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2018年12月24日月曜日

オリゲネス『エレミヤ書説教』のラテン語訳 Nautin, "Introduction: Chapitre 1: Histoire de texte" #2

  • Pierre Nautin (ed. and trans.), Origène: Homélies sur Jérémie (Sources Chrétiennes 232; Paris: Cerf, 1976), 1:33-46.


『エレミヤ書説教』の3つの間接証言の3つ目は、ヒエロニュムスによるラテン語訳である(あと2つは古代の引用とカテーナ)。ヒエロニュムスは14の説教を訳したが、そのうち12はギリシア語原文も残っている(I, II, IV, VIII, IX, X, XI, XII, XIII, XIV, XVI, XVII。ラテン語訳しかないのはL. IとL. IIと呼ばれる)。著者はこれらの翻訳は、ヒエロニュムスがカルキス砂漠に出発する前にアンティオキアで作成したと主張する(374年頃か。通常は380年頃、コンスタンティノポリスでの作品とされる)。ヒエロニュムスが用いた写本は、8世紀のS写本よりは古いものなので、S写本の誤りを正すことが期待される。

著者は、第一に、ヒエロニュムスの翻訳がどのような状態で現存しているのか、第二に、ヒエロニュムスによって用いられたギリシア語写本の価値はどのくらいか、第三に、ヒエロニュムスはどのような基準で翻訳をしたのかを論じる。

第一に、ラテン語訳写本の状態については、W.A. Baehrensの研究がある。『エレミヤ書説教』のラテン語訳を含む写本は、ひとつの例外を除いて、AとBの二つのクラスに分けることができる。クラスAは9世紀以降のいくつかの写本で、ミーニュ版もこちらを採録している。クラスBは13世紀以降の写本である。AもBも9世紀頃のひとつの写本に依拠していると考えられる。この他には、9世紀のラバヌス・マウルスが『エレミヤ書注解』でヒエロニュムスの翻訳の半分を引用している。この引用は信頼性が高い。

第二に、ヒエロニュムスが利用したギリシア語写本の価値については、S写本の誤りすべてではないにせよ、いくつか共通する誤りを持っているといえる。文脈から、ヒエロニュムスとS写本のテクストとは異なった文法形式でオリゲネスが述べたに違いない箇所が見つかっている。またS写本が誤っている箇所では、ヒエロニュムスは文章を飛ばすことがある。ヒエロニュムスは、ギリシア語テクストが損なわれているところだけを飛ばし、その前後は正確に訳す。S写本とヒエロニュムスに見られる誤りが、カテーナの引用元となったギリシア語写本に影響を与えたケースもある。

ヒエロニュムスの翻訳の特色として、説教の順番が、S写本のように聖書どおりになっていないことが挙げられる。これが偶然ではないことは、ウィンケンティヌス宛書簡でのヒエロニュムスの暗示によって明らかである。ただし、これはヒエロニュムスのせいではない。古代の説教は、エレミヤ書に関する説教がひとつにまとめられていたのではなく、説教ごとに個別の写本に書かれていた。ヒエロニュムスが持っていたのも、こうしたバラバラの写本だったので、S写本とは異なる順番になったと考えられる。

第三に、ヒエロニュムスの翻訳の忠実さについて。ヒエロニュムスはルフィヌスによる『諸原理について』の翻訳が自由すぎると批判していたが、これに対し、ルフィヌスはヒエロニュムスの翻訳も自由すぎるところがあると批判した。たとえば、三位一体のような信仰に関わる部分で文章を飛ばしているという。さらに『エレミヤ書説教』でオリゲネスはあまり三位一体について取り組んでいないが、その欠落こそがヒエロニュムスによる修正のあとだとまで主張した(『ヒエロニュムス駁論』2.31.15)。

しかしながら、KlostermannやM. Vittorio Periら、ギリシア語原文とラテン語訳テクストとを綿密に比較した現代の研究者によれば、教義に関わる部分において、ヒエロニュムスはわずかな修正もしていないという。ヒエロニュムスが何らかの修正を加えるのは、自分で省略した一節における思想を明らかにするためや、スタイルを装飾するためのことが多い。より問題視されるのは「付加」だが、ときに「除去」や「改変」も見られる。

ヒエロニュムスはウィンケンティヌス宛書簡において、自身の翻訳方針について次のように述べている。すなわち、作者の特性とスタイルの素朴さに注意を払うこと(教会に有用なので)、そして修辞の華々しさに重きを置かないこと、である。しかしながら、彼はこの自身の方針には従っていない。それゆえに、ヒエロニュムスの翻訳を利用するには慎重さが必要である。S写本にない箇所がヒエロニュムスのラテン語訳に見つかるからといって、それはS写本の欠落とは限らないのである。明らかにS写本における欠落とわかる箇所については、ヒエロニュムスの訳は内容を知るための助けになる。

ちなみに、オリゲネスの『エレミヤ書説教』を利用した著作家には、エウセビオス、ヨアンネス・クリュソストモスとオリュンピオドロス、アンブロシウス、そしてヒエロニュムス(『エレミヤ書注解』)などがいる。

説教の数。『エレミヤ書説教』の数については、ヒエロニュムス『書簡33』に、エウセビオスが『パンフィロス伝』で書いたカイサリア図書館の作品リストのラテン語訳があるが、写本によって14とも24とも伝えられている。しかし、『フィロカリア』に残された断片が説教39なので、どちらもおかしい。もともとヒエロニュムスは24と書いたのを、写字生が現存するラテン語訳の数である14に書き改めたのであろう。カッシオドルスは『聖俗学術綱要』で45と伝える。『フィロカリア』断片の説教39がエレミヤ書の最終章である52章(21節)に関するものなので、残り6つの説教すべてでさらに52章について論じているとは考えにくい。おそらくエレミヤ書のみならず、エレミヤの手になるバルク書や哀歌についても論じていたのだろう。説教の数が45だとすると、20しかないS写本は全体の半分も知らなかったことになる。あるときから『エレミヤ書説教』は二つに分けられて、S写本はその片方しか知らなかったのであろう。それにしても、52章あるエレミヤ書を45の説教カバーするというのも妙である。カイサリア教会ではオリゲネス以外の人も説教したので、彼が担当しなかった箇所があるのかもしれない。説教の数について、これ以上は詳しくは分からない。

2018年12月16日日曜日

オリゲネス『エレミヤ書説教』の基礎知識 Nautin, "Introduction: Chapitre 1: Histoire de texte" #1

  • Pierre Nautin (ed. and trans.), Origène: Homélies sur Jérémie (Sources Chrétiennes 232; Paris: Cerf, 1976), 1:15-32.


オリゲネスの『エレミヤ書説教』は、明らかに彼が司祭だったときの作品なので(11.3.26; 12.3.18)、少なくとも232年の叙階よりあとである。また、これよりあとに『民数記説教』や『ヨシュア記説教』を書いたこと(12.3.21;『ヨシュ説』13.3)、そしてこれよりも前には、『詩篇説教』(8.3.2)や知恵文学に関する説教を書いたことが分かっている(『詩説』は240年)。基本的にオリゲネスは、知恵文学、預言書、歴史書の順に説教をしたようである。また『エゼキエル書説教』は、『ヨブ記説教』と『エレミヤ書説教』のあとに書かれたことも確実である(『エゼ説』6.4; 11.5)。研究者の中には、『レビ記説教』8.3の記述をもとに、同書を『エレミヤ書説教』の前に書いたと考える者もいるが、これは誤りであろう。アテーナイへの二度目の滞在時(245/6年)に書いた『雅歌説教』よりも前に『民数記説教』と『士師記説教』を書いたので(『雅説』序文)、『エレミヤ書説教』は240年から246年の間、さらに狭めれば241年から244年の間に書かれたと考えられる。

内容から、『エレミヤ書説教』は一般大衆向けの作品といえる。聴衆はすでに『詩篇説教』を聞いており、一方であとで『エゼキエル書説教』、『民数記説教』、『ヨシュア記説教』を聞くことになる。場所はカイサリアであった。

直接証言:『エレミヤ書説教』は、珍しくギリシア語原文が残っているオリゲネスの著作である(他には、『ヨハネ福音書注解』の一部分、『マタイ福音書注解』の一部分、『ケルソス駁論』、『祈りについて』、『殉教の勧め』、『ヘラクリデスとの対話』、『サムエル記上説教』、『諸原理について』の一部分など)。『エレミヤ書説教』のギリシア語写本には2つある。

第一に、スコリアレンシス写本(S)は、羊皮紙に書かれた11-12世紀のもので、フォリオ208から326までが『エレミヤ書説教』である(その前にはアレクサンドリアのクレメンス『富者の誰が救われるべきか』Quis dives salvetur)。Don Diego Hurtado de Mendozaがヴァネツィアで手に入れて、のちにエル・エスコリアル修道院図書館に収蔵された。タイトルにオリゲネスの名前ががないので、アレクサンドリアのキュリロスの作品と勘違いされていた。写本中には、写字生が知っていた欠落が3箇所(f. 293r [17.3.19]; f. 307r [19.12.1]; f. 314r [20.1.16])、写字生が知らなかった欠落が2箇所(f. 218v [3.2.27]; f. 305v [18.10.24])ある。また、文章が入れ替えられている箇所(f. 251r [10.8.11])や誤った数字を含んだ箇所もある。第二の写本は、ウァティカヌス写本623(V)で、16世紀の紙の写本の281-475頁が『エレミヤ書説教』であるが、S写本の複製なので重要度は低い。

間接証言:上記2写本の他には、古代の引用、カテーナ(連鎖注解)抜粋、そしてヒエロニュムスによるラテン語訳がある。古代の引用としては、パンフィロスとエウセビオスの『オリゲネス擁護』のルフィヌスによるラテン語訳があるが、この部分はS写本にもヒエロニュムスのラテン語訳にも並行箇所が存在する。より重要な古代の引用は、『フィロカリア』(ナジアンゾスのグレゴリオスとカイサリアのバシレイオス編)所収の2断片(Ph. IとPh. II)である。Ph. Iは説教の序文と考えられる。Ph. IIは3部分(Ia, Ib, Ic)から成る。Ph. IIのIbはヒエロニュムスのラテン語訳(L. II, 2.31-44)として残っている。『フィロカリア』での引用は忠実である。

預言書のカテーナには特に2つの主要写本がある。10世紀のChisianus R. VIII. 54と9世紀のVat. Ottobonianus gr. 452である。カテーナは、136のオリゲネスの断片を含んでいる。そのうち1つは『アフリカヌスへの手紙』、135はオリゲネスの名前はあるが作品名がない。後者のうち76は『エレミヤ書説教』のエレ20:12より前を、59はより後から最後(エレ51:35)までを扱っている。このうちより前の部分の多くはS写本にも見出されるが、より後の部分は失われたと考えられる。カテーナの抜粋は語り直しのために要約されている(ある部分は30行が8行に、またある部分は84行が18行になっている)。

エレ20:12より前の部分を扱う76のうち11はS写本にも見つからない。これらが本当にオリゲネスの説教なのかどうかは分からない。なぜなら、オリゲネスはエレミヤ書に関する注釈書を『説教』以外残していないからである。Nautinによると、断片Ⅰと断片Ⅵは解釈の傾向がかなり異なるという。とりわけ後者では、2つの疑問点がある。第一に「アクィラやシュンマコス」への言及があるが、通常オリゲネスは説教では校訂者の名前を挙げない(注解ではする)。第二に、親イスラエル的な記述があるが、通常そうしたことはしない。この11断片を、S写本に保存されたものとは異なるオリゲネスのエレミヤ書説教と主張するのは無謀である。

以上より、カテーナの抜粋は、S写本で損なわれた箇所をときに直すことができ、またS写本に保存された部分に続く説教に光を当ててくれる。

2018年12月10日月曜日

オリゲネスの記号とシロ・ヘクサプラ Gentry, "Did Origen Use the Aristarchian Signs in the Hexapla?"

  • Peter J. Gentry, "Did Origen Use the Aristarchian Signs in the Hexapla," in XV Congress of the International Organization for Septuagint and Cognate Studies, Munich 2013, ed. Wolfgang Kraus, Michaël N. van der Meer, and Martin Meiser (Septuagint and Cognate Studies 64; Atlanta: SBL Press, 2016), 133-47.

Anthony GraftonとMegan Williamsは、オリゲネスの『ヘクサプラ』の第5欄にはオベロス記号もアステリスコス記号も使われてはおらず、ある欄のテクストが欠落しているときには単にそこが空欄になっていたと主張する。Jennifer Dinesも第5欄には記号はなかったとする。

そもそもOlivier Munnichによると、『ヘクサプラ』には4つの重要な一次資料があるという。第一に、対観部分の4つの断片、第二に、マルカリアヌス写本、シナイ写本、シロ・ヘクサプラなどのコロフォン(奥付)、第三に、ギリシア語聖書の欄外注、そして第四に、オリゲネス、エウセビオス、ヒエロニュムス、エピファニオス、ルフィヌスら教父の言及である。

著者は、再構成されうる『ヘクサプラ』の第5欄のテクスト(=o' テクスト)と、第5欄だけを別に写すことからできた改訂版である『ヘクサプラ』改訂版とを区別するべきだと主張する。

こうした前提のもとに、著者はシロ・ヘクサプラのコロフォンに注目する。これはEduard Schwartz、Giovannni Cardinal Mercati、Pierre Nautinらの研究に対する補足である。なぜなら、彼らはマルカリアヌス写本やシナイ写本のコロフォンについては詳しく研究したが、シロ・ヘクサプラのそれについては省略したからである。GraftonとWilliamsはMercatiやNautinの研究を参考にしたので、やはり限界がある。コデックス学は部分ではなく全体を見なければならない。

著者は、シロ・ヘクサプラ写本の箴言、コヘレト書、雅歌などのコロフォンを紹介しつつ、それらを、T.C. Skeatが研究したシナイ写本におけるエステル記のコロフォンなどと比較している。シナイ写本のコロフォンや、ネストリオス派主教ティモテオス1世がセルギウス宛に書いた手紙などは、古代における写本の作成の様子について教えてくれる。

シロ・ヘクサプラ写本のコロフォンに基づき、著者は次の3点を指摘する。第一に、シロ・ヘクサプラ写本のコロフォンとギリシア語写本のコロフォンを比較することで、シリア語での写本用語を同定することができる。第二に、知恵文学はひとつのコデックスや巻物で伝えられていた。第三に、シロ・ヘクサプラに至るまで3段階あった(アレクサンドリアにおけるテクストのVorlage→シリア語訳の底本となるギリシア語Vorlage→シリア語訳)。

さらにBM Add. 14437の列王記の上へのコロフォンによると、シロ・ヘクサプラは、オリゲネスの『ヘクサプラ』の第5欄の写本をシリア語に翻訳したものであるという。617年にエナトンのアントニオス修道院でテラの司教パウロスが翻訳した。アレクサンドリアにいたパウロスをアタナシオス1世が修道院に招き、翻訳を依頼した。

シロ・ヘクサプラはアステリスコス記号をはじめとした記号を含んでいるにもかかわらず、その本文は『ヘクサプラ』改訂版の七十人訳とはあまり近くない。それは、著者によれば、シロ・ヘクサプラは『ヘクサプラ』ではなく『テトラプラ』に由来するからである。『テトラプラ』はしばしば『ヘクサプラ』のパイロット版として先にできたものとされることがあるが、これは説得的でない。むしろ『ヘクサプラ』によって七十人訳とヘブライ語テクストとの関係が明らかになったので、オリゲネスは最初の2欄をもはや必要としなくなり、『テトラプラ』を作成したという順序である。

また著者は、『ヘクサプラ』改訂版のオリジネーターはパンフィロスとエウセビオスだと主張する。オリゲネスは『ヘクサプラ』から『テトラプラ』へと第5欄のテクスト(=o' テクスト)を写す際に手を入れているかもしれないが、それと『ヘクサプラ』改訂版七十人訳とは区別されるべきである。

2018年12月7日金曜日

ヒエロニュムスの出エジプト記翻訳研究#4 Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions

  • Matthew A. Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions in Jerome's Translation of the Book of Exodus: Translation Technique and the Vulgate (VCS 141; Leiden: Brill, 2017), 61-104.


