ページ

ラベル 字義的解釈 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 字義的解釈 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年7月25日土曜日

ユダヤ・キリスト教論争における聖書 Sapir Abulafia, "The Bible in Jewish-Christian Dialogue"

  • A. Sapir Abulafia, "The Bible in Jewish-Christian Dialogue," in The New Cambridge History of the Bible 2, ed. Richard Marsden and E. Ann Matter (Cambridge: Cambridge University Press, 2012), 616-37.

アウグスティヌスは、キリスト教徒にとってのユダヤ人および旧約聖書の役割を論じている。彼によれば、本来であればイエス・キリストに書かれている旧約聖書をユダヤ人は正確に読めてはいないが、それをキリスト教徒にもたらすことがその役割なのだという。つまりキリスト教社会におけるユダヤ人は、キリスト教がユダヤ教を更迭し、取って代わること(supersession)を具体化する存在である。またキリストを拒絶したことの罰として離散の憂き目にあっている。このアウグスティヌスの「証言者論」の核には、ユダヤ人は自分たちの聖典を理解できず、また理解しようともしないという逆説がある。

キリスト教徒がユダヤ教と対決する文学ジャンルとして「対ユダヤ人(Adversus Iudeos)」テクストがある。初期の例としては、ユスティノス、テルトゥリアヌス、アウグスティヌス、セビーリャのイシドルスなどがある。12世紀になると「反ユダヤ人論(anti-Jewish polemics)」もまた盛んに論じられた。そこでキリスト教徒とユダヤ人の対話のかたちで描かれる議論は、実際の議論を文字通りに再現しているのではないが、ある程度は現実を反映してもいる(たとえば1240年のパリ討論や1263年のバルセロナ討論、1413-14年のトルトーサ討論など)。

一方で、12世紀の終わりの南フランスやスペインでは、中世のヘブライ語で書かれた「反キリスト教論(anti-Christian disputations)」が登場する。その代表が『セフェル・ニツァホン・ヤシャン』である。これはドイツで編纂された、当時の反キリスト教的聖書解釈や新約聖書への攻撃などを収録した辞書的集成である。

これらユダヤ・キリスト教論争において常に中心となったのは聖書テクストとその解釈の問題である。聖書を読む解釈原理が論じられ、また根本的な神学問題を論じる際の証明のために聖書が引かれた。たとえば、モーセの律法の妥当性、メシアの到来、選民の真のアイデンティティ、三位一体の教え、受肉、処女懐胎などといった問題が俎上に挙げられた。

ユダヤ人との論争において、キリスト教学者たちはヘブライ語を読む必要はなかった。彼らはヒエロニュムス読めばよかったのである。イザヤ書7:14の「処女」論争において、シャティヨンのウォルター、ギルベルトゥス・クリスピヌス、ペトルス・アルフォンスィ、ブールジュのウィリアムらは、ヘブライ語のアルマーという語の訳について、ヒエロニュムスの解釈に依拠している。ギルベルトゥスはヒエロニュムスに従って、エゼキエル書44:2-3の閉じられた門のイメージ用いてマリアの処女性を論じている。これに対しヨセフ・キムヒは、アルマーの語についてキリスト教徒に謝った情報を与えているとして、ヒエロニュムスを非難している。

ギルベルトゥス・クリスピヌスは、聖書の翻訳の問題も論じている。彼によると、七十人訳はヘブライ語聖書の忠実な訳であり、またラテン語ウルガータはギリシア語およびヘブライ語聖書と言葉についても意味についても一致していると主張し、ウルガータを擁護した。

キリスト預言として知られている聖書箇所についても激しい議論が行われた。イザ53:1-10の「苦難の僕」の解釈については1263年のバルセロナ討論がある。この討論においてユダヤ側の代表者はナフマニデスであり、この箇所はイエスではなくイスラエルの民のことを指しているのだと主張した。創49:10の「シロ」は1413-14年のトルトーサ討論の主題であった。創22:28のアブラハムの祝福についても、ギルベルトゥスや『イサゴーゲー』著者、ドゥーツのルペルトらがメシア的解釈を展開している。

聖書解釈の方法として、ユダヤ人が字義的(literal)解釈をするのに対し、キリスト教徒たちは比喩的(figurative)解釈を得意とした。キリスト教徒に言わせれば、キリスト到来以後では、モーセの律法を字義的に解釈すると矛盾を来たすので、比喩的に解釈するほかないというのである。偽ウィリアムは木の実のたとえを用いて、果肉としての新たな法を味わうためには外側の硬い殻としての古い法を砕かなくてはならないと述べる。これに対しヨセフ・キムヒは、トーラーの解釈は字義的だけに取るのも比喩的だけに取るのも間違っていると反論する。聖書は素朴な人々でも理解できるように、ときに比喩を用いて語るからである。このように、ユダヤ人は字義的解釈だけに限られるわけではなかったが、一方で、比喩的解釈は字義的解釈に取って代わることはないというタルムードの大原則のもとにもあった。

