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2019年9月28日土曜日

エノク派とクムラン教団 Collins, "'Enochic Judaism' and the Sect of the Dead Sea Scrolls"

  • John J. Collins, "'Enochic Judaism' and the Sect of the Dead Sea Scrolls," in The Early Enoch Literature, ed. Gabriele Boccaccini and John J. Collins (Supplements to the Journal for the Study of Judaism 121; Leiden: Brill, 2007), 283-99.

『エノク書』の最古の写本は死海文書中からいくつか発見されている。それどころか初期のエノク的文書はクムランの党派的文書と類似性を持っている。超自然的な力への興味や選ばれたグループの歴史神学については、「週の黙示録」(『エノク書』93:1-10, 91:11-17)や『動物の黙示録』(『エノク書』85-90)に見られるが、これらは『ダマスコ文書』の冒頭と比較できよう。ここから、そしてクムランの党派的文書の著者たちはエノク的文書に親しみ、影響を受けていたと見なされている。Gabriele Boccacciniによれば、エノク派ユダヤ教とはエッセネ派の主流のことであり、クムラン共同体はそこから出た過激派だという。論文著者はこの見解に反対している。

死海文書を書いた集団はエッセネ派だとされてきた。エッセネ派仮説の最も強力な基礎は『共同体の規則』におけるヤハドの描写である。つまりエッセネ派仮説はこのように共同体の構造について語る文書によるものであって、エノク的文書のようにそれをしない文書からの影響は希薄である。またプリニウス、フィロン、ヨセフスらのエッセネ派に関する記述はヘブライ語の規則本と完全な一致を見ない。

死海文書に描かれているのはマカベア諸書に描かれているハシディームであるという説も出てきた。これは党派の起こりがハスモン家による大祭司制に対する反発と関係しているという状況証拠に基づく見解である。そして研究者の中には、ハシディームは『エノク書』の黙示録的部分やダニエル書の著者であると考える者もいる。つまり、エノク文学の伝達者はクムラン共同体の先行者だとする見解である。しかしながら、ハシディームに関する言説は極めて仮説的であり、またマカベア諸書におけるハシディームへの言及が黙示録的アイデアを含んでいない。

Hartmut Stegemanは悪の祭司と偽りの人とを区別し、偽りの人はハシディーム、その支持者はのちのパリサイ派であり、一方で義の教師の支持者はエッセネ派であると主張した。Stegemanによれば、クムラン共同体は義の教師による運動と同一視できず、義の教師が設立した「エッセネ派ユニオン」とでもいうべきもののひとつに過ぎない。Stegemanはエノク派文学については触れていない。

Jerome Murphy-O'Connerは、『ダマスコ文書』の「ダマスコ」は実際のダマスコではなくバビロニアの暗号だと主張したことで知られている。彼は、義の教師の支持者も偽りの人の支持者も共にエッセネ派であるが、前者が砂漠に赴いてクムラン共同体を設立したのに対し、後者は非クムラン的なエッセネ派となった。彼の見解は『共同体の規則』がクムラン共同体だけのものだと無批判に受け入れてしまっている。

Philip Daviesは『ダマスコ文書』はクムラン共同体に先立つエッセネ派共同体だと考える。つまり、エッセネ派をクムラン以前とし、クムランのエッセネ派はエッセネ派の主流派からの派生と捉えるということである。Florentino Garcia MartinezやAdam van der Woudeは、エッセネ派の起源とクムラン共同体の起源を区別する。後者はエッセネ派運動の内部で起きた分派だったというのである。

Gabriele Boccacciniは、エッセネ派はクムラン共同体のみならずエノク派ユダヤ教をも含むと主張した。ここでの「エノク派ユダヤ教」とは、彼の師Paolo Sacchiの言う「黙示録的」とほぼ同義で、悪とは人間の選択能力に先立って自立的にあるものだという「生成的アイデア」によって特徴付けられる。「エノク派ユダヤ教」はエノク文学だけにあるのではなく、エノクが中心的な人物ではない文書、たとえば『ヨベル書』『十二族長の遺訓』『第四エズラ記』にも見られる。一方でダニエル書やヨハネ黙示録などは入らない。「エノク派ユダヤ教」は前4~3世紀におけるユダヤ祭司制の分裂に起因するからである。この分裂はクムラン共同体とエッセネ派の主流派を分け、前者は後者を無視したのだった。フィロンとヨセフスはこのうち主流派について語り、プリニウスはクムランのグループについて語った。Boccacciniが言うように、エッセネ派とクムラン共同体を同一視することができないこと、またエノク派ユダヤ教とヤハドには重大な思想的つながりがあることは正しいが、論文著者によれば、すべての議論を受け入れることはできない。

論文著者の見解では、『共同体の規則』はクムラン共同体だけの規則ではなく、エッセネ派全体のためのものである。ヤハドは単一の共同体ではなくさまざまな共同体に住む人々の連合である。「完全な聖性の人々」の住むクムランはヤハドのうちでもエリートの住むところであった。クムランでは他の定住地と同じ律法と規則が遵守されていたが、より高次の完全さが求められたのである。『共同体の規則』がクムランの規則で、『ダマスコ文書』が非クムランのエッセネ派の規則、といったような区別はなく、どちらも諸共同体のネットワークを前提としていた。ここから、クムランと前クムランや、クムランと非クムランを区別することはあまり意味がないことが分かる。1QS 8にある一節を除いてクムランのみを前提とするような記述はない。

論文著者は、共同体生活の規則を含まない『ヨベル書』のようなエノク派文学に「エッセネ派」というラベルを用いるのは適当ではないと主張する。というのも、『ダマスコ文書』や『共同体の規則』のような規則文書をエッセネ派に結びつける基礎として、ひとつの場所に限られないという特徴がある。エッセネ派運動はひとつ以上の生活スタイルを許容するのである。

エノク派文学も死海文書(『ダマスコ文書』)も、マカベア戦争前夜にある特定のグループができたことを描いている。エノク派文学に見られる黙示的世界観、天使と悪魔の戦い、裁き、性的な関係の存在しない天使的世界ゆえの結婚の否定などといった諸特徴は、死海文書にも見られる。Boccacciniによると、クムランとより大きなエッセネ派運動との違いは、天使や人間の自由意志の否定であるというが、論文著者はそうした黙示的な世界観はダニエル書にも共通することから、両者の違いの決定的なポイントではないと考える。それよりも重大な違いは、カレンダーと律法の問題である。

エノク派文学もクムラン党派的文書も(ダニエル書と異なり)1年を364日とする太陽暦を採用しており、このことは神殿への批判的態度を意味する。この点で両者にはつながりがあるように思えるが、律法への態度が異なる。『ダマスコ文書』も『共同体の規則』もモーセのトーラーをきわめて重視するのに対し、エノク派文学ではモーセではなくエノクガ啓示を伝える者として描かれる。「動物の黙示録」が聖書物語のパラフレーズであることから、エノク派がトーラーを知らないわけではないが、中心的な位置を占めることはない。Boccacciniは『ヨベル書』を引き合いに出すが、同書をエノク派文学に入れることができるかは疑問である。

エノク派ユダヤ教と、死海文書に示される党派的運動とに密接な関係があることは疑いない。しかしながら、エノク派ユダヤ教と『ダマスコ文書』の共同体を単純に同一視することはできないし、エノク派ユダヤ教をエッセネ派と同一視することもできない。しばしば第二神殿時代のユダヤ教をツァドク派対エノク派などの二項対立に落とし込む傾向があるが、歴史的現実は常に、我々が求めるよりもきちんとしてはいない。

関連記事

2017年9月13日水曜日

クムラン共同体 Vermes, "The Community"

  • Geza Vermes, The Complete Dead Sea Scrolls in English (Fiftieth anniversary edition; London: Penguin Books, 2011), pp. 26-48.
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クムラン共同体の人々は自分たちは真のイスラエルを体現していると考えていた。『共同体の規則』において、この宗派は、「共同体」あるいは「共同体の評議会」として自らを規定している。彼らは食事や祈祷などを教導で行なっていた。彼らの祈祷はエルサレム神殿のそれとは別物として行なわれていた。

『共同体の規則』によれば、人々は瞑想を行なったようだが、これは当時のユダヤ教の伝統では珍しいことだった。また人々は二つの霊――正しい霊と偽りの霊――の知識に通暁することを期待された。『共同体の規則』に組み込まれた「二つの霊に関する指導」という神学書を読み、光の子と闇の子の区別を学ぶのだった。