第3章"Jerome, the Hebrew Text, and Hebrew Grammar"より。ヒエロニュムスは『書簡57』において聖書は逐語訳を必要としていると述べているが、実際にはウルガータの出エジプト記は意訳である。著者は、七十人訳の翻訳者がアレクサンドリアの文法学の伝統から影響を受けているように、ヒエロニュムスもまたラテン語文法の伝統から影響を受けていると指摘する。

ヒエロニュムスの翻訳の理論的な側面と彼の翻訳の実際の性質については、それぞれいくつもの研究がなされてきたが、Benjamin Kedar-KopfsteinとSebastian Weigertを除いて、彼の理論を実際の翻訳と比較してみる研究はなかった。一方で、Kedar-KopfsteinもWeigertも、ヒエロニュムスのラテン語に対する見解について考察しなかった。それをしたのがMichael Gravesだった(ただしGravesの研究は聖書翻訳そのものではなく『エレミヤ書注解』が対象である)。Gravesは、ヒエロニュムスがラテン語文法の伝統を自身のヘブライ語テクストの翻訳に適用したことを説得的に示した。

ギリシアの学術から発生したラテン語文法は、次の4つの部分から成っている(ウァッローの用語)。すなわち、「読解(lectio)」「説明(enarratio)」「校訂(emendatio)」「評価(iudicium)」である。「読解」は、表現、アクセント、綴りなどを含むテクストの正しい読みのこと。「説明」は比喩表現、普通でない語、複雑なシンタックスといった難しい箇所の説明のこと。この「説明」は聖書翻訳と深く関わっており、さらに4つの下位分野に分けられる:文法的・言語的説明、ヒストリアの解釈、スタイルや詩的言語への注意、パラフレーズや語源学による難しい語(glossae)の説明である。「校訂」は単なる本文批評だけではなく、文中の誤りの修正なども含む。「評価」は作品の評価であり、注解、書簡、序文などに出てくるが、翻訳テクスト上には出てこない。

「読解」は現代的に言えば「文法的変換(grammatical transformation)」や「文脈的操作(contextual manipulation)」などと言える。これは、たとえばヘブライ語とラテン語の数の違いを説明することや、文章を正しく区切ること(クインティリアヌスによれば、distinctio)などを含む。

「説明」は、難しかったり普通でない語(glossemata)の解釈である。起点テクストでは言語的に暗示的なところを、目標テクストでは明示的に変える。ときにid estやquod significat quid est hocなどといった定式で導かれるパラフレーズ的な形式を取ることもある。いわゆる形式文法はこのカテゴリーに入る。文中で繰り返し同じ語を用いないように「変化(variatio)」をつけるのは、ラテン語ではエレガントなこととされるが、そうすることによって、せっかく「説明」によって取り去られた不明瞭さがまた出てきてしまう。ヒエロニュムスのつける「変化」は意味に影響を与えない場合も与えてしまう場合もある。「説明」という観点によって、ある言語独特の数や時制の感覚を理解したり、ヘブライ語の文章表現を再現するために廻説的表現を用いたり、修辞的効果よりも科学的な細部に注目したり(「ヒストリア」)、ウェルギリウスのテクストとの間テクスト性を理解したり、さらにはヘブライ語の言葉遊びをラテン語で再現したりすることが可能になった。

「校訂」は本文批評だけでなく、起点テクストを意味論的あるいは統語論的に変化させることも含んでいる。これは解釈の伝統ではなく、テクストの伝承や言語的システムに依拠した改変である。中でも顕著なのは、聖書ヘブライ語に特徴的なパラタクシスをヒュポタクシスに変えることである。ヘブライ語のパラタクシス構造をラテン語で扱うには、3つの方法がある。第一に、文字通りに繋辞etでつなぐ。第二に、それぞれの繋辞を等位接続詞や従位接続詞に変えて、文章同士の関係を説明する。第三に、文章を繋辞でつなぐのではなく分詞に変えて従属させる。第三の方法は統語論的には最も大きな変化だが、実は意味論的にはヘブライ語に最も近い。というのも、本動詞に対する分詞の意味は、ヘブライ語の繋辞と同様に、あくまで文脈が決めるからである。ヒエロニュムスの訳文は、この第三(および第二)の方法が多用されている点で、他の翻訳と大きく異なっている。キケローのスタイルを学んだヒエロニュムスは、ラテン語的な雄弁を犠牲にすることはできなかったのである。彼はパラタクシスを維持する場合でも、小辞を入れて文章同士の関係性を明らかにしたし、維持をやめて思い切って関係節や独立奪格に変えることもあった。ヘブライ語で冗長だったり反復されている箇所を削除して単純化することもあった。

目標言語やその文化が翻訳に影響を及ぼすのはよくあることである。翻訳上の変化は、古代末期ラテン語文献学という、ヒエロニュムスのいた文脈を教えてくれる。「説明」は、ヘブライ語のみに依拠している、いくつものnon-obligatory shiftsを説明し、「読解」や「校訂」はobligatory shiftsの理解の枠組みを与えてくれる。フィロンが証言する七十人訳の訳者たちのように、ヒエロニュムスはヘブライ語テクストに直に向き合ったが、一方で『アリステアスの手紙』の物語のように、彼もまた他の諸訳との対話をしながら翻訳したのだった。

2018年12月6日木曜日

ヒエロニュムスの出エジプト記翻訳研究#3 Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions

  • Matthew A. Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions in Jerome's Translation of the Book of Exodus: Translation Technique and the Vulgate (VCS 141; Leiden: Brill, 2017), 43-60.


第2章"Translation Technique of the Vulgate"より。ヒエロニュムスのヘブライ語テクストのVorlageは、特に五書に関しては現在のマソラー本文と同じものだと見なされている(それゆえに、E. Tovによれば、ヘブライ語聖書の本文批評にはほとんど役に立たない)。ヒエロニュムスの翻訳技法を知るためには、テクストそのものと共に、翻訳に関する彼の発言(『書簡57』など)も参考にすることができる。

著者はヒエロニュムスの「意味(sensus)」という語の二段階の理解について分析している。ひとつのレベルは「文献学的な(philological)意味」で、語彙論、形態論、スタイルを統合したものである。これは語彙論と形態論だけに着目する「言葉(verbum)」と対になっている。もうひとつのレベルは「霊的な(spiritual)意味」で、宗教的な文脈における理解のことである。文献学的な意味が翻訳において優勢であるのに対し、霊的な意味は注解においてより中心的な役割を演じている。Pierre Jayによれば、注解においてヒエロニュムスは、聖書の字義的な意味を「ヘブライ的真理」に、そして霊的な意味を七十人訳に結び付けることもあれば、逆に霊的な意味をヘブライ語テクストに、そして字義的な意味を七十人訳に結びつけることもあるという。

『書簡57』には、聖書以外は意訳、聖書だけは逐語訳という原則を書いた箇所があるが、ヒエロニュムスは実際にはこれを無視しており、それどころか書簡の後半では矛盾したことすら述べている。これは、この書簡を書いたのが聖書翻訳の初期のことであり、実際に翻訳が進んでからはフレキシブルになったからと考えられる。またそもそもヒエロニュムス自身が意訳を好む性質だったために、最終的にはこの原則を覆したとも考えられる。

古典文学を引きながらヒエロニュムスが述べているところでは、たとえばキケローは、自身の言語の特徴(proprietas)を通じて、外国語の特徴を明らかにしようとして、省略したり付加したりしたという。というのも、原文のエレガントなスタイルを再現できていない翻訳は、原文の著者が文学的素養を欠いているという誤った印象を与えてしまうのである。それゆえに、「文献学的な意味」が必要なのである。

新約聖書には旧約聖書からの非逐語訳的な訳があるが、著者によると、このことはヒエロニュムスの「意味」の理解を複雑化すると共に明らかにもしているという。さまざまな具体例から、ヒエロニュムスは福音書記者やパウロは聖書を意訳したと結論付けた。それどころか、彼は逐語訳をしているアクィラを悪い例として出してもいるので、『書簡57』における原則(「聖書は逐語訳すべき」)と矛盾しているわけである。著者は、福音書記者らは翻訳において「霊的な意味」を得たのであり、アクィラは「文献学的な意味」への注意を引こうとしたのだと説明している。

このように、ヒエロニュムスの翻訳技法の分析とは彼の意訳へのコミットメントを認めるところから始まる。ウルガータの五書は、古ラテン語訳や、彼が訳した他の聖書文書よりは自由だとされている。ヘブライズムはヒエロニュムスの逐語訳者としてのテクニックを示すが、語源学的な訳し方や釈義的な訳し方、ギリシア語Vorlageの使用、またラテン語の語法に沿う傾向は、彼の自由訳者としてのテクニックを示す。

著者は、ヒエロニュムスの翻訳に三つの方法論があると考えている。第一に、ヘブライ語テクストのみを直接的に考慮している場合、第二に、七十人訳など他の伝承を参照している場合、そして第三に、釈義的な伝承に関わっている場合である。つまり、彼の翻訳がヘブライ語と一致しないときに、すぐにそれは釈義的な伝承の影響と考えるのではなく、まずは七十人訳、古ラテン語訳、アクィラ、シュンマコス、テオドティオンを用いた可能性を考慮するのである。そしてもしヘブライ語ともこれらの版とも大幅に異なる場合に、初めて釈義的伝承を考慮するのである。しかもそれは、ユダヤ的、古典文学的、そしてキリスト教的な伝承すべてを考慮する必要がある。

ウルガータの出エジプト記の翻訳技法は、逐語訳者を志向してはいるかもしれないが、それは「逐語訳」という言葉の定義に相当の自由度を認めた上でのことであった。翻訳はときにヘブライ的、ギリシア的、古典文学的、キリスト教ラテン的でもあり得た。これをBenjamin Kedar-Kopfsteinのように「一貫していない」とか「矛盾している」とか評価することもできよう。しかしながら、非一貫性とは翻訳の本質である。翻訳とは本性上、同一性や一貫性に基づいた評価に逆らうような文化間あるいは文化内の現象である。

2018年12月2日日曜日

ヒエロニュムスの出エジプト記翻訳研究#2 Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions

  • Matthew A. Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions in Jerome's Translation of the Book of Exodus: Translation Technique and the Vulgate (VCS 141; Leiden: Brill, 2017), 15-42.


第1章"Recentiores-Rabbinic Philology and Vg Exodus"より。ヒエロニュムスは、一方では、ヘブライ語に基づく翻訳のために七十人訳を拒絶したという異端的な批判から身を守る必要があり、他方では、ヘブライ語とユダヤ伝承を不十分にしか理解していないという批判に反論する必要があった。彼が『創世記におけるヘブライ語研究』と聖書の翻訳において用いた方法論は、Adam Kamesarによって「改訂者的・ラビ的文献学(recentiores-rabbinic philology)」と呼ばれている。すなわち、アクィラら改訂者たちとの緊密な関係性のもとでラビ的なソースを用いることで、ヘブライ語テクストの理解に至るという方法論である。

ヒエロニュムスのユダヤ伝承への通暁は明らかだが、2つの問題点がある。第一に、彼はいくらかラビ文献を見たことがあるかもしれないが、その量は個人的なそのときどきのものにすぎない。つまり、ある箇所について特定のラビ的解釈に触れただけであって、全体ではない。それゆえに、ヒエロニュムスが持っている伝承が、たとえば『メヒルタ』やタルグムにあったとしても、彼がそれらを直接読んだかどうかは分からないのである。むしろユダヤ人教師から聞いたものである可能性が高い。第二に、ユダヤ伝承そのものの年代決定が難しい。なぜなら現存するものは、後代になってからまとめられたからである。

ヒエロニュムスのヘブライ語能力は、昨今ではある程度認められている。そもそもこれを否定する言説は、Gustave BardyとPierre Nautinが嚆矢である。彼らは、ヒエロニュムスのユダヤ伝承はオリゲネス由来だと述べたのである。確かに、ヒエロニュムスはヘブライ語教育を受けたと主張しており、実際多くの言及があるが、そこには誤りがあったり、改訂者たちやオリゲネスからのコピーと思われるものがあったりする。しかしながら、著者は、わずかな誤りよりも多くの正しい言及がヒエロニュムスのヘブライ語能力を証明していると述べる。そもそもヘブライ語の誤りが直ちにヘブライ語能力の欠如を示すわけではない。高度な誤りはむしろヘブライ語への習熟を教えてくれる。また彼のヘブライ語能力の発露には、段階や機会の違いが反映することもある。

著者は何人かの研究をまとめている。Megan H. Williamsは、ヒエロニュムスが自己成型(self-fashioning)のために修道制と聖書釈義を統合したと主張する。また彼がユダヤ人やユダヤ教を否定的に描いている一方で、ユダヤ伝承を肯定的に用いているのはなぜか、という問いについて、Williamsは次のように答える。ユダヤ人を否定的に描くのは、修道者としての自己成型のプロセスによるものである。つまり、ヒエロニュムスのユダヤ人との交流を彼自身がどう説明しているかという論点と、実際のテクスト上の平行箇所は、別物として研究しなければならないのである。ヒエロニュムスのユダヤ伝承の利用と彼のユダヤ人描写は、ユダヤ文化とラテン世界のキリスト教との間に架け橋ではなく壁を作ってしまったと言える。彼の翻訳も、その作成過程ではキリスト教とユダヤ教の境界線を超えるものだったが、出来上がったものはその境界線の間の壁となってしまった。

Andrew Cainは、ヒエロニュムスの書簡から、彼の生涯に関する情報というよりは彼のアイデンティティの形成について検証した。Hillel Newmanは、ユダヤ人やユダヤ文学に関する数多くの言及を検証して、古代末期のユダヤ教の実像を明らかにした。Alfons Fürstによれば、こうした昨今のヒエロニュムス研究のトレンドは、「彼の著作が客観的なゴールのみならず、著者の自己成型的かつ散漫な解釈を知ることに資する」のだという。これは、ヒエロニュムスが『エレミヤ書注解』の中でローマ略奪にどのように反応したかを分析したPhilip Rousseauの研究などにも見られる傾向である。

著者が否定的に紹介しているのがJohn Cameronの"The Rabbinic Vulgate?"である。この中でCameronは、ヒエロニュムスが教会の旧約聖書をラビ聖書と取り替えようとしたという(G. Bardyからの影響を受けた)Dominique Barthélemyの主張を覆そうとしている。そのためにCameronは、そもそもヒエロニュムスの聖書はラビ聖書と呼ぶにはラビ的解釈に乏しいのだから、ラビ的釈義ではなく文献学的な翻訳なのだと主張する。これに対し著者は、ヒエロニュムスの聖書がラビ聖書だと言いたいわけではなく、Cameronがヘブライ語テクストに基づく翻訳とラビ聖書とを混同していることを問題視している。そもそもヒエロニュムスの「ヘブライ的真理に従った」という表現は、ラビ的・ユダヤ的翻訳を指すのではなく、ヘブライ語伝統からの文献学的正確さに基づく、キリスト教徒のための翻訳を指している(その注解もミドラッシュではない)。また釈義(exegesis)と文献学(philology)二項対立となるものではなく、古典の文法学で釈義は文献学の一部である。それゆえに、Cameronが「科学的」と呼ぶ文献学的方法論には釈義も入っていなければならないはずである。つまりCameronは、ヒエロニュムスが言ってもいないこと(「自分の聖書翻訳はラビ的釈義だ」)を否定しているだけといえる。それにCameronがこうした主張をするために詩篇に関するヒエロニュムスの見解しか考察していないのも問題である。なぜなら詩篇と翻訳と五書の翻訳ではユダヤ伝承を使う量が明らかに異なっているからである(それは詩篇を扱った『書簡106』と創世記を扱った『ヘブライ語研究』の比較からも見て取ることができる)。

これまでのウルガータ研究のアプローチは、Georg Grützmacherのそれに従ってきた。すなわち、ヘブライ語テクストから翻訳した理由を分類し、翻訳の特徴を定義し、ヒエロニュムスの能力を評価し、その方法論の原則を定義しようとするのである。Grützmacher自身はこうした検証の結果、ヒエロニュムスの翻訳には、アウグスティヌスのような創造的な精神は見られないと主張した。現在の研究ではウルガータの翻訳としての良し悪しを評価することはあまりないが、基本的にはGrützmacherの姿勢を踏襲している(H.F.D. Sparks, Dennis Brown, Eva Schulz-Flügel)。こうした研究は多くの場合わずかな一節や特定の文書の翻訳の分析に終始する(創世記についてFelix Reuschenbach、サムエル記についてVictor Apotowitzer、箴言についてCyrus Gordon、詩篇についてColette Estin, David Paul McCarthy, John Cameron、ルツ記についてRafael Jiménez Zamudio、ダニエル書についてRégis Courtray、エズラ記についてDieter Böhler、トビト記についてVincent T.M. Skemp)。

まだ誰も彼のソース、方法論、翻訳の性格を古代末期の文脈に位置づけて総合的に研究した者はいない。Benjamin Kedar-Kopfsteinは、ヒエロニュムスの翻訳からユダヤ伝承を見つけ出したが、そのうちのいくつかは説得的でない。特に、しばいばギリシア語訳がすでに持っているユダヤ伝承からの影響を見落としている。Neil Adkinは、ラテン古典文学からの影響を検証したが、これも最高の余地がある。著者はこれらの試みを否定しているわけではない。脱文脈化されたフレーズや孤立した問題ではなく、より全体論的かつ十全なアプローチが必要だと考えているのである。

そこで著者はウルガータの出エジプト記を対象とする。出エジプト記は物語、法、詩歌を含み、最も成熟した翻訳の一つでもあるからである。著者は問う。ウルガータの出エジプト記は「改訂者的・ラビ的文献学」を翻訳技法として用いているのだろうか。

2018年12月1日土曜日

ヒエロニュムスの出エジプト記翻訳研究#1 Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions

  • Matthew A. Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions in Jerome's Translation of the Book of Exodus: Translation Technique and the Vulgate (VCS 141; Leiden: Brill, 2017), 1-14.

最新のヒエロニュムス研究書の序章"Jerome and Translation Technique"より。これまでウルガータ聖書研究は、漠然と翻訳としての良し悪しや正確さ不正確さといったカテゴリーで語られてきたが、本書は出エジプト記という特定の書物に関してヒエロニュムスが取った翻訳的な動きを厳密に検証することで、翻訳のプロセスを論じるという新しいアプローチを取っている。

さらに詳しく言えば、本書は第一に、ヒエロニュムスが翻訳に際し「改訂者的・ラビ的文献学(recentiores-rabbinic philology)」を取っていること、そして第二に、彼の翻訳の方法論と結果は古代末期の文脈を反映していることを明らかにする。「改訂者的・ラビ的文献学」とはAdam Kamesarの用語で、ヒエロニュムスがラビ的伝統と対話しつつ、古典文学やアンティオキア学派の文法理論(文献学)を、七十人訳、古ラテン語訳や諸改訂(アクィラ、シュンマコス、テオドティオン)の分析に結合させたことを指す。

著者はまず七十人訳の翻訳技法の研究をまとめる。この分野は、第一に、自由訳と逐語訳を区別する基準を明らかにしており、第二に、翻訳が依拠しているのは逐語的技法か、ヘブライ語の原型(Vorlage)か、それとも釈義的翻訳かを明らかにしており、そして第三に、翻訳学と七十人訳研究の新しい相乗効果を刺激している。

逐語訳と自由訳。ここでは、James Barr、Emanuel Tov、そしていわゆるフィンランド学派(Ilmari Soisalon-Soininen, Raija Sollamo, Anneli Aejmelaeusら)が取り上げられている。Barrは、逐語訳はテクニックの問題だが自由訳は実態的な方法論とはなり得ないと考え、専ら逐語訳について議論した。Tovも逐語訳の基準を統計学的に評価しようとした。Tovとフィンランド学派が逐語訳に注目したのは、本文批評的な理由である。つまり、逐語的な翻訳者が自由訳をしているのは実際には別のVorlageの可能性が高いのである。フィンランド学派はさらに、量的な分析と質的な分析を統合しようとした。

翻訳技法と釈義。W. Edward Glennyは、MTとLXXとの違いを説明するためにあらゆる可能性(違うVorlage、誤読、翻訳技法、転写の歴史、釈義など)を捨てないマキシマリストの立場を取った。そして、七十人訳における翻訳技法に対して、テクスト的アプローチと釈義的アプローチがあるとした。テクスト的アプローチは、翻訳者が原典に忠実であり、相違がVorlageの問題であることを前提とする。一方で釈義的アプローチは、翻訳者が聖書の読みや解釈の知識を翻訳に持ち込み、ミドラッシュ的な釈義技法をテクストに加えることを前提とする。この2つのアプローチを用いることで、Glennyは逐語訳のみならず自由訳の度合いについても扱えるようになった。統計学的な逐語訳の分析だけでは、翻訳のダイナミズムを見失うのである。