キリスト教徒の中には、ユダヤ人の助けを借りて、ラテン語旧約聖書の本文を直そうとする者もいた。シトー会のステファン・ハーディングは、ユダヤ人からヘブライ語聖書およびタルグムの情報をフランス語で仕入れていた。ニコラス・マニアコリアやサン・ヴィクトルのアンドリューも同様の方法を採り、聖書の歴史的意味を知るために、ラシなどのユダヤ教注解を引用している。これは、なるべく正確な字義的・歴史解釈を下敷きにして、比喩的解釈の確固とした基礎を築こうとしたのである。

ボシャムのヘルベルトゥスはヒエロニュムスのヘブライ語詩篇に関する注解をものしたが、ヘブライ語の知識やラシ注解に基づき、ヒエロニュムスの訳文を修正しようとした。ただし、このユダヤ教聖書解釈への依拠は、ヘルベルトゥスがキリスト教的視点を失ったからというわけではない。あくまで字義的解釈を通じて霊的理解を深めるためであった。他にもラルフ・ニゲル、アレクサンデル・ネッカム、ロジャー・ベーコン、リラのニコラら、多くのクリスチャン・ヘブライストがいる。

イザヤ書6:3には「聖なるかな」と3回書かれていることから、三位一体の証明に用いられることがある。これはキリスト教においては聖餐の祈りといった典礼に用いられる箇所である。一方で、ユダヤ教においても同箇所は典礼の重要句である。イェフダ・ハレヴィは、同箇所がユダヤ典礼における最も聖なる箇所のひとつであるケドゥシャーと関係していることを論じている。このように、同じテクストを神を称えるために用いながらも、ユダヤ人とキリスト教徒は異なった視点を持っていた。

2018年8月28日火曜日

エピファニオスと聖書 Jacobs, "Scripture"

  • Andrew S. Jacobs, Epiphanius of Cyprus: A Cultural Biography of Late Antiquity (Christianity in Late Antiquity 2; Oakland, Cal.: University of California Press, 2016), 1-29, 132-75.
Epiphanius of Cyprus: A Cultural Biography of Late Antiquity (Christianity in Late Antiquity)Epiphanius of Cyprus: A Cultural Biography of Late Antiquity (Christianity in Late Antiquity)
Andrew S. Jacobs

Univ of California Pr 2016-07-05
売り上げランキング : 98283

Amazonで詳しく見る by G-Tools

研究者の間でサラミスのエピファニオスはとかく評判が悪い。彼は反知性的な浅い神学を持った民衆扇動家であり、性格の悪い異端のハンターだと見なされてきた。同時代の教父たちがギリシアのパイデイアに精通しており、その上に新しいキリスト教文化を築こうとしたのに対し、彼は無教養だった。しかしながら、いかにエピファニオスに問題が多くとも、当時の社会に対して大きな影響力を持つ人物であったことに変わりはない。彼を無視して、歴史研究者の関心に適うキーパーソンたち(たとえば、クリュソストモス、カッパドキア教父、アタナシオス、アウグスティヌス、アンブロシウス)のみを取り上げてばかりでは、同じような研究を再生産するだけである。

そこで著者は、エピファニオスを通して、キリスト教古代末期を理解するためのフレームワークを広げることを本書の目的としている。そしてその試みを「文化的伝記」と呼んでいる。なぜなら、エピファニオスの人生を学ぶことで、キリスト教文化の新しい理解を得るからである。多くの教父たちが異教の価値を認め、それをキリスト教化し、対立を解消しようと腐心したのに対し、エピファニオスはそのような対立や分裂には頓着しなかった。

エピファニオスは多作な作家ではなかった。またその作品はアドリブで口語的なギリシア語で書かれており、推敲もあまりされていなかったようである。書簡もわずかに残っているが、彼は書簡で自らの文学的なペルソナを形作ろうとはしなかった。エピファニオスの本領は『パナリオン』や『尺度と重さについて』などの論文で発揮された。

