- James R. Royse, "The Works of Philo," in Cambridge Companion to Philo, ed. Adam Kamesar (Cambridge: Cambridge University Press, 2009), 32-64.
The Cambridge Companion to Philo (Cambridge Companions to Philosophy) (English Edition)
posted with amazlet at 19.10.02
Cambridge University Press (2009-04-20)
フィロンの著作は釈義的著作、護教的・歴史的著作、哲学的著作に大別される。釈義的著作はさらに、問答、寓意的注解、律法注解に区分される。問答と寓意的注解はいわば密教的(esoteric)で、律法注解は顕教的(exoteric)な特徴を持つ。
釈義的著作:問答(Zetemata kai lyseis)とは、ホメロスの詩に見られる神学的・倫理的な「問題」を「解決」するために出てきた解釈方法である。アリストテレス『詩学』25章などにも見られる。この伝統が自然と聖書にも適用されるようになった。フィロンはその最初期の例である。フィロンは字義的解釈から始めて、寓意的解釈を最後に紹介する。解釈の順番は聖書のシークエンスに従う。ギリシア語原典は断片を除いて失われ、不完全なアルメニア語訳で残っている(アルメニア語訳は概して逐語訳)。ラテン語訳にはアルメニア語訳からは抜け落ちているところもあるので有用である。個々の解釈の分け方はシナゴーグの礼拝で読む箇所に対応している。現存する創世記と出エジプト記以外の問答があったとは考えにくい。
寓意的注解。このジャンル分けはエウセビオス『教会史』2.18.1に基づく。創世記の一節(レンマ)ごとに、表層の字義的解釈を超えた倫理的、哲学的、霊的な解釈を論じる。問答での寓意的解釈とまったく異なるわけではない。V. Nikiprowetzkyは寓意的注解は問答の拡大版だと主張したが、現在では多くの研究者たちは寓意的注解がシナゴーグでの説教であった可能性に注目している。主たる聖書箇所のみんらず付加的な箇所や平行箇所にも言及したり、倫理的なテーマをギリシア的なディアトリベーのような修辞技法とつなげたりしている。創世記以外をカバーしたとは考えにくい。
律法注解(the "Exposition of the Law")。五書を広く組織的に扱う。律法注解の構造は五書のジャンル理解に基づいている。すなわち、五書には世界の創造などを扱う「宇宙論的(cosmological)なセクション」、律法を体現する登場人物を扱う「系譜学的・歴史的な(genealogical or historical)セクション」、そして十戒やより具体的な律法を論じる「立法的な(legislative)セクション」がある。フィロンの議論は聖書に関わるが、一節一節を解釈するのではない。むしろ五書の論理的・組織的基盤を絶えず発見しようとしている。たとえば、アブラハム、イサク、ヤコブをギリシア的な教育理論である指導、生得、練習になぞらえたりする方法である。このジャンルに含まれる『世界の創造』は、問答や寓意的注解も含め、フィロンの聖書解釈全体の導入のような存在である。またジャンル分けの難しい『モーセの生涯』は律法注解的な要素も持っている。
護教的・歴史的著作。フィロンがユダヤ教やユダヤ民族の代表として、異教のギリシア人を含めた広い対象に書いたもの。『フラックス』や『ガイウス』などは、ガイウス帝亡きあとのクラウディウス帝および他のローマ人に向けて書いたものと考えられる。エウセビオスによれば、この2書は『徳について』という全5巻の著作に含まれていた。
哲学的著作。聖書やユダヤ教の教えに触れない著作。ディアトリベー、テーシス、対話といったギリシア哲学のジャンルに沿って書かれている。テクスト伝承に難があるのは、これらのジャンルがフィロンのテクストを伝えてきたキリスト教徒にとってあまり興味のないものだったからであろう。
その他の著作。『数論』はピタゴラス主義的な著作である。偽作としては『ヨナについて』、『サムソンについて』、『聖書古代誌』などがある。
