- Eugene Ulrich, The Dead Sea Scrolls and the Origins of the Bible: Studies in the Dead Sea Scrolls and Related Literature (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1999).
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本書は、クムランで発見された写本のうちの聖書写本を主として扱うことによって、ヘブライ語聖書の起源について検証したものである。著者はDJDシリーズの編者の一人として、死海文書研究に長く携わってきた一人である。
本書でのクムランにおける聖書テクストの研究から著者が中心的に主張しているのは、聖書テクストの「多面性(pluriformity)」である。聖書の節や物語には二重あるいは多重の版が存在する。たとえば、出エジプト記にはマソラー本文と七十人訳の版と、4QpaleoExodmの版があり、エレミヤ書には七十人訳と4QJerbの短い版とマソラー本文の長い版があることが知られている。著者は、聖書テクストには唯一の権威あるテクストがあったのではなく、第二神殿時代を通して複数の版が存在していたのだと結論付けた。当時のユダヤ人は、単一の統一的なテクストを決めずに、多面性を保ちながら一定の文書をゆるやかに「権威ある」ものとして見なしていたのである。
聖書テクストに見られるこれらの多面性の理由を、Frank Moore Crossはそれらのテクストの成立した土地に求め(local text types)、Shemaryahu Talmonはグループに分けた(Gruppentexte)。これに対し著者は、写字生たちの貢献が大きかったと主張する。すなわち、写字生たちは、写本を写していく過程で、補足的な伝承を入れたり誇張したりして、テクストを調和させていったのである。
この写字生の貢献が聖書テクストの多面性の理由であるという点を説明するに当たって、著者は聖書学の方法論にも一家言を呈している。すなわち、聖書学者はしばしば、「テクストの作成(text's composition)」の問題と「(作成された)テクストの伝達と翻訳(text's transmission and translation)」の問題とを明確に分け、前者を文学的かつ神学的な判断に基づく「高等批評(higher criticism)」の領域とし、後者を完成されたテクストの筆写に関する「下等批評(lower criticism)」の領域として分けたがる。しかし、著者はこうした二項対立を作り出すのはやめにして、聖書テクストに関する創造的な文学活動はテクストの伝達の過程になっても続いていたと考えるべきだと主張した。実際、「多面的」なテクストのは後2世紀の前半まで並行して作られていったと著者は考えている。
本書でのクムランにおける聖書テクストの研究から著者が中心的に主張しているのは、聖書テクストの「多面性(pluriformity)」である。聖書の節や物語には二重あるいは多重の版が存在する。たとえば、出エジプト記にはマソラー本文と七十人訳の版と、4QpaleoExodmの版があり、エレミヤ書には七十人訳と4QJerbの短い版とマソラー本文の長い版があることが知られている。著者は、聖書テクストには唯一の権威あるテクストがあったのではなく、第二神殿時代を通して複数の版が存在していたのだと結論付けた。当時のユダヤ人は、単一の統一的なテクストを決めずに、多面性を保ちながら一定の文書をゆるやかに「権威ある」ものとして見なしていたのである。
聖書テクストに見られるこれらの多面性の理由を、Frank Moore Crossはそれらのテクストの成立した土地に求め(local text types)、Shemaryahu Talmonはグループに分けた(Gruppentexte)。これに対し著者は、写字生たちの貢献が大きかったと主張する。すなわち、写字生たちは、写本を写していく過程で、補足的な伝承を入れたり誇張したりして、テクストを調和させていったのである。
この写字生の貢献が聖書テクストの多面性の理由であるという点を説明するに当たって、著者は聖書学の方法論にも一家言を呈している。すなわち、聖書学者はしばしば、「テクストの作成(text's composition)」の問題と「(作成された)テクストの伝達と翻訳(text's transmission and translation)」の問題とを明確に分け、前者を文学的かつ神学的な判断に基づく「高等批評(higher criticism)」の領域とし、後者を完成されたテクストの筆写に関する「下等批評(lower criticism)」の領域として分けたがる。しかし、著者はこうした二項対立を作り出すのはやめにして、聖書テクストに関する創造的な文学活動はテクストの伝達の過程になっても続いていたと考えるべきだと主張した。実際、「多面的」なテクストのは後2世紀の前半まで並行して作られていったと著者は考えている。
こうしたテクストの「多面性」のひとつの証拠として著者が提示するのは、ヨセフス『古代誌』におけるサムエル記の扱いである。著者によれば、ヨセフスは『古代誌』においてサムエル記の内容を説明するに当たって、当然ヘブライ語聖書に依拠したわけだが、そのとき彼はマソラー本文ではなく、4QSamaに関係する別のヘブライ語テクストを用いたというのである。この発見は著者を有名にした。
またオリゲネスの『ヘクサプラ』についても研究を残している。著者によれば、オリゲネスが自身に入手可能なギリシア語テクストを、ヘブライ語テクストに合わせて「修正」したことは、そのギリシア語テクストの起点テクスト(別のヘブライ語テクスト)の持っていた別の伝承を失うことになってしまったという。いうなれば、オリゲネスはギリシア語訳のオリジナルに遡ろうとすることで、かえってそこから遠いところに行ってしまったということである。
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