- Natalio Fernández Marcos, The Septuagint in Context: Introduction to the Greek Version of the Bible (trans. Wilfred G.E. Watson; Atlanta: Society of Biblical Literature, 2000), 204-22.
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本論文は、七十人訳の概説書における『ヘクサプラ』の項である。『ヘクサプラ』を語るに当たって重要なことは、オリゲネスのヘブライ語能力の問題である。エウセビオスとヒエロニュムスは、オリゲネスこそがヘブライ語を学んだ最初のキリスト者だと述べる。しかしながら、現代の研究者の中には、オリゲネスのヘブライ語能力はアレフベートの域を出ず(H. Lietzmann)、『ヘクサプラ』の最初の2つの欄は彼のユダヤ人教師の仕事である(C.J. Elliott)と考える者がいる。もう少し楽観的に、『ヘクサプラ』を独力で作成できるほどではないが、多少は知っている(P. Kahle)とか、表面的にであはあるが知っている(R.P.C. Hanson, G. Bardy)と見なす者もいる。いわば、ユダヤ人教師との交流があったことは確かだが、ヘブライ語の上ではさほどではない(N. de Lange)。とはいえ、彼を現代のものさしで測るのは適当ではない(S.P. Brock)。
『ヘクサプラ』と共に『テトラプラ』が語られることもあるが、それは単に最初の2つの欄がない『ヘクサプラ』ではなく、さまざまに異なっている。オリゲネスは最初に『テトラプラ』を手がけ、それから『ヘクサプラ』を作成したと考える者もいる(P. Nautin)。しかし、『テトラプラ』は『ヘクサプラ』から独立したものではないと考える者もいる(H.M. Orlinsky, D. Barthelemy)。他に『ペンタプラ』、『ヘプタプラ』、『オクタプラ』もある。
『マタイ福音書注解』によると、オリゲネスは校訂記号を用いて七十人訳とヘブライ語テクストとの異同を示した。『アフリカヌスへの手紙』では、主として護教論的な目的のために『ヘクサプラ』を作成したと述べている。これは、ユダヤ人との論争において、キリスト者がヘブライ語テクストにはない箇所を引用することがないように、また彼らが七十人訳にない箇所をも利用することができるようにするためである。校訂記号は、オリゲネスがテクストに挿入したすべての修正を正確に伝えるためにはあまりにもシンプルなものだった。というのも、それらはただ付加と欠損を示すためだけにしか使えなかったからである。箴言において、彼はアステリスコス記号とオベロス記号の組み合わせを用いて、テクストの転置を示した。しかしながら、彼は他の変化を表すための記号を持たなかった。
『ヘクサプラ』は大部なので、コピーはされなかった。エウセビオスとパンフィロスは七十人訳部分のみを回覧し、コンスタンティヌス帝はエウセビオスに命じてそれを50部作らせた。校訂記号つきの改訂七十人訳(第5欄)のみが出回っていたことは、いくつかの写本から明らかである。19世紀までは、改訂七十人訳しか残っていないと考えられていたが、それ以外の欄をも含む写本が、1896年にミラノのメルカーティ断片として、また1900年にカイロ・ゲニザでの断片として発見された。ただし、第5欄には校訂記号はなく、また第6欄にはテオドティオンではなくクインタが採録されていた。
『ヘクサプラ』の欄については、第5欄と第2欄に関する議論が多い。第5欄には校訂記号がなかったと考える者たちもいれば(Mercati, Kahle, Lietzmann, Procksh, Pretzl)、あったと考える者たちもいる(Field, Brock, Soisalon-Soininen, Johnson)。肯定派は、オリゲネス本人とヒエロニュムスの証言に依拠しているが、否定派は、記号つきの『ヘクサプラ』の写本は見つかっていないし、そもそも共観聖書なのだから、わざわざ記号を付けなくても比較すればよいだけであると主張する。これに対し、肯定派は、写本の伝承過程で記号は失われたと反論する。
第2欄の転写については、もともとユダヤ人の間でそういうものがあったのか(Kahle)、それとも『ヘクサプラ』用に新しく作られたものなのか(F.X. Wutz, Mercati, J.A. Emerton)、また転写は『ヘクサプラ』全体にあったのか、それともそうではなかったのか、という議論がある。さらに、何のためにあるのかについては、ユダヤ人との議論のためにヘブライ語を学べるように(Orlinsky)というものや、子音のみで表されたヘブライ語テクストを母音化するシステムのために(Emerton)というものがある。
『マタイ福音書注解』によると、オリゲネスは校訂記号を用いて七十人訳とヘブライ語テクストとの異同を示した。『アフリカヌスへの手紙』では、主として護教論的な目的のために『ヘクサプラ』を作成したと述べている。これは、ユダヤ人との論争において、キリスト者がヘブライ語テクストにはない箇所を引用することがないように、また彼らが七十人訳にない箇所をも利用することができるようにするためである。校訂記号は、オリゲネスがテクストに挿入したすべての修正を正確に伝えるためにはあまりにもシンプルなものだった。というのも、それらはただ付加と欠損を示すためだけにしか使えなかったからである。箴言において、彼はアステリスコス記号とオベロス記号の組み合わせを用いて、テクストの転置を示した。しかしながら、彼は他の変化を表すための記号を持たなかった。
『ヘクサプラ』は大部なので、コピーはされなかった。エウセビオスとパンフィロスは七十人訳部分のみを回覧し、コンスタンティヌス帝はエウセビオスに命じてそれを50部作らせた。校訂記号つきの改訂七十人訳(第5欄)のみが出回っていたことは、いくつかの写本から明らかである。19世紀までは、改訂七十人訳しか残っていないと考えられていたが、それ以外の欄をも含む写本が、1896年にミラノのメルカーティ断片として、また1900年にカイロ・ゲニザでの断片として発見された。ただし、第5欄には校訂記号はなく、また第6欄にはテオドティオンではなくクインタが採録されていた。
『ヘクサプラ』の欄については、第5欄と第2欄に関する議論が多い。第5欄には校訂記号がなかったと考える者たちもいれば(Mercati, Kahle, Lietzmann, Procksh, Pretzl)、あったと考える者たちもいる(Field, Brock, Soisalon-Soininen, Johnson)。肯定派は、オリゲネス本人とヒエロニュムスの証言に依拠しているが、否定派は、記号つきの『ヘクサプラ』の写本は見つかっていないし、そもそも共観聖書なのだから、わざわざ記号を付けなくても比較すればよいだけであると主張する。これに対し、肯定派は、写本の伝承過程で記号は失われたと反論する。
第2欄の転写については、もともとユダヤ人の間でそういうものがあったのか(Kahle)、それとも『ヘクサプラ』用に新しく作られたものなのか(F.X. Wutz, Mercati, J.A. Emerton)、また転写は『ヘクサプラ』全体にあったのか、それともそうではなかったのか、という議論がある。さらに、何のためにあるのかについては、ユダヤ人との議論のためにヘブライ語を学べるように(Orlinsky)というものや、子音のみで表されたヘブライ語テクストを母音化するシステムのために(Emerton)というものがある。
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