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2020年8月2日日曜日

アブラハムとロトの別れ(5) Rickett, Separating Abram and Lot #5

  • Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 123-57.

Rowan Greerによると、教父の聖書解釈はキリスト者がいかに生きるべきかの指針となるものであり、信者の倫理的・霊的発展を可能にさせるリソースであるという。james Papandreaは教父の聖書解釈の9つの特徴を挙げている。第一に、聖書の神的霊感、第二に、啓示は継続的である、第三に、あるテクストはいくつもの意味を持っている、第四に、矛盾は避けられるべきものではなく織り込み済みのものである、第五に、教父の解釈は使徒の解釈に従う、第六に、聖書が聖書を解釈する、第七に、一般的に旧約聖書の解釈は非字義的、第八に、一般的に新約聖書の解釈は字義的、そして第九に、解釈は祈りの文脈でなされる。これらを踏まえた上で、著者は教父の解釈とキリスト教美術を分析している。

ユダヤ教の聖書解釈同様に、初期キリスト教の解釈もアブラムを守り、彼の正しい行いを強調している。ただし、ユダヤ教がロトを不敬虔な者として描くのに対し、キリスト教はより肯定的なトーンで解釈する。キリスト教的解釈はロトを救済というレンズを通して読むのである。たとえばユリウス・アフリカヌスはアブラムとロトの別離を両者が同意できるものだったとする。

オリゲネスによると、ロトは敬虔さについてアブラムに劣るので、アブラムがロトに別れを告げたのは正当なことだったという。つまり、ロトはアブラムほど敬虔ではなく、ソドムの人たちほど悪でもない、中間の人だったのである。

シリア教父エフレムは、羊飼い同士の争いにおいてロトは完全に無実であり、ソドムへの移住も悪い決断からではなく神の義とその救済を証するためだったとする。一方でアブラムについては、ロトがソドムを選ぶことを許した点で、気前がよかったと評価する。すべての土地はアブラムに訳されたものだったが、アブラムは気前よくソドムにそれを分け与えたというのである。

ヒエロニュムスは創世記13章を兄弟性という言葉で総括している。ロトはアブラムの本当の兄弟ではなく甥だが、創世記では兄弟と表現されている。つまり、創世記の表現を字義的に取るのではなく、親族関係を表すより広い意味で取るべきである。そしてそれゆえに、論敵ヘルウィディウスのように、福音書においてイエスに「兄弟姉妹」がいたと書かれているところをマリアに他にも子供がいた(=マリアは処女ではなかった)と取るのは誤っているという。ただし、ヒエロニュムスはロトが平野を選んだことについては倣うべき行為ではないとする。その上パレスチナの平野は聖書で書かれているほど風光明媚ではなく、ヨルダン川や死海などで汚染されていると主張する。

アンブロシウスは、創13:5「アブラムと共に行ったロト」という表現から、あたかも「アブラムと共にいかなかったロト」もいる可能性があると感じて困惑する者たちがいると報告する。しかし、彼によれば、ここには二人のロトがいるのではなく、一人のロトに二つの問題があるのだという。ロトという名には「回避」という意味があるが(この解釈はフィロンやヒエロニュムスと同じ)、それは善の回避の場合と悪の回避の場合があるのである。羊飼い同士の争いについて、アンブロシウスはアブラムに責任はなかったとする。アブラムはこの争いがロトとの人間関係に波及することを恐れて、別れようとしたのである。一方でアブラムは別れないという選択肢をも与えたが、ロトは別離を選んだのだった。アンブロシウスは兄弟関係の切り離せなさを、魂の理性的部分と非理性的部分にたとえてもいる。それぞれが司る徳と悪徳は兄弟的な必要性によって互いに固く結ばれているのである。それゆえに、アブラムとロトは徳と悪徳が擬人化したものといえる。

ヨアンネス・クリュソストモスの解釈は、アブラムの問題を解決し、ロトにより肯定的な評価を与える解釈の典型例である。彼によればロトはアブラムの養子であり、したがってアブラム同様に裕福な義人である。ただし、土地を選ばせてくれたアブラムに何のお返しもせず、最終的にソドムに住むという間違いをしでかしたことは確かであり、その点はアブラムにではなくロト自身に責がある。つまり、ロトは不敬虔なのではなく間違った選択をしたのである。彼はソドムに蔓延する悪を見抜くことができなかった。クリュソストモスの解釈で興味深いのは、羊飼い同士の争いは、アブラムはもちろん、ロトとその羊飼いにせいでもなく、アブラムの羊飼いたちのせいだとしている点である。ここでクリュソストモスはアブラムのみならずロトをも非難から守ろうとしている。アブラムがロトを兄弟と呼ぶのは、彼の慎み深さゆえである。これはⅠコリ6:7-8におけるパウロの慎み深さに通ずるものである。

アウグスティヌスは、別離の後もアブラムとロトは大きな愛で結ばれていたとする。平和的な関係を維持するために働きかけていたのはアブラムのみならずロトもそうだったのである。

著者はここで教父たちの解釈からキリスト教美術に筆を移す。ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ・バシリカにある5世紀のモザイク画から、同時代の解釈が反映している部分と、聖書からは引き出せない付加的な独自の解釈を明らかにしている。そもそもモザイク画は礼拝のためにより神聖な舞台を用意し、聖書物語やキリスト教教義を信徒に教えるためのものである。このモザイク画では、アブラムとロトが同年代に描かれている。別離や争いの原因を示唆するものは何もない。古代の語り部たちは、羊飼いの争いやアブラムによる別離の命令から、ロトによるアブラムからの別離の決意への焦点をずらしていたが、このモザイク画でも同様である。同時に、アブラムは賞賛の対象となっている。ロトの行為はキリスト者が倣うべからざるものなのである。

付加的な解釈としては、第一に、アブラムとロトの子どもたちを描きこんでいる。そうすることで創世記19章のソドムの終焉と物語をつなげ、またいかにロトの移動が大規模なものだったかを示している。またアブラムの血筋とロトの血筋が別れていることを視覚的に表してもいる。メシアへと至るキリスト論的な要素はアブラムの血筋のみに伝わっていくのである。第二の付加は、それぞれの最終的な目的地を描いている。ロトにとってはソドムが、アブラムにとってはカナンがそれに当たる。とりわけカナンはキリスト教の教会のように聖なる場所として描かれている。

以上より、初期キリスト教聖書解釈による創世記13章の理解は、第一に、ロトのアブラム同行を問題視する、第二に、アブラムに関する潜在的な問題からロトによる選択へと問題の焦点を移す(アブラムによる土地提供の申し出は彼の気前の良さと、ロトは完全に不敬虔ではないが欲張りと解釈される)、そして第三に、聖書本文はロトについて曖昧な書き方をしているが、否定的な解釈の余地が残っている。要するに、キリスト教の解釈はユダヤ教の解釈ほどに決定的に否定的な解釈ではないといえる。ロトは徳と悪徳を両方持った人物として描かれる。

新約聖書中にはロトへの言及は2箇所見られる。いずれも神によるロトの救出を審判からのキリスト者の救済と見なしている。第一の箇所はルカ17:20-37で、イエスがパリサイ派からの問いに答えて人の子の到来について語る場面でロトにも言及している。イエスによれば、ロトはノア同様、他の者たちと異なり、審判の前に救済されたという。第二の箇所はⅡペトロ2:6-9である。ここでロトは、義人であるがゆえに救済されたこと、悪徳の人々により悩まされていたこと(つまりあちら側ではなくこちら側の人間である)、そして審判より救済されるというキリスト教徒の原型として見なされていることが語られている。いずれの例も、ロトは確かに敬虔な人物であるというメッセージを伝えているといえる。

