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2020年7月19日日曜日

ユダヤ教におけるフィロンの受容 Cohen, "Philo Judaeus and the Torah True Library"

  • Naomi G. Cohen, "Philo Judaeus and the Torah True Library," Tradition 41.3 (2008): 31-48.

フィロンはこれまでキリスト教神学、ギリシア文学、古代哲学といった枠内で読まれてきた。それはフィロン研究がそうした分野の研究者たちによって牽引されてきたからである。しかし、20世紀初頭になると、ユダヤ教にコミットし、ユダヤ教古典に通暁した研究者たち(Isaac Heinemann, Edmund Stein, H.A. Wolfson, Samuel Belkinら)の台頭により、フィロンをよりユダヤ的に理解しようとする試みが行われるようになった。

ただし、いかなる意味でもラビ・ユダヤ教的ではないフィロンが、ユダヤ世界で再び紹介されるのは、アザリヤ・デイ・ロッシの登場を待たなければならなかった。なぜフィロンがユダヤ世界で失われてしまったのかというと、様々な要因はあれど、大きな理由はフィロンが初期キリスト教によって熱狂的に受け入れられたからであろう。

フィロンが使うギリシア語にはユダヤ・ギリシア語的なコノテーションがある。ノモス、ソフィア、エウセベイア、ディカイオシュネなどといった重要な用語には、元来のギリシア語を超えたユダヤ的な意味が含まれている。しかしながら、読者がユダヤ人でなくキリスト教徒になると、そうした意味は失われてしまう。

アザリヤ・デイ・ロッシは16世紀イタリア・ルネサンス時代の博識家で、『メオール・エナイム』という著作がある。この著作の中でデイ・ロッシはフィロンを「イェディディヤ・ハ・アレクサンドロニ(アレクサンドリアの神の友)」と呼びつつ、現在のフィロン研究でも議論されているトピックを初めて提起した。すなわち、フィロンはヘブライ語の知識を持っているか、七十人訳を用いているという指摘、フィロンと口伝律法やユダヤ教セクトについて、その著作が非ユダヤ人向けである可能性、無からの創造という概念理解などである。

『メオール・エナイム』第5章によると、フィロンには4つの欠点があるという。第一に、フィロンはトーラーの原典を見たことがない。第二に、世界の創造時に原初の物質が存在していたと考えている。第三に、聖書の物語の本当の意味を単純に哲学的・知的な考えだと考えている。そして第四に、成文律法と共に口伝律法があると述べていない。他にもデイ・ロッシは、フィロンが聖書の引用や解釈に七十人訳を用いていることなどについてさらに追及しつつも、ときに擁護することもある。

デイ・ロッシのこのようなアンビヴァレントな態度の理由は、彼自身も当時異端の疑いをかけられていたからである。デイ・ロッシはタルムードのアガダーの歴史的価値について態度を保留しており、また創造から現在までの時間の伝統的な数え方も異なっていたので、ユダヤ教を破門はされないまでも、敵対者からも厳しく攻撃されていた。またその著書はイタリア各地で禁書に指定されていた。そこで、フィロンの思想を紹介しつつも、これ以上保守的な勢力から攻撃を受けないように、扱いが慎重だったのである。

しかし、上で見たデイ・ロッシからの4つの批判は、今日ではもはや大きな問題ではないだろう。唯一あるとすれば、それは原初の物質(primordial matter)に関する議論である。この問題は伝統的なユダヤ教徒がフィロンに躓いてしまう大きな理由であるが、元来は対グノーシスの議論の中で出てきたものである。タルムードの賢者たちは、創造時にいくつもの力(multiple creative powers)があったと主張するグノーシスの異端者たちを問題視している(ただし、これに対抗する「無からの創造」説がはっきりするのは後2世紀のキリスト教文学である)。ちなみにフィロンの著作にグノーシス的なところがあるかというと、それはグノーシスをどう定義するかによる。フィロンには二元論的なところや物質に対する否定的価値観などがあることは確かだが、それらはグノーシスの専売特許というわけではないので、フィロンをグノーシス主義者とは呼べない。

フィロンの思想はラビ・ユダヤ教とは確かに異なるところがある。とりわけ法的・ハラハー的議論が少ないことは明白である。しかし、一方でラビ・ユダヤ教を法的関心のみに制限することもまた誤りである。律法学者がユダヤ教において活躍してきたことは確かだが、イェフダ・ハレヴィ、ゲルソニデス、ヨセフ・アルボ、ベシュトらは律法の専門性ゆえに有名なわけではない。それにそもそもフィロンにも法的議論は現れている。

フィロンは、よく言われるように、プロト改革派のユダヤ人ではない。Alan MendelsonやYehoshua Amir(改革派ラビ養成校ヒブル・ユニオン・カレッジ教授David Neumarkの息子)などは、フィロンにフレキシブルでリベラルな精神を見出すが、論文著者はこれに反対する。フィロンは、テフィリンやメズザーの使用やトーラー学習の教え、口伝律法の遵守など、ユダヤ教の実践についてもかなり詳しく言及している。フィロンは自らをギリシア哲学者としてはではなく、敬虔な律法遵守のユダヤ人として示したかったのである。ユダヤ的なプリズムを通してみれば、フィロンの思想は現代の伝統はユダヤ教の精神とそれほどかけ離れてはいない。現在進行中のフィロン著作の現代ヘブライ語訳が、伝統的なユダヤ人読者の手に渡る日も近い。

2020年7月17日金曜日

アブラハムとロトの別れ(4) Rickett, Separating Abram and Lot #4

  • Dan Rickett, Separating Abram and Lot: The Narrative Role and Early Reception of Genesis 13 (Themes in Biblical Narrative 26; Leiden: Brill, 2020), 90-122.

より後代のユダヤ教聖書解釈においても、アブラハムに関する諸問題(ロトの帯同、争う羊飼いたち、土地の提供など)は明確に意識されている。その上で、トーラーを遵守する模範であるアブラムと、その好対照としての、トーラーを拒絶するロトという図式が出来上がっている。『ヨベル書』や『創世記アポクリュフォン』と比較すると、後代のユダヤ教聖書解釈はロトに対してより否定的になっている。

フィロンは、アブラムの旅路にロトが同行していることに触れ、それをロトが言い出したことであると見なし、もってアブラムは犠牲者であるとした。羊飼いの争いに関しては、その原因はロトとその羊飼いにあるとし、一方でアブラムは争いのない静寂を求めてロトにより良い土地を譲ったのだと説明した。

ヨセフスは巧妙に説明をあいまいにし、話題の焦点を、アブラムによる問題ある申し出からロトによる出発の決断に移している。

各種タルグムはロトの財産について問題視した上で、それがアブラムに由来するものだと結論付ける。論争については、フィロン同様に、ロトとその羊飼いに責任があると論じている。アブラムの家畜は口輪をはめて他人の地所から勝手にものを食べないようにされているが、ロトの家畜はそうされず、どこにでも行ってよいとされていた。このようにアブラムとその羊飼いは肯定的に、ロトとその羊飼いは否定的に描かれている。

ミドラッシュ文学(『創世記ラバー』『ペシクタ・ラバティ』『ミドラッシュ・タンフマ』『バビロニア・タルムード』など)は、ロトがトーラーの拒絶者であることを強調する。その財産もアブラムのおかげで手にしたものであって、自分で得たものではない。羊飼いの争いは、そのままその主人たちの倫理的違いを反映している。つまり、悪なるロトの羊飼いもまた悪であり、善なるアブラムの羊飼いもまた善なのである。それゆえに、神もまたロトがアブラムの後継者には倫理的・関係性的に不適切だと断じている。つまり、ラビたちはアブラムやその羊飼いの問題からロトとその羊飼いの非道徳的な振る舞いに焦点を移しているのである。

ロトが「目を上げる」のは出エジプト記のポティファルが情欲を持ってヨセフに対して「目を上げる」のと同じであるし、「丸いヨルダン平野」を求めたのは箴言の言葉のように「売春婦を買う」のと同じであった。聖書テクストではロトがアブラムから離れようとしているとは書いていないが、ラビたちは、ロトはアブラムから離れようとしたことで、知恵とトーラーを拒絶したのだと解釈している。

『ヨベル書』や『創世記アポクリュフォン』は、アブラムがロトに土地を提供しようとした件をなかったことにしているが、ラビたちはそれが必然だったと解釈する。すなわち、神とアブラムとの約束が履行されるためには(創13:14-17)、ロトがいなくなることを待たねばならなかったのである。それゆえに結果的にロトからのアブラムの別離は、倫理的にも宗教的にも必要性のあることだった。

ここまで論じた後、著者はアブラムとロトの別離をルツ記と比較する。こうした比較は上記のような伝統的な解釈に基づいているわけではないが、それ自体は興味深い。著者によれば、両方とも、イスラエル人による別離の要求に対するモアブ人の反応を扱っている。より具体的には、両物語は親戚関係を扱っており(ロトとアブラムは血統上の親戚関係であり、ルツ、オルパ、ナオミは結婚による親戚関係)、またある親族グループの構成員が別のグループからの別離を求めている。

とはいえ異なっている点もある。第一に、オルパやルツが最初はナオミとの同居を求めるのに対し、ロトはそのような素振りはなかった。第二に、ロトは住むための特定の場所を選んだが、オルパは自分たちの土地に戻っていった。第三に、確かにオルパとロトはイスラエル人から離れようという点で共通しているが、ルツはロトとは対照的に、イスラエル人と共にいることを選んだ。ここから、ルツ記におけるオルパはロトと比較可能な存在であり、一方でルツはロトと対照的な存在であることが分かる。ロトがオルパと同様にアブラムや神を受け入れることを拒んだのに対し、ルツはナオミが別離を求めてもそれを拒み、もって神やトーラーに従おうとした。ルツははっきりと、オルパやロトと対照をなしている。

さらにルツ記はイスラエルとモアブの関係性をめぐる問題にも関係している。ロトはイスラエルの先祖であるアブラハムと血統的につながっているが、ルツは上のようにイスラエル人のナオミを求め、その神を求めながらも、モアブ人である。申命記にはモアブ人が神の集まりに入ることは許されないと記されている(23:3)。ラビたちはしかし、神の集まりに入ることが許されないのは男性のモアブ人だけであり、女性はそれには当たらないと説明する。ルツがイスラエル人ボアズと結婚できたのは、このためである。

感想としては、ルツ記との比較は興味深いが、ミドラッシュの処理に問題を感じる。著者はテーマごとにさまざまなミドラッシュ文学を紹介している。たとえば、「アブラハムとの旅におけるロトの存在」というテーマのもとに『創世記ラバー』『バビロニア・タルムード』『ペシクタ・ラバティ』『ミドラッシュ・タンフマ』を、また「羊飼いたちの争い」というテーマについて『ペシクタ・ラバティ』『創世記ラバー』を、さらに「後継者としてのロト」というテーマに『創世記ラバー』『ペシクタ・ラバティ』を、といったように。ミドラッシュ文学は多様なので、あるテーマについてうまく説明している任意の箇所をどれかから引っ張ってくるのは簡単である。しかし、そうした紹介の仕方は恣意的になりかねない。そのようにテーマ毎にさまざまな文書から解釈を紹介するよりも、むしろ作品ごとに解釈を紹介し、各文書にそのテーマがあるかないかを示した方が恣意性を低めることができるのではないか。

2020年2月7日金曜日

歴史記述的分析と系統的分析 Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis, Chs 2-3

  • Gabriele Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis: The Parting of the Ways between Qumran and Enochic Judaism (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1998), 21-79.

第2章:歴史記述的分析(hisotriographical analysis)

ユダヤ人作家であるフィロンおよびヨセフスが語るのは、パレスチナ地方におけるエッセネ派共同体のネットワークであり、非ユダヤ人作家であるプリニウスおよびディオン・クリュソストモスが語るのは、死海近くの単一のエッセネ派共同体である。これらは、エッセネ派運動の歴史における二つの異なる段階というわけではなく、同時代の別の共同体である。つまり、エッセネ派とはパレスチナにおける諸共同体の幅広い運動であり、その複雑さはユダヤ人作家には知られていた。一方で、死海近くに住む特定のエッセネ派共同体は、プリニウスやディオンのような非ユダヤ人作家の興味を引いたのだった。

ユダヤ人作家と非ユダヤ人作家の描写を比較すると、いくつかの興味深い要素が浮かび上がる。第一に、ユダヤ人作家は死海近くの特定の共同体について触れず、非ユダヤ人作家はパレスチナ全体のネットワークについて触れていないが、両者は共にエッセネ派という名前を使っている。第二に、非ユダヤ人作家によって記録された死海の共同体に関する要素のすべてには、ユダヤ人作家によって記録されたパレスチナの諸共同体にも並行する記述が見られる(逆はそうではない)。第三に、死海近くの共同体は、パレスチナの諸共同体よりも過激化しており、他者からの孤立化、特殊化を示している。そして第四に、非ユダヤ人作家は外部の視点からなるべくセンセーショナルな事柄を求めて死海近くの共同体のことを記述しているのに対し、ユダヤ人作家はユダヤ思想を最もよく体現するものを描くという目的に合致するものとしてパレスチナの諸共同体のことを説明している。

短く言えば、歴史記述的分析により分かることは、プリニウスやディオンによって描かれた死海の共同体とは、フィロンやヨセフスによって描かれたより広いエッセネ派運動の内部にいる、過激で少数派のグループである。


第3章:党派以前の歴史の系統的分析(systemic analysis)

クムランの図書館は、世俗的・非ユダヤ的文書がない(のでヘレニズム的な知の集成ではない)こと、また同じ文書が複数所蔵されている(ので個人の所有ではない)ことから、クムランに住む単一のグループに属するユダヤ教宗教文書のコレクションと言える。ただし、単一のグループの持ち物であるからといって、単一の神学を示すとは限らない。それは書物の持ち主であること(ownership)と著者であること(authorship)を混同している。クムラン共同体は書物の持ち主であって、必ずしも著者ではないので、複数の神学を反映していても不思議ではない。