さらにGlennyは、翻訳技法の研究のために次の5つの点に注意を喚起している。翻訳技法は、第一に、翻訳技法は評価的ではなく記述であり、第二に、共時的なのものとして翻訳者と読者の文脈が考慮されるべきであり、第三に、パロール(個人的な発話行為)から検証されるべきであり、第四に、起点言語と目標言語の構造の比較分析を伴うものであるべきであり、そして第五に、起点言語を出発点とするべきである。

七十人訳の翻訳技法と翻訳学。Gideon Touryは、テクスト生成とテクスト受容の区別に基づいた記述的な翻訳研究を求めた。彼はさらに、翻訳の文化的な位置としての「機能」に注目した。これは、テクスト生成時よりも受容時のことの方が知られている七十人訳研究には適切なやり方である。七十人訳の場合、翻訳技法の再構成は不確かなものにならざるを得ない。それゆえに、より翻訳の一般的な特徴に関する理論的なモデルは、翻訳プロセスの解明に役立つ。Raija Sollamoは、Touryの理論に依拠しつつ、七十人訳によって、起点言語による目標言語への影響(干渉)の普遍的規範、暗示の明示(補足)、非定型の語彙パターニング、目標言語の過小評価などが明らかになると述べる。こうした規範は逐語訳にも自由訳にも適用できる。

Theo A.W. van der Louwは、翻訳に関する要素をいかに説明するかを論じている。彼のアプローチは、翻訳者の性格や文脈、翻訳者と翻訳の社会的・歴史的・文化的な文脈全般を分析している。変化を分類することは古代の聖書翻訳の分析にとって重要である。そしてとりわけVan der Louwの方法論が特徴的なのは、マソラー本文と比較する前に、七十人訳を独立したテクストとしてまず分析したことである。そうすることで目標言語の視点からギリシア語を理解することができる。その上で、マソラー本文との比較によって得られた変化をカテゴリー化し、本文批評的な発見を吟味し、一番最後に翻訳上の釈義的・イデオロギー的な要素を分析する。

以上のように七十人訳の翻訳技法の研究は、ウルガータの研究のためにも、Vorlageの問題とヒエロニュムスの起点テクストへの関わりの問題を考えることが重要だと知らせてくれる。しかしながら、七十人訳とウルガータの両者には決定的な違いもある。すなわち、七十人訳の翻訳者は無名であるために、彼らの活動時期、来歴、背景、性格、翻訳技法を知るために翻訳そのものしかデータがないが、我々はヒエロニュムスの教育、歴史的文脈、神学的興味、古典学からの影響、ユダヤ人情報提供者、解釈技法への通暁などを知っている。彼のVorlageとして、ヘブライ語テクスト、七十人訳、古ラテン語訳、「校訂者」などさまざまなものがあったことも知っている。そのうえ、彼は自身の翻訳技法について著作の中で言及すらしている。七十人訳の翻訳プロセスにおいては、文法、辞書、コンコルダンス、注解もなかったが、ヒエロニュムスは文献学の訓練、オリゲネスの『ヘクサプラ』、ラビ、先達者の注解、先行する諸訳を持っていた。

ここから、ウルガータは一般的には翻訳技法を分析するための、また各論的には釈義的翻訳を分析するための豊かなリソースとなり得ることが分かる。

2018年10月18日木曜日

4Q252上の聖書引用 Brooke, "Some Remarks on 4Q252 and the Text of Genesis"

  • George J. Brooke, "Some Remarks on 4Q252 and the Text of Genesis," Textus 19 (1998): 1-25.
クムランで発見された聖書写本は、マソラー本文が古代の聖書テクストのひとつの形式にすぎないことを教えてくれた。第二神殿時代の聖書テクストの形式の多様性を示す際に、E. Tovはwitnessという語を用い、E. Ulrichはeditionという語を用いたが、本論文の著者は、J.R. Davilaに倣い、text-typeという語を用いている。これは、客観的に同定されうるソースの最大のグループを指している。そして、第二神殿時代のパレスチナにはいくつもtext-typeがあり、その代表例がサムエル記、エレミヤ書、ダニエル書である。

創世記はというと、第四洞窟の写本が出版される前までは、そうした多元性はあまり意識されてこなかった。サマリア人五書の創世記テクストも、個別のテクストというよりは、改訂版というほどのものと考えられてきた。いわば、似たり寄ったりのものという見解が多数を占めていたのである。しかしながら、第四洞窟のテクストを考慮に入れると、創世記には2つの種類のテクスト・タイプがあることが分かった。第一に、七十人訳に代表されるテクスト、そして第二に、マソラー本文、サマリア人五書、4QGen(a)、4QGen(b)、4QGen(j)、4QGen(f)に代表されるテクストである。論文著者は、4Q252がどちらのグループに属すのか、また単なる写字生の誤りに見えるような箇所にいかに釈義上のパラフレーズが隠れているのかを示そうとしている。

論文著者は、4Q252に出てくる聖書引用と思われる24箇所を分析した結果、引用は次のような4つのカテゴリーに分けられると結論付けた。第一に、4Q252がMTともLXXとも一致しない場合、第二に、4Q252とLXXが一致し、MTが一致しない場合、第三に、4Q252とMTが一致し、LXXが一致しない場合、そして第四に、4Q252のみが独立し、MTとLXXが一致する場合である。

ここから分かることは、4Q252の聖書テクストはLXXのテクスト・タイプを反映しているが、MTとは異なるということである。また4Q252の聖書テクストは釈義的なものも多く、テクストの伝達の歴史はテクストの解釈の歴史と切り離せないといえる。

2018年8月28日火曜日

エピファニオスと聖書 Jacobs, "Scripture"

  • Andrew S. Jacobs, Epiphanius of Cyprus: A Cultural Biography of Late Antiquity (Christianity in Late Antiquity 2; Oakland, Cal.: University of California Press, 2016), 1-29, 132-75.
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研究者の間でサラミスのエピファニオスはとかく評判が悪い。彼は反知性的な浅い神学を持った民衆扇動家であり、性格の悪い異端のハンターだと見なされてきた。同時代の教父たちがギリシアのパイデイアに精通しており、その上に新しいキリスト教文化を築こうとしたのに対し、彼は無教養だった。しかしながら、いかにエピファニオスに問題が多くとも、当時の社会に対して大きな影響力を持つ人物であったことに変わりはない。彼を無視して、歴史研究者の関心に適うキーパーソンたち(たとえば、クリュソストモス、カッパドキア教父、アタナシオス、アウグスティヌス、アンブロシウス)のみを取り上げてばかりでは、同じような研究を再生産するだけである。

そこで著者は、エピファニオスを通して、キリスト教古代末期を理解するためのフレームワークを広げることを本書の目的としている。そしてその試みを「文化的伝記」と呼んでいる。なぜなら、エピファニオスの人生を学ぶことで、キリスト教文化の新しい理解を得るからである。多くの教父たちが異教の価値を認め、それをキリスト教化し、対立を解消しようと腐心したのに対し、エピファニオスはそのような対立や分裂には頓着しなかった。

エピファニオスは多作な作家ではなかった。またその作品はアドリブで口語的なギリシア語で書かれており、推敲もあまりされていなかったようである。書簡もわずかに残っているが、彼は書簡で自らの文学的なペルソナを形作ろうとはしなかった。エピファニオスの本領は『パナリオン』や『尺度と重さについて』などの論文で発揮された。

エピファニオスの聖書解釈は、しばしば寓意や比喩的解釈を理解せず、単純な字義的解釈に留まっていると言われてきた。しかしながら、著者はその一見欠点に見える特徴を、世界の知識を統一的に習得することを目指す「古物研究(antiquarian writing)」の伝統から説明する。この伝統は、大プリニウス、ウァッロー、プルタルコス、ゲッリウスから、セビーリャのイシドロスまで連綿と続くものである。彼ら古物研究家たちは、全然関係のない文化材料を取り上げて、その文化のイメージを伝えるフォーマットにまとめた。彼らの著作は乱雑で統一的な原理を欠いていたが、秩序がないわけではない。既存の知識をマッピングし植民地化する帝国のような統合力を持っていた。

エピファニオスの聖書解釈のモードには、古物研究が強く反響している。それは、オリゲネスの哲学的な聖書解釈のような明確な構造を持たず、ガラクタのようにも見えるが、包括的で総合的である。エピファニオスを修辞や哲学のレンズを通してみると、奇妙に直解主義的な字義的解釈や思いがけない逸脱、リスト、数、論理的なギャップが目に付くが、代わりに地理、歴史、政治、教義、名前、引用、断定、予言など多くの情報を得られる。エピファニオスの目的は説得ではなく、カタログを提供することであった。

エピファニオスの論文のひとつである『尺度と重さについて』は、聖書における尺度と重さのみならず、聖書の構造や内容と地名に関しても議論している(2-8)。エピファニオスは、まず聖書の校訂記号(アステリスコス、オベロス、レムニスコス、ヒュポレムニスコス)を説明している。

こうしたエピファニオスの著作は、他の教父たちのように、古典古代をキリスト教化しようとしたわけではない。古物研究的な著作の前では、古典とキリスト教とは結び合わされ、強められているからである。Michael Robertsは、古代末期の詩歌を「宝石に飾られたスタイル(jeweled style)」と呼んだが、著者はこれに倣って、エピファニオスの聖書を「宝石に飾られた聖書」と呼んでいる。そうした意味ではエピファニオスの聖書理解はユニークなものではなく、時代に即している。彼は聖書を知識のソース、また古物研究の対象と見なしたのだった。

2018年8月26日日曜日

ヒエロニュムス『アモス書注解』と『ヘクサプラ』 Dines, "Jerome and the Hexapla"

  • Jennifer M. Dines, "Jerome and the Hexapla: The Witness of the Commentary on Amos," in Origen's Hexapla and Fragments: Papers Presented at the Rich Seminar on the Hexapla, Oxford Centre for Hebrew and Jewish Studies, 25th July-3rd August 1994, ed. Alison Salvesen (Texte und Studien zum antiken Judentum 58; Tübingen: Mohr Siebeck, 1998), 421-36.
Origen's Hexapla and Fragments: Papers Presented at the Rich Seminar on the Hexapla, Oxford Centre for Hebrew and Jewish Studies, 25Th-3Rd August 1994 (Texte Und Studien Zum Antiken Judentum)Origen's Hexapla and Fragments: Papers Presented at the Rich Seminar on the Hexapla, Oxford Centre for Hebrew and Jewish Studies, 25Th-3Rd August 1994 (Texte Und Studien Zum Antiken Judentum)
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ヒエロニュムスの釈義的な著作は、アクィラ訳等の諸ギリシア語訳の主たるソースである。ヒエロニュムスと『ヘクサプラ』の関係や、そうした情報にアクセスした方法は明らかでない。彼自身はカイサリアの図書館で使ったことがあると、少なくとも2回述べているが(『テトス書注解』3.9、『詩篇注解』1)。おそらく、聖書本文に注釈がついた『ヘクサプラ』写本を所有していたと思われる。

ヒエロニュムスは、オリゲネスの改訂版七十人訳は、ギリシア語訳の中ではヘブライ語原典により近いものだと考えていた。しかし、彼がどの程度『ヘクサプラ』改訂版を翻訳に用い、また注解で依拠したかについては、いまだ結論が出ていない。本論文はこうした議論について扱うものではないが、『ヘクサプラ』資料が用いられている著作(すべての注解書、翻訳への序文、『創世記のヘブライ語研究』等、聖書本文批評や釈義を扱った『書簡20』や『書簡106』など)のうちでも、特に『アモス書注解』を取り上げている。

『アモス書注解』は、十二小預言書への注解シリーズの最後の注解(406年)である。十二小預言書シリーズを書いていたときのヒエロニュムスの方法論は、基本的に一貫している。ヒエロニュムスの注解の特徴のひとつは、ダブル・レンマである。彼は注解を始まる前に、ヘブライ語テクストのラテン語訳だけでなく、対応する七十人訳のラテン語訳を挙げる(前者はほとんどウルガータと同じ訳文であるが、伝承の過程で同じものに変えられた可能性は捨てきれない)。ただし、彼が一貫して両方挙げるのは『アモス書注解』が最後で、それ以降の『ダニエル書注解』、『イザヤ書注解』、『エゼキエル書注解』、『エレミヤ書注解』では、ヘブライ語テクストと異なるときのみ七十人訳を挙げている。ダブル・レンマにおいては、1節だけの場合もあれば、6節いっぺんに引用する場合もある。

レンマのあとは、ヘブライ語テクストの字義的・歴史的解釈が続く。これはヘブライ語の単語の意味や七十人訳との違いなども含んでいる。そのあとは七十人訳に基づく内的・霊的解釈となる。このときに、視点はイスラエルから新約聖書と教会へ、さらには正統キリスト者への倫理的な励ましや異端への攻撃などになる。字義的解釈から霊的解釈への移行は、アンティオキア学派でもアレクサンドリア学派でもよく見られるが、ヒエロニュムスがユニークなのは、字義的解釈をヘブライ語テクストと、霊的解釈を七十人訳テクストと結び付けている点である。ただし、2つのテクストを組織的に比較しないこともある。ヒエロニュムスは、字義的であれ霊的であれ、自分のあとの説明に資する箇所にしかコメントしないときがある。

テクストの選定に関しては、オリゲネスが諸ギリシア語訳を使うのは、七十人訳の異読のどれが正しいかを決めるためであるのに対し、ヒエロニュムスは、ヘブライ語テクストと七十人訳とのどちらが正しいかを決めるためにそれらを用いる。またヒエロニュムスは緒ギリシア語訳を『ヘクサプラ』の順に引用している。さらに、ヒエロニュムスは翻訳の力学や、翻訳者の読み間違い、そしてヘブライ語テクストの破損の可能性についても言及している。ただし、この当時のヒエロニュムスは視力が衰えていたので、記憶ではなく実際のテクストを使っていたとしたら、アシスタントがいたはずである。

ヒエロニュムスはヘブライ語テクストそのものに(破損以外の)問題があるとは考えないが、諸ギリシア語訳の読みについては問題視することはある。また諸ギリシア語訳は字義的解釈でも霊的解釈でも用いられる。『アモス書注解』では、諸ギリシア語訳のうち、シュンマコス訳が8回、アクィラ訳が5回、テオドティオン訳が2回採用されており、ここからシュンマコス訳が特に重視されていたことが分かる。諸ギリシア語訳の多用から、ヒエロニュムスは『ヘクサプラ』のリソースを利用していたと考えられる。三者以外にクインタも用いていることから、独立したリソースではなく、オリゲネスのコレクションの後継となるものを所有していた可能性が高い。

字義的解釈において、ヒエロニュムスは諸ギリシア語訳を名前を挙げて引用している。これに対し、たとえばオリゲネスは組織的にそうした読みを注解で用いることはないし、名前も挙げず、「他の版(ハイ・ロイパイ・エクドセイス)」と一緒くたに呼んでいる。ディデュモス、ヒッポリュトス、モプスエスティアのテオドロスはほとんど本文に関する議論をしない。エウセビオスは諸ギリシア語訳を引用するが、それらに評価を与えてはいない。

ヒエロニュムスの霊的解釈は、少なくともオリゲネスにさかのぼるような伝統を受け継いでいる。明らかに既存の注解を利用している。『アモス書注解』ではオリゲネスなどギリシア教父に比較対象があまりないのでよく分からないが、ディデュモス『ゼカリア書注解』、オリゲネス『詩篇注解抜粋』や『エレミヤ書説教』などを見ると、ヒエロニュムスがそれらに大いに依拠していたことが分かる。

以上より、ヒエロニュムスの特徴は、ヘブライ語テクストとギリシア語テクストを常に同時に扱っていることといえる。それによって、彼以前の教父たちよりも、テクストそのものに注目している。諸ギリシア語訳は、ヘブライ語テクストとその解釈を追及する中で利用される。ただし、諸ギリシア語訳は字義的解釈と霊的解釈の両方で用いられる。そして字義的・歴史的解釈をヘブライ語テクストに、霊的解釈を七十人訳に帰することも彼独自の発明である。さらに、頻繁に世俗の文化に言及し、古典期のラテン語作家を直接引用することもヒエロニュムスに特徴的である。

2018年8月24日金曜日

オリゲネスの旧約聖書 Ulrich, "Origen's Old Testament"

  • Eugene Ulrich, "Origen's Old Testament: The Transmission History of the Septuagint to the Third Century, C.E.," in Origen of Alexandria: His World and His Legacy, ed. Charles Kannengiesser and William L. Petersen (Christianity and Judaism in Antiquity 1; Notre Dame, Ind.: University of Notre Dame Press, 1988), 3-33.
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本論文は、オリゲネスによって用いられた旧約聖書テクストの性質を明らかにしたものである。

古ギリシア語テクストの起源と性質。『アリステアスの手紙』以外の七十人訳に関する証言としては、デメトリオス、エウポレモス、ベン・シラの序文、いくつかのパピルス、クムラン写本などがある。つまり、ギリシア語訳聖書の現存する証拠は、前2世紀から3世紀にさかのぼる。研究史においては、ヘブライ語聖書のユダヤ的翻訳としての古ギリシア語テクストと、初期キリスト教の教会の聖書としてのギリシア語旧約聖書を区別しなければならない。前者は、ヘブライ語聖書のより古くよりよい本文に戻ることを目的とした観点であり(E. Tov)、後者は、教会の聖書テクスト使用を知ることを目的とした観点である(M. Harl)。前者の観点は、P. de Lagardeによる理論(現在のさまざまな七十人訳テクストは、3つの改訂を通じて、単一の翻訳にさかのぼる)に依拠している。ヘブライ語テクストと七十人訳のテクスト上の違いは、神学的な傾向によるものというよりは、七十人焼くテクストが定本としたヘブライ語テクストと、現在のヘブライ語テクストが異なるからである。

初期ギリシア語テクストから『ヘクサプラ』への伝達。ヘブライ語テクストの伝達は比較的単純であり、死海文書の聖書写本とマソラー本文に大きな違いは見られない。『ヘクサプラ』以前のギリシア語聖書のテクストは、プロト・テオドティオン、アクィラ、シュンマコスらの改訂など、各地各時代さまざまだった。他に見るべきは、古ラテン語訳、新約聖書や古代作家たちによるヘブライ語聖書の引用、ヴァティカン写本、パピルス967などがある。