著作の執筆順については多くの議論がある。『フラックス』と『ガイウス』については38~39年の一連の事件よりは確実にあとに書かれた。それ以外には、著作中のフィロン地震によるクロス・リファレンスに注目することが重要である。さまざまな説があるが、問答は寓意的注解よりあと、寓意的注解は律法注解に先んじると広く考えられている。すなわち、3種のうち寓意的注解が一番先に書かれ、問答と律法注解はどちらが先とも後とも言えないということである。哲学的著作は晩年に書かれた。
テクストの伝承はある時点からキリスト教徒の手に渡った。アレクサンドリアの教理学校の財産として保存されてきたのである。エウセビオスによる著作リストを見ると、現在の著作群とかなり同じものが揃っている。10から14世紀のギリシア語写本のスコリアも有力な情報源である。直接証言の最古のものとしては、3世紀の二つのパピルスがある。
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寓意的注解。このジャンル分けはエウセビオス『教会史』2.18.1に基づく。創世記の一節(レンマ)ごとに、表層の字義的解釈を超えた倫理的、哲学的、霊的な解釈を論じる。問答での寓意的解釈とまったく異なるわけではない。V. Nikiprowetzkyは寓意的注解は問答の拡大版だと主張したが、現在では多くの研究者たちは寓意的注解がシナゴーグでの説教であった可能性に注目している。主たる聖書箇所のみんらず付加的な箇所や平行箇所にも言及したり、倫理的なテーマをギリシア的なディアトリベーのような修辞技法とつなげたりしている。創世記以外をカバーしたとは考えにくい。
律法注解(the "Exposition of the Law")。五書を広く組織的に扱う。律法注解の構造は五書のジャンル理解に基づいている。すなわち、五書には世界の創造などを扱う「宇宙論的(cosmological)なセクション」、律法を体現する登場人物を扱う「系譜学的・歴史的な(genealogical or historical)セクション」、そして十戒やより具体的な律法を論じる「立法的な(legislative)セクション」がある。フィロンの議論は聖書に関わるが、一節一節を解釈するのではない。むしろ五書の論理的・組織的基盤を絶えず発見しようとしている。たとえば、アブラハム、イサク、ヤコブをギリシア的な教育理論である指導、生得、練習になぞらえたりする方法である。このジャンルに含まれる『世界の創造』は、問答や寓意的注解も含め、フィロンの聖書解釈全体の導入のような存在である。またジャンル分けの難しい『モーセの生涯』は律法注解的な要素も持っている。
護教的・歴史的著作。フィロンがユダヤ教やユダヤ民族の代表として、異教のギリシア人を含めた広い対象に書いたもの。『フラックス』や『ガイウス』などは、ガイウス帝亡きあとのクラウディウス帝および他のローマ人に向けて書いたものと考えられる。エウセビオスによれば、この2書は『徳について』という全5巻の著作に含まれていた。
哲学的著作。聖書やユダヤ教の教えに触れない著作。ディアトリベー、テーシス、対話といったギリシア哲学のジャンルに沿って書かれている。テクスト伝承に難があるのは、これらのジャンルがフィロンのテクストを伝えてきたキリスト教徒にとってあまり興味のないものだったからであろう。
その他の著作。『数論』はピタゴラス主義的な著作である。偽作としては『ヨナについて』、『サムソンについて』、『聖書古代誌』などがある。
著作の執筆順については多くの議論がある。『フラックス』と『ガイウス』については38~39年の一連の事件よりは確実にあとに書かれた。それ以外には、著作中のフィロン地震によるクロス・リファレンスに注目することが重要である。さまざまな説があるが、問答は寓意的注解よりあと、寓意的注解は律法注解に先んじると広く考えられている。すなわち、3種のうち寓意的注解が一番先に書かれ、問答と律法注解はどちらが先とも後とも言えないということである。哲学的著作は晩年に書かれた。
テクストの伝承はある時点からキリスト教徒の手に渡った。アレクサンドリアの教理学校の財産として保存されてきたのである。エウセビオスによる著作リストを見ると、現在の著作群とかなり同じものが揃っている。10から14世紀のギリシア語写本のスコリアも有力な情報源である。直接証言の最古のものとしては、3世紀の二つのパピルスがある。
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