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2017年2月28日火曜日

『共同体の規則』の再解釈 Schofield, From Qumran to the Yahad

  • Alison Schofield, From Qumran to the Yahad: A New Paradigm of Textual Development for the Community Rule (Studies on the Texts of the Desert of Judah 77; Leiden: Brill, 2009).
本書は、『共同体の規則』の第一洞窟からの写本(1QS)と第四洞窟からの諸写本を検証することで、同書に新鮮な再解釈を施そうとしたものである。そこで語られている「ヤハド」とクムラン共同体とを簡単に同一視してよいのかという疑問は、すでにJohn J. Collins, Eyal Regev, Torleif Elgvinらによって提出されているが、著者はこの点について、『共同体の規則』の異読からアプローチしようとした。

著者は『共同体の規則』の中で語られている「ヤハド」のアイデンティティを明らかにするために、人類学やRobert Redfieldの学説を参考に、「放射的・対話的(radial-dialogic)」モデルを適用している。こうしたモデルの活用によって共同体の発展を検証すると、ヤハドは、社会から自らを区別した者たちによる、階層的に構築された運動であると言える。

『共同体の規則』のテクストについて、長い版である1QSと、短い版である第四洞窟の写本が存在する。古文書学的・科学的には1QSの写本の方が古いが、内容的には第四洞窟の写本の方が古いと考えられている。これらの関係性について、長い版である1QSの方が古く、第四洞窟の写本はこれに由来するものだと説明する場合(P. Alexander)と、第四洞窟の写本の方が古く、1QSは発展の最終段階を示していると説明する場合(S. Metso)とがある。著者は、核となる共通の伝承(おそらくエルサレムにあった)が初期の段階で広まったのであり、1QSや第四洞窟の写本はそれぞれ独立に発展したのだと主張している。

著者は、結論として、ヤハドの最初のヒエラルキー上の中心地はエルサレムであったが、運動が次第に神殿抜きの共同体としてのかたちを整えていくに従って、クムランへと移動したのだと述べている。

修辞批評と死海文書 Newsom, "Rhetorical Criticism and the Dead Sea Scrolls"

  • Carol A. Newsom, "Rhetorical Criticism and the Dead Sea Scrolls," in Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2010), pp. 198-214.
Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and MethodsRediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods
Maxine L. Grossman

Eerdmans Pub Co 2010-06-28
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本論文は、修辞批評(rhetorical criticism)を用いた死海文書解釈の一例を示したものである。修辞学とは、言葉を用いて現実に何らかの影響を与えようとすることである。著者は修辞的な分析を死海文書に加えることで、テクストが試みていることは何か、現実の社会にどのように影響を及ぼそうとしたのか、そして望む結果を得るためにどんな技術を用いたのかを明らかにしている。

とはいえ、批評という個人的な行為を方法論として客観的に確立するのは不可能なことに近い。著者はこの限界を意識しながらも、テクストを読むときに批評家として以下のような疑問点を思い浮かべることは役に立つと主張する:第一に、当のテクストのジャンルは何か。第二に、テクストはそれが意識している問題をどのような枠組みで扱っているか。第三に、テクストが持っている価値観を表わす用語はどのようなものがあるか。第四に、テクストはいかにしてその著者と読者(聴衆)を定め、またそれらの関係を定めているか。そして第五に、理性的な議論と曖昧な比喩表現との間にはどのような関係性があるのか、などである。

著者によれば、死海文書研究において、修辞批評はまだあまり使われていないという。しかしセクト主義的な共同体の文学は特にこのタイプの分析との親和性が高い。なぜなら、改宗者を呼び寄せ、メンバーシップを与えるためには、説得(折伏)の効果を必要とするからである。しかもそれは一度説得して終わりではなく、説得力を持たせ続けなくてはならない。死海文書における説得力は、試験、儀式、礼拝、聖書解釈、説教実践、そして言葉によらない象徴的な交流などによって保たれていた。

入信者への手引きとしても用いられていた『ダマスコ文書』の中で、話し手は知恵文学の知恵の教師のようなかたちで聴衆に語り掛けている。話し手は聴衆のアイデンティティを変えるためというよりは、むしろ彼らがすでに持っている善の意識や悪からの分離を強めようとしている。そのために、話し手は善と悪の二択を用意しておいて、聴衆は善の方に属していると教えてやるのである。歴史を語る際には、符丁を用いて内部の人間にはピンと来るように語ることで、外部との差異化を図った。さらに、寓意的解釈によって現在の出来事を聖書の預言と結びつけることは、力強い説得力になった。

『共同体の規則』は、当時の伝統に従って、少なくともマスキールのような指導者によって暗記されており、そうすることで文書の修辞は内部化され、セクト構成員の自己理解の一部となった。『ダマスコ文書』が命令形を多用し、話し手と聴衆との相互理解を前提とした語り口を持っているのに対し、『共同体の規則』は不定法を多用することで、話し手と聴衆との関係が不明な、高度に非人称化された規範的な語り口になっている。また、『ダマスコ文書』が内部のメンバーを励ましていたのに対し、『共同体の規則』は外部の人間を内部の人間に変化されることを目的としていた。

また『ホダヨット(感謝の詩篇)』は、義の教師本人か共同体の誰かによって書かれたものと考えられる。この文書は、第一に、一人称単数で書かれており、第二に、他の登場人物がいなく、たった一人の声で書かれており、そして第三に、話し手の主観が見られることなどから、話し手が義の教師に対して親近感を抱き、受け入れるような修辞的な工夫が施されていると言える。そのために、敵対者をこき下ろし、自らを被害者として描くことも忘れてはいない。

以上より、言語はセクト的共同体を作り、また維持するための生き生きとした道具であった。注意深く言葉を用いることで、アウトサイダーをインサイダーに変え、すでにインサイダーである人々のアイデンティティを強めることができた。修辞批評を死海文書に用いることは、文学批評のみならず、科学的アプローチ、祭儀研究、そして神学研究にも役立つだろう。

2017年2月27日月曜日

『共同体の規則』について Metso, The Serekh Texts

  • Sarianna Metso, The Serekh Texts (Library of Second Temple Studies 62; Companion to the Qumran Scrolls 9; New York: T&T Clark, 2007).
The Serekh Texts (Companion to the Qumran Scrolls (T&t Clark))The Serekh Texts (Companion to the Qumran Scrolls (T&t Clark))
Sarianna Metso

T&T Clark Ltd 2007-06-24
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本書は『共同体の規則(セレク・ハヤハド)』のテクストの原典と翻訳に加えて、最新の研究成果を反映した概説書である。著者はまず『共同体の規則』の重要性として、実践や教えに関するその内容から、同書を持っていた集団がヨセフスが記しているエッセネ派であったと考えられることを指摘している。特に『共同体の規則』の最も保存状態のいい写本である1QSは、クムラン=エッセネ派説を維持する最良の証言だと言える。

『共同体の規則』にはさまざまなテクストが組み込まれている。たとえば、宇宙を善悪二元論で理解する「二つの霊の論文」(1QS 3.13-IV.26)、入信の取り決めなどを含む「共同生活の規則」(1QS 5.1-6.23)、そして聖書の引用(イザ40:3)を含む、エルサレム神殿の代わりとしてのクムラン共同体の立ち位置を言明する「初期規則のマニフェスト」(1QS 8.1-9.26a)などである。

『共同体の規則』の写本としては、1QSの他に、4QSa-j、5Q11、11Q29などがある。これらの写本を検証した結果、『共同体の規則』には長い版(1QS)と短い版(4QSb、4QSd)とが存在していることが分かった。二つの版が存在する理由としては、複数の文学的伝承があったから(G. Vermes)、あるいはツァドク派によって長い版が編纂され短い版ができたから(C. Hempel)、などと説明される。いずれにせよ、多くの研究者は長い版である1QSの方が古いテクストだと考えてきた(P.S. Alexander)。

これに対し、著者はむしろ第四洞窟で発見された短い版の方が古く、初期の形を保存しており、1QSはその短い版が後代に編集された結果出来上がったものだと主張した。その理由は、第一に、1QSにある聖書引用が第四洞窟の写本にはないこと、そして第二に、1QSにはあるが第四洞窟の写本にはないさまざまな編集要素があることである。『共同体の規則』のさまざまな版が存在するということは、クムランの共同体が新しい拡張版(1QS)を持っているときでも、古い版(4QSb、4QSd)を繰り返し筆写していたことを示している。

