- Martin Irvine, The Making of Textual Culture: ‘Grammatica’ and Literary Theory, 350-1100 (Cambridge Studies in Medieval Literature 19; Cambridge: Cambridge University Press, 1994), pp. 164-69.
The Making of Textual Culture: 'Grammatica' and Literary Theory 350–1100 (Cambridge Studies in Medieval Literature) Martin Irvine Cambridge University Press 2006-11-02 売り上げランキング : 392129 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
古代の文法教育に関して、アレクサンドリアのクレメンスとオリゲネスとの見解をまとめたものを読みました。クレメンスの主要作品としては『プロトレプティコス』『パイダゴゴス』『ストロマテイス』といったものが残っているが、これらはアレクサンドリアの文法学(グランマティケー)によって準備された文学文化の産物である。聖書は新しい教育(パイデイア)のためのテクストとなったので、それを教育し、解釈することを通してキリスト教的共同体が作られるようになった。
特に『ストロマテイス』は、ヘレニズム期に流行したアンソロジー形式で書かれており、テクストと注解、古典文学の批判、解釈の目的に関する反省、古典文学や聖書文学の寓意的解釈、言語に関する議論、そして古代哲学の解釈などが雑録風に収録されている。『ストロマテイス』は、キリスト教的解釈の高度なグノーシスを求めて文法学の訓練をしている者たちのための解釈の訓練のためのものだった。
クレメンスにとって、キリスト教聖書解釈者はキリスト教的グノーシスの予備知識としてのギリシア哲学にも通じている人物でなければならなかった。なぜなら、ギリシア的教育は真理を区別し、またそれを守るための精神を訓練してくれるからである。それゆえに、彼は自らを、ディオニュシオス・トラクスのようなギリシアの文法学者の伝統に連なる者として考えていた。
クレメンスは、文法と意味論に関してはアリストテレスとストア派に、またロゴスの形而上学に関してプラトンに依拠していた。アリストテレスに倣い、彼は語り(speech/phone)が名前(names)、概念(concepts)、そして実際のもの(actual things)から成り立っていると考えた。すなわち、名前(name/ta onomata)とは概念(concept/ta noemata)を象徴するものであり、また概念とは実体(subjects/ta hypokeimena pragmata)の印象のことなのである。この区分は、名前(onomata)と実際のもの(pragmata)という二分割でも表現されることがある。そしてキリスト者は、表現(lexis)ではなく意味されるもの(semainomena)に関心を持つべきであるとした。一方で、プラトンに倣い、彼は神とは何よりも発声(phone)、すべての思考(noema)、すべての概念(ennoia)であり、決して語られたり書かれたりはしないものと考えた。それゆえに、高度なグノーシスは、謎めいた語りや寓意的な解釈からのみ得られるものだという。
オリゲネスの仕事は多岐にわたっているが、ヘレニズム期の文法学者から続く伝統的なジャンルの作品を残している:スコリオン、注解、雑録、校訂版、対話篇、そして正典の組織などである。エウセビオスは、オリゲネスとはキリスト教の文法学者であると述べている。またポルフュリオスは、オリゲネスがプラトン、ロンギノス、ストア派のカイレモン、コルヌトスらの影響を受けていると見なしている。オリゲネスもまた、アレクサンドリアの文学文化の中で、同じヘレニズム的な文法学的解釈の伝統の中に位置しているのである。寓意的解釈を最初に体系的に取り入れたキリスト教作家として、オリゲネスはアンブロシウス、ヒエロニュムス、アウグスティヌスらに大きな影響を与えている。
中でも重要なのが『雅歌注解』である。彼はソロモンの書物(コヘレト書、箴言、雅歌)がそれぞれギリシアの文学的ジャンルおよび哲学的原理に呼応していると考えた。箴言は神秘への関心を呼び起こし、コヘレト書は目に見えるものや肉体的なものが空しいと教え、そして雅歌は知恵を探し求める者が、愛に覆われた霊的な意味を持った、永遠かつ目に見えないものに至ると説いた。
特に『ストロマテイス』は、ヘレニズム期に流行したアンソロジー形式で書かれており、テクストと注解、古典文学の批判、解釈の目的に関する反省、古典文学や聖書文学の寓意的解釈、言語に関する議論、そして古代哲学の解釈などが雑録風に収録されている。『ストロマテイス』は、キリスト教的解釈の高度なグノーシスを求めて文法学の訓練をしている者たちのための解釈の訓練のためのものだった。
クレメンスにとって、キリスト教聖書解釈者はキリスト教的グノーシスの予備知識としてのギリシア哲学にも通じている人物でなければならなかった。なぜなら、ギリシア的教育は真理を区別し、またそれを守るための精神を訓練してくれるからである。それゆえに、彼は自らを、ディオニュシオス・トラクスのようなギリシアの文法学者の伝統に連なる者として考えていた。
クレメンスは、文法と意味論に関してはアリストテレスとストア派に、またロゴスの形而上学に関してプラトンに依拠していた。アリストテレスに倣い、彼は語り(speech/phone)が名前(names)、概念(concepts)、そして実際のもの(actual things)から成り立っていると考えた。すなわち、名前(name/ta onomata)とは概念(concept/ta noemata)を象徴するものであり、また概念とは実体(subjects/ta hypokeimena pragmata)の印象のことなのである。この区分は、名前(onomata)と実際のもの(pragmata)という二分割でも表現されることがある。そしてキリスト者は、表現(lexis)ではなく意味されるもの(semainomena)に関心を持つべきであるとした。一方で、プラトンに倣い、彼は神とは何よりも発声(phone)、すべての思考(noema)、すべての概念(ennoia)であり、決して語られたり書かれたりはしないものと考えた。それゆえに、高度なグノーシスは、謎めいた語りや寓意的な解釈からのみ得られるものだという。
オリゲネスの仕事は多岐にわたっているが、ヘレニズム期の文法学者から続く伝統的なジャンルの作品を残している:スコリオン、注解、雑録、校訂版、対話篇、そして正典の組織などである。エウセビオスは、オリゲネスとはキリスト教の文法学者であると述べている。またポルフュリオスは、オリゲネスがプラトン、ロンギノス、ストア派のカイレモン、コルヌトスらの影響を受けていると見なしている。オリゲネスもまた、アレクサンドリアの文学文化の中で、同じヘレニズム的な文法学的解釈の伝統の中に位置しているのである。寓意的解釈を最初に体系的に取り入れたキリスト教作家として、オリゲネスはアンブロシウス、ヒエロニュムス、アウグスティヌスらに大きな影響を与えている。
中でも重要なのが『雅歌注解』である。彼はソロモンの書物(コヘレト書、箴言、雅歌)がそれぞれギリシアの文学的ジャンルおよび哲学的原理に呼応していると考えた。箴言は神秘への関心を呼び起こし、コヘレト書は目に見えるものや肉体的なものが空しいと教え、そして雅歌は知恵を探し求める者が、愛に覆われた霊的な意味を持った、永遠かつ目に見えないものに至ると説いた。
0 件のコメント:
コメントを投稿