2015年11月3日火曜日

フィロンにおける魂の上昇 Schäfer, "Philo: The Ascent of the Soul"

  • Peter Schäfer, The Origins of Jewish Mysticism (Tübingen: Mohr Siebeck, 2009), pp. 154-74.
The Origins of Jewish MysticismThe Origins of Jewish Mysticism
Peter Schafer

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哲学者としてのフィロンは独自の思想家ではないが、中期プラトン主義、中期ストア派、新ピタゴラス主義を折衷した思想を持っているばかりか、のちに新プラトン主義と呼ばれることになる思想の萌芽すら持っている。ただし、ラビ・ユダヤ教文学における影響はほぼ皆無であり、後代のユダヤ思想家によるフィロンへの言及は、16世紀のアザリヤ・デイ・ロッシを待たなければならなかった。

フィロンの神概念。フィロンにとっての神は、プラトン的な用語のト・オンで表されるような完全に超越的な神である。『律法詳論』において、フィロンは、神が存在するか、神の本質とは何かという問いを立てる。第一の問いについては、現実世界がいかに秩序だっているかを見れば、それが理性を持った何かによって前もって計画され、創造されたことが分かるという。第二の問いについては、究極的に人は神の本質を見ることはできないと答える。代わりに、不可知で、到達不可能で、そして超越的な神の栄光を表す力(デュナミス)を見ることができるのである。またこの神の力によって創造された、永遠かつ不変のイデアの宇宙が、人間の知性(mind)によって認識されうる可知的世界(intelligible world/kosmos noetos)である。一方で、人間の感覚(sense)によって知覚されうるのは、可感的世界(sence-perceptible [visible] world/kosmos aisthetos)である。フィロンは、可知的世界を兄、そして可感的世界を弟としつつ、可感的世界は可知的世界のコピーであると説明している。

この神の力を代表するのが、ロゴスとソフィアである。ロゴスは、可知的世界の起源に関わる力である。神はロゴスという創造的な力を用いて、建築家のようにまず可知的世界を思い浮かべ、それからソフィアを用いて可感的世界を作るのである。可感的世界は、父としての神と、母としての知識(エピステーメー=ソフィア)とが一つになることで生まれた若い方の息子なのである。年長の息子は、神とロゴスとの子である可知的世界である。ただし、これはソフィアの方がロゴスより劣ることを意味するのではなく、存在論的に両者は同一だと見なされる。

肉体と魂、感覚と知性。聖書において、肉体と魂との区別というのは重要ではなかったが、ヘレニズム期になるとギリシア思想の影響で、両者が区別されるようになった。フィロンは、悪しき肉体が魂を閉じ込めていると考えた。普通の人間は、最も気高い部分である魂や知性ではなく、肉体にかかずらってしまっているが、魂は本当の哲学を持ち、不滅かつ非物質的な存在を部分的に持っている。ここで、フィロンは魂(soul)と知性(mind)とを同じような意味で用いているが、魂がより広義の意味を持つのに対し、知性は魂のうちでも特に理性的な部分のみを指している。この知性によって、人間は可感的世界を超えて、イデアの可知的世界につながることができるのである。ロゴスやソフィアが超越的な神の反映であったように、人間の知性もまたロゴスやソフィアの反映になっている。すなわち、神のロゴスと人間の知性(ロゴス)とは密接に関わっているのである。この神のロゴスは、哲学者の知恵とは異なり、教育によって獲得できるものではなく、self-inspiredかつself-taughtなものである。

魂が見る神。預言者は、神を見ることのできる特権を有する存在である。フィロンによると、太陽が我々の知性であるとすると、昼は通常の状態であるが、日没になると、エクスタシー、神的憑依、霊的狂乱が訪れるという。言い換えれば、フィロンは神の光は人間の光と反発し合うものではなく、神の光が預言者に訪れると、人間の知性は肉体から退くのである。すなわち、人間の知性は段階的に上昇して神の光に至るのではなく、まったく別物に入れ替わるということである。

預言者の中でも最も重要なのは、言うまでもなくモーセである。出24:2の解釈において、モーセは神のそばもとに近づける唯一の預言者であり、彼の側近であるアロン、ナダブ、アビフらはモーセと共に山に登ることは許されたが、神の近くにはいけない者たち、そして民衆は山のふもとにいなければならない存在であると解釈されている。モーセの神的かつ霊的な預言者の知性は、肉体と魂という二項対立を離れ、純粋な知性である単一の実体、すなわちモナドへと変化する。アルメニア語訳でのみ残されている『出エジプト記問答』においては、この二項対立から統一体へ、肉体と魂から純粋な魂へ、そして可死の世界から不死の世界へと至るモーセの変化は、モーセの存命中に起こったとさえ説明されている。とはいえ、神の高みへと至ることができるのはモーセだけではなく、正しい手順を踏めば、いかなる人も同様に純粋な魂を持つことができるという。

『世界の創造』によると、魂は、憑依状態になったコリュバンテスのように、神によって神的な狂乱に満たされると、可感的世界を離れ、神のロゴスによって創造された可知的世界へと至る。そして魂は神を見ようとするが、その願いはかなわない。魂は神の光の奔流によって目をくらまされ、何も見えなくなってしまうのである。『アブラハムの移住』によると、フィロン自身もこうした経験をしたことがあり、哲学的な著作もまた、真の預言者のように神的な霊感を受けた者のみが書くことができると述べている。

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