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2018年7月5日木曜日

初期ユダヤ教注解の問題 Brooke, "4Q252 as Early Jewish Commentary"

  • George J. Brooke, "4Q252 as Early Jewish Commentary," Revue de Qumran 17 (1996), pp. 385-401.

4Q252の各セクションの多様性をどのように説明するかは難問である。この多様性の説明方法としては、3つ挙げられる。第一に、写本のテクストの再構成をした者が間違えたと考えることである。H. Stegemannは、1から3欄目の途中までと、そこから6欄目までとは別のテクストだったと考えた。しかし、写本の観察や、4Q252を通して創世記のテクストが選択的かつ多様に扱われていることから、これを2つの別のテクストと考えるのは難しい。

第二に、個別のセクションの解釈を詳細に扱い、それらが一体であるかどうかについては触れないという方法である。M. Bernsteinの基本的な考えは、ユダヤ教の注解は聖書箇所における問題点を解決することというものである。しかし、4Q252はテクスト上に問題がないところも扱っているので、この方法は適切でない。

第三に、実は統一的な目的があると考えるという方法である。R.H. EisenmanとM.O. Wiseによれば、編纂者は性的事柄や姦淫の非難と共に、逃避と救済の物語に関心を持っているという。M. Kisterによれば、ユダヤ民族の父祖たちへの約束と祝福、そして他民族の殲滅の正当性の議論が問題だという。論文著者は、土地の贈与、祝福と呪い、性的事柄などが編纂者の関心だとする。

これらの三つの方法は、いずれも不十分である。論文著者は、4Q252を表現するに最適な用語は「注解」だと述べる。ぺシェルやミドラッシュという用語は不適切である。ミドラッシュは通常はっきりと聖書が引用され、それと独立した解釈が付されるような明示的解釈(explicit interpretation)であるのに対し、4Q252にはいわゆる再話聖書(rewritten Bible)のような暗示的解釈(implicit interpretation)が含まれているし、そもそもクムランの解釈を後代の方法論であるミドラッシュと呼ぶことはアナクロニズムである。

E. Tovは、4Q252は第1欄から第3欄に反映している再話聖書と、第4欄から第6欄までのぺシェルの「中道(middle course)」にあると評価している。論文著者はこの議論をさらに進め、4Q252の中では暗示的解釈(再話聖書)と言えるセクションの中にも明示的解釈があるし、明示的解釈と言えるセクションの中にも他の聖書箇所への暗示的解釈があるという。

論文著者は、4Q252を「注解」と呼ぶが、それには3つの基準がある。第一に、注解はテーマではなく聖書のシークエンスに沿って解釈する。テーマに沿う形式は、ミドラッシュに顕著である。第二に、注解は相当程度の聖書テクストをカバーする。この点で、4Q252は限られた量しかカバーしていないので、より正確には、「抜粋されたあるいは選択的な注解(excepted or selective commentary)」と呼ばれるべきかもしれない。第三に、注解は、質的にベース・テクストに取って代わらない。『神殿巻物』はこの点で不明瞭である。4Q252は、ある程度これら3つの基準を満たしている。ただし、ヨセフ物語が欠如していることや、釈義が6章から始まっていることなど、例外的な部分もあるので、単なる注解というより、抜粋された注解である。

4Q252の特質を明らかにするためには、明示的解釈と暗示的解釈のコンビネーションと、その成立年代が重要である。明示的解釈の代表例は『ハバクク書ぺシェル』である。ただしこの注解は、テクスト上の問題以上に、解釈者の共同体にとってのハバクク書の重要性に関心を持っている。暗示的解釈は、明示的解釈よりも広範な読者層を期待できる。そうした観点からみると、『神殿巻物』はクムラン共同体を超えたオーディエンスを意図していたと考えられる。

また論文著者は、4Q252の統一性は、時間的なスキームにおいて表される主題的な関心のコンビネーションにかかっているとも指摘する。著者によると、最初のセクションは「現在を決定する過去のこと」(大洪水、カナンの呪い、アブラハムの時系列)を、真ん中のセクションは「現在の状況」(イシュマエルよりイサク、ソドムとゴモラ、イサクの奉献、イサクによるヤコブ祝福)を、そして最後のセクションは「共同体の希望の成就」(アマレクの殲滅、ヤコブの祝福)を解釈しているという。

成立年代に関しては、おそらく再話聖書の年代記の部分は、第4欄や第5欄の個別主義的な解釈よりも古い。4Q252の成立自体は、初期ヘロデ時代、すなわち前1世紀の後半と見なされている。

こうしたことをまとめると、共同体での生活は、次のような二極の間にある。一方では、主として通時的に書かれている再話聖書のセクションの読みには、さらにより広い読者層の期待がこめられている。他方では、主として共時的に書かれている明示的解釈のセクションを読みつつ、共同体の終末論的観点に注目する。

後1世紀の終わりまで、聖書の再話、パラフレーズなどがしばしば行われていた。一方で、前1世紀の後半くらいから、ぺシェルのような明示的な解釈も登場した。すなわち、両方の解釈法は重なっている時期があるのである。聖書の正典化に伴い、次第に明示的な解釈法が主流となり、暗示的な解釈法はタルグムが代表するようになった。4Q252の特徴は、明示的な釈義の要素を含むような暗示的な解釈と、他の聖書文書への暗示を用いるような明示的な釈義の両方を持っていることである。この点で、4Q252は、初期ユダヤ教の聖書解釈のよりよい理解のために、またクムランの聖書解釈の評価のために、極めて重要なテクストであるといえる。それは聖書の「注解」形式であり、ユダヤの聖書解釈が過渡期にあったことを我々に教えてくれる。

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