- Menahem I. Kahana, "Midrashei Halakhah," in Encyclopaedia Judaica, 2nd edition, Vol. 14 (2006), pp. 193-204.
Encyclopaedia Judaica Fred Skolnik Macmillan Library Reference 2006-12-30 売り上げランキング : 1306324 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
法的ミドラッシュとは、タナイーム期の法的(ハラハー)資料と非法的(アガダー)資料を、トーラーの節の順に並べたものである。これに対し、同時代の『ミシュナー』や『トセフタ』は、主題に沿って解釈が並べられている。主たる現存する文書としては、出エジプト記に関する『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』、レビ記の『スィフラ』、民数記の『民数記スィフレ』、申命記の『申命記スィフレ』などがあり、後代の資料から復元された文書としては、出エジプト記の『メヒルタ・デ・ラビ・シメオン・バル・ヨハイ』、民数記の『スィフレ・ズータ』、そして申命記の『申命記メヒルタ』がある。
D.Z. Hoffmanは、これらの資料を、ラビ・アキバ学派のものとラビ・イシュマエル学派のものに分類した:
D.Z. Hoffmanは、これらの資料を、ラビ・アキバ学派のものとラビ・イシュマエル学派のものに分類した:
- ラビ・アキバ学派:『メヒルタ・デ・シメオン・バル・ヨハイ』、『スィフラ』、『スィフレ・ズータ』、『申命記スィフレ』、(『申命記スィフレ・ズータ』)
- ラビ・イシュマエル学派:『メヒルタ・デ・ラビ・イシュマエル』、『民数記スィフレ』
このうち、ラビ・アキバ学派のミドラッシュはさらに以下の二つに分けられる:
- 『メヒルタ・デ・シメオン・バル・ヨハイ』、『スィフラ』、『申命記スィフレ』
- 『スィフレ・ズータ』、(『申命記スィフレ・ズータ』)
前者はラビ・アキバ学派の古典的なミドラッシュであるのに対し、後者は独特の特徴を持ち、『ミシュナー』との繋がりが希薄である。
法的ミドラッシュにおいては、五書で言及されている法的素材のほぼすべてが扱われている。これらの文書は律法を扱うことを目的としているために、それを含まない創世記に関する注解が存在しないのである。ただし、法的ミドラッシュとは言いながらも、少しのアガダー的要素も含んでいる。
聖書の扱い。法的ミドラッシュは聖書テクストと、ラビたちによるその解釈とを明確に区別している。そこで聖書テクストをレンマとしてまず引用し、それからその節に対する解釈を述べるという構成になっている。聖書テクストを引用するので、注解もまた聖書テクストの順に行なわれる。言語的には、ミシュナー・ヘブライ語で書かれている。一つの聖書箇所に複数の注解が付されているが、多くの注解は誰の手によるものか不明である。聖書の節は、証明句として引かれたり、他の節にある矛盾を解消して新しい教えを明らかにするために引かれたりする。そうした節の機能から、法的ミドラッシュでは、神的な源泉としての聖なるテクストである聖書の完全な権威が認められている。
法的ミドラッシュ以前にも、聖書に見られる矛盾を解決しようという試みは、歴代誌、『神殿巻物』などに見られたが、これらは聖書内聖書解釈や再説聖書と呼ばれ、聖句と注解とが切り離されていない。一般に切り離されているものと見られるペシェルは、法的トピックを扱っていない。法的ミドラッシュの先駆としては、過越しの『ハガダー』や新約聖書などが挙げられる。