これを分類するのに、(1)聖書文書、(2)外典・偽典、(3)これまで知られていなかったテクスト、という区分を用いるのはアナクロニズムである。『エノク書』と『神殿の巻物』は現代では、その存在が前から知られていたかどうかという基準の下に、前者が第二の区分に、後者が第三の区分に分類されるが、これはクムランの住民にとってまるで意味を成さない。より中立的な区分は以下のように言える:

(1)同種のテクストのグループで、独自のアイデンティティをもった単一の共同体の産物であり、ownershipとauthorshipが重なるテクスト
(2)党派性はわずかで、時系列的にも思想的にも「死海文書の共同体」の形成期に属し、ownershipが必ずしもauthorshipと重ならないテクスト
(3)党派性がなく、聖書に代表されるテクストで、ownershipがauthorshipと重ならないテクスト

これらのテクストを系統的に分析すると、通時的に見て、より古いテクストはより党派性が薄いことが分かる。時を経るにしたがって、共同体は注意深く所有するテクストを選定し、自分たちの考えを代表するものを意図的に残したのだった。つまり、死海文書は党派的グループの組織立った図書館の残りなのである。

死海文書とその他の第二神殿時代の文学を分けるのは、宇宙論的二元論、個人の予定論、不浄と悪の同一視に基づく独特の悪理解である。宇宙的二元論(cosmic dualism)はこの世を、「光の王子」率いる善玉と「闇の天使」率いる悪玉に二分する。ただし、クムランの二元論では、神ははっきりと善玉の味方であり、悪玉は神から離れた自主性はないので、二元論は最終的に善が悪を倒すことになる。死海文書は、宇宙はすべて神の制御下にあると考えている。

予定論(predeterminism)は神の全能性を強調し、人間の自主性を否定的に捉える。ただし、個人の運命は、個人の中にある悪に対し、善がどのくらいの割合があるか(善6:悪3、善1:悪8、善8:悪1など)で決まる(4Q561)。人間に自由がないことは、共同体のメンバーにとっては、神との絆が強まることとして喜ばれた。

不浄と悪の同一視。祭儀的な「不浄」が道徳上の「悪」と同一視される。つまり、罪ある人間は存在論的に不浄であり、不浄さは人間を罪ある状態にする。すべての人間はその本性から不浄であり、それゆえに、彼らはその本性から悪なのである。神の選びによって義とされない限りは。悪と不浄の同一視は、一方で、贖罪と浄化の同一視にもつながる。こうした清浄な状態は、共同体が他の人間たちから孤立することによって保たれる。その外部では神の義が不可能になるからである。

クムランから出たマカベア戦争前の文書を、時代錯誤的でなく分類するためには、「ツァドク派的」「エノク派的」という用語を使う必要がある。「ツァドク派的文学(Zadokite literature)」は、エステル記やダニエル書以外のほとんどの聖書文書や、外典文学などを含む。聖書文書はさまざまな時代に作成されたが、それらはペルシア時代や初期ヘレニズム時代にエルサレム神殿の権威(=ツァドクの家の大祭司)によって集められ編纂された。クムランのツァドク派文学には、『シラ書』15:14bを除いて、党派的な編集などはなされておらず、権威あるものとして引用されたり暗示されたしている。

「エノク派文学(Enochic literature)」である『エノク書』は、クムランでアラム語断片が発見されるまでは、マカベア戦争後の文学と考えられていたが、最初期の部分である「寝ずの番人の書」(6-36章)と「天文の書」(73-82章)はマカベア戦争以前にさかのぼることが明らかになった。エノク派文学の重要性は、ツァドクの時代にあっても園権威に従わない祭司の伝統があったと知らせてくれる点である。

ツァドクの祭司たちは、自分たちが神の領域であるエルサレムの神殿を不浄な世界から清浄に保つことで、善なる神の秩序を守っていると考えていた。これに対し、エノク派文学は、反抗的な天使たちが悪や不浄の伝播の原因であり、彼らが人類に秘密の知識を明らかにするという違反を犯したために、神の創造が汚されたと考えた。この罪は大洪水の後にも消えず、悪霊としてこの世をさまよっている。そして悪の伝播は天使に起因するものなので、人間の手には負えない。つまり、ツァドクの祭司たちが持っている清浄化の力などは幻想であり、悪や不浄には人間の力は及ばないのである。またツァドクの祭司がアロンを祖とし、またモーセに権威を見ることに対し、エノク派文学はより古いエノクに権威を帰している。

ではツァドク派とエノク派の分裂はいつのことだったか。それはエノク派文学が文書として成立するより前に違いない。Ben Zion Wacholderは、エゼキエルこそが反ツァドクの最初であるとする。「寝ずの番人の書」はエゼキエル書にきわめて似た内容を持っている。ただし、エゼキエルの影響は、エノク派ユダヤ教だけでなく、ツァドク派ユダヤ教にも同程度見られる。ツァドク派が神の秩序が第二神殿の完成によって回復されたと考えるのに対し、エノク派は回復はいまだなされていないと考える。「寝ずの番人の書」の分析により、Paolo Sacchiは両派の分裂は前4世紀のこと、Michael E. StoneおよびDaivd W. Suterは前3世紀のことだったと主張している。いずれにせよ、エノク派ユダヤ教は反ツァドク派的な祭司のサークルから生じたといえる。エノク派は、サマリア人と異なり、分離派のグループではなく、神殿エリート内部の反対派だったのである。

2019年11月10日日曜日

フィロンにおける自由学芸 Mendelson, "Encyclical Studies in Philo"

  • Alan Mendelson, Secular Education in Philo of Alexandria (Cincinnati: Hebrew Union College Press, 1982), xvii-xxv, 1-24.

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導入

ヨセフスが伝えているソロイのクレアルコスによるアリストテレスとユダヤ人との邂逅譚からも分かるように、ギリシア文化はユダヤ人にも浸透していた。しかしそれはパレスチナにおいてよりも、アレクサンドリアにおいて顕著であった。中でもフィロンはギリシア語訳聖書を用いて悪びれず、むしろヘブライ語テクストと同等の価値を認めた。さらにフィロンは、トーラーの問題を解決するためにギリシア哲学から本質的な点を借用した。すなわち、フィロンのギリシア哲学への依拠は単に便利さの問題ではなく信念の問題だったのである。フィロンやその読者にとって、ギリシア哲学は聖書を新しい意味で満たすものであった。これは非常に深いユダヤ教とヘレニズムのフュージョンといえる。

一方で、フィロンはユダヤ教徒としての意識も強く持っており、哲学はあくまで聖書の侍女であり、聖書こそがフィロンの思想を規定していた。それゆえに、フィロンはプラトンからの強い影響を受けていたにもかかわらず、ギリシア文化の理想としての同性愛には強く反対していた。なぜなら同性愛はレビ記などで否定されているからである。フィロンはギリシア文化とユダヤ教との間に線を引いていたのである。

こうした観点から、本書はフィロンがギリシアの世俗の教育、いわゆる自由学芸についてどのように適切に用い、また拒絶したのかを明らかにするものである。当時のユダヤ人がギリシア的教育に対して取った態度には、パレスチナで見られたように完全に拒否する者もいれば、フィロンの甥のティベリウス・ユリウス・アレクサンデルのように無批判に完全に受け入れた者もいた。ギリシア的教育に対するフィロンの態度を知るには、『予備教育』を検証する必要がある。

自由学芸の問題は研究に値する。というのも、2つの特異点、すなわち宗教的な点と哲学的な点が認められるからである。第一に、宗教的な特異点としては、伝統的な宗教と世俗の教育が出くわした際に起こる聖性と冒涜との緊張である。その例としては、ラビ・ユダヤ教とギリシア的知恵(ホフマー・ヤヴァニット)との邂逅がある。バビロニアでもパレスチナでも、ラビたちはギリシア的知恵を異端に近いものと見なしていた。霊的な価値を持たない世俗的な体系を聖書の聖なる教えとどのように折衷させるか、という問題はラビとフィロンに共通のものであった。

第二に、哲学的な特異点としては、キオスのアリストンが述べるように、自由学芸や科学はそれ自体を学ぶのではなく、哲学というより高次の知識の予備的な教育として学ぶ必要があるという考え方があった。自由学芸を意味する「エンキュクリオス・パイデイア」という用語自体はシケリアのディオドロスやハリカルナッソスのディオニュシオスより前には見られないが、同様の見解はプラトンやクセノフォンからセネカにまで見られる。哲学と自由学芸の関係は、ペーネロペーとその侍女の関係に対比されたが、フィロンはこれをサラとハガルの関係で説明した。ただし、フィロンはさらにそこから一歩進み、自由学芸にも固有の霊的価値があると理解している点で異なっている。フィロンの教育論に関する先行研究は、Colson, Marcus, Alexandreらのものしかない。


第1章:フィロンにおける自由学芸

「パイデイア」(教育)という言葉は、教育の過程を指す場合と、教育の結果を指す場合がある。フィロンも両方の意味でこの語を用いている。またパイデイアの欠如は、訓練されていない、規律がない、文明的でない、などといった状態であると見なされた。

「エンキュクリオス・パイデイア」は、フィロンにおいて、自由学芸および科学の教育のこと指している。最近までエンキュクリオス・パイデイアは「エンキュクリオス」という語から、「すべての人が享受可能な、毎日するような通常の教育」の意味だと捉えられてきた(H.I. Marrou)。しかしM. AlexantreやL.M. de Rijkらは、「エンキュクリオス」がもともと音楽用語であること、また音楽や文化一般が人間に教え込むべき調和というところからより広い教育的な意味を持つことを指摘している。フィロンにおいても、エンキュクリオス・パイデイアは普通の日常のトレーニングではなく、調和における教育を意味している。フィロンは同義語として、メセー・パイデイア、メサイ・エピステーマイ、メサイ・テクナイ、あるいはメサイ・テクナイといった表現を用いている。

自由学芸には七科があることが知られている。三科としては、文法学、修辞学、弁証学があり、四科としては、幾何学、算術、音楽、天文学がある。重要なことに、三科と四科の区別はしていないものの、フィロンはこれらすべての科目に言及している。そして、これら以外の科目には言及していないこともまた重要な点である。自由学芸に言及したテクストには、『予備教育』74-77、『ケルビム』105、『農耕』18、『夢』1.205、『出エジプト記問答』2.103、『予備教育』11, 15-18、『創世記問答』3.21、『モーセ』1.23の8つがある。これらのテクストによると、自由学芸一般の特徴として、国際的な由来を持つこと、また(知的な世界ではなく)感覚的な世界に属することが挙げられる。

文法学。『夢』によると、文法学は初等教育としての読み書きと、より高次の教育としての詩人についての知識や古代の歴史の学習に分かれるという。前者はグランマティスティケー、後者はグランマティケーと呼ばれる。「文学(Letters)」と呼ぶに相応しい後者の文脈では、文学は否定的な例を挙げることで避けるべき振る舞いを示すという役割がある。フィロンにとって肯定的な、模倣するべき徳の源泉は常に聖書であった。こうした「上向きの」学びは、最終的には哲学に行き着くものであった。

修辞学。修辞学を学ぶ者が涵養すべきは、思考(heuresin)、表現(phrasin)、整理(taxin)、取り扱い(oikonomian)、記憶(mnemen)、伝達(hypokrisin)である。修辞学は、言語的な能力が決定的になるような場面において重要になってくる。フィロン自身は修辞学を、アレクサンドリアのソフィストたちとの戦いにおいて自己を防衛するために必要不可欠な武器だと見なしていた。ただし、それだけではなく、修辞学の最終的なゴールは最後まで確実に正しく理解されるようなスピーチをすることでもである。そのために、フィロンはストア派のロゴス論、すなわち心の中にある思考からの動きを促進するロゴス・エンディアテトスと、弁論の中に映されたロゴスであるロゴス・プロフォリコスを取り入れている。ただし、知識の体系というよりもマスターするべき技術である修辞学は直接哲学へと繋がっているわけではない。修辞学自体はソフィストの持っている技術である。

弁証学。フィロンが自由学芸について触れている8つのテクストの中で、弁証学については『予備教育』18でしか言及していない。フィロンは弁証学と修辞学は双子の姉妹であると位置づける一方で、両者を区別してもいる。キティウムのゼノンによれば、修辞学が分かりやすい物語によって述べられたことを上手に説く科学であるのに対し、弁証学は問答によってある主題を正確に論じるものであるという。つまり、修辞学の強調点は形式的な技術ではなく語りの巧みさであるが、弁証学は構造を持つ原理である。弁証学は論理学とも比較できるが、哲学の一分野として抽象的な問題を扱う論理学と異なり、弁証学はより具体的な現実生活を扱う実用的なものである。

幾何学。これは七科のうち、8つのテクストのすべてで言及されている唯一の科目である。幾何学の学習には2つの利点がある。第一に、実用的な点としては、計算を必要とするような事柄において完全な正確性をもたらすことができる。第二に、倫理的な点としては、幾何学が平等と均整を学ぶことを愛する魂を涵養することができる。とりわけ平等は、原理そのものの主要な特徴であると同時に、その学びから得られる望ましい教訓でもある。ただし、幾何学も文法学同様に、突き詰めるとある点から哲学に変わってしまう。

算術。8つのテクストのうち4つで言及されている。算術はものごとにおける完全な正確さを得るためのものである。また数秘術的な伝承を学ぶためのものでもある。「数秘術(arithmetic)」と「数学(arithmology)」の区別はフィロン自身はまったくしておらず、同じものと考えている。フィロンは小数、集合、累乗の定理、比例などを知っていた。フィロンの数に関する説明の多くは、あまり専門的でない算術と伝承の組み合わせといっていい。そしてそれをある種の倫理的価値観でまとめている。

音楽。8つのテクストのうち6つで言及されている。最も詳しい説明をしている『予備教育』76からは、フィロンが音楽の専門用語に通じており、また音楽の学びの範囲が理論に向けられていることが分かる。一方で、理論でない実用的な記述もある。快楽をもたらす芸術である音楽を忌避すべきという見解も持っていた。

天文学。古代において、上のさまざまな科目の掉尾を飾るのが天文学である。科学の女王ともいえるが、フィロンは『予備教育』11でしか触れていない。天文学が科学としての統一性を欠いているからと説明するとする研究者と、天文学が現世的な科学を超越しているからと説明する研究者がいるが、本書の著者はこれらの説明をいずれも退ける。