著者は中世におけるロトの解釈について簡単に紹介している。ロト養子説については、ラシ、リラのニコラス、ペトルス・コメストル、ジャン・カルヴァン、マルティン・ルターらが触れている。ラダクは、ロトを連れていくことについてアブラムが神の命に従わなかったのではなく、ロトが行きたがったのだと述べる。ロトはアブラムの相続者だという解釈は、カルヴァン、ニコラス、ラシが紹介している。概してロトは肯定的に描かれるが、アブラムほどではない。中世の解釈は、ヨセフスや教父、さらにはラビ文学からの影響が顕著である。

この章の目的は、ユダヤ教とキリスト教の解釈者たちの潜在的なつながりを単に辿ることではなく、こうした伝承が早くから解釈史の一部を担ってきたことを強調することである。それゆえに、それらが中世から近代までも続いていることは不思議ではない。

2020年7月25日土曜日

ユダヤ・キリスト教論争における聖書 Sapir Abulafia, "The Bible in Jewish-Christian Dialogue"

  • A. Sapir Abulafia, "The Bible in Jewish-Christian Dialogue," in The New Cambridge History of the Bible 2, ed. Richard Marsden and E. Ann Matter (Cambridge: Cambridge University Press, 2012), 616-37.

アウグスティヌスは、キリスト教徒にとってのユダヤ人および旧約聖書の役割を論じている。彼によれば、本来であればイエス・キリストに書かれている旧約聖書をユダヤ人は正確に読めてはいないが、それをキリスト教徒にもたらすことがその役割なのだという。つまりキリスト教社会におけるユダヤ人は、キリスト教がユダヤ教を更迭し、取って代わること(supersession)を具体化する存在である。またキリストを拒絶したことの罰として離散の憂き目にあっている。このアウグスティヌスの「証言者論」の核には、ユダヤ人は自分たちの聖典を理解できず、また理解しようともしないという逆説がある。

キリスト教徒がユダヤ教と対決する文学ジャンルとして「対ユダヤ人(Adversus Iudeos)」テクストがある。初期の例としては、ユスティノス、テルトゥリアヌス、アウグスティヌス、セビーリャのイシドルスなどがある。12世紀になると「反ユダヤ人論(anti-Jewish polemics)」もまた盛んに論じられた。そこでキリスト教徒とユダヤ人の対話のかたちで描かれる議論は、実際の議論を文字通りに再現しているのではないが、ある程度は現実を反映してもいる(たとえば1240年のパリ討論や1263年のバルセロナ討論、1413-14年のトルトーサ討論など)。

一方で、12世紀の終わりの南フランスやスペインでは、中世のヘブライ語で書かれた「反キリスト教論(anti-Christian disputations)」が登場する。その代表が『セフェル・ニツァホン・ヤシャン』である。これはドイツで編纂された、当時の反キリスト教的聖書解釈や新約聖書への攻撃などを収録した辞書的集成である。

これらユダヤ・キリスト教論争において常に中心となったのは聖書テクストとその解釈の問題である。聖書を読む解釈原理が論じられ、また根本的な神学問題を論じる際の証明のために聖書が引かれた。たとえば、モーセの律法の妥当性、メシアの到来、選民の真のアイデンティティ、三位一体の教え、受肉、処女懐胎などといった問題が俎上に挙げられた。

ユダヤ人との論争において、キリスト教学者たちはヘブライ語を読む必要はなかった。彼らはヒエロニュムス読めばよかったのである。イザヤ書7:14の「処女」論争において、シャティヨンのウォルター、ギルベルトゥス・クリスピヌス、ペトルス・アルフォンスィ、ブールジュのウィリアムらは、ヘブライ語のアルマーという語の訳について、ヒエロニュムスの解釈に依拠している。ギルベルトゥスはヒエロニュムスに従って、エゼキエル書44:2-3の閉じられた門のイメージ用いてマリアの処女性を論じている。これに対しヨセフ・キムヒは、アルマーの語についてキリスト教徒に謝った情報を与えているとして、ヒエロニュムスを非難している。

ギルベルトゥス・クリスピヌスは、聖書の翻訳の問題も論じている。彼によると、七十人訳はヘブライ語聖書の忠実な訳であり、またラテン語ウルガータはギリシア語およびヘブライ語聖書と言葉についても意味についても一致していると主張し、ウルガータを擁護した。

キリスト預言として知られている聖書箇所についても激しい議論が行われた。イザ53:1-10の「苦難の僕」の解釈については1263年のバルセロナ討論がある。この討論においてユダヤ側の代表者はナフマニデスであり、この箇所はイエスではなくイスラエルの民のことを指しているのだと主張した。創49:10の「シロ」は1413-14年のトルトーサ討論の主題であった。創22:28のアブラハムの祝福についても、ギルベルトゥスや『イサゴーゲー』著者、ドゥーツのルペルトらがメシア的解釈を展開している。

聖書解釈の方法として、ユダヤ人が字義的(literal)解釈をするのに対し、キリスト教徒たちは比喩的(figurative)解釈を得意とした。キリスト教徒に言わせれば、キリスト到来以後では、モーセの律法を字義的に解釈すると矛盾を来たすので、比喩的に解釈するほかないというのである。偽ウィリアムは木の実のたとえを用いて、果肉としての新たな法を味わうためには外側の硬い殻としての古い法を砕かなくてはならないと述べる。これに対しヨセフ・キムヒは、トーラーの解釈は字義的だけに取るのも比喩的だけに取るのも間違っていると反論する。聖書は素朴な人々でも理解できるように、ときに比喩を用いて語るからである。このように、ユダヤ人は字義的解釈だけに限られるわけではなかったが、一方で、比喩的解釈は字義的解釈に取って代わることはないというタルムードの大原則のもとにもあった。

キリスト教徒の中には、ユダヤ人の助けを借りて、ラテン語旧約聖書の本文を直そうとする者もいた。シトー会のステファン・ハーディングは、ユダヤ人からヘブライ語聖書およびタルグムの情報をフランス語で仕入れていた。ニコラス・マニアコリアやサン・ヴィクトルのアンドリューも同様の方法を採り、聖書の歴史的意味を知るために、ラシなどのユダヤ教注解を引用している。これは、なるべく正確な字義的・歴史解釈を下敷きにして、比喩的解釈の確固とした基礎を築こうとしたのである。

ボシャムのヘルベルトゥスはヒエロニュムスのヘブライ語詩篇に関する注解をものしたが、ヘブライ語の知識やラシ注解に基づき、ヒエロニュムスの訳文を修正しようとした。ただし、このユダヤ教聖書解釈への依拠は、ヘルベルトゥスがキリスト教的視点を失ったからというわけではない。あくまで字義的解釈を通じて霊的理解を深めるためであった。他にもラルフ・ニゲル、アレクサンデル・ネッカム、ロジャー・ベーコン、リラのニコラら、多くのクリスチャン・ヘブライストがいる。

イザヤ書6:3には「聖なるかな」と3回書かれていることから、三位一体の証明に用いられることがある。これはキリスト教においては聖餐の祈りといった典礼に用いられる箇所である。一方で、ユダヤ教においても同箇所は典礼の重要句である。イェフダ・ハレヴィは、同箇所がユダヤ典礼における最も聖なる箇所のひとつであるケドゥシャーと関係していることを論じている。このように、同じテクストを神を称えるために用いながらも、ユダヤ人とキリスト教徒は異なった視点を持っていた。

2020年7月19日日曜日

ユダヤ教におけるフィロンの受容 Cohen, "Philo Judaeus and the Torah True Library"

  • Naomi G. Cohen, "Philo Judaeus and the Torah True Library," Tradition 41.3 (2008): 31-48.

