- Adam Kamesar, Jerome, Greek Scholarship, and the Hebrew Bible: A Study of the Quaestiones Hebraicae in Genesim (Oxford Classical Monographs; Oxford: Clarendon Press, 1993), 4-40.
Jerome, Greek Scholarship, and the Hebrew Bible: A Study of the Quaestiones Hebraicae in Genesim (Oxford Classical Monographs) Adam Kamesar Clarendon Pr 1993-08-26 売り上げランキング : 2386518 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本章は、ヒエロニュムスの前史としてのオリゲネスの聖書文献学について論じている。『マタイ福音書注解』15.14によると、オリゲネスは七十人訳をヘブライ語テクストに合わせることで、七十人訳の正しいテクストを再構成しようとしている。これを彼はテクストを「癒す」と表現する。しかし、このときオリゲネスがテクストのプラスやマイナスを示す校訂記号の付された、ヘブライ語聖書に基づいて修正された七十人訳をよしとしていたのかどうかは不明である。一方で、『アフリカヌスへの手紙』9(5)によると、校訂記号は、キリスト者がユダヤ人との論争において原典テクストの無知を糾弾されないようにするためだったという。
論文著者によると、問題は、オリゲネスがヘブライ語テクストに基づいて改訂した七十人訳(=『マタイ福音書注解』)と、純粋な(あるいは伝統的な)七十人訳(=『アフリカヌスへの手紙』)のどちらをよしとしていたのかであるという。ヒエロニュムスは前者だと考え、エピファニオスとルフィヌスは後者だと考えた。現代の研究者では、P. WendlandとP. Kahleは前者、S.P. Brockは後者を取った。いずれにせよ、オリゲネスの立場は七十人訳を中心としたもの(LXX-centred)であった(例外は、七十人訳の代わりにテオドティオン訳を採用したダニエル書)。ただし、どちらのタイプの七十人訳も問題が残る。改訂版七十人訳の場合、七十人のヘブライ語テクストとオリゲネスのそれは異なったはずであり、そもそも七十人が逐語訳をしたかどうかは分からない。純粋七十人訳の場合、科学的な達成は薄れ、単なる護教的な道具に堕してしまう。
これらの問題に対し、P. Nautinは、オリゲネスの主たる関心は実は七十人訳ではなくヘブライ語テクストだったと考えた。そして『ヘクサプラ』作成の目的も、聖書のヘブライ語原典テクストに至るためだったと主張した。しかし、この見解を裏付ける証言は存在しない。そこでNautinは、『ヘクサプラ』はヘブライ語テクストに至るためのオリゲネスの個人的な道具であって、その真の目的を知るためには彼の説教や注解を見なければならないと述べる。論文著者はこれに反対して、第一に、オリゲネスの注解は本文批評ではなく釈義を目的としたものであり、第二に、『ヘクサプラ』が個人的かつ予備的習作でも、『ヘクサプラ』に含まれる改訂版七十人訳は異なると述べる。改訂版七十人訳は、校訂記号が付され、すでに「癒された」テクストなのであるから、習作ではあり得ない。以上より、『ヘクサプラ』はヘブライ語テクストに至るためのものではなく、改訂版七十人訳を用意するためのものだった。
つまり、論文著者によれば、やはりオリゲネスは七十人訳中心主義的であるが、ヘブライ語テクストを用いて七十人訳のテクスト上の誤りを「癒す」ことはできると考えていたのである(=改訂版七十人訳)。それはたとえば、固有名詞の綴りや語順などである。さらに、オリゲネスは、アステリスコス記号が付された箇所、すなわち七十人訳には欠けているのでアクィラ訳などから補った箇所にもコメントを加えている。