まず統一性を欠くからと説明するColsonは、天文学は幾何学の一部門と見なすべきというクインティリアヌスの主張を紹介するが、フィロンとクインティリアヌスは目標が異なる。Drummondはフィロンが天文学を過小評価したと主張するが、これはフィロンの記述を表層的にしか読んでいないための結論である。フィロンは現在で言うところの天文学と占星術を曖昧ながらも区別しているので、その天文学に対する態度は複雑である。星の崇拝のようなやり方には攻撃を加えるが、純粋に研究された天文学そのものを過小評価することはない。

現世的な科学を超越しているという説明はBréhierに見られる。彼によれば、天文学は他の諸学芸と共に置かれるべきではなく、知恵への最初の一歩であるという。それどころか、星の神聖視するような記述すらある(「星は神聖な魂である」『巨人』8)。Wolfsonはこの表現はギリシアの大衆的な宗教からの単純な言葉の借用なので、実際に神聖視していたわけではないと説明する。Goodenoughは、フィロンが否定していたのは低級な神々を崇拝することであって、その存在そのものではないと主張することで、フィロンの一身強敵見解と『巨人』での発言を両立させた。しかし、フィロンにとって星を含む天はそもそも現世的な感覚世界の問題である(『予備教育』50)。

天文学astronomiaと占星術astrologiaの用語について、Marrouは、両方ともわれわれが科学と呼ぶものと迷信と呼ぶもの両方を指し得ると説明する。しかし、古代人が天文学において彼らが科学的と考える部分と迷信的と考える部分を区別していたかは分からない。フィロンはastrologiaという語はまったく用いていないがastronomiaは頻繁に使っている。似た用語として、meteorologia、meteorologikos、chakdaikosなどは肯定的にも否定的にも用いられていることから、その使用は体系的でない。フィロンは今では占星術の一種と呼ぶべき兆しやお告げも重要視している。星座の理解も天文学を学ぶ者が重視すべきことと考えている。ただし、星座そのものを崇拝することは禁止する。天文学のリミットを知らない者は星の決定論や唯物論や汎神論のような異端的な考え方に至ってしまうので、注意が必要である。

関連記事

2019年10月15日火曜日

『予備教育』に見るフィロンのユダヤ・アイデンティティ Berkowitz, "Allegory and Ambiguity"

  • Beth A. Berkowitz, "Allegory and Ambiguity: Jewish Identity in Philo's De Congressu," Journal of Jewish Studies 61 (2010): 1-17.

近年では、ローマ帝国におけるユダヤ人の少数派としてのアイデンティティの文脈からフィロンを論じる研究者がいる(Koen Goudriaan, Katell Berthelot, Maren Niehoff, Ellen Birnbaum, Sarah J.K. Pearceなど)。そのときに問題となるのは、フィロンが民族的な問題について語っているのが哲学的あるいは釈義的著作においてであるため、そこに出てくる民族描写が聖書によるものと、フィロン自身の時代によるものの両方になってしまっているということである。論文著者はそれでもなお、フィロンの釈義はアイデンティティの思想について実際に役に立つと考えている。

レビ18:1-5では、神がモーセに対し、イスラエルの人々はエジプトやカナンの風習に倣ってはならず、「私の法を行い、私の掟に従って」歩むように教えよと語っている。この箇所がフィロン『予備教育』85-88において、創世記16:3との関わりの中で解釈されている。創世記の同箇所では、サライがアブラムにハガルを側女として与えたのはカナンの地に住んで10年経ってからとされているが、それはフィロンによれば、生まれたての魂は情念に支配されており、それが青年期になって徳と悪徳を知るが、そこから徳を選ぶまでに10年かかることを示しているのだという。そしてフィロンはレビ記のエジプトが情念の子ども時代を、カナンが悪徳の青年時代を表していると説明する。フィロンはエジプトからカナンへという時系列の流れを、人間の魂の発展の時系列になぞらえている。彼はエジプトやカナンを否定しているのではく、それぞれを魂の感情的、倫理的、知的、霊的な発展のフェーズだと考えている。

レビ記を通して創世記を解釈するというのは興味深いが、ではレビ記にもともと書かれている社会的な分離主義についてはどうだろうか。結局のところ、十全に発展した魂とはユダヤ教の聖書を信奉する者(=ユダヤ人)のことで、未発達の魂とはそうではない者(=他の皆)のことなのか。この箇所は文献学的にも曖昧な点がある。校訂テクストはエジプトやカナンの「習慣(エセー)」を憎むと読むが、他の写本には「民族(エスネー)」を憎むと読むものがあり、その場合は特定の民族が情念と悪徳に染まっているためにその民族と関係を持ってはならないという文脈になる。つまり、フィロンがここで倫理的なエリートと烏合の衆を区別するための純粋に哲学的なディスコース(philosophical elitism)を展開しているのか、イスラエルと他の諸民族を区別するための聖書的なディスコース(Jewish elitism)を展開しているのか、あるいはその両方なのか、不明瞭である。

David Winstonは、フィロンの論述に曖昧な点があるとき、それは彼の思想に何らかの緊張関係があることを示すことがあると指摘している。Steven Weitzmanが言うように、曖昧な証拠は必ずしも証拠の曖昧さではないのである。『予備教育』における緊張関係は、ギリシア文化の核であるパイデイアをユダヤ教聖書のために必要なものであると説く、ということであった。ギリシア的教養はアレクサンドリアのユダヤ人が社会に参入するために必要なものであったが、フィロンはそれだけでなく、ギリシア的教養とはユダヤ教の神を賛美するための自制心を涵養する哲学に至るために必要なものだと考えた。いわばギリシア的教養をユダヤ化・スピリチュアル化したのである。

そのためにギリシア的教養をハガルに重ねることで、その外部性を強調した。ただし、フィロンは、こうした解釈の下敷きにしている「ペネロペーとそのメイド」(『オデュッセイア』)のギリシア的寓意をより洗練させている。つまりフィロンはギリシアの古典的な物語を聖書の寓意的解釈に用いることで、ギリシア的教養が聖書の教えに必要なものであると説明している。しかもギリシア的習慣をユダヤ的生活に統合するための鍵となるのは、レビ記という五書の中でも最も分離主義的な記述なのである。フィロンはギリシア文化を覆そうとしているとも取れるし、認めているとも取れる。

他の緊張関係としては、聖書のエジプトとフィロン自身のエジプトが挙げられる。フィロンはしばしばエジプトを肉体や情念の象徴と捉える。それゆえに出エジプトとは不完全な知から完全な知への魂による旅ということになる。しかし、フィロンはエジプト出身でもある。彼は同時代のエジプト人を知っており、彼らを、ユダヤ人、ギリシア人、ローマ人とは異なる土着の民族グループと考えている。それだけでなく、無神論者、欺瞞的、好色、反逆的、非宥和的など、深刻な政治的な敵として描くこともある。ただし、このレビ記の解釈においては、同時代の民族的次元は哲学的な次元の背景に退き、表面には出てこない。またフィロンによるエジプトの寓意的な解釈は聖書のみならず、ギリシア・ラテン文学に由来する場合もある。

アレクサンドリアのユダヤ人は、自らの神理解、律法遵守、共同体の感覚を、この都市の文化への参加へと統合してきた。そういう観点から、フィロンのエジプト人の扱い方(の悪さ)は、アレクサンドリアのユダヤ人を特権的なギリシア・ローマ市民に連ならせ、一方でエジプト人の下層階級から引き離そうとするものだったといえる。一方で、レビ記18章に見られる、ユダヤ人とその他との境界線も、当時のアレクサンドリアの脆弱な政治状況から鑑みれば重要なものだった。

初期のフィロン研究者はフィロンをめぐって、ギリシア的価値対ユダヤ的価値の二項対立に落とし込むことが多かった(Heinrich Graetz, Harry Wolfsonら)。近年の研究者は、普遍主義(universalism)対党派主義(particularism)にした上で、フィロンの思想は両方のコンビネーションだと論じる(Samuel Sandmel, Koen Goudriaan, Ellen Birnbaum, Peder Borgenら)。

フィロンが寓意を使うのは、寓意的解釈のみに権威を持たせるためではなく、他の可能性のある読みの地位を隠すための曖昧な動きなのである。レビ記の分離主義的な意味合いは、アレクサンドリアのユダヤ人を政治的に脅かすものであるため、思想的に彼の好みではなかった。しかし、それを曖昧に寓意的に解釈することで、厳格なユダヤ人読者には、社会的な分離主義という聖書の遺産を護持しつつも文化的な統合を促進しているように見える。一方で、より厳格でないユダヤ人や異教徒の読者には、民族的な排外主義をスキップして潜在的に包括的な哲学的観点を与えることができるのである。

2019年10月8日火曜日

フィロンの著作 Royse, "The Works of Philo"

  • James R. Royse, "The Works of Philo," in Cambridge Companion to Philo, ed. Adam Kamesar (Cambridge: Cambridge University Press, 2009), 32-64.


フィロンの著作は釈義的著作、護教的・歴史的著作、哲学的著作に大別される。釈義的著作はさらに、問答、寓意的注解、律法注解に区分される。問答と寓意的注解はいわば密教的(esoteric)で、律法注解は顕教的(exoteric)な特徴を持つ。

釈義的著作:問答(Zetemata kai lyseis)とは、ホメロスの詩に見られる神学的・倫理的な「問題」を「解決」するために出てきた解釈方法である。アリストテレス『詩学』25章などにも見られる。この伝統が自然と聖書にも適用されるようになった。フィロンはその最初期の例である。フィロンは字義的解釈から始めて、寓意的解釈を最後に紹介する。解釈の順番は聖書のシークエンスに従う。ギリシア語原典は断片を除いて失われ、不完全なアルメニア語訳で残っている(アルメニア語訳は概して逐語訳)。ラテン語訳にはアルメニア語訳からは抜け落ちているところもあるので有用である。個々の解釈の分け方はシナゴーグの礼拝で読む箇所に対応している。現存する創世記と出エジプト記以外の問答があったとは考えにくい。

寓意的注解。このジャンル分けはエウセビオス『教会史』2.18.1に基づく。創世記の一節(レンマ)ごとに、表層の字義的解釈を超えた倫理的、哲学的、霊的な解釈を論じる。問答での寓意的解釈とまったく異なるわけではない。V. Nikiprowetzkyは寓意的注解は問答の拡大版だと主張したが、現在では多くの研究者たちは寓意的注解がシナゴーグでの説教であった可能性に注目している。主たる聖書箇所のみんらず付加的な箇所や平行箇所にも言及したり、倫理的なテーマをギリシア的なディアトリベーのような修辞技法とつなげたりしている。創世記以外をカバーしたとは考えにくい。

律法注解(the "Exposition of the Law")。五書を広く組織的に扱う。律法注解の構造は五書のジャンル理解に基づいている。すなわち、五書には世界の創造などを扱う「宇宙論的(cosmological)なセクション」、律法を体現する登場人物を扱う「系譜学的・歴史的な(genealogical or historical)セクション」、そして十戒やより具体的な律法を論じる「立法的な(legislative)セクション」がある。フィロンの議論は聖書に関わるが、一節一節を解釈するのではない。むしろ五書の論理的・組織的基盤を絶えず発見しようとしている。たとえば、アブラハム、イサク、ヤコブをギリシア的な教育理論である指導、生得、練習になぞらえたりする方法である。このジャンルに含まれる『世界の創造』は、問答や寓意的注解も含め、フィロンの聖書解釈全体の導入のような存在である。またジャンル分けの難しい『モーセの生涯』は律法注解的な要素も持っている。

護教的・歴史的著作。フィロンがユダヤ教やユダヤ民族の代表として、異教のギリシア人を含めた広い対象に書いたもの。『フラックス』や『ガイウス』などは、ガイウス帝亡きあとのクラウディウス帝および他のローマ人に向けて書いたものと考えられる。エウセビオスによれば、この2書は『徳について』という全5巻の著作に含まれていた。

哲学的著作。聖書やユダヤ教の教えに触れない著作。ディアトリベー、テーシス、対話といったギリシア哲学のジャンルに沿って書かれている。テクスト伝承に難があるのは、これらのジャンルがフィロンのテクストを伝えてきたキリスト教徒にとってあまり興味のないものだったからであろう。

その他の著作。『数論』はピタゴラス主義的な著作である。偽作としては『ヨナについて』、『サムソンについて』、『聖書古代誌』などがある。

著作の執筆順については多くの議論がある。『フラックス』と『ガイウス』については38~39年の一連の事件よりは確実にあとに書かれた。それ以外には、著作中のフィロン地震によるクロス・リファレンスに注目することが重要である。さまざまな説があるが、問答は寓意的注解よりあと、寓意的注解は律法注解に先んじると広く考えられている。すなわち、3種のうち寓意的注解が一番先に書かれ、問答と律法注解はどちらが先とも後とも言えないということである。哲学的著作は晩年に書かれた。

テクストの伝承はある時点からキリスト教徒の手に渡った。アレクサンドリアの教理学校の財産として保存されてきたのである。エウセビオスによる著作リストを見ると、現在の著作群とかなり同じものが揃っている。10から14世紀のギリシア語写本のスコリアも有力な情報源である。直接証言の最古のものとしては、3世紀の二つのパピルスがある。

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2019年10月2日水曜日

フィロンの生涯、家族、その時代 Schwartz, "Philo, His Family, and His Times"

  • Daniel R. Schwartz, "Philo, His Family, and His Times," in Cambridge Companion to Philo, ed. Adam Kamesar (Cambridge: Cambridge University Press, 2009), 9-31.


