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2015年11月20日金曜日

ギリシア哲学者としてのアブラハム Feldman, "Abraham the Greek Philosopher in Josephus"

  • Louis H. Feldman, "Abraham the Greek Philosopher in Josephus," Transactions and Proceedings of the American Philological Association 99 (1968), pp. 143-56.

本論文の中で著者は、アピオーンやアポロニオス・モロンによるユダヤ人批判に反論するヨセフスの護教的テクニックの一つとして、アブラハムをギリシア哲学者として描くことを挙げている。ヨセフスのアブラハムは、神の存在に関する目的論的議論を洗練された方法で逆転させる鋭さを持ちつつも、相手の話を聞く柔軟さを併せ持ち、しかも自身の科学的知識をエジプトの哲学者たちと共有する気前良さをも持っていた。

『古代誌』におけるヨセフスの護教論の目的は、非ユダヤ人からの批判に対抗することであったので、そうした非ユダヤ人読者にアピールするようなアブラハム像を創り出したのだった。ヨセフスは、トゥーキュディデースが描いた政治家ペリクレスのように、論理学と説得能力を持ったアブラハムを描いた。そもそも、古代における哲学の目的は、相手を説得し、転向させることであった。

論文著者は、そうしたアブラハムの論理的な演繹法のうちでも最も重要なものとして、神の唯一性の証明を挙げている。ユダヤ文学の中では、『アブラハムの黙示録』、『ヨベル書』、『創世記ラバー』などで、アブラハムが自身の理性を通じてこの見解に至ったことが描かれている。ただし、ヨセフスのアブラハムは、ストア派などギリシア哲学における証明方法を用いているのが特徴的である。しかも、多くの哲学者が天体の秩序だった動きに基づいて神の存在を証明するの対し、ヨセフスのみは――論文著者の調べた限りでは――ただ一人、天体の無秩序な動きに基づいてそれをしているという。キケロー『神々の本姓について』で描かれるクレアンテスは、神の存在を証明するものとして、嵐や地震といったこの世界における異常な出来事と共に、天体の秩序だった動きを挙げている。ヨセフスは、完全な自由意思を持った非物質的なユダヤ的な神概念を持っているがゆえに、クレアンテスの二つの議論を一つにまとめたような証明に至ったのだと考えられる(ただし、論文著者によれば、ヨセフスは哲学者というガラではないという)。

こうしたアブラハムを賢者として描く方法は偽エウポレモスにも見られるものであるから、ヨセフスの独創ではないが、ヨセフスはアブラハムを天文学者かつ論理学者として、より強調して描いている。ラビ文学や偽フィロンが、アブラハムが巻き込まれるカルデアでの騒動を、主に信仰の問題として描くのに対し、ヨセフスは、アブラハムが科学的かつ哲学的な議論において反発されたとしている。

ピタゴラスやソロンのようなソクラテス以前の哲学者たちが、マギ、インド人、エジプト人などの賢者たちと哲学的な議論するという典型的なイメージがヘレニズム時代にはあったが(フィロストラトス、プラトン『ティマイオス』)、アブラハムがエジプトを訪れたこともこのイメージを下敷きにして描かれている。事実、ヨセフスは『アピオーンへの反論』の中で、教養あるユダヤ人が小アジアにいたアリストテレスを訪ねて、知識を交換する様子を描いている。
ラビ文学にも同様の描写はあるが(ベホロット8b)、そちらではアブラハムは伝道者として描かれることが多く、ヘレニズム的な様式の哲学的な議論はほとんど出てこない。ヨセフスの描くエジプト人と対話するアブラハムは、論理学、哲学、修辞学、科学に秀でた極めて知性的で教養あるヘレニズム的紳士であった。それどころか、アブラハムは、のちにエジプト人が名声を得るに至った計算術や天文学に関する知識を、当のエジプト人に教えた人物となった。そうした知識を惜しげもなく与えるほど気前のよい人物としてアブラハムを描きたかったのである。ラビ文学においては、天文学の知識を持つアブラハムを肯定的に描く伝統は、中世になるまでなかった。むしろ、ラビたちは天文学や占星術を魔術と見なしていたので、アブラハムがそれを知っているがゆえに子供をなかなか得ることができなかったと説明していたほどである。

天文学者としてアブラハムを描くのは、先に述べたように偽エウポレモスにも見られるものであったので、ヨセフスはそれを流用して、ギリシアの読者にアピールするように、天文学のような科学的な精神を持った人物としてアブラハムを描いた。しかしながら、興味深いことに、フィロンはアブラハムはカルデアで天文学の知識を持っていたが、それは目に見える世界への執着であり、そこから出て目に見えない世界へと入ることによって、純粋な哲学者になったとした。ラビ文学は、アブラハムが占星術に関する知識を持っていたとしているが、神がアブラハムを説得して占星術を手放させたと伝えている。

ヨセフスは護教的理由から、哲学者かつ科学者としての側面を強調しつつ、アブラハムを典型的な国民的ヒーローとして描こうとしたのだった。

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