一方で、オリゲネスが純粋七十人訳を好んだと取ることも可能である。というのも、第一に、オリゲネスは、オベロス記号が付された箇所、すなわち七十人訳のみにある付加部分を十分に考慮に入れており、第二に、オリゲネスの注解には、教会の聖書と神の摂理の結びつきを肯定的に捉えているものがあるからである。七十人訳の中にある神的な霊の働きのようなものを、オリゲネスはしばしば「オイコノミア」と呼んでいる。オリゲネスにとって、このオイコノミアは、あるときは元来の七十人訳からの逸脱を生じさせ、またあるときは翻訳が正確に原典を反映するようにさせたのだった。
論文著者によると、問題は、オリゲネスがヘブライ語テクストに基づいて改訂した七十人訳(=『マタイ福音書注解』)と、純粋な(あるいは伝統的な)七十人訳(=『アフリカヌスへの手紙』)のどちらをよしとしていたのかであるという。ヒエロニュムスは前者だと考え、エピファニオスとルフィヌスは後者だと考えた。現代の研究者では、P. WendlandとP. Kahleは前者、S.P. Brockは後者を取った。いずれにせよ、オリゲネスの立場は七十人訳を中心としたもの(LXX-centred)であった(例外は、七十人訳の代わりにテオドティオン訳を採用したダニエル書)。ただし、どちらのタイプの七十人訳も問題が残る。改訂版七十人訳の場合、七十人のヘブライ語テクストとオリゲネスのそれは異なったはずであり、そもそも七十人が逐語訳をしたかどうかは分からない。純粋七十人訳の場合、科学的な達成は薄れ、単なる護教的な道具に堕してしまう。
これらの問題に対し、P. Nautinは、オリゲネスの主たる関心は実は七十人訳ではなくヘブライ語テクストだったと考えた。そして『ヘクサプラ』作成の目的も、聖書のヘブライ語原典テクストに至るためだったと主張した。しかし、この見解を裏付ける証言は存在しない。そこでNautinは、『ヘクサプラ』はヘブライ語テクストに至るためのオリゲネスの個人的な道具であって、その真の目的を知るためには彼の説教や注解を見なければならないと述べる。論文著者はこれに反対して、第一に、オリゲネスの注解は本文批評ではなく釈義を目的としたものであり、第二に、『ヘクサプラ』が個人的かつ予備的習作でも、『ヘクサプラ』に含まれる改訂版七十人訳は異なると述べる。改訂版七十人訳は、校訂記号が付され、すでに「癒された」テクストなのであるから、習作ではあり得ない。以上より、『ヘクサプラ』はヘブライ語テクストに至るためのものではなく、改訂版七十人訳を用意するためのものだった。
つまり、論文著者によれば、やはりオリゲネスは七十人訳中心主義的であるが、ヘブライ語テクストを用いて七十人訳のテクスト上の誤りを「癒す」ことはできると考えていたのである(=改訂版七十人訳)。それはたとえば、固有名詞の綴りや語順などである。さらに、オリゲネスは、アステリスコス記号が付された箇所、すなわち七十人訳には欠けているのでアクィラ訳などから補った箇所にもコメントを加えている。
一方で、オリゲネスが純粋七十人訳を好んだと取ることも可能である。というのも、第一に、オリゲネスは、オベロス記号が付された箇所、すなわち七十人訳のみにある付加部分を十分に考慮に入れており、第二に、オリゲネスの注解には、教会の聖書と神の摂理の結びつきを肯定的に捉えているものがあるからである。七十人訳の中にある神的な霊の働きのようなものを、オリゲネスはしばしば「オイコノミア」と呼んでいる。オリゲネスにとって、このオイコノミアは、あるときは元来の七十人訳からの逸脱を生じさせ、またあるときは翻訳が正確に原典を反映するようにさせたのだった。
以上のように、オリゲネスにとって、七十人訳の原典への忠実さは神的な力と人的な力の両方に依拠するものだったといえる。七十人訳の信頼性はある種の超越的な力にもよるし、翻訳者たち自身の力にもよるのである。そして、それゆえに、オリゲネスは意図的な逸脱を含む純粋七十人訳を好んでいた一方で、このテクストをヘブライ語テクストに基づいて改訂しようともしていたと言うことができる。これは矛盾ではない。なぜなら、オリゲネスは単純に、翻訳者自身による意図的な改変と後代のテクスト破損とを区別するという前提に立っているだけだからである。