共同体のリーダーシップを取ったのは大祭司の家系であるツァドク派の者たちである。この祭司たちは共同体でのどの集まりにも出席することが求められていた。この祭司のうち、マスキールと呼ばれる者が共同体を指導した。共同体の評議会は、12人の平信徒と3人の祭司から構成されていた。評議会では、律法、現在の商取引、新規加入者の受け入れや拒否、係争中の裁判などが議論された。

『共同体の規則』において、追放刑にされる行為は以下の5つである:第一に、一字一句でもモーセ律法に違反したとき、第二に、神聖な神の名を口にしたとき、第三に、評議会を抽象したとき、第四に、共同体の権威に対して謀反を企てたとき、そして第五に、評議会の委員となって10年経っても心が頑なであるとき、である。その他にも、2年以下の苦行によって許される違反、1年以下(6ヶ月、3ヶ月、30日、10日など)の懲役で許される違反などがある。

共食の食卓はクムランの日常生活にとって重要なものである。人々は食事の前に沐浴をしたようである。そして食卓が準備されると、祭司が祝福し、それから食事が始まる。彼らが飲んでいた「ワイン」は、発酵前のぶどうジュースであったかもしれない。

共同体に入会するためには、2年間、あるいはそれ以上の年月の試験を経なければならない。最初に共同体の守護者との面接がある。その後に誓いを立てると、共同体の規則について指導を受ける。最後に再び評議会で吟味され、受け入れられるか否かが決まる。そこで受け入れが決まっても、次の1年はまだ完全には受け入れられていない。厳格な清浄規定ゆえに、まだ食器などに触ることが許されないのである。それゆえに共食の食卓につくこともできない。その1年が終わると食器には触れるようになるが、より汚れやすいと考えられていた液体に触ることはまだ許されない。2年目が終わって、ようやく新規入会者は正式に受け入れられる。このとき、預けていた自分の財産もまた共同体のものとして納入される。

クムラン共同体が独身制だったのか結婚が許されていたのかは難しい問題である。『共同体の規則』から再構成される共同体は女性を忌避する男性的な社会であるが(「女性」という単語すら出てこない)、『ダマスコ文書』から見える共同体には結婚した者たちが含まれている。クムラン遺跡からは、実際に6人の女性と3人の子供の骨が見つかっている。『ダマスコ文書』には、他のユダヤ人や異邦人の近くで暮らす町の共同体が描かれているが、彼らは厳格な規則に従いつつも妻や子供を持っていた。ここではトーラー学習や2つの霊のことなどは出てこない。『共同体の規則』につながっている『会衆の規則』では、20歳になると結婚が許される旨が記されている。

『ダマスコ文書』にも、共同体の頭目としてのメバケルという役職の者が出てくる。彼は共同体への新規加入希望者を吟味する。それと同時に、共同体の内部の者たちが外部の者たちと親しく付き合わないように監視してもいた。

『ダマスコ文書』は死刑判決に関する記述も含んでいるが、他のユダヤ人やローマ人が勝手な死刑判決を容認していたとは考えにくいので、これは宗派の将来的な方針を示しているにすぎない。妻帯を前提とする『ダマスコ文書』は性交についても述べている。それによると、生理中あるいは妊娠中の女性との性交は、生殖を目的としていないので禁じられている。安息日にはいかなる理由でも1000キュビト以上歩いてはならないが、家畜を連れているなら町から2000キュビトまで離れてもよい。安息日違反は『共同体の規則』では追放刑だったが、『ダマスコ文書』では懲役7年であった。追放刑が課されるときは、共同体から呪いの言葉を向けられるセレモニーがあったようである。

『ダマスコ文書』からは、町の共同体と荒野の共同体とに違いがあることが分かる。町の共同体は家族で寄り集まっているが、紺屋の共同体は孤立している。前者は町の礼拝に参加するが、後者は決してしない。前者への新規加入者は皆外部から来るが、後者へはメンバーの子供なども加入する。前者は加入まで2年の月日と2つの霊に関する指導があるが、後者はそのようなものはない。ただし両者とも自らを真のイスラエルと考え、ツァドク派の祭司によって率いられ、また10人組・50人組・100人組・1,000人組のように組織化されている。他にもさまざまな共通点があるので、両者は同じ宗教運動の別ブランチであると考えられる。

2017年2月28日火曜日

『共同体の規則』の再解釈 Schofield, From Qumran to the Yahad

  • Alison Schofield, From Qumran to the Yahad: A New Paradigm of Textual Development for the Community Rule (Studies on the Texts of the Desert of Judah 77; Leiden: Brill, 2009).
本書は、『共同体の規則』の第一洞窟からの写本(1QS)と第四洞窟からの諸写本を検証することで、同書に新鮮な再解釈を施そうとしたものである。そこで語られている「ヤハド」とクムラン共同体とを簡単に同一視してよいのかという疑問は、すでにJohn J. Collins, Eyal Regev, Torleif Elgvinらによって提出されているが、著者はこの点について、『共同体の規則』の異読からアプローチしようとした。

著者は『共同体の規則』の中で語られている「ヤハド」のアイデンティティを明らかにするために、人類学やRobert Redfieldの学説を参考に、「放射的・対話的(radial-dialogic)」モデルを適用している。こうしたモデルの活用によって共同体の発展を検証すると、ヤハドは、社会から自らを区別した者たちによる、階層的に構築された運動であると言える。

『共同体の規則』のテクストについて、長い版である1QSと、短い版である第四洞窟の写本が存在する。古文書学的・科学的には1QSの写本の方が古いが、内容的には第四洞窟の写本の方が古いと考えられている。これらの関係性について、長い版である1QSの方が古く、第四洞窟の写本はこれに由来するものだと説明する場合(P. Alexander)と、第四洞窟の写本の方が古く、1QSは発展の最終段階を示していると説明する場合(S. Metso)とがある。著者は、核となる共通の伝承(おそらくエルサレムにあった)が初期の段階で広まったのであり、1QSや第四洞窟の写本はそれぞれ独立に発展したのだと主張している。

著者は、結論として、ヤハドの最初のヒエラルキー上の中心地はエルサレムであったが、運動が次第に神殿抜きの共同体としてのかたちを整えていくに従って、クムランへと移動したのだと述べている。

修辞批評と死海文書 Newsom, "Rhetorical Criticism and the Dead Sea Scrolls"

  • Carol A. Newsom, "Rhetorical Criticism and the Dead Sea Scrolls," in Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2010), pp. 198-214.
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Maxine L. Grossman

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本論文は、修辞批評(rhetorical criticism)を用いた死海文書解釈の一例を示したものである。修辞学とは、言葉を用いて現実に何らかの影響を与えようとすることである。著者は修辞的な分析を死海文書に加えることで、テクストが試みていることは何か、現実の社会にどのように影響を及ぼそうとしたのか、そして望む結果を得るためにどんな技術を用いたのかを明らかにしている。

とはいえ、批評という個人的な行為を方法論として客観的に確立するのは不可能なことに近い。著者はこの限界を意識しながらも、テクストを読むときに批評家として以下のような疑問点を思い浮かべることは役に立つと主張する:第一に、当のテクストのジャンルは何か。第二に、テクストはそれが意識している問題をどのような枠組みで扱っているか。第三に、テクストが持っている価値観を表わす用語はどのようなものがあるか。第四に、テクストはいかにしてその著者と読者(聴衆)を定め、またそれらの関係を定めているか。そして第五に、理性的な議論と曖昧な比喩表現との間にはどのような関係性があるのか、などである。

著者によれば、死海文書研究において、修辞批評はまだあまり使われていないという。しかしセクト主義的な共同体の文学は特にこのタイプの分析との親和性が高い。なぜなら、改宗者を呼び寄せ、メンバーシップを与えるためには、説得(折伏)の効果を必要とするからである。しかもそれは一度説得して終わりではなく、説得力を持たせ続けなくてはならない。死海文書における説得力は、試験、儀式、礼拝、聖書解釈、説教実践、そして言葉によらない象徴的な交流などによって保たれていた。

入信者への手引きとしても用いられていた『ダマスコ文書』の中で、話し手は知恵文学の知恵の教師のようなかたちで聴衆に語り掛けている。話し手は聴衆のアイデンティティを変えるためというよりは、むしろ彼らがすでに持っている善の意識や悪からの分離を強めようとしている。そのために、話し手は善と悪の二択を用意しておいて、聴衆は善の方に属していると教えてやるのである。歴史を語る際には、符丁を用いて内部の人間にはピンと来るように語ることで、外部との差異化を図った。さらに、寓意的解釈によって現在の出来事を聖書の預言と結びつけることは、力強い説得力になった。

