以上のことは特に述べてはいない。しかし彼は、マコ7:11における「コルバン」という言葉に関して、ユダヤ法における不良債権の回収や社会的な義務の放棄の知識を持っていた。

『ケルソス駁論』を読むと、オリゲネスがラビ・ユダヤ教的な議論をしているのに対し、ケルソスはより自由で折衷的な非ラビ的なユダヤ教に基づく議論をしている。言い換えれば、ケルソスの議論はヘレニズム的で混淆的なのである。従って、ケルソスが依拠しているユダヤ人は、ギリシア哲学や他の宗教に由来する思想を濃厚に持っていたと言える。対して、オリゲネスは意図的に自身の議論を、律法を重んじる特定のユダヤ人に限定していたのだった。

オリゲネスは、エジプトのグノーシス主義をユダヤ教的な霊理解に繋げており、ケルソスはサタンやロゴスについて語っている。これらはラビ文学にも見られるものではあるが、どちらかというフィロンをその導き手としていると考えられる。

オリゲネスは、ラビ的な神の複数の神格について語っている。これは、ミニームらの考え方を基にしていると考えられる。ミニームとは、ユダヤ教の異端やグノーシス主義者、ヘレニズム的ユダヤ人、ユダヤ・キリスト者、そしてキリスト者のことをさえ指す漠然とした用語である。

他にも、オリゲネスは神人同型説、創造論、報いと罰、復活論、死後の生、メシア論について言及している。

2015年2月16日月曜日

死海文書研究の概観 Metso, "When the Evidence does not Fit"

  • Sarianna Metso, "When the Evidence does not Fit: Method, Theory, and the Dead Sea Scrolls," in Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods, ed. Mexine L. Grossmann (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2010), pp. 11-25.
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本論文は、死海文書研究の興隆によって出てきた新しいデータを解釈していく際にどのような問題が生じるかを概観したものである。すべての死海文書の校訂版が出版され終えた現在、研究者の課題はそれらに含まれる情報をどのように概念化し、統合していくかということになった。しかし、新しいデータの発見は、これまで共有されてきた考え方と必ずしも合致しないこともある。そこで著者はクムラン研究の現状を概観するために、第一に、聖書テクストの概念の問題、第二に、ハラハー(法)の概念の問題、第三に、死海文書をもとにした歴史の再構築の実現可能性について言及している。

聖書テクストの問題。第十一洞窟で発見された『大詩篇巻物』は聖書テクストなのかそうではないのかをめぐって、以下の観点から議論がなされた。第一に、その礼拝的な性質、第二に、非聖書的な一節の存在、第三に、古ヘブライ文字による神聖四文字、第四に、ダビデの作とされる散文、第五に、マソラー本文とは異なった詩篇の順番である。こうした特徴から、多くの研究者は『大詩篇巻物』を聖書写本ではなく二次的な礼拝集成とジャンル分けした。しかし、上のような特徴が実は『第四編巻物』独自のものというよりは、クムランから発見される聖書写本に共通して見られるものだと分かってきたのである。「改訂五書(Reworked Pentateuch)」と呼ばれる4Q364-367もまた、マソラー本文と比較したときに多くの付加や省略があることが指摘されていたが、これもまた第二神殿時代の聖書テクストによく見られる特徴であることが判明した。いうなれば、「改訂五書」はマソラー本文やサマリア五書と平行して存在した、トーラーの異なった版であったということである。それゆえに、クムランで見つかった聖書テクストにおけるさまざまな違いを、単に写字生の誤りとして一蹴するのではなく、むしろ本文批評に積極的に活用していくべきだと著者は主張する。

ハラハーの問題。クムランの共同体における法的伝統がどのように形成されたのかについて、いくつかの説がある。第一に、L.H. Schiffmanによれば、クムランの法的伝統の唯一の源泉は聖書解釈であるという。第二に、P.R. Daviesによれば、異なった共同体ごとに異なった方法で法的伝統を形成したという(『ダマスコ文書』を用いた共同体の法的伝統と『共同体の規則』を用いた規則のそれとは異なる)。第三に、M. Weinfeldによれば、契約にかかわる規則はトーラーから、社会的組織にかかわる規則は共同体の構成員の経験から形成していったという。著者は、レビ記の一節が『ダマスコ文書』と『共同体の規則』との両方において証明句として機能している例を挙げている。それによると、法的伝統は共同体の生活における必要性から生まれてきて、それにあとから聖書の証明句を当てはめているのであって、その逆ではないという。その証拠に、『共同体の規則』の平行箇所において、第一洞窟から発見された写本には証明句があるが、第四洞窟からの写本にはない。そしてこうした証明句は、決められた規則が厳しいことを正当化する役割と、一方でその厳しさを緩和する役割とを同時に担っているという。こうした刑法に違反した場合の罰則は、しばしばモーセの律法に対する違反と同等の重さを持っていた。M. Weinfeldは全イスラエルに向けられたトーラーの命令と、特定の共同体に向けられた規則とを区別したが、著者によれば、こうしたグループは自らこそが真のイスラエルだと考えていたのであるから、むしろハラハーには普遍的な志向性と排他的な志向性とが並存していると考えるべきだという。

