- Shaye J.D. Cohen, From the Maccabees to the Mishnah (3rd ed.; Louisville: Westminster John Knox, 2014).
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本書は前2世紀の中頃から後3世紀の、第二神殿時代とラビ・ユダヤ教時代とをカバーする入門書である。しかしその完成度は非常に高い。著者によると、まず第二神殿時代のユダヤ教をめぐる政治、文化、社会的な側面は次のようにまとめられる。政治的には、ユダヤ人はエレミヤのアドバイスに従って、マカベア戦争などの例外はあったものの、基本的には外国人の統治のもとで平和に暮らそうとした。文化的には、ヘレニズム文化を吸収し、取り入れた。そして社会的には、反ユダヤ主義と親ユダヤ主義との間で翻弄されたと言える。
第二神殿時代のユダヤ教は、常に信仰よりも実践を重視した。特に祈りの実践は神殿における礼拝へと形態を変えていった。特に特徴的なのは犠牲を捧げることである。一方で、定期的なトーラー学習とシナゴーグでの礼拝もまたこの時代に出来上がってきた習慣である。これらの神殿を介さない実践を、著者は「ユダヤ教の民主化(democratization of Judaism)」と呼んでいる。信仰としては、神の王権、報いと罰、そして贖いが中心的な考え方だった。
第二神殿時代のユダヤ教が作り上げた制度には、神殿、サンヘドリン、シナゴーグ、そしてポリテウマタ(地中海諸都市におけるユダヤ人自治区)などがある。これらよりも重要なのは、ユダヤ教のセクトである。法的解釈、神殿理解、そして聖書解釈などに基づいて、この時代には多くのセクトが生まれた。著者はパリサイ派、サドカイ派、エッセネ派、キリスト者、サマリヤ人、テラペウタイ、シカリオイ、そしてゼーロータイなどを扱っている。このような分化は、神殿と祭司制の役割が弱まり、ユダヤ教の民主化が進んだ結果として生じたものであると著者は主張する。
第二神殿時代の後半になると、ユダヤ教の民主化に対して、聖書の正典化が着手された。著者によると、この正典化は、逆説的にユダヤ人に創造的な自由を与えたと主張する。聖典があやふやなままだと、それを守ろうとする意識が働くが、それが確定していると、書き手たちは聖典から離れた作品を独自の発想で書くことができるようになるのである。そうしてできたのが、黙示文学、パラフレーズ、そして注解であった。
神殿が崩壊すると、ラビ・ユダヤ教の時代となる。この時代には、神殿と祭司制を弱めることになった日々の祈り、トーラー学習、シナゴーグ礼拝が前面に出てくる。こうして、神殿と祭司制を伴わないユダヤ教が形成された。またラビたちはいかなるセクトをも排除しようとはしなかったので、第二神殿時代のようなセクト主義もまた終わりを告げた。
ラビ・ユダヤ教時代の重要な論点は、どのようにしてキリスト教がユダヤ教から分化したのかという問題である。これまでは、1世紀の後半にユダヤ教の礼拝に「ビルカット・ハミニーム」(異端への祝福)が組み入れられたときがその転換点だと考えられてきたが、著者はさまざまな証拠から、両者の別れはもっと以前のことだったと主張する。
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第二神殿時代のユダヤ教が作り上げた制度には、神殿、サンヘドリン、シナゴーグ、そしてポリテウマタ(地中海諸都市におけるユダヤ人自治区)などがある。これらよりも重要なのは、ユダヤ教のセクトである。法的解釈、神殿理解、そして聖書解釈などに基づいて、この時代には多くのセクトが生まれた。著者はパリサイ派、サドカイ派、エッセネ派、キリスト者、サマリヤ人、テラペウタイ、シカリオイ、そしてゼーロータイなどを扱っている。このような分化は、神殿と祭司制の役割が弱まり、ユダヤ教の民主化が進んだ結果として生じたものであると著者は主張する。
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神殿が崩壊すると、ラビ・ユダヤ教の時代となる。この時代には、神殿と祭司制を弱めることになった日々の祈り、トーラー学習、シナゴーグ礼拝が前面に出てくる。こうして、神殿と祭司制を伴わないユダヤ教が形成された。またラビたちはいかなるセクトをも排除しようとはしなかったので、第二神殿時代のようなセクト主義もまた終わりを告げた。
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