人生に悲観的な哲学者にありがちなことであるが、フィロンの生涯についてはあまりわからない。彼は自分自身についてはあまり語らないので、ヨセフスや初期教父文学(エウセビオスやヒエロニュムス)らの証言が重要である。ヨセフスはフィロンの弟と甥の名前を伝えている。

フィロンは38/39年にアレクサンドリアのユダヤ人問題を陳情するために使節団を率いて皇帝ガイウス・カリグラに謁見している。そのとき自分のことを「老人」と表現しており、別のところで老人とは57歳以上と述べているので、逆算して前20-10年頃の生まれと考えられる。その死は、クラウディウス帝の催しを暗示していることから41年より前ではない。

ヨセフスと異なり自らの出自については語っていないが、ヒエロニュムスによると祭司の家系であるという。個人的なこともまるでわからない。都市への軽蔑を口にするが、これはおそらく貴族的な特権を持つ者のスノビッシュな発言であろう。

フィロンの弟アレクサンデルは輸入品の関税を徴税する役人であった。彼はその他にも貿易の仕事で成功し、巨額の富を築いた。ヨセフスによれば、アレクサンデルはその富をエルサレム神殿の建設のために寄進したという。皇帝やユダヤの王族の者たちとの関係も深かった。アグリッパの娘はアレクサンデルの息子マルクスと結婚した。アレクサンドリアのユダヤ人迫害のきっかけであるアグリッパ1世の同市訪問の際にはホストを務めた。

アレクサンデルの息子でありフィロンの甥であるティベリウス・ユリウス・アレクサンデルはさらなる有名人だった。ローマ社会で成功するために、彼はユダヤ教的なアイデンティティを捨ててしまった。そのためフィロンは『動物論』などにユリウスを対話相手として登場させ、ユダヤ教への回帰を促した。ユリウスはテーバイ地方総督やユダヤ総督などを努めたあと、ネロ帝のもとではエジプト総督にまで登りつめた。そしてユダヤ戦争の際にはティトゥス帝の腹心としてエルサレム攻略に加担した。

フィロンの時代のユダヤ社会は、プトレマイオス朝期の平穏さからローマ時代の混乱への過渡期を迎えていた。その中でアレクサンドリアのユダヤ社会は繁栄し、市の5区画のうち2区画がユダヤ地区と呼ばれるほどの人口を誇った。ユダヤ人はそこで「ポリテウマ」と呼ばれる自治共同体を作った。そこでは先祖伝来の律法に基づいた生活が許され、ゲルーシアと呼ばれる自治的な議会が存在した。

アレクサンドリアの宗教生活の中心はシナゴーグであり、そこではユダヤ人の子弟に知恵や諸徳を教える教育が施されてもいた。一方で多くのユダヤ人はヘレニズム文化も受け入れていたので、市中のギュムナシオンで体育や教養諸学といった二次的な教育を受けた。フィロンの修辞的能力や運動イメージの好みはここで醸成されたものであろう。

このようにプトレマイオス朝期のアレクサンドリアのユダヤ人は平穏な生活を享受したが、ローマ時代になるとアピオーンのような反ユダヤ文学が書かれるようになり、それが38年の暴力的な事件や66年の反乱へとつながっていく。プトレマイオス朝期にはギリシア人、ユダヤ人、エジプト人という3つの社会的階層が秩序を作り、ユダヤ人は外国からの「客」としてギリシア人から大事にされていたのに対し、ローマ時代にはローマ人の下でその秩序が失われてしまったのである。その結果、ユダヤ人の多くがローマ支配を受け入れると、そのことがギリシア人からの反感を買った。そしてユダヤ人がそうしたギリシア人から守ってもらおうとさらにローマ人に近づくと、ギリシア人のさらなる反感を呼ぶという悪循環となった。

ローマに対するユダヤ人の態度には3つの方法があった。第一に、ローマ支配を受け入れ、同時にユダヤ人としての地位をあきらめるというもの。これはちょうどユリウスの態度である。彼はローマ軍のエルサレム攻略の際に神殿を保存するか破壊するかを投票で決める際に、破壊する方に票を投じたという。第二は、ローマ支配を拒否し、反乱を起こすというもの。しかしアレクサンドリアのユダヤ人がこの方法を採ったという証言は残されていない。第三は、ローマ支配を受け入れ、ユダヤ出身のユダヤ人であることはやめるが、超越的なユダヤ教を信奉するというもの。これは新約聖書やフィロンの立場である。

第三の立場はヘレニズム期のディアスポラのユダヤ人たちの特徴である。ここで重要なのは、ユダヤの地およびエルサレムの神殿の重要性を低く捉えるという視点である。この視点は『第二マカベア書』、『アリステアスの手紙』、偽ヘカタイオス、『ソロモンの知恵』に見られる。ユダヤの重要性が下がれば、ローマに反対する必要がなくなるのである。

ただし、フィロンはユダヤや神殿に対して肯定的に語ることもあれば否定的に語ることもある。結局フィロンの真の立場は、ガイウスが自分の彫像をエルサレム神殿に建立するという決定をあくまでローマ人の視点から冷静にロジカルに語っているところから分かるだろう。彼はこの出来事に対するユダヤ人の反応を正当化しようとはしない。結局のところあまりに多くのユダヤ人が第一の立場を取り、第三の立場のような非一貫した立場を取りたがらなかったばかりに悲劇が起こってしまった。しかしフィロンは「ユダヤ人であること」を場所と関わらせず、心の中の問題にすることで、ローマと生きる方法を模索したのだった。

2019年9月25日水曜日

予備教育としてのハガル Bos, "Hagar and the Enkyklios Paideia"

  • Abraham P. Bos, "Hagar and the Enkyklios Paideia in Philo of Alexandria," in Abraham, the Nations, and the Hagarites: Jewish, Christian, and Islamic Perspectives on Kinship with Abraham, ed. Martin Goodman, George H. van Kooten, and J.T.A.G.M. van Ruiten (Themes in Biblical Narrative 13; Leiden: Brill, 2010), 163-75.


『予備教育』は創世記のサラとハガルの物語に関する解釈書である。創世記では、アブラハムの妻サラは子供ができなかったために、ハガルを側室とするようにアブラハムに提案した。これは一見不適切な物語のように見えるが、これをフィロンは逆転の発想で、至高の知恵でもあり神的な取り決めであったと解釈した。

知恵と教養諸学を区別するというフィロンのテーマは他のモチーフと関係を持っている。第一に、アブラハムの移住の解釈である。フィロンはこれを可感的な物質性の世界から神的イデアの非物質的実在性への魂の上昇と捉えた。とりわけアブラハムがアルデア人の地から出ることは、彼がコズミックな神々への礼拝からメタコズミックな超越的な唯一神への崇拝に至るブレイクスルーを与えた。つまり、カルデア人とアブラハムやイスラエルとには、フィジックとメタフィジック、コズミックな神学とメタコズミックな神学という対比がなされている(『世界の創造』冒頭など)。フィロンは、アブラハムと共にカナンの地に行かなかったナホルのことを天文学に囚われたままの人物として描いている。

第二に、名前の変化のモチーフも重要である。「アブラム」と「サライ」は最初、目に見える世界にとらわれていたが、予備教育を学ぶことですべての物事の原因やロゴスのアイデアに気づくことができた。そうした観点の変化と魂の方向転換を経て初めて彼らの名前は「アブラハム」と「サラ」に変わったのである。

こうした解釈は当然聖書そのものからは得られない。フィロン以前からユダヤ人は聖書を寓意的に解釈することはあったが、フィロンのような「哲学的な」寓意はなかった(H. Wolfson)。彼はこれをギリシアの文学伝統から取り入れたのである。前6世紀のランプサコスのメトロドロス以来、この方法はホメロスやヘシオドスのような古典をアップデートする方法として好まれた。

予備的なものとしての教養諸学からより高度な知識へ、というテーマも疑いなくギリシアから来ている。これは数学と論理学を区別したプラトン以降の考え方である。しかし、フィロンは原理を可感的な現実に向けるというより後代の予備的科学を用いている。プラトンにとって可感的世界は科学の対象ではなかった。フィロンのような用い方はストア派にも見られるが、その淵源はアリストテレス『形而上学』である。アリストテレスは哲学を真に自由な科学とし、その他の学問をそれに仕えるものと見なした。

ハガルに代表される予備的科学の学びには、哲学に対して従属的なヒエラルキーがあるものの、決してそれは「奴隷的」な行為ではない。とはいえそれは可視的・物質的世界につながれたままでもある。『巨人』60において、フィロンは人を地上的・星的・神的なものに分けている。地上的人間は快楽を求める者、星的な人間は教養諸学の習得に身をささげる者、そして神的な人間は可視的世界を超越する祭司や預言者である。

教養諸学のギリシア語であるエンキュクリオス・パイデイアについて、De Rijkはそれがピタゴラス主義者の音楽的理想に由来し、歌や合唱を子供たちに指導する習慣と関係していることを明らかにした。他の研究者もさまざまに議論をしているが、みなに共通するのは、エンキュクリオス・パイデイアの概念がストア派の時代を遡らないという認識である。それゆえに、概念の創始をストア派に記する者すらいるが、論文著者はこれを否定する。著者によれば、フィロンの知恵概念などには非ストア派的認識論が見られる。すべてを支配する神と、より低次のロゴスあるいは神の力というグノーシス的区別の最初は、フィロンに帰されるという。

そして、論文著者は以上のような考え方はアリストテレスと完全に合致すると主張する。彼は人間が議論できる現実世界と、それを超える超越的な知識を区別した。魂の関与できる領域と知性の領域を分けているのである。他にもフィロンはアリストテレス同様にホメロスを賞賛し、モナルキア主義を共有している。フィロンは、アリストテレスの失われた対話編から「エンキュクリオス・パイデイア」の概念を借用したに違いない。

2019年3月14日木曜日

ヒエロニュムスとギリシア異教文化 Courcelle, "Christian Hellenism: St. Jerome #2: Jerome and Greek Pagan Culture"

  • Pierre Courcelle, Late Latin Writers and Their Greek Sources (trans. Harry E. Wedeck; Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1969), 58-89.

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ヒエロニュムスはギリシア文学を翻訳で読んだことを隠していない。特にキケローの翻訳で、彼はプラトン『プロタゴラス』、クセノフォン『オイコノミコス』、デモステネスとアイスキネスの互いへの弁論などを読んだ。

ヒエロニュムスは頻繁にギリシア詩人に言及するがあまり引用はしない。ホメロスについては、必ずしも原典を直接読んだとは限らず、キケロー『老年について』やルクレティウスのラテン語訳などを通して読んでいた。ヘシオドスはアレクサンドリアのクレメンスを通して読んだ。シモニデス、ピンダロス、アルカイオス、ステシコロス、ソフォクレスらについてはその評判しか知らなかった。アラトス、エピメニデス、メナンドロスらについては新約聖書で引用されている箇所にしか触れていない。エウリピデスとアリストファネスについては、プルタルコスやポルフュリオスらから知ったと思われる。

ギリシア弁論家たちについては、名前を知っていたのみで、その著作に通じていたわけではなかった。リュシアス、ヒュペリデス、ペリクレス、デモステネス、アイスキネス、イソクラテス、ポレモンなどに言及している。詩人も弁論家も聖書解釈にはあまり役に立たないので、直接の知識が必要なかったのであろう。

ギリシア哲学については批判的である。なぜなら、彼によれば異端者は皆プラトンとアリストテレスの弟子だからである。ゼノン、クレオンブロテス、カトー、エピクロスについては、すべて読んだと主張しているが、これは修辞的な誇張であることは明らかである。他にもアナクサゴラス、クラントル、ディオゲネス、クリトマコス、カルネアデス、ポセイドニオス、エンペドクレスらを学んだと述べている。ピタゴラスについては、ラテン語訳でのみ読んだことがあると認めている。

プラトンの著作については、ヒエロニュムス自身は原典テクストを所有していたと述べているが、多くはキケローの翻訳などで読んだようである。プラトンの哲学については、かなりいい加減な知識しか持ち合わせなかった。魂の三部分に関する議論についても、オリゲネスやナジアンゾスのグレゴリオスなどに依拠していた。プラトンと新プラトン主義との混同も見られる。

アリストテレスの形而上学的著作については無知だった。ヒエロニュムスにとって、アリストテレスは論理学者であり自然学者であった。アリストテレスの話をするときには、テオフラストスも一緒に遡上に上げることが多い。テオフラストスの情報源は、F. Bockによればテルトゥリアヌスだとされているが、G. GrossgergeとE. Bickelによればセネカ、プルタルコス、ポルフュリオスだとされる。

ポルフュリオスについて、ヒエロニュムスは強い関心を持っていた。彼はポルフュリオスの『エイサゴーゲー』を若い頃からよく読んでいたが、それを情報源にしていることを隠していた。なぜなら、敵対者たちから異教文学に耽溺していることを非難されないようにするためである。しかし、ヒエロニュムスのオルフェウス、ピタゴラス、ソクラテス、アンティステネス、ディオゲネス、サテュロスらについての知識はポルフュリオスに由来する。しかもそれに勝手にキリスト教的なトーンを付加している。

ポルフュリオスの著作でも言及するものとしないものがある。『ピタゴラス伝』と『禁欲について』に言及することはないが、『反キリスト教論』には頻繁に触れる。ただし、ポルフュリオスの著作のすべてを直接読んだわけではないと考えられる。むしろポルフュリオスに対する駁論、たとえばオリュンポスのメトディオス、カイサリアのエウセビオス、ラオディキアのアポリナリオスらから彼の教説を紹介することもある。特にエウセビオスに主に依拠している。

ギリシア歴史家に関しては、ヒエロニュムスは必ずしもすべてを原典で読んだわけではないし、そもそも名前を挙げているだけの場合もある。彼が目を通したのは聖書研究に有益な歴史家の作品である。それはたとえば、トゥキュディデスやヘロドトスであったが、それらの引用はプルタルコスやアレクサンドリアのクレメンスからの孫引きであった。クセノフォン『オイコノミコス』はキケローの翻訳で読んだ。

ユダヤ人歴史家としてフィロンとヨセフスにしばしば言及している。フィロンの著作を所有していると述べていたが、しばしばエウセビオスを通じた引用をしている。ヒエロニュムスは、フィロンを哲学者というよりは歴史家として重んじていた。ヨセフスについては、ヒエロニュムス自身は何度も否定しているが、伝統的に彼がヨセフス著作の翻訳者だと考えられてきた。ユダヤ人の歴史と文明の知識については、ヒエロニュムスはヨセフスに負っている。また他の古代作家たち、たとえばベロソス、ムナセアス、ダマスコスのニコラオス、アレクサンデル・ポリュヒストル、クレオデモス・マルコスらの著作にも、実際にはヨセフス経由で触れている。

ギリシア医学に関しては、ヒッポクラテスやガレノスに言及している。前者はオリゲネス経由での知識と考えられる。ギリシア自然学については、アリストテレス、テオフラストス、シデのマルケッロス、ディオスコリデス、オッピアノスに触れているが、それはテルトゥリアヌス、パキアヌス、アンブロシウスらキリスト教作家からの又聞きである。ギリシア鉱物学については、エピファニオスに負っている。彼は大プリニウスを自分で読んでいたにもかかわらず、ほとんどのギリシア自然学者については名前だけ知っていたにすぎなかった。

2017年3月8日水曜日

アレクサンドリアの非寓意的解釈者たち Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #4

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 189-98.