歴史の再構築の問題。第一洞窟で発見された写本と第四洞窟のそれとを比較すると、さまざまな一節が実は異なった時代の異なったグループに由来していることが分かる。著者は『共同体の規則』(1QS)3:13-4:26と『結婚の儀式』(4Q502)とを比較して、前者の全体が後者に依拠しているわけではないと主張する。するとさまざまな可能性が考えられる。両者は共通のソースを持っていたのだろうか。『結婚の儀式』は別のエッセネ派テクストから引用されているのだろうか。それとも『共同体の規則』を知らないエッセネ派外のテクストから取られているのだろうか。すなわち、社会学的・歴史学的な観点や編集過程の観点から、さまざまな仮説が生み出されうるのである。さらには、ソースとしての口承伝承のことを考慮に入れると、事態はさらに複雑になる。口承伝承への依拠という仮説は、書かれたテクストが入手可能であったという可能性を除外するものではない。これを検証するためには、フィジカルな「規則集」という言葉がどのように使われていたかに注目する必要がある。
The new evidence provided by the Dead Sea Scrolls provides a unique challenge to scrolls scholars. It raises a broad range of methodological and theoretical questions, and an even broader range of not-yet-asked questions must be raised in our attempt to understand the treasury of documents illuminating Second Temple Judaism. Such questions have the potential of making us rethink even our most basic understandings of what such central concepts as Scripture, halakhah, and history mena in this period [...] With a larger amount of evidence, we are also in a better position to create a methodologically more solid foundation for our analysis. This will result in ruling out certain hypotheses, while at the same time demonstrating the accuracy of others. (p. 25) 

2015年2月3日火曜日

死海文書とラビ文学における法 Shemesh, "Halakhah between the Dead Sea Scrolls and Rabbinic Literature"

  • Aharon Shemesh, "Halakhah between the Dead Sea Scrolls and Rabbinic Literature," in The Oxford Handbook of the Dead Sea Scrolls, ed. Timothy H. Lim and John J. Collins (Oxford: Oxford University Press, 2012), pp. 595-616.
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本論文は、死海文書の法的解釈について、特にミシュナーとミドラッシュを中心としたラビ文学との比較をしたものである。著者は死海文書の「エッセネ派仮説」を支持している。ただし、『律法儀礼遵守論』(4QMMT)などからは、サドカイ派的な特徴が見受けられる。そこでJacob Sussmannは、サドカイ派とエッセネ派とは別のグループだが、法的システムに関して共有する部分もあると考えた。そして両者は明らかにパリサイ派からは異なっている。

死海文書には、それ自体としては法テクストではないが法的部分を含むテクスト、まごうかたなき法的テクスト、さまざまな法的問題を広く収集しているテクストがあり、三つ目の代表例として、『神殿巻物』と『ダマスコ文書』がある。『神殿巻物』はいわゆるrewritten Bibleと呼ばれるもので、聖書テクストに依存しながら法解釈をするのではなく、自らをトーラーと同列のものと考えている。そのため、神は三人称ではなく一人称で直接語りかけてくる。また、研究者によっては、rewritten Bibleではなくalternative Pentateuchal textsと呼ぶ者もいる。一方で『ダマスコ文書』は聖書テクストと解釈とをはっきりと区別し、なおかつトピックに従って説明が加えられている。聖書引用はほとんどないが、ある場合にも、それは証明句ではなく、トピックの題名として機能しており、法的解釈がどのように聖書から証明されるのかについては明らかにされていない。すなわち、自らをトーラーと同じ権威があるものと考える『神殿巻物』に対し、『ダマスコ文書』はトーラーの権威に依拠しつつ、トーラーの正しい解釈を伝える権威者として振舞っているのである。

こうした死海文書とラビ文学とを比較すると、聖書の流れに従い、また一節ずつ互いに関係しているミドラッシュは、『神殿巻物』や他のrewritten Bibleと似ている。一方で、トピックに従って攻勢されているミシュナーは、『ダマスコ文書』と似ている。逆に、自らを権威と考えるという点では、ミシュナーは『神殿巻物』と似ており、自らをトーラーの解釈者と規定するという点では、ミドラッシュは『神殿巻物』と似ている。ただし、死海文書とラビ文学との決定的な違いは、ラビ文学はラビたちの議論や、棄却された解釈ですら保存している点である(マハロケット)。

死海文書では、法の権威として神の啓示の概念が共有されている。ただし、ここでも『神殿巻物』およびrewritten Bibleと『ダマスコ文書』とでは違いがある。『神殿巻物』は『ヨベル書』同様に、自らはモーセによってシナイ山で啓示されたものだと考えていた。一方で、『ダマスコ文書』や『共同体の規則』(1QS)は、トーラーには「顕かにされた意味(niglot)」と「隠された意味(nistarot)」とがあるという理解をもとに(申29:28)、神への回帰と贖いとは全イスラエルではなく、一部のセクトにのみ課せられた課題であると考えた。両者は共に、法の権威を神の霊感に帰しているといえる。これらに対し、ラビ文学は人間の自主性を強調する。すなわち、預言と法解釈とにははっきりとした違いがあるのである。ハラハーは人間の営為であり、神的権威ではなく人間的な過程から引き出されるものである。

ヨセフスやタルムードの記事から見ると、パリサイ派は伝承に重きを置くのに対し、サドカイ派は聖書に書かれていることのみを議論する。この点で、死海文書はサドカイ派と共通している。一般的に、死海文書やサドカイ派はパリサイ派よりも厳格な法解釈をするという特徴がある。これを、もともとサドカイ派的厳格路線が主流だったのをパリサイ派が和らげたのだとする研究者がいるが、むしろ当時一般的に許されていたことをも、サドカイ派は聖書に照らして禁じたと考えるべきと著者は言う。こうした例として、『ダマスコ文書』における叔父と姪との結婚の禁止について論じている。レビ18:10, 17には、結婚が禁じられている近親関係が挙げられているが、ここにない関係(例えば叔父と姪)でも、同等のものが禁止されていれば(例えば祖母との結婚がダメなら祖父との結婚もダメであり、祖父の妻との結婚がダメなら孫の妻との結婚もダメ)、基本的に禁止されていた(ゆえに叔父と姪ともダメ)。しかし、これに対しパリサイ派は父祖の伝統に則り、不必要な禁止を加えないように努めた。

