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2015年2月23日月曜日

死海文書への社会科学的アプローチ Jokiranta, "Social-Scientific Approaches to the Dead Sea Scrolls"

  • Jutta Jokiranta, "Social-Scientific Approaches to the Dead Sea Scrolls," in Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods, ed. Mexine L. Grossman (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2010), pp. 246-63.
Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and MethodsRediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods
Maxine L. Grossman

Eerdmans Pub Co 2010-06-28
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本論文は、死海文書研究において、社会科学的アプローチがどのような貢献をすることができるかを示したものである。著者は、まずさまざな研究者たちによる「セクト」の定義を紹介する。Bryan Wilsonは、セクトの特徴として、「より広い世界に対する抵抗・逸脱・緊張」を挙げる。A. Baumgartenは、セクトの外側から(etic)の定義と内側からの(emic)定義とを定めた。いわく、外側からの定義では、セクトとは「自分のグループと、そのままであれば自然と同じグループと見なされたであろうグループとを分けるような境界を持った、自発的に集まった集団」であり、内側からの定義では、ヨセフスがパリサイ派とサドカイ派とを分けるために用いた「ハイレーセイス」がそれに当たるという。またセクトとは相対的なものでもある。著者は、セクトとはその自身でセクトになれるわけではなく、必ず何か他のものとの関係の中でセクトになると述べる。そしてStarkとBainbridgeを引きつつ、セクトの特徴を、「相違(difference)」「敵対(antagonism)」「孤立(separation)」に求める。

著者によれば、クムラン共同体を指し示すために用いられた「セクト」という言葉がこうしたさまざまな社会学的背景を否応なく暗示してしまうにもかかわらず、多くのクムラン研究者は無自覚にこの言葉を使っているという。そして、テクストがセクト主義的であるかどうかを、そのテクストがあるタームを含んでいるか否かで決めてしまうことを批判している。なぜなら、特定のタームを含んでいなくてもそのセクトのメンバーによって作成された文書も存在するからである。こうした短絡的な解釈を避けるために、我々はテクスト的・歴史的な研究のみならず、社会科学的な研究をも必要としているのだといえる。

そのときに、著者はセクト主義の社会学ではなく、社会的アイデンティティ・アプローチ(Social Identity Approach)こそが有効だと述べる。前者が人間の行動を社会的環境の一部分として理解しようとする方法であるのに対し、後者は人間の心理のレベルにまで矛先をのばす、社会心理学的なアプローチである。社会的アイデンティティとは、端的に言えば、自分があるグループのメンバーであるという自己理解のことである。この自己理解の力は強く、たとえばまったく知らない人同士でも、同じグループに振り分けられると、簡単に他のグループのことを別物と捉えるようになる。このとき人は自分のことを主体的な個人ではなく、グループのメンバーとして見なすのである。著者はこれを用いて、『詩篇注解』(4QpPsa, 4Q171)を再解釈している。

詩篇37編には、義人と神との関係が描かれているが、そこでの「怒りを解き、憤りを捨てよ」の意味は、「義人は自分の怒りを制御しなければならない」ということではなく、「義人は神の怒りをを避けなければならない」という意味であるという。なぜならば、ここでの悪とは義人との関係性の中での悪であり、すなわち個人的な堕落だけではなく、外的グループの集団的な災難や罰のことを指すからである。

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