フィロンは、テクストの字義的意味のみを重視する者たちのことを、ソフィスタイ(σοφισταί)と呼んだ。こうした者たちに関する情報は、第一に、フィロンの著作における数多くの暗示、第二に、エウセビオスによって断片的に引用されている異教の民俗学者アレクサンデル・ポリュヒストルによる言及、そして第三に、偽フィロンの説教において見ることができる。

そうした字義的アプローチを取る注釈家には、デメトリオス、エウポレモス、アルタパノス、注釈家アリステアス、長老フィロン、クレオデモス/マルカスなどがいる。デメトリオスは、我々が知る限りギリシア語で書いた最初のユダヤ人作家であり、特に聖書の時系列に関心を持っていた。アルタパノスは、モーセとイスラエル民族の歴史に関する小説を書き、モーセとムーサイオスを同一人物だと見なすエウヘメリズムを用いるほど、異教との交わりを躊躇しなかった。アリステアスは、ヨブ記をミドラッシュ的に拡張したことで知られている。

偽フィロン。本稿で扱われているのは、フィロンの著作としてアルメニア語訳が伝えられているが、明らかに別人のために偽フィロンと呼ばれている人物の説教(『ヨナについて』と『サムソンについて』)である。これらは口伝的かつアジア主義的特徴を持つエンコーミオン(称賛演説)としての説教だと見なされている。説教はのちにキリスト教会で受け継がれるが、発明したのはユダヤ人であった。異教徒はホメロスを公の場で解釈することはなかった。

フィロンとの違い。偽フィロンの説教がフィロンと違うのは、第一に、偽フィロンは文学ではなく演説であること、第二に、律法に限らず、預言書などに関連する拡張を持っていること(ハフタラー)、そして第三に、ユーモアと鮮烈なイメージを持っていることなどである。こうした説教は、女性を含む会衆を楽しませるためのものだった。それゆえ即興的な演説(αὐτοσχέδιος/αὐτοσχεδίαστος λόγος)だったと考えられる。偽フィロンはホメロスやプラトン、またストア哲学を知っていた。彼は聖書の神話的な要素を合理化し、儀礼を倫理化しようとした。また明確な正典意識を持っていたようで、七十人訳をテクストとして用いながらも、ヘブライ語聖書における正典からのみ引用した。

非寓意的・歴史的解釈。偽フィロンの説教には寓意的解釈が見られない。聖書文書は歴史として扱われている。偽フィロンは自身のテクストの科学的な文脈をアップデートすることに関心がなかったので、寓意的解釈を用いる必要もなかったのである。彼の字義的解釈は、フィロンの問答形式の著作に見られる字義的解釈と同様の洗練を見せている。

こうした説教を著者は物語神学(narrative theology)の例と見なしている。すなわち、聖書テクストをより詳細に語り、またさまざまな種類の演説や対話を散らすことによって、聖書テクストを拡張することである。いわば、ラビ文学におけるミドラッシュにも類似性がある。それゆえに、「ヘレニズム的ミドラッシュ(Hellenistic midrash)」という用語を新たに作ってもいいかもしれない。ただし、偽フィロンの説教は、ヘブライ語のミドラッシュのように関連の連鎖からできているわけではなく、全体的な構造を提供する修辞的な基盤の上に出来上がっている。また特に『サムソンについて』は、ユダヤ教やキリスト教に見られる聖者伝説の嚆矢となる伝記的な称賛演説(biographical encomium)とも言える。

まとめ
アレクサンドリアのユダヤ教は、字義的、寓意的、類型的な方法論を発展させ、そうして行なった聖書解釈を口頭でも文書でも伝える形式を作り出した。その先行者は前2世紀のホメロス解釈者たちであった。ホメロスは、モーセと共に、後4世紀のポルフュリオスやユリアヌスの時代までライバルとして解釈され続けた。その後、寓意的解釈は教会において発展することになった。一方で、アレクサンドリアのディアスポラのユダヤ人たちは、たった一人の歴史家をも生み出さなかったイスラエルの地の賢者たちよりは、聖書の歴史的側面に関心を持っていた。事実、偽フィロンの説教は歴史を解釈しようとする試みであったし、ヨセフス(およびフィロン)は史書を著した。ただし、彼らはハラハー(法)的側面については、ほとんど寄与することがなかった。字義的解釈を残しつつ、自由に寓意的解釈をしたアレクサンドリアのユダヤ人たちの方法論は、ユスティノス、クレメンス、そしてオリゲネスらキリスト教の教父たちによって模倣された。しかしながら、ラビと呼ばれるユダヤ賢者たちは、ギリシアの遺産を受け継ぐことはなかった。

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フィロンの聖書解釈 Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style" #3

  • Folker Siegert, "Early Jewish Interpretation in a Hellenistic Style," in Hebrew Bible/Old Testament: The History of Its Interpretation 1: From the Beginnings to the Middle Ages (Until 1300), ed. Magne Sæbø (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 1996), pp. 130-98, esp. pp. 162-89.

フィロンが受けたギリシア語教育は極めて広範なものだったが、現実の科学と批判的な文献学については、他のアレクサンドリアのユダヤ人同様あまり通じていなかった。彼は開かれた性格であったため、しばしば劇場を訪れたが、一方でエルサレムに巡礼に行くような敬虔さも持ち合わせていた。またフィロンは、アレクサンドリアのユダヤ人の代表者であった。

フィロンは異教徒作家からの長い引用は避け、引用するにしてもホメロス、ピンダロス、プラトン、エウリピデスからのみ引用した。彼は他のユダヤ人作家には決して言及しなかった。フィロンにとって、字義通りの意味よりもより深遠な意味の方が重要だったが、かといって律法の字義的な遵守を放棄することもなかった。フィロンにはヘブライ語能力はなかった。ただし、ヘブライ語の用語や人名に関する語源学的なハンドブックを持っていたと考えられる。

フィロンの著作ジャンルは、1)問答、2)創世記の寓意的注解、3)律法解説、4)その他のテーマ別著作、5)歴史的・護教的著作に分けることができる。これらフィロンの著作の全体に寓意的解釈は行き渡っているが、聖書テクストへの言及の仕方が違う。またエウセビオスの引用のみで伝わっている『ヒュポテティカ』と『ユダヤ人のための弁明』という著作もあった。問答形式では、まず字義的な解釈をしたあとに寓意的解釈(自然的な場合と倫理的な場合がある)へと進むという複数アプローチを取った。寓意的注解では、はっきりと寓意的解釈に比重が置かれ、しばしば字義的解釈は否定される。律法解説では、聖書本文と解説とはゆるやかにしか繋がっておらず、創造から終末への普遍的な歴史の中で寓意的に律法が解き明かされる。

フィロンは神理解において神人同型説を避けている。存在する者たるホ・オーンは動きも感情も悪も超越し、物質と接触しない不可感な存在なのである。ではそのような超越的な神がどのように世界に影響を与えるかというと、それは神の力(δύναμις)が代わりにするのである。このように、フィロンの宇宙論において、神は超越的(プラトン主義)であると共に内在的(ストア派)である。フィロン自身はそこに、神の力の二元論という要素を加えた。すなわち、神を表わすときの「主(κύριος)」は力の展開や裁きを意味しており、「神(θεός)」は創造的活動や恵みを意味しているという考え方である。同様の二元論はラビ文学にも見られるが、そこでは逆に、「主(אדני)」が恵みを、「神(אלהים)」が裁きを表わしている。

霊感説。フィロンにとって、五書の著者は神ではなくモーセである。しかしモーセは単なる律法制定者ではなく預言者でもある。十戒を受けたときなど、モーセは神の力の機械的な反響として働くばかりであり、そこにモーセの意志は介在しない。フィロンの理解では、霊感は人間側のいかなる知的営為も認めず、ストア派宇宙論におけるプネウマのような力によって、機械的な因果関係が働くのである。そして音を発しているだけのモーセの言っていることの意味を探るのは、それを読んでいる読者の解釈に委ねられる。こうして聖書解釈の正当性が担保されるのである。

聖書理解。フィロンは五書を、モーセという単一の著者による統一的な著作だと考えていた。そしてその内容は、第一に創造、第二に歴史、そして第三に律法であると分類した。ただし、文献学的な観点やヘブライ語知識を持たない彼にとっての聖書とは、常に七十人訳であった。彼は七十人訳はヘブライ語テクストと完全に同一だと考えていた。彼がヘブライ語に言及するときは、名前などに関するハンドブックに依拠していたと考えられる。フィロンはときに預言書に言及することはあっても、その関心はほぼ五書に限定されている。タナッハの三区分は知っていたようだが、あまり正典意識は持っていなかった。

フィロンの字義的解釈は細部にこだわったものであり、同時代のギリシア語文法、修辞学、弁論術などを駆使したものである。一方で彼の寓意的解釈はより同質的で組織立ったものだった。寓意的解釈においては、自然学や倫理学に基づいた寓意のみならず、神秘主義的な寓意まで進んだ。また聖書の登場人物を象徴として捉えるという手法をしばしば用いたが、これはフィロンに限らずラビ文学やギリシアのホメロス解釈にも見られるものである。ただし、フィロンのそれはとりわけ豊かでかつ一貫性を持ったものだった。

フィロン受容。ユダヤ文学において、ヨセフスはフィロンに言及しているが、ラビ文学はその名前すら記録していない。異教文学においてもその足跡は残っていない。フィロンを最も重宝したのはキリスト教の聖書解釈者たちだった。アレクサンドリアのクレメンスやオリゲネスはフィロンを模倣し、エウセビオス、キュリロス、クリュソストモスらは彼を崇拝した。ラテン世界では、アンブロシウスがフィロンの名前を出さずにその著作をラテン語訳しており、アンブロシウスを通じてアウグスティヌスも大きな影響を受けた。ヒエロニュムスは『著名者列伝』にフィロンの項を入れている。

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2016年11月7日月曜日

1-2世紀の教会における聖書 Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church #1

  • Manlio Simonetti, Biblical Interpretation in the Early Church: An Historical Introduction to Patristic Exegesis (trans. John A. Hughes; Edinburgh: T&T Clark,1994 [1981]), pp.1-33.
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本章では、1世紀から2世紀にかけての聖書解釈の概要を扱っている。

ユダヤ人とギリシア人の聖書解釈は、それぞれ字義的解釈と寓意的解釈とを特徴としている。キリスト教会において、字義的解釈は、とりもなおさずユダヤ人の聖書解釈のことだと同一視されていた。初期のユダヤ的聖書解釈としては、タルグム、ミドラッシュ、そして死海文書のペシェルが挙げられる。いずれも、聖書を現実的(actualizing)に解釈しようとする点が共通している。

ギリシア人は、文学的・哲学的テクストを読み解くテクニックの伝統を持っていた。彼らは注解形式で詩や哲学書に注釈を加えた。ギリシア人の解釈テクニックである寓意的解釈には、二つのレベルがあった。第一に、著者自身が意図していた深い意味を探るというもの、そして第二に、著者自身さえ意図しなかった深い意味を探るというものである。ギリシア人は、特にホメロスのような権威ある作品を解釈する際には、それを寓意的に捉えることで、ホメロスが馬鹿げた神話に言及していても、そこには別の意味があったに違いないと考えてホメロスを正当化したのだった。

ヘレニズム化したユダヤ教アレクサンドリアのフィロンは、注解形式と問答形式の聖書解釈を残している。彼は、ギリシア人がホメロスの解釈に用いてきた寓意的解釈を聖書に用いることによって、神人同型説を解決しようとした。これは、ギリシア人にユダヤ教を紹介することでもあった。フィロンは、字義的解釈を完全に否定したわけではないが、あくまで寓意的解釈に対して副次的なものとして理解していた。フィロンの寓意的解釈として特筆すべきは、聖書に出てくるものや場所や人の名前を、語源学的に解釈することで、寓意的な意味を引き出したことである。

新約聖書は、当時のユダヤ教の聖書解釈の方法論に従って、旧約聖書を解釈している。それは、新約聖書における旧約引用やミドラッシュ風の部分、またペシェル風の部分に見ることができる。新約聖書は、旧約聖書をメシア的に読解することで、イエスのメシア性を証明しようとした。

初期キリスト教の保守的なグループは、イエスへの信仰とユダヤ法の順守とを結びつけたが、パウロを始めとするグループは、隠された霊的な使信にこそ価値を認めた。彼らは、本当の割礼ではなく心の割礼を求めた。彼らの聖書解釈の特徴は、予型論(typology)的解釈である。彼らは、旧約聖書の出来事を、キリストと教会の予型として寓意的に解釈したのである。

初期キリスト教ローマのクレメンスは、旧約聖書を主として字義的に解釈した。ただし、パウロのように、旧約聖書の登場人物のことを、キリスト教信仰の好個の例として重視した。『イグナティオスの手紙』にはあまり旧約聖書は使われていないが、『偽バルナバの手紙』は旧約聖書をほとんどミドラッシュ的に解釈している。偽バルナバは、ユダヤ人が律法を字義的に解釈するあまり、その霊的な意味を逸してしまったのだと主張した。そこで、特に数字をシンボリックに解釈することで、旧約聖書から寓意的解釈を引き出した。

