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2018年8月26日日曜日

ヒエロニュムス『アモス書注解』と『ヘクサプラ』 Dines, "Jerome and the Hexapla"

  • Jennifer M. Dines, "Jerome and the Hexapla: The Witness of the Commentary on Amos," in Origen's Hexapla and Fragments: Papers Presented at the Rich Seminar on the Hexapla, Oxford Centre for Hebrew and Jewish Studies, 25th July-3rd August 1994, ed. Alison Salvesen (Texte und Studien zum antiken Judentum 58; Tübingen: Mohr Siebeck, 1998), 421-36.
Origen's Hexapla and Fragments: Papers Presented at the Rich Seminar on the Hexapla, Oxford Centre for Hebrew and Jewish Studies, 25Th-3Rd August 1994 (Texte Und Studien Zum Antiken Judentum)Origen's Hexapla and Fragments: Papers Presented at the Rich Seminar on the Hexapla, Oxford Centre for Hebrew and Jewish Studies, 25Th-3Rd August 1994 (Texte Und Studien Zum Antiken Judentum)
England) Rich Seminar on the Hexapla (1994 Oxford Alison Salvesen

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ヒエロニュムスの釈義的な著作は、アクィラ訳等の諸ギリシア語訳の主たるソースである。ヒエロニュムスと『ヘクサプラ』の関係や、そうした情報にアクセスした方法は明らかでない。彼自身はカイサリアの図書館で使ったことがあると、少なくとも2回述べているが(『テトス書注解』3.9、『詩篇注解』1)。おそらく、聖書本文に注釈がついた『ヘクサプラ』写本を所有していたと思われる。

ヒエロニュムスは、オリゲネスの改訂版七十人訳は、ギリシア語訳の中ではヘブライ語原典により近いものだと考えていた。しかし、彼がどの程度『ヘクサプラ』改訂版を翻訳に用い、また注解で依拠したかについては、いまだ結論が出ていない。本論文はこうした議論について扱うものではないが、『ヘクサプラ』資料が用いられている著作(すべての注解書、翻訳への序文、『創世記のヘブライ語研究』等、聖書本文批評や釈義を扱った『書簡20』や『書簡106』など)のうちでも、特に『アモス書注解』を取り上げている。

『アモス書注解』は、十二小預言書への注解シリーズの最後の注解(406年)である。十二小預言書シリーズを書いていたときのヒエロニュムスの方法論は、基本的に一貫している。ヒエロニュムスの注解の特徴のひとつは、ダブル・レンマである。彼は注解を始まる前に、ヘブライ語テクストのラテン語訳だけでなく、対応する七十人訳のラテン語訳を挙げる(前者はほとんどウルガータと同じ訳文であるが、伝承の過程で同じものに変えられた可能性は捨てきれない)。ただし、彼が一貫して両方挙げるのは『アモス書注解』が最後で、それ以降の『ダニエル書注解』、『イザヤ書注解』、『エゼキエル書注解』、『エレミヤ書注解』では、ヘブライ語テクストと異なるときのみ七十人訳を挙げている。ダブル・レンマにおいては、1節だけの場合もあれば、6節いっぺんに引用する場合もある。

レンマのあとは、ヘブライ語テクストの字義的・歴史的解釈が続く。これはヘブライ語の単語の意味や七十人訳との違いなども含んでいる。そのあとは七十人訳に基づく内的・霊的解釈となる。このときに、視点はイスラエルから新約聖書と教会へ、さらには正統キリスト者への倫理的な励ましや異端への攻撃などになる。字義的解釈から霊的解釈への移行は、アンティオキア学派でもアレクサンドリア学派でもよく見られるが、ヒエロニュムスがユニークなのは、字義的解釈をヘブライ語テクストと、霊的解釈を七十人訳テクストと結び付けている点である。ただし、2つのテクストを組織的に比較しないこともある。ヒエロニュムスは、字義的であれ霊的であれ、自分のあとの説明に資する箇所にしかコメントしないときがある。

テクストの選定に関しては、オリゲネスが諸ギリシア語訳を使うのは、七十人訳の異読のどれが正しいかを決めるためであるのに対し、ヒエロニュムスは、ヘブライ語テクストと七十人訳とのどちらが正しいかを決めるためにそれらを用いる。またヒエロニュムスは緒ギリシア語訳を『ヘクサプラ』の順に引用している。さらに、ヒエロニュムスは翻訳の力学や、翻訳者の読み間違い、そしてヘブライ語テクストの破損の可能性についても言及している。ただし、この当時のヒエロニュムスは視力が衰えていたので、記憶ではなく実際のテクストを使っていたとしたら、アシスタントがいたはずである。

ヒエロニュムスはヘブライ語テクストそのものに(破損以外の)問題があるとは考えないが、諸ギリシア語訳の読みについては問題視することはある。また諸ギリシア語訳は字義的解釈でも霊的解釈でも用いられる。『アモス書注解』では、諸ギリシア語訳のうち、シュンマコス訳が8回、アクィラ訳が5回、テオドティオン訳が2回採用されており、ここからシュンマコス訳が特に重視されていたことが分かる。諸ギリシア語訳の多用から、ヒエロニュムスは『ヘクサプラ』のリソースを利用していたと考えられる。三者以外にクインタも用いていることから、独立したリソースではなく、オリゲネスのコレクションの後継となるものを所有していた可能性が高い。

字義的解釈において、ヒエロニュムスは諸ギリシア語訳を名前を挙げて引用している。これに対し、たとえばオリゲネスは組織的にそうした読みを注解で用いることはないし、名前も挙げず、「他の版(ハイ・ロイパイ・エクドセイス)」と一緒くたに呼んでいる。ディデュモス、ヒッポリュトス、モプスエスティアのテオドロスはほとんど本文に関する議論をしない。エウセビオスは諸ギリシア語訳を引用するが、それらに評価を与えてはいない。

ヒエロニュムスの霊的解釈は、少なくともオリゲネスにさかのぼるような伝統を受け継いでいる。明らかに既存の注解を利用している。『アモス書注解』ではオリゲネスなどギリシア教父に比較対象があまりないのでよく分からないが、ディデュモス『ゼカリア書注解』、オリゲネス『詩篇注解抜粋』や『エレミヤ書説教』などを見ると、ヒエロニュムスがそれらに大いに依拠していたことが分かる。

以上より、ヒエロニュムスの特徴は、ヘブライ語テクストとギリシア語テクストを常に同時に扱っていることといえる。それによって、彼以前の教父たちよりも、テクストそのものに注目している。諸ギリシア語訳は、ヘブライ語テクストとその解釈を追及する中で利用される。ただし、諸ギリシア語訳は字義的解釈と霊的解釈の両方で用いられる。そして字義的・歴史的解釈をヘブライ語テクストに、霊的解釈を七十人訳に帰することも彼独自の発明である。さらに、頻繁に世俗の文化に言及し、古典期のラテン語作家を直接引用することもヒエロニュムスに特徴的である。

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