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2017年2月17日金曜日

文芸批評とミドラッシュ Boyarin, Intertextuality and the Reading of Midrash

  • Daniel Boyarin, Intertextuality and the Reading of Midrash (Bloomington: Indiana University Press, 1990).
Intertextuality and the Reading of Midrash (Indiana Studies in Biblical Literature)Intertextuality and the Reading of Midrash (Indiana Studies in Biblical Literature)
Daniel Boyarin

Indiana Univ Pr 1994-08
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本書は、ラビ文学と近代文芸批評(とりわけ構造主義と記号論)との両方に通じた著者による、後者を用いた前者の理解を論じたものである。著者は、文芸批評がミドラッシュを理解可能にし、西洋世界の知識人にとって有用なものとなる一方で、同時にユダヤ民族の言説内でのその機能からかけ離れることもないと考えている。

そもそもミドラッシュとは、そのままでは読み込むことができない、ギャップのあるテクスト(gapped text)である聖書を理解することを目的とした解釈学的実践のことである。ここで言う「ギャップ」とは、聖書に見られる簡潔なスタイルのみならず、反復的な記述、矛盾、そして言葉の曖昧さなどをも含んでいる。こうした「ギャップ」を、近代の聖書学は聖書を資料に分けて説明しようとするが、ミドラッシュはそれを聖書が持っているさまざまな側面だと理解する。

著者はミドラッシュには二つの特徴があると指摘する。第一に、ミドラッシュにおいては、聖書のあらゆるディテールは他の箇所と繋げられることによって、また新しい文脈を構築することによって説明される。いわば、聖書を聖書から解釈するということである。第二の特徴として、ミドラッシュは、聖書テクストをラビたちの置かれた文化的あるいは社会理念的基盤の中に入れるような(intertext)、文化に縛られ(culture-bound)かつ歴史に条件づけられた(historically conditioned)有限の解釈である。聖書テクストをラビたちの歴史理解や自己理解へと充当するような(appropriative)解釈とも言える。こうした、読者自身の現在進行的な歴史的・文化的状況にテクストを統合していくような読み方を、著者はstrong readingと呼んでいる。

短く言えば、ミドラッシュにおいては、聖書にあるギャップを埋めながらそれを解釈するために、聖書の外部から何かを輸入して来るのではなくて、常に聖書内部から聖書自身を再文脈化するのである。そのとき基準となる問いは、どうすれば聖書を理念的かつ文法的に適切に理解できるだろうかというものであった。そしてその「適切さ」は、個人の自分勝手な解釈を裏付けるものではなく、聖書をラビ・ユダヤ教の歴史理解および自己理解へと統合するという時代的な制限下での「適切さ」である。

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