死海文書のハラハーの特徴を描き出したものとして、著者はJacob SussmanとDaniel Schwartzの研究を挙げている。前者はサドカイ派の厳格路線とパリサイ派の甘め路線とを指摘した。パリサイ派はしばしば「ドルシェ・ハハラコット」と呼ばれるが、これは「滑らかなものの探求者」が字義通りの意味だが、実際には「より容易な解釈の探求者」という意味であった。これはパリサイ派の自己理解である「ドルシェ・ハハラホット(律法の探求者)」のもじって揶揄したものである。サドカイ派にとってみれば、パリサイ派は律法遵守に関してより簡単で快適な生活をしているにもかかわらず、自分たちを敬虔な者と見なしている不届き者ということになる。Schwartzは、サドカイ派を「現実的」、パリサイ派を「規範的」と表現した。すなわち、サドカイ派が法を自然や現実に即したガイドラインと見なしたのに対し、パリサイ派は法を神によって作られた掟であると見なしたのである。この点で、死海文書も現実的といえる。

ユダヤ教の法文書を、著者は「発展的(developmental)」と「反映的(reflective)」というモデルに分けている。前者のモデルによれば、死海文書は古い法的伝承で、それが発展してラビ文学になったといえる。後者のモデルによれば、ラビ文学の法解釈は、死海文書の法的伝統の反映だと考えられる。シャマイ学派の法解釈は、しばしば死海文書のそれとの類似性が指摘されているが、これは発展的モデルから説明される。ラビ・アキバに代表される、高度に洗練されたミドラッシュ的テクニックは、反映的モデルから説明される。

2014年10月5日日曜日

聖書解釈者としてのイブン・エズラ Sarna, "Abraham Ibn Ezra as an Exegate"

  • Nahum M. Sarna, "Abraham Ibn Ezra as an Exegate," in Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath, ed. Isadore Twersky and Jay M. Harris (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1993), 1-27.
Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath (Harvard Judaic Texts and Studies)Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath (Harvard Judaic Texts and Studies)
Isadore Twersky

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日本ではスピノザ『神学・政治論』の「ネタ元」として知られているアブラハム・イブン・エズラ(1092-1167)は、ミクラオット・グドロットではおそらくラッシーの次によく参照される聖書解釈者である。スペインにおいて、「星の巡り合わせの悪いとき」に生まれた彼は、パトロンの庇護を受けて生活していたため、次々と新しいスポンサーを求めて諸国を遍歴することになった。しかしそうした遍歴生活によって、さまざまな知識を得ることができたともいえる。またイスラーム・スペインからローマをはじめとするキリスト教諸国へ移動したために、彼はアラビア語ではなくヘブライ語で著作を残した。これが現在でも彼の著作がよく読まれている一つの要因といえる。

驚くべきことに、彼が著作活動を始めたのは50歳になったときだった。なぜ50歳から書き始めたのかは明らかではないが、その少し前に病気をしたから、あるいはローマで異端として告発されたので異端ではないことを証明したかったから、などさまざまな理由が考えられる。彼が残した注解は聖書すべてをカバーするものではない。現存するのは五書、イザヤ書、十二小預言書、詩篇、ヨブ記、メギロット(エステル記、コヘレト書、雅歌、哀歌、ルツ記)のみである。しかし彼は他にもヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、エレミヤ書、エゼキエル書、箴言、エズラ・ネヘミヤ記、そして歴代誌の注解も書いたと述べている。

彼は他の中世聖書注解者の誰よりも聖書解釈の歴史に対する知識が深かったといわれる。彼はトーラー注解の序文において、彼以前の聖書解釈を批判的に4つのタイプに分けている。
  1. ゲオニーム:世俗の科学の成果を過剰に含んでいる。
  2. 異端カライ派:伝承と口伝律法を否定し、恣意的な解釈をしている。
  3. キリスト者:聖書にエゾテリックな意味を求め、主観的・寓意的な解釈をしている。
  4. キリスト教世界におけるユダヤ聖書解釈:タルムード賢者たちの説教を字義的に取り、ヘブライ語文法を無視している。
彼自身の聖書解釈の方針は、文法的、文献学的、そして文脈に即した研究を基にした(grammatical analysis and intellectual acceptability, p. 6)、テクストのストレートな解釈であった。しかし同時に、トーラーにおけるハラハー上の問題に関しては、賢者たちの解釈の権威を認めていた。当時聖書写本の正確さでずば抜けていたスペインで育ったイブン・エズラは、所与の聖書本文をそのままで解釈することを目指した。そのため、彼は当時すでに写本に記されていた「写字生の修正(ティクネ・ソフェリーム)」を無視することもあった。また彼は、テクストの破損や改訂の必要性を仄めかすヨナ・イブン・ジャナハの「置き換え理論(substitution theory)」にも激しく反対した。むしろ彼は、聖書における語の用法、スタイル、レトリックに注目し、またヘブライ語の文法に依拠することで難局を乗り切ることを目指したのである。彼はヘブライ語や聖書のスタイルとして次のような特徴を指摘している。
  1. 省略(ellipsis):冗長な言葉を省略できる。
  2. 転置・逆転(transposition, invert):語順、節順、エピソード順が逆転する。
  3. 並置(juxtaposition):節と節との並置には何らかの関連した意味がある。
  4. キアスムス(Chiasmus):二つのものが言及されるとき、二度目には二つ目が先に言及される。
  5. 間隔を置いた要約的反復(resumptive repetition following an interval or interruption):ある出来事が言及されたあとに、しばらくして同じ出来事に言及することがある(出14:8,9; Ex 20:15, 18; Num 32:2, 5)。
イブン・エズラは、カライ派を批判していたことからも分かるとおり、口伝律法を重視する立場を取る。特に、聖書におけるハラハー的な箇所については、賢者たちの伝承に依拠している。一方で、ハラハー以外の箇所については賢者たちの解釈に遠慮なく批判を加えた。彼は、代々伝えられてきた伝承(カバラー)と、賢者たち自身がロジックや討論の実践によってテキストから導き出した事柄(セヴァラー)とを厳密に区別していたのである。そして場合によっては、ラビたちの見解をまったく否定することもすらあった。