オリゲネスと『ヘクサプラ』。ミニマリスト的立場から言うと(D. Barthelemy, P. Nautinら)、第一に、オリゲネスのヘブライ語能力は貧弱であり、第二に、オリゲネスが「ヘブライ人」というとき、それはヘブライ語テクストそのものではなく、それを反映したギリシア語訳であるアクィラらのことを指しており、第三に、『ヘクサプラ』にヘブライ語の欄は存在しなかった。

これに対し、論文著者はもう少しバランスの取れた見解を持とうとする。オリゲネスは少なくとも少しはヘブライ語ができたようであり、ヘブライ語テクストを直接見た(イザ7:14について)ことを証言しており(『ケルソス駁論』1.34)、『ヘクサプラ』にヘブライ語の欄がなかったと証明はできないという。

ただし、ヘブライ語テクストを直接見た件に関する論文著者の議論はやや苦しい。処女懐胎についての議論で、オリゲネスは「アルマー」というヘブライ語について論じている。そこで申22:23-26での用法を例として挙げているわけだが、そこに「アルマー」という語は出てこない。つまりオリゲネスはヘブライ語テクストをチェックしていないわけだが、論文著者はこのことが証明しているのはオリゲネスがヘブライ語を知らなかったことではなく、彼がヘブライ語テクストをチェックするほど根気強くなかったことだと主張する。

『ヘクサプラ』にヘブライ語欄がないというミニマリストの主張は、現存する『ヘクサプラ』の後代の写本(メルカーティ写本など)にそうした欄がないこと、そしてエウセビオスの証言にヘブライ語欄についての説明がないことに基づいている。論文著者は、現存する写本は『ヘクサプラ』そのものではなく、あくまで後代の写本であると指摘する(そして後代にヘブライ語を読めた写字生は少なかったはずである)。またエウセビオスは他の欄についてもいい加減な説明をしているので、彼がヘブライ語欄について述べていないからと言って、その存在がなかったとは言えないと主張する。それどころか、写本のひとつには、ヘブライ語欄の跡のように見える4つの点もあるという。

オリゲネスの評価。オリゲネスが『ヘクサプラ』によって成したことに対する評価という点では、多くの研究者は否定的である(S.R. Driver, D. Barthelemyら)。否定的でなくとも、肯定的ではない(J.W. Trigg, P. Nautinら)。オリゲネスは、同時代のユダヤ人が用いていたヘブライ語テクストが、七十人訳の底本だったヘブライ語テクストと同じものだと考えた。そして、その自分の持っているヘブライ語テクストに基づいて七十人訳を改訂してしまったわけである。しかし、もしかしたら七十人訳(およびその底本だったヘブライ語テクスト)の方が優れた読みだったかもしれないのである。

論文著者も、この点ではオリゲネスの改訂は褒められたものではないと考えている。何となれば、ゲッティンゲン版やケンブリッジ版の七十人訳校訂版は、この『ヘクサプラ』改訂版の影響を脱することを目的としているからである。とはいえ、キリスト教伝統のために聖書の本文批評のパイオニアとなったことは確かである。

関連記事

2018年8月23日木曜日

オリゲネスの文献学 Martens, "Specialization: The Elements of Philology"

  • Peter W. Martens, Origen and Scripture: The Contours of the Exegetical Life (Oxford Early Christian Studies; Oxford: Oxford University Press, 2012), 41-66.
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オリゲネスの時代から、文学の学術的な研究、すなわち文献学は、よく確立された分野だった。B. Neuschäferは、ディオニュシオス・トラクス『文法学』のスコリアから、ヘレニズム期の文献学の四大実践を紹介し、それをオリゲネスの文献学に当てはめている。すなわち、本文批評(ディオルトーティコン)、声に出して読むこと(アナグノースティコン)、歴史的・文学的分析(エクセーゲーティコン)、そして美的・倫理的評価(クリシス・ポイエーマトーン)である。このうち、歴史的・文学的分析は、さらに次のように4つの下位分野を持っている。すなわち、語の意味を明らかにすること(グローッセーマティコン)、文法的・修辞的分析(テクニコン)、韻律・様式分析(メトリコン)、そして歴史的現実の分析(ヒストリコン)である。

本文批評(ディオルトーティコン)。テクストの不一致が起こるのは、写字生が意図せずに不用意にしてしまったり、疲労のためにしてしまったからということもあれば、悪意を持って意図的にしたからということもある。旧約聖書の本文批評には、あるテクスト内の写本間の不一致を扱う方法と、すべてをひっくるめて諸テクスト(ヘブライ語テクストや諸ギリシア語訳)間の不一致を扱う方法がある。オリゲネスは基本的には前者の方法論に則って、七十人訳テクストの諸写本の不一致を扱ったが、一方でヘブライ語テクストや他のギリシア語訳も参考にしている。

彼の本文批評の成果の代表例が『ヘクサプラ』である。この著作の証言としては、『アフリカヌスへの手紙』と『マタイ福音書注解』がある(他にはエウセビオス、ヒエロニュムス、エピファニオスらの証言がある)。前者では、ユダヤ人との論争のための道具として作ったと述べているが、後者では、いくつもの一致しない「七十人訳」テクストの「修復(イアオマイ)」のために作ったと述べている。ある七十人訳写本がヘブライ語やギリシア語訳テクストよりも量的に「多い」テクストを持っている場合、オベロス記号が振られ、より「少ない」テクストを持っている場合、アステリスコス記号が振られた上で、ヘブライ語テクストと一致した他のギリシア語訳からテクストが付け加えられる。いずれの場合も、さまざまな写本が「修復」されることになる。

歴史的・文学的分析(エクセーゲーティコン)歴史的分析(ヒストリコン)は、問題の事実性を問題とする。つまり、ある出来事が実際に起こったのか起こらなかったのか、あるいは特定の法の字義的な意味が遵守されたのか遵守されなかったのか、といったことを扱う。オリゲネスは、非論理的(アロゴス)だったり不可能(アデュナトス)だったりする例を挙げている。文献学者がある出来事の事実性を確認した後は、自身の教養(エンキュクリオス・パイデイア)を総動員して、当該箇所の説明をする。それはたとえば、地形学、習慣の知識、歴史家の証言、宇宙論、幾何学、鉱物学、動物学、医学、人類学、言語、倫理学、理神論などである。

文学的分析といえるのは、語の意味を明らかにすること(グローッセーマティコン)文法的・修辞的分析(テクニコン)である。前者は、難しかったり知られていなかったりする語を定義することである。そのためによく用いられるのが、固有名詞の語源学的分析や数の象徴的な価値の分析などである。

後者のテクニコンは、重要な語(神など)の定冠詞、文法的な数、時制、破格、不明瞭な文法的な形などに注目する。さらには、言葉のあやや比喩、擬音、誤用、暗喩、逆説、提喩、強調、迂言法、同語反復、誇張、転置法、寓意、省略、同音異義語などにも注目する。論文著者によると、これらに加えてオリゲネスは、話者の特定、シークエンスの順序、そしてより明確な一節から不明瞭な一節を説明することなども試みている。とりわけ最後の方法論は、アレクサンドリア文献学の「ホメロスからホメロスを」という表現に近い、「霊的なものを霊的なものと比べる」(一コリ2:13)という一節に基づいた考え方である。とはいえ、むろんオリゲネスがアリストブロス、フィロン、ヘラクレオン、ヘブライ人教師などに依拠していることも忘れてはならない。

B. Neuschäferは、寓意家としてのオリゲネスを古いイメージとし、新しいイメージとして文献学者としてのオリゲネスを提案したが、論文著者によると、寓意的解釈は文献学的研究の中の一側面である。上で見てきた文献学的方法論は、聖書の寓意的な意味を見つけるためにオリゲネスを助けるテクニックである。オリゲネスにとって、聖書テクストは「字義的」意味と「非字義的」(=寓意的、比喩的、象徴的、霊的、神秘的、深遠な)意味に分かれている。そして文献学は字義的なモードでも寓意的なモードでも実践されるが、それはいつでも文献学なのである。

聖書は二様の伝達で書かれている。語は基本的な指示物を持っているが、また同時に他の指示物を象徴してもいるのである。この二様の特徴が、そのまま字義的解釈と寓意的解釈に対応している。字義的解釈の目的は、基本的な指示物を同定することであり、寓意的解釈の目的は、この別の指示物を同定することなのである。

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2018年8月20日月曜日

グレンフェル・パピルスとオリゲネス『ヘクサプラ』 Schironi, "P.Grenf. 1.5, Origen, and the Scriptorium of Caesarea"

  • Francesca Schironi, "P.Grenf. 1.5, Origen, and the Scriptorium of Caesarea," Bulletin of the American Society of Papyrologists 52 (2015): 181-223.

本論文は、1896年にB.P. Grenfellによって出版されたP.Grenf. 1.5(=グレンフェル・パピルス、オックスフォード)に保存されているエゼキエル書5:12-6:3の断片をもとに、オリゲネスの『ヘクサプラ』の姿を再構成することを試みている。このパピルスはオリゲネスが生きていた時代にとても近い時代に作成されたため、オリゲネスの七十人訳ではどのように校訂記号が用いられていたかの重要な証言となる。

グレンフェル・パピルス。この14センチ×10.7センチの大きさのパピルス断片は、コーデックスの上部分である。だいたい一行に24から25文字書かれた一つの欄から成っている。おそらくもともとは14センチ×14-15センチの正方形のコーデックスだったと思われる。成立時期の推定は古文書学的な鑑定から、後3世紀の終わりから4世紀の始めくらいと考えられる。

パピルスと校訂記号。このパピルスにはアステリスコス記号によって示された付加部分がある。その付加部分は、ヘブライ語テクストから校訂記号に関するオリゲネスの説明は、『マタイ福音書注解』15.14と『アフリカヌスへの手紙』に見られる。オリゲネスの記号は、アレクサンドリア文献学のシステムとは異なり、オベロス記号(七十人訳にはあるがヘブライ語テクストにはない箇所)とアステリスコス記号(七十人訳にはないがヘブライ語テクストにはある箇所)のみである。つまり、このパピルスは2つのテクストの量的な違いのみに関心を示しており、一方でヘブライ語テクストからの異読には関心を示さない。

『ヘクサプラ』。研究者の中には、校訂記号が『ヘクサプラ』の中で用いられていたとする者たち(Swete, Field, Brock, Nautin, Metzger, Neuschaefer, Ulrich, Schaper, Law)と、七十人訳単独のテクストの中で用いられていたとする者たち(Devreesse, Kahle, Jellicoe, Grafton-Williams)がいる。写本上の証拠が支持するのは、後者の見解である。『ヘクサプラ』の写本としては、カイロ・ゲニザ写本(7世紀)とメルカーティ写本(9-10世紀)があるが、共に校訂記号は付されていない。一方で、七十人訳テクストのみのコルベルト=サラウィアヌス写本(G、4-5世紀)やマルカリアヌス写本(Q、6世紀)、さらにはシリア語訳七十人訳であるシロ・ヘクサプラのアンブロシアヌス写本(8世紀)には校訂記号が付されている。これは考えてみれば当然で、共観聖書であればテクスト間の違いはそれぞれのテクストを比較すればいいだけなので、校訂記号は必要ないはずである。ここから、校訂記号なしの『ヘクサプラ』テクストと、他のギリシア語訳から欠損部分を付加して校訂記号を付した改訂版七十人訳テクストの2種類があったことが分かる。

改訂版七十人訳。校訂記号ありの改訂版七十人訳は、大部すぎて使いづらい『ヘクサプラ』をパンフィロスとその弟子エウセビオスが後代に縮約した版と考えられる。このことは、シナイ写本やマルカリアヌス写本(Q)の署名欄などを見ると明らかである。ただし、グレンフェル・パピルスは少し異なっている。

グレンフェル・パピルスとマルカリアヌス写本。両者は同じ部分のテクストを持っている。比較すると、第一に、パピルスが七十人訳から逸脱している部分をQも持っている。Qではアステリスコス記号と共に、そうした付加がどのギリシア語訳から来たものなのかを示す記号もついていて、その大部分はテオドティオンから来ている。第二に、Qは七十人訳にもパピルスにもない付加部分を持っている。こうした部分にはアステリスコス記号はあるが、ギリシア語訳を示すしるしはない。第三に、Qはパピルスでは欠損している部分のテクストも持っている。

パピルスとQにおける校訂記号。共に七十人訳へのヘブライ語テクストからの付加を意味する記号としてアステリスコス記号を用いているが、Qはそれ以外に、テクストの逆転をはじめとする何らかのテクストの異常もアステリスコス記号で表している。つまり、Qはオリゲネスの校訂記号のシステムから逸脱している(アレクサンドリア文献学では、逆転を示すのにアンティシグマを用いた)。パピルスと比べると、Qはヘブライ語テクストにはない箇所を示すオベロス記号もしばしば欠いているが、これはヘブライ語テクストそのものに関心がなかったからであろう。いずれにせよ、パピルスの方がオリゲネスの校訂記号システムに近い。

改訂版七十人訳における校訂記号の位置。パピルスを観察すると、裏面でアステリスコス記号が文中にあるとき、同じ行の欄外にも記号が付されている。しかし表面では文中のみで欄外にはない。一方で、Qでは多くの場合文中と欄外の両方に記号がある。またQでは、文中の付加部分の終わりの語のところにセミコロンのような記号がある(メトベロス記号ではない)。

もともとアレクサンドリア文献学の伝統では、校訂記号は左欄外にのみ書かれていた。そしてたとえばオベロス記号が欄外に書かれていたら、その行の一部ではなくすべてが疑わしいので削除されるべきだという理解を意味した。アステリスコス記号であれば、作品の別の箇所でその行の全体が繰り返されていることを意味した。何か校訂者の関心を引いたことを示すディプレーやディプレー・ペリエスティグメネーといったアリスタルコスの記号は欄外に書かれているが、その記号が示す問題点の内容は、別個に作成された注解に書かれている(校訂版+注解システム)。

オリゲネスは、このようなアレクサンドリア文献学の伝統とは違う状況にあった。彼の校訂記号は注解ぬきの校訂版に付されており、また扱っている対象が韻文ではなく散文である。散文は、韻文のように分かりやすい意味のユニットになっていない。それゆえに、欄外に記号を書くだけでは不十分なのである。いわば、欄外の記号は「古典的な」方法で、文中の記号は「キリスト教的発明」であった。そこから論文著者は、読者にとって最も便利な方法は次のようなものだと考えた。
  1. 文中の欠落/付加の始まりにオベロス/アステリスコス記号をつける。
  2. 欠落/付加を含むすべての行の欄外にオベロス/アステリスコス記号をつける。
  3. 文中の欠落/付加の終わりにオベロス/アステリスコス記号をつける。
ただし、グレンフェル・パピルスでは終わり部分の記号はなく、後代の七十人訳写本ではコロン、マレット、セミコロンなどさまざまな記号が使われており、他の2つの記号ほど伝統的なものでなかったようである。ここから、終わり部分に記号をつけることはオリゲネス自身のシステムではなかったと考えられる。

パピルスとオリゲネスの改訂聖書。論文著者は、校訂記号つきの改訂版七十人訳はパンフィロスやエウセビオスだけではなく、オリゲネス自身によっても作成されたものだったに違いないと主張する。これはヒエロニュムスの証言と一致する見解である。オリゲネスの校訂記号つき改訂版七十人訳は、『ヘクサプラ』の縮約版ではなく、それ自体独立した成果だった(一方で『テトラプラ』は『ヘクサプラ』の最初の版と思われる)。オリゲネスは聖書釈義を扱う著作では別の版を用いており、校訂記号にも触れないが、それはそこでは聖書本文の比較をしているわけではなく、神学的な意図があったからであろう。

結論。『ヘクサプラ』は初歩段階の写本のよせあつめのような作品であって、そこから改訂版七十人訳のような「校訂版」を作ることこそがオリゲネス本来の目的だった。そしてそれは、ユダヤ人との議論においてキリスト教信仰を擁護するという護教的な意図から出た企画だった。Brockが指摘するように、『ヘクサプラ』も改訂版七十人訳も現代的な意味で「真の」校訂版ではなく、やはり護教的なものだったといえる。オリゲネスは、その目的のために七十人訳テクストを「いやす」ことを目指したのであって、決して聖書の「原典」テクストに戻ろうとしたわけではない。

オリゲネスと近い時代に作成されたグレンフェル・パピルスは、こうした意図を反映した彼の校訂システムを保存している。このパピルスは、オリゲネスがいたパレスティナから離れたエジプトで作成されたものであるので、かなり早い時代からこうした改訂版七十人訳が出回っていたことが分かる。そしてそれは、やはり校訂記号を含んでいるシリア語の『シロ・ヘクサプラ』(テラのパウルス編集)にも影響を与えた。

2018年8月18日土曜日

オリゲネス『アフリカヌスへの手紙』は信頼できない? De Lange, "The Letter to Africanus"

  • N.R.M. de Lange, "The Letter to Africanus: Origen's Recantation?," in Studia Patristica 16: Papers Presented to the Seventh International Conference on Patristic Studies held in Oxford 1975, ed. Elizabeth A. Livingstone (Berlin: Akademie-Verlag, 1985), 242-47.
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オリゲネスの『アフリカヌスへの手紙』(以下『手紙』)は、ダニエル書のカテーナの中に伝えられている。もともとはエウセビオスによって編纂されたオリゲネス全集からカテーナ作者によって抜粋されたものと思われる。ただし、はじめから出版を意図して書かれたものであるかどうかは、論文著者によれば、きわめて疑わしい。

『手紙』が書かれたのがいつかは不明だが、オリゲネスによれば、彼がニコメディアにアンブロシオスと共にいた頃のことだという。それがいつかというと、オリゲネスの2回目のギリシア滞在時のことと思われる。この頃すでに『ヘクサプラ』の作成はだいぶ進んでおり、オリゲネスはユダヤ人の土地で長い時間を過ごしていた。そこから、どうやら230年代の後半頃の作といえる。

アフリカヌスが『スザンナ』の物語について、それがダニエル書の一部分として不適当だと書いてきた手紙に対し、オリゲネスは長い返信を書いている。この『手紙』は二部構成で、第二部ではアフリカヌスの論点のひとつひとつを吟味している。第一部は導入で、アフリカヌスが旧約文書として受け入れられているのはヘブライ語からギリシア語に訳されたものだと述べていることに対し、オリゲネスは教会の聖書であるギリシア語聖書の権威を主張する。