フィロンはこれまでキリスト教神学、ギリシア文学、古代哲学といった枠内で読まれてきた。それはフィロン研究がそうした分野の研究者たちによって牽引されてきたからである。しかし、20世紀初頭になると、ユダヤ教にコミットし、ユダヤ教古典に通暁した研究者たち(Isaac Heinemann, Edmund Stein, H.A. Wolfson, Samuel Belkinら)の台頭により、フィロンをよりユダヤ的に理解しようとする試みが行われるようになった。

ただし、いかなる意味でもラビ・ユダヤ教的ではないフィロンが、ユダヤ世界で再び紹介されるのは、アザリヤ・デイ・ロッシの登場を待たなければならなかった。なぜフィロンがユダヤ世界で失われてしまったのかというと、様々な要因はあれど、大きな理由はフィロンが初期キリスト教によって熱狂的に受け入れられたからであろう。

フィロンが使うギリシア語にはユダヤ・ギリシア語的なコノテーションがある。ノモス、ソフィア、エウセベイア、ディカイオシュネなどといった重要な用語には、元来のギリシア語を超えたユダヤ的な意味が含まれている。しかしながら、読者がユダヤ人でなくキリスト教徒になると、そうした意味は失われてしまう。

アザリヤ・デイ・ロッシは16世紀イタリア・ルネサンス時代の博識家で、『メオール・エナイム』という著作がある。この著作の中でデイ・ロッシはフィロンを「イェディディヤ・ハ・アレクサンドロニ(アレクサンドリアの神の友)」と呼びつつ、現在のフィロン研究でも議論されているトピックを初めて提起した。すなわち、フィロンはヘブライ語の知識を持っているか、七十人訳を用いているという指摘、フィロンと口伝律法やユダヤ教セクトについて、その著作が非ユダヤ人向けである可能性、無からの創造という概念理解などである。

『メオール・エナイム』第5章によると、フィロンには4つの欠点があるという。第一に、フィロンはトーラーの原典を見たことがない。第二に、世界の創造時に原初の物質が存在していたと考えている。第三に、聖書の物語の本当の意味を単純に哲学的・知的な考えだと考えている。そして第四に、成文律法と共に口伝律法があると述べていない。他にもデイ・ロッシは、フィロンが聖書の引用や解釈に七十人訳を用いていることなどについてさらに追及しつつも、ときに擁護することもある。

デイ・ロッシのこのようなアンビヴァレントな態度の理由は、彼自身も当時異端の疑いをかけられていたからである。デイ・ロッシはタルムードのアガダーの歴史的価値について態度を保留しており、また創造から現在までの時間の伝統的な数え方も異なっていたので、ユダヤ教を破門はされないまでも、敵対者からも厳しく攻撃されていた。またその著書はイタリア各地で禁書に指定されていた。そこで、フィロンの思想を紹介しつつも、これ以上保守的な勢力から攻撃を受けないように、扱いが慎重だったのである。

しかし、上で見たデイ・ロッシからの4つの批判は、今日ではもはや大きな問題ではないだろう。唯一あるとすれば、それは原初の物質(primordial matter)に関する議論である。この問題は伝統的なユダヤ教徒がフィロンに躓いてしまう大きな理由であるが、元来は対グノーシスの議論の中で出てきたものである。タルムードの賢者たちは、創造時にいくつもの力(multiple creative powers)があったと主張するグノーシスの異端者たちを問題視している(ただし、これに対抗する「無からの創造」説がはっきりするのは後2世紀のキリスト教文学である)。ちなみにフィロンの著作にグノーシス的なところがあるかというと、それはグノーシスをどう定義するかによる。フィロンには二元論的なところや物質に対する否定的価値観などがあることは確かだが、それらはグノーシスの専売特許というわけではないので、フィロンをグノーシス主義者とは呼べない。

フィロンの思想はラビ・ユダヤ教とは確かに異なるところがある。とりわけ法的・ハラハー的議論が少ないことは明白である。しかし、一方でラビ・ユダヤ教を法的関心のみに制限することもまた誤りである。律法学者がユダヤ教において活躍してきたことは確かだが、イェフダ・ハレヴィ、ゲルソニデス、ヨセフ・アルボ、ベシュトらは律法の専門性ゆえに有名なわけではない。それにそもそもフィロンにも法的議論は現れている。

フィロンは、よく言われるように、プロト改革派のユダヤ人ではない。Alan MendelsonやYehoshua Amir(改革派ラビ養成校ヒブル・ユニオン・カレッジ教授David Neumarkの息子)などは、フィロンにフレキシブルでリベラルな精神を見出すが、論文著者はこれに反対する。フィロンは、テフィリンやメズザーの使用やトーラー学習の教え、口伝律法の遵守など、ユダヤ教の実践についてもかなり詳しく言及している。フィロンは自らをギリシア哲学者としてはではなく、敬虔な律法遵守のユダヤ人として示したかったのである。ユダヤ的なプリズムを通してみれば、フィロンの思想は現代の伝統はユダヤ教の精神とそれほどかけ離れてはいない。現在進行中のフィロン著作の現代ヘブライ語訳が、伝統的なユダヤ人読者の手に渡る日も近い。

2015年3月27日金曜日

ナフマニデスとアンダルスの伝統 Septimus, "Open Rebuke and Concealed Love"

  • Bernard Septimus, "'Open Rebuke and Concealed Love': Nahmanides and the Andalusian Tradition," in Rabbi Moses Nahmanides (Ramban): Explorations in his Religious and Literary Virtuosity, ed. Isadore Twersky (Harvard University Center for Jewish Studies Texts and Studies I; Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1983), pp. 11-34.
Rabbi Moses Nahmanides: (Ramban: Explorations in His Religious and Literary Virtuosity) (Ramban : Explorations in His Religious and Literary Virtuosity)Rabbi Moses Nahmanides: (Ramban: Explorations in His Religious and Literary Virtuosity) (Ramban : Explorations in His Religious and Literary Virtuosity)
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本論文は、ナフマニデスと彼をめぐる知的世界を概観したものである。著者によれば、同時代人であるマイモニデスがアンダルシアの黄金期の最後の傑物だとすると、ナフマニデスはキリスト教ヨーロッパの文化環境に属する最初の偉大なスペイン人であるという。ナフマニデスが生まれ育ったカタルーニャ地方は、アンダルシアのイスラーム文化圏のユダヤ的伝統からの影響を受けつつも、キリスト教文化圏であり、北部ヨーロッパのユダヤ的伝統からも近い場所だった。すなわち、ナフマニデスは、アンダルシアの代表選手であるマイモニデスとも、北部ヨーロッパのトサフィストおよびカバリストとも、影響関係にあったのである。

彼が関わった大きな事件としては、マイモニデス論争とバルセロナ討論が挙げられる。ナフマニデスは、マイモニデスを支持する意見を書くことも反対する意見を書くこともあるが、通説では、実際には反対であり、支持する意見は政治的手腕を発揮したにすぎないとされている。バルセロナ討論では、ユダヤ伝承であるアガダーをもとに自らの聖書解釈の正当性を主張してくるキリスト教会に対し、ナフマニデスはアガダーの権威を否定した。通説では、彼のアガダー拒否は、彼自身の信条に反する政治的判断によるものだったとされている。

しかし、著者はアンダルシアの伝統の複雑さを考慮に入れると、上の通説は必ずしも確かではないと述べる。マイモニデスのアリストテレス主義に対する、ナフマニデスに代表されるスペインの反知性主義は、北部ヨーロッパからの輸入ではなく、アンダルシアの伝統そのものが持っていたものである。著者はこうしたことを、ナフマニデスとイブン・エズラとを比較することで明らかにする。ナフマニデスは、イブン・エズラに対し、主に三つの点から反論する。第一に、アガダーの扱い、第二に、過剰な理性的解釈、そして第三に、エソテリックな知恵に対する考え方である。こうした反論を見ていくと、ナフマニデスがイブン・エズラに対し、反発と同時に隠れた好意を持っていたことが分かるという。