さらに、彼の傾向として、タルムードより後代のラビ的解釈にはほとんど重きを置かなかった。彼はサアディア・ガオン、ヨナ・イブン・ジャナハ、サムエル・ベン・ホフニ、ラッシーをはじめ、40人ほどの先行者たちに言及しているが、そのほとんどを、莫迦にした枕詞をつけて紹介している。特にカライ派と、ヒッウィー・アル・バルヒ(9世紀)と某イツハキに対しては容赦がない。ただ彼がこうした聖書解釈者たちを単に捨て置かず、いちいち名を挙げて批判しているのは、裏返せば彼らの著作がイブン・エズラ当時よく読まれていたことの証左でもある。スピノザへとつながっていく彼の「本文批評」の意識は、こうした「文壇」事情に促されるかたちで形成されていったともいえる。

そうした「本文批評」の意識の中で、イブン・エズラは聖書中のアナクロニズムに注目した。申命記32章はモーセを三人称で描いているが、これは、五書の著者はモーセだとする当時の見解に矛盾する。彼はこの箇所を後代の付加だと見なしている。これは、なるべく聖書本文をそのままのかたちで意味が通るように解釈するという彼の基本方針に反するようにも思える。実際Sarnaも、「It is hard to establish the criterion by which Ibn Ezra differentiated acceptable from inadmissible anachronisms, p. 19」と述べている。彼はまた、モーシェ・ハコーヘン・イブン・チキティラ(1080年没)の影響下で、イザヤ書の複数著者説に言及している。

最後に、イブン・エズラの聖書解釈の特徴として、注解することで自身の哲学を開陳しているということが挙げられる。彼は晩年に哲学に特化した小品をものしてはいるが、彼の哲学はむしろ注解の中から導き出される。それによると、彼はソロモン・イブン・ガビロールに影響を受けた新プラトン主義者というのが定説になっている。

2014年9月18日木曜日

行為から意図へ Avery-Peck, "Ch. 15 Conclusions"

  • Alan J. Avery-Peck, "Chapter 15: Conclusions," in Mishnah's Division of Agriculture: A History and Theology of Seder Zeraim (Brown Judaic Studies 79; Chico, California: Scholars Press, 1985), pp. 397-411.
Mishnah's Division of Agriculture: A History and Theology of Seder Zeraim (Brown Judaic Studies)Mishnah's Division of Agriculture: A History and Theology of Seder Zeraim (Brown Judaic Studies)
Alan J. Avery-Peck

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著者は本書での結論を6点挙げている。
  1. ミシュナーのラビたちが第二神殿時代の文学から法制度や法概念をある程度受け継いでいるにせよ、ミシュナーの法概念は新しい独自のものであり、創造的なものである。従って、ゼライーム篇もまた、ラビたちが古代の法を単に集めてきたものではなく、最初の数世紀の間になされた創造である。
  2. 検証の結果、匿名の法は名前付きの法に依拠していることが分かったため、通常考えられているように匿名の法はラビの名前付きの法より古いのではなく、逆に、名前付きの法が匿名の法より古いものである
  3. ゼライーム篇のそれぞれの項はランダムに並んでいるのではなく、トピックや事実に従って組織的な編成になっている
  4. 70年から135年までサンヘドリンがヤブネに存在したヤブネ期と、それ以降のウーシャ期とで分けて考えると、ヤブネ期が法における行為自体を問題にするのに対し、ウーシャ期は法を守るときの人の意図や状況を勘案するようになった
  5. ミシュナーが特に独自なものとなったのは、バル・コフバの乱以降、すなわちウーシャ期になってからである。ウーシャ期のラビたちは聖書のイデオロジーを超えて、ミシュナー独自の聖俗の区別の概念を定式化した
  6. 神殿の崩壊後のユダヤ教の発展にとって、70年の神殿崩壊そのものよりも、135年のバル・コフバの乱が与えた影響が極めて強い。70年に確かに神殿は崩壊したが、まだローマによる規制が甘かったのに対し、135年の反乱以降はローマによるエルサレムの解体が進み、ユダヤ教の制度の大幅な改編が迫られた。
著者はこの章において、特に第四点目についてさらに説明を加えている。ヤブネ期の賢者たちは基礎的な質問や法定義について関心を集中させている。彼らは、人々が法を守るときの動機付けや意図には興味を持たず、ひたすら法の定義を議論している。彼らは世界にはあらかじめ決められた秩序があると考えていたのである。これに対し、ウーシャ期の賢者たちはすべての行為をそれをなした人の意図に照らして判断している。それゆえに、ある法の規定を破ってしまっても、それがよい意図に従ってなされたのであれば許されるのである。ヤブネ期の賢者たちと異なり、ウーシャ期の賢者たちは、イスラエル人に課された秩序以外、世界には秩序はない(それゆえに、法の遵守においても意図せざる乱れが生じる可能性がある)と考えていたといえる。