『共同体の規則』は、当時の伝統に従って、少なくともマスキールのような指導者によって暗記されており、そうすることで文書の修辞は内部化され、セクト構成員の自己理解の一部となった。『ダマスコ文書』が命令形を多用し、話し手と聴衆との相互理解を前提とした語り口を持っているのに対し、『共同体の規則』は不定法を多用することで、話し手と聴衆との関係が不明な、高度に非人称化された規範的な語り口になっている。また、『ダマスコ文書』が内部のメンバーを励ましていたのに対し、『共同体の規則』は外部の人間を内部の人間に変化されることを目的としていた。

また『ホダヨット(感謝の詩篇)』は、義の教師本人か共同体の誰かによって書かれたものと考えられる。この文書は、第一に、一人称単数で書かれており、第二に、他の登場人物がいなく、たった一人の声で書かれており、そして第三に、話し手の主観が見られることなどから、話し手が義の教師に対して親近感を抱き、受け入れるような修辞的な工夫が施されていると言える。そのために、敵対者をこき下ろし、自らを被害者として描くことも忘れてはいない。

以上より、言語はセクト的共同体を作り、また維持するための生き生きとした道具であった。注意深く言葉を用いることで、アウトサイダーをインサイダーに変え、すでにインサイダーである人々のアイデンティティを強めることができた。修辞批評を死海文書に用いることは、文学批評のみならず、科学的アプローチ、祭儀研究、そして神学研究にも役立つだろう。

2017年2月27日月曜日

『共同体の規則』について Metso, The Serekh Texts

  • Sarianna Metso, The Serekh Texts (Library of Second Temple Studies 62; Companion to the Qumran Scrolls 9; New York: T&T Clark, 2007).
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本書は『共同体の規則(セレク・ハヤハド)』のテクストの原典と翻訳に加えて、最新の研究成果を反映した概説書である。著者はまず『共同体の規則』の重要性として、実践や教えに関するその内容から、同書を持っていた集団がヨセフスが記しているエッセネ派であったと考えられることを指摘している。特に『共同体の規則』の最も保存状態のいい写本である1QSは、クムラン=エッセネ派説を維持する最良の証言だと言える。

『共同体の規則』にはさまざまなテクストが組み込まれている。たとえば、宇宙を善悪二元論で理解する「二つの霊の論文」(1QS 3.13-IV.26)、入信の取り決めなどを含む「共同生活の規則」(1QS 5.1-6.23)、そして聖書の引用(イザ40:3)を含む、エルサレム神殿の代わりとしてのクムラン共同体の立ち位置を言明する「初期規則のマニフェスト」(1QS 8.1-9.26a)などである。

『共同体の規則』の写本としては、1QSの他に、4QSa-j、5Q11、11Q29などがある。これらの写本を検証した結果、『共同体の規則』には長い版(1QS)と短い版(4QSb、4QSd)とが存在していることが分かった。二つの版が存在する理由としては、複数の文学的伝承があったから(G. Vermes)、あるいはツァドク派によって長い版が編纂され短い版ができたから(C. Hempel)、などと説明される。いずれにせよ、多くの研究者は長い版である1QSの方が古いテクストだと考えてきた(P.S. Alexander)。

これに対し、著者はむしろ第四洞窟で発見された短い版の方が古く、初期の形を保存しており、1QSはその短い版が後代に編集された結果出来上がったものだと主張した。その理由は、第一に、1QSにある聖書引用が第四洞窟の写本にはないこと、そして第二に、1QSにはあるが第四洞窟の写本にはないさまざまな編集要素があることである。『共同体の規則』のさまざまな版が存在するということは、クムランの共同体が新しい拡張版(1QS)を持っているときでも、古い版(4QSb、4QSd)を繰り返し筆写していたことを示している。

著者は『共同体の規則』に書かれていることがエッセネ派的であることは認めつつも、細部においてヨセフス『ユダヤ戦記』(2.137-139)のそれとは異なっていることを指摘している。

『共同体の規則』には聖書との関連性を伺わせる箇所がたくさんあるが、明確な聖書引用は、1QS 5.15(出23:7)、1QS 5.17(イザ2:22)、そして1QS 8.14(イザ40:3)の三か所のみである。第四洞窟の写本に聖書引用がなく、1QSに集中していることから、著者は1QSは後代の編集版であり、聖書引用を付け加えることで共同体の自己理解を強めようとしたのだと考えている。また荒野の預言者に関するイザ40:3の引用から、新約聖書との比較もなされている。

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2017年2月24日金曜日

新しい歴史学による死海文書読解 Grossman, Reading for History in the Damascus Document

  • Maxine L. Grossman, Reading for History in the Damascus Document: A Methodological Study (STDJ 45; Leiden: Brill, 2002).
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本書は、現代的な文芸批評の方法論を用いることで、クムランのセクト的文書である『ダマスコ文書』などを検証したものである。死海文書のセクト的文書は、当初は、さまざまなテクストを著したクムラン居住者である教師によって率いられた単一の共同体の姿を描いているのだと考えられていたが、実際にはより複雑な文学的な作品であって、聖書テクストと同様に疑ってかからなければならないことが明らかになってきた。

そこで著者は、脱構築、読者応答批評、間テクスト性、社会科学的洞察、基盤文書の研究といった、現代的な文芸批評の方法論を採用した上で、それを「新しい歴史学(new historiography)」と呼んだ。この方法論の先行者としては、Philip Daviesのようなごく限られた研究者が挙げられる。異なった読者を想定したり異なったジャンルの文書として読んだりすることで、複数の読解をする方法論は、特に『律法儀礼遵守論(4QMMT)』に用いられている。また『ダマスコ文書』に関して、著者はジェンダー論を経由した女性の役割を論じたり、同書がツァドク派の手によるものである可能性を指摘している。

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2017年2月23日木曜日

フランク・ムーア・クロスの貢献 Crawford, "Frank Moore Cross's Contribution"

  • Sidnie White Crawford, "Frank Moore Cross's Contribution to the Study of the Dead Sea Scrolls," Bulletin of the American Schools of Oriental Research 372 (2014), pp. 183-87.

本論文は、死海文書の校訂チームに長くかかわったCrossの業績を、彼の弟子の一人であるCrawfordがまとめたものである。Crossと死海文書との関わりは、彼がジョンズ・ホプキンス大学の大学院生だった1948年に、師であるW.F. Albrightから、クムラン第一洞窟で発見されたイザヤ書巻物の写真を見せられたときから始まった。Crossはのちに死海文書の古文書学(paleography)で大きな業績を上げることになるが、彼の古文書学的なアプローチは、この最初の体験のときから始まったようである。

1952年に第四洞窟が発見されると、G. Lankester HardingとRoland de Vauxらは、パレスチナ考古学博物館にて巻物の研究をすることにした。Crossはアメリカ・オリエンタル研究所の代表として、国際チームの中で最初に現地に到着したために、第四洞窟の巻物を最初に手にした一人となった。

見つかったままの写本を検証することができたために、彼は次の二つの大きな発見をすることになった:第一に、巻物のいくつかは、おそらく洞窟に入れられたときからすでに劣化していた。第二に、比較的新しい巻物も古い巻物も同じ場所から見つかった。この二つの発見から、Crossは、巻物は秩序立てて保存されていたのではなく、むしろ洞窟の中に慌てて捨てられていたのだと考えた。これは第四洞窟の正確を考える上で大きな手掛かりになる発見であった。

さらに1953年にCrossが第四洞窟の巻物を調べていると、サムエル記に関係する写本を見つけた。しばらくは放っておいたのだが、ある日それを読んでいると、Crossはその写本がマソラー本文とは異なり、むしろサムエル記のギリシア語訳と共通する特徴を持っていることに気付いた。この写本は、ヘブライ語聖書の本文研究に大きな貢献をすることになる4QSamaであった。

