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2020年2月7日金曜日

歴史記述的分析と系統的分析 Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis, Chs 2-3

  • Gabriele Boccaccini, Beyond the Essene Hypothesis: The Parting of the Ways between Qumran and Enochic Judaism (Grand Rapids, Mich.: Eerdmans, 1998), 21-79.

第2章:歴史記述的分析(hisotriographical analysis)

ユダヤ人作家であるフィロンおよびヨセフスが語るのは、パレスチナ地方におけるエッセネ派共同体のネットワークであり、非ユダヤ人作家であるプリニウスおよびディオン・クリュソストモスが語るのは、死海近くの単一のエッセネ派共同体である。これらは、エッセネ派運動の歴史における二つの異なる段階というわけではなく、同時代の別の共同体である。つまり、エッセネ派とはパレスチナにおける諸共同体の幅広い運動であり、その複雑さはユダヤ人作家には知られていた。一方で、死海近くに住む特定のエッセネ派共同体は、プリニウスやディオンのような非ユダヤ人作家の興味を引いたのだった。

ユダヤ人作家と非ユダヤ人作家の描写を比較すると、いくつかの興味深い要素が浮かび上がる。第一に、ユダヤ人作家は死海近くの特定の共同体について触れず、非ユダヤ人作家はパレスチナ全体のネットワークについて触れていないが、両者は共にエッセネ派という名前を使っている。第二に、非ユダヤ人作家によって記録された死海の共同体に関する要素のすべてには、ユダヤ人作家によって記録されたパレスチナの諸共同体にも並行する記述が見られる(逆はそうではない)。第三に、死海近くの共同体は、パレスチナの諸共同体よりも過激化しており、他者からの孤立化、特殊化を示している。そして第四に、非ユダヤ人作家は外部の視点からなるべくセンセーショナルな事柄を求めて死海近くの共同体のことを記述しているのに対し、ユダヤ人作家はユダヤ思想を最もよく体現するものを描くという目的に合致するものとしてパレスチナの諸共同体のことを説明している。

短く言えば、歴史記述的分析により分かることは、プリニウスやディオンによって描かれた死海の共同体とは、フィロンやヨセフスによって描かれたより広いエッセネ派運動の内部にいる、過激で少数派のグループである。


第3章:党派以前の歴史の系統的分析(systemic analysis)

クムランの図書館は、世俗的・非ユダヤ的文書がない(のでヘレニズム的な知の集成ではない)こと、また同じ文書が複数所蔵されている(ので個人の所有ではない)ことから、クムランに住む単一のグループに属するユダヤ教宗教文書のコレクションと言える。ただし、単一のグループの持ち物であるからといって、単一の神学を示すとは限らない。それは書物の持ち主であること(ownership)と著者であること(authorship)を混同している。クムラン共同体は書物の持ち主であって、必ずしも著者ではないので、複数の神学を反映していても不思議ではない。

これを分類するのに、(1)聖書文書、(2)外典・偽典、(3)これまで知られていなかったテクスト、という区分を用いるのはアナクロニズムである。『エノク書』と『神殿の巻物』は現代では、その存在が前から知られていたかどうかという基準の下に、前者が第二の区分に、後者が第三の区分に分類されるが、これはクムランの住民にとってまるで意味を成さない。より中立的な区分は以下のように言える:

(1)同種のテクストのグループで、独自のアイデンティティをもった単一の共同体の産物であり、ownershipとauthorshipが重なるテクスト
(2)党派性はわずかで、時系列的にも思想的にも「死海文書の共同体」の形成期に属し、ownershipが必ずしもauthorshipと重ならないテクスト
(3)党派性がなく、聖書に代表されるテクストで、ownershipがauthorshipと重ならないテクスト

これらのテクストを系統的に分析すると、通時的に見て、より古いテクストはより党派性が薄いことが分かる。時を経るにしたがって、共同体は注意深く所有するテクストを選定し、自分たちの考えを代表するものを意図的に残したのだった。つまり、死海文書は党派的グループの組織立った図書館の残りなのである。