著者は『共同体の規則』に書かれていることがエッセネ派的であることは認めつつも、細部においてヨセフス『ユダヤ戦記』(2.137-139)のそれとは異なっていることを指摘している。

『共同体の規則』には聖書との関連性を伺わせる箇所がたくさんあるが、明確な聖書引用は、1QS 5.15(出23:7)、1QS 5.17(イザ2:22)、そして1QS 8.14(イザ40:3)の三か所のみである。第四洞窟の写本に聖書引用がなく、1QSに集中していることから、著者は1QSは後代の編集版であり、聖書引用を付け加えることで共同体の自己理解を強めようとしたのだと考えている。また荒野の預言者に関するイザ40:3の引用から、新約聖書との比較もなされている。

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2017年2月26日日曜日

クムランの考古学 Magness, The Archaeology of Qumran

  • Jodi Magness, The Archaeology of Qumran and the Dead Sea Scrolls (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 2002).
The Archaeology of Qumran and the Dead Sea Scrolls (Studies in the Dead Sea Scrolls & Related Literature)The Archaeology of Qumran and the Dead Sea Scrolls (Studies in the Dead Sea Scrolls & Related Literature)
Jodi Magness

Eerdmans Pub Co 2003-07
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本書は、テクスト上の証拠だけではなく考古学をも用いて、セクト的な居住区の正確な姿を描こうとしたものである。クムランの考古学というと、Roland de Vauxによるプレリミナリーな研究が知られているが、著者は、クムラン遺跡が死海写本の著者たちの居住区であったとするDe Vaux説を基本的には受け入れつつ、特に時系列に関して修正を施している。著者はさらに、クムランの居住者たちはエッセネ派であったという通説を受け入れている。

写本と遺跡とを同じ共同体の産物だと考えることができるのは、著者によれば、ボウル型の蓋のついた円筒形の壺や卵型広口の壺などが、洞窟からも遺跡からも見つかっているからだという。死海写本における法的議論に基づいて考えると、壺がこうした形をしている理由は、安息日や浄不浄の規則を守るためだと考えられるのである。ただし、著者のように、文書に関する知識から遺跡を解釈することは、その前提知識ゆえに視点を曇らせてしまう。つまり、文書から得た知識に合わせるかたちで遺跡を解釈する可能性があるのである。

実際に、写本が出土した洞窟とクムランの遺跡とを必ずしも同一の集団によるものだと見なしてはいけないと考える研究者たちも多くいる。Jürgen Zangenbergは、クムランから出土する壺など陶器の特徴は、クムランに限ったものではなく、地域的なものだとした上で、そうした状況証拠は、クムランにセクト的集団が住んでいたことを意味しないと批判している。

時系列に関して、著者はDe Vauxのそれに再構成を修正している。De Vauxによれば、クムランには第二神殿時代の後期の前135年頃から、共同生活を営むエッセネ派のユダヤ人(ほとんど男性)が住み着き、特殊な聖書解釈に従った律法学習を行ない、また厳格な浄不浄意識を持っていた(1A期)。前100年になると居住区は拡張され、人口も増えたが、前31年の地震で壊滅した(1B期)。しばらく遺跡は放置されていたが、同じグループによって前4年に再建された。この新生クムラン共同体は、しかし後68年にローマによって滅ぼされた(2期)。この後わずかな期間、遺跡はローマによって支配されていたが、ついには打ち捨てられてしまった(3期)。

これに対し、著者はDe Vauxの言う1A期は存在せず、エッセネ派の定住は上の1B期に当たる前100年から始まったと主張した。さらに地震による前31年の中断もなく、共同体は前8/9年の大火まで存続した。著者によれば、このあとしばらく遺跡は放置されたが、De Vauxの言う第2期同様に、前4年から再建され、後68年に滅びたという。

著者は他にも、考古学的観点から興味深い指摘をしている。まず、遺跡の施設の配置から、西側には正常なものが、そして東側には不浄なものが集められている。また墓地のデータから、クムランには確かに女性は存在したが、人口のうちのかなり少数だったと言える。さらに、クムランの住人が来ていた白い亜麻布の服は、エルサレムの神殿の祭司たちの服でもあったという。

クムラン考古学は現在進行中の知的営為であり、古い観点から新しい観点への移行期にある。その点で、著者のDe Vaux説への固執はやや時代遅れとも言えるが、それでも本書はクムラン考古学の各論点を網羅的に教えてくれるものである。

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2017年2月25日土曜日

死海文書の社会科学的分析 Jokiranta, Social Identity and Sectarianism

  • Jutta Jokiranta, Social Identity and Sectarianism in the Qumran Movement (STDJ 105; Leiden: Brill, 2013).
本書は死海文書に社会科学的理論(social-scientific theory)を当てはめることを試みた著者の博士論文を基にした一作である。その目的はもちろんテクストを理解することである。著者は、Bryan Wilsonのやり方で宗教性の種類によってセクトを分けたり、Ernst Troeltschのやり方で教会とセクトとを対比したりするのではなく、Rodney StarkとWilliam Sims Bainbridgeは、セクトのようなグループと社会との間にある緊張の度合いを議論している。

StarkとBainbridgeはセクトを、「伝統的な信仰や実践から逸脱した宗教組織」と定義しているが、そのセクトと社会との緊張は、「相違(difference)」、「敵意(antagonism)」、そして「分離(separation)」から測ることができるという。ここでの「相違」とは、ある宗教グループの規範が周囲の社会の規範から逸脱していることを指し、「敵意」とは、独特の正当性を主張することと関係しており、そして「分離」とは、社会文化的環境を拒絶する最も確固としたしるしである。

さらに、さらなる方法論として、著者はHenri Tajfelによる「社会的アイデンティティ理論(social identity theory)」を用いている。これは、ある個人の自己概念がその人の属する社会グループの一員であることの意識に由来することを指している。また、あるグループに属しているという意識は、傾向として、グループ同士の類似性や相違性を増幅して示すことがあるという。この理論を用いることで、著者は、アイデンティティの成立は真に社会心理学的な現象だということを知ることができると考えている。

こうした方法論をもとに死海文書を検証した結果、著者は、『ダマスコ文書』が一般的に世間に開かれた文書であるとされているのに対し、実際には『ダマスコ文書』も『共同体の規則』も共に広く共有されたセクト主義的性格を持っていると指摘している。またクムラン共同体の聖書解釈であるペシャリームは、「相違」「敵意」「分離」を示すセクト主義の産物と言えるという。というのも、ペシャリームにおいて、内部グループはさまざまな集合的な用語で表わされており、一方で外部グループはステレオタイプで表わされているからである。

2017年2月24日金曜日

新しい歴史学による死海文書読解 Grossman, Reading for History in the Damascus Document

  • Maxine L. Grossman, Reading for History in the Damascus Document: A Methodological Study (STDJ 45; Leiden: Brill, 2002).
Reading for History in the Damascus Document: A Methodological Study (Studies on the Texts of the Desert of Judah)Reading for History in the Damascus Document: A Methodological Study (Studies on the Texts of the Desert of Judah)
Maxine L. Grossman

Society of Biblical Literature 2009-04-07
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本書は、現代的な文芸批評の方法論を用いることで、クムランのセクト的文書である『ダマスコ文書』などを検証したものである。死海文書のセクト的文書は、当初は、さまざまなテクストを著したクムラン居住者である教師によって率いられた単一の共同体の姿を描いているのだと考えられていたが、実際にはより複雑な文学的な作品であって、聖書テクストと同様に疑ってかからなければならないことが明らかになってきた。

そこで著者は、脱構築、読者応答批評、間テクスト性、社会科学的洞察、基盤文書の研究といった、現代的な文芸批評の方法論を採用した上で、それを「新しい歴史学(new historiography)」と呼んだ。この方法論の先行者としては、Philip Daviesのようなごく限られた研究者が挙げられる。異なった読者を想定したり異なったジャンルの文書として読んだりすることで、複数の読解をする方法論は、特に『律法儀礼遵守論(4QMMT)』に用いられている。また『ダマスコ文書』に関して、著者はジェンダー論を経由した女性の役割を論じたり、同書がツァドク派の手によるものである可能性を指摘している。

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クムランの知恵文学 Goff, Discerning Wisdom

  • Matthew J. Goff, Discerning Wisdom: The Sapiential Literature of the Dead Sea Scrolls (VTS 116; Leiden: Brill, 2007).
本書は、死海文書に含まれる知恵文学を網羅的に、かつ専門的に扱った研究書である。著者は、博士論文を書籍化した前作The Worldly and Heavenly Wisdom of 4QInstruction (Leiden: Brill, 2003)でも知恵文学を扱った、この分野のエクスパートである。