『手紙』の一般的な解釈は、オリゲネスはユダヤ人の聖書について学ぶが、それは護教論的な理由からであり、また『ヘクサプラ』作成の理由はユダヤ人との論争で使うためというものである。しかし、論文著者はこの理解は再考を要すると述べる。注目すべきは、第一に、『手紙』の前半と後半は独立しており、後半ではアフリカヌスの論点をほぼ無視して七十人訳問題を論じている。第二に、『手紙』の語調は攻撃的かつ自己防衛的である。これは、オリゲネスが教会の聖書をユダヤ人のそれと取り替えて、教会を貶めようとしているとして攻撃されていたからである。オリゲネスはこれに反論して、自分がユダヤ人との論争のための武器を作っているのだと述べたわけである。

実際には、ユダヤ人との論争のためであるわけがない。論争で取り上げられる箇所などわずかなものなのに、オリゲネスは聖書全体を扱っている。また、もしオリゲネスが本当に七十人訳に自信を持っているのなら、それを霊感を受けたテクストとしてユダヤ人にも受け入れさせようとしなかったのか。それは、オリゲネスは実は七十人訳をそのように考えてはいなかったからである。

『マタイ福音書注解』では、ユダヤ人との論争のためではなく、七十人訳のさまざまなテクスト間の不一致を癒すことを試みたと述べている。七十人訳が異なっているところで、諸ギリシア語訳を基準として用いたのである。彼は、ヘブライ語テクストに見出されない箇所を七十人訳上でオベロス記号を付し、七十人訳に見出されない箇所をアステリスコス記号と共に諸ギリシア語訳から付加した。

釈義的著作においてオリゲネスはいくつかのギリシア語諸訳に言及するが、それは対ユダヤ人というよりも、純粋に学術的な関心からである(『エレミヤ書講話』15.5, 16.5、『ヨハネ福音書注解』6.41)。このとき彼は、ユダヤ人と論争するために諸訳を学んだというよりは、むしろ七十人訳の不備を克服するためにユダヤ人に助けを求めている。

こうしたことから、論文著者は『手紙』におけるオリゲネスの記述は正直でないと結論付ける。彼はヘブライ語テクストが七十人訳に勝ると公には言わなかったが、そう信じていた。彼は七十人訳とそれが教会で占めている地位に対する敬いによって制限されていただけでなく、彼がユダヤ人に媚びているとして彼を批判するような教会伝統の擁護者たちからの攻撃によっても制限されていた。そこで、彼は自分が教会の聖書の擁護者であることを公に示そうとしたのだった。

2018年8月17日金曜日

オリゲネスと旧約のテクスト問題 Kamesar, "The Problem of the Text of the Old Testament Before Jerome" 

  • Adam Kamesar, Jerome, Greek Scholarship, and the Hebrew Bible: A Study of the Quaestiones Hebraicae in Genesim (Oxford Classical Monographs; Oxford: Clarendon Press, 1993), 4-40.
本章は、ヒエロニュムスの前史としてのオリゲネスの聖書文献学について論じている。『マタイ福音書注解』15.14によると、オリゲネスは七十人訳をヘブライ語テクストに合わせることで、七十人訳の正しいテクストを再構成しようとしている。これを彼はテクストを「癒す」と表現する。しかし、このときオリゲネスがテクストのプラスやマイナスを示す校訂記号の付された、ヘブライ語聖書に基づいて修正された七十人訳をよしとしていたのかどうかは不明である。一方で、『アフリカヌスへの手紙』9(5)によると、校訂記号は、キリスト者がユダヤ人との論争において原典テクストの無知を糾弾されないようにするためだったという。

論文著者によると、問題は、オリゲネスがヘブライ語テクストに基づいて改訂した七十人訳(=『マタイ福音書注解』)と、純粋な(あるいは伝統的な)七十人訳(=『アフリカヌスへの手紙』)のどちらをよしとしていたのかであるという。ヒエロニュムスは前者だと考え、エピファニオスとルフィヌスは後者だと考えた。現代の研究者では、P. WendlandとP. Kahleは前者、S.P. Brockは後者を取った。いずれにせよ、オリゲネスの立場は七十人訳を中心としたもの(LXX-centred)であった(例外は、七十人訳の代わりにテオドティオン訳を採用したダニエル書)。ただし、どちらのタイプの七十人訳も問題が残る。改訂版七十人訳の場合、七十人のヘブライ語テクストとオリゲネスのそれは異なったはずであり、そもそも七十人が逐語訳をしたかどうかは分からない。純粋七十人訳の場合、科学的な達成は薄れ、単なる護教的な道具に堕してしまう。

これらの問題に対し、P. Nautinは、オリゲネスの主たる関心は実は七十人訳ではなくヘブライ語テクストだったと考えた。そして『ヘクサプラ』作成の目的も、聖書のヘブライ語原典テクストに至るためだったと主張した。しかし、この見解を裏付ける証言は存在しない。そこでNautinは、『ヘクサプラ』はヘブライ語テクストに至るためのオリゲネスの個人的な道具であって、その真の目的を知るためには彼の説教や注解を見なければならないと述べる。論文著者はこれに反対して、第一に、オリゲネスの注解は本文批評ではなく釈義を目的としたものであり、第二に、『ヘクサプラ』が個人的かつ予備的習作でも、『ヘクサプラ』に含まれる改訂版七十人訳は異なると述べる。改訂版七十人訳は、校訂記号が付され、すでに「癒された」テクストなのであるから、習作ではあり得ない。以上より、『ヘクサプラ』はヘブライ語テクストに至るためのものではなく、改訂版七十人訳を用意するためのものだった。

つまり、論文著者によれば、やはりオリゲネスは七十人訳中心主義的であるが、ヘブライ語テクストを用いて七十人訳のテクスト上の誤りを「癒す」ことはできると考えていたのである(=改訂版七十人訳)。それはたとえば、固有名詞の綴りや語順などである。さらに、オリゲネスは、アステリスコス記号が付された箇所、すなわち七十人訳には欠けているのでアクィラ訳などから補った箇所にもコメントを加えている。

一方で、オリゲネスが純粋七十人訳を好んだと取ることも可能である。というのも、第一に、オリゲネスは、オベロス記号が付された箇所、すなわち七十人訳のみにある付加部分を十分に考慮に入れており、第二に、オリゲネスの注解には、教会の聖書と神の摂理の結びつきを肯定的に捉えているものがあるからである。七十人訳の中にある神的な霊の働きのようなものを、オリゲネスはしばしば「オイコノミア」と呼んでいる。オリゲネスにとって、このオイコノミアは、あるときは元来の七十人訳からの逸脱を生じさせ、またあるときは翻訳が正確に原典を反映するようにさせたのだった。

以上のように、オリゲネスにとって、七十人訳の原典への忠実さは神的な力と人的な力の両方に依拠するものだったといえる。七十人訳の信頼性はある種の超越的な力にもよるし、翻訳者たち自身の力にもよるのである。そして、それゆえに、オリゲネスは意図的な逸脱を含む純粋七十人訳を好んでいた一方で、このテクストをヘブライ語テクストに基づいて改訂しようともしていたと言うことができる。これは矛盾ではない。なぜなら、オリゲネスは単純に、翻訳者自身による意図的な改変と後代のテクスト破損とを区別するという前提に立っているだけだからである。

オリゲネスは、釈義的な著作において、オベロス記号もアステリスコス記号も付されたより長いテクストを用いたが、それはD. Barthelemyの言うように神の啓示がギリシア語とヘブライ語の両方で示されたというアウグスティヌス流の「2テクストのアプローチ」ではなく、聖書のサイズを広げることによって、解釈の可能性を広げるためであった。論文著者はこれを「釈義的マキシマリズム(exegetical maximalism)」と呼んでいる。このことは、オリゲネスが異読や写字生の誤記にすら意味のある解釈を見出そうとしたことから分かる。こうしてオリゲネスは、潜在的に権威ある一節となり得る聖書箇所を排除することのないように、ある意味では保守的な姿勢を取ったのだった。

言い換えれば、オリゲネスはテクストの意図的な改変とテクスト上の破損を区別できる可能性を持ちつつも、それにあまり拘らなかった。彼は、ヘブライ語テクストが七十人訳を修正できる可能性にも、七十人訳が純粋な形のままである可能性にも開かれた態度を取った。いわば、ヘブライ語テクストはあくまで七十人訳に資する場合にのみ優先されるという意味で、オリゲネスの基本的な立場はやはり七十人訳中心主義的だといえる。

この七十人訳中心主義に対して、P. Nautinはヘブライ語テクスト中心主義を、D. Barthelemyは七十人訳とヘブライ語テクストの同等主義を主張している。Nautinは、『アフリカヌスの手紙』の記述を過小評価し、『マタイ福音書注解』のみを重視している。しかし、オリゲネスはヘブライ語テクストが破損する可能性と七十人訳が意図的に改変している両方の可能性を考慮しつつ、むしろ七十人訳の起源に迫ろうとした。またオリゲネスが逐語訳的な翻訳を用いるのは、七十人訳を説明するためであって、その逆ではない。Barthelemyの言うような同等主義も疑わしい。なぜなら、アクィラ訳などと七十人訳に同等の価値を与えているように見えても、それはテクストのさらなる意味を明らかにする可能性を保持するための「釈義的マキシマリズム」なのである。いわば、オリゲネスがアクィラ訳などを用いるのは本文批評のためではなく釈義のためである。

こうしたオリゲネスの教会伝統への拘り科学的な態度は、共に影響を与えた。まず前者に関して、七十人訳の権威は教会の伝統によって保証されるが、この考えが発展し、七十人訳はとりわけ「異邦人(キリスト者)の聖書」と見なされた。使徒たちは旧約引用にも異邦人伝道にも七十人訳を用いた。エウセビオス、モプスエスティアのテオドロス、ルフィヌスなどがこの流れに与する。とりわけルフィヌスは、使徒たちは自分で翻訳を作れたにもかかわらず、彼らに伝えられた七十人訳を用いたことを評価している。すなわち、使徒たちは七十人訳がただそこにあったから選んだのではなく、そこには入念な理由があったのである。

ヨアンネス・クリュソストモスが言うように、イエスが七十人訳から引用し、使徒がイエスから、そして異邦人が使徒から引用したことから、異邦人まで伝統の鎖が続いているのである。これはユダヤ教の口伝律法に比すべき考え方である。実際、ポワティエのヒラリウスは、モーセの口伝は七十人訳に受け継がれていると主張した。この知識のおかげで、七十人はより正しい翻訳を作成できた。七十人訳の正しさは、第一に、フィロンの影響下のエウセビオスが言うように、神的なオイコノミアによって保証される。第二に、七十人訳の正しさは動的なものである。七十人訳は原典から改変されている箇所があるが、それはエピファニオスやアウグスティヌスが言うように、ユダヤ人から異邦人へ遺産が移ったことを確証している。七十人訳は、単なる翻訳ではなく、異邦人キリスト者のための特別な分け前なのである。

一方で、オリゲネスの改訂版七十人訳と『ヘクサプラ』はキリスト教の学問にヘブライ語テクストという問題を投げかけた。これによって、七十人訳は独占的な地位に甘んじることはできなくなったのである。ただし、このオリゲネスの科学的な側面は、長い間正しく理解されなかった。パンフィロスとエウセビオスによって改訂版七十人訳が出版されたが、それは特権的な地位を持たず、「三重の多様性」の中にあった。アクィラ訳なども、七十人訳を理解するための付加的な補助として以外、あまり使われなかった。七十人訳とアクィラ訳などが対立するとき、教父たちは原典への興味を駆り立てられるよりは、七十人訳の権威を守ることに専心した。七十人訳はイエスの誕生より前の成立なのである程度の偏りは当然だし、アクィラ訳などはキリストに言及しているはずの証言を破壊したというのである。中にはエウセビオスなど、場合によっては七十人訳よりもアクィラ訳などを好む者もいたが、実は大してオリゲネスの立場と変わらない。

『ヘクサプラ』に収録されているヘブライ語テクストは、概してギリシア教父たちの原典への関心を誘うものではなかったが、アンティオキア学派の何人かは例外である。エメサのエウセビオスは、実際には「シリア人の」テクストを優先していたにせよ、それを通してヘブライ語テクストへの関心を示した。ただし、アンティオキア学派の中でも、モプスエスティアのテオドロスはこの傾向に反対し、「シリア人の」テクストを重視する者らに辛らつな態度を取ったし、ヒエロニュムスのヘブライ語テクストに基づく翻訳も馬鹿にした。結局、テオドロスは科学的な場においてより厳格に七十人訳に依拠したのだった。いずれにせよ、ギリシア世界においては、ヘブライ語テクストに向かう傾向はほとんど見られなかった。『ヘクサプラ』の価値を見抜き、改訂版七十人訳を十分に活用したのはラテン世界であった。
In fact, before Jerome there does not seem to have existed in the Church an appreciation of the importance of the Hebrew text taken as a whole and in its own right, and consequently, there were no real attempts to come to terms with it. (p. 27)

2018年8月14日火曜日

七十人訳研究における『ヘクサプラ』 Marcos, "Origen's Hexapla"

  • Natalio Fernández Marcos, The Septuagint in Context: Introduction to the Greek Version of the Bible (trans. Wilfred G.E. Watson; Atlanta: Society of Biblical Literature, 2000), 204-22.
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本論文は、七十人訳の概説書における『ヘクサプラ』の項である。『ヘクサプラ』を語るに当たって重要なことは、オリゲネスのヘブライ語能力の問題である。エウセビオスとヒエロニュムスは、オリゲネスこそがヘブライ語を学んだ最初のキリスト者だと述べる。しかしながら、現代の研究者の中には、オリゲネスのヘブライ語能力はアレフベートの域を出ず(H. Lietzmann)、『ヘクサプラ』の最初の2つの欄は彼のユダヤ人教師の仕事である(C.J. Elliott)と考える者がいる。もう少し楽観的に、『ヘクサプラ』を独力で作成できるほどではないが、多少は知っている(P. Kahle)とか、表面的にであはあるが知っている(R.P.C. Hanson, G. Bardy)と見なす者もいる。いわば、ユダヤ人教師との交流があったことは確かだが、ヘブライ語の上ではさほどではない(N. de Lange)。とはいえ、彼を現代のものさしで測るのは適当ではない(S.P. Brock)。

『ヘクサプラ』と共に『テトラプラ』が語られることもあるが、それは単に最初の2つの欄がない『ヘクサプラ』ではなく、さまざまに異なっている。オリゲネスは最初に『テトラプラ』を手がけ、それから『ヘクサプラ』を作成したと考える者もいる(P. Nautin)。しかし、『テトラプラ』は『ヘクサプラ』から独立したものではないと考える者もいる(H.M. Orlinsky, D. Barthelemy)。他に『ペンタプラ』、『ヘプタプラ』、『オクタプラ』もある。

『マタイ福音書注解』によると、オリゲネスは校訂記号を用いて七十人訳とヘブライ語テクストとの異同を示した。『アフリカヌスへの手紙』では、主として護教論的な目的のために『ヘクサプラ』を作成したと述べている。これは、ユダヤ人との論争において、キリスト者がヘブライ語テクストにはない箇所を引用することがないように、また彼らが七十人訳にない箇所をも利用することができるようにするためである。校訂記号は、オリゲネスがテクストに挿入したすべての修正を正確に伝えるためにはあまりにもシンプルなものだった。というのも、それらはただ付加と欠損を示すためだけにしか使えなかったからである。箴言において、彼はアステリスコス記号とオベロス記号の組み合わせを用いて、テクストの転置を示した。しかしながら、彼は他の変化を表すための記号を持たなかった。

『ヘクサプラ』は大部なので、コピーはされなかった。エウセビオスとパンフィロスは七十人訳部分のみを回覧し、コンスタンティヌス帝はエウセビオスに命じてそれを50部作らせた。校訂記号つきの改訂七十人訳(第5欄)のみが出回っていたことは、いくつかの写本から明らかである。19世紀までは、改訂七十人訳しか残っていないと考えられていたが、それ以外の欄をも含む写本が、1896年にミラノのメルカーティ断片として、また1900年にカイロ・ゲニザでの断片として発見された。ただし、第5欄には校訂記号はなく、また第6欄にはテオドティオンではなくクインタが採録されていた。

『ヘクサプラ』の欄については、第5欄と第2欄に関する議論が多い。第5欄には校訂記号がなかったと考える者たちもいれば(Mercati, Kahle, Lietzmann, Procksh, Pretzl)、あったと考える者たちもいる(Field, Brock, Soisalon-Soininen, Johnson)。肯定派は、オリゲネス本人とヒエロニュムスの証言に依拠しているが、否定派は、記号つきの『ヘクサプラ』の写本は見つかっていないし、そもそも共観聖書なのだから、わざわざ記号を付けなくても比較すればよいだけであると主張する。これに対し、肯定派は、写本の伝承過程で記号は失われたと反論する。

第2欄の転写については、もともとユダヤ人の間でそういうものがあったのか(Kahle)、それとも『ヘクサプラ』用に新しく作られたものなのか(F.X. Wutz, Mercati, J.A. Emerton)、また転写は『ヘクサプラ』全体にあったのか、それともそうではなかったのか、という議論がある。さらに、何のためにあるのかについては、ユダヤ人との議論のためにヘブライ語を学べるように(Orlinsky)というものや、子音のみで表されたヘブライ語テクストを母音化するシステムのために(Emerton)というものがある。

2018年8月13日月曜日

オリゲネス『ヘクサプラ』の作成理由 Law, "Origen's Parallel Bible"

  • T.M. Law, "Origen's Parallel Bible: Textual Criticism, Apologetics, or Exegesis?" Journal of Theological Studies, NS, 59 (2008): 1-21.

