- J.A. Emerton, "When did Terah Die (Genesis 11:32)?" in Language, Theology, and The Bible: Essays in Honour of James Barr, ed. Samuel E. Balentine and John Barton (Oxford: Clarendon Press, 1994), pp. 170-81.
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創世記11:31-32によると、テラは息子アブラム(以下アブラハムに統一)らと共にカルデア人の土地ウルを離れて、カナンの地を目指したが、途中ハランへに留まった。テラは205歳でそこで死んだ。一方で創11:26によると、アブラハムはテラが70歳のときに生まれ、また創12:4によると、75歳のときにハランを離れたので、テラはアブラハムがハランを離れたときに145歳であり、その後も60年生き続けたことになる。そこで著者は、なぜアブハラムは父を置いていったのか、そしてなぜテラはカナンを目指していたのにハランに留まり、なおかつ息子についていかなかったのかと問う。
この時系列の問題に関し、マソラー本文、七十人訳、ウルガータ、ペシッタ、タルグムは何の解決も与えていないが、サマリア五書は異なった時系列を提示している。創11:32において、205歳で死んだとされているところを、サマリア五書のみは145歳で死んだとしているのである。すなわち、テラはアブラハムがハランを離れたあとも60年間生き続けたのではなく、アブラハム出発の年に死んでいたということである。これは、使7:4と同様の解釈である:
論文著者は、まずテクストの破損の可能性を検討するが、205を145に変えてしまう合理的な理由を見つけるのは困難であると結論する。そこで、これは意図的な改変であるという前提に進むことになる。旧約学の研究史においては、改変の理由として、いくつかの説がある。Budde, Gunkel, Zimmerliらは、創12:1における神からのアブラハムへの呼びかけに父親への言及があることから、このときにテラが生きているように合わせる必要が生じたと考えた。一方で、Cassuto, Wenham, Hughesらは、11章で語られるテラの死が12章で出てきたら時系列と合わなくなるので、数字を減らす必要が生じたと考えた。
次に、論文著者は、ヘブライ語の数字表現に注目する。創11:32は旧約学においてはP資料に属す箇所と考えられているが、205歳を表すときの表現として、マソラー本文の表現はP資料の表現として通常のものである。しかし、145歳を表すサマリア五書の表現は普通ではないパターンであるという。とはいえ、P資料の記者はしばしば一貫しない数字の表現を用いるので、このことからサマリア五書の数字がマソラー本文と比べて二次的なものであると結論付けることはできない。
なぜP資料が、テラがアブラハムに同道しなかったのかについても疑問の残るところであるが、論文著者によれば、P資料は必ずしもすべてを明確に説明するわけではないので、これはP資料のやり方とかけ離れてはいないという。すると考えられる他の可能性としては、もともとはこれをきれいに説明する伝承があったが、P資料はそれを自身の物語の中に組み込まなかったのではないか。これは他の箇所との比較から、あり得なくもない可能性であるが、論文著者は慎重にも、存在しない証拠をもとに語ることは避けるべきであるとしている。他に論文著者は、Cassutoの説明を紹介しているが、それも妥当性が低いとしている。
以上より、次のような結論が導き出される:マソラー本文の205歳とサマリア五書の145歳のどちらかを、純粋に本文批評で決めるのは困難である。P資料は、さらなる解釈が存在した可能性を暗示しているが、それは我々には伝わっていないので議論することができない。言い換えれば、創11:32のオリジナルな読みの問題を解決することは不可能である。
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この時系列の問題に関し、マソラー本文、七十人訳、ウルガータ、ペシッタ、タルグムは何の解決も与えていないが、サマリア五書は異なった時系列を提示している。創11:32において、205歳で死んだとされているところを、サマリア五書のみは145歳で死んだとしているのである。すなわち、テラはアブラハムがハランを離れたあとも60年間生き続けたのではなく、アブラハム出発の年に死んでいたということである。これは、使7:4と同様の解釈である:
アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住んだ。神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地に移した。また、フィロン『アブラハムの移住について』177にも同様の解釈がある:
まずアブラハムはカルデアから出発し、ハランに住んだ。彼の父親がそこで死んだあと、彼はその土地から移動し、その結果彼はすでに二つの土地を去っているわけである。論文著者は、使徒行伝とフィロンの解釈は、もしかしたらケアレスミスかもしれないと述べているが、サマリア五書の解釈を支えるものでもある。
論文著者は、まずテクストの破損の可能性を検討するが、205を145に変えてしまう合理的な理由を見つけるのは困難であると結論する。そこで、これは意図的な改変であるという前提に進むことになる。旧約学の研究史においては、改変の理由として、いくつかの説がある。Budde, Gunkel, Zimmerliらは、創12:1における神からのアブラハムへの呼びかけに父親への言及があることから、このときにテラが生きているように合わせる必要が生じたと考えた。一方で、Cassuto, Wenham, Hughesらは、11章で語られるテラの死が12章で出てきたら時系列と合わなくなるので、数字を減らす必要が生じたと考えた。
次に、論文著者は、ヘブライ語の数字表現に注目する。創11:32は旧約学においてはP資料に属す箇所と考えられているが、205歳を表すときの表現として、マソラー本文の表現はP資料の表現として通常のものである。しかし、145歳を表すサマリア五書の表現は普通ではないパターンであるという。とはいえ、P資料の記者はしばしば一貫しない数字の表現を用いるので、このことからサマリア五書の数字がマソラー本文と比べて二次的なものであると結論付けることはできない。
なぜP資料が、テラがアブラハムに同道しなかったのかについても疑問の残るところであるが、論文著者によれば、P資料は必ずしもすべてを明確に説明するわけではないので、これはP資料のやり方とかけ離れてはいないという。すると考えられる他の可能性としては、もともとはこれをきれいに説明する伝承があったが、P資料はそれを自身の物語の中に組み込まなかったのではないか。これは他の箇所との比較から、あり得なくもない可能性であるが、論文著者は慎重にも、存在しない証拠をもとに語ることは避けるべきであるとしている。他に論文著者は、Cassutoの説明を紹介しているが、それも妥当性が低いとしている。
以上より、次のような結論が導き出される:マソラー本文の205歳とサマリア五書の145歳のどちらかを、純粋に本文批評で決めるのは困難である。P資料は、さらなる解釈が存在した可能性を暗示しているが、それは我々には伝わっていないので議論することができない。言い換えれば、創11:32のオリジナルな読みの問題を解決することは不可能である。
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