- W.J. Verdenius, Homer, The Educator of the Greeks (Mededelingen der Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen, Afd. Letterkunde, Nieuwe Reeks, deel 33, No. 5; Amsterdam: North-Holland Publishing, 1970).
Homer, the educator of the Greeks (Mededelingen der Koninklijke Nederlandse Akademie van Wetenschappen, afd. Letterkunde. Nieuwe Reeks, deel 33, no. 5) W. J Verdenius North-Holland Pub. Co 1970 Sales Rank : See details at Amazon by G-Tools |
本書の中で、著者は以下の二つの点を検証すると宣言している。第一に、詩人ホメロスはギリシア人に教育的な影響を与えたのか、そして与えたとすればその影響は他の詩人によるそれよりも大きいのか。第二に、ホメロスはどのような点について人々を教導しようとしたのか。言い換えれば、彼の作品はどの程度まで教訓的な詩であるといえるのか。
研究史においては、Werner Jaegerによる研究が代表的である。Jaegerによれば、古代のギリシア人たちは常にホメロスを教育者として見なしてきたという。そしてホメロス自身の教育的な意図も大きなものだったと評価している。しかしながら、論文著者は、次第に研究者たちはホメロスの教育的な意図を否定する方向に向かっているとする。そこで、著者自身は、ホメロスのギリシア文化への影響を検証するために、時間的には古典期に絞り、また芸術・文学・哲学への影響ではなく、一般の人々の考え方や生活への影響を調べることに集中することにした。
ギリシアにおいて「詩人」といえばホメロスのことを指すことからも分かるように、ホメロスは広く読まれていた。その影響力の大きさから、しばしばホメロス自身が神格化されることもあった。そうした意味で、彼の作品は「ギリシア人の聖書」であったのである。しかし、教育プログラムにおいては、ホメロスはしばしば聖書以上の文化的な力を持っていたともいえる。生徒たちは読み書きを学ぶときにホメロスを習い、暗記することを求められた。ホメロスの学習は単に読み書きだけのためではなく、徳を養うためでもあった。アイスキュロスやクセノファネスも、ホメロスから徳を学べることを指摘している。
研究史においては、Werner Jaegerによる研究が代表的である。Jaegerによれば、古代のギリシア人たちは常にホメロスを教育者として見なしてきたという。そしてホメロス自身の教育的な意図も大きなものだったと評価している。しかしながら、論文著者は、次第に研究者たちはホメロスの教育的な意図を否定する方向に向かっているとする。そこで、著者自身は、ホメロスのギリシア文化への影響を検証するために、時間的には古典期に絞り、また芸術・文学・哲学への影響ではなく、一般の人々の考え方や生活への影響を調べることに集中することにした。
ギリシアにおいて「詩人」といえばホメロスのことを指すことからも分かるように、ホメロスは広く読まれていた。その影響力の大きさから、しばしばホメロス自身が神格化されることもあった。そうした意味で、彼の作品は「ギリシア人の聖書」であったのである。しかし、教育プログラムにおいては、ホメロスはしばしば聖書以上の文化的な力を持っていたともいえる。生徒たちは読み書きを学ぶときにホメロスを習い、暗記することを求められた。ホメロスの学習は単に読み書きだけのためではなく、徳を養うためでもあった。アイスキュロスやクセノファネスも、ホメロスから徳を学べることを指摘している。
ギリシア人は子供のときに一度ホメロスを習っておしまいというわけではなく、吟遊詩人の朗誦を通して、何度も新たに学びなおした。プラトンの『イオー』は、そうした吟遊詩人たちによる涙を誘う感動的な朗誦を伝えている。しかも詩人たちはホメロスを吟じるだけでなく、詩についての講義も行ったことが知られている。一方で、ソフィストたちもホメロスの称賛者として、ホメロスについて語っていた。しかし、彼らは自身の理論を証明するために、ときにホメロスを批判することもあった。むろんホメロスを語るのは吟遊詩人とソフィストだけでなく、プラトン『プロタゴラス』冒頭に出てくるソクラテスの友人のように、普通の人物が何にでもホメロスを引き合いに出すということがしばしばあった。
ホメロスの詩に倫理的な模範を見出すことも行われていた。アナクサゴラスやピタゴラス主義者たち、さらにはアリストテレスまでもが、ホメロスの詩から倫理的な教訓を引き出すことがあった。これに対し、プラトンはそうした試みを一切せず、ホメロスを批判的に扱うことで知られている。しかし、逆に言えば、プラトンがホメロスを批判的に扱わなければならないほど、当時の人々の間でホメロスの倫理的な影響力が大きかったともいえる。