法的ミドラッシュと死海文書との違いは、第一に、前者は人間の解釈であるのに対し、後者は完全な権威としての神の言葉であること、第二に、前者が互いに異なるラビたちの意見を収録するのに対し、後者は統一的で一貫した解釈を提供すること、第三に、前者が単純なラビ・ヘブライ語で書かれているのに対し、後者は聖書ヘブライ語に近いこと、第四に、前者は後者よりも発展的な法的解釈を示していること、そして第五に、前者の方が後者より、聖書中のシンプルな法規からかけ離れたものを示していること、である。
こうした法的ミドラッシュの成立要因は、第一に、聖書が正典化され、それとは区別された文書がラビたちによって生み出される必要があったこと、第二に、聖書が聖なるものとされたことで、その解釈が必要とされたこと、第三に、聖書中のシンプルな法規から後代のラビたちの複雑な法規になるにつれて、法規の最新版が必要とされたこと、第四に、ラビの法規に対する外部からの反論を、文書を作っておさえる必要があったこと、第五に、ラビたち内部の議論のために、両学派が自分の見解をまとめる必要があったこと、などである。さらにはトーラー学習をローマが禁じたことで、トーラーが失われるのをラビたちが恐れたことも原因の一つと言える。
注解法の発展は、『スィフラ』に見られるヒレルの七つの注解法(ミドット)から始まる:カル・ヴァホメル(小から大へ)、グゼラー・シャヴァー(類似表現の比較)、ビンヤン・アヴ(ある箇所の法規の原型を別の箇所に発見)、シュネイ・ケトゥヴィーム(互いに矛盾する二つの節を発見)、ケラル・ウフェラット(一般と特殊を発見)、カヨツェ・ボー・ベマコム・アヘル(稀な語を別の箇所に発見)、ダヴァル・ラマッド・メインヤノ(文脈からの理解)。この注解法が、同じく『スィフラ』で、ラビ・イシュマエルによって13に増やされている。
数だけでなく、一つの注解法の意味もいくつか増やされている場合もある。グゼラー・シャヴァーはもともと二つの同じ事柄を比較することを意味したが、タナイーム期には二つの別の事柄についての法規を恣意的に比較することを意味した。またケラル・ウフェラットも、第一に、特殊のあとに来る一般、第二に、一般のあとに来る特殊、そして第三に、一般のあとに来る特殊のあとに来る一般の三種類が一緒くたにされていたが、ラビ・イシュマエルはそれぞれを区別した。
イシュマエル学派とアキバ学派との違い。イシュマエル学派の注解はアキバ学派のそれよりも穏健である。すなわち、前者がより聖書テクストに従い、そこにシンプルな意味を見出すのに対し、後者はそこから思い切って離れ、極端な解釈を引き出す。
さらに、イシュマエル学派は上の注解法に依拠して複数の節を比較するのに対し、アキバ学派は一つの節や言葉に拘って結論を出す。たとえば、本動詞と不定法とが並べられる聖書ヘブライ語独特の表現において、イシュマエル学派はそれを単なる文学的な反復と捉えるのに対し、アキバ学派はそれぞれの用法に意味があると捉える。
イシュマエル学派は、トーラーではっきりと書かれていないが引き出され得る解釈を、他の箇所の解釈に適用することを認めないが、アキバ学派はそれを認める。すなわち、アキバ学派は聖書を解釈して法規を引き出すのではなく、法規に合うように聖書を解釈するのである。
イシュマエル学派の解釈は穏健なので、性的な事柄や創造に関する議論などといった繊細な話題も扱うのに対し、アキバ学派はそもそも繊細な話題を扱うことを禁じている。というのも、アキバ学派は自分たちが極端な解釈を引き出しがちであることを知っており、それゆえに自分たちの解釈が異端者の正当化に使われることを恐れたのである。
両学派を分ける基準は、第一に、片方にしかない注解法があること、第二に、用いる用語の違い、第三に、登場する主たるラビたちの名前の違い、第四に、並行する解釈におけるわずかな差、などである。
文書の編纂。法的ミドラッシュの文書は、それぞれの学派を明確に区別せず、アキバ学派の文書の中にもイシュマエル学派の教えが引かれている。それを明示する場合もあれば、単にダヴァル・アヘルとして紹介する場合もある。ただしその紹介の仕方は恣意的であり、あえて部分的・断片的にしか紹介しないことがある。すなわち、文書の編纂者は客観的な文献学者ではなく、おそらくはその学派に属する者だったと考えられる。