グノーシス主義。上のように、キリスト教は旧約聖書を予型論的に解釈することで、教会において旧約聖書が占める位置を確保したわけだが、キリスト教グノーシス主義者たちは、至高神の啓示としての新約聖書に対し、旧約聖書は創造神(デミウルゴス)の啓示であるとして、これを否定した。ただし、ウァレンティノス派のプトレマイオスのように、律法をある程度認める中葉の立場の者もいた。『ヨハネのアポクリファ』は、律法に書かれていることはモーセの能力を超えるものだったために、律法は事実と異なることを含んでいるのだと主張した。それゆえに、キリスト教グノーシス主義者は、旧約聖書を寓意的に解釈したのである。

グノーシス主義者の新約聖書の解釈もまた、キリストの啓示を明らかにするための寓意的なものだった。ウァレンティノス派は数字のシンボリズムに注目し、プトレマイオスやヘラクレオンはヨハネ福音書を念入りに解釈し、一節毎の組織的な注解書を著した。

アジア学派の反ユダヤ的・反グノーシス主義ユスティノスは、律法を完全に否定するのではなく、その価値を認めていた。しかし、律法はあくまでもキリストと教会の予型(typoi)であり、ユダヤ人にとっての預言(logoi)ではないと主張した。彼によれば、ユダヤ人は預言はすでにキリストによって成就していることを認めようとしないので、依然として予型をその表面的な部分でしか捉えていないのだという。アジア学派の特徴としては、予型論を重視するが、それをあくまでキリストや教会の具体的な出来事と結びつけることである。すなわち、アレクサンドリア学派のように霊的な応用をあまりしなかった。

もう一人のアジア学派であるエイレナイオスは、旧約と新約とを連続的に捉えようとした。彼もまた、ユスティノスのように、予型(typoi)と預言(logoi)との区別を重視した。彼はレビ記における、反芻とひづめによる動物の区別を用い、反芻とは律法を咀嚼すること、そしてひづめとは父と子に対する硬い信仰のこととすることで、キリスト者、異教徒、ユダヤ人を比較した。すなわち、キリスト者は反芻しひづめがある者、異教徒は反芻もひづめもない者、そしてユダヤ人は反芻するばかりでひづめがない者だと言うのである。

ユスティノスもエイレナイオスも、アジア学派の物質主義的な特徴どおり、基本的には字義的解釈を重視した。その際には、聖書の神人同型説的な記述にも違和感を覚えなかったようである。しかし、律法の予型論的解釈を用いることで、寓意的解釈をも認めていたと言える。彼らは旧約聖書の出来事をキリストの予型と捉えるという意味では反ユダヤ的であり、一方で、旧約聖書を認め、過度な寓意的解釈を否定したという意味では反グノーシス主義的であった。こうした傾向は、テルトゥリアヌスのような教父にも見られることである。

ここからも分かるように、字義的解釈と寓意的解釈との違いは、聖書解釈のテクニック的な問題というよりも、さまざまな立場間の論争上の問題であると言えるだろう。

ヒッポリュトスもまた、新約聖書のみならず旧約聖書をも積極的に解釈することで、反グノーシス主義的姿勢を明らかにしている。彼の注解は教義的には一貫しているが、解釈テクニックにおいてあまり優れているとは言えない。彼はダニエル書における殉教の記述に注目し、反ローマ的な解釈を加えている。ほとんど予型論的解釈は用いていないが、唯一用いているのがスザンナのエピソードに対してである。彼の解釈は、ユスティノスやエイレナイオスもエピソードに基づく解釈に比して、より組織的なものだったが、聖書の文献学的な事実には無頓着だった。彼は旧約聖書をキリスト論的に解釈したが、はっきりとした原理は持たなかった。

2016年11月2日水曜日

オリゲネスとアガダー De Lange, Origen and the Jews #10

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 123-35.
オリゲネスの聖書解釈とユダヤ教のアガダーとの比較研究はすでに存在しているが、しばしばそうした研究は、両者の共通点をカタログ風にまとめただけで満足してしまっていることが多い。またラビ文学と教父文学とに共通点を見つけたからといって、それを直ちに前者から後者への直接の影響と考えるのは早計である。なぜなら、教父たちは、ラビ文学にある伝承とソースを同じくする伝承を、外典文学やフィロンなどのヘレニズム期ユダヤ文学から知ったかもしれないからである。教父たちと同時代のユダヤ人との直接的な影響関係がどの程度のものだったのかは、まだよく分かっていない。それゆえに、教父文学とラビ文学とに並行箇所があっても、他のソースの可能性を捨て去ってはいけないのである。

論文著者は、こうした前提をもとに、オリゲネスがユダヤ人から聞いたものであると明言しており、かつラビ文学に並行箇所が見られるような聖書解釈を5つ検証している。すなわち、創造、ノア、ヨセフ、出エジプト記、そして民数記である。

検証の結果、論文著者は以下のように結論している。第一に、オリゲネスは、ヘレニズム期ユダヤ人作家の著作には見られないようなアガダー的材料を保存している。第二に、ただしそれはすべてではなく、オリゲネスが言及している伝承のいくつかは、ラビ文学以外にも、たとえばフィロンに見られる。またフィロンになくとも、別の非ラビ的資料にはある可能性はある。第三に、オリゲネスが言及する伝承のソースである「ヘブライ人」は、ラビ的な性質を持っているが、非ラビ的な解釈をもオリゲネスに教えている。この「ヘブライ人」の正体について、論文著者次のように述べている:
The problem of the identity of 'the Hebrew' must remain one of the great enigmas connected with name of Origen. (p. 132)
さて、論文著者は、本書のまとめとして以下のように述べている:オリゲネスは聖書を真剣に学んだ最初のキリスト教教父である。当時の教会はシナゴーグと敵対的な関係であったが、キリスト者たちは、ユダヤ人から教えを請わずに聖書について学ぶことはできなかった。オリゲネスは、こうしたキリスト教的な聖書の学びからユダヤ教からの影響を払拭しようとしたが、それをするにはまず彼自身がユダヤ的伝統に通暁せねばならないというジレンマを抱えていた。ユダヤ人との接触時代は容易であり、何となれば教会内にもユダヤ・キリスト者がいた。

まずオリゲネスはギリシア語聖書のテクストを定め、それとヘブライ語テクストとの関係を検証しようとした。そのために彼が作ったのが『ヘクサプラ』である。ただし、彼自身はヘブライ語を読むことができなかったので、ヘブライ語テクストを知るために、代わりにアクィラ訳を読んだ。彼はこうしてテクストを定めたうえで、聖書解釈の理論や方法論を学んでいった。そのときの彼の教師となったのが、フィロン、パウロ、そしてラビたちであった。特に、生きたユダヤ教を継承するラビたちへの依拠は、オリゲネスの聖書解釈の最も特別な点であった。

こうして、オリゲネスは教会における学術的な聖書解釈の創始者となった。彼の影響は、ルフィヌスやヒエロニュムスを通じて、西方教会へも及んだ。言い換えれば、3世紀のカイサリアのラビたちは、オリゲネスを通してキリスト教世界全体の聖書解釈の伝統に影響を与えることがになったのである。

オリゲネスは、しばしば自身がユダヤ人に依拠していることを明言しないこともあったが、かといってユダヤ人を完全に敵に回すようなことはなかった。むしろ、異教徒によってユダヤ人が批判されると、ユダヤ人を擁護して反論する立場に回った。

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2016年10月31日月曜日

オリゲネスの聖書解釈 De Lange, Origen and the Jews #9

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 103-21.
オリゲネスの聖書解釈に関する該博さは、ヒエロニュムスも認めるところだった。本章は、そのオリゲネスの聖書解釈のユダヤ教に由来する側面を検証したものである。オリゲネスはどの程度、同時代のユダヤ教聖書解釈に依拠していたのだろうか。論文著者はこの問いに、オリゲネス自身がユダヤ教聖書解釈について語っている箇所と、この点に関する研究から得られる印象とから応えようとした。

オリゲネス自身が言っているように、ユダヤ教の聖書解釈はあまりに「字義的」であると見なされていた。しばしば「ユダヤ的な」という形容詞は、「字義的な」という意味で用いられた。ただし、オリゲネスは、そう考えるキリスト者の中でも、最も鋭くユダヤ教聖書解釈の多様性に気づいていた人物であった。そもそも、ここで言う「字義的」とは、現代的な意味としての、テクストが最初に書かれたときの意図を指してはいない。彼は決して聖書の統一性や、それが永遠の神託的な価値を持っていることを疑わなかった。

これはラビたちの「字義的」という言葉の理解とも一致している。ラビ・アキバはトーラーの一字一句にも深い意味があると考えていた。一方で、ラビ・イシュマエルはトーラーは神ではなく人間の言葉で書かれており、また語ではなく文の意味について解釈するべきと考えていた。両者は自分たちのアイデアを文章の中に読み込むことを目的としており、違いはその方法の違いにすぎなかった。

ただし、ラビ・アキバとラビ・イシュマエルの解釈法は、ラビたちが「字義的」な解釈と「法的・説教的」な解釈とを区別できなかったことを意味しない。ラビ・ユダヤ教にはそれぞれ、プシャットとミドラッシュという区別が存在する。この区別は、現代的な意味での「字義的」と「非字義的」とはやや異なっている。

フィロンは、聖書解釈の方法として、「ヘー・レーテー・アポドシス」と「アレゴリア」を区別した。また、字義的解釈では説明しきれないものを、パラドクサなどと呼んだ。彼の聖書解釈は、聖書の物語を、自身の宗教的・哲学的なアイデアのテクストとして使うものだった。彼は律法を寓意的に解釈することで、聖書の法の不適切なところを取り除いたが、決して律法遵守を廃止することを目指していたわけではなかった。

これに対し、パウロはモーセの律法に異議を唱え、文字の法ではなく霊の法を守るように求めた。パウロによれば、キリスト者は法を無効にするのではなく、それを制定するのである。ラビやフィロンの律法理解とは異なるパウロのそれは、キリスト者の律法理解となっていった。フィロンは、律法にはより深い意味があり、それを捨て去ることはできないと述べた。ラビたちは、律法は永遠に有効であるが、解釈のために変更してもよいと見なした。これらに対し、パウロやキリスト者は、ユダヤ法に「文学的(literalistic)」に相対した。すなわち、彼らの「字義性(literalism)」は、盲目的に律法を受け取ることではなく、日常生活の中で意味あるものとして律法を受け入れるということであった。ただし、聖書の歴史部分については、永遠の真理の予型として、正確なものと見なした。

オリゲネスの聖書解釈は、しばしば3種(肉的、魂的、霊的)あると考えられてきたが、この区分をきちんと応用している解釈は珍しい。実際には、伝統的な字義的(肉的)解釈と霊的解釈の二区分が多い。これは、神が二つのアイデアを一度に語ることができるという詩篇62:12の句を拡大的に取ったラビたちの理解とも軌を一にするものである。ラビたちはさらにこのアイデアを敷衍して、トーラーには70の顔がある、とまで主張するに至った。

オリゲネスの解釈スタイルは、ラビ・アキバの特異な解釈と、アクィラの聖書翻訳とに似ていると言える。オリゲネスは、アキバと同じく、聖書の一字一句に深い意味が隠れていると考えていたので、特に不定法を用いた繰り返し表現などに意味を見出した。こうした寓意的解釈がラビからの直接の影響なのか、それともアレクサンドリアの伝統からの影響なのかは、判別し難い。

従来では、ラビたちの聖書解釈における寓意性を等閑に付されてきたので、オリゲネスとラビたちの影響関係は詳しくは検証されなかったが、ラビたちの例え話である「マシャール」は寓意的解釈に近い。似た用語としては、「リシュム」と「ホメル」とが挙げられる。こうした方法は、雅歌やエゼキエル書の解釈に適用された。オリゲネスもラビたちも、トーラーを水、木、マナ、力、真理、善、地、火などと同一視した。

オリゲネスや、彼より前の教父であるユスティノスらは、こうしたトーラーと何かとの同一視を、そのままキリストへと繋げた。すなわち、トーラーを表わしていた木は、そのままキリストとも解釈されるのである。オリゲネスの時代には、キリスト教のシンボリズムはすでに高度なものとなっていたが、まだあるシンボル(十字架など)が完全にユダヤ教から切り離されてはいない、中間的な時期でもあった。こうしたシンボリズムにおける一致を、単純にフィロンや新約聖書のみとの関係で捉えることはできない。

こうしたシンボリックな聖書解釈としては、特に聖書の登場人物の名前の解釈が挙げられる。名前の語源学的な解釈は、フィロンより古く、ホメロスを解釈したアレクサンドリアの伝統に属するものである。こうした解釈に関するオリゲネスのソースとしては、フィロン、名前語彙集(のちにヒエロニュムスがラテン語訳するハンドブック)、そして同時代のユダヤ伝承があった。三つ目のユダヤ伝承とは、現在では『メヒルタ』やタルムードなどに残されているような解釈である。オリゲネスによるこれらの名前解釈のうち、ヘレニズム期ユダヤ作家に共通のものが見つからず、あまりに明白に語源が想像できるもの以外は、ユダヤ伝承から採用されたものである可能性がある。

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2016年10月2日日曜日

ユダヤ教に関するオリゲネスの情報源 De Lange, Origen and the Jews #2

  • Nicholas de Lange, Origen and the Jews: Studies in Jewish-Christian Relations in Third-Century Palestine (University of Cambridge Oriental Publications 25; Cambridge: Cambridge University Press, 1976), pp. 15-28.
本章は、ユダヤ人やユダヤ教に関してオリゲネスが持っていた情報源を扱っている。何よりも彼の情報源として挙げられるべきは、ギリシア語訳聖書である。すなわち、『ヘクサプラ』に収録されている七十人訳、アクィラ訳、テオドティオン訳、そしてシュンマコス訳である。ギリシア語に訳された、あるいはギリシア語で書かれた正典外の文書もまた彼の情報源であった。

フィロンはいくつかの箇所で名指しで引用されている。フィロンのことを「我々の先達」と呼んでいたことから、オリゲネスはフィロンを教会の遺産の一部として見なしていたと考えられる。こうした考え方は、115年のユダヤ反乱以降、多くのユダヤ人がキリスト教に改宗したときに、教会の中に入り込んできたのであろう。フィロンはオリゲネスの神秘主義的な聖書解釈には大きな影響を及ぼしたが、キリスト教外のギリシア思想にはほとんどインパクトを与えなかった。