著者は、ややもすると曖昧になりがちな「知恵文学」の定義を以下の4つの特徴に求めている:
  1. 教育的意図(pedagogical intent)があること
  2. テーマ的な類似性(themaic affinity)があること
  3. キーフレーズやモチーフ(key phrase and motifs)があること
  4. 知恵文学の伝統における発明(innovation)があること
こうした定義のもとに検証した結果、著者は、クムランの知恵文学は教育的かつ幸福主義的であり、通常生活の範囲に関連した実用的な教育的指導を提供することに関心を持っていると結論付けた。さらに特筆すべきは、終末論的な伝統からの強い影響があること、最高の知恵は神からの啓示であり、特にトーラーの中に見つかると考えていること、そして敬虔さと礼拝への強い関心を持っていることなどが挙げられる。多くの文書は前2世紀から前1世紀にかけて作成されたと考えられるが、さまざまに異なる特徴をも持っているために、単一の学派に帰することはできない。他にも、ソロモンへの言及の欠如、神義論や認識論的な絶望の欠如、知恵の周辺化、祭司的な見解の欠如、歴史的なマーカーの欠如、歴史への紙のドラマティックな介入の待望、女性を闇とエロティックに結びつける女性嫌悪などが指摘される。

むろん著者は、聖書の知恵文学にはあるがクムランの知恵文学には欠落している特徴が存在することも指摘している。逆に聖書の知恵文学にはないがクムランの知恵文学にはある特徴もある。このうち後者の場合を、著者はしばしば新しい「発明」だと見なす場合があるが、それは早計というものだろう。さらに、エノク文学や『ヨベル書』のように、明らかにクムランのセクト的文書に大きな影響を及ぼしているが、それ自体は非セクト的である文書があることから類推されるように、聖書の知恵文学とクムランのそれにも同様の関係性が見られるという。

著者はクムランの知恵文学を議論するに当たって、主要な比較対象として『シラ書』を取り上げている。『シラ書』を経由することで、著者は、非セクト的文書である『4Q教育』や『4Q謎の書』が、セクト的文書である『共同体の規則』中の「二つの魂の章」(3:13-4:26)に影響を与えていること、『4Qマスキールの言葉』がクムラン由来の文書であること、そして『4Q義の言葉』が知恵文学を改訂・翻案していたことなどを明らかにした。

2017年2月23日木曜日

フランク・ムーア・クロスの貢献 Crawford, "Frank Moore Cross's Contribution"

  • Sidnie White Crawford, "Frank Moore Cross's Contribution to the Study of the Dead Sea Scrolls," Bulletin of the American Schools of Oriental Research 372 (2014), pp. 183-87.

本論文は、死海文書の校訂チームに長くかかわったCrossの業績を、彼の弟子の一人であるCrawfordがまとめたものである。Crossと死海文書との関わりは、彼がジョンズ・ホプキンス大学の大学院生だった1948年に、師であるW.F. Albrightから、クムラン第一洞窟で発見されたイザヤ書巻物の写真を見せられたときから始まった。Crossはのちに死海文書の古文書学(paleography)で大きな業績を上げることになるが、彼の古文書学的なアプローチは、この最初の体験のときから始まったようである。

1952年に第四洞窟が発見されると、G. Lankester HardingとRoland de Vauxらは、パレスチナ考古学博物館にて巻物の研究をすることにした。Crossはアメリカ・オリエンタル研究所の代表として、国際チームの中で最初に現地に到着したために、第四洞窟の巻物を最初に手にした一人となった。

見つかったままの写本を検証することができたために、彼は次の二つの大きな発見をすることになった:第一に、巻物のいくつかは、おそらく洞窟に入れられたときからすでに劣化していた。第二に、比較的新しい巻物も古い巻物も同じ場所から見つかった。この二つの発見から、Crossは、巻物は秩序立てて保存されていたのではなく、むしろ洞窟の中に慌てて捨てられていたのだと考えた。これは第四洞窟の正確を考える上で大きな手掛かりになる発見であった。

さらに1953年にCrossが第四洞窟の巻物を調べていると、サムエル記に関係する写本を見つけた。しばらくは放っておいたのだが、ある日それを読んでいると、Crossはその写本がマソラー本文とは異なり、むしろサムエル記のギリシア語訳と共通する特徴を持っていることに気付いた。この写本は、ヘブライ語聖書の本文研究に大きな貢献をすることになる4QSamaであった。

Crossは、クムランに住んでいた共同体のアイデンティティの問題にも大きな関心を寄せていた。彼はこの共同体をエッセネ派だと考えていた。彼は大プリニウスのエッセネ派に関する証言(『自然史』5.73)がクムラン共同体の特徴に酷似していることに注目した。さらに、フィロン、ヨセフス、デュオン・クリュソストモス、ヒッポリュトスらによるエッセネ派に関する証言と、『共同体の規則』、『ダマスコ文書』、『戦争巻物』、『会衆の規則』などの諸文書とを比較することで、クムランがエッセネ派の本拠地であったと結論付けた。Crossは次の有名な一節で、クムラン=エッセネ派説を強調した:
前2世紀に興隆したセクトで他に荒野の共同体と関係したものを〔クムランの〕他に我々は知らない。さらに、クムランの共同体は正確に新しいイスラエルとして編成されていた。すなわち、エルサレムの祭司制と祭儀を否定する真のセクトとしてである。パリサイ派もサドカイ派もこれに該当しないが、エッセネ派は完全に該当する。〔中略〕クムランをエッセネ派と同定することに疑義を唱える研究者は、自らを驚くべき立場に立たせることになる。彼が真剣にも示唆しているのはこういうことである。二つの大規模な共同体が死海の砂漠の同じ地域に共同の宗教共同体を作り、実際に二世紀にも渡り共に住み、似たような奇妙な見解を持ち、似ているというよりは同一の清めや儀式的な食事、そして祭儀を行なっていた、と。この研究者はまた次のように考えなければならない。片方の共同体は、古典作者らによって丁寧に描写されていたにもかかわらず、建築物の遺跡や陶器の破片さえあとに残さず消え、もう片方の共同体は、古典作者たちによって組織的に無視されたにもかかわらず、多くの遺跡や、偉大な図書館をも残したのだ、と。私だったら無謀でもきっぱりとクムランの人々を彼らの永遠のゲストであるエッセネ派と同一視したい。(Cross, Canaanite Myth and Hebrew Epic: Essays in the History of the Religion of Israel, Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1973, pp. 331-32)
ただし、Crossは同時に古典資料に書かれたエッセネ派の姿と、巻物から浮かび上がる共同体とには違いが見られることにも気づいていた(結婚と独身主義など)。そこで、当時のユダヤ教には浄不浄を問題にする祭司的な伝統と、より後代に発展した終末論的な伝統とがあり、クムラン共同体ではその二つが祭司的な終末論として同居していたと説明しようとした。ここでのCrossの説明は十分ではなく、事実クムラン共同体をエッセネ派と考えることに疑義を挟む研究者もいる。Crossは他にも、ペシャリームに言及されている悪の教師をハスモン家のシモンと同定したが、この説はあまり広く受け入れられたわけではない。

Crossの死海文書研究に関する簡便な入門書としては以下がある。
The Ancient Library of QumranThe Ancient Library of Qumran
Frank Moore Cross

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2017年2月22日水曜日

ヤハドとは何か Collins, "Beyond the Qumran Community"

  • John J. Collins, "Beyond the Qumran Community: Social Organization in the Dead Sea Scrolls," Dead Sea Discoveries 16 (2009), pp. 351-69.