アガダー的資料には、法的資料に見られるような両学派の区別はあまり見られない。両者共に、極めて似た内容およびスタイルのアガダーを含んでいる。むろん、表現や単語、アプローチの仕方、そして見解の違いなどがないわけでもない。
失われた法規。法的ミドラッシュには、『ミシュナー』、『トセフタ』、『タルムード』のバライタには見られない法規が保存されている。保存されていた理由は、第一に、反対意見すら収録するという、法的ミドラッシュの高度に発展した弁論ゆえ、第二に、編纂者がさまざまな資料を用いたため、第三に、初期の解釈を入れ込んだことゆえ、第四に、『ミシュナー』ほど優良な保存状態でなかったため、である。特に『スィフラ』には、レビ記に関する第二神殿時代の解釈が残されている。
各種タルグムは法的ミドラッシュと共通する資料を持っており、特にタルグム・ヨナタンは、法的ミドラッシュを文書として知っていたと考えらえる。アキバ学派は『ミシュナー』を頻繁に利用した。一方でイシュマエル学派はそのままでは引用せず、パラフレーズしたり短くしたりして引用した。「ミシュナー」という語自体も、アキバ学派の文書にだけ登場する。イシュマエル学派は『ミシュナー』の権威を認めていなかったのである。『トセフタ』はイシュマエル学派の代表的なラビたちにも言及している。タルムードとの関係としては、法的ミドラッシュの方がタルムードのバライタよりも、タナイームたちの教えをよく保存していると言える。そもそもアモライームは自身の説明や見解を付け加えている。注解法についても、法的ミドラッシュでは、複数の法規をひとつの聖句で説明したり、逆にひとつの法規を複数の聖句で説明したりするのに対し、タルムードでは、ひとつの聖句が秘めている法規はひとつだけなので、複数の聖句からひとつの法規を引き出すことは不可能だと考えられている。
法的ミドラッシュが編纂された場所と時間は、用いられている言語の特徴などから、イスラエルの地で、後三世紀中盤だと考えられている。すなわち、『ミシュナー』から『タルムード』への転換期である。Ben Zion Wacholderは8世紀だと主張するが、これは否定されるだろう。またイシュマエル学派の文書はバビロニアで編纂されたという説もあるが、これも疑わしい。
聖書の扱い。法的ミドラッシュは聖書テクストと、ラビたちによるその解釈とを明確に区別している。そこで聖書テクストをレンマとしてまず引用し、それからその節に対する解釈を述べるという構成になっている。聖書テクストを引用するので、注解もまた聖書テクストの順に行なわれる。言語的には、ミシュナー・ヘブライ語で書かれている。一つの聖書箇所に複数の注解が付されているが、多くの注解は誰の手によるものか不明である。聖書の節は、証明句として引かれたり、他の節にある矛盾を解消して新しい教えを明らかにするために引かれたりする。そうした節の機能から、法的ミドラッシュでは、神的な源泉としての聖なるテクストである聖書の完全な権威が認められている。
法的ミドラッシュ以前にも、聖書に見られる矛盾を解決しようという試みは、歴代誌、『神殿巻物』などに見られたが、これらは聖書内聖書解釈や再説聖書と呼ばれ、聖句と注解とが切り離されていない。一般に切り離されているものと見られるペシェルは、法的トピックを扱っていない。法的ミドラッシュの先駆としては、過越しの『ハガダー』や新約聖書などが挙げられる。
法的ミドラッシュと死海文書との違いは、第一に、前者は人間の解釈であるのに対し、後者は完全な権威としての神の言葉であること、第二に、前者が互いに異なるラビたちの意見を収録するのに対し、後者は統一的で一貫した解釈を提供すること、第三に、前者が単純なラビ・ヘブライ語で書かれているのに対し、後者は聖書ヘブライ語に近いこと、第四に、前者は後者よりも発展的な法的解釈を示していること、そして第五に、前者の方が後者より、聖書中のシンプルな法規からかけ離れたものを示していること、である。
