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2015年2月26日木曜日

ラビ聖書の歴史 Barry Levy, "Rabbinic Bibles, Mikra'ot Gedolot, and Other Great Books"


本論文は、ユダヤ教のラビ聖書の成立と発展について概観したものである。まず、著者は「ラビ聖書(Rabbinic Bibles)」と「大聖書(Mikra'ot Gedolot)」とについて、それぞれの本来的な意味を説明する。前者が全聖書文書とその注解を意味するのに対し、後者は聖書の全文書あるいは部分を文字どおり大きな版(フォリオ)で作成したものを意味する。つまりここでの「ガドール(大きい)」とはサイズの問題である。これに加えて、より小さいサイズで五書とその注解のみで構成されるものとして、「ラビ五書(Rabbinic Pentateuchs)」がある。ラビ五書はラビ聖書より以前から親しまれていた。しかし19世紀になると、小さなサイズのラビ聖書でも大聖書と呼ばれるようになった。ここにおいて、「ガドール」は「偉大な」の意味に変わり、現在に至る。

最初のラビ聖書は1517年に出版され、続いて1524年に第二のラビ聖書が新たに出版された。ラビ聖書は、その読者がどのようにして聖書の適切な学びをしていたかを教えてくれる。ラビ聖書には同じ注解がいつも収録されるわけではないが、初期のラビ聖書(1517-1619)によく採用されたのは、ラシ、イブン・エズラ、ラダック、ラルバグらの注解であった(イブン・エズラは最初のラビ聖書には入らなかった)。中世以降の版で採用されたものとしては、アブラハム・ファリッソルのヨブ記注解とダヴィッド・イブン・ヤフヤの箴言注解があるが、定番にはならなかった。こうしたことから、ラビ聖書の特徴としては、中世初期の聖書注解が中心となっていることが挙げられる。さらにこれらの注解者たちは二つの特徴がある。第一に、方法論はさまざまだが、トーラーのみならず全聖書文書に対して関心を向けること、第二に、聖書注解者であるのみならずタルムード注解者でもあることである。第二の点に関して、ラダック、ラルバグ、ヴィルナのガオンなどはタルムード注解者であるが、ヨナ・イブン・ジャナハやイブン・エズラはそうではなかったため、後者は規範的なラビ的解釈ではないと考えられることもあった。

1517年にフェリクス・プラテンシスによって編集された最初のラビ聖書は、母音記号と詠唱記号のついた聖書本文、タルグム・オンケロス(五書)、タルグム・ヨナタン(預言書)、ラシ注解(五書とメギロット)、ラダック注解(預言書と詩篇)、ラルバグ注解(ダニエル)、ナフマニデス(ヨブ記)などが収録されていた。1524年にヤコブ・ベン・ハイムによって編集された二番目のラビ聖書は、完全なマソラーとイブン・エズラ注解を含み、以降のラビ聖書のモデルとなった。両者の最も大きな違いは、1524年版においては、すべての聖書文書に対して複数の注解が参照できるようになった点であり、それによって読者は多角的な聖書の読み方をできるようになった。印刷技術の向上によって、より多くの情報をひとつの頁に詰め込めるようになっていった。特に、1724年にアムステルダムで出版された『ケヒロット・モシェ』は八つの注解をも収録できた。

ラビ五書はラビ聖書よりも手軽であり、ラビ聖書を作成するときのモデルともなった。三種のタルグム(オンケロス、偽ヨナタン、フラグメント)、ハフタロット(週ごとの預言書箇所)、613の戒律、礼拝テクスト、タルグムや中世聖書解釈へのスーパー・コメンタリーの付加などは、最初にラビ五書に施された。1858年にウィーンで出版されたラビ五書は、のちに定番となる1907年にヴィルナで出版されたラビ五書のモデルとなった。これらのラビ五書は、ラビ聖書よりはるかに多くの注解を収録している。のちには、ヴィルナ版ラビ五書(1907年)とワルシャワ版ラビ聖書(1860年)の預言書および諸書部分を合わせたハイブリッド・ラビ聖書も作成された。

ラビ聖書が含まないものとしては、以下のものが挙げられる。ラビ・ユダヤ教以前(ヘレニズム期)の注解(ギリシア語だから)、ゲオニームやカライ派の注解(アラビア語だから)、ミドラッシュ集(ラビ聖書の作成時期がミドラッシュに重きを置かない時期だったから。例外もある)、ユダヤ哲学者の注解(ラダックやラルバグなどの哲学的な注解はある)、カバラー注解(ナフマニデスやイブン・アタルなどのカバラー的注解はある)、ハシディズム注解。

問題がある記述を検閲されたり、読者に望まれなくなったりしたために、排除されてしまう注解もあった。イブン・エズラのイザヤ書注解、ラダックの前預言者注解の序文、ノルツィの五書に関する『ミンハット・シャイ』などである。逆に、ラシュバムの注解は20世紀になって初めてラビ聖書に加えられるようになった。