ナフマニデスは、プシャット的解釈の考え方をイブン・エズラに拠っているが、単語やフレーズよりも、もっと文章の構造や概念に注目する方法を取った。と同時に、ミドラッシュのようなラビ的解釈や、場合によってはカバラー的解釈をも用いた。ただし、ナフマニデスにとってのミドラッシュ・アガダーは、あくまで説教的解釈にすぎず、プシャット的解釈ができない場合にのみ用いられるものだった。またナフマニデスは、神学的用語などについても、イブン・エズラに依拠している。

ナフマニデスに見られるアンダルシアの伝統としては、古典的なアンダルシア的「モザイク・スタイル」が挙げられる。ナフマニデスの文章の中には、モザイクのように、聖書、彼より以前の聖書注解者たちの文章、アンダルシアのピユートの一節などが取り込まれている。彼自身もしばしば詩を書いた。彼のカバラー的な魂論の詩は、詩としても神学としても、ユダ・ハレヴィやイブン・カビロールらの影響を受けており、新プラトン主義的な魂理解を示している。

アンダルシアのゲオニーム的聖書偏重主義に依拠する一方で、ナフマニデスに対するフランスのトサフィストの影響も忘れてはならない。特にタルムードの解釈に関しては、スペインよりもフランス・ドイツの伝統の方が盛んであった。そして、政治的・言語的紐帯によって、カタルーニャ地方とプロヴァンスはひとつながりの場所といえたために、ナフマニデスは多くの北部ヨーロッパのタルムード学者のことを知っていたのである。

2015年2月26日木曜日

ラビ聖書の歴史 Barry Levy, "Rabbinic Bibles, Mikra'ot Gedolot, and Other Great Books"


本論文は、ユダヤ教のラビ聖書の成立と発展について概観したものである。まず、著者は「ラビ聖書(Rabbinic Bibles)」と「大聖書(Mikra'ot Gedolot)」とについて、それぞれの本来的な意味を説明する。前者が全聖書文書とその注解を意味するのに対し、後者は聖書の全文書あるいは部分を文字どおり大きな版(フォリオ)で作成したものを意味する。つまりここでの「ガドール(大きい)」とはサイズの問題である。これに加えて、より小さいサイズで五書とその注解のみで構成されるものとして、「ラビ五書(Rabbinic Pentateuchs)」がある。ラビ五書はラビ聖書より以前から親しまれていた。しかし19世紀になると、小さなサイズのラビ聖書でも大聖書と呼ばれるようになった。ここにおいて、「ガドール」は「偉大な」の意味に変わり、現在に至る。

最初のラビ聖書は1517年に出版され、続いて1524年に第二のラビ聖書が新たに出版された。ラビ聖書は、その読者がどのようにして聖書の適切な学びをしていたかを教えてくれる。ラビ聖書には同じ注解がいつも収録されるわけではないが、初期のラビ聖書(1517-1619)によく採用されたのは、ラシ、イブン・エズラ、ラダック、ラルバグらの注解であった(イブン・エズラは最初のラビ聖書には入らなかった)。中世以降の版で採用されたものとしては、アブラハム・ファリッソルのヨブ記注解とダヴィッド・イブン・ヤフヤの箴言注解があるが、定番にはならなかった。こうしたことから、ラビ聖書の特徴としては、中世初期の聖書注解が中心となっていることが挙げられる。さらにこれらの注解者たちは二つの特徴がある。第一に、方法論はさまざまだが、トーラーのみならず全聖書文書に対して関心を向けること、第二に、聖書注解者であるのみならずタルムード注解者でもあることである。第二の点に関して、ラダック、ラルバグ、ヴィルナのガオンなどはタルムード注解者であるが、ヨナ・イブン・ジャナハやイブン・エズラはそうではなかったため、後者は規範的なラビ的解釈ではないと考えられることもあった。

1517年にフェリクス・プラテンシスによって編集された最初のラビ聖書は、母音記号と詠唱記号のついた聖書本文、タルグム・オンケロス(五書)、タルグム・ヨナタン(預言書)、ラシ注解(五書とメギロット)、ラダック注解(預言書と詩篇)、ラルバグ注解(ダニエル)、ナフマニデス(ヨブ記)などが収録されていた。1524年にヤコブ・ベン・ハイムによって編集された二番目のラビ聖書は、完全なマソラーとイブン・エズラ注解を含み、以降のラビ聖書のモデルとなった。両者の最も大きな違いは、1524年版においては、すべての聖書文書に対して複数の注解が参照できるようになった点であり、それによって読者は多角的な聖書の読み方をできるようになった。印刷技術の向上によって、より多くの情報をひとつの頁に詰め込めるようになっていった。特に、1724年にアムステルダムで出版された『ケヒロット・モシェ』は八つの注解をも収録できた。

ラビ五書はラビ聖書よりも手軽であり、ラビ聖書を作成するときのモデルともなった。三種のタルグム(オンケロス、偽ヨナタン、フラグメント)、ハフタロット(週ごとの預言書箇所)、613の戒律、礼拝テクスト、タルグムや中世聖書解釈へのスーパー・コメンタリーの付加などは、最初にラビ五書に施された。1858年にウィーンで出版されたラビ五書は、のちに定番となる1907年にヴィルナで出版されたラビ五書のモデルとなった。これらのラビ五書は、ラビ聖書よりはるかに多くの注解を収録している。のちには、ヴィルナ版ラビ五書(1907年)とワルシャワ版ラビ聖書(1860年)の預言書および諸書部分を合わせたハイブリッド・ラビ聖書も作成された。

ラビ聖書が含まないものとしては、以下のものが挙げられる。ラビ・ユダヤ教以前(ヘレニズム期)の注解(ギリシア語だから)、ゲオニームやカライ派の注解(アラビア語だから)、ミドラッシュ集(ラビ聖書の作成時期がミドラッシュに重きを置かない時期だったから。例外もある)、ユダヤ哲学者の注解(ラダックやラルバグなどの哲学的な注解はある)、カバラー注解(ナフマニデスやイブン・アタルなどのカバラー的注解はある)、ハシディズム注解。

問題がある記述を検閲されたり、読者に望まれなくなったりしたために、排除されてしまう注解もあった。イブン・エズラのイザヤ書注解、ラダックの前預言者注解の序文、ノルツィの五書に関する『ミンハット・シャイ』などである。逆に、ラシュバムの注解は20世紀になって初めてラビ聖書に加えられるようになった。

ラビ聖書の成立にはキリスト教徒の存在も欠かせなかった。しばしばユダヤ人は宗教的な書物を印刷することができなかったので、キリスト教徒の出版人が代わりに教会の許可を得て出版することがあった。ダニエル・ボンベルグは宣教的な目的もあり、多額の金を払って出版許可を得ていた。キリスト教徒たちは、自分たちのためとユダヤ人のためにラビ聖書を含むユダヤ教文書を出版していたのである。ここで考慮に入れるべきは、ラビ聖書に収録された注解の選択におけるキリスト教徒の影響である。ラダックの注解はキリスト教徒の人気が高かったことが知られている。逆にオバディア・スフォルノはキリスト教徒にはあまり人気がなく、初めてラビ聖書に収録されたのは、ユダヤ人のみによって初めて出版された1724年のラビ聖書においてだった。レカナティの神秘主義的注解は、ラテン語訳がよく読まれていたにもかかわらず、収録されなかった。