Crossは、クムランに住んでいた共同体のアイデンティティの問題にも大きな関心を寄せていた。彼はこの共同体をエッセネ派だと考えていた。彼は大プリニウスのエッセネ派に関する証言(『自然史』5.73)がクムラン共同体の特徴に酷似していることに注目した。さらに、フィロン、ヨセフス、デュオン・クリュソストモス、ヒッポリュトスらによるエッセネ派に関する証言と、『共同体の規則』、『ダマスコ文書』、『戦争巻物』、『会衆の規則』などの諸文書とを比較することで、クムランがエッセネ派の本拠地であったと結論付けた。Crossは次の有名な一節で、クムラン=エッセネ派説を強調した:
前2世紀に興隆したセクトで他に荒野の共同体と関係したものを〔クムランの〕他に我々は知らない。さらに、クムランの共同体は正確に新しいイスラエルとして編成されていた。すなわち、エルサレムの祭司制と祭儀を否定する真のセクトとしてである。パリサイ派もサドカイ派もこれに該当しないが、エッセネ派は完全に該当する。〔中略〕クムランをエッセネ派と同定することに疑義を唱える研究者は、自らを驚くべき立場に立たせることになる。彼が真剣にも示唆しているのはこういうことである。二つの大規模な共同体が死海の砂漠の同じ地域に共同の宗教共同体を作り、実際に二世紀にも渡り共に住み、似たような奇妙な見解を持ち、似ているというよりは同一の清めや儀式的な食事、そして祭儀を行なっていた、と。この研究者はまた次のように考えなければならない。片方の共同体は、古典作者らによって丁寧に描写されていたにもかかわらず、建築物の遺跡や陶器の破片さえあとに残さず消え、もう片方の共同体は、古典作者たちによって組織的に無視されたにもかかわらず、多くの遺跡や、偉大な図書館をも残したのだ、と。私だったら無謀でもきっぱりとクムランの人々を彼らの永遠のゲストであるエッセネ派と同一視したい。(Cross, Canaanite Myth and Hebrew Epic: Essays in the History of the Religion of Israel, Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1973, pp. 331-32)
ただし、Crossは同時に古典資料に書かれたエッセネ派の姿と、巻物から浮かび上がる共同体とには違いが見られることにも気づいていた(結婚と独身主義など)。そこで、当時のユダヤ教には浄不浄を問題にする祭司的な伝統と、より後代に発展した終末論的な伝統とがあり、クムラン共同体ではその二つが祭司的な終末論として同居していたと説明しようとした。ここでのCrossの説明は十分ではなく、事実クムラン共同体をエッセネ派と考えることに疑義を挟む研究者もいる。Crossは他にも、ペシャリームに言及されている悪の教師をハスモン家のシモンと同定したが、この説はあまり広く受け入れられたわけではない。

Crossの死海文書研究に関する簡便な入門書としては以下がある。
The Ancient Library of QumranThe Ancient Library of Qumran
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2017年2月22日水曜日

ヤハドとは何か Collins, "Beyond the Qumran Community"

  • John J. Collins, "Beyond the Qumran Community: Social Organization in the Dead Sea Scrolls," Dead Sea Discoveries 16 (2009), pp. 351-69.

本論文は、『共同体の規則(セレク・ハヤハド)』(1QS)という文書において言及されている「ヤハド」という共同体が、どのような特徴を持ったものかを再考したものである。Millar Burrowsら研究者たちは、この『共同体の規則』が描き出す共同体と『ダマスコ文書』のそれとがやや異なっていることには気づいてはいた。J.T. Milikは、『共同体の規則』は厳格なエッセネ派的修道生活を始めた義の教師の作であり、一方で『ダマスコ文書』は後代にクムランの共同体を離れたグループから来たものだと見なした。Geza Vermesは、『ダマスコ文書』が結婚するエッセネ派のための規則であるのに対し、『共同体の規則』はクムランに住んだ独身主義者の共同体のための規則であると指摘した。これらの研究者たちは、このように両文書の違いに意識的ではあったが、それらが描いている共同体はひとつの同じものだと考えていた。

Philip Daviesは、しかしながら、『ダマスコ文書』を独立した文書として読む必要を提案し、同書は義の教師たちがクムランにやってくる前に存在した共同体に由来するものだと主張した。言い換えれば、『ダマスコ文書』は『共同体の規則』で描写されている共同体よりも前の段階を反映しているのである。『ダマスコ文書』と『共同体の規則』を含む別の写本群が第四洞窟で見つかると、第一洞窟で見つかった写本との異読が問題となり、Sarianna Metsoらが説得的な議論を展開した。

こうした議論の蓄積から、『ダマスコ文書』と『共同体の規則』とは単一の共同体の生活を反映してはいないと考えられている。『ダマスコ文書』から再構成される共同体の姿は、結婚や親子関係に基づいた家族共同体のそれであり、『共同体の規則』に見られる修道的な共同体とは異なっている。とはいえ、Joseph Baumgartenが指摘するように、『ダマスコ文書』の共同体の全員が結婚したり子供がいたりするわけでもない。

修道的な共同体を描く『共同体の規則』には、子供や女性に関する記述が一切ない一方で、共同活動への強い関心が見られる。『ダマスコ文書』では財産の喜捨は月に二日分だけでよかったが、『共同体の規則』では全財産を共同体に明け渡すことが求められている。これこそがまさに「ヤハド(統一)」の意味するところであった。

以上のようなそれぞれの文書の特徴から考えると、『共同体の規則』の方が古いという見解(Milik, Crossら)よりも、『ダマスコ文書』の方がより古く単純な規則を保存しており、『共同体の規則』はより発展的であると見る方が妥当である。

ただし、『共同体の規則』に描かれている「ヤハド」を単純に荒野の単一の共同体と見なすこともまたできない。著者は同書の第6章の記述から(「10人の男性がいるところではどこでも祭司を欠いてはならない」)、『共同体の規則』には大グループと小グループとが含意されていることを指摘した。そして、村や都市に住む小グループにも、クムランなど大グループにも、同じ人数の協議会があったのだと述べている。また、クムランで見つかった『共同体の規則』に異読が見られるのも、こうした複数のグループが複数の写本を所有していたからだと考えた。

『共同体の規則』8章は、こうした協議会が12人の男性と3人の祭司で構成されていたことを証言している。著者は、彼らが「ヤハド」の行政を担っていたのではなく、むしろ「ヤハド」に従属する、特別な訓練を積んだエリートグループであったと見なしている。また、このように「ヤハド」には複数のグループがあったことを鑑みると、クムランが必ずしもセクトの中心地であると考える確実な理由はなくなる。フィロンやヨセフスが証言するうように、エッセネ派は複数の土地に住んでいたのであるから、クムランもまたその一つの、とりわけリトリートセンターのような役割を持っていたと考えるべきだろう。

さらに、クムランはそもそもセクト的な遺構と考えてよいのかについて、著者は議論している。というのも、巻物が洞窟に隠された時代にはすでにクムランはセクト的共同体であったにせよ、常にそうだったとは言えないからである。Yitzar Hirshfeld, Y. Magen, Yuval Pelegらの考古学者たちは、クムランの遺跡はもともとは要塞であり、後68年に軍隊によって破壊されたと考えた。事実、ハスモン朝時代(前140年-前37年)には、死海の周りに多くの要塞が作られていた。クムランもまた要塞だとすると、そこにある墓地から男性の遺体ばかりが出てくる理由も説明がつく。しかしながら、クムラン=要塞説を立証する考古学的証拠は見つかっていない。一方で、クムランは義の教師によって設立されたとする説にも疑いを容れる余地はある。

以上より、結論としては:
  1. 後1世紀にはクムランはセクト的居住地になっており、ハスモン朝時代にもすでにそうだった可能性が高い。
  2. クムランは「ヤハド」の一つの居住地に過ぎず、「ヤハド」の全体ではない。
  3. クムランは「ヤハド」の本拠地であったという証拠はない(巻物がここに隠されたのはエルサレムから遠かったからというだけ)。
  4. 『共同体の規則』はクムラン共同体のために特別に書かれた文書ではない。
  5. 「ヤハド」とは、孤絶した修道的共同体ではなく、各地に散っていた宗教団体のことであるため、「ヤハド」=「クムラン共同体」という等式は成り立たない。
ちなみに本論文は、著者による以下の著作を短くまとめたものである。
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2015年3月30日月曜日