エピファニオスの聖書解釈は、しばしば寓意や比喩的解釈を理解せず、単純な字義的解釈に留まっていると言われてきた。しかしながら、著者はその一見欠点に見える特徴を、世界の知識を統一的に習得することを目指す「古物研究(antiquarian writing)」の伝統から説明する。この伝統は、大プリニウス、ウァッロー、プルタルコス、ゲッリウスから、セビーリャのイシドロスまで連綿と続くものである。彼ら古物研究家たちは、全然関係のない文化材料を取り上げて、その文化のイメージを伝えるフォーマットにまとめた。彼らの著作は乱雑で統一的な原理を欠いていたが、秩序がないわけではない。既存の知識をマッピングし植民地化する帝国のような統合力を持っていた。

エピファニオスの聖書解釈のモードには、古物研究が強く反響している。それは、オリゲネスの哲学的な聖書解釈のような明確な構造を持たず、ガラクタのようにも見えるが、包括的で総合的である。エピファニオスを修辞や哲学のレンズを通してみると、奇妙に直解主義的な字義的解釈や思いがけない逸脱、リスト、数、論理的なギャップが目に付くが、代わりに地理、歴史、政治、教義、名前、引用、断定、予言など多くの情報を得られる。エピファニオスの目的は説得ではなく、カタログを提供することであった。

エピファニオスの論文のひとつである『尺度と重さについて』は、聖書における尺度と重さのみならず、聖書の構造や内容と地名に関しても議論している(2-8)。エピファニオスは、まず聖書の校訂記号(アステリスコス、オベロス、レムニスコス、ヒュポレムニスコス)を説明している。

こうしたエピファニオスの著作は、他の教父たちのように、古典古代をキリスト教化しようとしたわけではない。古物研究的な著作の前では、古典とキリスト教とは結び合わされ、強められているからである。Michael Robertsは、古代末期の詩歌を「宝石に飾られたスタイル(jeweled style)」と呼んだが、著者はこれに倣って、エピファニオスの聖書を「宝石に飾られた聖書」と呼んでいる。そうした意味ではエピファニオスの聖書理解はユニークなものではなく、時代に即している。彼は聖書を知識のソース、また古物研究の対象と見なしたのだった。

2018年8月26日日曜日

ヒエロニュムス『アモス書注解』と『ヘクサプラ』 Dines, "Jerome and the Hexapla"

  • Jennifer M. Dines, "Jerome and the Hexapla: The Witness of the Commentary on Amos," in Origen's Hexapla and Fragments: Papers Presented at the Rich Seminar on the Hexapla, Oxford Centre for Hebrew and Jewish Studies, 25th July-3rd August 1994, ed. Alison Salvesen (Texte und Studien zum antiken Judentum 58; Tübingen: Mohr Siebeck, 1998), 421-36.
Origen's Hexapla and Fragments: Papers Presented at the Rich Seminar on the Hexapla, Oxford Centre for Hebrew and Jewish Studies, 25Th-3Rd August 1994 (Texte Und Studien Zum Antiken Judentum)Origen's Hexapla and Fragments: Papers Presented at the Rich Seminar on the Hexapla, Oxford Centre for Hebrew and Jewish Studies, 25Th-3Rd August 1994 (Texte Und Studien Zum Antiken Judentum)
England) Rich Seminar on the Hexapla (1994 Oxford Alison Salvesen

Mohr Siebrek Ek 1998-08-01
売り上げランキング : 934440

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ヒエロニュムスの釈義的な著作は、アクィラ訳等の諸ギリシア語訳の主たるソースである。ヒエロニュムスと『ヘクサプラ』の関係や、そうした情報にアクセスした方法は明らかでない。彼自身はカイサリアの図書館で使ったことがあると、少なくとも2回述べているが(『テトス書注解』3.9、『詩篇注解』1)。おそらく、聖書本文に注釈がついた『ヘクサプラ』写本を所有していたと思われる。

ヒエロニュムスは、オリゲネスの改訂版七十人訳は、ギリシア語訳の中ではヘブライ語原典により近いものだと考えていた。しかし、彼がどの程度『ヘクサプラ』改訂版を翻訳に用い、また注解で依拠したかについては、いまだ結論が出ていない。本論文はこうした議論について扱うものではないが、『ヘクサプラ』資料が用いられている著作(すべての注解書、翻訳への序文、『創世記のヘブライ語研究』等、聖書本文批評や釈義を扱った『書簡20』や『書簡106』など)のうちでも、特に『アモス書注解』を取り上げている。