オリゲネスは、釈義的な著作において、オベロス記号もアステリスコス記号も付されたより長いテクストを用いたが、それはD. Barthelemyの言うように神の啓示がギリシア語とヘブライ語の両方で示されたというアウグスティヌス流の「2テクストのアプローチ」ではなく、聖書のサイズを広げることによって、解釈の可能性を広げるためであった。論文著者はこれを「釈義的マキシマリズム(exegetical maximalism)」と呼んでいる。このことは、オリゲネスが異読や写字生の誤記にすら意味のある解釈を見出そうとしたことから分かる。こうしてオリゲネスは、潜在的に権威ある一節となり得る聖書箇所を排除することのないように、ある意味では保守的な姿勢を取ったのだった。
言い換えれば、オリゲネスはテクストの意図的な改変とテクスト上の破損を区別できる可能性を持ちつつも、それにあまり拘らなかった。彼は、ヘブライ語テクストが七十人訳を修正できる可能性にも、七十人訳が純粋な形のままである可能性にも開かれた態度を取った。いわば、ヘブライ語テクストはあくまで七十人訳に資する場合にのみ優先されるという意味で、オリゲネスの基本的な立場はやはり七十人訳中心主義的だといえる。
この七十人訳中心主義に対して、P. Nautinはヘブライ語テクスト中心主義を、D. Barthelemyは七十人訳とヘブライ語テクストの同等主義を主張している。Nautinは、『アフリカヌスの手紙』の記述を過小評価し、『マタイ福音書注解』のみを重視している。しかし、オリゲネスはヘブライ語テクストが破損する可能性と七十人訳が意図的に改変している両方の可能性を考慮しつつ、むしろ七十人訳の起源に迫ろうとした。またオリゲネスが逐語訳的な翻訳を用いるのは、七十人訳を説明するためであって、その逆ではない。Barthelemyの言うような同等主義も疑わしい。なぜなら、アクィラ訳などと七十人訳に同等の価値を与えているように見えても、それはテクストのさらなる意味を明らかにする可能性を保持するための「釈義的マキシマリズム」なのである。いわば、オリゲネスがアクィラ訳などを用いるのは本文批評のためではなく釈義のためである。
こうしたオリゲネスの教会伝統への拘りと科学的な態度は、共に影響を与えた。まず前者に関して、七十人訳の権威は教会の伝統によって保証されるが、この考えが発展し、七十人訳はとりわけ「異邦人(キリスト者)の聖書」と見なされた。使徒たちは旧約引用にも異邦人伝道にも七十人訳を用いた。エウセビオス、モプスエスティアのテオドロス、ルフィヌスなどがこの流れに与する。とりわけルフィヌスは、使徒たちは自分で翻訳を作れたにもかかわらず、彼らに伝えられた七十人訳を用いたことを評価している。すなわち、使徒たちは七十人訳がただそこにあったから選んだのではなく、そこには入念な理由があったのである。
ヨアンネス・クリュソストモスが言うように、イエスが七十人訳から引用し、使徒がイエスから、そして異邦人が使徒から引用したことから、異邦人まで伝統の鎖が続いているのである。これはユダヤ教の口伝律法に比すべき考え方である。実際、ポワティエのヒラリウスは、モーセの口伝は七十人訳に受け継がれていると主張した。この知識のおかげで、七十人はより正しい翻訳を作成できた。七十人訳の正しさは、第一に、フィロンの影響下のエウセビオスが言うように、神的なオイコノミアによって保証される。第二に、七十人訳の正しさは動的なものである。七十人訳は原典から改変されている箇所があるが、それはエピファニオスやアウグスティヌスが言うように、ユダヤ人から異邦人へ遺産が移ったことを確証している。七十人訳は、単なる翻訳ではなく、異邦人キリスト者のための特別な分け前なのである。