ヴァンダーカム「第4章:死海文書の人々 エッセネ派からサドカイ派か」

  • ジェームス・C・ヴァンダーカム「第4章:死海文書の人々 エッセネ派からサドカイ派か」、ハーシェル・シャンクス編(池田裕監修、高橋晶子・河合一充訳)『死海文書の研究』ミルトス、1997年、99-117頁(James C. VanderKam, "The People of the Dead Sea Scrolls: Essenes or Sadducees," in Understanding of the Dead Sea Scrolls, ed. Harshel Shanks [New York: Random House, 1992], pp. 50-62)。
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本論文は、クムラン共同体の正体をサドカイ派であるとするシフマンに対し、その正体はやはり従来の説どおりエッセネ派であるとするヴァンダーカムによる反論である。クムラン共同体をエッセネ派と同定するためには、主として二つのデータに基づいてきた。第一に、大プリニウスの証言、第二に、死海文書の内容と、エッセネ派の信仰と慣習に関するヨセフスらの記述のとの比較である。著者によれば、プリニウスはその報告をでっち上げる理由はないこと、また他のことに関する彼の証言が正確であることなどから考えて、プリニウスの証言は確かであるとしている。

第二の点に関して、ヨセフス『ユダヤ古代誌』におけるエッセネ派に関する記述と『共同体の規則』(1QS)とを比較すると、多くの類似点が見出される。著者は例として、運命について、所有物の共有について、唾を吐くことについてなどを挙げている。Todd Beallによると、ヨセフスの著作とエッセネ派に関する死海文書の間には、27の類似点、21の似通っているようにみえる点があり、同時に接点がない点が10あり、矛盾点が6あるという。死海文書自体が足並みがそろっていない点もあるが、それはそれぞれがエッセネ派内の異なるグループの文書であったからだと考えられる(『ダマスコ文書』は町や村に住むエッセネ派の文書、『共同体の規則』はクムランのエッセネ派の文書)。

著者によると、死海文書を読み解く4つの注意点がある。第一に、対象の文書が特に宗派的なテクストであるかどうかを確認すること。第二に、死海文書は現存する他の古代の著作とのみ比較であること。第三に、死海文書には、ヨセフスや他の古代の著作家が言及していない点があること。第四に、ヨセフスと死海文書とに違いがあるのは、彼が知っていたエッセネ派がクムラン共同体とは別のグループだったかもしれないこと、である。

通説では、クムラン共同体はエッセネ派であったと見なされているが、シフマンは『律法儀礼遵守論』(4QMMT、以下『律法』)をもとにサドカイ派であったと考えている。シフマンが注目したのは、ミシュナー・ヤダイム4.6-7で議論されている4つの論争点と『律法』の記述との類似である。ヴァンダーカムは、シフマンが見出した4つの類似点のうち3つは確かに一致していると述べている。しかし、それでもヴァンダーカムはこの説は根拠が薄いと反論する(ちなみにシフマンもヴァンダーカムも、『律法』の第一部における暦法に関する記述ゆえに、同書が宗派テキストであると考えている)。

なぜなら、第一に、そもそもサドカイ派とエッセネ派とが互いに一致する領域はたくさんあると考えられるからである。第二に、ミシュナー中のサドカイ派対パリサイ派の論争の記述をどの程度信用できるかは疑問だからである。第三に、シフマンは、プリニウスやヨセフスにおけるエッセネ派に関する記述や、クムランの宗派テクストにおける非サドカイ派的記述を無視しているからである。こうしたことから、ヴァンダーカム曰く:
シフマンの論拠となる幾つかの法規上の詳細が、実際にエッセネ派の生活習慣や神学を目撃したヨセフスやプリニウス(あるいは彼の情報源)といった人々から得られる証拠や、クムラン・テキストの中心的な資料よりも大きな影響力をもつなど、到底ありえない。
と述べている。いうなれば、ヴァンダーカムは、シフマンが示している『律法』を基にした論拠よりも、より明らかな証拠がいくつもあるため、クムラン共同体=エッセネ派説はゆるがないと考えているのである(その際に、シフマンの論拠を覆すには至っていない)。ヴァンダーカムによれば、エッセネ派とサドカイ派が共にパリサイ派的な法規の改良に反対していたことは、すでに知られていたので、シフマン(とヨセフ・バウムガルテン)はそのすでに知られていたことをクムラン共同体から証明したに過ぎないのだという。

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2015年2月23日月曜日

死海文書のカテゴリー分けの方法 Rietz, "Identifying Compositions and Traditions of the Qumran Community"

  • Henry W. Morisada Rietz, "Identifying Compositions and Traditions of the Qumran Community: The Song of the Sabbath Sacrifice as a Test Case," in Qumran Studies: New Approaches, New Questions, Michael Thomas Davis and Brent A. Strawn (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2007), pp. 29-52.
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本論文は、これまでの研究で分かっている死海文書のカテゴリーを分ける基準を『安息日の犠牲の歌』(4Q400-407他、以下『安息日』)に適用することで、その基準が有効か否かを検証するものである。著者は、第一に、共同体で作成された宗派的文書、第二に、共同体で作成されたわけではないがその伝統として機能していた文書を扱った上で、『安息日』に基準を適用している。

共同体で作成された宗派的文書。死海文書の著者性を決定するよすがとして最も便利なのは、テクニカル・タームである。クムラン共同体で実際に作成されたと考えられる、いわゆる「宗派的(sectarian)巻物」には、ヤハッド、セレフ、メバケル、マスキール、パキッド、ブネイ・オール、ブネイ・エメット、ブネイ・ホシェフ、ブネイ・ツェデク、ドルシェイ・ハハラコット、モレー・ハツェデク、ハコーヘン・ハラシャアといった言葉が用いられている。さらに二元論や予定説的な言葉や、聖書解釈におけるペシェルといった言葉も頻出する。D. Dimantによれば、宗派的巻物の特徴は、第一に、アラム語ではなくヘブライ語で書かれていること、第二に、黙示的な文書でないこと、第三に、上のタームを含んでいなくても、ハラハー、暦法、年代、占星術に関係していることであるという。

共同体で作成されたわけではないがその伝統として機能していた文書。ある文書が実際に共同体内部で用いられていたかどうかを見分ける基準として、著者は三点を挙げている。第一に、現存する写本の数、第二に、その写本がクムランで実際に筆写された証拠、そして第三に、クムランで作成された文書の中にその文書の言及、暗示、引用などがあることである。第一の点に関して、写本数として抜きん出ているのは、詩篇、申命記、イザヤ書、創世記、出エジプト記、レビ記、ダニエル書、十二小預言書、民数記などである。興味深いことに、エステル記は読まれていた形跡がない。聖書以外では、『ヨベル書』、『第一エノク書』、『巨人の書』が特筆される。第二の点に関しては、E. Tovによって盛んに研究された写字生の癖が注目される。タームに基づいてクムランで作成された文書と同定された文書には、同一の筆写上の傾向が見られるのである。これによって、共同体で作成されたか否かを見分けることができる。第三の点に関しては、宗派的文書の中で肯定的に引用されている文書は、共同体の中で伝統として機能していたと考えられる。たとえば『ヨベル書』と『第一エノク書』はある主の権威を持っていたと考えられる。

『安息日の犠牲の歌』。著者は上で確認したような基準を用いて、『安息日』がクムラン共同体において伝統として機能しているのみならず、おそらくは共同体内部で作成された文書であることを示している。『安息日』は第四洞窟における7つの写本と、第十一洞窟における一つの写本、そしてマサダで発見された一つの写本が存在するが、どれもTovの方法論によれば、共同体内部で作成されたものと考えられる。またマスキールという語の使用も注目される。さらに『安息日』は、『主人の歌』や『祝福と呪い』といった共同体で作成されたと見なされる文書と語彙を共有しており、なおかつ『共同体の規則』からの引用に近い箇所も見られる。以上より、著者は『安息日』はクムラン共同体の伝統として機能しており、なおかつ共同体内部で作成された文書であると結論付ける。

2015年2月17日火曜日

写本研究から見る死海文書の形成過程 Hempel, "Sources and Redaction in the Dead Sea Scrolls"

  • Charlotte Hempel, "Sources and Redaction in the Dead Sea Scrolls: The Growth of Ancient Texts," in Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods, ed. Mexine L. Grossmann (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2010), pp. 162-81.
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本論文は、死海文書の文献学的研究がどのようなことを教えてくれるのかについて簡潔に示したものである。死海文書を研究するに際して、テクスト同士あるいはテクスト内の差異に敏感な「分割派(splitters)」と、ひとつのテクストを切り分けることを嫌う「凝集派(clumpers)」とに分かれる。我々はテクスト上の証拠から、分割派が好むような出来事が実際に起こったことを知りえている。特にそうしたことが顕著なのが『共同体の規則』で、著者はこれを題材に、1)写字生による欄外のしるし、2)写字生による修正、3)同作品の複数の写本における相違点と類似点、4)違う作品同士の共有部分、5)写本上の根拠のなさ、といった観点から論じている。

