- Alan J. Avery-Peck, "Chapter 15: Conclusions," in Mishnah's Division of Agriculture: A History and Theology of Seder Zeraim (Brown Judaic Studies 79; Chico, California: Scholars Press, 1985), pp. 397-411.
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- ミシュナーのラビたちが第二神殿時代の文学から法制度や法概念をある程度受け継いでいるにせよ、ミシュナーの法概念は新しい独自のものであり、創造的なものである。従って、ゼライーム篇もまた、ラビたちが古代の法を単に集めてきたものではなく、最初の数世紀の間になされた創造である。
- 検証の結果、匿名の法は名前付きの法に依拠していることが分かったため、通常考えられているように匿名の法はラビの名前付きの法より古いのではなく、逆に、名前付きの法が匿名の法より古いものである。
- ゼライーム篇のそれぞれの項はランダムに並んでいるのではなく、トピックや事実に従って組織的な編成になっている。
- 70年から135年までサンヘドリンがヤブネに存在したヤブネ期と、それ以降のウーシャ期とで分けて考えると、ヤブネ期が法における行為自体を問題にするのに対し、ウーシャ期は法を守るときの人の意図や状況を勘案するようになった。
- ミシュナーが特に独自なものとなったのは、バル・コフバの乱以降、すなわちウーシャ期になってからである。ウーシャ期のラビたちは聖書のイデオロジーを超えて、ミシュナー独自の聖俗の区別の概念を定式化した。
- 神殿の崩壊後のユダヤ教の発展にとって、70年の神殿崩壊そのものよりも、135年のバル・コフバの乱が与えた影響が極めて強い。70年に確かに神殿は崩壊したが、まだローマによる規制が甘かったのに対し、135年の反乱以降はローマによるエルサレムの解体が進み、ユダヤ教の制度の大幅な改編が迫られた。
著者はこの章において、特に第四点目についてさらに説明を加えている。ヤブネ期の賢者たちは基礎的な質問や法定義について関心を集中させている。彼らは、人々が法を守るときの動機付けや意図には興味を持たず、ひたすら法の定義を議論している。彼らは世界にはあらかじめ決められた秩序があると考えていたのである。これに対し、ウーシャ期の賢者たちはすべての行為をそれをなした人の意図に照らして判断している。それゆえに、ある法の規定を破ってしまっても、それがよい意図に従ってなされたのであれば許されるのである。ヤブネ期の賢者たちと異なり、ウーシャ期の賢者たちは、イスラエル人に課された秩序以外、世界には秩序はない(それゆえに、法の遵守においても意図せざる乱れが生じる可能性がある)と考えていたといえる。
著者は、この行為そのものから意図を重視する姿勢を、中世ヨーロッパにおける法の発展や、心理学における子供の倫理観の発展などとの対比から説明していく。つまり著者は、社会的・政治的な倫理観の発展を、その中にいる個人の倫理観の発展の類比から理解しているのである。
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