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2017年9月13日水曜日

クムラン共同体 Vermes, "The Community"

  • Geza Vermes, The Complete Dead Sea Scrolls in English (Fiftieth anniversary edition; London: Penguin Books, 2011), pp. 26-48.
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Geza Vermes

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クムラン共同体の人々は自分たちは真のイスラエルを体現していると考えていた。『共同体の規則』において、この宗派は、「共同体」あるいは「共同体の評議会」として自らを規定している。彼らは食事や祈祷などを教導で行なっていた。彼らの祈祷はエルサレム神殿のそれとは別物として行なわれていた。

『共同体の規則』によれば、人々は瞑想を行なったようだが、これは当時のユダヤ教の伝統では珍しいことだった。また人々は二つの霊――正しい霊と偽りの霊――の知識に通暁することを期待された。『共同体の規則』に組み込まれた「二つの霊に関する指導」という神学書を読み、光の子と闇の子の区別を学ぶのだった。

共同体のリーダーシップを取ったのは大祭司の家系であるツァドク派の者たちである。この祭司たちは共同体でのどの集まりにも出席することが求められていた。この祭司のうち、マスキールと呼ばれる者が共同体を指導した。共同体の評議会は、12人の平信徒と3人の祭司から構成されていた。評議会では、律法、現在の商取引、新規加入者の受け入れや拒否、係争中の裁判などが議論された。

『共同体の規則』において、追放刑にされる行為は以下の5つである:第一に、一字一句でもモーセ律法に違反したとき、第二に、神聖な神の名を口にしたとき、第三に、評議会を抽象したとき、第四に、共同体の権威に対して謀反を企てたとき、そして第五に、評議会の委員となって10年経っても心が頑なであるとき、である。その他にも、2年以下の苦行によって許される違反、1年以下(6ヶ月、3ヶ月、30日、10日など)の懲役で許される違反などがある。

共食の食卓はクムランの日常生活にとって重要なものである。人々は食事の前に沐浴をしたようである。そして食卓が準備されると、祭司が祝福し、それから食事が始まる。彼らが飲んでいた「ワイン」は、発酵前のぶどうジュースであったかもしれない。

共同体に入会するためには、2年間、あるいはそれ以上の年月の試験を経なければならない。最初に共同体の守護者との面接がある。その後に誓いを立てると、共同体の規則について指導を受ける。最後に再び評議会で吟味され、受け入れられるか否かが決まる。そこで受け入れが決まっても、次の1年はまだ完全には受け入れられていない。厳格な清浄規定ゆえに、まだ食器などに触ることが許されないのである。それゆえに共食の食卓につくこともできない。その1年が終わると食器には触れるようになるが、より汚れやすいと考えられていた液体に触ることはまだ許されない。2年目が終わって、ようやく新規入会者は正式に受け入れられる。このとき、預けていた自分の財産もまた共同体のものとして納入される。

クムラン共同体が独身制だったのか結婚が許されていたのかは難しい問題である。『共同体の規則』から再構成される共同体は女性を忌避する男性的な社会であるが(「女性」という単語すら出てこない)、『ダマスコ文書』から見える共同体には結婚した者たちが含まれている。クムラン遺跡からは、実際に6人の女性と3人の子供の骨が見つかっている。『ダマスコ文書』には、他のユダヤ人や異邦人の近くで暮らす町の共同体が描かれているが、彼らは厳格な規則に従いつつも妻や子供を持っていた。ここではトーラー学習や2つの霊のことなどは出てこない。『共同体の規則』につながっている『会衆の規則』では、20歳になると結婚が許される旨が記されている。

『ダマスコ文書』にも、共同体の頭目としてのメバケルという役職の者が出てくる。彼は共同体への新規加入希望者を吟味する。それと同時に、共同体の内部の者たちが外部の者たちと親しく付き合わないように監視してもいた。

『ダマスコ文書』は死刑判決に関する記述も含んでいるが、他のユダヤ人やローマ人が勝手な死刑判決を容認していたとは考えにくいので、これは宗派の将来的な方針を示しているにすぎない。妻帯を前提とする『ダマスコ文書』は性交についても述べている。それによると、生理中あるいは妊娠中の女性との性交は、生殖を目的としていないので禁じられている。安息日にはいかなる理由でも1000キュビト以上歩いてはならないが、家畜を連れているなら町から2000キュビトまで離れてもよい。安息日違反は『共同体の規則』では追放刑だったが、『ダマスコ文書』では懲役7年であった。追放刑が課されるときは、共同体から呪いの言葉を向けられるセレモニーがあったようである。

『ダマスコ文書』からは、町の共同体と荒野の共同体とに違いがあることが分かる。町の共同体は家族で寄り集まっているが、紺屋の共同体は孤立している。前者は町の礼拝に参加するが、後者は決してしない。前者への新規加入者は皆外部から来るが、後者へはメンバーの子供なども加入する。前者は加入まで2年の月日と2つの霊に関する指導があるが、後者はそのようなものはない。ただし両者とも自らを真のイスラエルと考え、ツァドク派の祭司によって率いられ、また10人組・50人組・100人組・1,000人組のように組織化されている。他にもさまざまな共通点があるので、両者は同じ宗教運動の別ブランチであると考えられる。

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