死海文書とその他の第二神殿時代の文学を分けるのは、宇宙論的二元論、個人の予定論、不浄と悪の同一視に基づく独特の悪理解である。宇宙的二元論(cosmic dualism)はこの世を、「光の王子」率いる善玉と「闇の天使」率いる悪玉に二分する。ただし、クムランの二元論では、神ははっきりと善玉の味方であり、悪玉は神から離れた自主性はないので、二元論は最終的に善が悪を倒すことになる。死海文書は、宇宙はすべて神の制御下にあると考えている。

予定論(predeterminism)は神の全能性を強調し、人間の自主性を否定的に捉える。ただし、個人の運命は、個人の中にある悪に対し、善がどのくらいの割合があるか(善6:悪3、善1:悪8、善8:悪1など)で決まる(4Q561)。人間に自由がないことは、共同体のメンバーにとっては、神との絆が強まることとして喜ばれた。

不浄と悪の同一視。祭儀的な「不浄」が道徳上の「悪」と同一視される。つまり、罪ある人間は存在論的に不浄であり、不浄さは人間を罪ある状態にする。すべての人間はその本性から不浄であり、それゆえに、彼らはその本性から悪なのである。神の選びによって義とされない限りは。悪と不浄の同一視は、一方で、贖罪と浄化の同一視にもつながる。こうした清浄な状態は、共同体が他の人間たちから孤立することによって保たれる。その外部では神の義が不可能になるからである。

クムランから出たマカベア戦争前の文書を、時代錯誤的でなく分類するためには、「ツァドク派的」「エノク派的」という用語を使う必要がある。「ツァドク派的文学(Zadokite literature)」は、エステル記やダニエル書以外のほとんどの聖書文書や、外典文学などを含む。聖書文書はさまざまな時代に作成されたが、それらはペルシア時代や初期ヘレニズム時代にエルサレム神殿の権威(=ツァドクの家の大祭司)によって集められ編纂された。クムランのツァドク派文学には、『シラ書』15:14bを除いて、党派的な編集などはなされておらず、権威あるものとして引用されたり暗示されたしている。

「エノク派文学(Enochic literature)」である『エノク書』は、クムランでアラム語断片が発見されるまでは、マカベア戦争後の文学と考えられていたが、最初期の部分である「寝ずの番人の書」(6-36章)と「天文の書」(73-82章)はマカベア戦争以前にさかのぼることが明らかになった。エノク派文学の重要性は、ツァドクの時代にあっても園権威に従わない祭司の伝統があったと知らせてくれる点である。

ツァドクの祭司たちは、自分たちが神の領域であるエルサレムの神殿を不浄な世界から清浄に保つことで、善なる神の秩序を守っていると考えていた。これに対し、エノク派文学は、反抗的な天使たちが悪や不浄の伝播の原因であり、彼らが人類に秘密の知識を明らかにするという違反を犯したために、神の創造が汚されたと考えた。この罪は大洪水の後にも消えず、悪霊としてこの世をさまよっている。そして悪の伝播は天使に起因するものなので、人間の手には負えない。つまり、ツァドクの祭司たちが持っている清浄化の力などは幻想であり、悪や不浄には人間の力は及ばないのである。またツァドクの祭司がアロンを祖とし、またモーセに権威を見ることに対し、エノク派文学はより古いエノクに権威を帰している。

ではツァドク派とエノク派の分裂はいつのことだったか。それはエノク派文学が文書として成立するより前に違いない。Ben Zion Wacholderは、エゼキエルこそが反ツァドクの最初であるとする。「寝ずの番人の書」はエゼキエル書にきわめて似た内容を持っている。ただし、エゼキエルの影響は、エノク派ユダヤ教だけでなく、ツァドク派ユダヤ教にも同程度見られる。ツァドク派が神の秩序が第二神殿の完成によって回復されたと考えるのに対し、エノク派は回復はいまだなされていないと考える。「寝ずの番人の書」の分析により、Paolo Sacchiは両派の分裂は前4世紀のこと、Michael E. StoneおよびDaivd W. Suterは前3世紀のことだったと主張している。いずれにせよ、エノク派ユダヤ教は反ツァドク派的な祭司のサークルから生じたといえる。エノク派は、サマリア人と異なり、分離派のグループではなく、神殿エリート内部の反対派だったのである。

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