プラトンは、ホメロスの詩が人々を善へと導かず、理性よりもむしろ感情に頼らせてしまう点を批判していた。さらにプラトンによれば、ホメロスが神話を破壊したことも咎められるべきであるという。ホメロスの詩に出てくる神々の所業を後ろ盾に、自分のしでかした不始末を正当化する者たちがいたのである。その例としては、前3世紀の哲学者メニッポスの記述が挙げられている。一方で、プラトンはホメロスがギリシアに与えた影響すべてが悪かったわけではないとも認めている。ギリシアの徳の要素がホメロスの詩から発展したこともまた否めないのである。それゆえに、プラトンは作中でソクラテスにホメロスを引用させ、自身の理論を証明したりする場面もある。そのように、もともとの文脈を無視してホメロスを引用し、自身の説を裏付けるという行為はよく行われていた。この点も聖書によく似ている。
ホメロスの詩の引用は、政治的な文脈、技術的な文脈(家事、戦争、修辞)などでも見られる。ホメロスの詩の登場人物の特徴を、自分の身の回りの人に当てはめるような遊びも行われることがあったという。これは特に酒席での余興のようなかたちで行なわれた。
宗教に関するホメロスの教育的な影響も大きい。作品の中でも、神託やまじないや魔除けなどが登場する。ヘロドトスによれば、ホメロスとヘシオドスは神々を体系化し、名前を与え、役割によって組織化したという。つまりオリュンポスのパンテオンはホメロスによって体系化されたのである。神のイメージに関して、たとえばアテーナがフクロウを従えるという典型的なイメージも、ホメロスの詩に由来する。
ホメロス自身の教育的な意図に関しては、論文著者によれば明らかにJaegerの説は行き過ぎであったが、Eric Havelockは、ホメロスの教育論の倫理的な側面ではなく、百科全書的な側面は認めるべきであると述べている。そうしたホメロスの教育的な意図を感じられる例として、論文著者は7つのポイントを挙げている。ただし、神学的な教訓主義は、『イーリアス』よりも『オデュッセイア』に多く見られるものだとも指摘している。
結論としては、ホメロスの叙事詩は、『オデュッセイア』のセイレーンの歌でも述べられているように、快楽と知識とを与えてくれるものであった。そうした意味で、ホメロスが第一に文学的な快楽を目的としていたとしても、教育的な意図をも持っていたことは疑いない。ホメロスの詩は一つの目的でくくることはできないのである。教訓詩であるヘシオドスが100パーセント教訓的でないように、ホメロスの詩も100パーセント英雄的なものでもないのである。
ホメロスの詩に倫理的な模範を見出すことも行われていた。アナクサゴラスやピタゴラス主義者たち、さらにはアリストテレスまでもが、ホメロスの詩から倫理的な教訓を引き出すことがあった。これに対し、プラトンはそうした試みを一切せず、ホメロスを批判的に扱うことで知られている。しかし、逆に言えば、プラトンがホメロスを批判的に扱わなければならないほど、当時の人々の間でホメロスの倫理的な影響力が大きかったともいえる。
プラトンは、ホメロスの詩が人々を善へと導かず、理性よりもむしろ感情に頼らせてしまう点を批判していた。さらにプラトンによれば、ホメロスが神話を破壊したことも咎められるべきであるという。ホメロスの詩に出てくる神々の所業を後ろ盾に、自分のしでかした不始末を正当化する者たちがいたのである。その例としては、前3世紀の哲学者メニッポスの記述が挙げられている。一方で、プラトンはホメロスがギリシアに与えた影響すべてが悪かったわけではないとも認めている。ギリシアの徳の要素がホメロスの詩から発展したこともまた否めないのである。それゆえに、プラトンは作中でソクラテスにホメロスを引用させ、自身の理論を証明したりする場面もある。そのように、もともとの文脈を無視してホメロスを引用し、自身の説を裏付けるという行為はよく行われていた。この点も聖書によく似ている。
ホメロスの詩の引用は、政治的な文脈、技術的な文脈(家事、戦争、修辞)などでも見られる。ホメロスの詩の登場人物の特徴を、自分の身の回りの人に当てはめるような遊びも行われることがあったという。これは特に酒席での余興のようなかたちで行なわれた。
宗教に関するホメロスの教育的な影響も大きい。作品の中でも、神託やまじないや魔除けなどが登場する。ヘロドトスによれば、ホメロスとヘシオドスは神々を体系化し、名前を与え、役割によって組織化したという。つまりオリュンポスのパンテオンはホメロスによって体系化されたのである。神のイメージに関して、たとえばアテーナがフクロウを従えるという典型的なイメージも、ホメロスの詩に由来する。
ホメロス自身の教育的な意図に関しては、論文著者によれば明らかにJaegerの説は行き過ぎであったが、Eric Havelockは、ホメロスの教育論の倫理的な側面ではなく、百科全書的な側面は認めるべきであると述べている。そうしたホメロスの教育的な意図を感じられる例として、論文著者は7つのポイントを挙げている。ただし、神学的な教訓主義は、『イーリアス』よりも『オデュッセイア』に多く見られるものだとも指摘している。
結論としては、ホメロスの叙事詩は、『オデュッセイア』のセイレーンの歌でも述べられているように、快楽と知識とを与えてくれるものであった。そうした意味で、ホメロスが第一に文学的な快楽を目的としていたとしても、教育的な意図をも持っていたことは疑いない。ホメロスの詩は一つの目的でくくることはできないのである。教訓詩であるヘシオドスが100パーセント教訓的でないように、ホメロスの詩も100パーセント英雄的なものでもないのである。
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