著者は、この行為そのものから意図を重視する姿勢を、中世ヨーロッパにおける法の発展や、心理学における子供の倫理観の発展などとの対比から説明していく。つまり著者は、社会的・政治的な倫理観の発展を、その中にいる個人の倫理観の発展の類比から理解しているのである。

2014年9月12日金曜日

ミシュナー・ゼライームに見るラビ・ユダヤ教の農業観 Avery-Peck, "Ch. 1: The Mishnaic Division of Agriculture"

  • Alan J. Avery-Peck, "Chapter One: The Mishnaic Division of Agriculture," in Mishnah's Division of Agriculture: A History and Theology of Seder Zeraim (Brown Judaic Studies 79; Chico, California: Scholars Press, 1985), pp. 13-32.
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イスラエルでは古代より人々に十分の一税が課せられてきた。これは収穫の十分の一を税として神殿に収めるというものである。聖書における十分の一税の現代的な理解としては、貧者や祭司およびレビ人の生活を維持するためのものだったのだろうと考えられている。ではラビ・ユダヤ教ではどうだったのだろうか。ミシュナーの中でこの問題を扱っているのはゼライーム篇だが、Avery-Peckによれば、神殿祭儀がなくなったあとの世界に生きていたミシュナーのラビたちは、現代の経済的な観点からまったく離れ、独自の理解をしているという。

農業に関して、ミシュナーのラビたちにとって最も重要な概念は、すべての土地は神の所有であり、人間はそれを使わせてもらっているだけということであった。それゆえに、農業をするときには、神の土地にふさわしい仕方でしなければならない。そしてひとたび収穫があれば、十分の一税を支払って、いわばその収穫についている「神の抵当権」を放棄してもらうのである。つまり、ラビたちにとって十分の一税とは単なる神殿祭儀の一環ではなく、神による創造に相応しい仕方で農業をすることで、神とイスラエルとの特別な関係を維持していく手段だったのである。

ところで、特に第二神殿時代のユダヤ教文学には、農業に関する記述があまり多くない。そこで、ミシュナーが成立していった時代の比較対象としては、ギリシア・ラテン文学が適切である。具体的には、テオフラストス、クセノフォン、ワッロ、コルメッラ、大プリニウスなどが挙げられる。Avery-Peckによると、ギリシア・ラテン文学における農業観は、「経済」と「科学」が主眼だったという。つまり、農業を営むに際し、彼らの焦点は、商業的な意味でいかに農作物から利益を得るかということと、それを遂行するためにどのよな科学的な方法があるかということだったのである。これに対し、ラビ・ユダヤ教にとっては、経済も科学も農業をする際の主眼ではなかった。むろんラビたちもギリシア・ラテン文学における農業と同じように、取れ高の向上を願ったが、その同じ目的を達成するために、ギリシア・ラテン文学が科学的なアプローチを取ったのに対し、ラビ・ユダヤ教は律法遵守を主眼に置いた。すなわち、土地は神のものなのだから、神の法を遵守すれば取れ高も増えると考えたのである。

ではミシュナーは農業に関して聖書に完全に依拠しているのであろうか。むろん両者には基本的な部分で大きな連続性が認められるが、一方で、先に述べたように、神殿祭儀の有無により、ミシュナーは農業を律法に則って行なうことにより、神との関係性を維持していくことを目的としていた。いうなれば、聖書が貧者や神殿祭儀を見据えていたのに対し、ミシュナーは個人個人の生活を基にしているのである。