本論文は、『共同体の規則(セレク・ハヤハド)』(1QS)という文書において言及されている「ヤハド」という共同体が、どのような特徴を持ったものかを再考したものである。Millar Burrowsら研究者たちは、この『共同体の規則』が描き出す共同体と『ダマスコ文書』のそれとがやや異なっていることには気づいてはいた。J.T. Milikは、『共同体の規則』は厳格なエッセネ派的修道生活を始めた義の教師の作であり、一方で『ダマスコ文書』は後代にクムランの共同体を離れたグループから来たものだと見なした。Geza Vermesは、『ダマスコ文書』が結婚するエッセネ派のための規則であるのに対し、『共同体の規則』はクムランに住んだ独身主義者の共同体のための規則であると指摘した。これらの研究者たちは、このように両文書の違いに意識的ではあったが、それらが描いている共同体はひとつの同じものだと考えていた。

Philip Daviesは、しかしながら、『ダマスコ文書』を独立した文書として読む必要を提案し、同書は義の教師たちがクムランにやってくる前に存在した共同体に由来するものだと主張した。言い換えれば、『ダマスコ文書』は『共同体の規則』で描写されている共同体よりも前の段階を反映しているのである。『ダマスコ文書』と『共同体の規則』を含む別の写本群が第四洞窟で見つかると、第一洞窟で見つかった写本との異読が問題となり、Sarianna Metsoらが説得的な議論を展開した。

こうした議論の蓄積から、『ダマスコ文書』と『共同体の規則』とは単一の共同体の生活を反映してはいないと考えられている。『ダマスコ文書』から再構成される共同体の姿は、結婚や親子関係に基づいた家族共同体のそれであり、『共同体の規則』に見られる修道的な共同体とは異なっている。とはいえ、Joseph Baumgartenが指摘するように、『ダマスコ文書』の共同体の全員が結婚したり子供がいたりするわけでもない。

修道的な共同体を描く『共同体の規則』には、子供や女性に関する記述が一切ない一方で、共同活動への強い関心が見られる。『ダマスコ文書』では財産の喜捨は月に二日分だけでよかったが、『共同体の規則』では全財産を共同体に明け渡すことが求められている。これこそがまさに「ヤハド(統一)」の意味するところであった。

以上のようなそれぞれの文書の特徴から考えると、『共同体の規則』の方が古いという見解(Milik, Crossら)よりも、『ダマスコ文書』の方がより古く単純な規則を保存しており、『共同体の規則』はより発展的であると見る方が妥当である。

ただし、『共同体の規則』に描かれている「ヤハド」を単純に荒野の単一の共同体と見なすこともまたできない。著者は同書の第6章の記述から(「10人の男性がいるところではどこでも祭司を欠いてはならない」)、『共同体の規則』には大グループと小グループとが含意されていることを指摘した。そして、村や都市に住む小グループにも、クムランなど大グループにも、同じ人数の協議会があったのだと述べている。また、クムランで見つかった『共同体の規則』に異読が見られるのも、こうした複数のグループが複数の写本を所有していたからだと考えた。

『共同体の規則』8章は、こうした協議会が12人の男性と3人の祭司で構成されていたことを証言している。著者は、彼らが「ヤハド」の行政を担っていたのではなく、むしろ「ヤハド」に従属する、特別な訓練を積んだエリートグループであったと見なしている。また、このように「ヤハド」には複数のグループがあったことを鑑みると、クムランが必ずしもセクトの中心地であると考える確実な理由はなくなる。フィロンやヨセフスが証言するうように、エッセネ派は複数の土地に住んでいたのであるから、クムランもまたその一つの、とりわけリトリートセンターのような役割を持っていたと考えるべきだろう。

さらに、クムランはそもそもセクト的な遺構と考えてよいのかについて、著者は議論している。というのも、巻物が洞窟に隠された時代にはすでにクムランはセクト的共同体であったにせよ、常にそうだったとは言えないからである。Yitzar Hirshfeld, Y. Magen, Yuval Pelegらの考古学者たちは、クムランの遺跡はもともとは要塞であり、後68年に軍隊によって破壊されたと考えた。事実、ハスモン朝時代(前140年-前37年)には、死海の周りに多くの要塞が作られていた。クムランもまた要塞だとすると、そこにある墓地から男性の遺体ばかりが出てくる理由も説明がつく。しかしながら、クムラン=要塞説を立証する考古学的証拠は見つかっていない。一方で、クムランは義の教師によって設立されたとする説にも疑いを容れる余地はある。

以上より、結論としては:
  1. 後1世紀にはクムランはセクト的居住地になっており、ハスモン朝時代にもすでにそうだった可能性が高い。
  2. クムランは「ヤハド」の一つの居住地に過ぎず、「ヤハド」の全体ではない。
  3. クムランは「ヤハド」の本拠地であったという証拠はない(巻物がここに隠されたのはエルサレムから遠かったからというだけ)。
  4. 『共同体の規則』はクムラン共同体のために特別に書かれた文書ではない。
  5. 「ヤハド」とは、孤絶した修道的共同体ではなく、各地に散っていた宗教団体のことであるため、「ヤハド」=「クムラン共同体」という等式は成り立たない。
ちなみに本論文は、著者による以下の著作を短くまとめたものである。
Beyond the Qumran Community: The Sectarian Movement of the Dead Sea ScrollsBeyond the Qumran Community: The Sectarian Movement of the Dead Sea Scrolls
John J. Collins

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2017年2月21日火曜日

死海文書研究の方法論 Brooke, Reading the Dead Sea Scrolls

  • George Brooke, Reading the Dead Sea Scrolls: Essays in Method (Early Judaism and Its Literature 39; Atlanta: Society of Biblical Literature, 2013).
Reading the Dead Sea Scrolls: Essays in Method (Early Judaism and Its Literature)Reading the Dead Sea Scrolls: Essays in Method (Early Judaism and Its Literature)
George J Brooke Nathalie LaCoste

Society of Biblical Literature 2013-09-13
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本書は、死海文書研究の方法論を議論した論考を収めた論文集である。著者は、クムラン学者の第一世代は死海文書研究の方法論に対する意識が低く、かろうじて彼らが受けてきた聖書学の方法論を適用したにすぎないと批判する。聖書学は文学研究の方法論に関しては創造的であったが、死海文書研究には独自の方法論はなかった。とはいえ、初期の死海文書研究においては、テクストの解読や校訂といった基礎的な文献学的作業をする必要があったので、そこまで手が回らなかったともいえる。

著者のBrooke自身は死海文書研究の第二世代に属する研究者であり、聖書学の古典的な方法論を再考しつつ、空間性の研究や心理学などの最先端のアプローチを採用しようとした。そこで、本書の中では、いかにして死海文書は聖書学のタスクを再構成したのか、そしていかにして人文学や社会学が死海文書研究を再構成するのかを考察している。

具体的には、死海文書の写本を検証することにより、受動的な役割しか持たないと考えられていた写字生には、実は創造的で解釈学的な役割があったことを明らかにした。また頻繁に用いられる「伝統」という概念について、最高を促している。というのも、クムラン共同体があった時代には、それまで伝統と考えられてきたさまざまな概念が使われなくなっているからである。これは、著者がしばしば言及する「記憶」の研究にもつながるものである。さらに、Jutta JokirankaやEyal Regevらと共に、著者は死海文書の理解に社会科学的な方法論が適用できることを主張している。

著者によれば、聖書学や死海文書研究は、専門用語の問題に取り囲まれている。たとえば、hypertextとhypotextという言葉が、文書間の模倣や依拠を表わすために使われている。著者はhypertextとは模倣的・依拠的テクスト(imitative/dependent text)のこと、hypotextとはhypertextが依拠しているテクストのこと、そしてparatextとはテクストを読者に「取り次ぐ」テクスト的現象のことだと定義している。著者は、このように死海文書の間テクスト性について深い洞察をしている。

著者は死海文書のうちの歴史的テクストと呼ばれるものを検証することで、クムラン共同体がサムエル記および列王記や歴代誌などといった、聖書の歴史文書にほとんど関心を持たなかったことを明らかにした。

2017年2月20日月曜日

クムラン文書の再吟味 Bernstein, Reading and Re-reading Scripture at Qumran

  • Moshe J. Bernstein, Reading and Re-reading Scripture at Qumran (Studies on the Texts of the Desert of Judah 107; Leiden: Brill, 2013).
Reading and Re-Reading Scripture at Qumran (Studies of the Texts of Thedesert of Judah)Reading and Re-Reading Scripture at Qumran (Studies of the Texts of Thedesert of Judah)
Moshe J. Bernstein

Brill Academic Pub 2013-06-21
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本書は著者の死海文書に関する論文集である。本書で扱われている問題は広い範囲に渡る。たとえば、「再説聖書(Rewritten Bible)」という用語は、Geza Vermesによって用いられてから、さまざまな研究者たちによって極めてルーズに使わてきた結果、文学ジャンルを指す用語というよりは、むしろそのプロセスとして理解されているが、著者はVermes当時のより狭義の意味合いに戻すべきだと指摘する。

『創世記注解A』とも呼ばれる4Q252について、著者はそれを、テクストにおける謎を解決しようとするシンプルな意味での「注解」と見なされるべきであるという。そして単純にある人物/たちによって著された書物というより、さまざまな文書から素材を抜粋して編集されたものであるという。

