- N.R.M. de Lange, "The Letter to Africanus: Origen's Recantation?," in Studia Patristica 16: Papers Presented to the Seventh International Conference on Patristic Studies held in Oxford 1975, ed. Elizabeth A. Livingstone (Berlin: Akademie-Verlag, 1985), 242-47.
Studia Patristica. Vol. XVI - Monastica Et Ascetica, Orientalia, E Saeculo Secundo, Origen E. A. Livingstone Peeters Pub & Booksellers 2003-07-01 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools |
オリゲネスの『アフリカヌスへの手紙』(以下『手紙』)は、ダニエル書のカテーナの中に伝えられている。もともとはエウセビオスによって編纂されたオリゲネス全集からカテーナ作者によって抜粋されたものと思われる。ただし、はじめから出版を意図して書かれたものであるかどうかは、論文著者によれば、きわめて疑わしい。
『手紙』が書かれたのがいつかは不明だが、オリゲネスによれば、彼がニコメディアにアンブロシオスと共にいた頃のことだという。それがいつかというと、オリゲネスの2回目のギリシア滞在時のことと思われる。この頃すでに『ヘクサプラ』の作成はだいぶ進んでおり、オリゲネスはユダヤ人の土地で長い時間を過ごしていた。そこから、どうやら230年代の後半頃の作といえる。
アフリカヌスが『スザンナ』の物語について、それがダニエル書の一部分として不適当だと書いてきた手紙に対し、オリゲネスは長い返信を書いている。この『手紙』は二部構成で、第二部ではアフリカヌスの論点のひとつひとつを吟味している。第一部は導入で、アフリカヌスが旧約文書として受け入れられているのはヘブライ語からギリシア語に訳されたものだと述べていることに対し、オリゲネスは教会の聖書であるギリシア語聖書の権威を主張する。
『手紙』の一般的な解釈は、オリゲネスはユダヤ人の聖書について学ぶが、それは護教論的な理由からであり、また『ヘクサプラ』作成の理由はユダヤ人との論争で使うためというものである。しかし、論文著者はこの理解は再考を要すると述べる。注目すべきは、第一に、『手紙』の前半と後半は独立しており、後半ではアフリカヌスの論点をほぼ無視して七十人訳問題を論じている。第二に、『手紙』の語調は攻撃的かつ自己防衛的である。これは、オリゲネスが教会の聖書をユダヤ人のそれと取り替えて、教会を貶めようとしているとして攻撃されていたからである。オリゲネスはこれに反論して、自分がユダヤ人との論争のための武器を作っているのだと述べたわけである。
実際には、ユダヤ人との論争のためであるわけがない。論争で取り上げられる箇所などわずかなものなのに、オリゲネスは聖書全体を扱っている。また、もしオリゲネスが本当に七十人訳に自信を持っているのなら、それを霊感を受けたテクストとしてユダヤ人にも受け入れさせようとしなかったのか。それは、オリゲネスは実は七十人訳をそのように考えてはいなかったからである。
『マタイ福音書注解』では、ユダヤ人との論争のためではなく、七十人訳のさまざまなテクスト間の不一致を癒すことを試みたと述べている。七十人訳が異なっているところで、諸ギリシア語訳を基準として用いたのである。彼は、ヘブライ語テクストに見出されない箇所を七十人訳上でオベロス記号を付し、七十人訳に見出されない箇所をアステリスコス記号と共に諸ギリシア語訳から付加した。
釈義的著作においてオリゲネスはいくつかのギリシア語諸訳に言及するが、それは対ユダヤ人というよりも、純粋に学術的な関心からである(『エレミヤ書講話』15.5, 16.5、『ヨハネ福音書注解』6.41)。このとき彼は、ユダヤ人と論争するために諸訳を学んだというよりは、むしろ七十人訳の不備を克服するためにユダヤ人に助けを求めている。
こうしたことから、論文著者は『手紙』におけるオリゲネスの記述は正直でないと結論付ける。彼はヘブライ語テクストが七十人訳に勝ると公には言わなかったが、そう信じていた。彼は七十人訳とそれが教会で占めている地位に対する敬いによって制限されていただけでなく、彼がユダヤ人に媚びているとして彼を批判するような教会伝統の擁護者たちからの攻撃によっても制限されていた。そこで、彼は自分が教会の聖書の擁護者であることを公に示そうとしたのだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