- G.M.A. Grube, "The Schools of Philosophy," inThe Greek and Roman Critics (London: Methuen, 1965), pp. 134-49.
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本章では、アカデメイア、ストア派、ペリパトス派、ヘルマゴラスの学派らが、どのように詩や修辞の理論を扱ったかについて説明されている。前2世紀のヘルマゴラスまでは、修辞学者よりも哲学者の方がむしろ、修辞的な理論のイニシアチブを取っていた。とはいえ、その姿勢は学派によって大きく異なってもいる。ただし、エピクロス派のみは修辞学にまったく意味を見出さず、文学批評の理論にいかなる貢献もしなかった。
アカデメイアの者たちは、プラトンの偏見を受け継ぎ、修辞学をあまり重視しなかった。プラトン自身は、文学批評に関しても、少なくともある程度の貢献をしたが、彼の弟子たちはまるで無関心だったようである。
ストア派は修辞学に強い関心を示した。中でも彼らが熱中したのは、語源学である。アレクサンドリアの文献学者たちが、語源学を単に言葉の歴史的な学問と捉えたのに対し、ストア派はオノマトペをもとに、ものそれ自体とその名前との自然的な関係性を考察した。その点で、analogistであったアレクサンドリア文献学者に対し、ストア派はanolmalistの性格を持っていた。ストア派は修辞学と弁証法との類似関係を指摘しつつ、ストア派的な哲学者のみがよき弁論家になれると主張した。ただし、ストア派は虚飾を好まないので、修辞的な徳目に簡潔さを加え、また形式よりも内容を重視した。一方で、哲学の真理に至るには詩的な工夫も必要と考えていたので、音のよさをないがしろにしたわけではなかった。
アリストテレスの議論を受け継いだペリパトス派は、文学と修辞学の歴史にも最大の影響を与えている。ただし、彼らが学派として何か独創的なことを主張したというより、アリストテレスとテオフラストスの独創的な見解に依拠して語っていたと見るべきである。たとえば、3種類の弁論(審議、法廷、演示)、5種類の修辞技法(創案、主題の配置、様式、提示法、記憶)、文学スタイルの4種類の徳目(正しい言葉、明晰さ、適切さ、装飾[、簡潔さ(ストア派)])などの定式は、基礎となる部分をアリストテレスとテオフラストスに依拠しつつ、ペリパトス派が定めたものである。ただし、文学の3種類のスタイル(素朴、壮大、その中間)や弁論の4部分(導入、物語、証明、結論)は、ペリパトス派のものとは考えにくい。特に弁論の4部分は、イソクラテスやテオデクテスなどによって、4つ以外の定式も提案されている。
またペリパトス派の文学理論で特筆すべきは、失われたアリストテレス『詩学』第2巻にあったと考えられる、喜劇の理論である。コイスリニアヌス小論(Tractatus Coislinianus)という掌編は、この失われたアリストテレスの理論を部分的でも含んでいると考えられている。その中で、笑いは言語による笑いと状況による笑いとの2つに分類され、それぞれさらに7つと9つの下位分野に分かれている。言語による笑いは、同音異義語、同意語、饒舌、類音語、指小語、言葉の変化、そして言葉の性などの誤りに分けられ、状況による笑いは、あることを別のもののようにすること、欺き、不可能性、非論理的な方法を通して潜在的な終わりに至ること、思いもよらぬこと、ある人物を実際よりも悪く描くこと、大衆的な踊り、よりよい選択が可能な中でのより悪い選択、そして論理的な手順を欠くことに分けられる。細かい点において疑いはあれど、大きなくくりではこれはアリストテレス的といえる。
ここまでは、哲学者が修辞学の理論を先取りしてきたが、前2世紀のヘルマゴラスがこうした議論を修辞学のフィールドに引き戻したのだった。彼は、弁論家の主題を、一般と特殊に分けた。また彼は弁論における4つの立場(事実、定義、質、異議)を定義した。こうした定式は、修辞学の歴史ならびに法律学の歴史にも属している。ヘルマゴラスによって再興された修辞学は、ローマ世界に伝えられた。
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ストア派は修辞学に強い関心を示した。中でも彼らが熱中したのは、語源学である。アレクサンドリアの文献学者たちが、語源学を単に言葉の歴史的な学問と捉えたのに対し、ストア派はオノマトペをもとに、ものそれ自体とその名前との自然的な関係性を考察した。その点で、analogistであったアレクサンドリア文献学者に対し、ストア派はanolmalistの性格を持っていた。ストア派は修辞学と弁証法との類似関係を指摘しつつ、ストア派的な哲学者のみがよき弁論家になれると主張した。ただし、ストア派は虚飾を好まないので、修辞的な徳目に簡潔さを加え、また形式よりも内容を重視した。一方で、哲学の真理に至るには詩的な工夫も必要と考えていたので、音のよさをないがしろにしたわけではなかった。
アリストテレスの議論を受け継いだペリパトス派は、文学と修辞学の歴史にも最大の影響を与えている。ただし、彼らが学派として何か独創的なことを主張したというより、アリストテレスとテオフラストスの独創的な見解に依拠して語っていたと見るべきである。たとえば、3種類の弁論(審議、法廷、演示)、5種類の修辞技法(創案、主題の配置、様式、提示法、記憶)、文学スタイルの4種類の徳目(正しい言葉、明晰さ、適切さ、装飾[、簡潔さ(ストア派)])などの定式は、基礎となる部分をアリストテレスとテオフラストスに依拠しつつ、ペリパトス派が定めたものである。ただし、文学の3種類のスタイル(素朴、壮大、その中間)や弁論の4部分(導入、物語、証明、結論)は、ペリパトス派のものとは考えにくい。特に弁論の4部分は、イソクラテスやテオデクテスなどによって、4つ以外の定式も提案されている。
またペリパトス派の文学理論で特筆すべきは、失われたアリストテレス『詩学』第2巻にあったと考えられる、喜劇の理論である。コイスリニアヌス小論(Tractatus Coislinianus)という掌編は、この失われたアリストテレスの理論を部分的でも含んでいると考えられている。その中で、笑いは言語による笑いと状況による笑いとの2つに分類され、それぞれさらに7つと9つの下位分野に分かれている。言語による笑いは、同音異義語、同意語、饒舌、類音語、指小語、言葉の変化、そして言葉の性などの誤りに分けられ、状況による笑いは、あることを別のもののようにすること、欺き、不可能性、非論理的な方法を通して潜在的な終わりに至ること、思いもよらぬこと、ある人物を実際よりも悪く描くこと、大衆的な踊り、よりよい選択が可能な中でのより悪い選択、そして論理的な手順を欠くことに分けられる。細かい点において疑いはあれど、大きなくくりではこれはアリストテレス的といえる。
ここまでは、哲学者が修辞学の理論を先取りしてきたが、前2世紀のヘルマゴラスがこうした議論を修辞学のフィールドに引き戻したのだった。彼は、弁論家の主題を、一般と特殊に分けた。また彼は弁論における4つの立場(事実、定義、質、異議)を定義した。こうした定式は、修辞学の歴史ならびに法律学の歴史にも属している。ヘルマゴラスによって再興された修辞学は、ローマ世界に伝えられた。
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