こうしたミシュナー・ゼライーム篇の特徴を示すために、Avery-Peckはトピックに従って各項を並べている。

1.作物の生産過程について
  • シェビイット(安息年)項:土地は神のものなので、創造のときに神が7日目に休んだように、7年ごとに土地を休ませなければならない。
  • キルアイム(混合の禁止)項:神が創造のときに定めた種の違いを維持するために、違う作物を一緒に育ててはならない。
2.作物を捧げ物として聖別する条件について
  • マアセロット(十分の一税)項:どのような作物が十分の一税を課されるべきものかについて。ここでは、支払う者の意図も重要である。つまり捨ててもいいようなものではなく、実際本人が食べようと思い、実際自分の食事に供するつもりのものを税として支払わなければならない。
  • ハラー(麦粉の初物)項:民15:17-21参照。しかし聖書と異なり、麦粉の初物で作ったすべてのパン生地が捧げ物になるわけではなく、特定の材料および方法でできたものでなければならない。この項はマアセロットを補完するものである。
3.捧げ物が捧げられるための条件について
  • テルモット(挙祭、祭司の取り分)項1.1-4.6:捧げ物が有効なものとなるための、捧げる本人の意図について。つまり、取り分けておいた作物も、捧げる本人がそれを捧げ物として聖なるものと見なければ、それは捧げ物にはならないのである。
  • ペアー(隅の刈り残し)項:テルモットと関連して、収穫の十分の一を貧者のために取り分けることについて。貧者への施しも、規定に則って行なわれなければならない。
  • ビクリーム(初物)項:申26:1-11、レビ23:9参照。作物の初物はエルサレムに捧げ物として収めなければならない。この項では、捧げ物を捧げる際のさまざまな要件について説明しつつ、テルモットの議論である捧げる本人の意図を問題とする。
4.捧げ物の取り扱いについて
  • テルモット項4.7-10.12:捧げ物をするときに不適切な条件について。捧げ物が単品で条件を満たしていても、聖別されていないものと混ざってしまったり、祭司以外に食べられてしまってはならない。しかし、テルモット1.1-4.6で示されているとおり、捧げ物をする者の意図もまた重要な条件となる。
  • マアセル・シェニー(第二の十分の一税)項:申14:22-26参照。エルサレムの神殿に十分の一税を支払うときに、作物そのものを持っていくのではなく、それを売って金にし、その金を持ってエルサレムに行き、現地で作物を買いなおすことがよいかについて。
5.作物や捧げ物の食べ方について
  • デマイ(十分の一税に認められにくいもの)項:この項の主要な問題は、きちんと十分の一税を守る人が、どうしたら守らない人の巻き添えを食わないかということである。自分が作物の十分の一税を支払っていても、人の家や公共の場所で食べたものが十分の一税をきちんと支払ったものかどうかは分からない。もしこれを食べると、律法違反に加担したことになってしまう。それを防ぐためには、自分の所有を離れたものは必ず十分の一税を払うようにすればよいという(自分が所有するものは確実に支払っているので)。
  • オルラー(捨てるべき初物)項:すべての初物を捧げるわけではなく、たとえば木の実は、木に実がなるようになってから3年経ってからでなければ捧げ物にしてはならない(レビ19:23参照)。こうした、初物は初物でも捧げることのできないものを分類している。
  • テルモット項11.1-10:捧げ物は、いったん聖別されて捧げられると、祭司によってしか消費されてはならない。仮にいくつか条件を満たさなくても、まだ捧げ物として有効なうちは祭司のみが扱える。
こうした分類を経て、Avery-Peckはゼライーム篇の重要なポイントを2点指摘している。第一に、それぞれの項は一貫した関心によって繋がれている。第二に、聖書でもともと問題とされていた側面とは別の側面に光が当たることが多い。ラビたちは、神殿を失ったイスラエルの人々が守るべき農業の決まりを定めることで、イスラエルの個人個人を祭司のいる王国へと変えようとしたのである。

さらに、ゼライーム篇には当時の歴史的なコンテクストに対する感心な薄いという特徴がある。これは、当時ローマによって支配されていたユダヤ人は、自分たちの弱さをあらわす歴史そのものに関心を持てなかったからと考えられる。むしろ、律法を遵守することで神の創造した世界を完全なものにする使命を与えられていると考えていた彼らは、農業をするときにも、その使命を遂行することを第一義に考えていたのであった。

2014年9月11日木曜日

手を汚すことおよび聖書の正典化について Broyde, "Defilement of the Hands, Canonization of the Bible"

  • Michael J. Broyde, "Defilement of the Hands, Canonization of the Bible, and the Special Status of Esther, Ecclesiastes, and Song of Songs," Judaism 44,1 (1995): 65-79.

ソロモンの書と呼ばれるエステル記、コヘレト書、雅歌は、ヘブライ語聖書の中でも神の名を含まない書物として、ラビ・ユダヤ教において、しばしば他の書物とは異なった扱いを受けてきた。中でも、ミシュナー・キルアイム15.6、同ヤダイム3.5、およびタルムード・メギラー7aにおいて、「すべての聖書の書物は手を汚すが、あるラビによればコヘレトは手を汚さない。また別のラビによれば雅歌は手を汚さない。さらにまた別のラビによればエステルは手を汚さない」といった風に区別をつけられている。

この「聖書が手を汚す」とはどういうことか。タルムード・シャバット14a-bの解釈によると、あるときラビたちは、人々がテルマーと呼ばれる聖なる食物を、聖書の巻物を入れる聖櫃に入れ、「これらは共に聖なるものだ」と言っているのを知った。食べ物を聖書の巻物と共に置いておくと、小動物が来て聖書まで食べてしまうことを恐れたラビたちは、「聖書は手を汚す」という法令を出した。すると、聖書を手で触ってからテルマーに触ると、テルマーは不浄なものになってしまう。逆に、テルマーも触ると手が汚れるので、それに触ってから聖書を触ることも禁じられた。こうしてラビたちは、人々がテルマーを聖書の巻物と共に聖櫃に入れないようにしたのである。

ここから、聖書の書物は手を汚すものだという条件が規定されたのだが、すると、今度はソロモンの書が手を汚さないとはどういうことかという疑問が出てきた。つまり、聖書の書物であれば「手を汚す」のであるから、手を汚さないソロモンの書は正典ではないのではないかという、さらなる解釈が生まれてきたのである。著者はユダヤ教の伝統的な聖書注解者たちの解釈を渉猟した結果、「ソロモンの書が手を汚さない」ことの解釈に関して、二つのグループがいることを示している。

第一は、ソロモンの書は正典には入っていないと考えたグループである。つまり、聖書であれば手を汚すのだから、手を汚さないソロモンの書は正典ではないということである。これはラビ・ヨム・トブ・アシュベッリやラヴ・ハイ・ガオンらの見解である。彼らによれば、エステル記はプリム祭で読まれるほどの、ある種の聖なる書物としての権威を持っているのは確かだが、それは成文律法としての権威ではなく、口伝律法としての権威にすぎないということになる。