イスラエルで最初に出版されたラビ聖書は『トーラット・ハイーム』である。これは聖書本文はアレッポ写本および関連の写本に拠り、オンケロス、『セフェル・ハヒヌーフ』、10の注解(サアディア、ラベイヌ・ハナネル、ラシ、ラシュバム、イブン・エズラ、ラダック[創世記]、ナフマニデス、マハラム・トーテンベルク、ヒズクニ、スフォルノ)が収録されている。オンケロスとラシュバム以外は、出版社モサッド・ハラヴ・クックから、それぞれ独立した校訂版も出版されている。『トーラット・ハイーム』はすべての注解を通常のヘブライ文字で印刷した初めてのラビ聖書である。これにより、読者によって便利になり、より読みやすくなった。ただし、多くの注解の序文を省略してしまっているので、最上のラビ聖書とは言えない。またサアディア、マハラム、ラベイヌ・ハナネルは『トーラット・ハイーム』において初めてラビ聖書に収録された。ただし、代わりに『バアル・ハトゥリーム』、『オール・ハハイーム』、『ケリ・ヤカル』、そしてヴィルナのガオンの注解は落とされてしまった。これは収録する注解の上限を16世紀に定め、ラビ聖書の伝統どおり中世を主軸にしたことによる。いうなれば、『トーラット・ハイーム』においては、説教学、普遍性、そして19世紀や20世紀の注解でアップデートするチャンスなどは、中世のプシャット主義の犠牲となったのである。この版が流通することで、説教的、ハシディズム的、ミドラッシュ的な注解が日の目を見なくなってしまった。

ちなみに、本論文が出版された当時には存在しなかった最新のラビ聖書として、バル・イラン大学の『ミクラオット・グドロット・ハケテル』がある。このケテル版はまだ完成されていないが、注解者たちの序文を含む、より完全なラビ聖書を目指している。

2015年2月21日土曜日

ラシュバムの創造理解 Kamin, "Rashbam's Conception of the Creation"

  • Sarah Kamin, "Rashbam's Conception of the Creation: In Light of the Intellectual Currents of his Time," Scripta Hierosolymitana 31 (1986): 91-132.
本論文は、ラシュバム(ラビ・シュモエル・ベン・メイール、1080-1160)による創世記1章の注解に焦点を当てて、彼の聖書解釈の特徴を明らかにしたものである。彼の主張をまとめると以下のようになる。創世記1章の創造物語は、創造の全過程を明らかにしたものではなく、あくまで部分的に記しているにすぎない。記述の中で最初に実際に創造されたのは、3節の光である。しかし光が創造されたときにはすでに天と地は創造されていたので、天と地の創造は、創世記1章で描かれる六日間の創造の中には入っていないのである。著者はラシュバムの聖書解釈の特徴を、ラシとの比較、同時代のキリスト教聖書解釈との比較、そして同時代のユダヤ教聖書解釈との比較から明らかにしている。

ラシとの比較。ラシュバムは部分的にラシと聖書解釈を共有しており、共に創1:1を後続の節に対する時間的な従属節と捉えている。これは、文法的にベレシートという言葉が「はじめに」という独立した句にはなり得ず、むしろ次の言葉と共に「天と地の創造のはじめに」と取られるべきだからである。といっても、両者の力点の置き所は異なっている。ラシュバムは「天と地の創造のとき〔あと〕に、〔すでに創造されていた〕地は混沌だった」と読むのに対し、ラシは「天と地の創造のはじめに、また地が混沌で闇があるときに、神は光あれと言った」と読む。すなわち、ラシュバムは主節を2節とするのに対し、ラシは3節としているのである。ただしいずれの場合も、創世記の記述の中で最初に創造されたものは3節の光であって、天と地の創造は描かれていないことになる。水の上を漂っていた「風」について、ラシはそれをミドラッシュに依拠して「神の玉座」のことと解釈するが、ラシュバムは単なる「風」とし、その風が上の水と下の水を分けたと説明した。すなわちラシに比して、ラシュバムは我々が現実の世界で見えることのみに限定して創造物語を説明しようとしている。

さらにラシュバムは、創造物語の目的とは創造の過程を示すことではなく、十戒における安息日遵守の掟を示すことだと考えている。すなわちトーラーの本当のはじまり創1:1ではなく、シナイ山におけるモーセへのトーラー授受のときだというのである。ラシュバムによれば、聖書は必ずしもそのときに必要でないことも、あとで別の場所で出てくるときのために先に説明することがあるので、創世記1章も同様の機能を持っている(この原理は北フランスの聖書解釈者たちに共通して知られていたが、それを創造物語に適用したのはラシュバムのみ)。すなわち、安息日遵守こそが創世記の著者としてのモーセの目的ではあるが、実際に出エジプト記でそのことを説明する前に、創世記のはじめにそのアイデアを示しているのである。すると、ここで描かれていることは創造物語のすべてではなく、安息日について説明するために必要なことのみであるといえる。ラシュバムの解釈に、宇宙進化論的(cosmogonical)な説明が欠けているのも、このことゆえにである。

同時代のキリスト教聖書解釈との比較。ラシュバムは聖書解釈におけるプシャット(字義的解釈)とデラッシュ(説教的解釈)との区別、そして両者の価値を共に認めつつも、自身のプシャットへの依拠を明確にしている。実はこうした「並行するいくつかのレベルの意味解釈の中で、字義的解釈の優位性を認める」という姿勢は、当時のキリスト教聖書解釈(サン・ヴィクトール学派、アベラール)の特徴でもあった。彼らは字義的解釈を中心にしつつも、寓意的、倫理的、そして神秘的解釈をも視野に入れていた。また字義的解釈の重視から、両者は共に、モーセ(著者)が創造物語の中で言及しているのは、目に見えるこの世のものについてのみであると考えていた。ただし両者には違いもあって、キリスト教聖書解釈は、字義的解釈と寓意的解釈とが相互に依存しており、前者が後者の素地であると考えるのに対し、ラシュバムは、字義的解釈(プシャット)と非字義的解釈(デラッシュ)とを相互に独立した等価値のものであると考えた。さらに、創造物語が安息日の遵守の説明になっているという理解は、やはりラシュバム独自のものである。いうなれば、キリスト教聖書解釈が現世的な可知的世界と精神的な不可知的な世界とを区別するという哲学的なアプローチを取るのに対し、ラシュバムは理解可能な人間世界と、神秘主義の対象となる神的世界とを区別しているのである。以上より、同時代のキリスト教聖書解釈はラシュバムと共通点も持っているが、それだけではラシュバムの独創性を説明できないといえる。

同時代のユダヤ教聖書解釈との比較。同時代のユダヤ教聖書解釈と比較してラシュバムがぬきんでているのは、彼が創造物語を説明するのに宇宙進化論的あるいは神智学的な説明を一切用いなかったという点である。コヘレト書2:3, 13の注解において、ラシュバムはセフェル・イェツィラーやメルカバー神秘主義といった「深い知恵」と、普通の人間が持っている「常識的な知恵」とを区別しているが、彼は創造物語の解釈に際して後者のみを使うべきと考えているのである。つまり、神秘主義的説明の欠如は意図的なものだったのだ。これは翻って考えると、当時のユダヤ教聖書解釈の多くは、創造物語の説明のために「深い知恵」ばかりを用いてしまっているということでもある。たとえばラシである。ラシュバムもラシも共に、創造物語が創造の順序について教えているわけではないという認識を共有していたが、ラシはミドラッシュに依拠し、宇宙進化論的な理解をもとに創造物語を解釈していた。またラシュバムはベレシートという言葉を「~の創造のあとで」と読むことで、無からの創造の立場を取らなかった。つまり、モーセが創造物語を可知的なことにのみ限定して描いたように、ラシュバムももまた創造以前のことには何の言及もしないようにしたのである。なぜなら、当時の多くのユダヤ教聖書解釈(ラビ・ユダ・ハシッドやシャバタイ・ドノーロ、ベホル・ショル)のように、これを「~の創造の前に」と取ってしまうと、創造の神秘を説明するための宇宙進化論的説明が必要になってしまうからである。たとえばベホル・ショルは創世記の記述を創造の全体像を表しているものと捉え、そこから神学的な原理を論じている。しかしながら、ラシュバムにとって聖書解釈とはあくまでプシャットとデラッシュに基づいたものであり、それ以外の「深い知恵」によるメルカバー神秘主義やセフェル・ハイェツィラーの解釈は受け入れ不可能なのであった。