こうした法的ミドラッシュの成立要因は、第一に、聖書が正典化され、それとは区別された文書がラビたちによって生み出される必要があったこと、第二に、聖書が聖なるものとされたことで、その解釈が必要とされたこと、第三に、聖書中のシンプルな法規から後代のラビたちの複雑な法規になるにつれて、法規の最新版が必要とされたこと、第四に、ラビの法規に対する外部からの反論を、文書を作っておさえる必要があったこと、第五に、ラビたち内部の議論のために、両学派が自分の見解をまとめる必要があったこと、などである。さらにはトーラー学習をローマが禁じたことで、トーラーが失われるのをラビたちが恐れたことも原因の一つと言える。
注解法の発展は、『スィフラ』に見られるヒレルの七つの注解法(ミドット)から始まる:カル・ヴァホメル(小から大へ)、グゼラー・シャヴァー(類似表現の比較)、ビンヤン・アヴ(ある箇所の法規の原型を別の箇所に発見)、シュネイ・ケトゥヴィーム(互いに矛盾する二つの節を発見)、ケラル・ウフェラット(一般と特殊を発見)、カヨツェ・ボー・ベマコム・アヘル(稀な語を別の箇所に発見)、ダヴァル・ラマッド・メインヤノ(文脈からの理解)。この注解法が、同じく『スィフラ』で、ラビ・イシュマエルによって13に増やされている。
数だけでなく、一つの注解法の意味もいくつか増やされている場合もある。グゼラー・シャヴァーはもともと二つの同じ事柄を比較することを意味したが、タナイーム期には二つの別の事柄についての法規を恣意的に比較することを意味した。またケラル・ウフェラットも、第一に、特殊のあとに来る一般、第二に、一般のあとに来る特殊、そして第三に、一般のあとに来る特殊のあとに来る一般の三種類が一緒くたにされていたが、ラビ・イシュマエルはそれぞれを区別した。
イシュマエル学派とアキバ学派との違い。イシュマエル学派の注解はアキバ学派のそれよりも穏健である。すなわち、前者がより聖書テクストに従い、そこにシンプルな意味を見出すのに対し、後者はそこから思い切って離れ、極端な解釈を引き出す。
さらに、イシュマエル学派は上の注解法に依拠して複数の節を比較するのに対し、アキバ学派は一つの節や言葉に拘って結論を出す。たとえば、本動詞と不定法とが並べられる聖書ヘブライ語独特の表現において、イシュマエル学派はそれを単なる文学的な反復と捉えるのに対し、アキバ学派はそれぞれの用法に意味があると捉える。
イシュマエル学派は、トーラーではっきりと書かれていないが引き出され得る解釈を、他の箇所の解釈に適用することを認めないが、アキバ学派はそれを認める。すなわち、アキバ学派は聖書を解釈して法規を引き出すのではなく、法規に合うように聖書を解釈するのである。
イシュマエル学派の解釈は穏健なので、性的な事柄や創造に関する議論などといった繊細な話題も扱うのに対し、アキバ学派はそもそも繊細な話題を扱うことを禁じている。というのも、アキバ学派は自分たちが極端な解釈を引き出しがちであることを知っており、それゆえに自分たちの解釈が異端者の正当化に使われることを恐れたのである。
両学派を分ける基準は、第一に、片方にしかない注解法があること、第二に、用いる用語の違い、第三に、登場する主たるラビたちの名前の違い、第四に、並行する解釈におけるわずかな差、などである。
文書の編纂。法的ミドラッシュの文書は、それぞれの学派を明確に区別せず、アキバ学派の文書の中にもイシュマエル学派の教えが引かれている。それを明示する場合もあれば、単にダヴァル・アヘルとして紹介する場合もある。ただしその紹介の仕方は恣意的であり、あえて部分的・断片的にしか紹介しないことがある。すなわち、文書の編纂者は客観的な文献学者ではなく、おそらくはその学派に属する者だったと考えられる。