『外典創世記』については、しばしば研究者たちは同書に見られるアラム語での聖書引用から当時アラム語タルグムがあったことを示そうとするが、著者はこの見解を否定している。しかし、『外典創世記』のようなアラム語「再説聖書」の存在がタルグム的な聖書解釈アプローチに影響を与えた可能性は否定していない。

ラビ文学との関係については、アケダーにおける天使の記述に関するなどを検証した結果、ラビ文学に保存されている解釈伝統は、『ヨベル書』などにすでに表されていることを指摘している。

以上のような細々とした検証とは別に、著者の研究の大きな特徴は、死海文書を扱う際にある文書をどう分類し、そのデータを解釈するかという点を重視することである。著者は読者に対し、常にまずデータを分類し、基本的な分析のカテゴリーを作成することを思い出させる。

この姿勢は、著者の「ジャンル(genre)」の問題への関心と結びついている。著者は、ある文書をどのジャンルに分類するかをひとつのゴールに設定しており、そうした方法論が生産的であることを認めつつも、そうしたジャンルの理論というものが古代における文書の作者自身の問題ではなく、結局のところ現代の読者の学問的な分析の道具に過ぎないことも意識している。このことは、著者が重視する他の用語である「様式(form)」と「方法論(method)」にも言えることである。

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2017年2月19日日曜日

『スィフラ』の聖書解釈 Yadin-Israel, Scripture and Tradition

  • Azzan Yadin-Israel, Scripture and Tradition: Rabbi Akiva and the Triumph of Midrash (Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2015).
本書はタナイーム期のレビ記注解であるミドラッシュ『スィフラ』の聖書解釈方法論を検証したものである。2世紀から3世紀のラビたちは、二種類のテクストを残している。第一に、記憶され朗誦される定言的な律法を持つ「ミシュナー」型。第二に、聖書の句を分解し、それに注解を施す「ミドラッシュ」型である。『メヒルタ』、『スィフラ』、『スィフレ』などは後者の型に属する。

聖書に対するミドラッシュの関係は、しばしば駄洒落や言葉遊びなどと捉えられてきたが、Daniel Boyarinは、ミドラッシュとはトーラーにおける言葉やフレーズの意味を、聖書の残りの部分から説明しようとする試みだと定義している。Boyarinの弟子である著者は、この定義がミドラッシュの法的部分にも適用可能かを明らかにしたいと考えた。

タナイーム期の法的ミドラッシュには二種類の出自がある。第一に、『スィフラ(レビ記)』、『申命記スィフレ』、『メヒルタ・デ・ラビ・シモン(出エジプト記)』、さらには『ミシュナー』と『トセフタ』にも大きく影響しているラビ・アキバの学派。そして第二に、『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』や『民数記スィフレ』をかたちづくったラビ・イシュマエルの学派である。著者の前著であるScripture as Logosにおいて、著者はラビ・イシュマエル学派は聖書を導き手として聖書を解釈しており、それはクムラン共同体の伝統を継承した方法論であると主張した。

著者によれば、ラビ・アキバ学派による『スィフラ』には、「匿名でない発言(named) statements」と「匿名の発言(anonymous statements)」とがあり、後者はレビ記に関するランニング・コメンタリーの形式を取っているという。そして、「匿名の発言」は、『ミシュナー』や『トセフタ』において受け継がれた伝承の権威を強めるために、もはやミドラッシュ的な方法論を逸脱した「空虚な(vacuous)」な解釈であるという。一方で、「匿名でない発言」の方は真正にタナイーム期のものであると考えられ、よりどちらかと言えば「イシュマエル学派的」な傾向を持っている。

ロゴスとしての聖書 Yadin, Scripture as Logos

  • Azzan Yadin, Scripture as Logos: Rabbi Ishmael and the Origins of Midrash (Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2004).
Scripture As Logos: Rabbi Ishmael and the Origins of Midrash (Divinations)Scripture As Logos: Rabbi Ishmael and the Origins of Midrash (Divinations)
Azzan Yadin

Univ of Pennsylvania Pr 2004-06
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本書は、イシュマエル学派の法的ミドラッシュとされている『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』と『民数記スィフレ』とを対象に、イシュマエル学派の解釈学を明らかにしたものである(一方で、『スィフラ』と『申命記スィフレ』とはアキバ学派に帰されている)。これらの帰属や二学派の存在などは、19世紀のDavid Hoffmanの見解(のちにJ.N. Epstein, Abraham J. Heshel)に依拠している。しかし著者は、それをポスト・モダン的な文学批評のもとで検証しようとしている点で、Daniel BoyarinやDavid Sternの系譜にも属している。

著者の根本的な主張は、イシュマエル学派の法的ミドラッシュにおいて、聖書は自らを解釈するのであり、そのとき読者による解釈は制限されている、というものである。著者によれば、これらのミドラッシュは人間の解釈者には「服従の解釈学(hermeneutic of submission)」を課し、必ずしも自由な解釈を読者に開いているわけではない。なぜなら聖書は自らを正しく解釈しているばかりか、正しく聖書を解釈することをも教えているからである。

こうした事を説明するために、著者は、イシュマエル学派では聖書は「トーラー」と「ハカトゥヴ」とに分けられていると主張する。前者は聖書の権威ある声で、かつシナイ山に由来するものあり、通常過去形で語る。一方で、後者は聖書の解釈であり、通常現在形で語る。イシュマエル学派の文書で「トーラー」と言うとき、それは自らの中に権威ある声を持っているために、人間の解釈を制限できるのである。しかし「ハカトゥヴ」と言うとき、それは編者であるラビ自身の声であり、あたかも自分たちの教えや解釈が聖書の節の中にすでに表れていたかのように表現するのである。それゆえに、「ハカトゥヴ」は誤った解釈を最初から想定しており、読者がそれを受け入れるのに警告しているとも言える。

イシュマエル学派というと、ラビ・イシュマエルの13の基準(ミドット)が有名であり、著者の分類ではこうした基準は「ハカトゥヴ」のモデルとして機能したわけだが、著者はこれは歴史的にラビ・イシュマエルに関係しているわけではないと述べる。イシュマエル学派の文書において、ミドットは聖書解釈の論理的な規則というよりも、聖書のふるまいの典型に言及しているものだと言える。

著者は、イシュマエル学派の「ハカトゥヴ」は、クムランを始めとする第二神殿時代のユダヤ教の伝統である「ロゴス」の概念に似ていると指摘する。「ロゴス」は、キリスト教教父の伝統では「教師としてのキリスト(クリストス・ディダスカロス)」として受容されている。クムランとの関係性が本当であれば、「ハカトゥヴ」を擁するイシュマエル学派は、パリサイ派=アキバ学派に反対する祭司の伝統に属していると言えるだろう。

イシュマエル学派はこれまで、聖書へのより逐語的なアプローチ(literal approach)をその特徴とすると考えられてきたが、実際には必ずしもアキバ学派よりも逐語的でないものも散見される。著者によれば、より正しくは、イシュマエル学派は聖書が自らをどのように解釈しているというテクストの文脈に、より繊細なのだという。

またこれまでは、イシュマエル学派の伝承があまり『ミシュナー』や『トセフタ』に言及されていないのは、それらが単純にアキバ学派に属するものであったからと説明されてきた。しかしながら、著者によれば、聖書そのものよりもラビ的な解釈、すなわち口伝律法の権威に基づく『ミシュナー』のスタイルは、イシュマエル学派のスタイルではないのだという。

2017年2月18日土曜日

スィフラに対するミシュナーの依拠 Reichman, Mishna und Sifra

  • Ronen Reichman, Mishna und Sifra: Ein literarkritischer Vergleich paraleler Überlieferungen (Texte und Studien zum Antiken Judentum 68; Tübingen: Mohr Siebeck, 1998).
本書は、レビ記に関する法的ミドラッシュである『スィフラ』と『ミシュナー』とを比較し、『ミシュナー』が直接的に『スィフラ』に依拠していると見られる並行箇所を比較したものである。著者の三分類によれば、第一に、一貫性を欠いているが『スィフラ』と並行している『ミシュナー』伝承、第二に、『スィフラ』による解釈のために意味論的な違いがある『ミシュナー』伝承、そして第三に、『スィフラ』を『ミシュナー』編者が改訂したと思われる『ミシュナー』伝承である。

著者はそれぞれの分類のために、多くの並行箇所を挙げているが、それらは著者自身による前提から出発した分類なので、トートロジーになってしまっている。著者の仮説では、『スィフラ』の素材は『ミシュナー』でも使われていたことになっており、その仮説に合致する箇所のみが扱われている。G. Stembergerは著者の博士論文を詳細に検証した結果、『ミシュナー』が『スィフラ』に依拠しているという主張を含む著者のほとんどの議論を否定している。

ハラハーとミドラッシュ Harris, How do we Know This?