2015年2月19日木曜日

北フランスにおけるユダヤの聖書解釈 Grossman, "The School of Literal Jewish Exegesis in Northern France"

  • Avraham Grossman, "The School of Literal Jewish Exegesis in Northern France," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation, Vol. 1, Part 2, ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 2000), pp. 321-71, esp. 321-31.
Hebrew Bible / Old Testament: The History of Its Interpretation: From the Beginning to the Middle Ages (Until 1300): The Middle AgesHebrew Bible / Old Testament: The History of Its Interpretation: From the Beginning to the Middle Ages (Until 1300): The Middle Ages
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本論文は、11から12世紀の北フランスで興隆した、字義的な聖書解釈(プシャット)の伝統を概観するものである。扱われているのは、メナヘム・ベン・ヘルボ(1015-1085)、ラッシー(1040-1105)、ヨセフ・カラ(1050-1130)、シェマイア(1060-1130)、ラシュバム(1080-1160)、ボージェンシーのエリエゼル(12世紀)、ヨセフ・ベン・イツハク・ベホル・ショル(12世紀)らである。彼らは聖書解釈の方法論として、プシャット(平明な意味)とデラッシュ(説教的解釈)とを区別したのである。では、いったいなぜこのような字義的解釈の学派が11世紀のフランスに突然現れたのだろうか。著者は以下の3つの理由を挙げている。
  1. スペインのユダヤ教文化の影響。
  2. 12世紀の文化的ルネサンスの影響。
  3. 同時代のキリスト教聖書解釈の影響。
スペインのユダヤ教文化の影響。ラッシーをはじめとする北フランスの聖書解釈者たちは、メナヘム・ベン・サルークやドゥナシュ・ベン・ラブラットといったスペインのヘブライ語文法学者たちの影響を強く受けている。また聖書解釈については、スペインで作成された正確な聖書の写本に多くを負っている。北フランスの聖書解釈者たちは、他のどの地域のユダヤ人よりもスペインの伝統に対して開けていたために、それを取り入れて発展させ、新しい形式をもった創造的な聖書解釈へと進むことができたのだといえる。

12世紀ルネサンスの影響。いわゆる12世紀ルネサンスは信仰と理性の葛藤、聖書的権威と解釈の問題などさまざまな新しいアイデアが導入された時代である。文学的活動においては、文法への関心、聖書の(部分的な)批判精神、聖書の字義通りの解釈、正しいテクストの要求などが挙げられる。いうなれば、12世紀ルネサンスは人間理性への新しい自信の世紀であった。キリスト教神学者へのユダヤ教聖書解釈の影響もあり、サン・ヴィクトールのヒュー、リシャール、アンドリュー、シャンポーのウィリアムなどがユダヤ教聖書解釈を参照していたという。

同時代のキリスト教聖書解釈の影響。9世紀以降、ヨーロッパにおいてしばしばユダヤ教徒とキリスト教徒(リヨンのアゴバルドやアムロら)との間に聖書に関する論争が起きた。ユダヤ教側の懸念は、伝統的なラビ的聖書解釈である説教的解釈のデラッシュが、キリスト教側のプロパガンダに利用されてしまうのではないかということであった。一方で、プシャットを主張しすぎると、今度はキリスト教側から聖書の寓意的意味を見落としていると批判されるおそれもあった。多くのユダヤ教聖書解釈者たちは、注解の中にキリスト教徒との論争をそれと分からぬように紛れ込ませている。

2015年2月13日金曜日

ラシュバムのプシャット Lockshin, "Rashbam as a 'Literary' Exegete"

  • Martin Lockshin, "Rashbam as a 'Literary' Exegete," in With Reverence for the Word: Medieval Scriptural Exegesis in Judaism, Christianity, and Islam, ed. Jane Dammen McAuliffe, Barry D. Walfish and Joseph W. Goering (Oxford: Oxford University Press, 2003), pp. 83-91.
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プシャット的聖書解釈は、聖書のプレーンな意味を求める方法論とされている。これはいうなれば、聖書テクストの一字一句にこだわるクロース・リーディングをするということである。しかしながら、実際にはプシャットを奉ずる注解者たちはクロース・リーディングを避ける傾向にあった。たとえばアブラハム・イブン・エズラはこうした読み方を批判し、聖書における言葉の選択には必ずしも重要な意味はないと喝破した。それゆえに、創41章のように、ファラオの夢が地の文で語られ、さらに登場人物によって再度語られるような現象から、ことごとしく違いを見出す必要もないというのである。同様の見解はダヴィッド・キムヒ、ヨセフ・イブン・カスピ、そしてヨセフ・カラなどにも見られる。すなわち、ひとくちにプシャットといってもバリエーションがあるということである。対して、現代の読者は同じ事件の語りなおしに意味を見出そうとする。

ラシュバムもプシャット主義者として、イブン・エズラと極めて似通った聖書解釈のアプローチを取ったが、聖書物語の文学類型を決定するやり方において大きく異なっている。たとえば、両者は共にラビ的ミドラッシュの有効性を認めているが、イブン・エズラがそれを釈義としてではなく伝統としてのみ認めるのに対し、ラシュバムはそれを釈義としても認めている。ことにタルムードの釈義において、ラシュバムはプシャットと共にイトゥリーム(過剰な読み込み)をも用いている。ただし、聖書解釈の場合、ラシュバムはそうした読み込みを参考情報(referential)としてではなく、あくまで修辞的な(rhetorical)な意味として読者に与えているのだった。

たとえば、出22:23における繰り返し表現も、ラシがそれを読者に新しい情報を与えるためのreferentialな意味を読み込んでいるのに対し、ラシュバムはその場面を強調をするためのrhetoricalな意味だと説明する。なぜならば、繰り返しは読者に何らの新しい情報を与えないからである。ただし、そうした強調を、著者がなぜその箇所で用いたのかといった問題を追及することはない(ヨセフ・カラはこうした点にも言及する)。

ラシュバムはプシャットを用いて聖書テクストを解釈するときに、そこから教育的・倫理的な教訓を引き出すことがないのである。いうなれば、彼はユダヤ教を「教える」ために聖書解釈をしているのではないのだといえる。ただし、聖書の中に教育的・倫理的教え自体は含まれているので、それを知りたければ自分のプシャット注解ではなくミドラッシュを読めばいいのだと考えた。そして自分自身の役割を聖書の文学的な表現を明らかにすることに制限しているのだった。

2014年10月16日木曜日

イブン・エズラの雅歌注解 Reif, "Abraham Ibn Ezra on Canticles"

  • Stefan C. Reif, "Abraham Ibn Ezra on Canticles," in Abraham Ibn Ezra y su tiempo: Acatas del Simposio Internacional: Madrid, Tudela, Toledo. 1-8 febrero 1989, ed. Fernando Diaz Esteban (Madrid: Asociacion Espanola de Otientalistas, 1990), pp. 241-49.
8460075001Abraham Ibn Ezra y su tiempo: Actas del simposio internacional : Madrid, Tudela, Toledo, 1-8 febrero 1989 = Abraham Ibn Ezra and his age : proceedings of the international symposium (Spanish Edition)
Asociacion Espanola de Orientalistas 1990by G-Tools

