- Maxine L. Grossman, "Reading 4QMMT: Genre and History," Revue de Qumran 20 (2001): 3-22.
本論文は、『律法儀礼遵守論』(4QMMT、以下『律法』)の文学ジャンルとして適したものをいくつか仮定し、それぞれのジャンルだった場合にどのように読みが変わるかを検証したものである。Steven D. Fraadeは、『律法』の名宛人が外部グループではなく、仮に内部の人間であると仮定して、同書を再読するという「レトリカルな実験」をした。これを参考にして、著者はまず同書のジャンルの可能性として、第一に、外部グループに対する手紙、第二に、内部グループに対する論文を挙げている。
手紙と論文というのは、文書の形式や内容のみを問題にしているときには、峻別しがたいものだが、著者性と舞台に注目すると、大きく異なってくる。すなわち、手紙とは特定の著者によって別の特定の読者に向けて書かれ、そのとき読者が属するサークルは、空間的にも理念的にも著者のそれの外側にある。また手紙は、著者たちが描いている状況と同時代のものであり、それを読んでいる者たちも同時代人である。一方で、(古代における)論文には必ずしも著者は必要ないが、特定の読者がいる。そして論文はそれが描いている事実と同時代か、あるいは状況を回顧的に思い出して書いた事後のものである。すなわち論文といっても二種類あり、一つは現在の状況を描く内部に向けたテクストと、もう一つは出来事や規定が起こったあと書かれた事後のテクストである。
まず著者は『律法』を手紙として読む。すると、その調子や内容から、我々はクムラン共同体の黎明期を導いた衝突の記録を見て取ることができる。そうした前提のもとで『ダマスコ文書』やペシャリームと比較すると、『律法』の著者は義の教師のメンバーか義の教師その人であると考えられる。そして著者が義の教師であれば、『ハバクク書ペシェル』などから、手紙の宛名は悪の祭司となる。
次に、『律法』を、共同体の設立と同時代に書かれた論文として読むと、内部の人間が書いたものであることが見て取れる。論文としての『律法』は、共同体の設立を記録し、それを非敵対的な調子で語ることで、敵対者を諭しているのである。ただし、このとき『律法』は特定の衝突に言及しているわけではなく、グループを形成してきたさまざまな問題のコンピレーションとなっているのである。すると、むろん敵対者の悪の祭司に対する関連性も弱まり、そもそも著者と敵対者との相互の敵対関係ではなく、著者による相手への一方的な敵愾心しかなかったかもしれなくなる。
ここで共同体による『律法』の受容に目を向けると、同書は共同体のメンバーが自分たちの設立や中心的な概念を理解するための勉強用のテクストとして、あるいは入会希望者が入会するためのテクストとして、ごく初期に用いられていたと考えられる。すなわち、『律法』はある種の権威を持っていたのである。特に後代の者たちは、共同体内部の論文ではなく、共同体外部に向けて書かれ、実際に敵対者たちに送付された手紙として読んでいたと思われる。そしてこうした理解に触発されて、義の教師と悪の祭司との衝突によって共同体が設立されたという歴史的説明ができあがっていったのである。
最後に、『律法』がさらに後代に書かれた歴史化文書として読む場合、我々は後代の参加者たちが共同体の歴史の設立時のことをどのように記憶し、創造し、構築していたかを見て取ることができる。すなわち、パウロの偽の書簡と同様のものとして読むのである。この読み方は、誰がいつ共同体を設立したのかについては教えてはくれないが、共同体の後の世代が重要であると考えていたことを教えてくれる。
『律法』のカレンダーに関しては、もし『律法』が共同体の設立と同時期に書かれたものとすると、カレンダーももともとあったオリジナルであるといえる。もし『律法』が共同体の設立と同時期か、伝達の歴史の途中で書かれたものとすると、カレンダーは写字生による付加だといえる。そして、もし『律法』が後代の成立だとすると、カレンダーがオリジナルにあったものであろうとなかろうと、それは後代の人々の考え方を反映したものであるといえる。
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