  • Jay M. Harris, How do we Know This? Midrash and the Fragmentation of Modern Judaism (Albany: State University of New York Press, 1995).
How Do We Know This?: Midrash and the Fragmentation of Mdoern Judaism (Suny Series in Judaica, Hermeneutics, Mysticism and Religion)How Do We Know This?: Midrash and the Fragmentation of Mdoern Judaism (Suny Series in Judaica, Hermeneutics, Mysticism and Religion)
Jay M. Harris

State University of New York Press 1995-01
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本書は、法的ミドラッシュと聖書との関係性について歴史的に検証したものである。歴史的には、法的ミドラッシュと聖書との関係性を理解するするためには、二つのアプローチがあった。第一に、法的ミドラッシュは解釈学的方法によって聖書から導き出されたものと考えるもの。そして第二に、法的ミドラッシュは実用的な結果を伴わない学問的なものと考えるものである。第一のアプローチの問題点は、聖書から導き出されたように見える律法は、現代の文献学的な視点から見るとかなり無理があるものだということである。一方で、第二のアプローチの問題点は、聖書的根拠を欠く律法には果たしてどのような典拠と権威があるのかということである。

本書はこうしたアプローチの違いがユダヤ史には存在したことを明らかにした上で、特に近代においては、ある者がユダヤ教の伝統の継続をどのように考えているかということが、ラビ・ユダヤ教の歴史の理解、そして法的ミドラッシュの理解に大きく作用していることを指摘する。たとえば、ラビ・ユダヤ教を否定的に捉える者たちは、その否定的な態度を正当化するために、ラビたちが作り上げた伝統は聖書を文献学的には不正確に用いたミドラッシュに基づいていると捉えてしまう。一方で、ラビ・ユダヤ教を肯定的に捉える者たちは、ラビたちの深い聖書理解を強調しようとする。いわば、それぞれの立場は最初から決まっているのである。

タルムードは、律法を導き出すためには聖書解釈が典拠になると考えたが、『バビロニア・タルムード』が聖書解釈の原則を確たる規則としては考えなかったのに対し、『パレスチナ・タルムード』はラビたちが聖書解釈において、より一貫していると考えた。とはいえその一貫性は、シンプルで理解しやすい聖書解釈をするラビ・イシュマエルと、より込み入っていて、現在の文献学からは程遠い聖書解釈をするラビ・アキバとに分けられる。

中世では、サアディア・ガオンは聖書の独立した解釈は不可能であり、聖書解釈から得られたように見える律法も、実際には口伝律法に依拠していると主張した。マイモニデスも、聖書から解釈によって得られた律法も、実際には聖書起源というよりはラビ的権威に由来すると考えるべきと述べている。

死海文書とラビ文学との比較研究 Fraade, Legal Fictions

  • Steven D. Fraade, Legal Fictions: Studies of Law and Narrative in the Discursive Worlds of Ancient Jewish Sectarians and Sages (JSJSup 147; Leiden: Brill, 2011).
Legal Fictions: Studies of Law and Narrative in the Discursive Worlds of Ancient Jewish Sectarians and Sages (Supplements to the Journal for the Study of Judaism)Legal Fictions: Studies of Law and Narrative in the Discursive Worlds of Ancient Jewish Sectarians and Sages (Supplements to the Journal for the Study of Judaism)
Steven D. Fraade

Brill Academic Pub 2011-05-30
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本書は、法的ミドラッシュやクムランのセクト的共同体から見た、初期ラビ運動の法的文化を明らかにした論文集である。著者は、聖書の法的箇所と、それらが埋め込まれた物語箇所とをくっきり分けることができるという通説に対して批判的であり、むしろユダヤ教は、律法と物語とを語り直すこと(renarration)で、共同体を形成したり現在進行形の律法の法的力を構成したりしてきたと考えている。そのために、著者は細部の特徴(particularities)に注目しながらテクストをベースに検証を進めている。

かつては死海文書やラビ文学の研究といえば、その背後に旧約聖書や新約聖書を想定する比較研究が盛んだったが、著者に代表されるように、近年では法的伝統や実践に関して、広義のユダヤ文学――フィロン、ヨセフス、『ヨベル書』、死海文書、タナイームのミドラッシュ――を均等に比較し、特定の聖書箇所、トピック、概念、そして法規が時代ごとにどのように解釈されてきたかを大きなスパンで考えるようになってきている。

それらの中でもとりわけ著者が注目しているのが、クムラン共同体と初期のラビ共同体との比較研究である。しかしながら、時間的に2世紀ほども離れた二つの文書コーパスを単純に比較することは、方法論的に問題がある。そこで著者は、両者が直接的な影響関係にあるかどうかを証明することは一旦棚上げし、むしろ特定のテクストを両共同体から選定した上で、特定の問題に関して両者が構造的に似ている点を差出し出そうとした。

たとえば、著者はそれぞれ独立した文書である『ダマスコ文書』と『スィフレ』とを比較し、両者が皮膚の病気の診断に関して、エルサレムの祭司たちから、聖書解釈に基づく権威を持った非祭司的エクスパートへと、決定権を委ねる相手を変えた点を指摘している。著者は慎重にも、この類似を単なる直線的な伝統の継承とは捉えず、二つの別々の共同体が、第二神殿時代および神殿崩壊後の時代に特有の同様の問題に直面して出した結論と見なしている。

著者のラビ文学を扱うときの特徴は三つある。第一に、タナイーム期のラビ文学を後代の文学と明確に区別した上で、それらを通時的な観点から読むことをしない。第二に、テクストの本文批評のみならず、その遂行的、修辞的、教育的な機能にも関心を払う。そして第三に、タナイーム期のテクストを地理的あるいは時間的に近いテクストと比較する。

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2017年2月17日金曜日

申命記スィフレの注解 Fraade, From Tradition to Commentary

  • Steven D. Fraade, From Tradition to Commentary: Torah and Its Interpretation in the Midrash Sifre to Deuteronomy (Albany: State University of New York Press, 1991).
From Tradition to Commentary: Torah and Its Interpretation in the Midrash Sifre to Deuteronomy (S U N Y Series in Judaica)From Tradition to Commentary: Torah and Its Interpretation in the Midrash Sifre to Deuteronomy (S U N Y Series in Judaica)
Steven D. Fraade

State Univ of New York Pr 1991-03
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本書はミドラッシュの一種である『申命記スィフレ』の物語部分を対象に、その文学的なダイナミクスと歴史的意味を明らかにしようとしたものである。そのために、著者は『申命記スィフレ』と他のラビ文献との並行箇所に見られる違いを描写し、またそうしたわずかな違いがいかに大きな意味上の隔たりを生むかを示している。

著者の見解は中庸を美徳としているようである。というのも、『申命記スィフレ』に関する議論に見られる両極をそれぞれ否定し、その間を行こうとするのである。たとえば、『申命記スィフレ』は独立した文書として読まれるべきという見解を否定する一方で、区別なく他のラビ文献全体と共に読まれるべきという見解をも否定している。著者によれば、『申命記スィフレ』に見られる他のラビ文献との違いは、擦りあわされるべき矛盾ではない。

著者は『申命記スィフレ』に関して三つのことを述べている。第一に、『申命記スィフレ』は聖書を系統立てて解釈しており、そこに見られる特異な点はラビたちが聖書テクストの意味と格闘したしるしである。第二に、『申命記スィフレ』はラビの伝統や慣習に応答し、かつそれらによって形作られたものである。そして第三に、『申命記スィフレ』による聖書テクストや他のラビ文学への応答は、その編纂者の社会歴史的な現実によって条件づけられたものである。こうした特徴ゆえに、著者によれば、たとえば『申命記スィフレ』は異邦人の描き方が否定的だという。

文芸批評とミドラッシュ Boyarin, Intertextuality and the Reading of Midrash

  • Daniel Boyarin, Intertextuality and the Reading of Midrash (Bloomington: Indiana University Press, 1990).
Intertextuality and the Reading of Midrash (Indiana Studies in Biblical Literature)Intertextuality and the Reading of Midrash (Indiana Studies in Biblical Literature)
Daniel Boyarin

