- Andrew S. Jacobs, Epiphanius of Cyprus: A Cultural Biography of Late Antiquity (Christianity in Late Antiquity 2; Oakland, Cal.: University of California Press, 2016), 1-29, 132-75.
Epiphanius of Cyprus: A Cultural Biography of Late Antiquity (Christianity in Late Antiquity) Andrew S. Jacobs Univ of California Pr 2016-07-05 売り上げランキング : 98283 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
研究者の間でサラミスのエピファニオスはとかく評判が悪い。彼は反知性的な浅い神学を持った民衆扇動家であり、性格の悪い異端のハンターだと見なされてきた。同時代の教父たちがギリシアのパイデイアに精通しており、その上に新しいキリスト教文化を築こうとしたのに対し、彼は無教養だった。しかしながら、いかにエピファニオスに問題が多くとも、当時の社会に対して大きな影響力を持つ人物であったことに変わりはない。彼を無視して、歴史研究者の関心に適うキーパーソンたち(たとえば、クリュソストモス、カッパドキア教父、アタナシオス、アウグスティヌス、アンブロシウス)のみを取り上げてばかりでは、同じような研究を再生産するだけである。
そこで著者は、エピファニオスを通して、キリスト教古代末期を理解するためのフレームワークを広げることを本書の目的としている。そしてその試みを「文化的伝記」と呼んでいる。なぜなら、エピファニオスの人生を学ぶことで、キリスト教文化の新しい理解を得るからである。多くの教父たちが異教の価値を認め、それをキリスト教化し、対立を解消しようと腐心したのに対し、エピファニオスはそのような対立や分裂には頓着しなかった。
エピファニオスは多作な作家ではなかった。またその作品はアドリブで口語的なギリシア語で書かれており、推敲もあまりされていなかったようである。書簡もわずかに残っているが、彼は書簡で自らの文学的なペルソナを形作ろうとはしなかった。エピファニオスの本領は『パナリオン』や『尺度と重さについて』などの論文で発揮された。
そこで著者は、エピファニオスを通して、キリスト教古代末期を理解するためのフレームワークを広げることを本書の目的としている。そしてその試みを「文化的伝記」と呼んでいる。なぜなら、エピファニオスの人生を学ぶことで、キリスト教文化の新しい理解を得るからである。多くの教父たちが異教の価値を認め、それをキリスト教化し、対立を解消しようと腐心したのに対し、エピファニオスはそのような対立や分裂には頓着しなかった。
エピファニオスは多作な作家ではなかった。またその作品はアドリブで口語的なギリシア語で書かれており、推敲もあまりされていなかったようである。書簡もわずかに残っているが、彼は書簡で自らの文学的なペルソナを形作ろうとはしなかった。エピファニオスの本領は『パナリオン』や『尺度と重さについて』などの論文で発揮された。
エピファニオスの聖書解釈は、しばしば寓意や比喩的解釈を理解せず、単純な字義的解釈に留まっていると言われてきた。しかしながら、著者はその一見欠点に見える特徴を、世界の知識を統一的に習得することを目指す「古物研究(antiquarian writing)」の伝統から説明する。この伝統は、大プリニウス、ウァッロー、プルタルコス、ゲッリウスから、セビーリャのイシドロスまで連綿と続くものである。彼ら古物研究家たちは、全然関係のない文化材料を取り上げて、その文化のイメージを伝えるフォーマットにまとめた。彼らの著作は乱雑で統一的な原理を欠いていたが、秩序がないわけではない。既存の知識をマッピングし植民地化する帝国のような統合力を持っていた。
エピファニオスの聖書解釈のモードには、古物研究が強く反響している。それは、オリゲネスの哲学的な聖書解釈のような明確な構造を持たず、ガラクタのようにも見えるが、包括的で総合的である。エピファニオスを修辞や哲学のレンズを通してみると、奇妙に直解主義的な字義的解釈や思いがけない逸脱、リスト、数、論理的なギャップが目に付くが、代わりに地理、歴史、政治、教義、名前、引用、断定、予言など多くの情報を得られる。エピファニオスの目的は説得ではなく、カタログを提供することであった。
エピファニオスの聖書解釈のモードには、古物研究が強く反響している。それは、オリゲネスの哲学的な聖書解釈のような明確な構造を持たず、ガラクタのようにも見えるが、包括的で総合的である。エピファニオスを修辞や哲学のレンズを通してみると、奇妙に直解主義的な字義的解釈や思いがけない逸脱、リスト、数、論理的なギャップが目に付くが、代わりに地理、歴史、政治、教義、名前、引用、断定、予言など多くの情報を得られる。エピファニオスの目的は説得ではなく、カタログを提供することであった。
エピファニオスの論文のひとつである『尺度と重さについて』は、聖書における尺度と重さのみならず、聖書の構造や内容と地名に関しても議論している(2-8)。エピファニオスは、まず聖書の校訂記号(アステリスコス、オベロス、レムニスコス、ヒュポレムニスコス)を説明している。
こうしたエピファニオスの著作は、他の教父たちのように、古典古代をキリスト教化しようとしたわけではない。古物研究的な著作の前では、古典とキリスト教とは結び合わされ、強められているからである。Michael Robertsは、古代末期の詩歌を「宝石に飾られたスタイル(jeweled style)」と呼んだが、著者はこれに倣って、エピファニオスの聖書を「宝石に飾られた聖書」と呼んでいる。そうした意味ではエピファニオスの聖書理解はユニークなものではなく、時代に即している。彼は聖書を知識のソース、また古物研究の対象と見なしたのだった。
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