ページ

2016年5月7日土曜日

寓意的解釈の歴史 Tate, "On the History of Allegorism"

  • J. Tate, "On the History of Allegorism," Classical Quarterly 28 (1934): 105-114.
前5世紀後半に文学の寓意的解釈が始まった理由としては、ホメロスとヘシオドスが非倫理的であるという当時の批判(特にプラトンによる)に対し、彼らを擁護するためだったという点がしばしば挙げられる。しかし、論文著者は、寓意的解釈の始まりはこのような消極的・護教的な理由ゆえではなく、もっと積極的・解釈学的な理由ゆえであると主張する。

後代の解釈者たち(クセノファネス、ピタゴラス、エンペドクレス、ヘラクリトスら)、特に哲学者たちは、ホメロスとヘシオドスとをあたかもひとつの学派であるかのように扱い、一緒くたに批判した。哲学者が詩人に敵対するようになったのは、ただその教えに関する批判からだけではなく、そのスタイルや使う言葉からでもあった。というのも、パルメニデスやエンペドクレスのような哲学者にとって、詩のスタイルは哲学的な真理を表現する方法でもあったからである。

こうして、哲学者は詩と神話とを専有しようとした。その理由は、第一に、ホメロスやヘシオドスによる神話の利用を神秘的に表現された神学と混同したから、そして第二に、彼らは古い神話を自分たちで考えた新しい神話に取って代わらせようとしたからである。彼らは推理的な理性の助けで真理を正確に述べることができないとき、それが自分の哲学的な主張であっても、神話の言葉を用いて語ったのである。そうした点で、プラトンは、ホメロスとヘシオドス同様に、彼らの敵であったヘラクリトスをも同様に批判した。

哲学者たちは、もともとはホメロスの作品を学んだ者たちであった。自分たちの哲学を作り上げていく中で、かつて学んだホメロスやヘシオドスを批判するようになったのである。哲学者たちは、詩人たちが哲学を教えるために、いかに巧みに神話を用いていたかを知っていた。しかし、哲学者たちにとって、その教えは多くの誤りをも含んでいたために、彼らは神話を合理化し、書き換えることによって、それを正そうとしたのである。そしてその方法こそが寓意的解釈であった。すなわち、哲学者が詩人の作品を長く学んでいたことと、彼らが自身の哲学的な洞察力を発展させていたこととが、寓意的解釈の始まりに大きく影響しているのである。

論文著者によれば、寓意的解釈とは、哲学者たち詩人の言葉の中で本当に語られていると考えている教えを敷衍し、より明確にするために用いられた方法である。そのために、最初は半分神話的な言葉を用いていたが、次第により科学的な言葉を用いるようになった。このことから、寓意的解釈は、従来考えられていたように詩人の非倫理性を擁護するという消極的な理由から始まったものではないといえる。このように始まった寓意的解釈であったが、これを初めて護教的に用いた者としては、レギウムのテアゲネスが挙げられる。他にも偽プルタルコス、キケローにおけるバルブス、コルヌートスらも護教的な寓意的解釈者であった。

論文著者は、寓意的解釈を三種類に分けている。第一に、「歴史的な(historical)」解釈は、詩人が意図していたような意味で詩を解釈することである。詩人の意図をあえて曲解するような解釈は「偽歴史的」な解釈と呼ぶことができる。プラトンの時代以前の寓意的解釈は、この偽歴史的な解釈であったと理解することができる(この方法はストア派に受け継がれていくことになる)。歴史的な解釈において、詩人は神話やシンボルを通じて現実についての真理を表現する賢者として理解される。

第二に、「本質的な(intrinsic)」解釈は、詩人の言葉を彼の意図から離れ、言葉の実際の意味やシンボリズムに従って、客観的に解釈することを指す。この解釈において、読者は詩人よりもその詩の内に秘められた意味を理解していると主張することができる。

この寓意的解釈における歴史的な解釈と本質的な解釈とは、特にポルフュリオスのような新プラトン主義の解釈者においては両方用いられることがあった。それゆえに、彼らにとっては、そもそもホメロスとプラトンとが調和する必要はなかった。なぜなら、彼らは詩と哲学とが同じことを語っていると考えていたからである。しかし、新プラトン主義的な解釈は、もともと新プラトン主義者である者にしか正しく理解されないという難点もあった。

第三の解釈は、「人工的な(artificial)」解釈であり、これは歴史的でも本誌的でもない詩人の言葉を解釈するものである。この解釈においては、詩人の言葉はいかなる目的にも適用されるため、ある意味では偽歴史的解釈と同じものであるともいえる。この解釈の代表例としては、プラトン(とソクラテス)、ストア派、そしてプロティノスが挙げられる。

詩の教訓主義は、詩人の神的な知恵によって裏付けられている。ただし、この神的な知恵とは、詩人自身の知恵によって語られるものと、それと反対に、預言や信託のように神から直接与えられるものとが考えられる。論文著者は、詩人自身の知恵によって書かれた詩を歴史的な寓意的解釈から来るものとし、一方で預言のように霊感を受けた詩を本質的な寓意的解釈から来るものと見なしている。ホメロス自身は霊感によって自分がコントロールされたことはないと述べている。ヘシオドスも同様である。ゆえに、ホメロスにしてもヘシオドスにしても、詩人が超自然的な力の受動的な入れ物であるとは考えないのである。プラトンやストア派もまた、詩人とは霊感を受けたからではなく、才能と正しい教育によって作品を書いたと考えた。しかし、新プラトン主義者たちは、詩人を予言者として理解することになる。

0 件のコメント:

コメントを投稿