Indiana Univ Pr 1994-08
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本書は、ラビ文学と近代文芸批評(とりわけ構造主義と記号論)との両方に通じた著者による、後者を用いた前者の理解を論じたものである。著者は、文芸批評がミドラッシュを理解可能にし、西洋世界の知識人にとって有用なものとなる一方で、同時にユダヤ民族の言説内でのその機能からかけ離れることもないと考えている。

そもそもミドラッシュとは、そのままでは読み込むことができない、ギャップのあるテクスト(gapped text)である聖書を理解することを目的とした解釈学的実践のことである。ここで言う「ギャップ」とは、聖書に見られる簡潔なスタイルのみならず、反復的な記述、矛盾、そして言葉の曖昧さなどをも含んでいる。こうした「ギャップ」を、近代の聖書学は聖書を資料に分けて説明しようとするが、ミドラッシュはそれを聖書が持っているさまざまな側面だと理解する。

著者はミドラッシュには二つの特徴があると指摘する。第一に、ミドラッシュにおいては、聖書のあらゆるディテールは他の箇所と繋げられることによって、また新しい文脈を構築することによって説明される。いわば、聖書を聖書から解釈するということである。第二の特徴として、ミドラッシュは、聖書テクストをラビたちの置かれた文化的あるいは社会理念的基盤の中に入れるような(intertext)、文化に縛られ(culture-bound)かつ歴史に条件づけられた(historically conditioned)有限の解釈である。聖書テクストをラビたちの歴史理解や自己理解へと充当するような(appropriative)解釈とも言える。こうした、読者自身の現在進行的な歴史的・文化的状況にテクストを統合していくような読み方を、著者はstrong readingと呼んでいる。

短く言えば、ミドラッシュにおいては、聖書にあるギャップを埋めながらそれを解釈するために、聖書の外部から何かを輸入して来るのではなくて、常に聖書内部から聖書自身を再文脈化するのである。そのとき基準となる問いは、どうすれば聖書を理念的かつ文法的に適切に理解できるだろうかというものであった。そしてその「適切さ」は、個人の自分勝手な解釈を裏付けるものではなく、聖書をラビ・ユダヤ教の歴史理解および自己理解へと統合するという時代的な制限下での「適切さ」である。

2017年2月16日木曜日

ミシュナーとトセフタの関係性の研究 Houtman, Mishnah and Tosefta

  • Alberdina Houtman, Mishnah and Tosefta: A Synoptic Comparison of the Tractates Berakhaot and Shbiit (Texte und Studien zum Antiken Judentum 59; Tübingen: Mohr Siebeck, 1997).
本書は、『ミシュナー』と『トセフタ』の関係性を明らかにするために、パソコンを駆使して両者の共観部分を比較検討したものである。これらの文書の研究においては、しばしば『ミシュナー』ばかりが扱われ、その補遺にすぎないと考えられてきた『トセフタ』が軽視される傾向があるが、著者は『トセフタ』を独立した一文書と見なすという前提から出発している。

著者はMoses Samuel Zuckermandelの所説を大いに参考にしている。すなわち、元来のパレスチナの『ミシュナー』のかたちは『トセフタ』にこそ保たれているのであり、現在の『ミシュナー』にはバビロニアの伝統に基づいた改変が加えられているというものである。そして、元来のパレスチナの『ミシュナー』がのちに『トセフタ』と呼ばれるようになった、というのである。すでにこの説を真面目に扱う研究者はほとんどいないが、著者はZuckermandelの所説からヒントを得て、『トセフタ』を扱うときには、それとの並行箇所がゲマラの中に見出される『パレスチナ・タルムード』が重要であると主張する。著者による『トセフタ』の重視は、他にもJ.N. Epsteinによる『トセフタ』が『ミシュナー』に先行するという所説や、Shamma Friedmanによる『トセフタ』は『ミシュナー』の元来の姿を多く保存しているという所説などからも影響を受けている。

これに対し、Abraham Goldbergは、確かに『トセフタ』は編集の原則としては独立した文書と言えるが、本質的にはやはり『ミシュナー』の注解、あるいは補遺と考えるべきだろうと反論している。これは『ミシュナー』内の時代的な層における最初期の層に対し、後代の層が注解を加えるのと似ている。Goldbergによれば、『トセフタ』が必要とされたのは、元来の『ミシュナー』にあとから加えられていったそうした層が『ミシュナー』だけでは入りきらなくなってしまったからなのだという。そうした意味では、現在の『ミシュナー』と『トセフタ』との間には本質的な違いはない。両者は共に、元来の『ミシュナー』に対する注解にすぎないからである。

2017年2月15日水曜日

パレスチナのユダヤ人とヘレニズム Lieberman, Hellenism in Jewish Palestine

  • Saul Lieberman, Hellenism in Jewish Palestine: Studies in Literary Transmission, Beliefs and Manners of Palestine in the I Century B.C.E.-IV Century C.E. (Texts and Studies of the Jewish Theological Seminary of America 18; New York: Jewish Theological Seminary of America, 1950).
Greek in Jewish Palestine/Hellenism in Jewish PalestineGreek in Jewish Palestine/Hellenism in Jewish Palestine
Saul Lieberman Dov Zlotnick

JTS Press 1994-01-01
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本書は、ラビたちがいかに異教のギリシア語世界の用語や慣習に通じていたかを検証した古典的名著である。著者は、ユダヤ人と異教徒との間で、聖典解釈の方法論、祭儀のパターン、神殿の構造、習慣、そして自然科学などに関して多大なる類似性が認められると主張する。そしてその類似性は、ヘレニズム期の地中海世界におけるさまざまな民族間の直接的な関係性の結果であると考えられる。

ペルシア時代および初期ギリシア時代の律法学者たち(ソフェリーム)は、アレクサンドリアの文献学者たちのように写本を比較して聖書の規範テクストを作成した。聖典を扱っていることから、律法学者たちの校訂の方がより保守的なものではあったが、彼らが校訂において用いた用語の多くはアレクサンドリア文献学からの多大な影響があった(ヌンとアンティシグマ、ミドラッシュとエクセーゲーシス、タルグムとヘルメーネイア等)。律法学者たちの聖書解釈の方法論自体は独自のものであったが、それを表わす用語はアレクサンドリア文献学から取られていたのである。

ラビたちはギリシア思想を子供たちが学ぶことを禁じはしたが、律法を修めた者であれば異教哲学を学ぶことも可能であり、楽しみのためにホメロスを読むことすら認められていた。というのも、ラビたちにとって、偶像崇拝のような異教徒の習慣との闘いは過去のものであって、キリスト者たちの懸念ほどには切実なものではなかったからである。

著者の検証はかなり文献学的な側面に偏っており、ユダヤ思想に対するギリシア思想からの哲学的な影響についてはあまり論証していない。また『アエネーイス』などに見られるユダヤ思想からギリシア思想への影響にも注目すべきである。とはいえ、そのままでは難解かつ曖昧なラビ文学のテクストが、ギリシア的背景を参照することで明らかになることを指摘した本書の貢献は大きい。

トセフタとバビロニア・タルムード Elman, Authority and Tradition

  • Yaakov Elman, Authority and Tradition: Toseftan Baraitot in Talmudic Babylonia (Hoboken, NJ: Ktav, 1994).
Authority and Tradition: Toseftan Baraitot in Talmudic BabyloniaAuthority and Tradition: Toseftan Baraitot in Talmudic Babylonia
Yaakov Elman

Ktav Pub Inc 1994-03
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本書は『バビロニア・タルムード』の成立と文学形式を検証したものである。伝統的には2世紀のタナであるラビ・ネヘミヤに帰せられる『トセフタ』の素材の多くは『バビロニア・タルムード』中にも見られるが、しばしばそれは現存する『トセフタ』とは異なったものとなっている。そこで、現存する『トセフタ』は『バビロニア・タルムード』が出来上がった後に成立したものなのか、あるいは仮にそれより前であったとして、『バビロニア・タルムード』の編者は『トセフタ』を利用することができたのか、という問いが立てられることになる。

著者はそこで、特定の箇所を比較することにより、これらの問いに答えようとした。ただしその試みは部分的なものに留まっており、著者自身がさらなる範囲を含めた検証が必要であることを認めている。

著者が検証し得た範囲から得られた結論としては、現在のかたちの『トセフタ』は『バビロニア・タルムード』の編者には知られていなかったはずであるし、それ以前のアモライームたちにも知られていなかった、と言える。すなわち、『トセフタ』は『バビロニア・タルムード』が出来てから成立した後代の文書ということになるのである。