写字生による欄外のしるし。C.A. KorpelやJ.M. Oeschらはdelimitation criticismと呼ぶ方法で、『共同体の規則』の研究に取り組んでいる。それによると、1QS写本の欄外に古ヘブライ文字が書かれているところには、何らかの意味が認められる。たとえば、1QS 5:1にヴァヴが書かれていることは、同箇所がテクストにおける重要な起点であることを示していると考えられる。なぜならば、4QSdは1QS 5:1に当たる部分から始まっているからである。また、パラグラフォス・サインと名づけられたしるしがあるところは、E. Tovによると、後代の写字生や読者によって挿入された部分であるという。こうしたことをTovはparatextual elementsと呼んでいる。これらのしるしは、その箇所からテクストが発展したことを示しているのである。

写字生による修正。1QS 7-8は、AとBの二人の写字生によって書かれたものであると考えられており、Aが作成したものを修正したBは、その修正に際してAが用いたものとは異なった写本を用いたと考えられる。そしてその異なった写本とは、完全にではないにせよ第四洞窟で発見された写本と同じものと考えられるという。また1QS 8-9に見られる「それらがイスラエルにあったとき」という表現とそれより少し長い表現とを比べると、前者の方がより古いと考えられるので、それは1QSの写字生Aの担当部分と考えられる。同様の表現が4QSdと4QSeにも見られる。

同作品の複数の写本における相違点と類似点。『共同体の規則』の1QS写本と諸4QS写本における違いは、以下の4点である。
  1. 1QSa(『会衆の規則』)と1QSb(『祝福の規則』)といった『共同体の規則』の補遺部分は、第四洞窟から発見された写本には見られない。
  2. 4QSbは第四洞窟写本の中で、唯一1QS写本のすべての資料(1QS 1-4を含む)をカバーしている。
  3. 4QSdは1QS 1-4を含んでおらず、1QS 5に当たる箇所から始まっている。
  4. 4QSeは1QS 8:15-9:11に当たる部分を含んでいない。
こうしたことから、1QSより短い4QSdはより古い『共同体の規則』を保存していると考えることができる(写本の年代自体は1QSの方が4QSdよりも古いので、新しく1QSが作成されたあとも、古い版が書写され続けていた)。ただしP. Alexanderはまったく逆に、古いほうが長く、新しい方では短くなったと主張している。4QSeの欠落も、より新しい4QSeはより古い1QS 8:15-9:11を欠いているとも考えられるし、Metsoのように、より新しい1QS 8:15-9:11はより古い4QSeを拡張したものだと考えることもできる。つまり考え方次第で解釈は変わるということだが、著者は共有している部分が古い箇所であって、欠落にせよ拡張にせよ、共有していない部分が新しいと考える。

違う作品同士の共有部分。『共同体の規則』(1QS)、『ダマスコ文書』(4QDa)、『諸規則』(4Q265)における共有部分はより古い箇所と考えられる。つまり、さまざまなテクスト伝承が集まってできたヘブライ語聖書のように、クムランでもそれぞれ別の伝承が集まっていったのだといえる。

写本上の根拠のなさ。Jerome Murphy-O'ConnorとJean Pouillyは、第四洞窟の校訂版が出揃う以前から、『共同体の規則』(1QS)は以下の過程を通って現在の姿になったと推測していた。
  1. 1QS 8:1-10a, 12b-16a, and 9:3-10:8a
  2. 1QS 8:10b-12a; 8:16b-9:2
  3. 1QS 5:1-13a and 6:8-7:25
  4. 1QS 1:1-4:26; 5:13b-6:8a; 10:9-11:22
すなわち、1QS 8-9を初期の核として、そのあとから1QS 1-4と1QS 10-11とが集められていったということである。この考え方は、のちに第四洞窟からの成果が明らかになったあとにも、ほぼそのまま通用している。

2015年2月16日月曜日

死海文書研究の概観 Metso, "When the Evidence does not Fit"

  • Sarianna Metso, "When the Evidence does not Fit: Method, Theory, and the Dead Sea Scrolls," in Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods, ed. Mexine L. Grossmann (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2010), pp. 11-25.
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本論文は、死海文書研究の興隆によって出てきた新しいデータを解釈していく際にどのような問題が生じるかを概観したものである。すべての死海文書の校訂版が出版され終えた現在、研究者の課題はそれらに含まれる情報をどのように概念化し、統合していくかということになった。しかし、新しいデータの発見は、これまで共有されてきた考え方と必ずしも合致しないこともある。そこで著者はクムラン研究の現状を概観するために、第一に、聖書テクストの概念の問題、第二に、ハラハー(法)の概念の問題、第三に、死海文書をもとにした歴史の再構築の実現可能性について言及している。

聖書テクストの問題。第十一洞窟で発見された『大詩篇巻物』は聖書テクストなのかそうではないのかをめぐって、以下の観点から議論がなされた。第一に、その礼拝的な性質、第二に、非聖書的な一節の存在、第三に、古ヘブライ文字による神聖四文字、第四に、ダビデの作とされる散文、第五に、マソラー本文とは異なった詩篇の順番である。こうした特徴から、多くの研究者は『大詩篇巻物』を聖書写本ではなく二次的な礼拝集成とジャンル分けした。しかし、上のような特徴が実は『第四編巻物』独自のものというよりは、クムランから発見される聖書写本に共通して見られるものだと分かってきたのである。「改訂五書(Reworked Pentateuch)」と呼ばれる4Q364-367もまた、マソラー本文と比較したときに多くの付加や省略があることが指摘されていたが、これもまた第二神殿時代の聖書テクストによく見られる特徴であることが判明した。いうなれば、「改訂五書」はマソラー本文やサマリア五書と平行して存在した、トーラーの異なった版であったということである。それゆえに、クムランで見つかった聖書テクストにおけるさまざまな違いを、単に写字生の誤りとして一蹴するのではなく、むしろ本文批評に積極的に活用していくべきだと著者は主張する。

ハラハーの問題。クムランの共同体における法的伝統がどのように形成されたのかについて、いくつかの説がある。第一に、L.H. Schiffmanによれば、クムランの法的伝統の唯一の源泉は聖書解釈であるという。第二に、P.R. Daviesによれば、異なった共同体ごとに異なった方法で法的伝統を形成したという(『ダマスコ文書』を用いた共同体の法的伝統と『共同体の規則』を用いた規則のそれとは異なる)。第三に、M. Weinfeldによれば、契約にかかわる規則はトーラーから、社会的組織にかかわる規則は共同体の構成員の経験から形成していったという。著者は、レビ記の一節が『ダマスコ文書』と『共同体の規則』との両方において証明句として機能している例を挙げている。それによると、法的伝統は共同体の生活における必要性から生まれてきて、それにあとから聖書の証明句を当てはめているのであって、その逆ではないという。その証拠に、『共同体の規則』の平行箇所において、第一洞窟から発見された写本には証明句があるが、第四洞窟からの写本にはない。そしてこうした証明句は、決められた規則が厳しいことを正当化する役割と、一方でその厳しさを緩和する役割とを同時に担っているという。こうした刑法に違反した場合の罰則は、しばしばモーセの律法に対する違反と同等の重さを持っていた。M. Weinfeldは全イスラエルに向けられたトーラーの命令と、特定の共同体に向けられた規則とを区別したが、著者によれば、こうしたグループは自らこそが真のイスラエルだと考えていたのであるから、むしろハラハーには普遍的な志向性と排他的な志向性とが並存していると考えるべきだという。

