- Pierre Nautin (ed. and trans.), Origène: Homélies sur Jérémie (Sources Chrétiennes 232; Paris: Cerf, 1976), 1:33-46.
『エレミヤ書説教』の3つの間接証言の3つ目は、ヒエロニュムスによるラテン語訳である(あと2つは古代の引用とカテーナ)。ヒエロニュムスは14の説教を訳したが、そのうち12はギリシア語原文も残っている(I, II, IV, VIII, IX, X, XI, XII, XIII, XIV, XVI, XVII。ラテン語訳しかないのはL. IとL. IIと呼ばれる)。著者はこれらの翻訳は、ヒエロニュムスがカルキス砂漠に出発する前にアンティオキアで作成したと主張する(374年頃か。通常は380年頃、コンスタンティノポリスでの作品とされる)。ヒエロニュムスが用いた写本は、8世紀のS写本よりは古いものなので、S写本の誤りを正すことが期待される。
著者は、第一に、ヒエロニュムスの翻訳がどのような状態で現存しているのか、第二に、ヒエロニュムスによって用いられたギリシア語写本の価値はどのくらいか、第三に、ヒエロニュムスはどのような基準で翻訳をしたのかを論じる。
第一に、ラテン語訳写本の状態については、W.A. Baehrensの研究がある。『エレミヤ書説教』のラテン語訳を含む写本は、ひとつの例外を除いて、AとBの二つのクラスに分けることができる。クラスAは9世紀以降のいくつかの写本で、ミーニュ版もこちらを採録している。クラスBは13世紀以降の写本である。AもBも9世紀頃のひとつの写本に依拠していると考えられる。この他には、9世紀のラバヌス・マウルスが『エレミヤ書注解』でヒエロニュムスの翻訳の半分を引用している。この引用は信頼性が高い。
第二に、ヒエロニュムスが利用したギリシア語写本の価値については、S写本の誤りすべてではないにせよ、いくつか共通する誤りを持っているといえる。文脈から、ヒエロニュムスとS写本のテクストとは異なった文法形式でオリゲネスが述べたに違いない箇所が見つかっている。またS写本が誤っている箇所では、ヒエロニュムスは文章を飛ばすことがある。ヒエロニュムスは、ギリシア語テクストが損なわれているところだけを飛ばし、その前後は正確に訳す。S写本とヒエロニュムスに見られる誤りが、カテーナの引用元となったギリシア語写本に影響を与えたケースもある。
ヒエロニュムスの翻訳の特色として、説教の順番が、S写本のように聖書どおりになっていないことが挙げられる。これが偶然ではないことは、ウィンケンティヌス宛書簡でのヒエロニュムスの暗示によって明らかである。ただし、これはヒエロニュムスのせいではない。古代の説教は、エレミヤ書に関する説教がひとつにまとめられていたのではなく、説教ごとに個別の写本に書かれていた。ヒエロニュムスが持っていたのも、こうしたバラバラの写本だったので、S写本とは異なる順番になったと考えられる。
第三に、ヒエロニュムスの翻訳の忠実さについて。ヒエロニュムスはルフィヌスによる『諸原理について』の翻訳が自由すぎると批判していたが、これに対し、ルフィヌスはヒエロニュムスの翻訳も自由すぎるところがあると批判した。たとえば、三位一体のような信仰に関わる部分で文章を飛ばしているという。さらに『エレミヤ書説教』でオリゲネスはあまり三位一体について取り組んでいないが、その欠落こそがヒエロニュムスによる修正のあとだとまで主張した(『ヒエロニュムス駁論』2.31.15)。
しかしながら、KlostermannやM. Vittorio Periら、ギリシア語原文とラテン語訳テクストとを綿密に比較した現代の研究者によれば、教義に関わる部分において、ヒエロニュムスはわずかな修正もしていないという。ヒエロニュムスが何らかの修正を加えるのは、自分で省略した一節における思想を明らかにするためや、スタイルを装飾するためのことが多い。より問題視されるのは「付加」だが、ときに「除去」や「改変」も見られる。
ヒエロニュムスはウィンケンティヌス宛書簡において、自身の翻訳方針について次のように述べている。すなわち、作者の特性とスタイルの素朴さに注意を払うこと(教会に有用なので)、そして修辞の華々しさに重きを置かないこと、である。しかしながら、彼はこの自身の方針には従っていない。それゆえに、ヒエロニュムスの翻訳を利用するには慎重さが必要である。S写本にない箇所がヒエロニュムスのラテン語訳に見つかるからといって、それはS写本の欠落とは限らないのである。明らかにS写本における欠落とわかる箇所については、ヒエロニュムスの訳は内容を知るための助けになる。
ちなみに、オリゲネスの『エレミヤ書説教』を利用した著作家には、エウセビオス、ヨアンネス・クリュソストモスとオリュンピオドロス、アンブロシウス、そしてヒエロニュムス(『エレミヤ書注解』)などがいる。
説教の数。『エレミヤ書説教』の数については、ヒエロニュムス『書簡33』に、エウセビオスが『パンフィロス伝』で書いたカイサリア図書館の作品リストのラテン語訳があるが、写本によって14とも24とも伝えられている。しかし、『フィロカリア』に残された断片が説教39なので、どちらもおかしい。もともとヒエロニュムスは24と書いたのを、写字生が現存するラテン語訳の数である14に書き改めたのであろう。カッシオドルスは『聖俗学術綱要』で45と伝える。『フィロカリア』断片の説教39がエレミヤ書の最終章である52章(21節)に関するものなので、残り6つの説教すべてでさらに52章について論じているとは考えにくい。おそらくエレミヤ書のみならず、エレミヤの手になるバルク書や哀歌についても論じていたのだろう。説教の数が45だとすると、20しかないS写本は全体の半分も知らなかったことになる。あるときから『エレミヤ書説教』は二つに分けられて、S写本はその片方しか知らなかったのであろう。それにしても、52章あるエレミヤ書を45の説教カバーするというのも妙である。カイサリア教会ではオリゲネス以外の人も説教したので、彼が担当しなかった箇所があるのかもしれない。説教の数について、これ以上は詳しくは分からない。