『アモス書注解』は、十二小預言書への注解シリーズの最後の注解(406年)である。十二小預言書シリーズを書いていたときのヒエロニュムスの方法論は、基本的に一貫している。ヒエロニュムスの注解の特徴のひとつは、ダブル・レンマである。彼は注解を始まる前に、ヘブライ語テクストのラテン語訳だけでなく、対応する七十人訳のラテン語訳を挙げる(前者はほとんどウルガータと同じ訳文であるが、伝承の過程で同じものに変えられた可能性は捨てきれない)。ただし、彼が一貫して両方挙げるのは『アモス書注解』が最後で、それ以降の『ダニエル書注解』、『イザヤ書注解』、『エゼキエル書注解』、『エレミヤ書注解』では、ヘブライ語テクストと異なるときのみ七十人訳を挙げている。ダブル・レンマにおいては、1節だけの場合もあれば、6節いっぺんに引用する場合もある。

レンマのあとは、ヘブライ語テクストの字義的・歴史的解釈が続く。これはヘブライ語の単語の意味や七十人訳との違いなども含んでいる。そのあとは七十人訳に基づく内的・霊的解釈となる。このときに、視点はイスラエルから新約聖書と教会へ、さらには正統キリスト者への倫理的な励ましや異端への攻撃などになる。字義的解釈から霊的解釈への移行は、アンティオキア学派でもアレクサンドリア学派でもよく見られるが、ヒエロニュムスがユニークなのは、字義的解釈をヘブライ語テクストと、霊的解釈を七十人訳テクストと結び付けている点である。ただし、2つのテクストを組織的に比較しないこともある。ヒエロニュムスは、字義的であれ霊的であれ、自分のあとの説明に資する箇所にしかコメントしないときがある。

テクストの選定に関しては、オリゲネスが諸ギリシア語訳を使うのは、七十人訳の異読のどれが正しいかを決めるためであるのに対し、ヒエロニュムスは、ヘブライ語テクストと七十人訳とのどちらが正しいかを決めるためにそれらを用いる。またヒエロニュムスは緒ギリシア語訳を『ヘクサプラ』の順に引用している。さらに、ヒエロニュムスは翻訳の力学や、翻訳者の読み間違い、そしてヘブライ語テクストの破損の可能性についても言及している。ただし、この当時のヒエロニュムスは視力が衰えていたので、記憶ではなく実際のテクストを使っていたとしたら、アシスタントがいたはずである。

ヒエロニュムスはヘブライ語テクストそのものに(破損以外の)問題があるとは考えないが、諸ギリシア語訳の読みについては問題視することはある。また諸ギリシア語訳は字義的解釈でも霊的解釈でも用いられる。『アモス書注解』では、諸ギリシア語訳のうち、シュンマコス訳が8回、アクィラ訳が5回、テオドティオン訳が2回採用されており、ここからシュンマコス訳が特に重視されていたことが分かる。諸ギリシア語訳の多用から、ヒエロニュムスは『ヘクサプラ』のリソースを利用していたと考えられる。三者以外にクインタも用いていることから、独立したリソースではなく、オリゲネスのコレクションの後継となるものを所有していた可能性が高い。

字義的解釈において、ヒエロニュムスは諸ギリシア語訳を名前を挙げて引用している。これに対し、たとえばオリゲネスは組織的にそうした読みを注解で用いることはないし、名前も挙げず、「他の版(ハイ・ロイパイ・エクドセイス)」と一緒くたに呼んでいる。ディデュモス、ヒッポリュトス、モプスエスティアのテオドロスはほとんど本文に関する議論をしない。エウセビオスは諸ギリシア語訳を引用するが、それらに評価を与えてはいない。

ヒエロニュムスの霊的解釈は、少なくともオリゲネスにさかのぼるような伝統を受け継いでいる。明らかに既存の注解を利用している。『アモス書注解』ではオリゲネスなどギリシア教父に比較対象があまりないのでよく分からないが、ディデュモス『ゼカリア書注解』、オリゲネス『詩篇注解抜粋』や『エレミヤ書説教』などを見ると、ヒエロニュムスがそれらに大いに依拠していたことが分かる。

以上より、ヒエロニュムスの特徴は、ヘブライ語テクストとギリシア語テクストを常に同時に扱っていることといえる。それによって、彼以前の教父たちよりも、テクストそのものに注目している。諸ギリシア語訳は、ヘブライ語テクストとその解釈を追及する中で利用される。ただし、諸ギリシア語訳は字義的解釈と霊的解釈の両方で用いられる。そして字義的・歴史的解釈をヘブライ語テクストに、霊的解釈を七十人訳に帰することも彼独自の発明である。さらに、頻繁に世俗の文化に言及し、古典期のラテン語作家を直接引用することもヒエロニュムスに特徴的である。

2018年8月23日木曜日

オリゲネスの文献学 Martens, "Specialization: The Elements of Philology"