一方、第二は、ソロモンの書物は正典には入っているが、霊感を受けて書かれたものではないと考えたグループである。つまり彼らが「ソロモンの書が手を汚さない」というテーマにおいて問題としているのは、正典か否かではなく、霊感の有無である。これは『セフェル・ハエシュコル』の著者、マイモニデス、ラビ・ダヴィッド・イブン・ズィムラらの見解である。イブン・ズィムラは、ソロモンの書はソロモン晩年の作であり、彼は異邦人の妻に言われるまま偶像を崇拝していた頃にそれらを書いたので、聖霊はソロモンから去ってしまっていたのだと説明している。

第二のグループはさらに二つの下位区分に分けられる。両者はソロモンの書の正典性は共に認めた上で、ひとつは、ソロモンの書は霊感を受けたものではないので、他の書物とは区別されるというもの。もうひとつは、ソロモンの書は霊感を受けたものではないが、他の書物と同等に扱われるべきというものである。前者の見解に従って、エステル記を巻物に書く際もその最初と最後のところに(他の書物のように)空欄を作る必要はないし、保存の際も上に布をかける必要はないといった差異化を図ったアシュケナジーのグループがいた。一方、後者の理解としては、ソロモンの書には神の名前が出てこないが、だからといって他の書物と異なった扱いを受けるべきではなく、ソロモンの書は、他の書物の中で神の名前が出てこない一節と同じ価値を持っていると考えた。特に雅歌には、2:7、3:5、8:6において神の名に等しい言葉が出てくるので、雅歌は他の書物のように扱われるべきだとしている。

以下は読後の感想だが、日本人から見ると、自分たちが大切にしている正典を触ると「手が汚れる」という感覚はよく理解できない。しかし、そういう条件が出来上がったとき、それをある書物が正典であるかないか、あるいは正典ではあっても霊感を受けているかいないかを定める基準にしてしまうというのがラビ・ユダヤ教の面白いところだと思った。

2014年1月31日金曜日

ミドラッシュとは何か?その2 Alexander, "Midrash"

  • Philip A. Alexander, "Midrash," in A Dictionary of Biblical Interpretation (London: SCM Press, 1990), pp. 452-59.
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ミドラッシュの概説を読みました。Alexanderは、ミドラッシュ文学を以下の4種類に分けています。
  1. ハラハー的ミドラッシュ:『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル(出)』『スィフラ(レビ)』『民スィフレ』『申スィフレ』。別名タナイーム的ミドラッシュとも呼ばれる。これらの四書をさらに、学派の違いによって、①ラビ・イシュマエル学派の『メヒルタ』『民スィフレ』、②ラビ・アキバ学派の『スィフラ』『申スィフレ』に分けられる。
  2. 釈義的ミドラッシュ:『創世記ラバー』『哀歌ラバー』。現在の区分とは異なったパラシャーを持ち、プティハーと呼ばれる形式が取られている。
  3. 説教的ミドラッシュ:形式により、さらに3種類に分けられる。①『レビ記ラバー』、②『プスィクタ・デ・ラブ・カハナ』『プスィクタ・ラバティ』、③『タンフーマ・イェラムデーヌ』。
  4. アンソロジー、集成:形式により、さらに2種類に分けられる。①『ヤルクート・シムオニ』『ミドラッシュ・ハガドール』、②『ミドラッシュ・ラバー』(五書、5つのメギロット)。
こうしたミドラッシュは、ダルシャニームと呼ばれるラビたちによって、ミドラッシュの学院であるベート・ミドラッシュやシナゴーグで生み出されていきました。といっても、自らの独創性を誇るのではなく、むしろ自分たちが受け取ったものを正確に次の世代に伝えることを使命としていたようです。つまり、ミドラッシュの権威とは、個人がいかに独創的な新解釈を生み出したかではなく、モーセ以来の口伝律法の伝達の中で、いかに正統な賢者たちの連なりの中にあるかがカギなのです。

ミドラッシュをどう読むか、ということについては、「原子論的(atomistic)」と「全体論的(holistic)」や読み方があります。前者は、聖書の引用+解釈をひとつのユニットと見たときに、それぞれのユニットがバラバラだと考えるもので、いわば聖書引用を中心とした読み方といえます。一方後者は、それぞれのユニットの配置には一貫した意図があり、解釈の中に聖書の引用があると捉えます。後者の代表がJ. Neusnerで、特に『創世記ラバー』を分析した結果、解釈ユニットの背後に一貫している意図とは、4世紀におけるローマ帝国のキリスト教化に対するラビたちの対抗意識だと結論付けました。これに対して反論している研究者たちは、もし本当に首尾一貫した意図があるのなら、なぜ『創世記ラバー』の写本テクストに異動が多いのかと疑義を呈しています(正確な本文が保存されていないのに、なぜ背後の意図などを引き出せるのか、ということ)。現在では、やはりミドラッシュの連なりは「原子論的」であるという意見の方が強いようです。著者としては、両方の見方を弁証法的に用いるのが最も健全と述べています。

ミドラッシュ集成の成立時期は特定するのがほぼ不可能ですが、ひとつだけ言えるのは、すべてミシュナー以降のものだということです。すべてのテクストに、ミシュナーの存在を前提としている様子が伺われます。また個々の伝承の年代を特定するのはさらに難しいですが、少なくともある時期までにある伝承が存在したかどうかを調べることはできます。信頼できる外部資料に似たような解釈があるかを探せばよいのです。その対象となるのは、フィロン、ヨセフス、新約聖書などになります。こうした方法はR. Blochによってはじめられ、その後G. Vermesによって続けられています。