イブン・エズラの聖書注解を理解する上で問題となるのは、彼が遍歴生活の中でそれらを書いたために、しばしば一貫性を欠くことがある点である。Moritz SteinschneiderとAdolf Neubauerによる研究から、彼が自分の注解をしばしばあとで改訂していたことが分かっている。雅歌注解に関して、Michael Friedlanderは、イブン・エズラが二度の改訂を施していると考えた上で、フランスにいたときの二度目の改訂をA、イタリアにいたときの一度目の改訂をBと呼んだ。またFriedlanderは、改訂Bの方が改訂Aよりもテクストに対して批判的であり、非ミドラッシュ的な傾向が見られるが、その理由は当時のイタリアのリベラルな風潮がイブン・エズラにそのような改訂を可能にしたからだと主張している(Uriel Simonはこの説明には懐疑的)。Yehuda Fleischerは、Friedlanderの区分を踏襲しつつ、二度目の改訂Aがなされたのは、1156年から翌年にかけて、フランスのドルーという町でのことだったと述べている。

イブン・エズラの雅歌注解は、言語的注解(linguistic)、字義的・文学的注解(literal and literary)、そしてミドラッシュ的・寓意的(midrashic and allegorical)の三部に分かれている。改訂Aの雅歌注解では、全体に関する序文と、この三部のそれぞれに対する特別な序文が付されている。全体に対する序文では、著者とされるソロモン王を称賛し、また雅歌が性的な詩ではなく神とイスラエルとの関係を比喩的に表していることを述べている。第一部の序文では、抽象的・宇宙論的な解釈を否定し、ラビ的伝統における寓意を方法論とする旨を言明している。第二部の序文では、乙女と若者の愛のメタファーについて叙述している。そして第三部の序文では、自身はミドラッシュ・ラバーの解釈で満足しているが、それでも自らの寓意的な解釈をする必要があることを述べている。

改訂Aの第一部、すなわち言語的注解においては、他の聖書文書における彼の注解とさほど変わらないスタイルが採られている。文法的なトピックとしては、男女両性の名詞(common gender)、音位転移(metathesis)、ハパクス・レゴメナ(hapax legomena)、欠性動詞(privative verbs)、畳語形(reduplicated form)などが扱われている。また、ある語の説明のために、聖書ヘブライ語のみならず、アラム語、ラビ・ヘブライ語、スペイン語、そしてアラビア語を引くこともあった。さらに、鳥、動物、植物、石、あるいは地形などの自然物に関する定義も多く行なっている。彼は注解において、たくさんの説を挙げた上で、そうと言わずに自説を述べ、結局他の説を捨てるという手順を踏んでいた。

改訂Aの第二部の字義的・文学的注解においては、雅歌で描かれている若者と乙女の詩をそのまま解釈し、恋愛的な内容にも踏み込んでいる。ただし、そうした内容を明確に解釈したいという意志と、検閲を恐れる意識とが緊張感をはらんでいるようにも見える。また興味深いことに、イブン・エズラは雅歌をもとにして作られた当時のムスリムの恋愛詩を知っていたため、それについての言及もなされている。

改訂Aの第三部のミドラッシュ的・寓意的注解においては、族長物語や出エジプトなど、聖書の歴史的部分に関する寓意的解釈(historical allegory)と、信仰、改悛、教訓、トーラー、性的倫理などといった神学的な問題に関する寓意的解釈(theological allegory)が扱われている。ここでのイブン・エズラの記述は、自身が第一部の序文で抽象的・宇宙論的な解釈を否定しているにもかかわらず、当時の新プラトン主義哲学を濃厚に反映しているという。

一方で、改訂BはAに比べてあまり構造的でなく、スタイルにも一貫性がない。また第一部と第二部に関しては40パーセントも少なくなっており、自身の他の聖書文書の注解へのリンクもない。序文に関してもより短くなっており、全体の序文は第一部の序文と一緒になっている。ただし、Bの方が写本に関しては良好に保たれている。改訂Bの第一部では、Aと異なり、イブン・エズラの自説は匿名でなく開陳されるが、他言語に依拠した説明は少なくなっている。改訂Bの第二部では、ユーモアや性的な言及は減ったが、医学的な見解が加味されている。ムスリムの恋愛詩への言及はない。改訂Bの第三部では、抽象的・宇宙論的な議論はシンプルになり、ユダヤ的な説明においても思想よりも実践に重きが置かれている。

以上より、論文著者は三つの結論を導いている:
  1. イブン・エズラの三部の解釈は、しばしば互いに一貫していないが、雅歌に対する一つの包括的なアプローチを代表するものである(筆者注:何を指しているのか不明)。
  2. 二つの改訂に見られる変化から、遍歴を重ねる中で、イブン・エズラが自らの著作を改訂・加筆する必要を感じていたといえる。
  3. 二つの改訂に見られる変化の原因は、必ずしもイブン・エズラがイタリアからフランスに移ったからではない。すなわち、変化の原因を書いた場所に帰するべきではなく、遍歴の中で移り変わっていったと考えるべきである。

2014年10月8日水曜日

カライ派の雅歌解釈 Frank, "Karaite Commentaries on the Song of Songs"

  • Daniel Frank, "Karaite Commentaries on the Song of Songs from Tenth-Century Jerusalem," in With Reverence for the World: Medieval Scriptural Exegesis in Judaism, Christianity, and Islam, ed. Jane Dammen Mcauliffe, Barry D. Walfish and Joseph W. Goering (Oxford: Oxford University Press, 2003), 51-69.
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ユダヤの聖書解釈は、当初はミドラッシュやタルグムのように、個人名義でないある種のアンソロジーのかたちをとることが多かったが、9世紀のダーウード・イブン・マルワーン・アル=ムカッマスの登場で初めて個人名義かつシステマティックな構成を取るようになったとされている。彼はユダヤ人であったが、一時期キリスト教に改宗したことがあったため、キリスト教の聖書解釈の著作法を知っていたのだという。しかも興味深いことに、イラク人である彼はその注解をアラビア語で書いたという。10世紀にはサアディア・ガオンと、カライ派ヤークーブ・アル=キルキサーニーが個人名義の注解を著した。彼らの著作は当時のイスラームの合理主義の影響を色濃く受けていた。

雅歌については、サアディアが注解を残したことが知られているが、現存しない。現存するユダヤ人による最古の個人名義の雅歌注解は、共にカライ派のサルモン・ベン・イェロハムとヤフェット・ベン・アリによってユダヤ・アラビア語で書かれたものである(ヤフェットは聖書文書全体の注解を初めて書いたユダヤ人でもある)。これらは一節ごとの釈義と、聖書の逐語的なアラビア語訳から構成されている。彼らはなるべくひとつの「正しい」解釈を提供するようにしていた。複数の注解を挙げる場合も、どれが最も好ましいかを必ず述べていた。また彼らの解釈は、当時のユダヤ人たちの中でも、「ショシャニーム」と呼ばれる党派的な共同体の聖書解釈を反映しているとされている。彼らの特徴は3つあり、第一に、現在から見た終末への強い意識、第二に、孤立および象徴的解釈、第三に、イスラームおよびラビ・ユダヤ教に対する派閥意識である。

サルモンによれば、雅歌は3つの重要な要素を持っているという。第一に、律法を教えてくれるようにという神への嘆願、第二に、イスラエルの罪に対する自責の念と罰への嘆き、第三に、イスラエルがメシア的な救済を求めていることの表明である。こうした要素を、サルモンは雅歌を寓意的に解釈することで発見した。彼によれば、雅歌の冒頭から7:10までは人が創造主へ向けて語っており、そこから結末までは人がメシアに向けて語っている。またすべての女性の表現はイスラエルを示しているのだという。彼の注解が寓意的である一方で、彼の聖書のアラビア語訳はプシャットを旨とした字義的なものだった。