  • Peter W. Martens, Origen and Scripture: The Contours of the Exegetical Life (Oxford Early Christian Studies; Oxford: Oxford University Press, 2012), 41-66.
Origen and Scripture: The Contours of the Exegetical Life (Oxford Early Christian Studies)Origen and Scripture: The Contours of the Exegetical Life (Oxford Early Christian Studies)
Peter W. Martens

Oxford University Press 2014-07-30
売り上げランキング : 47282

Amazonで詳しく見る by G-Tools

オリゲネスの時代から、文学の学術的な研究、すなわち文献学は、よく確立された分野だった。B. Neuschäferは、ディオニュシオス・トラクス『文法学』のスコリアから、ヘレニズム期の文献学の四大実践を紹介し、それをオリゲネスの文献学に当てはめている。すなわち、本文批評(ディオルトーティコン)、声に出して読むこと(アナグノースティコン)、歴史的・文学的分析(エクセーゲーティコン)、そして美的・倫理的評価(クリシス・ポイエーマトーン)である。このうち、歴史的・文学的分析は、さらに次のように4つの下位分野を持っている。すなわち、語の意味を明らかにすること(グローッセーマティコン)、文法的・修辞的分析(テクニコン)、韻律・様式分析(メトリコン)、そして歴史的現実の分析(ヒストリコン)である。

本文批評(ディオルトーティコン)。テクストの不一致が起こるのは、写字生が意図せずに不用意にしてしまったり、疲労のためにしてしまったからということもあれば、悪意を持って意図的にしたからということもある。旧約聖書の本文批評には、あるテクスト内の写本間の不一致を扱う方法と、すべてをひっくるめて諸テクスト(ヘブライ語テクストや諸ギリシア語訳)間の不一致を扱う方法がある。オリゲネスは基本的には前者の方法論に則って、七十人訳テクストの諸写本の不一致を扱ったが、一方でヘブライ語テクストや他のギリシア語訳も参考にしている。

彼の本文批評の成果の代表例が『ヘクサプラ』である。この著作の証言としては、『アフリカヌスへの手紙』と『マタイ福音書注解』がある(他にはエウセビオス、ヒエロニュムス、エピファニオスらの証言がある)。前者では、ユダヤ人との論争のための道具として作ったと述べているが、後者では、いくつもの一致しない「七十人訳」テクストの「修復(イアオマイ)」のために作ったと述べている。ある七十人訳写本がヘブライ語やギリシア語訳テクストよりも量的に「多い」テクストを持っている場合、オベロス記号が振られ、より「少ない」テクストを持っている場合、アステリスコス記号が振られた上で、ヘブライ語テクストと一致した他のギリシア語訳からテクストが付け加えられる。いずれの場合も、さまざまな写本が「修復」されることになる。

歴史的・文学的分析(エクセーゲーティコン)歴史的分析(ヒストリコン)は、問題の事実性を問題とする。つまり、ある出来事が実際に起こったのか起こらなかったのか、あるいは特定の法の字義的な意味が遵守されたのか遵守されなかったのか、といったことを扱う。オリゲネスは、非論理的(アロゴス)だったり不可能(アデュナトス)だったりする例を挙げている。文献学者がある出来事の事実性を確認した後は、自身の教養(エンキュクリオス・パイデイア)を総動員して、当該箇所の説明をする。それはたとえば、地形学、習慣の知識、歴史家の証言、宇宙論、幾何学、鉱物学、動物学、医学、人類学、言語、倫理学、理神論などである。

文学的分析といえるのは、語の意味を明らかにすること(グローッセーマティコン)文法的・修辞的分析(テクニコン)である。前者は、難しかったり知られていなかったりする語を定義することである。そのためによく用いられるのが、固有名詞の語源学的分析や数の象徴的な価値の分析などである。

後者のテクニコンは、重要な語(神など)の定冠詞、文法的な数、時制、破格、不明瞭な文法的な形などに注目する。さらには、言葉のあやや比喩、擬音、誤用、暗喩、逆説、提喩、強調、迂言法、同語反復、誇張、転置法、寓意、省略、同音異義語などにも注目する。論文著者によると、これらに加えてオリゲネスは、話者の特定、シークエンスの順序、そしてより明確な一節から不明瞭な一節を説明することなども試みている。とりわけ最後の方法論は、アレクサンドリア文献学の「ホメロスからホメロスを」という表現に近い、「霊的なものを霊的なものと比べる」(一コリ2:13)という一節に基づいた考え方である。とはいえ、むろんオリゲネスがアリストブロス、フィロン、ヘラクレオン、ヘブライ人教師などに依拠していることも忘れてはならない。