ミドラッシュを現代の視点から見るのと、ラビたち自身の視点から見るのとでは、その評価は大きく異なります。現代の視点から見れば、ミドラッシュとは聖書にもともとないアイデアを用いるので、聖書を都合よく使っているように思えますが、ラビたちの視点から見れば、ミドラッシュとは、聖書に潜在しているさまざまな意味を汲み出す方法だといえます。そうしたラビたちの視点から見ると、聖書とミドラッシュにまつわる大きな二つの原則が見えてきます。第一に、聖書は神の言葉である、という意識です。神の言葉である聖書には、汲めども尽きせぬ真理が隠されているので、聖書にはいくつもの読みがあり得ます。ラビたちには、唯一の正しい聖書の意味という発想はありません。一方で聖書は一貫しているともいえます。一見矛盾しているように見える箇所も、ラビたちに言わせれば、それは人間という限界のある存在が読んでいるからそうなるだけであって、神にとってはそれは矛盾でもなんでもないのです。ゆえに聖書に誤りはなく、また冗長さもないといえます。第二の原則は、神が与えた律法は、成文律法である聖書のみならず、口伝律法もあるということです。つまり、閉じた聖典としての聖書だけではなく、開かれた口伝律法の、つまりミドラッシュの世界が広がっているという捉え方になります。一方で、その口伝律法には、賢者たちによる伝統があります。この伝統こそが、あまりにも突飛な解釈などを防ぎ、聖書解釈にある種の規範を与えることにもなりました。

2014年1月24日金曜日

ミドラッシュとは何か? Stern, "Midrash"

  • David Stern, "Midrash," in Contemporary Jewish Religious Thought, ed. A.A. Cohen and P. Mendes-Flohr (New York: Free Press, 1987), pp. 613-20.
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ミドラッシュに関する概論を読みました。ミドラッシュとは、後1世紀のパレスティナにおいて、ラビたちによって鍛えられ、実践された聖書解釈の活動のことです。意味の広がりとしては、1)ラビたちによる聖書解釈法それ自体、2)聖書の節や語に関する個々の解釈、3)そうした解釈の集成としての文学、の3つが挙げられます。

聖書を解釈するという行為は、後代に書かれた聖書文書の中で、すでにあった文書に関して解釈することからすでに始まっていました。聖書コーパスがだいたい固まった後には、その翻訳(タルグム)、聖書物語の語り直し(偽フィロン)、そして黙示的な注解(死海文書)が続き、新約聖書の中ではイエス自身の生が、ある意味では旧約聖書のひとつの解釈として展開されました。ラビたちがミドラッシュの中で用いた解釈原理は「ミドット」と呼ばれ、Saul Liebermanはここにギリシア・ローマにおける法解釈の反映を見ています。

Sternによると、ミドラッシュの大きな特徴として4つ挙げられるそうです。
  1. ミドラッシュには一定のシステムはなく、論争的・護教論的な性質を持つ。
  2. ミドラッシュは聖書の大きなコンテクストではなく、ひとつの語、フレーズ、節といった小さな部分に注目する。J. Kugelはこうした性質を「The verse-centeredness of midrash」と呼んだ。このように聖書を断片化することで、それぞれまったく別の箇所から意外な繋がりを発見することができる。
  3. ミドラッシュは聖書中の問題ある箇所に注目する。語彙上の問題、物語の矛盾、不明な土地の名前や同定できない人物、シンタックスのぎこちなさなど、すべての問題がラビたちの関心事となる。同じ個所に関して複数の解釈がある場合、どの問題に着目するかによって、それぞれの解釈が矛盾し合うことすらある。
  4. ミドラッシュは極めて観念的(ideological)である。ラビたちは聖書に関する伝統的な解釈を大事にしながらも、躊躇なく自分たちの現実をそこに読み込んでいる。
さて、こうした特徴を持つミドラッシュは、主にラビたちが教えていた学院やシナゴーグで生み出されていき、次第に文書化されていきました。タナイーム集成(tannaitic collections)は、70年から220年までのラビたちの解釈を、3世紀後半から4世紀後半にかけて編纂していったものです。これは主に聖書の法的部分に関する解釈の集成です。一方、つづくアモライーム集成(midrashic collections of the amoraim)は、220年から5世紀末までのラビたちの解釈を、5世紀から8世紀にかけて編纂していったもので、内容的に、アガダー色が濃いものとなっています。アモライーム集成に納められたミドラッシュの方法はいわば古典的ともいえるもので、典型的な例としては、パラシャーの最初の節を次々と別の箇所とつなげていく「ペティフタ」と呼ばれる方法などがあります。しかしこうしたミドラッシュの隆盛も、11世紀のプシャット(聖書の字義通りの解釈)の台頭や、12~13世紀にかけてのカバラー運動の高まりによって、次第に衰退していきました。

ミドラッシュとは、いうなればラビたちの努力によって徐々に固まっていったプロセスそのものなのですが、近現代の研究史では、その背後にあるロジックを捉えようとする試みがなされてきました(Zeeb Wolf Einhorn, Leopold Zunz, Isaak Heinemann)。しかし、デリダのような思想家は、テクストの背後にある意味を探ろうとするような、ギリシア・キリスト教由来の西洋思想の解釈原理と異なり、ミドラッシュは、意味の可能性や複数性を含めて、テクストの言語の中にある意味をそのまま見ようとする、いわば西洋の論理へのオルタナティブだと再評価したのです。しかしはたして、こうしたミドラッシュの特徴とは、ミドラッシュそれ自体が持っている特徴なのか、それとも解釈対象である聖書の神聖性によって引き出された特徴なのかという問題が生じます。Sternとしては、どうやらその両方が共に正しいという結論に持っていっているように思えます。