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2018年12月7日金曜日

ヒエロニュムスの出エジプト記翻訳研究#4 Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions

  • Matthew A. Kraus, Jewish, Christian, and Classical Exegetical Traditions in Jerome's Translation of the Book of Exodus: Translation Technique and the Vulgate (VCS 141; Leiden: Brill, 2017), 61-104.


第3章"Jerome, the Hebrew Text, and Hebrew Grammar"より。ヒエロニュムスは『書簡57』において聖書は逐語訳を必要としていると述べているが、実際にはウルガータの出エジプト記は意訳である。著者は、七十人訳の翻訳者がアレクサンドリアの文法学の伝統から影響を受けているように、ヒエロニュムスもまたラテン語文法の伝統から影響を受けていると指摘する。

ヒエロニュムスの翻訳の理論的な側面と彼の翻訳の実際の性質については、それぞれいくつもの研究がなされてきたが、Benjamin Kedar-KopfsteinとSebastian Weigertを除いて、彼の理論を実際の翻訳と比較してみる研究はなかった。一方で、Kedar-KopfsteinもWeigertも、ヒエロニュムスのラテン語に対する見解について考察しなかった。それをしたのがMichael Gravesだった(ただしGravesの研究は聖書翻訳そのものではなく『エレミヤ書注解』が対象である)。Gravesは、ヒエロニュムスがラテン語文法の伝統を自身のヘブライ語テクストの翻訳に適用したことを説得的に示した。

ギリシアの学術から発生したラテン語文法は、次の4つの部分から成っている(ウァッローの用語)。すなわち、「読解(lectio)」「説明(enarratio)」「校訂(emendatio)」「評価(iudicium)」である。「読解」は、表現、アクセント、綴りなどを含むテクストの正しい読みのこと。「説明」は比喩表現、普通でない語、複雑なシンタックスといった難しい箇所の説明のこと。この「説明」は聖書翻訳と深く関わっており、さらに4つの下位分野に分けられる:文法的・言語的説明、ヒストリアの解釈、スタイルや詩的言語への注意、パラフレーズや語源学による難しい語(glossae)の説明である。「校訂」は単なる本文批評だけではなく、文中の誤りの修正なども含む。「評価」は作品の評価であり、注解、書簡、序文などに出てくるが、翻訳テクスト上には出てこない。

「読解」は現代的に言えば「文法的変換(grammatical transformation)」や「文脈的操作(contextual manipulation)」などと言える。これは、たとえばヘブライ語とラテン語の数の違いを説明することや、文章を正しく区切ること(クインティリアヌスによれば、distinctio)などを含む。

「説明」は、難しかったり普通でない語(glossemata)の解釈である。起点テクストでは言語的に暗示的なところを、目標テクストでは明示的に変える。ときにid estやquod significat quid est hocなどといった定式で導かれるパラフレーズ的な形式を取ることもある。いわゆる形式文法はこのカテゴリーに入る。文中で繰り返し同じ語を用いないように「変化(variatio)」をつけるのは、ラテン語ではエレガントなこととされるが、そうすることによって、せっかく「説明」によって取り去られた不明瞭さがまた出てきてしまう。ヒエロニュムスのつける「変化」は意味に影響を与えない場合も与えてしまう場合もある。「説明」という観点によって、ある言語独特の数や時制の感覚を理解したり、ヘブライ語の文章表現を再現するために廻説的表現を用いたり、修辞的効果よりも科学的な細部に注目したり(「ヒストリア」)、ウェルギリウスのテクストとの間テクスト性を理解したり、さらにはヘブライ語の言葉遊びをラテン語で再現したりすることが可能になった。

「校訂」は本文批評だけでなく、起点テクストを意味論的あるいは統語論的に変化させることも含んでいる。これは解釈の伝統ではなく、テクストの伝承や言語的システムに依拠した改変である。中でも顕著なのは、聖書ヘブライ語に特徴的なパラタクシスをヒュポタクシスに変えることである。ヘブライ語のパラタクシス構造をラテン語で扱うには、3つの方法がある。第一に、文字通りに繋辞etでつなぐ。第二に、それぞれの繋辞を等位接続詞や従位接続詞に変えて、文章同士の関係を説明する。第三に、文章を繋辞でつなぐのではなく分詞に変えて従属させる。第三の方法は統語論的には最も大きな変化だが、実は意味論的にはヘブライ語に最も近い。というのも、本動詞に対する分詞の意味は、ヘブライ語の繋辞と同様に、あくまで文脈が決めるからである。ヒエロニュムスの訳文は、この第三(および第二)の方法が多用されている点で、他の翻訳と大きく異なっている。キケローのスタイルを学んだヒエロニュムスは、ラテン語的な雄弁を犠牲にすることはできなかったのである。彼はパラタクシスを維持する場合でも、小辞を入れて文章同士の関係性を明らかにしたし、維持をやめて思い切って関係節や独立奪格に変えることもあった。ヘブライ語で冗長だったり反復されている箇所を削除して単純化することもあった。

目標言語やその文化が翻訳に影響を及ぼすのはよくあることである。翻訳上の変化は、古代末期ラテン語文献学という、ヒエロニュムスのいた文脈を教えてくれる。「説明」は、ヘブライ語のみに依拠している、いくつものnon-obligatory shiftsを説明し、「読解」や「校訂」はobligatory shiftsの理解の枠組みを与えてくれる。フィロンが証言する七十人訳の訳者たちのように、ヒエロニュムスはヘブライ語テクストに直に向き合ったが、一方で『アリステアスの手紙』の物語のように、彼もまた他の諸訳との対話をしながら翻訳したのだった。

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