2017年2月18日土曜日

ハラハーとミドラッシュ Harris, How do we Know This?

  • Jay M. Harris, How do we Know This? Midrash and the Fragmentation of Modern Judaism (Albany: State University of New York Press, 1995).
How Do We Know This?: Midrash and the Fragmentation of Mdoern Judaism (Suny Series in Judaica, Hermeneutics, Mysticism and Religion)How Do We Know This?: Midrash and the Fragmentation of Mdoern Judaism (Suny Series in Judaica, Hermeneutics, Mysticism and Religion)
Jay M. Harris

State University of New York Press 1995-01
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本書は、法的ミドラッシュと聖書との関係性について歴史的に検証したものである。歴史的には、法的ミドラッシュと聖書との関係性を理解するするためには、二つのアプローチがあった。第一に、法的ミドラッシュは解釈学的方法によって聖書から導き出されたものと考えるもの。そして第二に、法的ミドラッシュは実用的な結果を伴わない学問的なものと考えるものである。第一のアプローチの問題点は、聖書から導き出されたように見える律法は、現代の文献学的な視点から見るとかなり無理があるものだということである。一方で、第二のアプローチの問題点は、聖書的根拠を欠く律法には果たしてどのような典拠と権威があるのかということである。

本書はこうしたアプローチの違いがユダヤ史には存在したことを明らかにした上で、特に近代においては、ある者がユダヤ教の伝統の継続をどのように考えているかということが、ラビ・ユダヤ教の歴史の理解、そして法的ミドラッシュの理解に大きく作用していることを指摘する。たとえば、ラビ・ユダヤ教を否定的に捉える者たちは、その否定的な態度を正当化するために、ラビたちが作り上げた伝統は聖書を文献学的には不正確に用いたミドラッシュに基づいていると捉えてしまう。一方で、ラビ・ユダヤ教を肯定的に捉える者たちは、ラビたちの深い聖書理解を強調しようとする。いわば、それぞれの立場は最初から決まっているのである。

タルムードは、律法を導き出すためには聖書解釈が典拠になると考えたが、『バビロニア・タルムード』が聖書解釈の原則を確たる規則としては考えなかったのに対し、『パレスチナ・タルムード』はラビたちが聖書解釈において、より一貫していると考えた。とはいえその一貫性は、シンプルで理解しやすい聖書解釈をするラビ・イシュマエルと、より込み入っていて、現在の文献学からは程遠い聖書解釈をするラビ・アキバとに分けられる。

中世では、サアディア・ガオンは聖書の独立した解釈は不可能であり、聖書解釈から得られたように見える律法も、実際には口伝律法に依拠していると主張した。マイモニデスも、聖書から解釈によって得られた律法も、実際には聖書起源というよりはラビ的権威に由来すると考えるべきと述べている。

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