歴史的な事柄については、オリゲネスはヨセフスに依拠している。ミドラッシュ的な聖書解釈では『聖書古代誌』からの影響も見られる。ユダヤ人やサマリヤ人の理解については、新約聖書も大きな情報源である。異教作家はほとんどユダヤ人に関して言及していない。例外としては、ダマスコスのニコラウス、アパメアのヌメニオス、そしてケルソスらが挙げられる。

先行するキリスト教作家たちは、オリゲネスのユダヤ人理解に大きな影響を与えている。『トリュフォンとの対話』を書いたユスティノス、サルディスのメリトー、グノーシス作家たち、パンタエノス、アレクサンドリアのクレメンス、ユリオス・アフリカノスらの著作は、オリゲネスにとって信頼できる典拠となった。

しかしながら、何といっても、オリゲネスのユダヤ教に関する知識は、当のユダヤ人からもたらされたものであった。彼は何人かのユダヤ人学者へのフリーアクセスを持ち、ユダヤ教の講義や説教に出席した。彼はまた、シナゴーグと教会との間で繰り広げられていた議論に通暁していた。

オリゲネスのヘブライ語能力の有無は、多くの議論を呼んできた。エウセビオスやヒエロニュムスは、オリゲネスが高いヘブライ語能力を持っていたと述べている。論文著者自身は、当時のユダヤ人の多くはギリシア語を話すことができたはずなので、仮にオリゲネスがヘブライ語をほとんど解さなかったとしても、ユダヤ教の学習に支障はきたさなかったと考えている。彼はヘブライ文字や少しの語彙は知っていたはずだが、ヘブライ語に基づいた聖書解釈をするときには、多くの場合間違っていた。それゆえに、『ヘクサプラ』の作成はユダヤ人の仲間に大きく依拠していたと思われる。いうなれば、オリゲネスはヘブライ語を解さなかった、とまで言うのは正確ではないが、ユダヤ人の助けなしにヘブライ語を読むことはできなかったのである。

オリゲネスは何人かのユダヤ人教師を持っていた。ヒエロニュムスによれば、オリゲネスの教師の一人は「フイルス(Huillus)という名であったと証言している(『ルフィヌス駁論』1.13)。この教師のことを、オリゲネスは「族長であり、ユダヤ人の間で賢者の称号を持つ人物」と説明した。G.F. Mooreはこの教師はユダ二世を、H. Graetzはヒレルを指していると考えた。論文著者は、18世紀のD. Vallarsiの見解に従って、この教師はおそらくカイサリアの地元の共同体の長ほどの地位にあった人物ではないかと考えている。

このフイルス以外に名前が分かっている者はいないが、オリゲネスはしばしば「ヘブライ的なもの」「ヘブライ人/たち」という言葉で自身の教師を呼んでいる。これは場合によってはヘブライ語のテクストを指すこともあるが、人を指す場合には、ギリシア語とヘブライ語に通じた不詳のユダヤ人であったと考えられる。単数形で冠詞がつく場合には、特定の一人の人物を指しているはずであるが、その正体はいまだ分かっていない。可能性としては、レーシュ・ラキシュ、ラビ・アバフ、バル・カパラ、ホシャヤ、ラブなどが挙げられる。

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2016年3月24日木曜日

ホメロスの寓意的解釈とフィロン Kamesar, "The Logos Endiathetos and the Logos Prophorikos in Allegorical Interpretation"

  • Adam Kamesar, "The Logos Endiathetos and the Logos Prophorikos in Allegorical Interpretation: Philo and the D-Scholia to the Iliad," Greek, Roman, and Byzatine Studies 44 (2004), pp. 163-81.

アレクサンドリアのフィロンは、ストア派哲学に見られる、ロゴス・エンディアテトス(内的ロゴス)とロゴス・プロフォリコス(言い表されたロゴス)の原理を、自身の聖書解釈に適用していた。ストア派の考え方においては、我々が自分の理性の中で思惟するときに用いるのがロゴス・エンディアテトスであり、しゃべるときに自分の思考を表現するときに用いるのがロゴス・プロフォリコスであるとされる。五書を解釈する際に、フィロンはモーセをロゴス・エンディアテトスに、そしてアロンをロゴス・プロフォリコスに当てはめている(『劣者の奸計』38-40、『移住』76-81, 84, 169、『改名』208、『出エジプト記問答』2,27, 44)。

本論文は、それぞれのロゴスを物語の登場人物の性格に当てはめるという、フィロンによく似た解釈が『イーリアス』のDスコリアにも見られることから、互いの思想的な影響関係を検証したものである。『イーリアス』のスコリアは3種類あることが知られており、しばしば、Aスコリアはcritical scholia、Bスコリアはexegetical scholiaと呼ばれる。対するDスコリアは、主としてホロメスの言葉遣いの単純な説明や、神話の補足を扱っているが、それ以外にも寓意的解釈が保存されている場合がある。

本論文が扱う『イーリアス』5.385-391においては、神々を攻撃した人間の例として、軍神アレスを縛ったオトスとエフィアルテスが登場するが、Dスコリアにおいて、アレスは「怒り」と、そしてオトスとエフィアルテスは「教育におけるロゴイ」と解釈された。オトスは、ある者が耳から指導を聞くことで教育されるときに用いられるロゴス・プロフォリコスを表しており、エフィアルテスは、ある者が自然(フュシス)によって自発的に発展するときに用いられるロゴス・エンディアテトスを表している。

明らかに「教育」と結びついたロゴス・プロフォリコスはともかく、自発的かつ自然的に発達するというロゴス・エンディアテトスはどのように「教育」と関係しているのか。そこで論文著者は、ギリシア思想史においてプラトンやイソクラテスの時代から伝統的に存在する、修辞学と哲学との衝突を引き合いに出す。フィロンの思想において、ロゴス・プロフォリコスの訓練は修辞学と、一方でロゴス・エンディアテトスの訓練は哲学と結びついていた。人が神と交流するとき、声を出す器官は姿をひそめ、代わりに言葉を介在しないロゴスが現れるわけだが、この後者の高次のロゴスが、哲学と結びついたロゴス・エンディアテトスなのである。Dスコリアもまた、二つのロゴスを「教育におけるロゴイ」と呼ぶとき、この前提を持っていたと考えられる。

Dスコリアの成立年代を特定することは難しいが、論文著者はDスコリアの解釈の特徴から、おそらくヘレニズムの初期から中期にかけてではないかと論じている。Dスコリアは、『イーリアス』における二人の登場人物として評される「教育におけるロゴイ」が、アレスとして表される「怒り」を縛るのだと解釈しているわけだが、この「教育が怒りをコントロールする」という見解と同様のものが、ポセイドニオス、カリトン、キュレネのシュネシオス、フィロン、そしてカッシウス・ディオに見出されるのだという。論文著者は、ここからこの考え方が少なくともヘレニズム中期にまで遡ると考えている。

論文著者は、Dスコリアの解釈の続きから、同書における寓意的解釈の哲学的な視点を2つ指摘している。第一に、怒りと欲望(エピテュミア)とを並置することは、魂の非理性的な部分に関するプラトン思想との関わりを想起させる。これは、ポリュビオス、パナイティオス、そしてバビロニアのディオゲネスらにも見られる。第二に、解釈の続きで今度はヘルメスがロゴスを表し、同時に怒りがやや肯定的に描かれるが、こうした肯定的な怒りは勇気と関わっているとして、テオフラストス、パナイティオス、そしてバビロニアのディオゲネスらに見られるものであるという。以上の2点から、論文著者は、Dスコリアの哲学的な背景は、ストア派はストア派でも、バビロニアのディオゲネスとかなり近いものであると考えている。

本論文の結論として、著者は以下の3点を挙げる:第一に、フィロンによるモーセとアロンとをそれぞれロゴス・エンディアテトスとロゴス・プロフォリコスとに当てはめるという寓意的解釈は、Dスコリアにおけるオトスとエフィアルテスとの解釈にインスパイアされたものである。第二に、フィロンのテクストとDスコリアとを比較すると、両者はストア派の考え方を「応用」していることが分かる(修辞学と哲学とをそれぞれのロゴスに結び付けることで、全体的に教育の議論へと持っていく、など)。第三に、この解釈はヘレニズム期のアリスタルコスの時代にはすでにあったものであり、おそらく彼もこれを知っていた可能性がある。

2016年2月26日金曜日

テラの死(創11:32)に関する時系列の問題 Emerton, "When did Terah Die (Genesis 11:32)?"

  • J.A. Emerton, "When did Terah Die (Genesis 11:32)?" in Language, Theology, and The Bible: Essays in Honour of James Barr, ed. Samuel E. Balentine and John Barton (Oxford: Clarendon Press, 1994), pp. 170-81.
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創世記11:31-32によると、テラは息子アブラム(以下アブラハムに統一)らと共にカルデア人の土地ウルを離れて、カナンの地を目指したが、途中ハランへに留まった。テラは205歳でそこで死んだ。一方で創11:26によると、アブラハムはテラが70歳のときに生まれ、また創12:4によると、75歳のときにハランを離れたので、テラはアブラハムがハランを離れたときに145歳であり、その後も60年生き続けたことになる。そこで著者は、なぜアブハラムは父を置いていったのか、そしてなぜテラはカナンを目指していたのにハランに留まり、なおかつ息子についていかなかったのかと問う。

この時系列の問題に関し、マソラー本文、七十人訳、ウルガータ、ペシッタ、タルグムは何の解決も与えていないが、サマリア五書は異なった時系列を提示している。創11:32において、205歳で死んだとされているところを、サマリア五書のみは145歳で死んだとしているのである。すなわち、テラはアブラハムがハランを離れたあとも60年間生き続けたのではなく、アブラハム出発の年に死んでいたということである。これは、使7:4と同様の解釈である:
アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住んだ。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地に移した。
また、フィロン『アブラハムの移住について』177にも同様の解釈がある:
まずアブラハムはカルデアから出発し、ハランに住んだ。彼の父親がそこで死んだあと、彼はその土地から移動し、その結果彼はすでに二つの土地を去っているわけである。
論文著者は、使徒行伝とフィロンの解釈は、もしかしたらケアレスミスかもしれないと述べているが、サマリア五書の解釈を支えるものでもある。

論文著者は、まずテクストの破損の可能性を検討するが、205を145に変えてしまう合理的な理由を見つけるのは困難であると結論する。そこで、これは意図的な改変であるという前提に進むことになる。旧約学の研究史においては、改変の理由として、いくつかの説がある。Budde, Gunkel, Zimmerliらは、創12:1における神からのアブラハムへの呼びかけに父親への言及があることから、このときにテラが生きているように合わせる必要が生じたと考えた。一方で、Cassuto, Wenham, Hughesらは、11章で語られるテラの死が12章で出てきたら時系列と合わなくなるので、数字を減らす必要が生じたと考えた。

次に、論文著者は、ヘブライ語の数字表現に注目する。創11:32は旧約学においてはP資料に属す箇所と考えられているが、205歳を表すときの表現として、マソラー本文の表現はP資料の表現として通常のものである。しかし、145歳を表すサマリア五書の表現は普通ではないパターンであるという。とはいえ、P資料の記者はしばしば一貫しない数字の表現を用いるので、このことからサマリア五書の数字がマソラー本文と比べて二次的なものであると結論付けることはできない。

なぜP資料が、テラがアブラハムに同道しなかったのかについても疑問の残るところであるが、論文著者によれば、P資料は必ずしもすべてを明確に説明するわけではないので、これはP資料のやり方とかけ離れてはいないという。すると考えられる他の可能性としては、もともとはこれをきれいに説明する伝承があったが、P資料はそれを自身の物語の中に組み込まなかったのではないか。これは他の箇所との比較から、あり得なくもない可能性であるが、論文著者は慎重にも、存在しない証拠をもとに語ることは避けるべきであるとしている。他に論文著者は、Cassutoの説明を紹介しているが、それも妥当性が低いとしている。

以上より、次のような結論が導き出される:マソラー本文の205歳とサマリア五書の145歳のどちらかを、純粋に本文批評で決めるのは困難である。P資料は、さらなる解釈が存在した可能性を暗示しているが、それは我々には伝わっていないので議論することができない。言い換えれば、創11:32のオリジナルな読みの問題を解決することは不可能である。

関連記事

2015年12月16日水曜日

エウセビオスの護教論 Kofsky, "The Concept of Christian Prehistory"

  • Aryeh Kofsky, Eusebius of Caesarea Against Paganism (Leiden: Brill, 2002), pp. 100-14.
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本論文は、カイサリアのエウセビオスの護教論の内在的な論理をまとめたものである。エウセビオスは3つの目的を持って著述活動をしていた:第一に、異教の宗教および哲学を粉砕すること、第二に、キリスト者によって好まれるヘブライ的宗教および哲学が異教のそれよりも優れていると証明すること、そして第三に、いかにしてキリスト教がユダヤ教から離れ、それを上回ったかを説明すること、である。またエウセビオスは、人間をギリシア人、ユダヤ人、そしてキリスト者の3種に分け、中でもキリスト者を第三の民と見なした(あるいは、キリスト教をユダヤ教とヘレニズムとの間に立つ第三の宗教と見なした)。エウセビオスの議論は畢竟するに、キリスト教が異教を破棄したこと、また聖書を受け継ぎつつもキリスト教がユダヤ教から逸脱したことという、二つの批判に対する反論であった。

父祖の宗教とキリスト教との同一視。エウセビオスによれば、キリスト教という名前自体は新しいが、その生き方や宗教的敬虔の倫理的な徳は、アブラハムら父祖の時代から連綿と続いてきたものであるという(『福音の論証』)。一方で、ユダヤ教が始まったのは、モーセが律法を制定してからのことであった。すなわち、エウセビオスはイエスによってもたらされたキリスト教をアブラハムら父祖たちの宗教と同一視しつつ、両者をモーセによって始められたユダヤ教から区別したのである。

