- G.M.A. Grube, "Theophrastus," inThe Greek and Roman Critics (London: Methuen, 1965), pp. 103-9.
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古代における文学批評上の2つの定式がテオフラストスに帰されているが、著者はそれらが本当にテオフラストスに始まるものなのかを検証している。テオフラストスの著書は幅広い分野に及んでいるが、わずかなものを除いてほとんど残っていない。
テオフラストスの見解は、基本的に常に師であるアリストテレスのそれと一致しているが、これは彼がただ師の受け売りだけをしていたということを意味しない。テオフラストスはアリストテレスの見解をより明確にし、発展させてもいる。これは特に、散文のリズムに関する議論において見ることができる。またテオフラストスは、アリストテレスよりも詩の教育的な効果を強調した。さらに、彼は文章の威厳は、言葉の選択、言葉の並び、そしてその形式(σχήματα)によって決まると述べているが、ここでの「スケーマタ」という言葉の使用は彼に特有のものである。
テオフラストスによれば、弁論には2つの観点、すなわち「内容」と「聴衆への効果」があり、哲学者が前者を重視するのに対し、詩人や修辞学者は後者を重視するのだという。これもアリストテレスが述べていたことではあるが、アリストテレスが哲学者と詩人との観点の違いをさほど明確に区別していなかったのに対し、テオフラストスはそれをはっきりと分けたのだった。
このように、テオフラストスはアリストテレスの概念を繰り返したり、解釈したりしつつ、自分自身の見解を付け加えたが、アリストテレスの見解と食い違うようなことはついぞなかった。
テオフラストスに帰される定式の一つ目は、文学におけるスタイルの四つの徳目(four virtues of style)である。アリストテレスはこの文学スタイルの徳目として、「明晰さ」のみを挙げているが、テオフラストスは「言語の純粋さ」、「適切さ(πρέπον)」、そして「装飾」を挙げている。これらの4つを特権的に徳目として選んだのはテオフラストスなのか、またそれを徳目と呼んだのも彼が初めてなのだろうか。これをテオフラストスに帰しているのはキケローであるが、論文著者によれば、キケローはこうした専門用語を極めて不用意に使う人物なので、彼の証言は当てにならないという。それゆえに、この定式をテオフラストスの独創と考えることは難しそうである。
定式の二つ目は、文学における三つのスタイル(three styles)である。すべての作家や弁論家は、時と場合に応じて、「素朴(plain)」、「壮大(grand)」、そしてその「中間(intermediate)」のスタイルを使い分けることを求められていたが、テオフラストスはこの「三つのスタイル(τρίτη λέξις)」を区分けたと考えられていた。テオフラストスは、壮大な弁論と素朴な弁論との中間のスタイルとして、カルケドンのトラシュマコスを挙げているのだという。ここからは、テオフラストスがゴルギアスのような壮大な弁論とリュシアスのような素朴な弁論と、さらにその中間のトラシュマコスの弁論とを想定していたことがはっきりと分かる。しかし、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、トラシュマコス自身がこうした三っつのスタイルを想定して自身を中間に位置づけたとしているようなので、やはりこの定式もテオフラストスのみに帰することは難しい。
以上のことから、やはりテオフラストスの特徴は、その関心の広さと、彼の師であるアリストテレスの見解の言い換え、詳細な説明、そしてその仕上げといえそうである(ただし、後4世紀のラテン文法家ディオメデスによれば、テオフラストスによる悲劇の定義は彼の独創であったと述べてはいる)。
テオフラストスの見解は、基本的に常に師であるアリストテレスのそれと一致しているが、これは彼がただ師の受け売りだけをしていたということを意味しない。テオフラストスはアリストテレスの見解をより明確にし、発展させてもいる。これは特に、散文のリズムに関する議論において見ることができる。またテオフラストスは、アリストテレスよりも詩の教育的な効果を強調した。さらに、彼は文章の威厳は、言葉の選択、言葉の並び、そしてその形式(σχήματα)によって決まると述べているが、ここでの「スケーマタ」という言葉の使用は彼に特有のものである。
テオフラストスによれば、弁論には2つの観点、すなわち「内容」と「聴衆への効果」があり、哲学者が前者を重視するのに対し、詩人や修辞学者は後者を重視するのだという。これもアリストテレスが述べていたことではあるが、アリストテレスが哲学者と詩人との観点の違いをさほど明確に区別していなかったのに対し、テオフラストスはそれをはっきりと分けたのだった。
このように、テオフラストスはアリストテレスの概念を繰り返したり、解釈したりしつつ、自分自身の見解を付け加えたが、アリストテレスの見解と食い違うようなことはついぞなかった。
テオフラストスに帰される定式の一つ目は、文学におけるスタイルの四つの徳目(four virtues of style)である。アリストテレスはこの文学スタイルの徳目として、「明晰さ」のみを挙げているが、テオフラストスは「言語の純粋さ」、「適切さ(πρέπον)」、そして「装飾」を挙げている。これらの4つを特権的に徳目として選んだのはテオフラストスなのか、またそれを徳目と呼んだのも彼が初めてなのだろうか。これをテオフラストスに帰しているのはキケローであるが、論文著者によれば、キケローはこうした専門用語を極めて不用意に使う人物なので、彼の証言は当てにならないという。それゆえに、この定式をテオフラストスの独創と考えることは難しそうである。
定式の二つ目は、文学における三つのスタイル(three styles)である。すべての作家や弁論家は、時と場合に応じて、「素朴(plain)」、「壮大(grand)」、そしてその「中間(intermediate)」のスタイルを使い分けることを求められていたが、テオフラストスはこの「三つのスタイル(τρίτη λέξις)」を区分けたと考えられていた。テオフラストスは、壮大な弁論と素朴な弁論との中間のスタイルとして、カルケドンのトラシュマコスを挙げているのだという。ここからは、テオフラストスがゴルギアスのような壮大な弁論とリュシアスのような素朴な弁論と、さらにその中間のトラシュマコスの弁論とを想定していたことがはっきりと分かる。しかし、ハリカルナッソスのディオニュシオスは、トラシュマコス自身がこうした三っつのスタイルを想定して自身を中間に位置づけたとしているようなので、やはりこの定式もテオフラストスのみに帰することは難しい。
以上のことから、やはりテオフラストスの特徴は、その関心の広さと、彼の師であるアリストテレスの見解の言い換え、詳細な説明、そしてその仕上げといえそうである(ただし、後4世紀のラテン文法家ディオメデスによれば、テオフラストスによる悲劇の定義は彼の独創であったと述べてはいる)。
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