ラビ聖書の成立にはキリスト教徒の存在も欠かせなかった。しばしばユダヤ人は宗教的な書物を印刷することができなかったので、キリスト教徒の出版人が代わりに教会の許可を得て出版することがあった。ダニエル・ボンベルグは宣教的な目的もあり、多額の金を払って出版許可を得ていた。キリスト教徒たちは、自分たちのためとユダヤ人のためにラビ聖書を含むユダヤ教文書を出版していたのである。ここで考慮に入れるべきは、ラビ聖書に収録された注解の選択におけるキリスト教徒の影響である。ラダックの注解はキリスト教徒の人気が高かったことが知られている。逆にオバディア・スフォルノはキリスト教徒にはあまり人気がなく、初めてラビ聖書に収録されたのは、ユダヤ人のみによって初めて出版された1724年のラビ聖書においてだった。レカナティの神秘主義的注解は、ラテン語訳がよく読まれていたにもかかわらず、収録されなかった。

イスラエルで最初に出版されたラビ聖書は『トーラット・ハイーム』である。これは聖書本文はアレッポ写本および関連の写本に拠り、オンケロス、『セフェル・ハヒヌーフ』、10の注解(サアディア、ラベイヌ・ハナネル、ラシ、ラシュバム、イブン・エズラ、ラダック[創世記]、ナフマニデス、マハラム・トーテンベルク、ヒズクニ、スフォルノ)が収録されている。オンケロスとラシュバム以外は、出版社モサッド・ハラヴ・クックから、それぞれ独立した校訂版も出版されている。『トーラット・ハイーム』はすべての注解を通常のヘブライ文字で印刷した初めてのラビ聖書である。これにより、読者によって便利になり、より読みやすくなった。ただし、多くの注解の序文を省略してしまっているので、最上のラビ聖書とは言えない。またサアディア、マハラム、ラベイヌ・ハナネルは『トーラット・ハイーム』において初めてラビ聖書に収録された。ただし、代わりに『バアル・ハトゥリーム』、『オール・ハハイーム』、『ケリ・ヤカル』、そしてヴィルナのガオンの注解は落とされてしまった。これは収録する注解の上限を16世紀に定め、ラビ聖書の伝統どおり中世を主軸にしたことによる。いうなれば、『トーラット・ハイーム』においては、説教学、普遍性、そして19世紀や20世紀の注解でアップデートするチャンスなどは、中世のプシャット主義の犠牲となったのである。この版が流通することで、説教的、ハシディズム的、ミドラッシュ的な注解が日の目を見なくなってしまった。

ちなみに、本論文が出版された当時には存在しなかった最新のラビ聖書として、バル・イラン大学の『ミクラオット・グドロット・ハケテル』がある。このケテル版はまだ完成されていないが、注解者たちの序文を含む、より完全なラビ聖書を目指している。

2014年10月5日日曜日

聖書解釈者としてのイブン・エズラ Sarna, "Abraham Ibn Ezra as an Exegate"

  • Nahum M. Sarna, "Abraham Ibn Ezra as an Exegate," in Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath, ed. Isadore Twersky and Jay M. Harris (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1993), 1-27.
Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath (Harvard Judaic Texts and Studies)Rabbi Abraham Ibn Ezra: Studies in the Writings of a Twelfth-Century Jewish Polymath (Harvard Judaic Texts and Studies)
Isadore Twersky

Harvard University Center for Jewish Studies 1993-01-01
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日本ではスピノザ『神学・政治論』の「ネタ元」として知られているアブラハム・イブン・エズラ(1092-1167)は、ミクラオット・グドロットではおそらくラッシーの次によく参照される聖書解釈者である。スペインにおいて、「星の巡り合わせの悪いとき」に生まれた彼は、パトロンの庇護を受けて生活していたため、次々と新しいスポンサーを求めて諸国を遍歴することになった。しかしそうした遍歴生活によって、さまざまな知識を得ることができたともいえる。またイスラーム・スペインからローマをはじめとするキリスト教諸国へ移動したために、彼はアラビア語ではなくヘブライ語で著作を残した。これが現在でも彼の著作がよく読まれている一つの要因といえる。

驚くべきことに、彼が著作活動を始めたのは50歳になったときだった。なぜ50歳から書き始めたのかは明らかではないが、その少し前に病気をしたから、あるいはローマで異端として告発されたので異端ではないことを証明したかったから、などさまざまな理由が考えられる。彼が残した注解は聖書すべてをカバーするものではない。現存するのは五書、イザヤ書、十二小預言書、詩篇、ヨブ記、メギロット(エステル記、コヘレト書、雅歌、哀歌、ルツ記)のみである。しかし彼は他にもヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、エレミヤ書、エゼキエル書、箴言、エズラ・ネヘミヤ記、そして歴代誌の注解も書いたと述べている。