歴史の再構築の問題。第一洞窟で発見された写本と第四洞窟のそれとを比較すると、さまざまな一節が実は異なった時代の異なったグループに由来していることが分かる。著者は『共同体の規則』(1QS)3:13-4:26と『結婚の儀式』(4Q502)とを比較して、前者の全体が後者に依拠しているわけではないと主張する。するとさまざまな可能性が考えられる。両者は共通のソースを持っていたのだろうか。『結婚の儀式』は別のエッセネ派テクストから引用されているのだろうか。それとも『共同体の規則』を知らないエッセネ派外のテクストから取られているのだろうか。すなわち、社会学的・歴史学的な観点や編集過程の観点から、さまざまな仮説が生み出されうるのである。さらには、ソースとしての口承伝承のことを考慮に入れると、事態はさらに複雑になる。口承伝承への依拠という仮説は、書かれたテクストが入手可能であったという可能性を除外するものではない。これを検証するためには、フィジカルな「規則集」という言葉がどのように使われていたかに注目する必要がある。
The new evidence provided by the Dead Sea Scrolls provides a unique challenge to scrolls scholars. It raises a broad range of methodological and theoretical questions, and an even broader range of not-yet-asked questions must be raised in our attempt to understand the treasury of documents illuminating Second Temple Judaism. Such questions have the potential of making us rethink even our most basic understandings of what such central concepts as Scripture, halakhah, and history mena in this period [...] With a larger amount of evidence, we are also in a better position to create a methodologically more solid foundation for our analysis. This will result in ruling out certain hypotheses, while at the same time demonstrating the accuracy of others. (p. 25) 

2015年2月11日水曜日

『共同体の規則』における刑法 Hempel, "The Penal Code Reconsidered"

  • Charlotte Hempel, "The Penal Code Reconsidered," in Legal Texts and Legal Issues, ed. Moshe Bernstein, Florentino Garcia Martinez and John Kampen (Leiden: Brill, 1997), pp. 337-48.
Legal Texts and Legal Issues: Proceedings of the Second Meeting of the International Organization for Qumran Studies Cambridge 1995, Published in Honour of Joseph M. Baumgarten (Studies of the Texts of Thedesert of Judah)Legal Texts and Legal Issues: Proceedings of the Second Meeting of the International Organization for Qumran Studies Cambridge 1995, Published in Honour of Joseph M. Baumgarten (Studies of the Texts of Thedesert of Judah)
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本論文は、『共同体の規則』(1QS、以下『共同体』)の第6-7欄に含まれる刑法について、『ダマスコ文書』の死海写本(以下D写本)4QDa, 4QDb, 4QDeなどとの比較を通して、その発展の経緯を検証したものである。『共同体』の罰則に関しては、Joseph Baumgartenが検証を試みたが、本論文の著者はむしろ、刑法(penal code)への違反がどのように理解されているかという点に注目している。

まず『共同体』とD写本が共有している刑法の違反を比較すると、両者がまず間違いなく直接の影響関係にあったことが分かる。ただし、両者が共有している刑法は、『共同体』に収録されたあと、『共同体』の発展の中で改定されていったものと思われる。それが特に分かるのは、自分たちの共同体の呼称に関して、『共同体』はラビームという名を好むのに対し、『ダマスコ文書』はラビームという言葉はいくつかある呼称のうちのひとつにすぎず、むしろエダーをよく用いる。ただし4QDaには『共同体』同様にラビームという言葉がある。著者はこのことについて、もともと『共同体』と『ダマスコ文書』が共有していた刑法にラビームという言葉があり、それがたまたま『共同体』のみに残ったというよりは、むしろ4QDaに出てくるラビームは後代の付加と考えるべきと主張している。

クムラン共同体が持っていたであろう初期の違反は、『共同体』にはないが、D写本すなわち4QDb,eのみが保存する違反から見て取ることができる。『共同体』とD写本とが共有している違反だけに注目してしまうと、刑法を『共同体』のみと関連付けてしまうことになる。しかし、D写本のみに収録された違反の存在は、『共同体』や『ダマスコ写本』よりも以前のバージョンがあったことを教えてくれる。D写本および『ダマスコ文書』に女性や子供への言及があるにもかかわらず、『共同体』にはないことは、『共同体』を奉じた共同体が意図的にこうした言及を省いたのだと考えられる。

以上より、著者は5点の結論を導く。第一に、刑法のジャンルは『共同体』の前身となる運動に端を発する。第二に、この前身となる運動の刑法の名残りは、D写本に残されている。第三に、『共同体』を作成した共同体は、このジャンルを採用し、自分たちの刑法を作った。第四に、この共同体はD写本の刑法を改定した。第五に、この共同体による採用・改定のあと、『共同体』はさらに独自に発展していった(=もとのD写本から離れていった。例:呼称がエダーからラビームへと代わっていった)。

2015年2月10日火曜日

『共同体の規則』の写本伝承 Metzo, "The Textual Traditions of the Qumran Community Rule"

  • Sarianna Metso, "The Textual Traditions of the Qumran Community Rule," in Legal Texts and Legal Issues, ed. Moshe Bernstein, Florentino Garcia Martinez and John Kampen (Leiden: Brill, 1997), pp.141-47.
Legal Texts and Legal Issues: Proceedings of the Second Meeting of the International Organization for Qumran Studies Cambridge 1995, Published in Honour of Joseph M. Baumgarten (Studies of the Texts of Thedesert of Judah)Legal Texts and Legal Issues: Proceedings of the Second Meeting of the International Organization for Qumran Studies Cambridge 1995, Published in Honour of Joseph M. Baumgarten (Studies of the Texts of Thedesert of Judah)
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本論文は、第一洞窟で見つかった『共同体の規則』(1QS)のテクストと、第四洞窟で見つかった断片とを比較することで写本伝承を明らかにしたものである。4QSbと4QSdは、平行箇所において(たとえば第5欄)、1QSよりも短くなっている。第四洞窟の両者は基本的には同じテクストと考えられるが、4QSdには1QSにおける第1欄から第4欄までが欠けている。4QSd, bは古文書学的には1QSよりあとのものとされるが、1QSよりも古い伝承を保存していると考えられる。

4QSeは1QSにおける8:15b-9:11が欠けているが、前者の方がオリジナルに近い。さらに4QSeと4QOtotには、1QSの第10-11欄における暦法がなく、オリジナルもそのようだったと考えられる。4QSaは1QSと並行する箇所がない。

以上より、著者は仮想上のオリジナルテクストは、1QS第1-4欄を含まずに第5欄から始まっており、なおかつ8:15b-9:11と9:26b-11:33も欠けているため、1QSよりもかなり短いものだったと考える。これが4QSeに見られる伝承経路(A)において第一段階の編集され、聖書の証明句が挿入された。さらに4QSdに見られる別の伝承経路(B)においては、8:15b-9:11が加えられた。これらの二つの伝承経路をもとに1QSを編集した編集者(C)は聖書の証明句を加え、1-4, 10-11, 8:15b-9:11を付け加えた。しかしこの編集の後にもう一段階別の編集者(D)が(C)に対して7-8欄を付加した。この再編集は、4QSb,dおよび4QSeの両方の伝承のコンビネーションである。ただし、共同体はこうして出来上がった1QSを持ったあとも、より以前のバージョン(4QSb,d)を筆写し続けた。

2015年2月9日月曜日

クムランと周辺地域との交流 Schofield, "Between Center and Periphery"

  • Alison Schofield, "Between Center and Periphery: The Yahad in Context," Dead Sea Discoveries 16 (2009): 330-50.

本論文の中で、著者はクムランにおけるセクトとしてのヤハッドを、エルサレムなどの都市との関係の中で相対化する試みをしている。すなわち、ヤハッドとは、クムラン遺跡そのものだけに留まらない現象なのである。そのために、セクト的共同体の新しい理解をもたらす社会人類学的なモデルと、そうしたダイナミックなパラダイム中でその共同体の刑法がいかに新しい理解を得られるかを提示している。

そのために、著者はRobert Redfieldによる「大伝統と小伝統の相克論(great and little traditions)」というモデルにヒントを得ている。すなわち、文化の中心地で体系化された伝統と、それを周辺地域の非エリートが日々の生活に合うものにするために受容・再解釈する伝統との相互関係である。彼によれば、いかなる小伝統も大伝統における文化的・宗教的文化から分離して発展することはないという。小伝統は、大伝統で生まれた普遍的な遺産や知識を、自分たちのローカルな遺産や知識に混ぜるのである。これを当てはめると、クムラン共同体の自己理解も、エルサレムのエリートによって体系化された大伝統と、それに対する自分たちの多様な小伝統との相互作用を通して捉えることができる。すなわち、彼らの自己理解は、ユダヤ教の大伝統との同一性とそれに対して境界を引く異質性とを併せ持っているのである。