B. Neuschäferは、寓意家としてのオリゲネスを古いイメージとし、新しいイメージとして文献学者としてのオリゲネスを提案したが、論文著者によると、寓意的解釈は文献学的研究の中の一側面である。上で見てきた文献学的方法論は、聖書の寓意的な意味を見つけるためにオリゲネスを助けるテクニックである。オリゲネスにとって、聖書テクストは「字義的」意味と「非字義的」(=寓意的、比喩的、象徴的、霊的、神秘的、深遠な)意味に分かれている。そして文献学は字義的なモードでも寓意的なモードでも実践されるが、それはいつでも文献学なのである。

聖書は二様の伝達で書かれている。語は基本的な指示物を持っているが、また同時に他の指示物を象徴してもいるのである。この二様の特徴が、そのまま字義的解釈と寓意的解釈に対応している。字義的解釈の目的は、基本的な指示物を同定することであり、寓意的解釈の目的は、この別の指示物を同定することなのである。

関連記事

2018年5月23日水曜日

七十人訳とヘブライ語テクスト、寓意的・霊的解釈と字義的・歴史的解釈  Lössl, "A Shift in Patristic Exegesis"

  • Josef Lössl, "A Shift in Patristic Exegesis: Hebrew Clarity and Historical Verity in Augustine, Jerome, Julian of Aeclanum and Theodore of Mospuestia," Augustinian Studies 32.2 (2001), pp. 157-75.

本論文は、旧約聖書の解釈に際して、基準となるテクストを七十人訳とヘブライ語テクストのどちらにするのか、そしてその解釈法はどのようなものであるべきか、といった問題について、4人の教父たち、すなわち、アウグスティヌス、ヒエロニュムス、エクラヌムのユリアヌス、そしてモプスエスティアのテオドロスの特徴を明らかにしたものである。

アウグスティヌスはヒエロニュムスに対し、七十人訳のラテン語訳(=七十人訳版)を作成するようにと繰り返し進言していた。なぜなら、アウグスティヌスにとって、七十人訳は霊感を受けた権威あるテクストだったからである。彼は結局それを得ることは叶わなかったが、ヒエロニュムスによるヘブライ語テクストのラテン語訳(=ヘブライ語版)は手に入れた。そのヘブライ語版を、彼は『神の国』の中で少なくとも6回七十人訳と比較している。ただし、それは異読を知るためであって、あくまでも基礎となるのは七十人訳である(ただし、例外として『キリスト教の教え』4.7.15-21でアモス書の一節を七十人訳なしでヘブライ語版のみを引用している)。ヘブライ語版を引用するのは、文学的・修辞的分析をするためだけである。ただし、その修辞的分析は、神学へと繋がってもいる。なぜなら、預言者たちは雄弁であると同時に神的な知恵を持っていもいるからである。

ヒエロニュムスは、ヘブライ語テクストに基づいたラテン語訳聖書を作成したわけだが、ヘブライ語やヘブライ語聖書の学びは、当時ユダヤ人の専売特許と考えられていたので、彼は親ユダヤと考えられていた。しかしながら、彼の学びは、実際には反ユダヤ・プロパガンダのために行われていた。『創世記におけるヘブライ語研究』において、彼はラビ的教えがギリシア聖書学を凌ぐと述べているが、彼の基本的な考え方によると、「ヘブライ的真理」はギリシア・ラテン聖書学の文献学的・歴史的な誤りを明らかにはするが、より深い霊的なレベルでは、そうした誤りはむしろより高次の真理として明かされるという。それゆえにこそ、彼の注解の「二重見出し」において、ヘブライ語版による引用は歴史的・文献学的解釈を、七十人訳版による引用は霊的・寓意的・予型論的解釈を導く。

アウグスティヌスとヒエロニュムスは結局のところ七十人訳を重視していたが、エクラヌムのユリアヌスはヒエロニュムスのヘブライ的傾向をさらに推し進め、ヘブライ語版のみを重視した。なぜなら、そこに明晰さ、統合性、信頼性があるからである。ユリアヌスにとっての七十人訳版は二次的なものにすぎなかった。ヘブライ語版に依拠して、厳格に修辞的・文学的分析に終始することで、ユリアヌスはテクストの「一貫性(consequentia)」を提示しようとした。この一貫性には、歴史的意味の一貫性のみならず、ときに予型論的意味や寓意的意味の一貫性をも意味する。ユリアヌスにとってのテクストの意味とは、アウグスティヌスよりもヒエロニュムスよりも厳格に、シンプルな字義的なものを指すのだった。ただし、彼の議論の土台はヒエロニュムスのヘブライ語版であり、彼の注解もヒエロニュムスに多くを負っている。