彼は他の中世聖書注解者の誰よりも聖書解釈の歴史に対する知識が深かったといわれる。彼はトーラー注解の序文において、彼以前の聖書解釈を批判的に4つのタイプに分けている。
  1. ゲオニーム:世俗の科学の成果を過剰に含んでいる。
  2. 異端カライ派:伝承と口伝律法を否定し、恣意的な解釈をしている。
  3. キリスト者:聖書にエゾテリックな意味を求め、主観的・寓意的な解釈をしている。
  4. キリスト教世界におけるユダヤ聖書解釈:タルムード賢者たちの説教を字義的に取り、ヘブライ語文法を無視している。
彼自身の聖書解釈の方針は、文法的、文献学的、そして文脈に即した研究を基にした(grammatical analysis and intellectual acceptability, p. 6)、テクストのストレートな解釈であった。しかし同時に、トーラーにおけるハラハー上の問題に関しては、賢者たちの解釈の権威を認めていた。当時聖書写本の正確さでずば抜けていたスペインで育ったイブン・エズラは、所与の聖書本文をそのままで解釈することを目指した。そのため、彼は当時すでに写本に記されていた「写字生の修正(ティクネ・ソフェリーム)」を無視することもあった。また彼は、テクストの破損や改訂の必要性を仄めかすヨナ・イブン・ジャナハの「置き換え理論(substitution theory)」にも激しく反対した。むしろ彼は、聖書における語の用法、スタイル、レトリックに注目し、またヘブライ語の文法に依拠することで難局を乗り切ることを目指したのである。彼はヘブライ語や聖書のスタイルとして次のような特徴を指摘している。
  1. 省略(ellipsis):冗長な言葉を省略できる。
  2. 転置・逆転(transposition, invert):語順、節順、エピソード順が逆転する。
  3. 並置(juxtaposition):節と節との並置には何らかの関連した意味がある。
  4. キアスムス(Chiasmus):二つのものが言及されるとき、二度目には二つ目が先に言及される。
  5. 間隔を置いた要約的反復(resumptive repetition following an interval or interruption):ある出来事が言及されたあとに、しばらくして同じ出来事に言及することがある(出14:8,9; Ex 20:15, 18; Num 32:2, 5)。
イブン・エズラは、カライ派を批判していたことからも分かるとおり、口伝律法を重視する立場を取る。特に、聖書におけるハラハー的な箇所については、賢者たちの伝承に依拠している。一方で、ハラハー以外の箇所については賢者たちの解釈に遠慮なく批判を加えた。彼は、代々伝えられてきた伝承(カバラー)と、賢者たち自身がロジックや討論の実践によってテキストから導き出した事柄(セヴァラー)とを厳密に区別していたのである。そして場合によっては、ラビたちの見解をまったく否定することもすらあった。

さらに、彼の傾向として、タルムードより後代のラビ的解釈にはほとんど重きを置かなかった。彼はサアディア・ガオン、ヨナ・イブン・ジャナハ、サムエル・ベン・ホフニ、ラッシーをはじめ、40人ほどの先行者たちに言及しているが、そのほとんどを、莫迦にした枕詞をつけて紹介している。特にカライ派と、ヒッウィー・アル・バルヒ(9世紀)と某イツハキに対しては容赦がない。ただ彼がこうした聖書解釈者たちを単に捨て置かず、いちいち名を挙げて批判しているのは、裏返せば彼らの著作がイブン・エズラ当時よく読まれていたことの証左でもある。スピノザへとつながっていく彼の「本文批評」の意識は、こうした「文壇」事情に促されるかたちで形成されていったともいえる。

そうした「本文批評」の意識の中で、イブン・エズラは聖書中のアナクロニズムに注目した。申命記32章はモーセを三人称で描いているが、これは、五書の著者はモーセだとする当時の見解に矛盾する。彼はこの箇所を後代の付加だと見なしている。これは、なるべく聖書本文をそのままのかたちで意味が通るように解釈するという彼の基本方針に反するようにも思える。実際Sarnaも、「It is hard to establish the criterion by which Ibn Ezra differentiated acceptable from inadmissible anachronisms, p. 19」と述べている。彼はまた、モーシェ・ハコーヘン・イブン・チキティラ(1080年没)の影響下で、イザヤ書の複数著者説に言及している。

最後に、イブン・エズラの聖書解釈の特徴として、注解することで自身の哲学を開陳しているということが挙げられる。彼は晩年に哲学に特化した小品をものしてはいるが、彼の哲学はむしろ注解の中から導き出される。それによると、彼はソロモン・イブン・ガビロールに影響を受けた新プラトン主義者というのが定説になっている。