ヘブライ人とユダヤ人との区別。『福音の準備』第7巻において、エウセビオスはまず異教の宗教や哲学に真理がないことを示したあと、「ヘブライ的」な宗教な哲学には真理が宿っていることを証明しようとした。このときの「ヘブライ人」は「ユダヤ人」から区別されている。前者が父祖たちのこと、そして引いてはキリスト者のことを意味するのに対し、後者はより後代に出てきたモーセの律法を遵守する者たちのことを意味する。モーセ自身はヘブライ人と見なされ、彼が律法を与えた者たち最初のユダヤ人となった。このユダヤ人たちはエジプトにいたために、エジプト人から悪い影響を受けてしまったのである。それゆえに、アブラハムと神とが交わした約束は、ユダヤ人ではなくキリスト者によって成就した。

ヘブライ的神学とキリスト教神学との同一視。ヘブライ人は、誤謬ばかりの異教徒と異なり、理性的な哲学者なので、エウセビオスは、フィロン、アリストブロス、ヨセフスもまたヘブライ人であると見なした。そのように考えることで、エウセビオスは特にフィロンのロゴス神学を三位一体につなげたのだった。その意味で、使徒ヨハネやパウロもまたヘブライ人であった。このようにして、ヘブライ的神学とキリスト教的神学とが同一視された。

七十人訳の重要性。『福音の準備』第8巻では、ユダヤ的政治形態および律法について議論されている。ユダヤ教の律法はあくまでユダヤ人にのみ有効であって、その他の民族には関わりがない。ユダヤ人は嫉妬心から自分たちの律法を隠していたが、七十人訳が作成されたことで、イエスの現れが準備されたのだった。ではなぜそもそもキリスト教は直接父祖の宗教から発生したのではなく、ユダヤ教から生まれたのだろうか。

ユダヤ人哲学者。エウセビオスによれば、それはそもそもユダヤ人の中にも、律法の文字通りの意味に従って生きる者たちと、律法の意味を理解してそこから哲学的に徳を獲得する者たちとがおり、モーセは後者を「ユダヤ人哲学者」として、律法を守る義務を免除した。エウセビオスは、こうしたユダヤ人哲学者の代表例をエッセネ派に見ている。またフィロンのことをヘブライ人哲学者であるとも見ている。エウセビオスによれば、ここでは「ユダヤ人」と「ヘブライ人」との区別に矛盾はないという。なぜならば、ユダヤ人哲学者とは、ユダヤ人の間で父祖の伝統を守り続けるヘブライ人のことだからである。

古い契約と新しい契約。エウセビオスは、父祖の宗教をキリスト教と同一視することを主張はしたが、その無理やりさも自覚していた。というのも、キリスト教は聖書を受け入れたのに、それに沿ってはいないからである。また間にはさまるユダヤ教との関係も問題である。そこでエウセビオスはより現実的な説明もした。彼によれば、2つの契約があり、1つ目の古い契約がユダヤ人の律法であった。この1つ目の契約は、父祖の宗教から離れたときに、多神教や偶像崇拝といったエジプト人の習慣を含んで出来上がったものである。モーセはこれを、メシアの到来によって更新される、あくまで一時的な契約として作った。2つ目の契約は新しい福音であり、すべての民族に向けられている。ただし、この新しい契約は新しくもあり古くもある。なぜなら、この契約はモーセの時代には隠されていたので、一見新しいものであるように見えるが、実際には1つ目の古い契約よりも古い父祖たちの時代から続くものだからである。

モーセは古い契約を一時的なものであると見なしていたので、ユダヤ人による新しい契約の拒否は、実はモーセの意志を裏切るものだといえる。というのも、ローマ人によるエルサレム神殿の破壊は、古い契約が神意によってもはや無効にされたことを示していると考えられたからである。一方で、新しい契約とは、実際には古い契約よりも古い父祖の時代からのものであったので、イエスの生と教えとは、アブラハムの古い宗教の再生であると見なされたのだった(それどころか、父祖たちは実際に「キリスト者」と呼ばれてさえいたのだとエウセビオスは主張する)。

このように考えると、エウセビオスは水平的にキリスト教がユダヤ教とヘレニズムとの間に立っていると考えていただけでなく、垂直的にキリスト教が両者の上に立っていると考えてもいたのが見て取れる。エウセビオスにとってのキリスト教は、ギリシアの誤謬および破損や、モーセによって導入されたすでに無効の契約を置き去りにするものであったのだ。

2015年11月29日日曜日

ユダヤ人とユダヤ教 #3 Mason, "Jews, Judaeans, Judaizing, Judaism"

  • Steve Mason, "Jews, Judaeans, Judaizing, Judaism: Problems of Categorization in Ancient History," Journal for the Study of Judaism 38 (2007), pp. 457-512.

このエントリーでは、第3章と結論部分(pp. 489-512)をまとめたい。第1章では、後200年までユダイスモスという語に「ユダヤ教」という意味はなかったこと、そして第2章では、そもそも古代には「宗教」という概念すらなかったことが語られたが、第3章では、それゆえにギリシア語のユダイオス(Ἰουδαῖος)という語を宗教としてのユダヤ教の信者、すなわち「ユダヤ教徒(Jew)」と訳すのは不適切であり、むしろ民族としての「ユダヤ人(Judaean)」と訳すべきであるということが語られる。

論文著者によれば、ユダイオス/ユダイオイという語は常に「民族(ἔθνος)」としての「ユダヤ人」という意味で使われてきたという。異教徒のギリシア・ラテン作家たちの中では、たとえばストラボン、ポセイドニオス、タキトゥス、そしてディオ・カッシウスが、そしてギリシア語・ラテン語で書いたユダヤ人作家たちの中では、たとえばフィロンとヨセフスが明らかにそのような用法でこの語を用いている。

フィロンは、土地、血縁、祭儀の習慣などといった民族的なつながりの全範囲を含む意味合いでユダイオスという語を用いている。それゆえに、そうした文脈におけるconversionとは、市民権の変化において、ある民族から別の民族に「転向」するという意味であって、決して宗教的に「改宗」するという意味ではなかった。

ヨセフスは、『ユダヤ戦記』において、すでに民族としてのユダヤ人という意味でユダイオスという語を用いている。『ユダヤ古代誌』では、哲学や祭儀と密接に関わる文脈で用いることが多いが、そこからただちに「宗教」を導くことは誤りであると論文著者は述べる。さらに『アピオーンへの反論』では、ユダヤ人は、バビロニア人、エジプト人、カルデア人、アテーナイ人、スパルタ人などと比較されており、またそれぞれの民族は、故国、立法者、父祖の習慣、聖なるテクスト、祭司や貴族、そして市民権を持っているとされている。論文著者によれば、これは現代におけるインド系カナダ人や中国系カナダ人といった移民グループのようなものだという。

むろん、研究者の中には、ユダイオスを少なくともある場合には「ユダヤ教徒(Jew)」と訳すべきだと主張する者たちもいる。その代表として、論文著者はDaniel R. SchwartzとShaye Cohenを挙げている。Schwartzは、バビロン捕囚のような大きな変化によって、ユダイオスは単なる民族から宗教へとなっていったと主張するが、論文著者はどんな民族であれある程度の変化を被り、先祖伝来の政治形態を維持することに苦労しているのだから、ユダヤ人だけを特別に「宗教」へと還元する必要はないと反論する。さらにSchwartzは、『ユダヤ戦記』でのユダイオスは民族的な意味合いだが、『ユダヤ古代誌』でのユダイオスは宗教的な意味合いであるといった妥協案も出すが、論文著者は認めない。一方でCohenは、ハスモン朝の時代になると異教徒の中にユダヤ教徒へと宗教的に「改宗」する者たちが出てきたと述べるが、論文著者は、第1章で見たようにヘレニスモスという概念がそもそも文化や宗教を意味するものではないのだから、ユダイスモスだけ突然に文化や宗教の範疇に置くのはおかしいと反論する。SchwartzもCohenも、古代においてユダイオスという語の用法に途中で変化があったと考えるわけだが、論文著者は文献学上そうした変化は認められないし、もっと後代になって本当にユダヤ人に質的な変化が訪れたときには、ユダイオスではなくヘブライオスという語が使われるようになったと説明している。

こうしたことから、論文著者は以下のように結論を出している:まず、我々は古代の状況、用語、カテゴリーが自分自身のそれらとは異なっていることを知らなければならない。ユダイオス/ユダイオイに関しては、他の民族との類比において、「ユダヤ教徒(Jew)」ではなく「ユダヤ人(Judaean)」と訳すべきである。ユダヤ人は前200年から後200年にかけて民族としての「ユダヤ人」であり続けたのであって、ギリシア・ローマ時代には宗教としての「ユダヤ教」は存在しなかった。稀に「ユダイスモス」という語が使われても、それはユダヤの法や生活に向かうこと、という特別な文脈においてものみ用いられた(「ユダヤ化」)。「ユダイスモス」という語が抽象化された信仰システムとしての「ユダヤ教」という意味合いで使用されたのは、3世紀から5世紀にかけて「クリスティアニスモス」との対比においてであった。ただクリスティアニスモスという概念自体は民族、祭儀、哲学、集団、魔術システムなどの新しい集合体であったので、完全なる「宗教」概念としての「ユダヤ教」は啓蒙時代、すなわち近代の産物である。

2015年11月20日金曜日

ギリシア哲学者としてのアブラハム Feldman, "Abraham the Greek Philosopher in Josephus"

  • Louis H. Feldman, "Abraham the Greek Philosopher in Josephus," Transactions and Proceedings of the American Philological Association 99 (1968), pp. 143-56.

本論文の中で著者は、アピオーンやアポロニオス・モロンによるユダヤ人批判に反論するヨセフスの護教的テクニックの一つとして、アブラハムをギリシア哲学者として描くことを挙げている。ヨセフスのアブラハムは、神の存在に関する目的論的議論を洗練された方法で逆転させる鋭さを持ちつつも、相手の話を聞く柔軟さを併せ持ち、しかも自身の科学的知識をエジプトの哲学者たちと共有する気前良さをも持っていた。

『古代誌』におけるヨセフスの護教論の目的は、非ユダヤ人からの批判に対抗することであったので、そうした非ユダヤ人読者にアピールするようなアブラハム像を創り出したのだった。ヨセフスは、トゥーキュディデースが描いた政治家ペリクレスのように、論理学と説得能力を持ったアブラハムを描いた。そもそも、古代における哲学の目的は、相手を説得し、転向させることであった。

論文著者は、そうしたアブラハムの論理的な演繹法のうちでも最も重要なものとして、神の唯一性の証明を挙げている。ユダヤ文学の中では、『アブラハムの黙示録』、『ヨベル書』、『創世記ラバー』などで、アブラハムが自身の理性を通じてこの見解に至ったことが描かれている。ただし、ヨセフスのアブラハムは、ストア派などギリシア哲学における証明方法を用いているのが特徴的である。しかも、多くの哲学者が天体の秩序だった動きに基づいて神の存在を証明するの対し、ヨセフスのみは――論文著者の調べた限りでは――ただ一人、天体の無秩序な動きに基づいてそれをしているという。キケロー『神々の本姓について』で描かれるクレアンテスは、神の存在を証明するものとして、嵐や地震といったこの世界における異常な出来事と共に、天体の秩序だった動きを挙げている。ヨセフスは、完全な自由意思を持った非物質的なユダヤ的な神概念を持っているがゆえに、クレアンテスの二つの議論を一つにまとめたような証明に至ったのだと考えられる(ただし、論文著者によれば、ヨセフスは哲学者というガラではないという)。

こうしたアブラハムを賢者として描く方法は偽エウポレモスにも見られるものであるから、ヨセフスの独創ではないが、ヨセフスはアブラハムを天文学者かつ論理学者として、より強調して描いている。ラビ文学や偽フィロンが、アブラハムが巻き込まれるカルデアでの騒動を、主に信仰の問題として描くのに対し、ヨセフスは、アブラハムが科学的かつ哲学的な議論において反発されたとしている。

ピタゴラスやソロンのようなソクラテス以前の哲学者たちが、マギ、インド人、エジプト人などの賢者たちと哲学的な議論するという典型的なイメージがヘレニズム時代にはあったが(フィロストラトス、プラトン『ティマイオス』)、アブラハムがエジプトを訪れたこともこのイメージを下敷きにして描かれている。事実、ヨセフスは『アピオーンへの反論』の中で、教養あるユダヤ人が小アジアにいたアリストテレスを訪ねて、知識を交換する様子を描いている。
ラビ文学にも同様の描写はあるが(ベホロット8b)、そちらではアブラハムは伝道者として描かれることが多く、ヘレニズム的な様式の哲学的な議論はほとんど出てこない。ヨセフスの描くエジプト人と対話するアブラハムは、論理学、哲学、修辞学、科学に秀でた極めて知性的で教養あるヘレニズム的紳士であった。それどころか、アブラハムは、のちにエジプト人が名声を得るに至った計算術や天文学に関する知識を、当のエジプト人に教えた人物となった。そうした知識を惜しげもなく与えるほど気前のよい人物としてアブラハムを描きたかったのである。ラビ文学においては、天文学の知識を持つアブラハムを肯定的に描く伝統は、中世になるまでなかった。むしろ、ラビたちは天文学や占星術を魔術と見なしていたので、アブラハムがそれを知っているがゆえに子供をなかなか得ることができなかったと説明していたほどである。

天文学者としてアブラハムを描くのは、先に述べたように偽エウポレモスにも見られるものであったので、ヨセフスはそれを流用して、ギリシアの読者にアピールするように、天文学のような科学的な精神を持った人物としてアブラハムを描いた。しかしながら、興味深いことに、フィロンはアブラハムはカルデアで天文学の知識を持っていたが、それは目に見える世界への執着であり、そこから出て目に見えない世界へと入ることによって、純粋な哲学者になったとした。ラビ文学は、アブラハムが占星術に関する知識を持っていたとしているが、神がアブラハムを説得して占星術を手放させたと伝えている。

ヨセフスは護教的理由から、哲学者かつ科学者としての側面を強調しつつ、アブラハムを典型的な国民的ヒーローとして描こうとしたのだった。