これまでオリゲネスが『ヘクサプラ』を作成した理由は、七十人訳テクストを改訂する本文批評的なものか、ユダヤ人と議論するための護教的なものだと考えられてきた。本論文は、第三の可能性として、釈義的なものであったことを論証している。

七十人訳が成立してからすぐに、それをヘブライ語テクストに近づけようとする試みが始まった。それが『ヘクサプラ』にも収録されているアクィラ、シュンマコス、テオドティオンの諸訳である。

アクィラ訳の特徴は、ギリシア語イディオムを無視したヘブライ語シンタックスへの拘り、語彙上の一貫性のための語源学的な造語、ヘブライ語動詞システムのギリシア語への移植などである。アクィラ訳はカイロ・ゲニザからも多数見つかっており、中世におけるユダヤ共同体でも使われていたことが分かっている。シュンマコス訳は、アクィラ訳に依拠しながらも、より洗練されたギリシア語を目指した。その特徴は、ヘブライ語とギリシア語を一対一対応にすることの拒否、神人同型論への繊細さ、単文の連鎖を複文に変えること、ヘブライ語の不定法の用法の独立属格への変換などである。シュンマコス訳は、ルキアノス校訂版の情報源かもしれない。

テオドティオン訳について、D. Barthelemyは次のように述べている:第一に、アクィラはギリシア語訳聖書の最初の改訂者ではなく、すでにあった改訂の伝統の中にあった。そして第二に、歴史的なテオドティオンに通常帰される版は、より以前の学派であるカイゲ・テオドティオンと共通した特徴を持っている。これを推し進めると、教父たちが証言する2世紀のテオドティオンは消えうせてしまうことになる。しかしながら、P.J. Gentryはヨブ記に関して、カイゲ・テオドティオンとテオドティオンとは区別され得ることを示した。またR. Timothy McLayは、ダニエル書に関して、カイゲ・テオドティオンとテオドティオンとは離れた従兄弟のような関係だと主張した。K.H. Jobes/M. Silva、N. Ferdinandez Marcos、J.M. Dinesらもこれに与する。またテオドティオン訳は、クインタやテオドレトスなどと誤解されてきたという問題もある。

オリゲネスはこれら諸訳を、おそらくはウェルギリウスの二言語テクストの影響下で共観聖書にまとめたのだった。その動機としては、しばしば本文批評的な観点と護教的な観点が挙げられる。本文批評的な観点からは、『ヘクサプラ』作成の主たる理由は、七十人訳の本来のテクストを作り上げることだったと説明される(S. Jellicoe)。これは彼の『マタイ福音書注解』15.14に基づく見解である。そこでは、ヘブライ語テクスト中に対応する箇所がないような七十人訳の一節にはオベロス記号が、一方でヘブライ語テクストにはあるが七十人訳にはない一節には、代わりに他のギリシア語テクストを挿入した上で、付加が分かるようにアステリスコス記号が付された。このように、オリゲネスは、ヘブライ語テクストを忠実に表しているはずの、真の七十人訳を取り戻そうとした、というのである。

しかしながら、この見解には3つの反論が考えられる:第一に、近代の文献学の目的をオリゲネスの活動に読み込むのは時代錯誤である。彼はテクストを「癒す」という言葉を用いているが、それはユダヤ人の聖書を投げかけることでキリスト教の聖書の妥当性を問うものでなく、あくまでギリシア語聖書の枠内での本文批評を指している。第二に、オリゲネスはヘブライ語テクストにはないが七十人訳にはある(オベロス記号のある)箇所を保持している。本当に「正しい」テクストを回復させたかったのなら、こうした箇所は削除すべきである。そして第三に、『ヘクサプラ』に諸改訂が採録されている。つまり、アクィラは七十人訳の真のテクストの案内人にはなり得ないし、シュンマコスもヘブライ語テクストを反映しているとはいえない。

一方で、護教的な観点からは、オリゲネスが『ヘクサプラ』を作成したのは、ユダヤ人との論争において防御となるものをキリスト者に与えるためだったと考えられる(S.P. Brock)。これは『アフリカヌスへの手紙』9に基づく考え方である。ただし、これが本当にユダヤ人との論争での使用を前提としているなら、アクィラら諸訳を採録していることは逆効果であろう。なぜなら、七十人訳は彼にとって、ユダヤ人の聖書から離れた、教会のための新しい摂理のはずだからである。さらに、オリゲネスは教会の外で『ヘクサプラ』が使われることを想定していないようなことも述べている(J. Wright)。

以上のように、本文批評的な観点も護教的な観点も、十分にオリゲネスの目的を表しきれていない。そこで論文著者は、第三の可能性として、釈義的な観点を提案する。オリゲネスの関心は、常に聖書解釈にあった。彼はアレクサンドリアでもカイサリアでも、イランやインドの東方知恵文学、ヘレニズムの異教神話、ラビ的聖書解釈、プラトン哲学、そしてキリスト教聖書解釈といったさまざまなテクスト解釈の伝統の中で生きていた。『ヘクサプラ』に集中的に取り組んだカイサリア時代には、より一般のキリスト者に向けた説教に力を入れていた。

『ヘクサプラ』を仕上げたあと、オリゲネスは七十人訳の注解を続けつつ、ときにギリシア語とヘブライ語のテクスト上の違いにも触れたが、そのとき彼は両方のテクストに語らせるようにした。これをA. Kamesarは「釈義的なマキシマリズム(exegetical maximalism)」と呼んだ。すなわち、解釈によるいくつもの意味によって駆動され、釈義的な可能性を増やすために聖書のサイズを広げるに至るような方法論である。オリゲネスは、原テクストへと戻るよりも、意味へと進むために、七十人訳に加えてギリシア語諸訳を用いた。また彼は、ひとつの意味を形作るために異なったいくつもの解釈を用いている。彼にとっては、写字生の誤りですら、意味ある釈義を導くことがあるために重要である。いくつもの聖書読解法によって、オリゲネスは聖書解釈の多様性を確信するようになった。

論文著者はこのように考えるが、反論が想定できないわけではない。第一に、本文批評的な観点から言うと、確かにオリゲネスはテクストを「癒す」ために『ヘクサプラ』を作成したと言っている。第二に、護教論的な観点から言うと、確かに『ヨブ記注解』の第5巻では、オリゲネスはグノーシスに対して護教論を述べている。第三に、彼の言葉ではなく彼の生の一般性に重きを置く論文著者の姿勢は方法論的に誤りかもしれない。しかしながら、オリゲネスの言葉は、その箇所だけでなく、全体の中で読まれなければ誤読されやすい。とりわけ、彼の目的を本文批評か護教論かに完全に色分けすることは不可能である。ひとつの回答がすべての問題を解決すると考えるのはやめたほうがいい。彼の言葉は重要だが、彼の聖書への態度もまた重要なのである。そしてそれは「釈義的なマキシマリズム」と呼ぶことができる。

2018年8月10日金曜日

アレクサンドリア文献学の後継者としてのオリゲネス Schironi, "The Ambiguity of Signs"

  • Francesca Schironi, "The Ambiguity of Signs: Critical ΣΗΜΕΙΑ from Zenodotus to Origen," in Homer and the Bible in the Eyes of Ancient Interpreters, ed. Maren R. Niehoff (Jerusalem Studies in Religion and Culture 16; Leiden: Brill, 2012), 87-112.
本論文は、アレクサンドリアで発明された校訂記号(セーメイア)の当初の使用法(とりわけホメロスの校訂版)と、それを聖書文献学に適用したオリゲネスの使用法を、それぞれ明らかにしている。本人の著作と証言が残っているので、オリゲネスを扱うことは適切である。オリゲネスを通してアレクサンドリアの文献学者による記号の使用法も分かるだろうし、その記号の発展がどのようなものであったかも分かるだろう。結論から言えば、オリゲネスはより読者に便利なシステムを作り上げることによって、記号を発展させたのだった。

校訂記号を作り上げたのは、エフェソスのゼノドトス(図書館長在職、前285-270年)、ビザンティウムのアリストファネス(前204-189年)、サモトラケのアリスタルコス(前175-145年)の三人である。ゼノドトスは、疑わしいが取り去りたくはない部分を示すためにオベロスを作った。

アリストファネスは、他の箇所で繰り返されている部分をアステリスコスで、また同一内容の連続する一節をシグマアンティシグマで示した。

アリスタルコスは、前任者2人の記号を受け継ぎつつ、さらに言語、内容、神話、様式などさまざまなことに関してコメントしたいところに矢のような形のディプレーを置いた。彼はまた、ゼノドトスやマロスのクラテスらの意見に異を唱えるところでは、付点ディプレー(ディプレー・ペリエスティグメネー)という記号を用いた。繰り返しゆえに疑わしいものとして却下されるべき箇所にはアステリスコスとオベロスを組み合わせた記号も使った。

以上がよく知られている記号であるが、コンペンディアやスコリアには他の記号も見られる。たとえばアリスタルコスは、語順が入れ替わって文脈と合わない箇所にはアンティシグマ、そして同語反復を含む箇所には付点アンティシグマを付した。他に意味の分からない記号として、ケラウニオン(雷形記号)がある。ギリシア文学のパピルスには他にも記号が用いられているが、それらの意味を取ることは難しい。

上の三人の文献学者に関して、ゼノドトスとアリストファネスは注解(ヒュポムネマ)を書かなかったが、アリスタルコスは書いたという違いがある。前者の二人にとって、記号は校訂作業のみと関わっており、彼らの版(エクドシス)においてそれらの意味は明らかなので、個別の注解は必要なかった。一方で、アリスタルコスは、校訂版に加えて注解を書いた最初のアレクサンドリア文献学者であった。H. Erbseによると、校訂版と注解の関係は、校訂版が文献学と釈義の予備的なテクストであるのに対し、注解こそが真の文献学的な仕事だという。それを受けて、R. Pfeifferは、校訂記号が校訂版と注解をつなぐものだと考えた。すなわち、アリスタルコスは校訂版の本文のコメントしたい箇所に校訂記号を書き入れておき、別個の注解において、その記号と本文の短い引用から、対応するコメントを探すことができるようにしたのである。

ただし、こうした写本が実際に見つかっているわけではなく、これはあくまで推測である。この推測に資する証拠としては、P.Oxy. 1086やP.Hawaraがある。ただし、これらのパピルスにおける校訂記号の解釈は極めて難しい。とりわけディプレーは幅広いトピックをカバーするので、対応する注解なしには意味を取ることができない。

校訂版プラス注解システム(The ekdosis-hypomnema system)というアリスタルコスの文献学の方法論は、当時としては確かに革新的であり、ゼノドトスやアリストファネスのそれを改良したものであった。しかしながら、それがうまく機能するためには、読者が両方のテクストにアクセスしなければならない。校訂版に書かれた記号は、それ自体が何かを説明してくれるわけではない。むろん多くの読者にとっては、校訂版の正確なテクストだけで十分ではあったかもしれない。その証拠に、しばしば校訂記号は写字生から無視された。

以上のようなアレクサンドリア文献学のシステムを、オリゲネスは聖書の校訂に取り入れた。ただし、彼はオベロスとアステリスコスだけにしか使っていないと述べている。『マタイ福音書注解』15.14において、彼はオベロスを「ヘブライ語版にはない部分」を表すしるしと説明している。七十人訳上に書かれたオベロスが「ヘブライ語にはない部分(=七十人訳にはある部分)」を表しているということは、それはヘブライ語テクストから見れば、余分な箇所すなわちプラスということになる。このように、オリゲネスはヘブライ語テクストに基づいて七十人訳を矯正しているのである。

『マタイ福音書注解』において、オリゲネスは、アステリスコスを「七十人訳にはないので、ヘブライ語と一致する他の版から取ってきたもの」を表すしるしと説明している。アステリスコスに関して、オリゲネスは、ヘブライ語テクストに近いアクィラ、シュンマコス、テオドティオンの諸訳を、七十人訳における欠落の補足として用いている。ここから、記号が付いたオリゲネス版の七十人訳は、明らかにもともとの七十人訳とは異なったテクストになり、ある意味では「長くされた七十人訳(enlarged LXX)」とでも言える。七十人訳上に書かれたアステリスコスが「ヘブライ語にはある部分(=七十人訳にはない部分)」を表しているということは、それはヘブライ語テクストから見れば、不足している箇所すなわちマイナスということになる。

では、なぜオリゲネスはオベロスとアステリスコスだけを用いたのか。彼自身はその理由を語っていない。論文著者の見解では、それはこれら2つの記号のみが曖昧でなく、注解がなくても理解可能だからである。これに対し、たとえばディプレーは、その箇所がなぜ注目されるのかを、注解なしに説明することはできない。つまり、オリゲネスが意味の明らかな2つの記号だけを用いたのは、彼の版は最初から注解を伴わないものだったからだと言える。そこから、オリゲネスは、校訂版プラス注解システムのアリスタルコスではなく、校訂版のみのゼノドトスおよびアリストファネスから、自身のシステムを採用したと考えられる。

ただし、注意すべきは、オリゲネスがディプレーを無視したからといって、彼が注解そのものに関心がなかったと考えるべきではないということである。むしろ事実は逆で、彼は文献批評も含めた浩瀚な注解書をものしている。しかし、そうした注解でオリゲネスは校訂記号には言及しない。上の例の『マタイ福音書注解』での言及は、当該箇所の注解とは関係ないところでのものである。つまり、彼は注解と記号をリンクさせない。彼の記号の使用は、厳格に校訂作業のときに限られている。

オリゲネスの記号が書かれたのはどのテクストかについて、研究者の中には、それは『ヘクサプラ』上だったと考える者もいる(P. Nautin, B. Neuschaefer, J. Schaper)。しかし、論文著者の見解としては、ヘブライ語テクストと七十人訳の異同は、それぞれのテクストが載っている『ヘクサプラ』上では明らかなのだから、わざわざ七十人訳に記号を付す必要はない。むしろ異同の情報が必要なのは、「長くされた七十人訳」だけを読んでいるときである。つまり、比較対象が手元にないから、目の前のテクストに異同の情報があると便利なのである。これは、エウセビオス、ヒエロニュムス、ルフィヌスらの証言とも一致する。彼らは『ヘクサプラ』に言及するときに、記号のことは触れていない。さらに、カイロ・ゲニザ・パリンプセスト(7世紀)やメルカーティ・パリンプセスト(9-10世紀)といった『ヘクサプラ』の断片にも記号はない。逆に、マルカリアヌス写本(6世紀)やコルベルト=サラウィアヌス写本(5世紀)といった記号を含む写本には、ギリシア語テクストのみが書かれている。以上より、論文著者は、記号は『ヘクサプラ』には書かれておらず、オリゲネスによって再構成されたギリシア語テクストの「長くされた七十人訳」に書かれていたと結論付ける。

オリゲネスはアレクサンドリアの本文批評の方法論を熟知していた。しかしながら、彼の記号の使用や釈義法は、校訂版と注解を結びつけて考えるアリスタルコスのそれには反している。オリゲネスは、最も曖昧さのない記号を選び、曖昧なディプレーを排除することで、アリスタルコスが発展させたアレクサンドリアの本文批評システムをさらに改良した。オリゲネスの版におけるオベロスとアステリスコスは、校訂者の判断による疑わしさといった恣意的な問題ではなく、テクストの付加や不足といった事実を表している点で意味が明確である。オリゲネスの記号は別個の注解を必要とすることなしに、読者に意味を伝えることができる点で、経済的でもある。これは、アリスタルコスの読者が本文批評の専門家だったのに対し、オリゲネスは読者としてすべてのキリスト者を念頭に置いていたがゆえの違いである。

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2018年7月28日土曜日

4Q252における申命記的特徴 Brooke, "The Deuteronomic Character of 4Q252"

  • George J. Brooke, "The Deuteronomic Character of 4Q252," in Pursuing the Text: Studies in Honor of Ben Zion Wacholder on the Occasion of His Seventieth Birthday, ed. John C. Reeves and John Kampen (JSOTSup 184; Sheffield: Sheffield Academic Press, 1994), 121-35.
H. Stegemannによると、4Q252写本は2つの別の写本から成っているという。普通であれば注解者はひとつのパターンに従うのに対し、4Q252はそうはなっていないからである。しかし、論文著者によると、写本の観察から、4Q252の6つの断片は皆同じ写字生によって作成されたひとつの写本に由来するという。そして内容的にも、6つの断片すべてに申命記的特徴が見られることから、写本はひとつだったことが分かる。

4Q252 3.2-6:M. Kisterは、この箇所では申13:14-18の「ヘレム」の法のことを指しているとするが、M. Bernsteinは、偶像崇拝のために犠牲を禁じる申命記的法のことをより明確に指摘している。申13章には、「חרם」「שלל」といった、4Q252のこの箇所に出てくる言葉が出てくる。4Q252 3.5の箇所も、申20:11の言い回しを想起させる。4Q252のソドムとゴモラに関する法的注解は、犠牲禁止の法に基づいてこの二都市の殲滅を正当化するものである。そのとき、4Q252は申命記をモーセ以前の出来事にも適用できると考えている(『ヨベル書』や『神殿巻物』も同様の考え方)。

4Q252 4.1-3:「アマレクの記憶を拭い去る」に関する部分で、Eisenman/WiseとStegemanは出17:14を典拠とするが、論文著者は申25:19とする。出エジプト記と異なり、申命記ではアマレクが滅ぼされなければならない理由が語られている。また申命記では4Q252のテーマである土地の贈与が語られている。さらに、申命記にある「主なる神が周囲のすべての敵からあなたの守って安らぎを与えるとき」というフレーズは、4Q252のように「日々の終わりに」という終末論と結びつきやすい。「日々の終わりに」という表現は五書では申命記のみに現れる。アマレクを滅ぼすという申命記の掟が終末、つまり編纂者の時代において成就するという考え方は『神殿巻物』にも見られる。

4Q252 5.1-2:エレ33:17が引用されているが、18節ではレビ人について触れている。この箇所はしばしば申18:1におけるレビ人の規定と結び付けられる。文脈を広く取ると、4Q252の編纂者は、自分たちはもともとレビ人だったが、今では「共同体の人」(4Q252 5.5)だと考えているのだろう。

4Q252 2.7:創9:27「彼はセムの天幕に住まう」の彼は、通常はヤペテが主語だが、4Q252はそれを神にすることでヤペテをセムの天幕から除外している。「שכן」のカル態は多く見られるが、そのピエル態は申命記のみに見られる。そして「彼の名前をそこに住まわせる」(申12:5, 11, 14)は、G. von Radによれば、申命記の中心的な思想のひとつである。「שכן」は死海文書の中では『神殿巻物』に頻出する単語である。また申命記における父祖への言及は、ひとつを除いてすべて土地の贈与の約束に関するものである。

祝福と呪い:M. Kisterは4Q252の主題を祝福だと考えた。確かに、五書における「ברך」の動詞のほとんどは創世記と申命記に集中している。しかし、論文著者はむしろ呪いこそが4Q252と申命記をより強くつないでいるとする。というのも、第一に、ソドムとゴモラ、アマレクなどへの言及があり、第二に、申27章のレビ人による呪いの掟からの影響が見られる(『共同体規則』にも似たような記述あり)。さらに第三に、申命記のレビ人と結びついた軍事的な敬虔さは、『戦いの巻物』における祭司とレビ人への言及と重なる。論文著者は、4Q252に見られる創世記の申命記的解釈は『戦いの巻物』と似ていると主張する。