一方で、オリゲネスの改訂版七十人訳と『ヘクサプラ』はキリスト教の学問にヘブライ語テクストという問題を投げかけた。これによって、七十人訳は独占的な地位に甘んじることはできなくなったのである。ただし、このオリゲネスの科学的な側面は、長い間正しく理解されなかった。パンフィロスとエウセビオスによって改訂版七十人訳が出版されたが、それは特権的な地位を持たず、「三重の多様性」の中にあった。アクィラ訳なども、七十人訳を理解するための付加的な補助として以外、あまり使われなかった。七十人訳とアクィラ訳などが対立するとき、教父たちは原典への興味を駆り立てられるよりは、七十人訳の権威を守ることに専心した。七十人訳はイエスの誕生より前の成立なのである程度の偏りは当然だし、アクィラ訳などはキリストに言及しているはずの証言を破壊したというのである。中にはエウセビオスなど、場合によっては七十人訳よりもアクィラ訳などを好む者もいたが、実は大してオリゲネスの立場と変わらない。
『ヘクサプラ』に収録されているヘブライ語テクストは、概してギリシア教父たちの原典への関心を誘うものではなかったが、アンティオキア学派の何人かは例外である。エメサのエウセビオスは、実際には「シリア人の」テクストを優先していたにせよ、それを通してヘブライ語テクストへの関心を示した。ただし、アンティオキア学派の中でも、モプスエスティアのテオドロスはこの傾向に反対し、「シリア人の」テクストを重視する者らに辛らつな態度を取ったし、ヒエロニュムスのヘブライ語テクストに基づく翻訳も馬鹿にした。結局、テオドロスは科学的な場においてより厳格に七十人訳に依拠したのだった。いずれにせよ、ギリシア世界においては、ヘブライ語テクストに向かう傾向はほとんど見られなかった。『ヘクサプラ』の価値を見抜き、改訂版七十人訳を十分に活用したのはラテン世界であった。
オリゲネスは、釈義的な著作において、オベロス記号もアステリスコス記号も付されたより長いテクストを用いたが、それはD. Barthelemyの言うように神の啓示がギリシア語とヘブライ語の両方で示されたというアウグスティヌス流の「2テクストのアプローチ」ではなく、聖書のサイズを広げることによって、解釈の可能性を広げるためであった。論文著者はこれを「釈義的マキシマリズム(exegetical maximalism)」と呼んでいる。このことは、オリゲネスが異読や写字生の誤記にすら意味のある解釈を見出そうとしたことから分かる。こうしてオリゲネスは、潜在的に権威ある一節となり得る聖書箇所を排除することのないように、ある意味では保守的な姿勢を取ったのだった。
言い換えれば、オリゲネスはテクストの意図的な改変とテクスト上の破損を区別できる可能性を持ちつつも、それにあまり拘らなかった。彼は、ヘブライ語テクストが七十人訳を修正できる可能性にも、七十人訳が純粋な形のままである可能性にも開かれた態度を取った。いわば、ヘブライ語テクストはあくまで七十人訳に資する場合にのみ優先されるという意味で、オリゲネスの基本的な立場はやはり七十人訳中心主義的だといえる。
この七十人訳中心主義に対して、P. Nautinはヘブライ語テクスト中心主義を、D. Barthelemyは七十人訳とヘブライ語テクストの同等主義を主張している。Nautinは、『アフリカヌスの手紙』の記述を過小評価し、『マタイ福音書注解』のみを重視している。しかし、オリゲネスはヘブライ語テクストが破損する可能性と七十人訳が意図的に改変している両方の可能性を考慮しつつ、むしろ七十人訳の起源に迫ろうとした。またオリゲネスが逐語訳的な翻訳を用いるのは、七十人訳を説明するためであって、その逆ではない。Barthelemyの言うような同等主義も疑わしい。なぜなら、アクィラ訳などと七十人訳に同等の価値を与えているように見えても、それはテクストのさらなる意味を明らかにする可能性を保持するための「釈義的マキシマリズム」なのである。いわば、オリゲネスがアクィラ訳などを用いるのは本文批評のためではなく釈義のためである。