英語で読めるエルサレム学派のラビ文学研究 Brody, Mishnah and Tosefta Studies

  • Robert Brody, Mishnah and Tosefta Studies (Jerusalem: The Hebrew University Magnes Press, 2014).
Mishna and Tosefta StudiesMishna and Tosefta Studies
Robert Brody

Magnes Press,Israel 2014-08-01
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エルサレム学派と呼ばれる一連のラビ文学研究者たち(J.N. Epstein, Saul Lieberman, Israel Francus, Abraham Goldberg, Shamma Friedman)はその代表作のほとんどをヘブライ語で著してきた。それは彼らが米国に拠点を移したあとでも変わらなかった。Jacob Neusnerは、こうした重要な研究が少なくともヨーロッパ言語で書かれてこなかったことを批判している。

そうした中、本書の著者のBrodyは、数少ない英語で書くエルサレム学派のラビ文学研究者である。著者は本書の中で、『ミシュナー』および『トセフタ』研究の分野で支配的な4つのパラダイムについて議論している:

第一に、『ミシュナー』には二種類の版――『バビロニア・タルムード』の影響を受けて『バビロニア・タルムード』に組み込まれて伝わってきた版と、『パレスチナ・タルムード』の影響を受けて独立して伝わってきた版――があるという見解である。Jacob SussmanやDavid Rosenthalは、後者のパレスチナ版の『ミシュナー』の方が権威があるものと見なしてきた。Sussmanはさらに、『ミシュナー』はその成立の段階では口伝テクストであり、タルムードの賢者たちによって改変されてきたのだという、『ミシュナー』の口伝性(orality)を主張した。これに対し、著者は『タルムード』が『ミシュナー』に影響を及ぼしたというモデルでは説明できない例を挙げて、ことはそれほど簡単ではないことを示した。

第二に、Shamma FriedmanやJudith Hauptmanらによって主張されている、『トセフタ』が『ミシュナー』に先行するという見解である。著者は、確かに『トセフタ』がしばしば『ミシュナー』の特定の節に極めて近いテクストを保存していることを認めている。とはいえ、そう考えるのに有効な箇所はそう多くはないとも指摘している。ちなみに、著者はHauptmanの行きすぎた主張に対しては批判的である。

第三に、『トセフタ』の二つの写本は互いに別個のものであるという見解である。これに対し、著者は『トセフタ』のすべての異読は、たった一つの書かれたテクストに遡ると主張する。著者は『トセフタ』を口伝ではなく、書かれたテクストとして分析しているのである。そして異なる読みは、書かれたテクストの伝達の過程で間違って書かれたり修正されたりして生じたというのである。

そして第四に、ラビ文学の校訂版は、最上の写本に依拠する代表方式(diplomatic)で作成されるべきという見解である。著者はこの慣習には口を極めて反対している。彼によれば、ラビ文学の校訂版は、研究者たちの編集を経た復元方式(eclectic)であるべきだという。

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ユダヤ民族の出来事と思想 Seltzer, Jewish People, Jewish Thought

  • Robert M. Seltzer, Jewish People, Jewish Thought: The Jewish Experience in History (New York: Macmillan, 1980).
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Robert M. Seltzer

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本書は大学レベルのユダヤ学コースの入門書となる一冊である。著者はユダヤ史における出来事とユダヤ思想の発展の両方を描こうとしている。その中で特に強調しているのは、ユダヤ教の発展にはユダヤ的要素と非ユダヤ的要素との「相互の影響(reciprocal influence)」が大きかったということである。著者は、宗教、哲学、政治、経済、地理、軍事などさまざまな側面からユダヤ史はかたちづくられてきたことを明らかにしている。なおかつ、そこで特定の人物たちを取り上げることにより、漠然とした歴史的事実の羅列に堕さないように注意が払われている。歴史的経験は、究極的には個人的な経験だからである。

著者の視点は徹底的に近代的な歴史家のそれである。すなわち、客観的・批判的にユダヤ史を描写しようとする。それゆえに、古代のテクストに描かれた歴史的描写には留保が付けられ、それらが文字通りに受け取られることはない。一方で、聖書を、特に中近東文学からの借り物にすぎないとする理解に対しては反論を加えている。借り物とはいえど、聖書はイスラエルの宗教独特の特徴によって再解釈されているからである。

2017年2月14日火曜日

ラビ文学と思想のかたち Samely, Forms of Rabbinic Literature and Thought

  • Alexander Samely, Forms of Rabbinic Literature and Thought: An Introduction (New York: Oxford University Press, 2007).
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本書は、言語学用語を多用した難解な本を書くことで知られる著者による入門書である。著者はラビ的ユダヤ教を描くためにラビ文学の形式に注目した。なぜなら、ラビの思想はラビ文学の本質や性格と不可分だからである。

通常であれば、ある文書内に見られる個々の法的・神学的見解の意味に基づいてラビ的ユダヤ教を語るわけだが、著者はそれではラビたちによる文学的提示の重要性を無視することになってしまうと考えた。そこで著者は、ラビ文学における文学性の軽視に注目した。ラビ文学にははっきりとした統一的な教義がなく、また聖書解釈の提示にも機能性がないため、読者はさまざまな解釈、主題、そして立場を統合することができる。

文学性の欠如は、必ずしもラビ文学そのものが欠落的な特徴を持っていることを意味しない。著者は、むしろそうした非文学性はラビたちが意図的に目指したものだったと主張する。ラビ文学は文学性という自らの実存を軽視・無視することにより、逆説的に、ラビ的思考を始めることができたのだ。またラビ文学は、ラビたちが一般化、組織化、自己説明を忌避していたために、これらの特徴を持たない。

2017年2月13日月曜日

ミシュナーとトセフタ Hauptman, Rereading the Mishnah

  • Judith Hauptman, Rereading the Mishnah: A New Approach to Ancient Jewish Texts (Texte und Studien zum Antiken Judentum 109; Tübingen: Mohr Siebeck, 2005).
Rereading the Mishnah: A New Approach to Ancient Jewish Texts (Texts & Studies in Ancient Judaism)Rereading the Mishnah: A New Approach to Ancient Jewish Texts (Texts & Studies in Ancient Judaism)
Judith Hauptman

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本書は、『ミシュナー』と『トセフタ』という二つのラビ文学の関係性の再考を問う問題作である。両者の関係性についての定説は、Avraham GoldbergやJacob Neusnerが考えるように、『ミシュナー』が『トセフタ』に先行するというものである。Goldbergは、『トセフタ』とは『ミシュナー』の注解だと考え、Neusnerは、『トセフタ』は『ミシュナー』とは別の共同体によって作成された文書だと考えている。いずれも、『トセフタ』とは、『ミシュナー』に対する付加や補遺にすぎないと見なしているのである。

この定説に対し、やや慎重な意見を取るShamma Friedman, David Halivni, Günter Stembergerのような研究者もいる。Friedmanは、しばしば『トセフタ』には『ミシュナー』よりも古いと思われる素材が含まれており、『ミシュナー』編者が『トセフタ』から削った素材もあると述べている。Stembergerはこれを受けて、『トセフタ』には、これまで考えられていた以上にオリジナルな内容が含まれているので、両者の関係は新約聖書の共観福音書の問題とも似ている、と指摘している。

本書の著者であるHauptmanは、こうした修正案をさらに徹底させ、定説とは反対に、『トセフタ』の方が『ミシュナー』に先行すると主張した。さらに、『トセフタ』は明らかに『ミシュナー』の記述を引用しつつそれに注解を加えているような箇所があるので、そうした箇所については、『トセフタ』は現在の文書としての『ミシュナー』ではなく、(新約のQ文書のような)「原ミシュナー」に注解を加えているのだと説明した。

著者がこのように主張する根拠の一つが、『ミシュナー』と『トセフタ』とで共通する記述において、『ミシュナー』の方がより「凝縮されて(condensed)」いる点である。言い換えれば、似た記述に関して『トセフタ』の方が記述が長いのである。そして、もし本当に『トセフタ』が『ミシュナー』への注解なのであれば、『トセフタ』が正確に『ミシュナー』を引用しないのは奇妙だと主張する。

しかしながら、古代における引用がソースを正確に反映させるかと言えば、必ずしもそうではないし、そもそも著者自身がしばしば矛盾したことを述べていることもあって、学界の評価としては、本書の主張は定説の再考のための触媒にはなるが、その主張は受け入れられないというところのようである。