以上のように、4Q252は創世記の注解でありながら、明示的にせよ暗示的にせよ、申命記の影響が認められる。ここから4Q252は、同じように申命記からの影響を受けた他のクムラン文書、たとえば『会衆規定』『ダマスコ文書』『神殿巻物』の解釈にも役立つ。

2018年7月27日金曜日

父祖の系譜としての『4Q創世記注解』 Saukkonen, "Selection, Election, and Rejection"

  • Juhana M. Saukkonen, "Selection, Election, and Rejection: Interpretation of Genesis in 4Q252," in Northern Lights on the Dead Sea Scrolls: Proceedings of the Nordic Qumran Network 2003-2006, ed. Anders K. Petersen, Torleif Elgvin, Cecilia Wassen, Hanne von Weissenberg, and Mikael Winninge (Studies on the Texts of the Desert of Judah 80; Leiden: Brill, 2010), 63-81.
Northern Lights on the Dead Sea Scrolls: Proceedings of the Nordic Qumran Network 2003-2006 (STUDIES ON THE TEXTS OF THE DESERT OF JUDAH)Northern Lights on the Dead Sea Scrolls: Proceedings of the Nordic Qumran Network 2003-2006 (STUDIES ON THE TEXTS OF THE DESERT OF JUDAH)
Aandres Klostergaard Petersen

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論文著者は『4Q創世記注解』で博士論文を書いただけあって、たいへん説得的な論文である。
  • The Story behind the Text: Scriptural Interpretation in 4Q252 (Diss.; University of Helsinki, 2005).
全体として読むと、4Q252は困惑するような文書である。テクストのセクションをつなぐリンクや、全体を統合するはっきりとしたテーマのようなものを見つけることは困難である。聖書解釈のテクニックや方法論は、箇所によって大きく異なっている。文学的ジャンルへの分類や文学様式の同定も困難である。

このテクストの性質と目的については、とりわけGeorge BrookeとMoshe Bernsteinによって議論が交わされてきた。Bernsteinは4Q252を「シンプルな意味の釈義(simple-sense exegesis)」あるいは、主題的な統一性や特定のセクト的神学やイデオロギーを求めない創世記の釈義セレクションと見なしている(Niccumも同様の主張)。一方で、Brookeはテクストの背後に神学的・クムラン的なアジェンダがあると考える。

そこで、論文著者は4Q252を、形式、焦点、解釈テクニックに注目して検証する。まず文学形式について、論文著者は、再話聖書(rewritten scriptural text)、釈義的敷衍(exegetical paraphrase)、注解(commentary)、抜粋釈義(anthological exegesis)に分けている。これらのうち最初の3つは4Q252の中に見られる形式である。3つのうちでは、再話聖書と釈義的敷衍はより古い時代からあったが、注解形式が用いられるようになってからも、ヨセフスの聖書解釈に見られるように再話と敷衍は行われ続けた。

再話聖書とは、第一に、宗教的権威を持つベース・テクストに従い敷衍するものであり、第二に、ベース・テクストに織り込まれた付加的な編纂的、改訂的、解釈的な素材を含むものであり、そして第三に、独立したものである。4Q252でこの定義を完全に満たすのは洪水前の120年の解釈である。部分的には、洪水物語やアブラムの時系列などもこの形式の特徴を有しているが、これらはソースの物語から独立していない。

洪水物語やアブラムの時系列は、むしろ釈義的敷衍と呼ぶことができる。こちらはソースの物語から独立しておらず、また聖書テクストの代替的あるいは付加的な版を示そうともしていない。釈義的敷衍は聖書で語られている物語の筋や構造よりも、釈義上の問題に関心を持つ。

注解は、引用と解釈という形式で定義される。引用は省略されることもあるが、多くの場合にはある。引用と解釈とがはっきりとそれと分かるように、何らかの定式が置かれることもある。注解の代表例はラビ的なミドラッシュである。第二神殿時代には、クムランのテクスト以外にはあまり見られない。4Q252ではカナンの呪い、アマレクの物語、ルベンの祝福がこれに当たる。とりわけルベンの祝福には「ピシュロ・アシェル」という定式がある。ところで、実はペシェル定式は多くの場合預言テクストか詩篇で使われているので、それが五書で使われている4Q252は珍しい例である。

解釈の焦点を分類すると、「シンプルな意味の釈義」(Berstein)と「実現の釈義」(Vermes)に分けられる。シンプルな意味の釈義とは、テクストの難解なところや不明瞭なところを明らかにし、矛盾を解決するものである。この場合の矛盾とは、内的、間テクスト的、外的なものがあり得る。代表例は再話聖書やラビ的なミドラッシュ。一方で、実現の釈義とは、テクストのメッセージを正当化したり適応させたりして、新しい歴史的な状況の中で理解する試みである。その性質上、実現の釈義にはイデオロギーの要素がつきまとう。その最たる例が終末論的解釈である。代表例はクムランのペシェルである。興味深いことに、4Q252にはこのシンプルな意味の釈義と実現の釈義が両方見出される。

解釈テクニックについて、紙幅の都合から論文著者は詳述していないが、同定、時系列の計算、引用や暗示の使用などが認められるという。

さて、こうした4Q252の形式面を確認した後、論文著者はそのテーマの検証へと移る。著者はいくつかのテーマが繰り返されていると主張する。創世記のテーマは4Q252と当然共通しているが、創世記のすべてのテーマが扱われているわけではない。研究史においては、4Q252のテーマとして、「祝福と呪い」「性的な罪」「土地」「時系列」などさまざまに提案されてきたが、どれも十分ではない。「性的な罪」は、編纂者の目的にとっては偶然扱われているのであって、必然的ではない。それは創6章におけるネフィリムの問題を扱っていないことから明らかである。「祝福と呪い」についても、神によるノアの祝福が扱われていないことから、比較的重要ではないといえる。「土地」と「時系列」はより重要なものとして扱われているが、やはりすべてではない。

そこで論文著者は、「継続的な父祖の系譜」という観点を導入する。編纂者は意図的な神学的かつイデオロギー的なアジェンダに合致するような節を選んでいる。つまり、4Q252は創世記のコンピレーションではあるが、ランダムではなく意図的な選択に基づいているのである。この「継続的な父祖の系譜」は、歴史における選出と拒絶の繰り返しである。これはそもそも創世記そのものから4Q252が受け継いだ特徴である。

このように、4Q252は、世代を通じた前進のようなものと見なすことができる。その中には、イスラエルの祖先のつながりにおける重要なときが描かれている。ノアから始まるのは、新たな始まりとしての洪水は、新鮮な出発点だからである。そして多くの父祖の系譜は絶たれ、ただノアの系譜のみが続いていく。洪水物語は土地の再生でもある。ここで、父祖の系譜が土地の問題とつながっていく。

アブラハム、イサク、ヤコブの子孫の扱われ方を分析すると、父祖の系譜を受け継いでいるのは長男ではないことが分かる。アブラハムの長男イシュマエルとイサクの長男エサウは言及すらされず、ヤコブの長男ルベンは否定的に扱われている(「性的な罪」がここで少し扱われる)。つまり息子たちは年功序列で系譜を受け継ぐのではなく、選出されたり拒絶されたりしているのである。また、たとえばイサクはヤコブに対し、カナン人の女性と結婚するのではなく、レベッカの家族、すなわちテラの子孫から誰かをめとるように言っていることから、父祖の系譜を純粋なものに保つ傾向が見られる。アマレクについても同様である。アマレクの父親エリファズは、エサウとヘト人の妻アダの息子なので、アマレクはカナン人である。そうしたイメージから、アマレクは編纂者の同時代の敵を表している。

4Q252では、ヨセフの物語がまったく言及されていないことが特徴的である。論文著者はその理由を二つ挙げる。第一に、クムラン文書の中には、ヨセフやその子孫エフライムとマナセに対して、神学的あるいはイデオロギー的な嫌悪を持っているものがあるから。彼らの名前は共同体の敵として用いられるのである。第二に、ヨセフ物語の主な舞台はエジプトであるが、4Q252の主たる関心はカナンの土地のそこで起きた出来事だから。

いずれにせよ、祖父の特定の系譜(カナン、イシュマエル?、エサウ?、アマレク、ルベン)は、道徳的な失敗や不明瞭な出自ゆえに、はっきりと拒絶されている。また別の系譜(ヤペテ、アブラハムの兄弟、おそらくルベンやユダの兄弟たちも)は、無視されたりより中立的に扱われている。そして選ばれた者たちは、創世記での扱いよりも積極的に扱われている。そして長男が特権を奪われ、下の兄弟がそれを得ることが多い。つまり、4Q252は創世記を、ある子孫の選出、そして別の子孫の拒絶の物語として読んでいる。そのとき、拒絶され、のちに敵となる子孫もまた同じ系譜にいた者だったという事実は、敵は外側から来るものではないという考えがあるともいえる。ただし、この父祖の系譜の選出と拒絶とは、全体を覆うテーマというよりは、編纂者の視点の問題と捉えた方がよい。

4Q252は一見その構造が分かりづらい。個々のセクションだけでは、その神学的かつイデオロギー的な実体に厚みがない。しかしながら、全体として読むと、より強いメッセージが浮かび上がるのである。この意味で、Brookeの研究は核心を突いている。文書全体のジャンルの特定は不可能である。再話聖書と釈義的敷衍と注解の形式が同居する文書は、4Q252の他にはない。しいて言えば、「選択的な主題別の注解(selective thematic commentary)」であろうか。

4Q252は、ペシェル形式、太陽暦、アマレクへの言及などクムラン写本の特徴となる要素を用いている。ただし、注解の対象である創世記は、必ずしもクムランでは主要な聖書文書ではない。クムランでは申命記、イザヤ書、詩篇などの方がより重視されていた。おそらく編纂者は、あえて創世記を扱うことで、共同体の歴史と立場に異なった視座を与えようとしたのだろう。

以上より、4Q252の目的は、それをイスラエルの系譜の遡りとして、そして父祖の歴史における一連の選出と拒絶の連続的な語りなおしとして読んだときに、よく理解できる。編纂者は共同体の立場を神の選びとして正当化し、構成員の自信を強めようとしたのである。

2018年7月24日火曜日

非メシア待望、非終末論的テクストとしての『4Q創世記注解』 Niccum, "The Blessing of Judah in 4Q252"

  • Curt Niccum, "The Blessing of Judah in 4Q252," in Studies in the Hebrew Bible, Qumran, and the Septuagint Presented to Eugene Ulrich, ed. Peter W. Flint, Emanuel Tov, and James C. VanderKam (VTSup 101; Leiden: Brill, 2006), 250-60.
創49章の解釈である4Q252の断片6(第5欄)は1956年にJohn Allegroによって出版されている。メシアとヤハッドについて語っていることから、Yigael Yadinらから党派的文書と見なされてきた。Moshe Bernsteinは、4Q252の主題上の統一性のなさから、著者の意図は党派的な関心から形成されたというより、創世記の釈義上の問題点を解決することだったと考えた。その一方で、Bernsteinは、断片6に限っては「党派的」かつ「メシア的/終末論的」であり、またクムランにおける他の一節の背景の中で読むと、極めて「クムラン的」であると結論付けた。

論文著者は、Bernsteinの4Q252全体に関する立場を支持しながらも、断片6についての見解は疑問視する。他の断片の中で見ても、断片6におけるユダへの祈りの注解は釈義上の困難を解決しようとするものであり、他の断片と同じように、クムランやメシア待望と関連するものとは限らない。

創49のヤコブの祝福は、ユダヤの聖書解釈では終末論的に読まれてきた。とりわけ10節の「王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う」は、待望されたダビデの後継者の軍事的成功と、その支配の千年王国的な性質のことだと理解された。

創49のこのような解釈史は、ゼカ9:9-17に始まる。ここでは創49:10-12のテクストが軍事的な用語や終末論的な用語と関連付けられている。メシア的とまでは言わなくとも、預言者はユダへの祈りの成就が捕囚後のエルサレムにおけるダビデ的指導力になると考えている。次に、より後代のユダヤ解釈も同じ主題を展開する。たとえば、タルグム・オンケロス、『バビロニア・タルムード』、『創世記ラバー』などである。興味深いことに、イスラエルの敵を征圧するメシアというイメージは、ラビ文学でも後代に現れるものであり、そのときはいつも創49はイザ63章と関連付けられている(タルグム・偽ヨナタン、ナオフィティ、イザヤ・タルグム)。

ただし、これらのどれも4Q252における解釈とは異なっている。そこで関連付けられているエレ33:14-26は、創49章に関する何らかの伝承に依拠しており、ダビデのつながりと関連している。ここでは、第一に、神自身がその預言が未来のある時のことを指していると述べており(「その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる。彼は公平と正義をもってこの国を治める……」)、第二に、ダビデへの約束はレビ人への約束と関連しており、イスラエルの世俗的な支配と霊的な支配が結び付けられている(「量り知れない海の砂のように、わが僕ダビデの子孫と、わたしに使えるレビ人の数を増やす)。こうして、ユダへの祝福はメシアの到来までの現在進行中の聖書解釈となる。このとき、トーラーの学習はダビデ専制の最終的な到来を確かなものとすることに役立つ。すなわち、4Q252は、軍事的かつ千年王国的な解釈と共に発展した、創49章のハラハー的解釈でもある。

これと似たような解釈は、ユスティノス『対話』1.52に見られる。ただし、キリストの時代までは、イスラエルが霊的および政治的指導力を持っていたが、それ以来失ったという裏面からの論理である。またタルグム・オンケロスや『創世記ラバー』にも似た解釈がある。

以上より、ユダへの祝福を解釈する場合、もし注解者がメシアの到来に注目するときには、軍事的かつ千年王国的な考えが前面に出てくる。しかし、もしメシアの到来以前の状態に注目するときには、イスラエルの法的教えの同時代的な状態が強調される。4Q252はこのうち後者の立場に近い。

4Q252のテクスト上での「幾千もの人々」や「旗」への言及は、軍事的なメシアを想起させる。事実、Y. Yadinはこの箇所と『戦いの巻物』とを比較している。あるいは、他の研究者もダビデ的な軍事王をイメージしているが、これらの解釈は適当でない。なぜなら、第一に、創49を軍事と結びつけるのはイザ63章と関連付ける後代の解釈に見られるものであり、第二に、これ以外のヒントがないからである。

結論としては、4Q252は、創49章の3つの主なユダヤ的解釈のうち、ハラハー的なものに近い。このテクストは聖書解釈上の問題を解決しようとし、メシア待望とは離れた鍵語を持ち、契約と律法への関心が見られる。メシアの来臨を考えてはいるが、編纂者の関心は未来よりも現在であり、軍事的な制圧や千年王国的強調よりはトーラーの解釈である。この結論は、Bernsteinによる、4Q252は創世記の難解な箇所の注解だという主張を支持する。ただし、Bernsteinがこの箇所を他の部分とは異質なものと見たのは間違いである。なぜなら、中心的な課題はメシア的でも終末論的でもないからである。また「ヤハド」の語が見られるが、それ以外はクムラン的な感じは受けない。

2018年7月23日月曜日

クムランにおける聖書解釈 Vermes, "Bible Interpretation at Qumran"

  • Geza Vermes, "Bible Interpretation at Qumran" Eretz-Israel: Archaeological, Historical and Geographical Studies (Yigael Yadin Memorial Volume) 20 (1989): 184*-91*; repr. in Vermes, Scrolls, Scriptures and Early Christianity (The Library of Second Temple Studies 56; London: T & T Clark, 2005), ?
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クムラン聖書解釈の見取り図を描く古典的な論文である。本論文より以前に同様の試みをした研究には、F.F. Bruce, Otto Betz, Vermes, M.P. Horgan, Herve Gabrion, George J. Brooke, Devorah Dimantなどがあるが、本論文は聖書解釈の便宜的な分類をしている。

それに先立ち、論文著者はいくつかの用語の定義を行っている。まず「聖書」とは、後100年か少し前から、ラビ集団の中で認められたヘブライ語文書のまとまりを指す。死海文書が成立した時代にこれがどのようなものだったのかはよく分かっていないが、少なくともエステル記以外のすべての現在で言うところの聖書文書がクムランで見つかっている。死海文書中の聖書引用からも当時の正典を導き出すのは難しい。というのも、引用されているのは、「前の預言者」のうちではヨシュア記とサムエル記のみであり、諸書の中では詩篇と箴言のみだからである。

「解釈」について、論文著者はこれを3つのタイプに区分する:
  1. 編集タイプの暗示的解釈(『神殿巻物』)
  2. 聖書の個々の文書の解釈(再話聖書とペシェル)
  3. 主題別に集められたさまざまな文書からの抜粋の解釈
まず第一の「編集タイプの暗示的解釈」は、調和、合成、補足といった方法で聖書テクストを再構成するものである。代表例である『神殿巻物』は聖書そのものの改訂版といっていい。ここからは、第二神殿時代のソフェリームが、タルムード時代のラビたちよりも自由にテクストを扱っていたことが判る。

論文著者は第一の解釈の実例を4つ挙げている。第一に、「平行テクストの分類と照合」の例である『神殿巻物』51:19-52:3は、申16:21-22とレビ26:1でそれぞれやや異なって言及されている偶像崇拝の禁止をひとつにまとめ、両者が相互に解釈し合うようにしている。第二に、「調和的展開」の例である『神殿巻物』52:11-12は、レビ17:13で説明されている、殺した動物の血を地面に注がなければならないという規定の詳細を、申12:23-24に盛り込んでいる。第三に、「明確化するための付加」としては、申14:24で述べられている十分の一税を神殿に納めるには遠すぎる場所の距離が、『神殿巻物』43:12-15で「三日間歩くほどの距離」と定義されている。第四に、「改変と補足」では、申21:12-13で述べられている捕虜の女性と結婚するための決まりに対し、『神殿巻物』53:12-15では、その女性の花嫁支度を夫が世話すること、また完全に妻とするために7年かかること(それ以前はその女性は清浄規定に抵触する)が決められている。

第二の解釈タイプである「聖書の個々の文書の解釈」は、さらに下位区分として「再話聖書」と「ペシェル」に分けられる。「再話聖書」の代表例は『外典創世記』であり、これは聖書物語の明確化、装飾、完全化、更新のためにさまざまな説明的工夫を物語に盛り込むことで、論文著者は実例を3つ挙げている。第一に、「明確化するための付加」としては、創12:11-13でアブラハムが妻サラに自分の妹だと偽ってもらう箇所で、なぜアブラハムが命の危険を感じたかの説明が『外典創世記』19:13-16に付加されている。第二に、「装飾のための付加」としては、創12:15でわずかに語られているのみのサラの美しさを、『外典創世記』20:2-8は長々と説明している。第三に、「弁明的な置き換え」としては、創12:16でアブラハムがサラをエジプトの王に差し出したことで多くの家畜を得たことに対し、『外典創世記』20:10-11, 14, 29-32ではアブラハムがサラを失ったことを一晩中嘆いたあとに贈り物を得たことが説明される。

