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2015年3月3日火曜日

クムラン考古学について Magness, "Methods and Theories in the Archaeology of Qumran"

  • Jodi Magness, "Methods and Theories in the Archaeology of Qumran," in Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods, ed. Mexine L. Grossman (Grand Rapids, MI: Eerdmans, 2010), pp. 89-107.
Rediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and MethodsRediscovering the Dead Sea Scrolls: An Assessment of Old and New Approaches and Methods
Maxine L. Grossman

Eerdmans Pub Co 2010-06-28
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本論文は、クムラン遺跡の考古学について基礎的な知識を提供するものである。死海文書を理解するために、考古学がどのような貢献を果たすのかを教えてくれる。Roland de Vauxが最初にクムラン遺跡を発掘して出した結論は、現在でも広く受け入れられている。すなわち、クムラン遺跡は死海文書を所有していた共同体のものであり、エッセネ派である可能性が高い、というものである。しかしながら、Robert DonceelとPauline Donceel-Vouteらは、クムラン遺跡をエルサレムの富裕層の別荘とした。他にも、砦、荘園、壺焼き場、商品貯蔵庫などといった諸説がある。こうした諸説が乱立する理由は、De Vauxがきちんとした分析結果を書面にして残す前に亡くなってしまったからである。

著者は、考古学が遺跡に残されたマテリアルを扱うものであるのに対し、歴史学は文書を扱うものであるとする。両者は相互に補い合う必要があり、なんとなれば、文書からは文書を書けるほどのハイクラスの人間のことしか分からないのに対し、考古学的証拠からは当時の社会のさまざまな階層の人々の生活が分かるからである。パレスチナ地域には、テルと呼ばれる人工の丘があり、そこには何層もの遺跡が含まれているが、その解明は複雑である。というのも、あとの時代の人間が新しい町を作るときに、前の時代の遺跡を掘り起こしてしまうことがあるので、ある時代に見つかったものが必ずしもその時代のものであるかは分からないのである。そうしたことに注意しながら、考古学者は遺跡をロクスと呼ばれる四角い区画に分けて少しずつ掘っていく。一度掘ってしまうと遺跡は必ず破壊されてしまうので、日記や記録を入念につける。

実際の時代の判定には、五種類の方法がある。第一に、カーボン14による判定。これは自然科学的な方法だが、かなりの誤差があるので、他の方法と補完し合うように用いられるのが望ましい。なおかつ炭素を含むものにしか使えない。第二に、コインによる判定。第三に、碑文による判定。第四に、歴史的文書による判定。第五に、壺のタイプによる測定。壺自体からは年代が分からないので、壺単独ではなく、同じ遺跡から発掘された、時代が特定されたものとの比較によって、年代が判定されていく。壺は土地によって、同じ時代でもタイプが異なることがあるので注意が必要である。しかし、壺はどんな遺跡からでも大量に発掘されるので、これを活用できるに越したことはない。

以上の方法に対し、人間や動物の骨や金属は年代の特定には不向きである。というのも、人間の骨の場合、ある程度のコラーゲンが残っていないと測定できないからであり、金属の場合、金属は貴重だったために何度も溶かされて再利用されている可能性があるため年代を特定できないからである。考古学は完全な科学ではなく、必ず人間の解釈を必要としている。この不完全性は、同じ証拠をもとにまったく別の解釈を引き出してしまうこともある。基本的には、最も多くの問題を解決し、最も多くの証拠を説明できる解釈が正しい解釈であるといえる。

死海文書に関しては、考古学と文書とを切り離す必要はなく、文書を含むすべての証拠をもとに解釈するべきと著者は述べる。現在のところ、クムラン遺跡は文書を所有する共同体の住居であり、エッセネ派かどうかはともかく何らかのセクト主義者たちであったというのがコンセンサスであり、一方で、クムラン共同体はセクトではなく、文書も彼らのものではないというのがノン・コンセンサスである。後者のようなポスト・モダニズム的な解釈は、三つの問題をもたらす。第一に、文書なしでの解釈はあまりにも漠然としてしまうこと。第二に、すべての解釈が同等になってしまうこと。第三に、聖書考古学のミニマリスト・マキシマリスト論争のような様相を呈してしまうこと、である。著者は、学術的な探求においては、綿密な研究を通して、相対的な価値から何かを選び取り、説の妥当性を吟味するべきだと述べる。

クムランの特徴的な点としては、多くのミクヴェがあること、動物の骨が多く見つかること、大きな墓地があること、共同の食堂があること、多くの職人がいたこと、特殊な金属製品があることなどが挙げられる。こうした特徴から、クムラン共同体が特別なハラハーに則った祭司的な生活をしており、極めて浄不浄の概念に敏感だったことが分かる。これらは他の場所で見つかった遺跡とは一線を画すものである。

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