2012年2月24日金曜日

ギリシア・ラテン教父のアガダー評価

ギリシア・ラテン教父たちが、ユダヤ教のアガダー(説話)文学をどのように評価していたかを検証した論文を読みました。教父学とユダヤ学の双方に目配りの行き届いた、素晴らしくよく書けた論文です。

すでにハインリヒ・グレーツをはじめとする19世紀のユダヤ教科学によって、教父文学にはユダヤ教由来の伝承が数多く含まれていることが指摘されていましたが、当時の研究はそうした平行箇所の同定に留まり、なかなか本質的な検証には至っていませんでした。そこでKamesarは、実際に当時の教父たちがアガダーをどのように評価していたのかというところまで問いを深めようとしたのです。教父たちはアガダーを「ヒストリア」として捉えていましたが、これはラビたちのアガダー理解(=ハラハー以外の部分、物語による聖書の敷衍、道徳的・神学的な狙い)とは異なり、むしろ世俗の古典文学の解釈法を念頭に置いた理解でした。古典文学の伝統において、解釈法は4つに分けられていました。
I.    アナグノースティコン:正しい読みと発音
II.  エクセーゲーティコン:内容理解
III. ディオルトーティコン:正しいテクストの確立
IV.  クリティコン:テクストの美的・道徳的評価
このうち二つ目のエクセーゲーティコンはさらに次の4つの観点に分類されます。
i.   グロッセーマティコン:語彙
ii.  ヒストリコン:実際の物事の説明
iii. テクニコン:文法・修辞
iv. メトリコン:韻律
教父たちはユダヤ教のアガダーを、こうした分類の中でも、エクセーゲーティコンのうちのヒストリコンに当てはめて考えていたのです。ちなみにヒストリコン自体もさらに次の4つの下位分野があります。
1. ゲネアロギコン:人の系譜
2. トピコン:場所
3. クロニコン:時間
4. プラグマティコン:出来事
さて、世俗の古典文学の解釈においては上のように「ヒストリコン」の分野がれっきとして存在したわけですが、クインティリアヌスやセクストゥス・エンピリクスなどの文法学者たちは、1)過度に「歴史的」な解釈は衒学的で不必要である、2)何が「歴史的」で何がそうでないかの基準がはっきりしない、という2つの批判を投げかけていました。教父たちは、アガダーを利用しつつも、こうした文法学者によるヒストリコン批判をも受け継いでいたために、アガダーに対しクインティリアヌスらと同様の批判をすることになったのです。しかしその批判にも濃淡があり、いわゆる「学派」によってざっくりと分けることができます。

アガダーを積極的に受容したのはアレクサンドリア=パレスティナのグループで、オリゲネス、エウセビオス、ヒエロニュムス、アレクサンドリアのキュリロスなどが挙げられます。一方で、非受容派はアンティオキアのグループで、タルソスのディオドロス、モプスエスティアのテオドロスなどが挙げられます。後者のアンティオキア・グループは字義通りの解釈を特徴としており、その原則は、「聖書で語られていないことについては研究すべきではない」(テオドレトス)というものでした。聖書で沈黙されていることについて過度に関心を持つことは、推測的な解釈を誘発し、聖書の真実とかけ離れてしまう、と彼らは考えたわけです。

これに対し、アレクサンドリア=パレスティナのグループは、アンティオキア学派と2つの大きな違いを持っていました。第一に、アレクサンドリア=パレスティナのグループは、アガダーは成文律法ではないにしろ、ユダヤ教の正当な伝承経路を持った、口伝の歴史的証言であると考えていました。また第二に、アンティオキア学派の言うように、アガダーが(聖書に対するうがった)憶測的な側面を持っているにせよ、歴史の解釈の文脈の中で何らかの役割を果たすはずとも考えていました。つまり、アガダーを歴史が反映している口伝伝承であると考える場合と、根拠のない憶測的な証言であると考える場合とがあるわけですが、前者の判断のもとでアガダーを紹介する場合はtradunt, narrantという枕詞が使われ、後者の場合ではputant, autumant, suspicanturという言葉から始まることが多いようです。こうした区別は、特にヒエロニュムスにおいて顕著であり、彼はある聖書箇所に関するアガダーが他の聖書箇所によって裏打ちされる場合にのみアガダーを肯定的に扱い(歴史が反映しているから)、一方でそうした裏打ちがない場合には口を極めてユダヤ伝承を罵っています(単なる憶測だと判断したから)。

Kamesar自身が、今回は手を付けなかった問題として最後に触れているのですが、ここにシリアの伝統を組み込むと、さらに興味深いことになるようです。というのも、アンティオキア学派はアレクサンドリア=パレスティナのグループと異なり、直接ユダヤ人との交渉を持っていなかったと考えられますが、一方で彼らだけがエフライムやアフラハトなどシリア教父たちの資料を知ることができたからです。すると、エメサのエウセビオスなどが重要な意味を持ってくることになります。

9068319582A Syrian in Greek Dress the Use of Greek, Hebrew and Syriac Biblical Texts in Eusebius of Emesa's Commentary on Genesis (Traditio Exegetica Graeca)
R. B. Ter Haar Romeny
Peeters Bvba 1997-01-01
by G-Tools

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