このように、「再話聖書」の目的は解説的なものであって、歴史的あるいは神学的なものではない。聖書の地名をアップデートするといった、一見歴史的な改変も、物語を判りやすくするための解説的な措置なのである。

ペシェル」は形式と内容によって定義される。形式的には、聖書テクストの引用(通常3節以下の長さ)から始まり、導入的な語が続いたあと、引用テクストの解説となる。『ハバクク書ペシェル』などが代表例である。内容的には、預言として理解される聖書テクストを(注解者の)同時代あるいはほぼ同時代の出来事に関係付ける。これは「成就の解釈」と呼ぶことができる。ペシェルの解釈者は歴史記述をしようとしていたのではなく、あくまで聖書解釈を目的としていた。もし歴史を書こうとしていたのなら、必要な部分だけを選んでいただろうが、実際には一節ずつ、一章ずつ解釈している。

論文著者はペシェルの4つの実例を挙げている。第一に、「秘密の歴史的解釈」。預言書には、聖書の預言者が感じていた終末、すなわちクムラン共同体にとっての現在が書かれているわけだが、ペシェル解釈者はそれを外部に知られないように専門用語(「ユダの家」「裁きの家」「義の教師」)を多用した難解なかたちで示す(『ハバクク書ペシェル』8:1-3)。第二に、「判りやすい歴史的解釈」としては、ナホ2:11の「ライオン」をセレウコス王のデメトリオスやアンティオコスと見なす(同時に「滑らかなものを探す者」「キッティーム」といった専門用語も用いる)。第三に、「神学的解釈」では聖書テクストに党派的な原理を読み込み、義の教師の役割などを強調する(『ハバクク書ペシェル』6:14-7:8)。第四に、「中立的解釈」では、歴史的あるいは教義的な暗示をまったく含まない解釈が扱われる(『ハバクク書ペシェル』12:13-13:4)。

第三の解釈タイプである「主題別の解釈」は、複数の文書からの抜粋を扱うこともあれば、同一文書からの連続的でない箇所を扱うこともある。論文著者は3つの実例を挙げる。第一に、「テスティモニア」の実例である4Q175は、3つのメシア的な預言の集成である(申5:28-9, 18:18-19; 民24:15-17; 申33:8-11)。第二に、「主題別の選集」の実例は、イザ40-55章に基づく『慰めの言葉(4Q176)』と、詩6-16篇に基づく『詩篇カテーナ(4Q177)』である。第三に、「クムラン・ミドラッシュ」では、注解者が異なった聖書箇所を用いて特定の主題に関する自らの教えを展開する。代表例は『フロリレギウム(4Q174)』である。

論文著者は、結論として、本論文ではカバーしなかった2点を挙げている。第一に、聖書解釈本は論文で扱った釈義的文書のみならず、神学的、論争的、説教的な文書にもあるが、スペース上の問題から取り扱わなかった。第二に、ポスト聖書的ユダヤ教における聖書解釈のコーパスに死海文書を入れ込んでみることは重要である。すなわち、外典、偽典、新約聖書、ヨセフス、タルグム、ミドラッシュにおける並行現象を調査するのである。

2018年7月21日土曜日

『4Q創世記注解』の理解をめぐるブロックへの批判 Bernstein, "A Response to George J. Brooke"

  • Moshe J. Bernstein, "4Q252: Method and Context, Genre and Sources. A Response to George J. Brooke 'The Thematic Content of 4Q252,'" Jewish Quarterly Review 85 (1994-95): 61-79; repr. in Bernstein, Reading and Re-Reading Scripture at Qumran (Studies on the Texts of the Desert of Judah 107; Leiden: Brill, 2013) 1:133-50.
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本論分は、次の論文におけるBrookeの主張に対し、Bersteinが反論を試みたものである。
Brookeは第二神殿時代のユダヤ文学との比較を頻繁にするが、それはある文書の文脈を無視して誤った読みに堕すことを防いでくれるが、一方でその文書自身に語らせる前に、それをより大きな知的世界に近づけすぎてしまう危険がある。つまり、Brookeは外的な視点を持ちすぎるあまり、内的な観点を忘れている。

これを是正するために、Bersteinは、テクストをそれ自身の用語で読み、第二神殿時代の文学のそれを用いないとする。また、テクストの中に何があるかに注目し、そこにないものは扱わない。そしてテクストの目的ではなく中身を分析するという。つまり、先入観を持たないようにするのである。

Brookeはテクストを次の八部分に分けていた。(1)洪水の時系列、(2)ノアからアブラハムへ、(3)アブラムの時系列、(4)ソドムとゴモラと土地の浄化、(5)イサクの縛り、(6)イサクによるヤコブの祝福、(7)アマレク、(8)ヤコブによる祝福。

Bersteinは、まず(1)洪水の時系列を二つに分ける。すなわち、120年の解釈と洪水の時系列である。第一の部分について、『4Q創世記注解』(以下4Q252)は、創6:3の120年を洪水までに人間に残された時間と見なす。第二の部分について、Brookeは時系列の中にポイントが暗示された神学的なアジェンダがあると考えるが、Bernsteinは、第二神殿時代の文学には神学的でないものもあるし、4Q252が神学的であるとして、その証拠を示すべきと反論する。Brookeは、ノアたちが暦を守ることで神の好意を得たと主張するが、暦の遵守などテクストには出てこない。4Q252を『ヨベル書』に基づいて読むのは誤りである。

(2)ノアからアブラハムについては、Brookeは断片的にしか分からないテクストの全体の構造を議論するという過ちを犯している。またBrookeは、この箇所に『ダマスコ文書』2.15-3.2との並行関係を見ているが、十分に堅密な言語的なつながりは見られない。さらに『ダマスコ文書』が語っている罪への傾斜や欲望の目を、カナンの呪い、ソドムの滅亡、アマレクの殲滅、ルベンがビルハと寝たことなどとつなげて、4Q252が性的な罪について語っていると解釈するが、ルベンの場合以外は特に性的な暗示は見当たらない。またBrookeはこの箇所が土地の贈与とそこに住む人について語っていると解釈する。確かに土地の贈与について語られてはいるが、そこに神学的なニュアンスは少ない。

(3)アブラムの時系列について、Brookeは、それを明らかにすることで神がいかに約束を守ったかを示していると解釈する。しかし、この箇所の主眼は、創11:26と12:4との表面上の矛盾の解消と、イスラエルの民のエジプト滞在に関する創15:13と出12:41の矛盾の解消である。神の約束の問題は、テクストのどこでも語られていない。テクスト上の問題点を解決することだけが編纂者の目的である。断片的でないテクストの神学的立場を明らかにすることですら困難なのだから、断片的なテクストはなおさらである。アブラムの時系列の箇所で、彼の子孫への土地贈与に関する神の約束が語られているとは思えない。

(4)ソドムとゴモラの箇所では、土地やその浄化については出てこない。そしてテクスト上では、ソドムとゴモラの罪が性的なものであったことなども語られていない。テクストに明らかに書かれていることのみを扱うべきである。

(5)イサクの縛りの問題は、注解というよりは再話聖書の形式で書かれているようである。Brookeはここでも土地の問題を持ち出すが、それもテクスト上では明らかでない。編纂者がなぜこの箇所を取り上げ、釈義を施しているのかは分からない。編纂者や読者が土地の後継者であるかのようだというBrookeの解釈は飛躍である。

(6)イサクによるヤコブの祝福にについては特に言及なし。

(7)アマレクについて、Brookeは申25:19「アマレクの記憶を拭い去りなさい」が引用されていることから、同26:1「あなたの神、主が嗣業として賜わる国にはいって、それを所有し、そこに住む時は」の記述に(勝手に)つなげ、4Q252のテーマは土地の所有だとする。確かに土地の問題はこのテクストのテーマではあろうが、この主張は引用してもいない箇所に基づいていることと、また引用されている25章の部分でも土地についての記述はオミットされていることを無視している。むしろ、土地の記述の代わりに「日々の終わりに」という一節を置いていることからは、編纂者があえて土地問題に言及しなかったことが分かる。また編纂者は、ここで成就が不完全な神の命令について語っているというよりは、聖書のあとの部分で重要になってくる存在としてアマレクについて言及していると思われる。それゆえに、サウルへの言及も、彼がアマレクを殲滅し尽くさなかったからではなく、とにかくアマレクに勝利したからと考えるべきである。Brookeは『十二族長の遺訓』や『聖書古代誌』との類似を説くが、これも根拠のない主張である。Brookeが言うアマレクの性的退廃や土地の浄化、またエサウの拒絶についてなども、テクストに言及はない。確かにこれらは第二神殿時代のユダヤ文学の重要なテーマではあるが、単純に4Q252はそれらに言及していないのである。

(8)ヤコブによる祝福の部分とアマレクの部分には共に「日々の終わりに」という用語が出てくるため、Brookeは両部分のつながりを説明しようとするが、この用語は実際に4Q252の中で引用されている部分に出ているわけではない。また個々の部分のダイナミックさの前では、それらの部分同士のつながりを無理やり作ろうとするのは無駄なことである。

以上のことから、BernsteinはBrookeの主張を退ける。Brookeは4Q252において「成就していない祝福と呪い」が語られていると主張したが、少なくとも呪いはテクスト上では表現されていない。洪水では時系列のみに集中しているし、ソドムとゴモラの物語は断片的過ぎるし、アブラハムの祝福は聖書のパラフレーズの中でわずかに触れられているだけである。編纂者は解釈困難な箇所の解釈に集中しているだけである。

Brookeの解釈は、土地の神学や土地の約束に関する先入観を反映してしまっている。彼は、どの箇所にも一度も「土地の約束」は言及されていないという事実を無視している。また彼は第二神殿時代の文学やクムランの文学のより広範な関心に従ってしまっている。『ダマスコ文書』などと単純に比較をすることで、4Q252をそれ自体から読むことの権利を奪っている。

Bernsteinの理解では、4Q252の本質はそれ以降には見られないような原始的な注解である。基本的な聖書解釈的な問題を選択的に扱いつつ、クムランに特徴的ないかなるイデオロギー的あるいは神学的な考えも語らない。つまり党派的な特徴はない。いわば、4Q252は再話聖書と聖書注解の間のどこかに位置しているのである。そして、Bernsteinによれば、これ以上我々は理解を進めることはできない。

また独自のテクストというよりは、すでにあったテクストを編纂者が自分の興味にしたがってまとめたものと考える方がよい。その場合、テクストの構造と選択は編纂者によってなされ、個々の注解はより前の解釈者によってなされたものであろう。また個々の注解についても、アマレクやルベンに関する部分は「注解」タイプ、洪水やアブラハムに関する部分は「再話聖書」タイプだったことから、解釈のスタイルには拘泥していない。

そして個々の解釈をつなげるような一貫した理由や方法論は見出されない。強いてつながりを挙げるならば、それはヘブライ語聖書の解釈困難な箇所であるというだけである。Bernsteinは、ユダの祝福部分を除いて、いかなる党派的な関心や用語も見られないと主張する。4Q252には党派的なメッセージはないし、論争点も欠いている。個々の解釈のみならず、編纂の段階においても、4Q252にクムランに特徴的な箇所はない。

関連記事

2018年7月20日金曜日

土地の所有という創世記解釈 Brooke, "The Thematic Content of 4Q252"

  • George J. Brooke, "The Thematic Content of 4Q252," Jewish Quarterly Review 85 (1994): 33-59.

本論文は、『4Q創世記注解』の公式エディターであるBrooke(マンチェスター大学)による同テクストのテーマをめぐる議論であるが、これに対し、タルグムと死海文書の研究者であるM. Bernstein(イェシバー大学)がのちに反論を試みている(その論文は後日まとめる)。両者共に、死海文書の聖書解釈についての専門家である。

まずBrookeは公式エディターとして実物を手にすることができたので、観察の結果得られた3つの知見を説明する。第一に、4Q252は6つの断片および6つの欄から成っており、第1欄と第2欄の大部分を含む断片1はテクスト全体の冒頭を含んでいる。4Q252 1:1には先行詞がないままに「彼らの終わり」という言葉があるが、それは編纂者が読者の創世記の知識を前提にしているからである。第二に、編纂者は新しいセクションを余白などで示すが、第1欄の冒頭にはそのようなものはない。第三に、現存する断片は、創世記の6章から49章までをカバーしている。これより前の部分(1章から5章)や出エジプト記の注解があったと考える根拠はない。

1-2:5は洪水の時系列を扱う。この中では、箱舟の建設や洪水の被害などについては語られず、専らそれぞれの出来事が起こった日付について扱われる。洪水が太陽暦の364日間続いたとする点で、編纂者の関心は『ヨベル書』のそれに似ている。Brookeによれば、この聖なる太陽暦を守ることは倫理的な正義を遵守することとなるという。つまり、暦の問題を扱うことは、他の多くの第二神殿時代の文学と同様に、倫理的な奨励になっているのである。

2:5-8のノアに始まりアブラハムに終わる部分は、架け橋となるパッセージである。内容的には、呪いと祝福を含んでいる。引用されている創9:27「彼はセムの天幕に住まう」は、マソラー本文では曖昧な主語をはっきりと神にすることで、『ヨベル書』やいくつかのクムラン文書(『戦いの巻物』『ネヘミヤ書ペシェル』『ダマスコ文書』等)同様の反ギリシア的な排外主義を示している。またノアからアブラハムにジャンプするという構成は、『ダマスコ文書』2.15-3.2にも見られる。ここでは、罪に傾くことや欲望の目を持つことを避けるように説かれている。Brookeは、『4Q創世記注解』において、洪水の時系列のみならず、カナンへの呪い、ソドムの破壊、アマレクの殲滅、ルベンの不貞などが語られていることから、ここでも罪や欲望の問題が扱われていると考える。そしてそれらは、神からの土地の贈与と、そこの住人の問題とも大きく関わっている。

アブラムの時系列。Brookeによれば、編纂者の関心は、アブラハムのカナン入りの時系列と、その子孫への土地の贈与にあるという。

ソドムとゴモラと土地の浄化。この中では申13:13-19における偶像崇拝の町に関する法が暗示されている。ただし、この部分の暗示は、申20:10-18における戦争の法によるものかもしれない。Brookeは、『4Q創世記注解』2.8においては、アブラハムが神の友人として描かれていると主張する。そしてこの神とアブラハムとの友情がソドムとゴモラの破壊と密接につながっているという解釈が、フィロンとタルグム・ネオフィティに見られる。またソドムとゴモラの物語は、第二神殿時代のユダヤ文学においては、性的な罪とその浄化と関係していると考えられてきた。

イサクの奉献。アブラハムがまさにイサクを殺そうとしているところから始まっているが、その意図は判りづらい。これまでの注解でテーマとされている土地の贈与がここにも関わっているとすると、アブラハムの子孫が土地を所有するという神の約束を成就させるのはイサクとその子供たちだと示しているといえる。あるいは、代下3:1から、イサクを縛ったのはエルサレムだったことも重要視されていたかもしれない。

イサクによるヤコブの祝福。ここには「全能の神(エル・シャダイ)」という、創17:1-2および35:9-12にしか現れない語が用いられている。またその祝福は、ヤコブの繁栄と土地の約束から成っている。Brookeによれば、編纂者はあたかも自分やその読者が父祖たちへの土地の約束の後継者であるかのように考えているという。

第4欄のアマレクに関する箇所は最も興味深いものである。申25:19「アマレクの記憶を拭い去りなさい、天の下から」には、「日々の終わりに」というフレーズが挿入されている。これは第四洞窟出土のテクストの中では、4Q174および4Q177に見られる。申命記では、モーセに対してアマレクの殲滅されるべき終末の時間が語られている。サウルはアマレクを殲滅するべきだと見なされていたが、完遂できず(サム上15:1-34)、その成就は後の時代に託されていた。また「日々の終わりに」というフレーズは、民24:14のバラムの託宣とのつながりを示している。

Brookeは、このアマレクに関する奇妙な言及は、まだ完全に完遂されていない神の命令を示していると解釈する。アマレクの殲滅は、エサウの拒絶、すなわち選ばれたのはヤコブでありイスラエルの民であったということを示す。アマレクの問題については、『十二族長の遺訓』の「シメオン」5:4-6:5と偽フィロン『聖書古代誌』などにも見られる。こうしたことから、Brookeは、『4Q創世記注解』がアマレクに言及するのは、アマレクの殲滅こそが、土地を所有する者たちにとっての約束された終末論的やすらぎとなるからだと考える。つまり、ノア、ソドムとゴモラ、カナンなどの物語と共に、アマレクの殲滅は、性的な不品行による汚染から土地を浄化することなのである。アマレクというエサウの子孫を殲滅することは、相続権がヤコブとその子孫に属していることを意味する。

ヤコブの祝福。ここに至る前のヨセフ物語集成(Joseph cycle)は完全に省略されている。エレ33:17「ダビデのために王座につく者は滅ぼされることはない」が引用されている。この先の部分であるエレ33:22「わたしは数えきれない満天の星のように、量り知れない海の砂のように、わが僕ダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人の数を増やす」は、創22:17-18「あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」の再話である。

Brookeによると、ヨセフ物語が完全に省略されている一方で、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブなどが取り上げられていることから、『4Q創世記注解』は、まだ成就していないあるいはまだ解決していない祝福と呪いに関心を示している。また素材の選択に関しては、D. Clinesが五書そのもののテーマとして述べているそれと近しい。すなわち、父祖との約束や父祖への祝福の部分的な成就である。Brookeによると、カナンの呪い、セムの天幕、アブラハムの時系列、ソドムとゴモラの滅亡、イサクからヤコブへの祝福、アマレクの殲滅などはすべて、土地の約束に関係している。しかし、土地の継承はいかなる性的不品行にも関わらなかった者のみに属している。ノアの裸の罪を帰されたカナン、邪悪な住人の住むソドムとゴモラ、政敵放縦のアマレク、ビルハと寝たルベンらは、その性的不品行によってその資格を失った。

こうしたことから、Brookeは『4Q創世記注解』と『ダマスコ文書』との類似を指摘する。『ダマスコ文書』において「今こそ聞け」という言葉で始まる三つの奨励が皆、土地の正当な所有や性的放縦と関係しているからである。