2015年2月16日月曜日

死海文書研究の概観 Metso, "When the Evidence does not Fit"

  • Sarianna Metso, "When the Evidence does not Fit: Method, Theory, and the Dead Sea Scrolls," in Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods, ed. Mexine L. Grossmann (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2010), pp. 11-25.
Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and MethodsRediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods
Maxine L. Grossman

Eerdmans Pub Co 2010-06-28
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本論文は、死海文書研究の興隆によって出てきた新しいデータを解釈していく際にどのような問題が生じるかを概観したものである。すべての死海文書の校訂版が出版され終えた現在、研究者の課題はそれらに含まれる情報をどのように概念化し、統合していくかということになった。しかし、新しいデータの発見は、これまで共有されてきた考え方と必ずしも合致しないこともある。そこで著者はクムラン研究の現状を概観するために、第一に、聖書テクストの概念の問題、第二に、ハラハー(法)の概念の問題、第三に、死海文書をもとにした歴史の再構築の実現可能性について言及している。

聖書テクストの問題。第十一洞窟で発見された『大詩篇巻物』は聖書テクストなのかそうではないのかをめぐって、以下の観点から議論がなされた。第一に、その礼拝的な性質、第二に、非聖書的な一節の存在、第三に、古ヘブライ文字による神聖四文字、第四に、ダビデの作とされる散文、第五に、マソラー本文とは異なった詩篇の順番である。こうした特徴から、多くの研究者は『大詩篇巻物』を聖書写本ではなく二次的な礼拝集成とジャンル分けした。しかし、上のような特徴が実は『第四編巻物』独自のものというよりは、クムランから発見される聖書写本に共通して見られるものだと分かってきたのである。「改訂五書(Reworked Pentateuch)」と呼ばれる4Q364-367もまた、マソラー本文と比較したときに多くの付加や省略があることが指摘されていたが、これもまた第二神殿時代の聖書テクストによく見られる特徴であることが判明した。いうなれば、「改訂五書」はマソラー本文やサマリア五書と平行して存在した、トーラーの異なった版であったということである。それゆえに、クムランで見つかった聖書テクストにおけるさまざまな違いを、単に写字生の誤りとして一蹴するのではなく、むしろ本文批評に積極的に活用していくべきだと著者は主張する。

ハラハーの問題。クムランの共同体における法的伝統がどのように形成されたのかについて、いくつかの説がある。第一に、L.H. Schiffmanによれば、クムランの法的伝統の唯一の源泉は聖書解釈であるという。第二に、P.R. Daviesによれば、異なった共同体ごとに異なった方法で法的伝統を形成したという(『ダマスコ文書』を用いた共同体の法的伝統と『共同体の規則』を用いた規則のそれとは異なる)。第三に、M. Weinfeldによれば、契約にかかわる規則はトーラーから、社会的組織にかかわる規則は共同体の構成員の経験から形成していったという。著者は、レビ記の一節が『ダマスコ文書』と『共同体の規則』との両方において証明句として機能している例を挙げている。それによると、法的伝統は共同体の生活における必要性から生まれてきて、それにあとから聖書の証明句を当てはめているのであって、その逆ではないという。その証拠に、『共同体の規則』の平行箇所において、第一洞窟から発見された写本には証明句があるが、第四洞窟からの写本にはない。そしてこうした証明句は、決められた規則が厳しいことを正当化する役割と、一方でその厳しさを緩和する役割とを同時に担っているという。こうした刑法に違反した場合の罰則は、しばしばモーセの律法に対する違反と同等の重さを持っていた。M. Weinfeldは全イスラエルに向けられたトーラーの命令と、特定の共同体に向けられた規則とを区別したが、著者によれば、こうしたグループは自らこそが真のイスラエルだと考えていたのであるから、むしろハラハーには普遍的な志向性と排他的な志向性とが並存していると考えるべきだという。

歴史の再構築の問題。第一洞窟で発見された写本と第四洞窟のそれとを比較すると、さまざまな一節が実は異なった時代の異なったグループに由来していることが分かる。著者は『共同体の規則』(1QS)3:13-4:26と『結婚の儀式』(4Q502)とを比較して、前者の全体が後者に依拠しているわけではないと主張する。するとさまざまな可能性が考えられる。両者は共通のソースを持っていたのだろうか。『結婚の儀式』は別のエッセネ派テクストから引用されているのだろうか。それとも『共同体の規則』を知らないエッセネ派外のテクストから取られているのだろうか。すなわち、社会学的・歴史学的な観点や編集過程の観点から、さまざまな仮説が生み出されうるのである。さらには、ソースとしての口承伝承のことを考慮に入れると、事態はさらに複雑になる。口承伝承への依拠という仮説は、書かれたテクストが入手可能であったという可能性を除外するものではない。これを検証するためには、フィジカルな「規則集」という言葉がどのように使われていたかに注目する必要がある。
The new evidence provided by the Dead Sea Scrolls provides a unique challenge to scrolls scholars. It raises a broad range of methodological and theoretical questions, and an even broader range of not-yet-asked questions must be raised in our attempt to understand the treasury of documents illuminating Second Temple Judaism. Such questions have the potential of making us rethink even our most basic understandings of what such central concepts as Scripture, halakhah, and history mena in this period [...] With a larger amount of evidence, we are also in a better position to create a methodologically more solid foundation for our analysis. This will result in ruling out certain hypotheses, while at the same time demonstrating the accuracy of others. (p. 25) 

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