著者はRedfieldのモデルを敷衍しつつ、クムラン共同体の特徴を「伝統の放射的・対話的交換(radial-dialogic exchange of traditions)」というモデルで説明する。『律法儀礼遵守論』(4QMMT)の中では、この文書の著者グループが自分たちのことを中心的な権威を通じ、あるいはそれに反発することで定義している様子を見ることができる。彼らは暦法に関して太陽暦を採用したが、これは太陰暦を採用していたエルサレムとの対話の中から出てきたことだと理解できる。すなわち、ヤハッドは常にユダヤ的な中心地に照らして自分たちを理解していたのである。こうしたエルサレムに代表される文化的中心地とクムランとの交流の様子は、考古学的にも証明されている。死海文書が入っていた壺はエリコからもたらされたものだとされている。

刑法もまたセクト共同体の新しいパラダイムを示す好例である。『共同体の規則』、『ダマスコ文書』、そして4Q265など比べると、三つのことが分かる。第一に、それぞれの規則に合致しないことがあることから、クムランの刑法はクムランのみで出来上がったものではない。第二に、これら三つの法規は順番に時系列的に発展したものではない。第三に、それぞれが独自の法規を持っていることから、4Q265の作成者がほか二つの抜粋をつなげたわけではない。著者は他にも5Q13と4Q504も比較対象にしている。すなわち、クムランの刑法は決してその場所だけでできあがったものではなく、同様の刑法を持つさまざまなオーディエンスとの交流の中でできあがってきたものといえる。

Redfieldの「大伝統・小伝統」モデルに準じると、『共同体の規則』は周辺的な特徴を備えた文書であり、また『ダマスコ文書』は統一的な中心地の文書であるということができる。確かにクムラン共同体はエルサレムの権威や神殿とのコンタクトを通じてできあがっていった。しかし本論文の著者が提唱する「放射的・対話的」モデルは、この二項対立的な「大伝統と小伝統」モデルと異なり、クムラン共同体がよりミクロのレベルではもっとさまざまな影響関係の中にあったことを説明できる。

『共同体の規則』におけるヤハッド Collins, Beyond the Qumran Community, Ch 2

  • John J. Collins, Beyond the Qumran Community: The Sectarian Movement of the Dead Sea Scrolls (Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 2010), pp. 52-87.
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第二章では、第一章で扱った『ダマスコ文書』(CD)と比較しながら、『共同体の規則』(1QS、以下『共同体』)を検証している。『共同体』の写本は、1QSの他に、第四洞窟から発見されたものもいくつかある。クムラン共同体における共同体を記した書物として、『ダマスコ文書』と『共同体』とにはたくさんの共通点がある(たとえば、入門者の共同体への入会時の作法の一部や、自らの共同体を荒野におけるイスラエルのモデルとして理解していることなど)。一方で、両者にはかなりの違いも見られる(『共同体』においては、女性や子供への言及がないことなど)。『ダマスコ文書』が共同体を「エダー」と呼ぶのに対し、『共同体』は「ヤハッド」と呼ぶことからも、後者の方がよりタイトな関係性であったことが分かる。

『ダマスコ文書』に対する『共同体』に見られる違いとしては、以下の点が挙げられる。入会時の手順がより発展し、複雑化している。入会時に共同体に寄付する額として全財産を求めている(『ダマスコ文書』は給料二日分のみ)。独身主義を貫くことを求めているわけではないが、女性や子供への言及がなく、家族を前提としていない。エルサレムにおける神殿祭儀からのさらなる分離が見られる。共同体内部がより階級的である。共通点としては、「ツァドクの子ら」という表現があくまで警鐘的な表現であり、実際の祭司家系を現すものではないという点が挙げられる。そもそも、『共同体』の第一洞窟からの写本には「ツァドクの子ら」という表現が見られるのに対し、第四洞窟からの写本にはそれが見られないことから、この表現は後代の付け足しである可能性が高い。以上から、『共同体』は『ダマスコ文書』の発展形であるといえる。ただし両者の違いを共同体の「分裂」に求めるのは早計である。

著者は『共同体』におけるヤハッドという名称が、大きさの変化を伴う複数の集団をまとめていうときの包括的な名称か、それとも『共同体』の共同体は一つの大きな集団であり、それのみを表しているのかを考えたときに、前者の考え方を採用している。すなわち、ヤハッドとは、クムランのみならず近隣の村における共同体なども含めた、小集団をまとめていうときの名称なのである。こう考えると、1QSのみならず、第四洞窟からも複数の『共同体』の写本が出てきた理由も説明できる。すなわち、『共同体』は一つの共同体で写されたのではなく、同時にさまざまな小集団の中で写されていたのである。

『共同体』第8章に出てくる「12人の男と3人の祭司」という表現から、これらの人々がクムラン共同体の最初の住人と考えられてきた(E.F. Sutcliffe)。ただし、彼らは単なる入会や行政を司る「共同体の議会」ではなく、特別な訓練を経たエハッドの中のエリート集団と考えることができる。彼らはヤハッドを神殿祭儀の地位に代わるものと捉え、荒れ野での生活を始めたのである。

『会衆の規則』(1QSa、以下『会衆』)と呼ばれる文書は、『共同体』と異なり、『ダマスコ文書』のように女性や子供への言及があることから、家族を想定していると考えられる。ここから『ダマスコ文書』と『会衆』とに何らかの関連性があることは明白だが、同時に『共同体』と『会衆』とにも共通点として「共同体の議会」という表現が見られる。『会衆』はこれら二つの文書同様に、人々をより聖なる段階へと連れ出そうとしたのである。

結論としては以下のようになる。『ダマスコ文書』と『共同体』とが分裂によって別々の共同体を示しているとは考えにくいが、前者よりも後者の方がより洗練され、発展した共同体を想定している。前者は家族を基本にしているが、後者は女性と子供に言及がない。また後者は複数の小集団の集合であり、エリート集団も含まれると考えられる。

この章では補遺として、クムラン共同体と比較できるものとして、ギリシアにおける志願によって構成されるいくつかの集団を紹介している。ディオニュソスを崇める「イオバッキ」などがそれである。ただし、他の一般社会からの分離の度合いや入会に際しての寄付の度合いなどが異なる。他の比較対象として興味深いのはピタゴラス主義者たちである。ヨセフスによるエッセネ派描写やフィロンによるテラペウタイ描写は、ピタゴラス主義者に似ている。ただし、荒野で暮らしていたユダヤ人のセクトがピタゴラス主義に影響を受けていたとは考えにくいため、同様の現象が別の場所で現れたと考えるべきである。むしろユダヤ教内での比較対象として、ミシュナーとトセフタに出てくる「ハヴラー」が挙げられる。これは第二神殿時代のパリサイ派の伝統から出てきたものである。

2015年1月26日月曜日

クムラン共同体を超えて Collins, Beyond the Qumran Community, Introduction

  • John J. Collins, Beyond the Qumran Community: The Sectarian Movement of the Dead Sea Scrolls (Grand Rapids, Michigan: Eerdmans, 2010), pp. 1-11.
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本書は死海文書におけるいわゆる宗派的巻物から、クムラン共同体の姿を抽出しようとする試みである。しかし、ここで言う「クムラン共同体」という表現には問題がある。なぜならば、『共同体の規則(セレク・ハヤハド)』(1QS)の描写からは、複数の共同体が予測されるからである。さらに、クムランから出土した共同体の文書としては、他にも『ダマスコ文書』(CD)があり、両者には共通点も見られるが、大きな差異も認められるからである。一般的には、『ダマスコ文書』が既婚のエッセネ派のための規則であるのに対し、『共同体の規則』はクムランに住んでいた独身の男性の共同体のための規則であると説明されている。著者は、『ダマスコ文書』の方がより古く、元来の共同体規則を反映しており、そこから『共同体の規則』が派生してきたと考えている。

著者は両文書で描かれている共同体を、「セクト」と表現する。すなわち、他の大きな共同体に対する「差異」「敵視」「孤立」を特徴とするグループである。このセクトは、祭司の継承に関する議論を発端として分離したと一般的には説明される。しかし、クムランから出土した別の文書である『律法儀礼遵守論(ミクツァット・マアセ・ハトーラー)』(4QMMT)には、宗教法ハラハーの解釈や暦法に関する議論は見られるが、祭司の継承問題は見られない。ゆえに著者は、クムランのセクト運動は祭司の継承問題とは無関係だと考える。さらには、死海文書から知られるようなセクト運動は、単純にクムラン共同体のものと同一視することはできないとも述べる。本書における著者の目的は、死海文書に描かれた共同体の本姓を描き出すことである。