ユリアヌスの字義的・歴史的アプローチは、一方ではヒエロニュムスに由来するものだが、他方ではモプスエスティアのテオドロスにも由来する。ユリアヌスはテオドロスの注解を訳したことが知られているが、ことによるとある時期テオドロスのもとで学んでいた可能性すらある。テオドロスはオリゲネスやディデュモスの寓意的解釈を拒絶し、歴史的解釈に集中した。彼は、七十人訳にあいまいなところがあるのは、それが翻訳だからだと考えていたが、それを明らかにするために、ヒエロニュムスのように後代のギリシア語役者たち、すなわち、アクィラ、シュンマコス、テオドティオンを参照することはなかった。彼にとってテクストが正しいか否かは、その物語の真実味にかかっていた。彼はそれにこだわるあまり、アンティオキア学派において重要なテオーリアすら無視することもあった(テオーリアとは、寓意のように第二段階の意味を導くのではなく、意味の強度を示すことにある)。

関連記事

2018年5月20日日曜日

ヒエロニュムスのユダヤ人教師 Williams, "Lessons from Jerome's Jewish Teachers"

  • Megan Hale Williams, "Lessons from Jerome's Jewish Teachers: Exegesis and Cultural Interaction in Late Antique Palestine," in Jewish Biblical Interpretation and Cultural Exchange: Comparative Exegesis in Context, ed. Natalie B. Dohrmann and David Stern (Jewish Culture and Contexts; Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2008), pp.66-86, 258-63.
ヒエロニュムスはユダヤ人教師から、ユダヤ人、彼らの習慣、そして彼らの聖書解釈を学んでいた。彼の持っている情報は概ね良好である。ここからは、単にある聖書解釈の伝統が別の伝統に影響を与えたことだけでなく、ユダヤ人とキリスト者の直接のコンタクトがあったことを窺い知ることができる。

380年の中期にベツレヘムに移り住むと、ヒエロニュムスはヘブライ語聖書の翻訳と預言書の注解に力を傾注した。そのときに彼が参照したのが、東方教父とパレスチナのユダヤ人の持っていた伝統だった。東方キリスト教の伝統には、直接師事した教父たちや文書を通じてアクセスしたが、ユダヤ人の伝統には、フィロンやヨセフスを除いて文書でアクセスすることはほとんどできなかった。そこで、彼はユダヤ人情報提供者とのコンタクトを取ったのである。

ヒエロニュムスのユダヤ人に対する態度はアンビバレントである。一方で、ユダヤ人教師に師事し、ユダヤ的な聖書解釈に繰り返し従いながら、他方で、当のユダヤ人やその聖書解釈に敵対的なことも書いている。これを単に「ヒエロニュムスは分裂した人格を持っていた」(Benjamin Kedar)と説明するだけでは不十分であろう。ヒエロニュムスがユダヤ文化と西方世界との架け橋になったのは、単に不本意な結果だったのだろうか。

4-5世紀におけるユダヤ人とキリスト者との交流は、かつて考えられていたよりも活発で重要なことだったことが明らかになっている(John G. Gager)。また「ユダヤ人」と「キリスト者」、あるいは「ユダヤ教」と「キリスト教」というカテゴリーは不安定ではっきりしないものであり、完全な別物と考えることはできない。影響関係についても、どちらが影響を与え、どちらが与えられたかを問うことは難しく、むしろ創造的な相互のプロセスだったと考えるべきである(Peter Schaefer)。

とはいえ、論文著者は、両グループが敵対心を持って互いを見ていたことは否定できないし、影響関係にも完全な中立はあり得ないと述べる。とりわけヒエロニュムスの著作は、そうした敵対心があったという社会の現実の証拠を示している。それゆえに、彼の著作を読むために、よりホリスティックで洗練された読み方が必要とされる。

3世紀から4世紀にかけて、「異教」としてローマの伝統宗教は、文化や宗教のリソースとして潜在的な活力をまだ失っていなかった(Peter Brown)。しかしながら、4世紀にキリスト教は国教化する。これは、カルトや蛮族の侵入といった外的要因によって異教が力を失ったからではなく、帝国の内的変化によって起こったものと考えられる。この変化の理由は、司教たちがローマの市民生活のあらゆる領域で自分たちの権威を確立しようとしたことにあるという。こうした前提からミラノのアンブロシウスのキャリアを再解釈すると、彼が皇帝との関係性を強化して自らの司教としての生き残りを模索した様子が浮かび上がってくる(Neil McLynn)。