ヤフェットの注解はより学問的で、一貫しており、明晰であった。彼は雅歌を完全にエゾテリックな書物として寓意的に解釈した。彼にとって雅歌注解とは、救済史的な観点から、雅歌のメタファーを終末の日の祈りと出来事とに関係付けることだった。とはいえ、それには段階があり、まずヘブライ語をまったく逐語的にアラビア語訳した上で、字義通りの意味(al-zahir)を確認し、最後に寓意的な解釈(ta'wil)に取り掛かるのである。ときにラビ的解釈を援用することもあったが(1:9を出エジプトに重ね合わせるなど)、それは自身の終末論的解釈を補うときのみに限られた。彼の注解の中には、ラビ・ユダヤ教に対する論争の様子が数多く残されている。特に、暦、祭りの遵守、食餌規定などといったハラハーに関する事柄に関して激しい論争が繰り広げられた。

ラビたちの雅歌解釈は、自らの権威を称揚しつつ、神とイスラエルの民との歴史的な関係をテクストに読み込んでいくものだったが、カライ派の雅歌解釈は、このラビたちの解釈を部分的に受け入れつつも、それを終末論をはじめとする自らの共同体の歴史理解に当てはめていくものだった。彼らの聖書解釈はラビたちによっては無視されたが、中世に百花繚乱の様相を呈することになる、個人名義で注解を書いた聖書注解者たちのモデルになったのである。

2014年10月5日日曜日

聖書解釈者としてのイブン・エズラ Sarna, "Abraham Ibn Ezra as an Exegate"

  • Nahum M. Sarna, "Abraham Ibn Ezra as an Exegate," in Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath, ed. Isadore Twersky and Jay M. Harris (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1993), 1-27.
Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath (Harvard Judaic Texts and Studies)Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath (Harvard Judaic Texts and Studies)
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日本ではスピノザ『神学・政治論』の「ネタ元」として知られているアブラハム・イブン・エズラ(1092-1167)は、ミクラオット・グドロットではおそらくラッシーの次によく参照される聖書解釈者である。スペインにおいて、「星の巡り合わせの悪いとき」に生まれた彼は、パトロンの庇護を受けて生活していたため、次々と新しいスポンサーを求めて諸国を遍歴することになった。しかしそうした遍歴生活によって、さまざまな知識を得ることができたともいえる。またイスラーム・スペインからローマをはじめとするキリスト教諸国へ移動したために、彼はアラビア語ではなくヘブライ語で著作を残した。これが現在でも彼の著作がよく読まれている一つの要因といえる。

驚くべきことに、彼が著作活動を始めたのは50歳になったときだった。なぜ50歳から書き始めたのかは明らかではないが、その少し前に病気をしたから、あるいはローマで異端として告発されたので異端ではないことを証明したかったから、などさまざまな理由が考えられる。彼が残した注解は聖書すべてをカバーするものではない。現存するのは五書、イザヤ書、十二小預言書、詩篇、ヨブ記、メギロット(エステル記、コヘレト書、雅歌、哀歌、ルツ記)のみである。しかし彼は他にもヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、エレミヤ書、エゼキエル書、箴言、エズラ・ネヘミヤ記、そして歴代誌の注解も書いたと述べている。

彼は他の中世聖書注解者の誰よりも聖書解釈の歴史に対する知識が深かったといわれる。彼はトーラー注解の序文において、彼以前の聖書解釈を批判的に4つのタイプに分けている。
  1. ゲオニーム:世俗の科学の成果を過剰に含んでいる。
  2. 異端カライ派:伝承と口伝律法を否定し、恣意的な解釈をしている。
  3. キリスト者:聖書にエゾテリックな意味を求め、主観的・寓意的な解釈をしている。
  4. キリスト教世界におけるユダヤ聖書解釈:タルムード賢者たちの説教を字義的に取り、ヘブライ語文法を無視している。
彼自身の聖書解釈の方針は、文法的、文献学的、そして文脈に即した研究を基にした(grammatical analysis and intellectual acceptability, p. 6)、テクストのストレートな解釈であった。しかし同時に、トーラーにおけるハラハー上の問題に関しては、賢者たちの解釈の権威を認めていた。当時聖書写本の正確さでずば抜けていたスペインで育ったイブン・エズラは、所与の聖書本文をそのままで解釈することを目指した。そのため、彼は当時すでに写本に記されていた「写字生の修正(ティクネ・ソフェリーム)」を無視することもあった。また彼は、テクストの破損や改訂の必要性を仄めかすヨナ・イブン・ジャナハの「置き換え理論(substitution theory)」にも激しく反対した。むしろ彼は、聖書における語の用法、スタイル、レトリックに注目し、またヘブライ語の文法に依拠することで難局を乗り切ることを目指したのである。彼はヘブライ語や聖書のスタイルとして次のような特徴を指摘している。
  1. 省略(ellipsis):冗長な言葉を省略できる。
  2. 転置・逆転(transposition, invert):語順、節順、エピソード順が逆転する。
  3. 並置(juxtaposition):節と節との並置には何らかの関連した意味がある。
  4. キアスムス(Chiasmus):二つのものが言及されるとき、二度目には二つ目が先に言及される。
  5. 間隔を置いた要約的反復(resumptive repetition following an interval or interruption):ある出来事が言及されたあとに、しばらくして同じ出来事に言及することがある(出14:8,9; Ex 20:15, 18; Num 32:2, 5)。
イブン・エズラは、カライ派を批判していたことからも分かるとおり、口伝律法を重視する立場を取る。特に、聖書におけるハラハー的な箇所については、賢者たちの伝承に依拠している。一方で、ハラハー以外の箇所については賢者たちの解釈に遠慮なく批判を加えた。彼は、代々伝えられてきた伝承(カバラー)と、賢者たち自身がロジックや討論の実践によってテキストから導き出した事柄(セヴァラー)とを厳密に区別していたのである。そして場合によっては、ラビたちの見解をまったく否定することもすらあった。

さらに、彼の傾向として、タルムードより後代のラビ的解釈にはほとんど重きを置かなかった。彼はサアディア・ガオン、ヨナ・イブン・ジャナハ、サムエル・ベン・ホフニ、ラッシーをはじめ、40人ほどの先行者たちに言及しているが、そのほとんどを、莫迦にした枕詞をつけて紹介している。特にカライ派と、ヒッウィー・アル・バルヒ(9世紀)と某イツハキに対しては容赦がない。ただ彼がこうした聖書解釈者たちを単に捨て置かず、いちいち名を挙げて批判しているのは、裏返せば彼らの著作がイブン・エズラ当時よく読まれていたことの証左でもある。スピノザへとつながっていく彼の「本文批評」の意識は、こうした「文壇」事情に促されるかたちで形成されていったともいえる。

そうした「本文批評」の意識の中で、イブン・エズラは聖書中のアナクロニズムに注目した。申命記32章はモーセを三人称で描いているが、これは、五書の著者はモーセだとする当時の見解に矛盾する。彼はこの箇所を後代の付加だと見なしている。これは、なるべく聖書本文をそのままのかたちで意味が通るように解釈するという彼の基本方針に反するようにも思える。実際Sarnaも、「It is hard to establish the criterion by which Ibn Ezra differentiated acceptable from inadmissible anachronisms, p. 19」と述べている。彼はまた、モーシェ・ハコーヘン・イブン・チキティラ(1080年没)の影響下で、イザヤ書の複数著者説に言及している。

最後に、イブン・エズラの聖書解釈の特徴として、注解することで自身の哲学を開陳しているということが挙げられる。彼は晩年に哲学に特化した小品をものしてはいるが、彼の哲学はむしろ注解の中から導き出される。それによると、彼はソロモン・イブン・ガビロールに影響を受けた新プラトン主義者というのが定説になっている。