アガダー的資料には、法的資料に見られるような両学派の区別はあまり見られない。両者共に、極めて似た内容およびスタイルのアガダーを含んでいる。むろん、表現や単語、アプローチの仕方、そして見解の違いなどがないわけでもない。
失われた法規。法的ミドラッシュには、『ミシュナー』、『トセフタ』、『タルムード』のバライタには見られない法規が保存されている。保存されていた理由は、第一に、反対意見すら収録するという、法的ミドラッシュの高度に発展した弁論ゆえ、第二に、編纂者がさまざまな資料を用いたため、第三に、初期の解釈を入れ込んだことゆえ、第四に、『ミシュナー』ほど優良な保存状態でなかったため、である。特に『スィフラ』には、レビ記に関する第二神殿時代の解釈が残されている。
各種タルグムは法的ミドラッシュと共通する資料を持っており、特にタルグム・ヨナタンは、法的ミドラッシュを文書として知っていたと考えらえる。アキバ学派は『ミシュナー』を頻繁に利用した。一方でイシュマエル学派はそのままでは引用せず、パラフレーズしたり短くしたりして引用した。「ミシュナー」という語自体も、アキバ学派の文書にだけ登場する。イシュマエル学派は『ミシュナー』の権威を認めていなかったのである。『トセフタ』はイシュマエル学派の代表的なラビたちにも言及している。タルムードとの関係としては、法的ミドラッシュの方がタルムードのバライタよりも、タナイームたちの教えをよく保存していると言える。そもそもアモライームは自身の説明や見解を付け加えている。注解法についても、法的ミドラッシュでは、複数の法規をひとつの聖句で説明したり、逆にひとつの法規を複数の聖句で説明したりするのに対し、タルムードでは、ひとつの聖句が秘めている法規はひとつだけなので、複数の聖句からひとつの法規を引き出すことは不可能だと考えられている。
法的ミドラッシュが編纂された場所と時間は、用いられている言語の特徴などから、イスラエルの地で、後三世紀中盤だと考えられている。すなわち、『ミシュナー』から『タルムード』への転換期である。Ben Zion Wacholderは8世紀だと主張するが、これは否定されるだろう。またイシュマエル学派の文書はバビロニアで編纂されたという説もあるが、これも疑わしい。
法的ミドラッシュの研究史は三期に分けられる:第一に、18から19世紀のユダヤ教科学の時代に、A. Geiger, L. Zunz, Z. Frankel, J.H. Weiss, M. Friedmanらが、タルムードやミドラッシュの歴史的発展、法規やミドラッシュの学ばれ方、そして法的ミドラッシュの再解釈などを研究した。第二に、19から20世紀には、I. Lewy, D. Hoffman, S. Schechter, H.S. Horovitzらが、イシュマエル学派とアキバ学派の比較、批判的校訂版の出版、失われた法的ミドラッシュの再構成などに従事した。そして第三に、現代ではJ.N. Epstein, Ch. Albeck, S. Lieberman, L. Finkelsteinらが、さらなる校訂版の出版を続けたが、『ミシュナー』や『トセフタ』への関心が強いために、法的ミドラッシュはやや無視されつつある。
関連記事
関連記事
山崎と申します。研究者ではございません。ユダヤ人の学者故ダヴィド・フルッサー氏の『ユダヤ人イエス(決定版)』(教文館)を読んでおります。第5章「愛」P96に、新約聖書ルカ福音書6・36「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」と同趣旨の言葉として、ユダヤ教ラビ・イシュマエルの「出エジプト記」15章2節の注解があると紹介されておりました。ラビ・イシュマエルのその部分の記述につきまして、知りたいと思っております。ご知見がございましたなら、アドバイスを頂けますれば幸いです。不躾なお尋ねをお許しください。
返信削除