しかしながら、こうした司教たちの動きは、キリスト者と非キリスト者という明確な分離を生み出した。それまで未分化だったキリスト教と異教とが、355年以降になると、はっきりと分かれてしまった。つまり、キリスト教が確固とした社会的地位を獲得していくに従って、そうでないものとしての異教があらわにされていったのである(Robert Markus)。そしてヒエロニュムスの時代こそは、キリスト教が社会的・文化的に最もはっきりとしたアイデンティティを持っていた時代であった(その後キリスト教は成長を続け、一人勝ちした結果、キリスト教が他を吸収するかたちで再び未分化になる)。

ローマの伝統宗教がそうであったように、ユダヤ教もまたキリスト教にとっての他者であった(Daniel Boyarin)。テオドシウス1世以降のキリスト教皇帝たちがユダヤ人をキリスト教徒と別個のカテゴリーと見なし、「誤り」として区別したことは、ユダヤ人とキリスト教徒との間に法的権利上の大きな差異を生み出した(Seth Schwartz)。ただし、その差異は、キリスト教と異教との差異とは微妙に異なってもいた。異教徒や異端者がキリスト教への改宗を強制されたのに対し、ユダヤ人は社会の周縁に押しやられつつも、改宗を強制されなかったのである。というのも、アウグスティヌスのユダヤ人理解に見られるように、ユダヤ人を悲惨な運命のまま、生かさず殺さずの状況下に置くことで、キリスト教の正しさが証明されるからである。もしユダヤ人がいなくなってしまったら、キリストを拒絶し殺したものたちの後継者として、集合的な罪を一身に背負う存在がいなくなってしまう(Paula Fredriksen)。Schwartzはさらに、礼拝での詩歌であるピユートには、古代末期のキリスト教徒による反ユダヤ的な神学を取り込んだ内容のものが見られると述べる。ヤンナイなどの詩人は、ユダヤ人の衰亡とエドム(=キリスト教的ローマ)の繁栄を対照的に描いている。

さて、ヒエロニュムスが活動を始めた時期には、ユダヤ人とキリスト者の境界線は明確ではなかったが、彼自身がそれを越えてユダヤの聖書解釈を取り入れていくことによって、かえってその境界線は強まった。ヒエロニュムスの大きな業績は、預言書の注解と聖書の翻訳である。彼の注解は、テクストを字義的・歴史的意味と、寓意的・霊的意味に分ける。まずは字義的解釈によって、聖書の歴史的意味を明らかにした上で、それから寓意的解釈によって、聖書の霊的意味を明らかにする(そのときに前者は後者から独立しているのではなく、むしろそれを抑制する)。興味深いことに、彼は、字義的・歴史的解釈をユダヤ的、そして寓意的・霊的解釈をキリスト教的と呼ぶ。これは、それぞれの解釈法で依拠したソースを表しているのではない。なぜなら、彼の寓意的解釈には、明らかにユダヤ教のミドラッシュから取られたものもあるからである(逆もまた然り)。

ヒエロニュムスがユダヤの解釈伝統のカテゴリーに帰しているのは、本文批評、歴史的解釈、そして千年王国説的解釈である。第一に、本文批評に関して、ヒエロニュムスが実際に依拠しているのはオリゲネスの『ヘクサプラ』であるが、彼はそれを常にユダヤ人教師から習ったと主張する。第二に、歴史的解釈は、ヒエロニュムスがユダヤ資料から直接学んだものものあれば、オリゲネスが彼の教師から習ったものを間接的に学んだものもある。また、ユダヤ人のものともキリスト者のものとも限定されない、シリア・パレスチナで共有されていた聖書解釈も含まれていた。

そして第三に、千年王国説的解釈は、神の国が地上に到来することを予言するような解釈のことであるが、これをヒエロニュムスはユダヤ由来とした上で、無意味で不快なものとして紹介している。ただし、やはりこれも実際にはユダヤ的伝統のもののみならず、キリスト教的な黙示的解釈をも含んでいる(テルトゥリアヌス、エイレナイオス、ウィクトリヌス、ラクタンティウス、アポリナリオスなど)。この解釈においてヒエロニュムスが問題としているのは、メシアが到来した未来には、大いに食べたり飲んだり結婚したりすることが許される、といった色欲に関わる事柄が含まれていることだった。修道者である彼は、これらを唾棄すべきものだと考えた。以上のように、ヒエロニュムスは、キリスト教的解釈であっても、彼が同意しないものはユダヤ的と呼んだのだった。

このようにして、ヒエロニュムスがある特定の注解を「ユダヤ的」と呼んだことは、キリスト教とユダヤ教との分化が加速する一因となった。この不当表示は、不当ながら力強いものであり、単なる修辞を超えて、のちに司教や帝国の権力と結びつくことで、既成事実となったのである。