こうしたオリゲネスの教会伝統への拘りと科学的な態度は、共に影響を与えた。まず前者に関して、七十人訳の権威は教会の伝統によって保証されるが、この考えが発展し、七十人訳はとりわけ「異邦人(キリスト者)の聖書」と見なされた。使徒たちは旧約引用にも異邦人伝道にも七十人訳を用いた。エウセビオス、モプスエスティアのテオドロス、ルフィヌスなどがこの流れに与する。とりわけルフィヌスは、使徒たちは自分で翻訳を作れたにもかかわらず、彼らに伝えられた七十人訳を用いたことを評価している。すなわち、使徒たちは七十人訳がただそこにあったから選んだのではなく、そこには入念な理由があったのである。
ヨアンネス・クリュソストモスが言うように、イエスが七十人訳から引用し、使徒がイエスから、そして異邦人が使徒から引用したことから、異邦人まで伝統の鎖が続いているのである。これはユダヤ教の口伝律法に比すべき考え方である。実際、ポワティエのヒラリウスは、モーセの口伝は七十人訳に受け継がれていると主張した。この知識のおかげで、七十人はより正しい翻訳を作成できた。七十人訳の正しさは、第一に、フィロンの影響下のエウセビオスが言うように、神的なオイコノミアによって保証される。第二に、七十人訳の正しさは動的なものである。七十人訳は原典から改変されている箇所があるが、それはエピファニオスやアウグスティヌスが言うように、ユダヤ人から異邦人へ遺産が移ったことを確証している。七十人訳は、単なる翻訳ではなく、異邦人キリスト者のための特別な分け前なのである。
一方で、オリゲネスの改訂版七十人訳と『ヘクサプラ』はキリスト教の学問にヘブライ語テクストという問題を投げかけた。これによって、七十人訳は独占的な地位に甘んじることはできなくなったのである。ただし、このオリゲネスの科学的な側面は、長い間正しく理解されなかった。パンフィロスとエウセビオスによって改訂版七十人訳が出版されたが、それは特権的な地位を持たず、「三重の多様性」の中にあった。アクィラ訳なども、七十人訳を理解するための付加的な補助として以外、あまり使われなかった。七十人訳とアクィラ訳などが対立するとき、教父たちは原典への興味を駆り立てられるよりは、七十人訳の権威を守ることに専心した。七十人訳はイエスの誕生より前の成立なのである程度の偏りは当然だし、アクィラ訳などはキリストに言及しているはずの証言を破壊したというのである。中にはエウセビオスなど、場合によっては七十人訳よりもアクィラ訳などを好む者もいたが、実は大してオリゲネスの立場と変わらない。
『ヘクサプラ』に収録されているヘブライ語テクストは、概してギリシア教父たちの原典への関心を誘うものではなかったが、アンティオキア学派の何人かは例外である。エメサのエウセビオスは、実際には「シリア人の」テクストを優先していたにせよ、それを通してヘブライ語テクストへの関心を示した。ただし、アンティオキア学派の中でも、モプスエスティアのテオドロスはこの傾向に反対し、「シリア人の」テクストを重視する者らに辛らつな態度を取ったし、ヒエロニュムスのヘブライ語テクストに基づく翻訳も馬鹿にした。結局、テオドロスは科学的な場においてより厳格に七十人訳に依拠したのだった。いずれにせよ、ギリシア世界においては、ヘブライ語テクストに向かう傾向はほとんど見られなかった。『ヘクサプラ』の価値を見抜き、改訂版七十人訳を十分に活用したのはラテン世界であった。
In fact, before Jerome there does not seem to have existed in the Church an appreciation of the importance of the Hebrew text taken as a whole and in its own right, and consequently, there were no real attempts to come to terms with it. (p. 27)
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