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2017年1月10日火曜日

アレクサンドリア学術の最高潮 Pfeiffer, "Alexandrian Scholarship at Its Height"

  • Rudolf Pfeiffer, "Alexandrian Scholarship at Its Height: Aristophanes of Byzantium," in History of Classical Scholarship: From the Beginnings to the End of the Hellenistic Age (Oxford: Clarendon Press, 1968), pp. 171-209.
History of Classical Scholarship: From the Beginning to the End of the Hellenistic Age (Oxford University Press academic monograph reprints)History of Classical Scholarship: From the Beginning to the End of the Hellenistic Age (Oxford University Press academic monograph reprints)
Rudolph Pfeiffer

Oxford Univ Pr (Sd) 1968-12-31
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ビザンティウムのアリストファネスは、ゼノドトス、カリマコス、エラトステネスら、前3世紀の学者たちの伝統を一身に受け継いでいると同時に、自分の弟子であるアリスタルコスを通じて、アテーナイのアポロドロスやディオニュシオス・トラクスら、後代の学者に大きな影響をも及ぼした。アリストファネスの時代のエジプト(プトレマイオス4世-5世)は、政治的には後退の兆しを見せていたが、学術においては最高潮を迎えていた。学者詩人の時代から、純粋な学者の時代になったのである。

校訂記号。アリストファネスの仕事は、テクスト、言語、文学批評、そして古代性と結びついていた。ゼノドトスが比較的自由に仮説的な「真正」テクストを作り出したのに対し、アリストファネスはより保守的に、むしろ古い写本をそのまま保存しようとした。そして、問題が認められた際には、テクストを変更することなく、そうした問題を校訂記号で明らかにした。『オデュッセイア』の終わりが23巻の296行目であるという伝統的な議論も、そのようにして行なわれた。オベロス記号はゼノドトスによる創案であったが、アリストファネスはアステリスコス記号、シグマ記号、アンティシグマ記号を加えることで、テクスト校訂の選択を読者に委ねたのである。

句読点とアクセント。句読点に関しては、イソクラテスやアリストテレスの時代から認められるが、アクセントに関しては、アリストファネスはホメロスや他のテクストに初めてアクセントを加えた文法学者であるという。

叙情詩。アリストファネスは、特に叙情詩の校訂版の出版を多く行なった。前4世紀にはすでに、詩は本来共にあったはずの音楽から乖離してしまっていた。ソフィストや哲学者は詩を文学としてのみ扱った。ゼノドトスはピンダロスとアナクレオンを校訂し、カリマコスは『ピナケス』にて抒情詩を分類し、エラトステネスやロードスのアポロニオスはアルキロコスを研究した。アリストファネスは、これら先達者たちの恩恵を受けて叙情詩の校訂を行なったのである。

現代では、叙情詩とは非叙事詩および非劇詩を指すが、古代では、哀歌的(elegiac)と歌唱的(melic)との区別があった。前者は短長格か長短短格の脚韻で、朗読風の芝居がかったものであるのに対し、後者は必ず楽器演奏がつけられ、ときに踊りを伴った。初期ギリシア文学において、叙情詩は歌唱に分類されたのである。実際、リラ演奏があるため、melicusとlyricusとは同じ意味となった。

著者は、このmelicusからlyricusへの用語の変化には、アリストファネスの影響があるという。というのも、叙情詩の分類とは、詩の理論や芸術的な実践によってではなく、校訂者がそれを必要と思うことから始まるからである。アリストファネスはピンダロスの詩を適切な順に並べ、アナクレオンやアルカイオスらの詩を校訂したようである。その際に、彼は詩を散文のように続けて書かず、韻律に則り、初めてコーラに分けて(κωλίζειν)配置したのだった。また彼は、詩の繰り返しの部分にパラグラフォス記号を付すことで、詩の連(ストロフェー)を視覚化した。そして一篇の詩の最後の部分(停止=エポドス)には、伝統的にはコローニス記号が付されたが、アリストファネスはアステリスコス記号を付した。

喜劇の校訂。アリストファネスが校訂した劇詩は、韻律に従って行分けされ、破損した固有名詞が修復され、またそれが誰の台詞であるかが分かるように工夫されていた。このような配慮に関しては、彼の師であるエウフロニオスとエラトステネスからの大きな影響を受けていた。アリストファネスは劇の「注解(ὑπομνήματα)」を書いてはいないが、「入門書/要約(ὑποθέσις)」は残している。この「要約」は、アリストテレス以降の逍遥学派が行なってきた伝統だった。彼は、メナンドロス作品を出版したことで知られているが、そうした版に付された劇の要約はアリストファネスによるものではないと考えられている。

悲劇の校訂。3世紀の学者たちは、悲劇よりも喜劇を好む傾向があった。しかしながら、アリストファネスは、カリマコスの『ピナケス』を参考にしつつ、アルファベット順に、個々の悲劇の単純で正確な「要約(ὑποθέσις)」を作成した。このような要約は、διήγησιςとも呼ばれ、「その始まりは以下のようである」という言い回しで最初の一行が引用された。

辞書の編纂。詩人や学者たちは、詩における難しい語や曖昧な表現などに関する議論を蓄積してきた。それは、アリストファネスの「辞書(λέξεις)」に結晶化することになった。それまでのそうした辞書は、語彙集でしかなかったが、アリストファネスのそれは、より広範囲で、組織的で、解釈方法の確立したものだった。彼は信頼できるテクストに基づいて、第1章で方法論を論じ、第2章で語源に基づいて語彙を挙げた。ただし、研究者たちは第3章から第6章にかけては別人の手によるものであると考えている。いずれにせよ、アリストファネスのおかげで、方言の違いのみならず当時の話し言葉の特徴をも知ることができるようになった。

彼はこの中で、ギリシア語の活用(κλίσις)についても論じている(ἀναλογία)。当時は、ソロイのクリュシッポスらによって、文法から逸脱した表現(ἀνωμαλία)が議論されもしたが、それらは総じて哲学的なものだった。これに対し、アリストファネスは常に文法の枠内で議論した。この姿勢は、アリスタルコスの弟子であるディオニュシオス・トラクスらに受け継がれることになる。

「古典」とは。古くから、傑作をものした詩人たちは、他から抜きん出た扱いをされてきた。こうした傑出した詩人たちを選び、リスト化することをἐγκρίνεινと言い、選ばれた詩人たちはἐγκριθέντεςと呼ばれた。彼らはローマでは、最上のordoやclassesにある者たちとされた。彼らは「扱われた/注解された(πραττόμενοι)」として特別の扱いを受け、繰り返しコピーされて学校で学ばれることになった。

アリストファネスはさまざまな分野で初めてのことを成し遂げ、長い歴史的発展の中で中心的な存在となった。

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